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安倍首相と明仁上皇(上) 明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった 佐藤章 (朝日新聞社 論座より)
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/563.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 5 月 09 日 22:01:17: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 

安倍首相と明仁上皇(上)
明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった

佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長
論座(無料公開部分) 2019年05月09日

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_3.jpeg
「退位礼正殿の儀」で天皇陛下(当時)に国民代表の辞を述べる安倍晋三首相=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」

■ 明仁上皇と安倍首相の軋み
 
 右翼団体「一水会」が安倍首相に対して怒りを表明している。「一水会」の公式ツイッターからその言葉をまず引用しよう。
 
安倍総理が、4月30日の天皇陛下の退位礼正殿の儀で「天皇皇
后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願って已み
ません・・あらせられます事を願って(已)いません」とやっ
てしまった。これでは意味が逆。問題は、官邸HPから映像削除
したこと。潔く字を間違えたこと認め不見識を謝罪せよ。
 
 次のツイートでこう言葉を継いでいる。

安倍総理の国民を代表しての挨拶だが、確かに滑舌の問題もあ
ろう。しかし、一世一代の大厳粛なお役目を努める立場であ
る。間違いがあってはならない。本来、自身が心情を込めた代
表文を作成して準備万端にしておく。それが叶わなかったなら
ば、一度、二度と確認は必要だ。慢心が不見識を招いている。
 
 安倍首相が、退位する天皇と皇后の前で「国民を代表して」あいさつしたが、その際に「已みません」という文字を読めなかったのかどうか「いません」と発音してしまった。

 これでは「お健やか」であることを願わないことになってしまい、戦前ならば「不敬」なこととして大きい騒ぎになっただろう。

 さすがに「一水会」は「慢心が不見識を招いている」として「不見識を謝罪せよ」と糾弾しているが、明仁上皇に対する安倍首相の「慢心」、「不見識」はこれにとどまるものではない。「生前退位」を打ち出した明仁上皇がまさに退位するまで、安倍政権のほとんど礼を失するような対応が進行していた。

 なぜ、このような事態が起こるのか。

 憲法の第1章に置かれた「天皇」は神や現人神ではない。人間である。この日本で、「天皇」と呼ばれるただひとりの人間として、85年の人生をかけて「国民統合の象徴」(憲法第1条)の意味をひとり実直に考え続け、その地位からの「生前退位」の考えを初めて強く打ち出した。その明仁上皇の歴史認識、社会観、さらには人間観と、安倍政権のそれらとはあまりに深い逆断層を形成している。

 自らの存在基盤である憲法の意味を考え続け、まさに「国民統合の象徴」として立ち続けてきた明仁上皇と、憲法の精神を省みず何度も違憲の疑いをかけられている安倍首相とでは、互いに相互理解の理路が欠けている。上皇関係者への取材なども踏まえて、その逆断層の構造を報告しよう。

 明仁上皇の基本的な歴史認識と安倍政権のそれとが、深い地表下で人知れぬ激しいきしみを生じさせた事例をまず見てみよう。

■ 「主権回復の日」のパプニング
 
 2013年4月28日午前、それは、東京・永田町の憲政記念館のホールで起きた。

 第2次安倍政権が発足してほぼ4カ月が経ったこの日、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」(主権回復の日)が開かれた。1952年の同日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本政府に主権が戻ってきたことを祝う式典だ。

 現在ユーチューブでもその様子を見ることができるが、登壇した上皇夫妻を取り囲んだ安倍晋三首相や麻生太郎財務相らが力強く「君が代」を斉唱した。

 その後、式典が終了し退席しようとしたその時、ハプニングが起きた。突然「天皇陛下、万歳」の声がかかり、会場は「万歳」の大声の渦となった。安倍首相も壇上で万歳三唱に加わったが、上皇夫妻の表情は硬く、沈黙したまま会場を後にした。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_2.jpeg
「主権回復」式典に参列した天皇、皇后両陛下(当時)。式典が終わり退席する際、「天皇陛下、万歳!」の声が上がった=2013年4月28日、東京都千代田区
 
 突然の万歳三唱、そして硬い表情の裏には、実は明仁上皇の人知れぬ苦悩があった。

 万歳三唱どころではない。この式典に出席するべきかどうか思い悩んでいたのだ。

 式典出席の要請を受けて、明仁上皇は参与会議の議題にかけた。参与というのは天皇の相談役だが、この時、明仁上皇の疑問と苦悩に応えてくれる相談役はいなかった。

 「日本が講和条約を締結した時、沖縄はその中に入っていないじゃないか。沖縄が独立の中に入っていない状況で、それを記念するというのはどういうものだろうか」

 出席者の記憶では、明仁上皇の疑問は、このような言葉で表現された。

 疑問の背景には沖縄の歴史がある。1945年3月から6月にかけて悲惨きわまる地上戦が繰り広げられ、沖縄住民の約3分の1が犠牲になった。集団自決の例も数多く報告されている。

 そして戦後、講和条約からひとり取り残され、1972年まで米軍に統治され続けた。以来、沖縄県民は、米軍基地のために土地を奪われ、米兵の犯罪や米軍用機の事故に悩まされ続けた。県内では4月28日は「屈辱の日」と呼ばれ、2013年のこの日も、政府主催の記念式典と同時刻に、宜野湾市で「屈辱の日」大会が開かれた。

 つまり、この日付をめぐる明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、沖縄とともにあった。

 しかし、政府主催の式典への出席要請を断るとなれば、政権との対立を深めることになる。参与会議は深刻な空気に支配されたが、政権との衝突を回避する意見が大勢を占めた。

 出席を承諾した明仁上皇はやむなく、出席にあたって自身の意見を述べる意思を示したが、これも「おやめになった方がいい」という反対意見に阻まれた。沖縄県民の苦難の歴史に添いたいという心情は、ことごとく政権の意思を忖度する参与会議の壁に跳ね返された。コメントや挨拶なしの明仁上皇の沈黙の裏にはこのような事情があったのだ。

■ 天皇家と安倍政権の沖縄を巡る落差
 
 さらに、沖縄が「日本独立」からひとり取り残された裏には、昭和天皇をめぐるもうひとつ複雑な事情が隠されていた。

 1947年9月19日、側近の寺崎英成を使って連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交顧問を訪ねさせた。「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」(1947年9月20日付マッカーサーあてシーボルト公文書、同22日付マーシャル国務長官あて同公文書)というメッセージを伝えさせたのだ。

 昭和天皇のまさに冷徹な意思を貫徹させたものと言えるが、様々な歴史資料をも渉猟する明仁上皇は、このような裏の秘史をも恐らくは熟知しているだろう。

 沖縄県民の側に立って、苦悩しつつ政府主催の式典に出席した上皇は、さらに「天皇陛下、万歳」の唱和に直面し、硬い沈黙の表情の裏で苦悩を味わっていたにちがいない。

 「沖縄問題に対する現政権の処し方と天皇陛下(明仁上皇)の見方とは全然違うんですよ」

 この時会議で相談を受けた参与の一人は、安倍政権と上皇の間に横たわる深刻な断層を指摘した。

 この記念式典が開かれる直前、私は、沖縄本島の米軍北部訓練場に接する東村高江地区を訪ねていた。オスプレイの着陸帯であるヘリパッドの建設地帯だ。現在、激しい建設反対運動が展開されている。

 その建設地帯にほど近い「土地」を訪ね、私は衝撃を受けた。平らな赤土が楕円形状に広がっているが、ほとんど植生がないのだ。太陽の光を浴びた赤土の上に、ぽつぽつとまばらな影を落としていたのは高さ30センチほどの小さな松だけ。まるで人工的に造られた空き地のようだった。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_4.jpg
ほぼ50年もの間、盆栽のような松しか生えていない土地。100人を超える米軍元将兵が沖縄での枯れ葉剤被害の救済を米政府に訴え、何人かは枯れ葉剤散布などを自ら証言。米陸軍の元高官は沖縄タイムズの取材に、1960年から2年間、北部訓練場内と周辺一帯で強力な枯れ葉剤「オレンジ剤」の試験散布を証言した。沖縄の施政権は1972年に日本に返還されたが、当時の佐藤栄作政権は、本来米国が負担すべき土地の原状回復費用を日本が肩代わりしてやり、さらにその事実を最後まで隠し通そうとした=沖縄県東村高江
 
 この北部訓練場は、これまでに部分的に返還されてきている。私が衝撃を受けた土地は、1960年代に米軍から返還されて以来、そのままの状態だった。つまり、ほぼ50年もの間、沖縄の太陽と雨の恩恵を受けながら、この土地だけはなぜかほとんど不毛の状態にあった。

 ベトナム戦争で使われ、先天的な奇形など重い障害と悲劇を生み出した枯れ葉剤がここで貯蔵されていたのではないか――。

 住民はそう疑っている。

■ 沖縄を天皇即位後5回訪問した明仁上皇
 
 さらにこの高江地区の住民には、消しがたい強烈な記憶がある。1960年代のベトナム戦争時の体験だ。

 1964年8月26日、沖縄の北部訓練場内の「ベトナム村」を舞台に実施された軍事演習の写真を見ていただきたい。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_5.jpg
住民たちがベトナム人役に仕立てられた『ベトナム村』。左方の畑を米海兵隊が進むのが小さく見える。海兵隊員たちが、村に隠れていたベトコン役の沖縄の住民を捉えて演習終了というシナリオだった。貴賓席のような高台から当時のワトソン高等弁務官ら米軍幹部たちが見学している。=1964年8月26日、沖縄北部訓練場・東村高江(写真・沖縄県公文書館)
 
 貴賓席のような場所から眺めているのは当時のワトソン高等弁務官を中心とする米軍幹部たちだ。海兵隊員たちが、ベトコン役の住民をとらえるという演習だった。

 役柄とはいえ、住民たちは文字通り標的以外の何者でもなかった。現在予定されているオスプレイのヘリパッドがすべて完成すれば、高江地区は囲まれる形になる。住宅の上を飛び回るオスプレイや化学物質の貯蔵も、結局実戦前の標的訓練や準備なのではないか。「ベトナム村」の歴史的記憶を抱える住民たちの深刻な懸念だ。

 戦争最終盤で悲劇的な地上戦が繰り広げられた沖縄。日本の主権回復にあたってはひとり取り残すメッセージを発した昭和天皇は、この沖縄の地をついに踏むことがなかった。

 それに対して、明仁上皇は天皇即位後5回訪問している。皇太子時代に初めて訪れた1975年7月17日には、糸満市のひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられたが、その日の夜には談話を発表した。

 「過去に多くの苦難を経験しながらも、常に平和を願望し続けてきた沖縄が、さきの大戦で、わが国では唯一の、住民を巻き込む戦場と化し、幾多の悲惨な犠牲を払い今日にいたったことは忘れることのできない大きな不幸であり、犠牲者や遺族の方がたのことを思うとき、悲しみと痛恨の思いにひたされます」

 身体に危険の迫った初めての事件だったが、その後も沖縄訪問をやめることはなかった。

 人々の記憶に残る上皇の戦跡慰霊の訪問は沖縄だけではない。

 戦後50年の前年にあたる1994年2月、太平洋戦争最大の激戦地と言われた硫黄島を訪問、次いで1995年7月に長崎県と広島県を訪れて原爆犠牲者を慰霊、8月には沖縄県糸満市の国立沖縄戦没者墓苑に礼拝、さらに東京都墨田区の東京都慰霊堂で東京大空襲の犠牲者を追悼した。

 戦後60年の2005年には、激戦地のサイパン島を訪れ、崖際に追い詰められた多数の日本人兵士や民間人が「天皇陛下、万歳」などと叫びながら断崖から身を投げたバンザイクリフに向かって深々と頭を下げ、黙祷した。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019050700008_6.jpg
サイパン島バンザイクリフに向かって深々と黙礼する上皇夫妻=2005年6月28日
 
 戦後70年の2015年には、やはり日本軍が壊滅したパラオのアンガウル島に向かって深々と頭を下げた。

 明仁上皇が慰霊の対象としたのは兵士だけではない。長崎や広島の原爆犠牲者や東京大空襲の犠牲者は先に触れたが、サイパン島では、沖縄出身者のおきなわの塔、韓国人慰霊塔にも向かい、黙祷を捧げた。

 2014年6月には、沖縄県那覇市の対馬丸記念館を訪問、遺族らと懇談した。戦時中の1944年8月、沖縄から九州に向かっていた学童疎開船の対馬丸は鹿児島県沖で米潜水艦の魚雷を受けて沈没、約1500人の子どもたちが犠牲となった。この年、10歳だった明仁上皇は、千葉県成田から静岡県沼津、栃木県日光へと疎開先を転々としている。同じように疎開しようとした同年代の子どもたちの犠牲に強い衝撃を受けたようだ。

 対馬丸や沖縄、長崎、広島、そしてサイパンやパラオ慰霊訪問にうかがわれるように、上皇の旅は、悲劇の歴史に対するひとりの人間としての深い感情と洞察に由来しているようだ。

■ 象徴天皇制と戦争放棄の取引
 
 明仁上皇は、日本人として忘れてはならない四つの日付を挙げている。

 6月23日 沖縄慰霊の日
 8月6日 広島原爆の日
 8月9日 長崎原爆の日
 8月15日 戦争の終わった日
 
 そこには、安倍首相らが万歳三唱をした4月28日「主権回復の日」は存在しない。明仁上皇にとっては、日本人にとって最大の悲劇となった日々の記憶こそ忘れるべきではないのだ。

 しかし一方で、最大の悲劇の日々をもたらした戦前日本の中心に存在していたのが ・・・ログインして読む
(残り:約2721文字/本文:約7648文字)
 
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050700008.html  

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コメント
1. 2019年5月09日 22:04:20 : e7rYHSTKJs : Q3VSWXI5eWZGUkk=[1] 報告
>明仁上皇の思いは、安倍政権にはなく、

国民にあったんだよ。 佐藤よ、沖縄に限定するな!
 

2. 2019年5月10日 01:32:49 : IOx2ltMSYc : cHNRLk43REhLRHM=[1] 報告
※1
上皇陛下が沖縄を特に気にかけてるのは否定できないだろ
そんなに上皇陛下の思いが都合悪いのか?
3. 2019年5月10日 17:35:07 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[860] 報告
七部:黒い王家10人の名前【黒い貴族】
.
ch 国際政経
2019/05/10 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=OBp5sJGEy0w
4. 2019年5月10日 19:24:15 : R78it43S7k : ZElUVzhMREpyUk0=[58] 報告
沖縄を いじめる安倍に 深い危惧

セレモニー 平気で晒す おバカぶり

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