サプライズ板門店会談、日本はまったく喜べない理由 7月1日(月)6時14分 JBpress 板門店で面会したトランプ大統領、金正恩委員長、文在寅大統領(2019年6月30日撮影、写真:AP/アフロ) 写真を拡大 (黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト) 6月30日午後、板門店でトランプ大統領と金正恩委員長が会談した。前日、大阪G20参加中のトランプ大統領がツイッターで呼びかけたアイデアで、それに急遽、金正恩委員長が乗ったわけである。 今回の会談はトランプ大統領らしいサプライズ演出ではあるが、そもそもトランプ大統領にも韓国の文在寅大統領にも、そして金正恩委員長にも、つまりは全員にメリットがある話だった。 トランプ大統領にとっては「歴史上、北朝鮮に足を踏み入れた米国初の現職大統領」ということになった。トランプ大統領はかねて北朝鮮との直接対話を「オバマ前政権も、これまでのどの大統領もなし得なかった快挙」だと自賛しているが、今回のサプライズもその延長になる。 実際に今回のサプライズ会談では、ハノイ会談の決裂で停滞していた対話の仕切り直しが合意されただけで、米国が求めている「非核化」に向けての具体的な成果は一切なかったが、それでもトランプ大統領としては、米国内の支持者に対して自身の行動力をアピールできる。金正恩と握手しているシーンを米国内で放送するだけでも「米国の安全保障のために行動している自分」を誇示できるわけだ。 トランプ大統領に同行した韓国の文在寅大統領にとっても、一貫して米朝の融和に向けて動いてきた自身の政策の成果を誇示できる好機になる。非核化の停滞で、米朝の仲介役だった文在寅大統領は自身の見通しの甘さが露呈したかたちになっており、苦しい立場にあった。そんな文在寅大統領にとっては、今回のトランプ大統領のアイデアは思いがけない幸運と言っていいだろう。 金正恩が手にした「実利」とは
さて、急にトランプ大統領に呼びつけられたかたちになった金正恩委員長だが、そんな格下扱いを受けてもなお板門店まで馳せ参じたのは、それ以上のメリットがあるからだ。それは、何といっても米国との「対話の継続」だろう。 実は、今回の会談で最大の勝者は、この「対話の継続」という実利を手にした金正恩といって過言ではない。 北朝鮮と米国は、2019年2月のハノイ会談で「経済制裁の大幅解除」と「寧辺+その他の核施設の廃棄」という互いの要求が折り合わずに決裂した。その後、要求の内容では互いに歩み寄ることはなく、対話も停滞した。 この状況は、北朝鮮にとっては、とても安心できるものではない。北朝鮮にとって最も重要なのは金正恩政権の存続だが、それには米朝戦争を回避することが絶対に必要だ。このまま対話が停滞して敵対的な雰囲気に向かうことは、何としても避けたいところだったはずだ。そして、そのうえで経済制裁の解除が得られればさらに良しというわけだ。 そのため北朝鮮としては、友好的な雰囲気での「対話の継続」が必要だが、そのために北朝鮮はこれまで、一方的に非核化を迫る米国の態度を公式には激しく非難するいっぽうで、同時にトランプ大統領個人だけは常に褒めまくり、首脳間の対話の道を模索してきた。非核化を進めずに対話の構図だけキープしたいからだ。 しかし、そのために核兵器を放棄するようなことも、彼らは避けたい。なぜなら核ミサイル武装こそ、確たる対米抑止力として機能し、金正恩政権存続のための切り札となるからである。 経済ももちろん北朝鮮としては重要で、そのためにハノイ会談では、寧辺の老朽化した施設を放棄する見返りとして、経済制裁の解除を求めた。しかし、いくら経済制裁解除のためとはいえ、寧辺以外の核施設の放棄には応じなかった。これは、北朝鮮が経済制裁解除よりも核ミサイル武装を優先している証拠である。 米朝は「対話の仕切り直し」をしただけ
繰り返すが、金正恩政権にとって最重要なのは、北朝鮮の経済発展ではなく、あくまで金正恩体制の存続だ。したがって経済に関しても、金正恩体制が崩壊するほど悪化すれば話は変わってくるだろうが、それ以前の段階の国民生活の苦境程度であれば、最優先事項ではない。北朝鮮にとって制裁解除による経済回復は、最優先事項ではないのだ。 この点を見誤り、「金正恩体制の最優先事項は、制裁解除による経済回復だ」と誤認すると、北朝鮮がこれまでいくらでも制裁解除のチャンスがあったのに、非核化措置を避ける理由が説明できない。 今回の板門店サプライズ会談では米朝は「対話の仕切り直し」をしただけだが、それだけのことで「今度こそ非核化が進むはずだ」と思い込むのは、分析として間違っているばかりか、危険でもある。 実際のところ、今回の会談で進展したのは、「米朝首脳の友好的な雰囲気作り」であり、それ以上ではない。50分間に及んだ会談の内容の詳細は不明だが、具体的な非核化の話が進んでいないことは、トランプ大統領が会談後の会見で「非核化」という言葉をまったく口にしていないことから伺える。非核化協議が進んでいたならば、トランプ大統領が誇示しないはずはない。 温存される北朝鮮の核爆弾
では、今後はどうなるのか? 交渉は今後も続くわけで、将来について確実なことは誰にもわからない。しかし、非核化の道筋が合意されていない段階で、米朝の首脳の友好的関係が進んだということは、効果の方向性としては、圧力の低下への方向だろう。少なくとも圧力の強化ではないわけで、そのベクトルが導く先は「現状維持」を前提とした緊張緩和だ。それはつまり、北朝鮮の核ミサイル武装の事実上の黙認である。 北朝鮮の核ミサイル武装が危険な水準に達していることは、もう何年も前から誰にもわかっていたことだ。それを放棄させる、あるいは抑制することができるとすれば、北朝鮮が最も恐れる米国の圧力だけだ。 したがって、米国が北朝鮮にどのような圧力をかけるかが、最重要だった。しかし、今、確実に起きていることは、米国が昨年(2018年)6月のシンガポール米朝会談で「圧力から融和」路線に転じ、その後も非核化が一向に進まない状況のなか、米国は非核化への圧力をまったく強化していないということだ。 となれば、今後予測されることは、非核化というすでに実現性が見えないフィクションを建前として掲げながら、実際には北朝鮮の核ミサイル武装が黙認されたまま、これ以上の脅威を抑制するために、友好的雰囲気の中で米朝対話だけがしばらく続いていくという流れだ。 こうして北朝鮮の核爆弾は温存される。北朝鮮はすでに推定60発以上の核爆弾を保有しているとの米情報当局の分析があるが、それに加え、たとえば昨年6月のシンガポール会談以後の1年間で、さらに数発を製造したものと見られている。つまり、今後も核爆弾は増えていく。 ますます高まっていく日本への脅威
ミサイルについては、北朝鮮自身は「すでに米国東海岸を射程に収める核ミサイルを戦力化した」と主張しているが、それが事実か否かは不明である。しかし、日本を射程に収めるミサイルを数百発保有していることは確実であり、それもおそらく即応性に優れた新型の固体燃料式ミサイルへの更新を進めているとみられる。 つまり、北朝鮮の核ミサイル武装が事実上黙認されるということは、日本は今後も北朝鮮の核脅威下に置かれることを意味する。米国の圧力で北朝鮮に核ミサイル武装を解除させることが一縷の望みではあったが、それももはや望むべくもないものと判断すべきだろう。 トランプ大統領の陣営からも、文在寅大統領の陣営からも、今回のサプライズ会談の成果を自賛し、まるで今度こそ平和へ向かうかのような楽観的な見通しがどんどん発信されるだろう。しかし、日本の安全保障にとっては、確実に脅威のフェーズが上がったと自覚すべきである。 筆者:黒井 文太郎 https://news.biglobe.ne.jp/international/0701/jbp_190701_3971500876.html
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