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「勝利」以外の可能性を論じる軍人は指導部から追放された 保阪正康 日本史縦横無尽(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/567.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 4 月 12 日 14:50:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

 


「勝利」以外の可能性を論じる軍人は指導部から追放された 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/251653
2019/04/12 日刊ゲンダイ


東條英機(C)共同通信社

 太平洋戦争に入る前の軍事組織は戦争を望んでいたが、それは指導者たちが心の中で「勝利」以外を信じないという決心を固めることでもあった。彼らは勝利以外の可能性を論じる者は敗戦論者だとして指導層から追い払った。昭和16年11月に日米交渉は少しずつ絶望的であることが明らかになったが、戦争を現実に進める段になっても、「勝利」以外は考えていない。

 11月の半ばだが、陸軍省軍務課の高級課員で中佐の石井秋穂は、首相、陸相である東條英機から、どのような段階に達したら戦をやめるかを考えるように命じられた。この頃の内閣の起案文書の多くは軍務課の将校たちが下案を作っていた。石井は海軍省軍務課の高級課員の藤井茂と打ち合わせをして、どのような案にすべきかと首をひねった。要するに日本が勝つとはどういうことかを文字にする役割を与えられたのである。

 私は、昭和50年代に石井に何度か会って、この頃の下案作りの根拠とはどういうことかを確かめた。「まさかワシントンに日章旗を立てたり、ロサンゼルス市内を行進するのが勝利と考えたわけではないですよね」と尋ねると、石井は苦笑いを浮かべ、「いくらなんでもそこまでは考えないよ」といった。

 石井は冷静なタイプで、自らを厳しく律する軍人である。日本が勝つことは軍事的には難しい、なるべく日米戦争は避けたいと考えているのだから、本来なら省部(陸軍省や参謀本部)にいることはできない。東條に追い出されてもおかしくはないのだが、軍務局長の武藤章が彼を手放さなかったためこのポストに就いていた。

 軍内では、もし石井が省部を離れたら戦争の合図だと密かに噂されていた。その石井が藤井とともにまとめたのが「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」であった。石井の私への直話によると、アメリカとの戦争に勝てるわけはないので、アメリカが援助しているイギリスや蒋介石政府を屈服させることで、アメリカがどれだけ支援しても意味がないと知らしめることを基本方針としてまとめたというのであった。しかし自分たちの作成した案を基に東條や杉山元、永野修身らの軍事指導者や政治指導者が決めればいいと考えていた。

 ではその下案とはどんな内容だったのか、を見ておく必要がある。



保阪正康 作家
1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。






 

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コメント
1. 赤かぶ[9463] kNSCqYLU 2019年4月12日 14:53:51 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[115] 報告


2. 乳良〜くTIMES[1006] k_uXx4Fggq1USU1FUw 2019年4月12日 15:10:35 : rxEys7fPr2 : U3VnVmJRNFlFd0E=[13] 報告
>>1
いつまで経っても敗北を認めない、という点でアベノミクスは日米戦争並みに酷い、という意味?

それに国民が気付かず、声を上げないのは堕眞須護美のせい、という点でも似ているね。

3. 2019年4月12日 16:05:46 : jdbscxdMEI : ZWNRcnA3VXlMSmM=[344] 報告
早い話がアホである。精神論が好きなのは今も同じ。

心頭滅却すれば火もまた涼し。そう思う人は同類である。

4. しんのすけ99[344] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月12日 16:18:59 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[106] 報告
太平洋戦争当初 快進撃をもたらした最前線指揮官は 実は皆 日米開戦に否定的あるいは消極的意見を
述べた者たちばかりだった マレー戦線の山下奉文 フィリピン戦線の本間雅晴 ジャワ攻略戦の今村均
さらにビルマ戦線の飯田祥二郎と、全員がアメリカに勝てる訳がないと主張した者たちばかりである
要するに 反対者は 最前線に飛ばされた と言って過言はない

◆ 対米戦争に否定的だったという事は すなわち マトモな戦略眼を持っていた指揮官という証しでもある ◆

あの戦争の序盤の快進撃は これらのマトモなる指揮官によってもたらされた 現場の指揮官の裁量に任せていた
当初だけは なにからなにまで上手くいっていた しかし 愚かなる中央の妄将たちが口出しするようになると
やる事なす事、裏目となって 日本軍の評判は地に堕ち しょせんは欧米に取って代わる新たな侵略軍としか
受け取られる事はなかった

なかでも秀逸だったのは 陸軍随一と言われる名将 ジャワ攻略戦を指揮した 今村均中将(のちに大将)である

捕虜となった敵兵を拘束したりせず 住民達にも寛容で その軍政は実に民主的であり自由を基礎とした
いわゆる善政を敷いた人物だった もちろん 虐待など絶対に許さなかった だからジャワの住人達から感謝され
オランダ軍兵士達からも尊敬を集めた だから戦後 現地指揮官でただ一人極刑を受けることなく解放されたが
現地に残した部下達をおもんばかり、自ら願い出て戦犯として現地へ舞い戻ったという人物である

今村均のような人物が あと5〜6人も軍中枢部にいたならば 本当の意味で日本の国家はアジアの解放者として
未来永劫に讃えられた事であろうが 残念ながら真の解放者は この人だけだったのである。

※ 今村均の善政に 軍中央は眉をひそめ、厳しい圧政にせよと強い指導が入るのだが、今村は一歩も譲らず
指導に来た軍参謀を ついに論破して納得させてしまうのだ しかし 今村がジャワを離任して新たに
ニューギニア方面へ赴任した後は、結局 陸軍特有の圧政に立ち戻ってしまうのだった ※

5. 2019年4月12日 22:04:07 : vWAVNYk6Go : WlQ4ZzFVeXAvMFU=[3] 報告
余りにも歴史を歪めているので、一言物申す。

スイスで、日本と米国の終戦のための秘密交渉が始まり、戦争責任を、裕仁から、東條はじめ軍部に押し付けることが、決定された。

引け目があるから、裕仁は、戦後、東條家に対して、礼を尽くした。

> During those first weeks after the surrender, great effort
already was being made to distance the emperor from direct
responsibility, for Pearl Harbor in particular, shifting the
blame entirely to General Tojo. This had been decided in
secret talks between conservative American and Japanese
envoys in Switzerland, long before the war ended. To
rescue Hirohito, everyone would have to be persuaded that
the emperor was 'a captive of Tojo and the militarists' who
were 'exclusively responsible for the war'.(Yamato Dynastyより引用。)

「金の百合」によって、天皇裕仁と秩父宮、竹田宮などの皇族は、東アジアの被害者、犠牲者にとって、殺人強盗団の首魁なのだ。

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