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未来志向のない「反省」「謝罪」ゴッコ。(日々雑感)
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/647.html
投稿者 笑坊 日時 2019 年 8 月 20 日 16:41:23: EaaOcpw/cGfrA j86WVg
 

https://okita2212.blogspot.com/2019/08/blog-post_20.html
8月 20, 2019 日々雑感(My impressions daily)

<終戦後に宮内庁の初代長官を務めた故・田島道治(みちじ)(1885〜1968)が、昭和天皇との約600回に及ぶ面会でのやりとりを詳述した文書を残していたことがわかった。遺族から入手したNHKが19日、一部を報道各社に公開した。昭和天皇が国民に向けたおことばで戦争への「反省」を表明しようとこだわったことや、改憲による再軍備の必要性に言及していたことなどが記されている。

 この文書は、1948(昭和23)年に宮内庁(当時は宮内府)長官に任命された田島が、翌49年2月から退官した53年12月にかけて昭和天皇とのやりとりを記した手帳やノート計18冊。全体は公開されず、NHKが報道し、遺族の同意を得た部分のみを抜粋して公開した。一部には「拝謁(はいえつ)記」と記されている。

 田島が残した文書としては、2000年代以降、ノンフィクション作家の加藤恭子氏が遺族から日記など資料の提供を受け、著書で発表するなど先行研究がある。今回見つかったのはこれらの資料とは別のものだが、内容に重複があり、昭和天皇の言葉が一問一答に近い形で詳しく明らかにされた点が特徴だ。宮内庁編修の昭和天皇実録に記載されていない内容も含まれている。

 例えば、サンフランシスコ講和条約発効と憲法施行5周年を祝う52(昭和27)年5月3日の式典に向け、昭和天皇は田島に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(52年1月11日)などと強くこだわった。おことばの草稿に戦争を悔やむ一節が挿入された後、吉田茂首相らの反対で削除されたやりとりも、先行研究より詳細に明らかにされた。

 さらに、当時、昭和天皇が「今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」(52年2月11日)と述べるなど、憲法改正による再軍備にたびたび言及していたことも初めてわかった。東西冷戦が続く中、自衛隊は発足しておらず、52年に前身の警察予備隊が保安隊に改組された。(中田絢子、北野隆一)

     ◇

 たじま・みちじ 名古屋市生まれ。東京帝国大学法科大学卒業、戦前は後藤新平・鉄道院総裁秘書や昭和銀行頭取などを歴任。戦後は大日本育英会会長や貴族院議員を経て1948〜53年に宮内府(宮内庁)長官。退官後は日本銀行監事、ソニー会長などを務める。

田島道治の文書全体を確認した古川隆久・日本大教授(日本近現代史)の話

 新憲法下での歩みが始まったばかりの時期に、約5年という長期にわたって昭和天皇の言葉を記録した初めての資料であり、今後の昭和天皇研究の基本的な資料の一つとなる重要なものだ。

 昭和天皇が改憲による再軍備に言及したことについては、9条のもとでは自衛隊のような組織も持つことができないと考えられていた時代の発言で、防衛力は最低限必要だという考えを示したに過ぎない。他の記述から、昭和天皇は戦前に戻すつもりは全くなかったことがわかる>(以上「朝日新聞」より引用)


 昭和天皇は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)にマッカーサー司令長官を訪れた際「戦争の責任はすべて自分にあり自分は処刑されようとも構わないが、国民の衣食住に関して特段のご配慮を願いたい」旨の申し出があって、マッカーサーは驚いたとの逸話が彼の回想録に記されている。

 昭和天皇がGHQ本部に訪れた際、マッカーサーは命乞いに来たのだろう、と見下していて、玄関に出迎えにすら出ずに皇居を見下ろす執務室で椅子にふんぞり返ってコーンパイプを燻らせていたという。しかし昭和天皇が帰られる際には玄関まで見送り「日本国民の安寧」を確約したという。

 実は本国のトルーマン大統領から「日本国民の1000万人ほども飢え死にさせて、天皇も死刑にせよ」との命令を受けていたという。マッカーサーは古今東西の国家元首なり国王が敗戦後に逃亡を図ったり命乞いをするのが常だと承知していた。しかし昭和天皇だけが異なっていたことに強い衝撃を覚えたという。

 その後の米国からの緊急食糧援助(決して「無償」ではなかったが)は歴史の通りだ。そして天皇と日本国民の強い繋がりを恐れて死刑するのではなく、積極的に占領地政策に利用した。昭和天皇の全国巡幸などがそうだ。ただその際にGHQは一人の護衛兵士も付けず、昭和天皇は数人の侍従たちと無防備で全国各地を昭和22年から29年にかけて巡幸された。各地の昭和天皇を歓喜で迎え、日本国民から投石の一つもなく「天皇陛下万歳」の声が湧き上がった。そのことにもマッカーサーは深い感銘を覚えたという。

 昭和天皇が「反省」の文言をお言葉に入れたいとの希望を述べられたのは自然なお気持ちではないか。しかし侍従たちによって自重を求められ、それではと「おことばの草稿に戦争を悔やむ一節が挿入された後、吉田茂首相らの反対で削除された」という。

 昭和天皇個人の気持ちとしては「反省」したのだろうが、それは日本の国家元首としては控えるべきだ、との見識を当時の侍従や吉田茂首相らは持っていた。なぜなら昭和天皇が「反省の意」を表明したなら、先の戦争で犠牲となった300万有余の将兵や国民が「誤った戦争」で亡くなったことになり、まさしく犬死でしかないことになるからだ。それは国際的にもあり得ないことでもあった。

 古今東西の歴史で、侵略国が被侵略国に「謝罪」したことがあっただろうか。たとえば米国大統領はメキシコに対してサンフランシスコなどを意図した戦争で奪ったことに「謝罪」しただろうか。その前に「アメリカ先住民600万人を虐殺」して米国の土地を奪ったことを先住民の子孫に「謝罪」しただろうか。

 インドを侵攻して植民地とした英国がインド国民に対して「謝罪」しただろうか。アスカ文明を破壊し皇帝一族のみならず多くの先住民を虐殺し暴行の限りを尽くして黄金を奪い取った悪逆非道をスペインは「謝罪」しただろうか。いや彼らは「反省」すらしていないだろう。それが歴史というものだ。

 当時の世界にあって、日本には戦争を始める大義があった。米国の意図した「日本侵略」の陰謀に対抗するために、日本は「植民地解放戦争」を戦うしか選択の余地がなかった。だから日本は先の戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。太平洋戦争とは米国が名付けた名称でしかない。

 そうして日本の国家と国民の名誉を守っていた昭和天皇と側近たちや当時の首相たちの見識は村山首相の代になって覆され、村山氏の安易な個人的な感傷で勝手に「反省」し「謝罪」してしまった。なんという馬鹿げたことを仕出かしたのだろうか。

 反日・マスメディアの朝日新聞は吉田某の「慰安婦」は軍部の強制だった、という根も葉もないデタラメの記述を裏取りもしないで記事として全世界に発信した。「靖国問題」も「A級戦犯合祀」などといった「嘘」を世界に配信して「戦争犯罪人」と貶め続けた。

 日本はサンフランシスコ条約締結後、最初の国会で「A級戦犯名誉回復」決議を全会一致で行った。つまりGHQのあからさまな日本を貶める意図による東京裁判でA級戦犯と判決を下された人たちの「名誉回復」を日本の国会で行った。それにより彼らも戦争犠牲者として靖国神社の祀られた。

 文化人と称する反日・日本人が未だに「A級戦犯が合祀されている靖国神社」に参詣するのは怪しからんと声を上げるのはお門違いだ。その国のために戦って戦死した将兵に敬意を払わない国は世界中で日本だけだ。

 外国の要人が訪れて国家のために命を落とした将兵の墓に献花されないのも日本だけだ。米国の独立戦争で戦って英国の将兵も戦死したが、その英国首相が米国を訪れた際にアーリントン墓地に献花するではないか。それが世界の常識だ。

 上記記事で反日・マスメディア朝日新聞は「昭和天皇ですら「反省」の意があった。ましてや日本政府・要人は「反省し謝罪すべきだ」と言外に主張しているのだろうが、それも大きな間違いだ。

 昭和天皇個人としては「反省」されても、天皇としての彼の口から「反省」の言葉が語られたことはない。それが世界基準の見識というものだ。「反省」ゴッコや「社沿い」ゴッコを繰り買うしている日本政府と周辺諸国こそ幼稚国家として世界の嘲笑の的だ。そうした幼稚的な思考回路から脱却して、アジア全域の未来を見据えた国家間の関係を築くべきではないだろうか。


 

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コメント
1. しんのすけ99[704] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月20日 17:28:05 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[466] 報告
>当時の世界にあって、日本には戦争を始める大義があった。米国の意図した「日本侵略」の陰謀に対抗するために、日本は「植民地解放戦争」を戦うしか選択の余地がなかった。だから日本は先の戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。太平洋戦争とは米国が名付けた名称でしかない。

↑↑↑ やっぱり ネトウヨ論法 都合の良いとこばかりつまみ食いする

植民地解放戦争なんて真っ赤な嘘 ただの謳い文句 建前でしかない事 南方資源の確保が最大の理由
これ 歴史の常識 バカウヨのデマなんぞ誰も信じない

さらに 大東亜戦争という呼称は 陸軍だけで使っていた言葉 海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた

ネトウヨのデマ一覧
http://hangul.shoutwiki.com/wiki/%E3%83%8D%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%A8%E3%81%AE%E3%83%87%E3%83%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7

↑ ここに網羅されておりますから ご一読あれ。

2. 罵愚[7790] lGyL8A 2019年8月20日 18:47:22 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[605] 報告
>>1 しんのすけさん
>大東亜戦争という呼称は 陸軍だけで使っていた言葉 海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた

 「大東亜戦争」の名称は昭和16年(1941)12月12日…真珠湾攻撃当日に東条内閣が閣議で決定したもので、以後敗戦まで政府はもちろん、陸海軍でも使用していたものと思っていたが「海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた」事実は、知らなかった。
 ホントウかなぁ〜(笑)?

3. 2019年8月20日 19:25:06 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[92] 報告
大東亜戦争は 江戸時代末期のペルリ来航、不平等条約締結までさかのぼって

考えるべき、欧米白人が全世界を侵略し植民地化しようとしていた。

清国とイギリスのアヘン戦争、アヘン(麻薬)を一方的に売りつけられる、

その状況を留学で見てきたのが 高杉晋作、日本を白人の植民地にされては

行けない、という事で討幕、明治維新 富国強兵策となった、日露戦争はまさに

日本の国運をかけた戦争、奇跡的に勝利、まさに奇跡的。

この時点で負けてたら、日本はロシアの植民地。

大東亜戦争もなかった、全世界は白人国家の領土、植民地となってた。

ところがどっこい天祐神助があり、ロシアに勝った、その延長線上

に大東亜戦争があり、日本だけだよ白人国家と戦ったのは、結果的に

日本が立ったので、アジア、インド」、中東、アフリカ諸国が連鎖的

に独立できた。 日本の輝かしい貢献というべきである。

シナは欧米白人の手先をしただけ。

4. 2019年8月20日 19:27:57 : o4TAHv9bY2 : TkxjRlJBbFdvNFk=[42] 報告
我が不利も 「未来志向」で 煙に巻き
5. 2019年8月20日 19:35:07 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[93] 報告
2>>。リ海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた」事実は、知らなかった。
  ホントウかなぁ〜(笑)?。」

  海軍は太平洋上で戦うので太平洋戦争という呼称の案もでたようである、其の

  他 、対英米戦争もろもろの呼称案がでたが、シナ大陸での戦争を含めて

  最終的に大東亜戦争と閣議決定されたようだ。


  海軍は太平洋で戦ったから、海軍だけ戦ったのなら太平洋戦争でも

  問題ないだろ。、 シナ ビルマ など陸軍は太平洋が主戦場じゃないから
 
  な。

  こんなかんじかな。

6. しんのすけ99[705] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月20日 19:48:58 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[467] 報告
。呼称をめぐる議論では、海軍側から、主敵は米英で、主戦場は太平洋であると
の観点から「太平洋戦争」、「対米英戦争」、他方、より政治的目的を明確にした「興亜戦争」
というように各種の案が出されたが、「支那事変」(中国戦線)を含めることを考えると適
当ではなく、さらにソ連が参戦した場合も考慮して、最終的に「大東亜戦争」が採用され
たのであった8。ちなみに、「大東亜戦争」は、英語では「Great East Asia War」と表記さ
れた9。

http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf
___________________________________________

↑↑↑ 要するに 「太平洋戦争」 という呼称を 最初に提案したのは 日本海軍である
そんな事すら知らぬ 馬鹿なネトウヨが 「太平洋戦争という呼称はアメリカから押し付けられたモノ」
とか言ってる ただの知ったかぶりだ これもまた 「ネトウヨのデマ」 の一つであると言って良い。

阿修羅の皆さん >>1のリンクは よーく読んでくださいな。

7. 2019年8月20日 20:45:07 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[94] 報告
6>>。ヨ要するに 「太平洋戦争」 という呼称を 最初に提案したのは 日本海軍
   である
   そんな事すら知らぬ 馬鹿なネトウヨが 「太平洋戦争という呼称はアメリ
   カから押し付けられたモノ」とか言ってる ただの知ったかぶりだ」


   また、自分の都合のいいウソをつくね。

   大東亜戦争という名称にすることで、日本政府が閣議決定したんだ

   日本は正式名称は大東亜戦争できまったんんですよ。

   それを大東亜戦争という名称は使うな、 太平洋戦争にしろ

   て、強制したのはGHQだよ。

   そんなこと、少し調べればわかるよ。


   だれが知ったかぶりなの 君6>> あんたじゃないの。

   

8. 2019年8月20日 21:31:48 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[95] 報告
もうひとつなぜ GHQは「大東亜戦争」という 呼び方を占領中きんししたのか

その理由はなんで?  GHQに都合のよくない呼び方だからでしょう。

そのように、GHQは自分たちの都合の悪いことを発言しないよう、検閲

で厳しく禁止した。 違反したらマスコミは発売禁止処分を受ける、朝日

新聞がGHQに都合の悪いことを書いて検閲で、新聞の発売禁止処分を受けた

それから、日本のマスコミはGHQの言われるまま、GHQの宣伝係になり

ました、 その名残は現在もあるんじゃないの。

9. 2019年8月20日 23:04:06 : rwgORSmgTI : endLTHBCYXl5alU=[27] 報告
新たな神話作成中!
10. しんのすけ99[706] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月21日 02:58:26 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[468] 報告
おやおや ろくすっぽ歴史を知らぬ人間に限って 「自分は勉強したんだ」 みたいな顔をする
「少し調べれば判るよ」 って、都合の良い事だけ“少しだけ”調べるから ネトウヨなんですよ

GHQは 大東亜戦争という呼称を禁止した そこまでは事実だ しかし 太平洋戦争という呼称は
そもそも日本海軍が提唱したもので 戦時中から海軍では独自に 「太平洋戦争」 と呼んでいた訳で
大東亜戦争という呼称が禁止されたから 自然に太平洋戦争という呼称が定着したものである

そもそも 「シナでの戦争を含めて 大東亜戦争と呼ぶ」 こう発表したのは 開戦時の首相 東條英機である
つまり、大東亜戦争と言ってしまえば 日中戦争や満州事変まで含まれてしまい、真珠湾から始まる日米の戦争を
論じる場合には 重大な齟齬が生じる、太平洋戦争の始まりなら 真珠湾と言えるが 大東亜戦争の始まりと言えば
盧溝橋事件なのか柳条湖事件なのか ハッキリしない 極めてあいまいな定義になってしまう

そんな どうでもいい呼称なんて 誰が好んで使いますか キモいネトウヨだけですよ
「シナでの戦争も含めて」 こう発表したのは 東條英機ですからね 文句は東條さんに言ってくださいな。

11. 2019年8月21日 09:32:34 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[96] 報告
10>> 君なら東条さんに文句言えるとおもうよ。

    ついでに昭和天皇にも文句いってきたら。

    思いのたけを吐き出してきなさい。 日頃阿修羅掲示板で日本が

    侵略国だて言ってること。 責任者に直接言えていいんじゃない。

    大川隆法(幸福の科学にイタコな)を通じる手もあると思うよ。  

12. 2019年8月21日 10:15:09 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[97] 報告
大川隆法から答えがきたよ 野原しんちゃん

「大東亜、とか 太平洋とか 瑣末な論議をするより本質を見ることだ

 米国のジャ−ナリストが最近言ってる ヘンリ−スト−クスと言う

 日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。「侵略」したのではなく「解放」し

、独立に導いたのです。 米国人がGHQが日本人を洗脳したと言っている

 なんで アメリカ人の反省を日本人が聞けないんだ、お馬鹿さん」

 以上 by大川隆法


 ヘンリー・S・ストークス(1)日本は白人支配からアジアを解放した□元ニューヨーク・タイムズ東京支局長

 〈半世紀にわたり日本に滞在、日本外国特派員協会で最古参だ。著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社)は、「在日外国人記者がはじめて書いた正しい近・現代日本史」(評論家の宮崎正弘さん)などと話題を集め、出版依頼が相次いでいる〉


〈初めて日本に来たときは、戦勝国史観に立ち、「日本は悪かった」「東京裁判は正しく、南京大虐殺はあった」と信じていた〉

 滞日が長くなるにつれて、霧が晴れるように米国が押しつけた歴史観が誤りであることを悟り、歴史的真実がどこにあるか認識できるようになりました。皆さんも反日国家のプロパガンダに惑わされず、歴史の真実を知って、日本が誇りある国になってほしい。〈「日本は侵略した」と欧米や中国、韓国、日本の学者まで主張する〉

 それは「連合国側の史観」。敵側の戦時プロパガンダです。確かに日本が欧米諸国のアジア植民地に軍事進攻したことは事実です。しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国です。日本は欧米の植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。西洋人は世界史を見直すべきです。日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。

https://www.sankei.com/life/news/150629/lif1506290022-n2.html
 

13. 2019年8月21日 11:19:30 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[98] 報告
大東亜戦争は日本が勝った -英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」 単行本 – 2017/4/17

書評一部

★驚愕
学校で学んだ、 近年の歴史はなんだったのでしょうか?   もっと! 著者のほかの本も読むつもりです!



戦後教育で、洗脳された私たちには今の日本の立場や周辺諸国との付き合い、アメリカへの思いなど特に疑問を持っていませんでした。
ましてや、第2次世界大戦に対する深い疑問など思ったこともありませんでしたが、戦後70年、日本人に叩き込まれた自虐史観の間違いにやっと気付き始めました。
ここ数年、日本人としての誇り、歴史認識の見直しなど、一人一人が日本人としての素晴らしさに喜びを感じるようになってきています。
アメリカ参戦の不合理性、原爆の可否など、歴史の真実が表に出始め、それはなぜ起きたのか、日本は悪かったのか、ということに真剣に疑問を抱くようになってきました。その戦争の真実を、戦争相手国でもある英国人が執筆し、日本の立場に理解を示し、どこの国が間違いを犯したのかを明らかにした著書です。歴史認識を改め、世界に誇れる日本であることに気付かされる1冊です


著者のストークス氏は、50年以上日本に在住していて、三島由紀夫氏(1970年自決)とも親交があり、「古事記」のような神話にも詳しい人である。この書は、ストークス氏の前著「戦争犯罪国はアメリカだった」の「続編」といえる。

ストークス氏は、この書で以下のことを述べている。
・500年に渡って続いた西洋列強による有色民族の大虐殺、植民地支配を終焉させたのが大東亜戦争だった。もし日本軍がアジアに進攻しなければ、アジアにあった欧米の植民地がその宗主国から独立することは決してなかった。日本はその残虐非道な白人の世界侵略を覆した「正義の国」であり、大東亜戦争に勝ったのは日本だった。戦時国際法に違反して、民間人大虐殺を展開したアメリカは「反則負け」である。


★日本の誇りを取り戻そう

大東亜戦争直前の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」の第1項に「現下の危局を打開して自存自衛を全うし大東亜の新秩序を建設スル」と記されていることは日本人にも余り知られていない事と思いますが、インドネシアの油田を確保する為に進攻したアジア各地で、大東亜の新秩序建設のために植民地の宗司国を瞬く間に打ち破り、アジアの500年の植民地支配に終止符を打つことになった事に対して、歴史的な偉業であり世界史を再評価すべきと大きな評価を与えている。

14. 2019年8月21日 12:03:46 : 296JwYLZM2 : ZDc3Uk9QR1lIeTI=[8] 報告
⇒《「靖国問題」も「A級戦犯合祀」などといった「嘘」を世界に配信して「戦争犯罪人」と貶め続けた。》

何を言っているのか、意味が分からない…
ネトウヨの頭の中はどんだけお花畑なのか…

まず、「戦争犯罪人」はもちろんいました。

太平洋戦争での戦犯で処刑されたものはどのくらいの数になるのか。A 級戦犯は七人だが、BC 級戦犯となるとはっきりしていない。
http://maesaka-toshiyuki.com/history/3817.html

世界49カ所の軍事法廷(50数カ所の牢獄)で約1000人が死刑に処された。
シンガポール華僑虐殺事件のように戦争犯罪を命令した高級軍人が戦犯逃れで逃亡したために、命令に反対した軍人が身代わりに処刑された例もあり、旧軍の官僚組織の非道さを具現化した例もあった。他にも真犯人が戦死・抑留等によって不在のために、より罪の軽いはずの軍人が重罪に問われた例もあった。
http://bit.ly/2YXvvC5

酷いでしょ。自分が大虐殺を命令しておきながら逃げちゃったんだよ。
デタラメな作戦で多くの民間人を虐殺したり、捕虜を拷問したり、トンデモなことをやっていたのです。

こういうデタラメ・ムチャクチャが起きたことの責任は、やはり上層部にあるのです。「上」ほど罪が重いのです。

15. しんのすけ99[707] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月21日 12:20:29 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[469] 報告
アジアが解放されたのは、ひとえにアジアの民衆の力であり 日本のお陰ではない 脳天気に陶酔感に浸りたい
馬鹿ウヨの妄想だ 日本は アジアを独立させる気なんて元々無かった 南方資源を確保したいがための方便だ
これはちゃんと一次資料として日本国政府が公式に残した記録に 明言されている

だから そんな(日本の本音)事つゆ知らず 勘違いして日本へ感謝する人は いる事はいる しかし
感謝する人がいるからって、日本の行動が正しかった証明になどならないのだ 彼らは勘違いしているだけだ
いわば 日本は 「間違って感謝されてしまった放火犯」 という事だ 結果的にそうなった だけの事だ
そして 

アジア解放の キッカケの一つを作ったといういう【ほんの僅かな功績】がもしも 辛うじて有ったとしても
日本が あの戦争で アジアに与えた苦難と損害の方が 遥かに 桁違いに大きいのである 大きな顔するな馬鹿めが

※ 殺人犯が ゴミ拾いなどの社会奉仕をしたって 僅かに刑期が縮まるかもしれないって程度だ ※

16. しんのすけ99[708] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月21日 13:00:21 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[470] 報告
まあ どうせ >>13のネトウヨ君は 私の貼り付けたコピペやリンクは 何度も見ているであろうし
知っててすっとぼけているのは明白だが このスレを見に来た人すべてに判るように何度でも貼ってあげよう

アジア解放なんて ただの見せかけである 動かぬ証拠を

↓↓↓
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おわかりの通り、アジア太平洋戦争で獲得目標とした石油・金属資源の宝庫であるマレーシア、インドネシア主部は日本の領土に編入するとしています。
 アジアの解放もへったくれもありません。住民の自治云々とは書いてありますが、この時点では独立させる気は毛頭なかったのです。

 フィリピンは独立させるとしていますが、もともと戦前から米国との間で1946年7月4日に独立する約束ができていました。
 従って、傀儡のヒモつきでない独立であっても、日本帝国の功績にはなりません。

 ビルマも独立させるとは言っていますが傀儡政権で、「新緬甸をして先づ速に帝国と緊密一体大東亜戦争完遂に協力し得る物心両面の態勢を整備せしむ」「大日本帝国を盟主とす」「少数精鋭なる日本人を配置し之が指導に任せしむ」「緬甸国軍は戦時の用兵作戦に関し夫々在緬帝国陸海軍最高指揮官の指揮を承く」(緬甸独立指導要綱)などと諸々の条件付きでした。

http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/APW/APW19430531.html
_____________________________________________

そして これが 大東亜政略指導大綱の 原文へのリンクである(国立公文書館 アジア歴史資料センター)

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_B02030578900?IS_KIND=SimpleSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%94%BF%E7%95%A5%E6%8C%87%E5%B0%8E%E5%A4%A7%E7%B6%B1&
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↑↑↑ 要するに 我々日本人でさえ 滅多に知る人がいないこの【日本の本音】を 知る由もない人が
勘違いして 日本を褒め称えているだけの事に なにお目出度く陶酔感に浸っているんだ? 馬鹿ウヨめが

そりゃ 日本にだって 功罪 というものは あるにはあるよ でもな 罪のほうが遥かに遥かに大きいんだよ
そうでなければ だれが 平身低頭に謝罪し続けるのだ? 歴代自民党のトップが 揃いも揃って謝罪してんだぞ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E7%99%BA%E8%A8%80%E4%B8%80%E8%A6%A7

17. 罵愚[7794] lGyL8A 2019年8月21日 16:22:46 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[609] 報告
>>10 しんのすけさん
> 戦時中から海軍では独自に 「太平洋戦争」 と呼んでいた

 「大東亜戦争」の名称は昭和16年(1941)12月12日…真珠湾攻撃当日に東条内閣が閣議で決定したもので、以後敗戦まで政府はもちろん、陸海軍でも使用していたものと思っていたが「海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた」事実は、知らなかった。
 「大本営陸海軍部発表…」ではじまるラジオ放送でも、ゼ〜ンブ「大東亜戦争」で統一されていて「太平洋戦争」なんて聞いたことがない。
 しんのすけさんが教えてくれた
http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf
は、呼称の発案者の詮索をしているのであって、このスレッドで、わたしが呈した疑問は、発案者ではなくって「海軍では戦中から普通に太平洋戦争と言っていた」事実である。その実例を明示してもらいたいと思ったのだが、いつもの通り、論点のねじ曲げに逃げ込んでしまうのかなぁ?
 あらためて、大東亜戦時中に日本海軍が「太平洋戦争」と呼んでいた事実…ファクトを提示してください。

18. しんのすけ99[710] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月21日 17:37:19 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[472] 報告
太平洋戦争の語自体は日米戦争を現すものとして戦前から使われており、戦争名討議の際にも海軍が提案している。また旧海軍軍人の中には戦後「日本にとって真の敵は(中華民国やソ連ではなく)アメリカであり、したがって大東亜などと無駄に戦域を拡張すべきでなかった」との反省から、「太平洋戦争と(歴史的には)呼称すべきだ」と主張する人々が存在した[52]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89

このように 最初に提案したのは海軍であり 太平洋戦争と呼んでいた とは、海軍軍人の回想録からでてくる

そりゃ 公式にはあの当時は 「大東亜戦争」 である しかし 陸軍への反発からか ワザと太平洋戦争と
呼んでいた人間もかなりいたという話だ さらに 軍艦内部では 英単語で言う人間もそうとういた
たとえば 一次士官室は 「ガンルーム」 と 軍艦の中では何を言っても陸軍には聞こえないからな

これは 旧海軍軍人の回想から出て来るもの 全ての人間が太平洋戦争と呼んでいた訳ではないだろうし
陸軍への当て付けもあっただろう だが しかし 太平洋戦争という呼び方は 戦前から存在したという事だ。

吉田満 戦艦大和の最後 これでも読んでみよ。

19. しんのすけ99[711] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月21日 19:39:16 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[473] 報告
さらに言えば 普通 戦争の呼称 呼び名 なんてものは その戦争の終結後に決められるのが一般的である
その戦争の戦火が どの地域まで拡大するのか どういう終わり方をするのか それすら判明しない内から
戦争の呼称を 勝手に決めるなんて事じたい マヤカシだろう

そして 大東亜戦争という呼称が禁止されたのまでは事実だが 太平洋戦争という呼び名が定着したのは
あくまでも自然発生的なものである

なぜなら、忠臣蔵とか 戦艦大和の最後とか GHQによって禁止されたものなど 昭和30年頃にはほとんど解禁され
忠臣蔵なんて映画にもテレビドラマにも 大手を振って放映されていたし、発禁されたはずの戦艦大和の最後も
昭和27年には 無事 出版されている 大東亜戦争という呼称だけが復活しないのはおかしいではないか

そう 大東亜戦争という呼称が、復活 定着しなかった主な理由は

@ それが 侵略戦争を美化するイメージを持たれてしまった事(本当かどうかは別として)
A 「シナでの戦争を含む」 とかって その始まりがあいまいで定義がいい加減

この2点が主因であり GHQのせいにしたって始まらないのである GHQの禁止事項なんて昭和30年までに
ほとんど効力など失っているのが実態だからである。

20. しんのすけ99[712] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 02:41:44 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[474] 報告
また >>18のリンクにある内容にも下記のように書かれている


【GHQによる使用禁止[編集]

1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾後も、大東亜戦争の名称はしばらく使用され、1945年11月24日には幣原喜重郎内閣が「大東亜戦争調査会官制」を公布した[11]。

しかし、1945年(昭和20年)12月15日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本政府に対する覚書「國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ關スル件」(いわゆる「神道指令」)[15]を発した。この中で「『大東亜戦争』および『八紘一宇』などの、国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」の使用を公文書において禁止することが指令された[11]。これによって政府部内の「大東亜戦争調査会」などは「戦争調査会」と改称され、関連法令にある「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に置き換えられた[11]。

また1945年9月10日には「ニューズ頒布についての覚書」、9月19日には「プレス・コード(新聞規約)」が発出され、マスコミに対するGHQの規制も強化された[11]。GHQはさらに「プレス・コードにもとづく検閲の要領にかんする細則」を発して新聞・雑誌がGHQの検閲を受けること、さらに「『大東亜戦争』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』『英霊』のごとき戦時用語」の使用を避けるように指令した[16]。 】
______________________________________________

↑ 要するに GHQの指示で 「これによって政府部内の「大東亜戦争調査会」などは「戦争調査会」と改称され、
関連法令にある「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に置き換えられた」 というのだから
「大東亜」 を、削除しただけで 代わりに 「太平洋」 を、入れた訳ではなく その後に自然発生した呼称で
押し付けられたという ネトウヨの喧伝は いつもの通り デマだったという事である事が判るというものだ。


だいたいにおいて ネトウヨの定説は 眉に唾を付けて見なくてはいけないという事だ。

21. 2019年8月22日 05:36:59 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[103] 報告
大東亜戦争だとか太平洋戦争こまかい名称が本筋か。

日本の功罪というなら、東南アジア、インドの指導者の発言しらべればいい

日本の戦争を高く評価する 現地指導者は何人もいる。

独立は日本が英 蘭 仏らの軍をさんざん打ち負かしてくれたからだとも言って

いる。 その事実には触れず。

日本が悪い、GHQの占領政策なんて影響ないて、 20>>お前らがみたいなのが

いることが GHQの政策大成功のしるしなんだ。

永久に日本が悪い、悪いのは日本人です、貴様も日本人だ、貴様も犯罪者の

血、日本人の血が流れている。犯罪者の一員にすぎないじゃないか。

だから貴様が永久に謝罪すべきだな、そういう理屈で嬉しいか。


屁理屈でもことけ 私はネトサヨデ ほかの日本人と関係ありませんてな

屁でもこときな。



バ・モウ(ビルマ元首相 独立宣言より)・・現在のミャンマー
ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。
ククリックド・プラモード(タイ、元首相)
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
出典日本
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」

( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )



ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)
日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
出典日本
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。



ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない
出典日本
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。

私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

22. 罵愚[7795] lGyL8A 2019年8月22日 05:39:30 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[610] 報告
 あぁ、なるほど、GHQの強制以前に、戦前の空想小説のなかで使われていて、定着していたということだな。戦後の占領政策の産物とする通説に対する新説として、拝聴しておく。
 親切なご説明、ありがとうございました。
23. 2019年8月22日 06:25:41 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[104] 報告
日本軍にたいする肯定的評価は多数ある、阿修羅ネトサヨの日本悪い、全部日本が

悪いんです、害虫みたいなのが日本ですて、超自虐、キチガイ阿修羅ネトサヨの評

価とは異なります。

大東亜戦争の衝撃―猫を虎に変えた日本軍

 イギリスの歴史学者トインビーは「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去2百年間にいわれたような不敗の神ではないことを明らかにしたこと」であったと述べているが、東南アジアの民衆は昨日まで君臨していた白色人種の主人が、日本軍のたったの一撃でもろくも敗れ去ったのを目前に見てしまった。この戦争初期の日本軍の快勝は、日露戦争の時と異なり知識人だけでなく、一般民衆にも独立への自信を与えた。また日本の唱えた「アジア人のアジア」のスローガンが独立への夢を膨らませたが、日本は3年8ヶ月後に敗退してしまった。西欧諸国は植民地を回復しようと、アジアやアフリカの旧植民地に軍隊を送り支配体制を確立しようとした。しかし、かっての植民地に西欧帝国主義諸国が再び復帰することはできなかった。

日本軍が育成した義勇軍が、日本軍が教育した南方特別留学生や興亜訓練所などの青年たちが、覚醒された各民族が、各地で一斉に民族独立の戦いに立ち上がったのである。日本軍は苦しい戦局の中でシンガポール(その後ペンナンに移設)に興亜訓練所を開設し、1000名余のアジアの青年を教育し、百2十数人の若者を日本に招き、陸軍士官学校だけでなく、東京大学や京都大学で教育した。また、日本軍を補佐するためではあったが、インド国民軍やビルマ国防軍、インドネシア軍など創設した。日本軍が占領中に猫を虎に変えたのであった。レプラは日本軍の残したものを評価するにあたっては、日本の教育を受けた「民族主義者たちは、日本軍の占領時代に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して西洋植民地支配に対抗できたのである。日本軍の敗北の後には、二度と外国の支配を許さないと云う信念と、その信念を支える軍事的、政治的手段を身につけていたのである」と評価している。大東亜戦争のもう一つの成果は、黒人の人権の向上であった。戦争にかり出されたアフリカの黒人兵は読み書きを習い、新聞やラジオなどで日本陸軍がインドに迫り、日本海軍がマダカスカルを攻撃したことを知ると、独立への夢と自信が生まれた。

一方、米国では相変わらずの差別を受けた復員兵が、戦争が終わった翌1946年、次いで47年と、シカゴやワシントンで黒人の人権要望の大暴動を起こした。国連では1956年に「奴隷制度の廃止に関する規約」が可決され、これを受け米国でも1964年には公民権法が成立し、黒人の地位は格段に向上した。このように、日本がベルサイユ講和会議に提出し、総叩きにあった人種平等法案は、日本人が有色人種を代表し人類最初の原爆の洗礼を受け、半世紀を経て始めて実を結んだのであった
http://hiramayoihi.com/yh_ronbun_nichiro_


日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。…… (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(アリフィン・ベイ=ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

◇マレーシア

日本軍政は東南アジアの中でもっとも政治的意識が遅れていたマレー人に、その種をまき、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に触媒≠フ役割を果たした。(ザイナル・アビディーン=歴史学者)

先の戦争にあたって、日本の皆様が私たちの独立を大きく助けてくださいました。日本の皆様がしてくださった最も重要なことは、東南アジアの人びとに初めて『自信』というものをもたらしたということです。(サイド・フセイン・アラタス=マラヤ大学副学長)

24. 2019年8月22日 07:06:37 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[105] 報告
大東亜戦争、太平洋戦争 どtちでもいい。


米国黒人にとっては日本と戦う理由はあまりみいだせなかったようだ。

黄色人種も 黒人も白人から見れば サル、家畜とみられていたから。


[■7.日本人と戦う理由はない■

 日米戦争が始まると、黒人社会の世論は割れた。「人種問題
はひとまず置いておいて母国のために戦おう」という意見から、
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」、さらには「黒人を差
別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意
見まで。

 デュボイスは、人種戦争という観点から捉え、「アメリカが
日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはず
だ」とした。

 黒人たちは、白人が日本人を「イエロー・バスタード(黄色
い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リト
ル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと蔑称をさ
かんに使うことに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけた。

 アメリカは日本兵の残虐行為を理由に、「未開人」という日
本人イメージを広めようとやっきになっていた。それに対して、
「ピッツバーグ・クリア」紙は、ビスマーク沖での海戦で、ア
メリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多
くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした、本土爆撃ではわざわ
ざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差
別に殺した、さらに「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万
という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、
何を残忍と言おう」と主張した。

 軍隊の中でさえ差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって、
白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければなら
ない理由は見いだせなかった。ある黒人部隊の白人指揮官は、
隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下した。黒人
兵の間では、やりきれない気持ちがこんなジョークを生んだ。

 墓石にはこう刻んでくれ。

白人を守ろうと、
黄色人種と
戦って命を落とした黒人、
ここに眠ると。[1,p120-140]」

https://重複コメントリンク認定/24625062/

25. 罵愚[7798] lGyL8A 2019年8月22日 10:47:35 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[613] 報告
↑ つまり、大東亜戦争の評価は
@ 基本的には、日本の自衛戦争だった。

A 結果的には、近隣アジアの独立運動に寄与した。

と、いうことだな、

26. しんのすけ99[716] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 12:52:40 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[478] 報告
やれやれ やっぱり ウヨと言うのは 馬鹿ばっかりですな 【日本の本音を知らぬ人間】がいくら讃えたとしても
日本の行動が正しかった証明になどならないって、なんど言われても理解出来ない これをカラス頭と言う

パール判事なんぞ 南京大虐殺を辛らつに批判してんだぞ 連合国に対する批判だけをつまみ食いしてるだけだ
小林よしのり の詐欺的歴史観を マトモに信じちゃって 自己陶酔オナニーに浸っていなさい永久に

日本にだって 言い分というものはある しかしそれは所詮 「盗人にも三分の理」 でしかない事なんだよ
悪い事やった方が遥かに 桁違いに大きいのだ 比べものにならないのだ 殺人犯のゴミ拾いだ。


「自衛戦争だった」 こんなトンデモいうヤツが居るから いまだに憲法改正できる気配すらないんだよ。

27. しんのすけ99[718] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 17:38:27 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[480] 報告
ネトウヨの喧伝が いかに都合のいい事ばかり抜き出す ご都合主義的な 「つまみ食い」 であるのか紹介しよう

たとえば ブン・トモ が、感謝しているとか言う インドネシアと日本の関係だ

↓↓↓

1942年、大日本帝国は東南アジアに侵攻した。日本はオランダ軍を破り、現地のジャワ人の預言者(en:List of fulfilled prophecies#Liberation of Indonesia)によれば、解放のためにやってきた英雄としてインドネシア人に歓迎された。日本はまた、末期のオランダ領東インドのボルネオ島、ジャワ島、スマトラ島、オランダ領ニューギニア(高価値の銅山がある現在のインドネシアのパプア州)の重要な油田地帯を占領した。日本人はインドネシア人の民族意識の覚醒を促した。これはインドネシアの独立支援という利他的な動機というよりは、日本の政治的動機によって行われていたが、この支援は新しいインドネシア人の団体とスカルノのような政治指導者を生み出すきっかけになった。インドネシア人の国家主義的な指導者の登用を通じて、日本はインドネシアへの支援とインドネシア人の日本の戦争への徴用を続けようとした。インドネシア人が受けた日本による占領の経験は、地域と社会的地位によって大きな幅があった。何千人もの人々がインドネシアから強制的に「ロームシャ」(労務者)として日本の軍事作戦に徴用された。

西側の連合国軍との戦争でインドネシアの人々から軍事的支援を受けるため、日本は自主的に集まって結成された郷土防衛義勇軍(PETA)を含め、インドネシアの若者に軍事的訓練と武器を与え、インドネシア人による国家主義運動の促進を始めた。日本によるインドネシアの若者の軍事訓練は、もともとは敗戦による大日本帝国の統治機構の崩壊時に現地の支持を得続けることを企図したものだった。しかしながら、後にこの軍事訓練は、1945年から1949年の独立戦争を経て、インドネシア共和国建国への大きな財産となった。

1945年、日本は敗戦の危機に瀕し、オランダはインドネシアに植民地政権を再び建設しようとし、日本陸軍にインドネシアの「法と秩序を保つ」ために協力を求めた[8]。オランダ人にとっては残念なことだったが、日本人は自らの政権を樹立するための準備をしていた国家主義的なインドネシア人を応援することを望んだ。1944年9月7日、日本は戦況が悪化するなか、小磯国昭首相は、首相がこの約束を果たすことはできなかったが、インドネシアの独立を約束した[9]。1945年4月29日、日本の占領軍は、インドネシアが独立を果たすために日本人が組織した委員会であるインドネシア独立準備調査会を組織した。この組織は1945年4月29日、第16軍の司令官である原田熊吉中将によって創設されたものである。この組織を通じてインドネシアの独立会議が準備され、日本の公式な支援を得ることなく、1945年8月17日、スカルノ、ハッタとインドネシアの若者によってインドネシアは独立を宣言した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82
_____________________________________________

上の文にあるように、「何千人もの人々がインドネシアから強制的に「ロームシャ」(労務者)として日本の軍事作戦に徴用された」 とか
「日本によるインドネシアの若者の軍事訓練は、もともとは敗戦による大日本帝国の統治機構の崩壊時に現地の支持を得続けることを企図したものだった」 とか
「日本の公式な支援を得ることなく」 などなど 都合の悪い部分は一切紹介せず 都合の良い部分だけ抜き出しているという事だ

上の文を 贔屓目なしに客観的に読めば、インドネシア独立の功績は ほとんど大部分が現地の民衆の力であるし
日本の功績は 米蘭軍を破って見せただけの事で 【日本の公式な支援を得る事無く】と たいした貢献などない


他の アジア占領地でも おおむね同様である 日本軍を解放軍として迎えたのは最初の内だけで 実際には
むしろ欧米諸国よりも酷い圧政であり 現地の経済を破壊しまくって 餓死者が出るほどの損害を与えているのだ

だが

この軍政において、例外的に善政だったと 本当に感謝されているのは 今村均陸軍大将がいた頃の蘭印だけである
蘭印だけは 今村将軍が 本当に善政を敷いたという だがこれも 例外中の例外である なぜならば
今村将軍が ニューギニア戦線へ転出させられた後は、帝国陸軍本来の圧政に戻っていったというのだから
【今村均将軍の 個人的な功績】としか言えないのである 「圧政にせよ 搾取せよ」 という陸軍中央の声に
今村将軍が 頑として譲らなかっただけの事である。

28. 罵愚[7801] lGyL8A 2019年8月22日 18:01:28 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[616] 報告
 にもかかわらず、独立戦争では、日本が創設した義勇軍が中核を担った。だから、いまでもインドネシアは親日国で、朝鮮とはちがう。
29. しんのすけ99[719] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 18:47:12 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[481] 報告
さらになお ご都合主義のネトウヨ連中は こういう都合の悪い事実には【絶対に触れない】 それが
インドネシアの独立派を 日本軍が弾圧した スマラン事件である

スマラン事件(スマランじけん)とは、第二次世界大戦直後の1945年10月15日から10月19日にかけてジャワ島スマランで起きた、日本軍とインドネシア独立派の間の武力衝突事件である。日本軍が保有する武器の引き渡しを巡って対立が生じ、インドネシア側民兵が拘束した日本の民間人多数を処刑、日本軍が戦闘の末にインドネシア側を制圧した。インドネシア側に1000〜2000人、日本側にも民間人を含め200人以上の死者・行方不明者が出た。インドネシアでは五日間戦争(Pertempuran lima hari)として知られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

結果[編集]

スマラン事件は、ジャワ島における武器引き渡しを巡る争乱としては最大の惨劇となった。戦闘の結果、インドネシア側は1000〜2000人が死亡したとも言われる。日本軍は28人が戦死、15人が行方不明となった。また、ブル刑務所に監禁中の日本人は149人が殺害され、30人が行方不明となっている。同じ刑務所に監禁されていたオランダ系などの市民900人は日本軍による救出が間に合ったため死者は出ていない。なお、ブル刑務所で殺害された日本の民間人の1人は、インドネシアの独立を称える遺書を血で壁に書き残していたと言われる[7]。

もっとも、インドネシア側では、公式には独立闘争期の一紛争という程度の評価しか与えられていない。インドネシア共和国国軍の戦史にも一文の記述があるだけだという[7]。1999年の指導要領に基づくインドネシアの高校生向け歴史教科書の一冊には、武器引き渡しを巡って起きた「日本軍と青年の激しい戦い」の一例として、「10月14日から19日まで5日間続いた」と記載されている。この時期の日本軍との衝突の全般的な評価としては、最終的に主権が確立できたので無駄な犠牲ではなかったと評している[10]。

その後[編集]

停戦が成っても周辺地域の治安は完全には回復せず、10月19日にはカリウング(スマラン西方50km)の王子製紙工場が襲撃されて、従業員53人が殺害された。そのほかの殺人や暴行事件も何件か起きている。

マゲラン方面の外国人収容所を救出するため、連合国軍は城戸少佐に出撃を命じ、10月25日に、スマランの日本軍部隊はイギリス軍砲兵とともにマゲランへ侵攻した。日英合同軍はインドネシア側の人民治安軍(TKR)などと交戦しつつ前進し、29日までにマゲラン収容所を保護下に置いた。11月2日には停戦協定が結ばれたが、蘭印政府軍が活動するなどの協定違反があったとしてインドネシア側が攻撃を再開し、20日頃には再び戦闘が始まってしまった。最終的にはマゲランの収容者はスマランを経由してジャワ島外へ移送されている[11]。

ジャワ島で終戦後、1947年の復員完了までに日本人が出した死者は、戦死562人、自殺60人、病死・事故死456人の計1078人に上る。そのうち多くはスマラン事件同様の武器引き渡しを巡る紛争に起因するものであった。武器引き渡しを巡る戦傷者も330人出ている。連合国軍によって日本軍に課された治安戦闘任務のような危険な使役は、既述のようにラングーン協定に基づくとされる。しかし、日本軍が「降伏軍人」と称しても実質的に捕虜の地位にあったことにかんがみると、捕虜虐待にあたる重大かつ明白な戦時国際法違反であるとの指摘がある[2]。

一連の騒乱の過程で、ジャワ島の旧日本軍武器のうち小銃類4万丁などがインドネシア独立派の手に渡った[12]。スラバヤなどで正規に引き渡されたもののほか、強奪されたものや、密かに日本軍が横流ししたものなどがある。一説にはジャワ島の旧日本軍の所有兵器全体の2/3から3/4を独立派が入手したと言われる[13]。これらはイギリス軍とのスラバヤの戦い(英語版)などで主要な武器として使用されることになった。
___________________________________________

結局 インドネシアの独立に 日本が国家として果たした役割は極めて小さく 威張れたものではない
貢献した人達はほとんど 個人的な判断で協力しただけの事で 「個人の功績であり国家の功績に非ず」
という事だけは言えるようで ビミョーなものでしょ こんなものに陶酔感に浸るから キモいって言われるんだ。

30. 罵愚[7803] lGyL8A 2019年8月24日 18:03:53 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[618] 報告
↑ 基礎的な知識がないと、こういう物語に踊らされた歴史観が生まれる。
31. 罵愚[7806] lGyL8A 2019年8月25日 05:10:53 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[621] 報告
 のちのち「反論できずに、退散した…」なんて言われるのも癪だから、ちょっとだけよのお相手をしてあげると、その「日本軍が保有する武器の引き渡しを」要求する正当な権利はあったのかね?

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