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— SHIMO (@KoichiShimomura) 2019年3月12日
今日の天木メルマガ-統計不正問題の困難さ(3)
— 西村佳能(新党憲法9条) (@nishiy2006) 2019年3月12日
「波聞風問」で、編集委員の原真人編集委員が「本来問われるべきことは何か」で教えてくれている。
それは一言でいえばこうだ。
本来、統計には誤差もあればブレもある。
その一つ一つに焦点を当て過ぎるのでは安倍政権の本当の悪質性に迫れない。
今日の天木メルマガ-統計不正問題の困難さ(4)
— 西村佳能(新党憲法9条) (@nishiy2006) 2019年3月12日
安倍首相の得意わざは、都合のいいデータだけを取り出し、並べ立てて、「成果」や「果実」を宣伝することだ。
そこに焦点を当てない限り、いつまでたっても追及は深まらない、というのだ。
その通りである。
しかし、まさしくこの追及こそが難しいのだ。
野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由
http://kenpo9.com/archives/5720
2019-03-12 天木直人のブログ
どうやら今度の国会は統計不正問題の追及に明け暮れて終わりそうだ。 そしてこの統計不正問題について、7割以上の国民が解明されていないと考えているにも関わらず、安倍政権の支持率は下がらない。 その理由は簡単だ。 野党が安倍政権を追い詰める事が出来ないからだ。 なぜ追い詰められないのか。 その最大の理由は、もちろん、安倍政権がまともに答えようとしないからだ。 統計作成作業の複雑さがあるからだ。 しかし、それらに加えて、もっと追及が難しい問題がある。 それをきょう3月12日の朝日新聞「波聞風問」で、編集委員の原真人編集委員が「本来問われるべきことは何か」で教えてくれている。 それは一言でいえばこうだ。 本来、統計には誤差もあればブレもある。 その一つ一つに焦点を当て過ぎるのでは安倍政権の本当の悪質性に迫れない。 安倍首相の得意わざは、都合のいいデータだけを取り出し、並べ立てて、「成果」や「果実」を宣伝することだ。 そこに焦点を当てない限り、いつまでたっても追及は深まらない、というのだ。 その通りである。 しかし、まさしくこの追及こそが難しいのだ。 なぜならば、統計は事実や実態を知るための道具であると同時に、その気になれば意図的に情報操作できる道具にもなる。 そして、統計を自分の都合のいいように使い分けるのは誰もが程度の差こそあれ、使う手口だ。 安倍首相の場合はその使い方があまりにも露骨で度を超している。 しかし、森友学園問題や加計学園疑惑のように、公私混同、予算の私物化に直結するものでなければ、国民感情に火がつかないのだ。 統計のミスやそのミスをごまかす忖度はあったに違いない。 しかし、そのことと、統計を恣意的に使って国民をごまかす事の区別が国民にはつかない。 そして、その区別を、国会答弁のやり取りで国民に分からせるのは容易ではない。 野党の追及が奏功しない大きな理由の一つがここにある(了) (波聞風問)統計不正 本来問われるべきことは何か 原真人 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13929172.html 2019年3月12日05時00分 朝日新聞 文字起こし 宰相・吉田茂はジョークの達人だったらしい。 終戦直後、国民の餓死を防ぐため、十分な量の食料の緊急輸入を米国に直訴する。一部しか輸入できなかったが餓死者は出なかった。マッカーサーから、日本の統計はいいかげんだ、と責められた吉田はこう言って、いなした。 「もし日本の統計が正確だったらむちゃな戦争などしなかった。統計通りだったら日本の勝ち戦だったはずです」 吉田の孫、麻生太郎財務相の著書にあったエピソードを先月、衆院予算委員会で立憲民主党の長妻昭氏が統計不正問題にからめて質問した。麻生氏は「小学生の時、何回か聞かされた話」と認めた。 冗談でなく、統計を見誤れば国家が滅ぶこともある。野党が追及するのは当然だ。 超多忙な首相秘書官がわざわざ一統計の調査手法について、厚生労働省の担当幹部を官邸まで呼びつけるというのも、かなり異常なことである。 それでも、この問題への世論の関心は、いまひとつだ。なぜだろう。 不正のきっかけは15年前の担当者のミス、隠蔽(いんぺい)は役所の事なかれ主義の結果だった可能性がある。その責任は追及すべきだが、野党が事実確認に力を入れるあまり、本来問われるべき問題が陰に隠れてしまったのかもしれない。 その問題とは、安倍晋三首相が統計のもつ危うさを無視し、国民受けのために都合よく利用してきたことである。 本来、統計には誤差もあればブレもある。速報でプラスだった数字が確報でマイナスになることもある。毎月勤労統計にしても実質賃金にしても一つの調査や数字だけに焦点をあてすぎるのは危うい。 ところが都合のいいデータだけを取り出し、並べ立て、「成果」や「果実」だと宣伝するのが首相の得意わざだ。 たとえば有効求人倍率が代表的である。倍率がバブル期超えの高さとなったことを、首相は「アベノミクスの成果」と誇ってきた。それが何度も繰り返されるうちに、国民の意識に「アベノミクスは成功」とすり込まれていく。 首相の説明には直近6年間で生産年齢人口(15〜64歳)が480万人減ったという事実は、いっさい出てこない。それこそ雇用統計が好転している主因なのに、である。 統計は事実や実態を知るための道具だ。ただし意図すれば事実をゆがめ、国民をあざむく道具にも早変わりする。 冒頭の吉田茂のジョークには重大な事実誤認がある。 日本軍は、日米の資源量や工業生産力に大きな開きがあるデータをかなり正確につかんでいた。対米戦争に勝てないことをわかっていたのだ。 にもかかわらず開戦方針に都合のいいデータだけを取り出し、勝てるはずのない戦争に国民を引きずり込んだ。 正確さだけが統計の価値を決めるわけではない。それを国民国家のために生かそうという使い手の誠実さがあって初めて、統計は生きる。 (はらまこと 編集委員)
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