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第493回:「特攻隊や戦死者をどう思うか」という検定試験・第74回。の巻(雨宮処凛)(マガジン9)
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/694.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 8 月 21 日 23:05:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

第493回:「特攻隊や戦死者をどう思うか」という検定試験・第74回。の巻(雨宮処凛)
https://maga9.jp/190821-2/
2019年8月21日 雨宮処凛がゆく!  雨宮処凛 マガジン9




 「『特攻で死んだ人に失礼ではないか』『彼らのおかげで今の日本がある』などと言ってくる人がいます。どうして、そんな軽々なことを言えるのか。特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ」

 終戦の日、Twitterのタイムラインに流れてきた言葉にドキッとした。保阪正康氏の2014年のインタビューから抜粋された言葉である。

 彼らのおかげで今の日本がある。彼らを貶めるな。まさに、私自身が思っていたことだったからだ。そんなことを思っていたのはもう20年以上前。20代前半、右翼団体に2年間入っていた頃のことだ。1997〜99年頃の話である。

 右翼団体に入った翌年の98年、小林よしのり氏の『戦争論』が発売された。特攻隊を勇敢に描くその漫画を、私も、右翼団体のメンバーの多くも貪るように読んでいた。それだけじゃない。『戦争論』発売後には、私のいた右翼団体に若者たちが大挙して入ってきた。多くが『戦争論』を読んでいた。新しく入ってきたほとんどが20代前半の中卒、高卒のフリーター。当時の私も高卒フリーターの一人で、私たちは、憲法よりも何よりも、とにかくずーっと特攻隊の話をしていた。

 97年と言えば、山一證券や拓銀が破綻し、就職氷河期が深刻化していた時期である。98年には年間自殺者が3万人を突破。それは2011年まで続くこととなった。不穏で不安定な時代の幕開けに、20代・地方出身の中卒、高卒フリーターという「不況の影響を一番最初に受ける層」の一部が右翼団体に大挙して入会したということは、注目に値する現象だと改めて思う。

 みんな貧しく、先のことなんてまったく見えなかった。学生時代、「頑張れば報われる」と言われて育ってきたわりには「一部の人しか報われなくなりつつある社会」の中で、自分たちは貧乏くじをひいたんだな、という感覚は濃厚に共有されていた。それでもまだこの国には「貧困」なんて言葉はなくて、なんとなく「豊かな日本で生きづらい私たち」というストーリーが共有されていた。「自分探し」なんて言葉がちょっと前に流行って、少し上の世代にはバックパッカーになって世界を旅する人なんかがいたけれど、どんどんフリーターが稼げなくなっていく中で同世代にはそんな人はいなかった。就職したくないわけじゃないけど、社会からは巧妙に疎外されている感じがした。でも、正社員になることを「懲役40年」と揶揄するくらいのバブルの残りかすはまだあって、「サラリーマンなんかなりたくねぇ」的な言葉がまだギリギリ失笑されない感じがあったあの頃。

 そんな頃、単純労働力としてしか必要とされなかった私たちは、「国家に命がけで必要とされた特攻隊」に憧れ、「マトモな命の使い道」がない戦後53年の「うだるような平和」にうんざりしつつ、何かを忘れるように特攻隊の話ばかりをした。自分のしょぼい日常を誤魔化すように。そんな話をしていれば、フリーターでしかない私たちは一瞬で「国士」の気分になれたから。

 もうひとつ、重要なことは当時20歳そこそこだった私たちと、特攻隊は同世代だということだった。

 当時、靖国神社で買った「英霊の言乃葉」を読んでは、「彼らと比べて自分と来たら何をやっているのだろう」とみんなで語り合った。「英霊の言乃葉」だけでなく、私たちは特攻隊の本をたくさん買った。そんな本に掲載された写真に写る特攻隊は若く、顔にまだあどけなさが残る者も多くいた。それらの事実がいつも、「自分は何をやっているのか」という焦りに火をつけるのだった。彼らの若さと私たちの若さは、戦争から50年以上経ったこの国で化学変化を起こしていた。右翼団体に入る前、私の周りには恋愛と買い物にしか興味がないような人しかいなかった。失業を前提とした不安定雇用の日々の中、私はいつも「生きる意味」に飢えていた。そんな私や右翼団体のメンバーたちにとって、「国のために身を捨てた特攻隊」は、「モラトリアム真っ只中」の自分たちに「喝を入れてくれる存在」だった。

 ……書きながら、ほんとに情けなくなってきた。だけどそれが当時の偽らざる心境だ。思えば、恋愛と買い物にしか興味がないような友人たちは、右翼にも宗教にもひっかからずにそこそこ要領よく生きていた。しかし、私も、そして右翼団体のメンバーたちも、不器用で、いちいち「生きる意味」なんかに躓くタイプだったのである。そんな若者たちにとって特攻隊ほど明確な「回答」はなかった。

 さて、特攻隊を語ることは、別の「癒し効果」ももたらした。それは「自分は今、貧乏で最底辺で惨めだけど、戦時中よりはマシだ」と思えたことだ。自分をかろうじて「幸せ」と思うには、自爆攻撃を強いられた若者たちと比較しなければならなかったなんて当時の自分の不遇さと愚かさに頭を抱えたくなるが、そんなふうに私は特攻隊を「利用」していた。そして当時から、「利用」しているという自覚はあった。だけど、どんな悲劇を利用しようとも、「国士」でいることの方が「フリーターとしてしか生きていない」日々よりはずっと楽だったのだ。

 当時、特攻隊を戦争の犠牲者、被害者と口にする人々がいることは知っていた。

 私はその主張にも賛同していた。当時の私にとって、それはコインの裏表のようなものだったからだ。彼らの言う通り、かわいそうな犠牲者だろう。しかし、自分はあえてそのスタンスはとらない、という立ち位置。なぜなら、世の中の大多数の人たちは特攻隊や戦死者のことなんて微塵も考えず、右翼と左翼だけが頑張って考えて頑張って喧嘩しているというような構図に見えていたからである。少なくとも、戦争について考えている時点でリスペクトすべき存在。そんな感覚が自分の中にあった。このように、右翼である自分やその周りは左翼と呼ばれる人々にどこかしらシンパシーを抱いていたので、左翼もそうだとばかり思っていた。が、のちに右翼は左翼に蛇蝎のごとく嫌われていることを知り、ちょっと衝撃だった。

 ちなみに、戦死者について考えたり意見を述べたりするだけで「右翼」か「左翼」にすかさず分類され、それが「若い女」だったりすると死ぬほどバカにされたりする窮屈さの中で、右翼に入ってしまうことは、唯一、雑音から逃れられる方法でもあった。私は、どこかでちゃんと戦争について考えたかったのだ。だけど当時も今も、どこにも分類されずに戦争について考えることはなんと難しいことだろう。

 さて、それではなぜ私は特攻隊を「犠牲者」「被害者」と捉えなかったのか。それは私がのちに反貧困運動を始めた際、多くのフリーターが「自分たちは社会の犠牲者・被害者なんかじゃない」「だから運動なんてしない」と反発した気分に似ている気がする。自分自身が弱者で犠牲者っぽい社会の底辺だとわかっていたからこそ、どうしても特攻隊を犠牲者・被害者とは思えなかった。思いたくなかった。

 そうして私は2年ほど右翼団体にいたものの、99年、やめた。自分が何かとてつもなくいやな依存の仕方をしていることに耐えられなくなったからである。

 団体をやめたあと、私は奇妙な光景を目にするようになる。

 それは靖国神社に若者たちが参拝する光景だったり、特攻隊の基地があった知覧で、「士気を高めるため」の企業研修が行われている光景だったりした。

 靖国に参拝する若者は、テレビのインタビューに答えて「自分は就職に失敗したけど、特攻で死んだ人と比べたらそんなのなんてことないって言われた気がした」と過去の私のようなことを言っていた。企業研修で知覧に行ったある人は、新聞の取材に答えて「特攻隊の人たちがライバル会社にいたら勝てる気がしないですよね」と口にしていた。

 自己啓発ツールであり、「死ぬまで働く」カンフル剤であり、今の自分はまだ幸せだと確認させてくれる「癒し」としての特攻隊。

 今の私は、そういうものがとても不気味だと思う。ものすごく自分勝手な利用だと思う。冒涜だとも思う。

 だけど、10年くらい前まで、8月が来ると「特攻隊に喝を入れられた」という「新患」が毎年のように電話をかけてくるのだった。

 「私/俺、何やってんだろ」「目が覚めた」。彼ら彼女らは似たような台詞を興奮気味に口にすると、「あなたが前右翼に入ってたってこと、なんでって思ってたけど、今すべてわかった。彼らのおかげで今の日本はある。彼らが今の私たちを見たらなんと言うだろう。彼らに恥じないようにしなくては」などと電話の向こうでまくしたてるのだった。

 「英霊に申し訳ない」。思えば私も、右翼団体にいた頃はよく口にしていた。こんな利己的で、自分の欲望しか考えない日本人のために彼らは死んだのか、と。英霊が見たらどう思うか、と。だけど、その言い分ってやっぱり変だ。「死人に口なし」を利用して、なんだって言える。勝手に主語を「英霊」にすると、なんだって正当化できてどこまでも暴走できてしまう。そこに自分の責任などない、すべては英霊が「望んだこと」にしてしまえる。

 少し前、何かで読んだ言葉に、ガンと頭を殴られたような気がした。

 一字一句までは覚えていないが、特攻隊の死のおかげで今の日本がある、というようなストーリーは、彼らに死ぬことを命じた責任者たちが自分たちを正当化するためのものである、ということ。まさに保阪氏の指摘と同じ意味である。

 特攻隊の話ばかりしていたあの頃から、20年。今の私は40代で、彼らの若さに別の意味で打ちのめされる。もう私は、彼らの親世代だ。だからこそ、あの頃と見えている光景は違う。若い特攻隊を死に追いやった大人たちに、深い深い怒りを覚える。

 一方でこの20年、歴史修正主義は猛威を振るい、失われた20年という経済的停滞は、労働現場で「根拠のない精神論」を蔓延させる下地となった。

 74回目の終戦の夏、今年は私のもとに、「新患」からの電話はない。

 そのことに、ちょっと胸をなで下ろしている。



雨宮処凛

http://ameblo.jp/amamiyakarin/

あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。






 

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コメント
1. 赤かぶ[26803] kNSCqYLU 2019年8月21日 23:07:23 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[16870] 報告


2. 赤かぶ[26804] kNSCqYLU 2019年8月21日 23:07:52 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[16871] 報告


3. 赤かぶ[26805] kNSCqYLU 2019年8月21日 23:08:30 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[16872] 報告


4. 赤かぶ[26806] kNSCqYLU 2019年8月21日 23:09:10 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[16873] 報告


5. 赤かぶ[26807] kNSCqYLU 2019年8月21日 23:09:52 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[16874] 報告


6. 2019年8月21日 23:28:53 : yL5Gzq7kkU : VmVNM0RML3doVWc=[116] 報告
貧乏若者を量産すればネトウヨも量産できるわけか。

アホはだまされ底辺に追いやられその階級に定着する。

どうりでデマをすぐ信じるわけだ。テレビに出てくるお笑い芸人の言葉を信じるアホ。

7. 2019年8月21日 23:52:22 : EvfCFkBBos : cUtSTzVieTJIM2M=[737] 報告
人間貧すれば鈍するって言うし情報リテラシーが低ければ洗脳されやすくなる
8. 2019年8月22日 00:11:44 : nuFElU31SM : eTJSNmNQN0hWc2s=[628] 報告
特攻隊員、航空兵は当時の若者の最も優秀な部類を選抜し、適性のある隊員をより分けて猛訓練を施したものだ。落ちこぼれのフリーターの対極に位置するようなエリートであって、どうしてそれに共感するやら。

その選り抜きのエリートに、一機3億円(当時のカネで)の戦闘機を爆装し、あまりに重くヨタヨタで撃ち落としやすいものだから訓練の標的にもならんと言われたような状態で「出撃」させた。
それが「特攻」である。

特攻隊員というのは海にゴミを捨てるため、ゴミに乗って指定海域まで移動させる役目の作業員みたいなものだ。
日本の選り抜きのエリートを、ゴミの一部にして海へ捨てたのである。
(特攻のほとんどは撃墜され海へ墜ちた)

特攻と安倍政権の政策には共通項がある。
どちらも愛国を標榜した売国であることだ。
そして愚か者は両者に共通して見られる売国の事実を見落とし、愛国の看板に騙されて称賛している。

9. AN[119] gmCCbQ 2019年8月22日 01:26:53 : yMNPYpFb52 : LnlCMXF6SXVuRFU=[81] 報告
>>6.さん
>>8.さん

 だまされ、洗脳された人を、「アホ」とか「愚か者」と呼ぶのはヤメましょうよ(小生もそう叫びたくなることはありますが)。
 本当の「アホ」、「愚か者」というのは、ここ阿修羅にもいますが、何度も何度も誠意を持って説明されても理解できない人を言います。 たしかに人は感情で動く生き物なので、リクツでは分かっても、共鳴はできない、ってことはありますけど、全く受け付けないとなると、一種の病気としかいいようがありません。

 しかし世の中には、雨宮処凛さんのように、アチラからコチラに来る人もいるわけです。
 とにかく世の中、アチラ側の人(アホ・愚か者と呼びたくなる人)が圧倒的に多い、と思いませんか? しかし世の中を変えようと思ったら、そんな人々をコチラの味方にしなければ(選挙で)勝てません。 諦めている人も多いけれど、諦めたら負けでっせー。

 惜しむらくはこの記事、雨宮処凛さんはどのようなきっかけで考えを変えたのかが書いてありません。 ブログの別な場所に書いているのじゃないかとは思いますが。 探すの大変そう^^;

10. しんのすけ99[713] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 03:06:40 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[475] 報告
まあ この人の気持ちは 判らんでもない  しかし 「特攻隊の死のおかげで今の日本がある」 という考え方は
あながち嘘ではないのですよ お馬鹿なウヨとは違う視点でいうだけのことですが

つまり あの戦争で亡くなった 320万人すべてが 突き詰めれば ことごとく無駄死にだったという事
あの戦争への痛切なる悔恨と反省こそが、戦後の日本を築き上げた原動力 すなわち 無駄死にさせられた人達の
屍の上に築かれたのが、「戦争を放棄した 戦後の日本」 と言う社会なのです

彼ら 「無駄死にさせられた戦死者」 を、本当の無駄死にに するかしないかは 我々に掛かっているのです
「二度と戦争などしない」 という事を 守り続ける事 それだけが唯一の彼らへの救いと慰めになる筈なのです。

11. 人間になりたい[1158] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2019年8月22日 07:37:08 : Igew9LiSCV : SVFzcHhMUWdwdG8=[208] 報告

特攻隊のおかげで、「今の日本がある」のなら、
東京大空襲で10万人殺されたことはもっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。
ピカドンで30万人殺されたのは、もっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。
戦没兵士230万人のうち、140万人が病気と餓死で殺されたのは、
もっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。
さあ、未来の日本に寄与するために、戦争をやろうということか。
『彼らのおかげで今の日本がある』という低能ネトウヨ思考は、
国民は国家の奴隷であるという、教育勅語と同じゴロツキのお花畑の妄想でしかない。

低能ネトウヨが「今の日本がある」と、特攻隊について言うのは、
特攻隊員に敬意を払っているわけではない。
国の為に命を捧げる日本人はすごい。
同じ日本人のオレってすごいと特攻隊員を自分に投影してアドレナリンを放出し、
自分が快感に浸りたいだけの身勝手なバカということにすぎない。
知覧特攻平和会館の壁一面に展示された、あどけない遺影を見て、
涙が吹き出すという超常現象を体験したことがあるが、
あの遺影を見て「士気を高めるため」の企業研修に利用するなど正気の沙汰ではない。
これほど、国家、郷土の人たちの為に命を捧げた兵士を冒涜する、
人間性の欠落した行為もないだろう。
 
 

12. 中川隆[-8718] koaQ7Jey 2019年8月22日 08:04:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4028] 報告
神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた


[2019.7.29放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ffcFIkJDkSg


今週のテーマは『「特攻隊」から考える、日本の再生。』です。

週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ
第29回 2019年7月29日(月)放送

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2019/07/05 藤井聡 京都大学大学院工学部研究科教授
不条理な大和特攻という大本営決定
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/257604


 この週末、ある雑誌の企画で吉田満氏の「戦艦大和の最期」という文学作品についての座談会を行った。


戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫) – 1994/8/3
吉田 満 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%83%8E%E6%9C%80%E6%9C%9F-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%BA%80/dp/4061962876


この作品は、先の大戦末期、沖縄戦に特攻出撃した戦艦大和の、出撃命令が出てから撃沈されるまでの数週間を描いた物語だ。吉田氏はこの大和の乗船員で、上官の脱出命令を受ける形で九死に一生を得て奇跡的に生き残り、無事生還した後に、たった一日でその初稿全文を書き上げたという。

 この作品には、この大和の出撃に対して「現場」が猛反発していた様子が克明に描かれている。大和には一機の戦闘機の護衛もなく、ほぼ丸裸の状態で何百何千というアメリカの雷撃機・攻撃機の猛攻を受けることが必定であり、一切何の戦果を上げること無く轟沈することは、誰の目にも明らかだったからだ。

 しかし、そんな現場の大反対を完全に無視する形で、大本営からの大和出撃令は覆らなかった。そして案の定、誰もが予期した通り大和は徳之島沖で米軍機の猛攻を受け、攻撃開始からたった数時間であえなく撃沈した。


 一気に3000人を超える特攻死をもたらした、この史上最大の「特効作戦」の全容を記した『戦艦大和の最期』からは、現場が如何に必死に闘ったかが克明に浮かび上がってくる。そしてわれわれ読者はその戦いに対して、その初稿の最後に書かれていたという『天下に恥じざる最期なり』との結語を繰り返す他にない。


 ただし、そうした現場の兵士達の勇猛果敢な戦いぶりは、その大本営の判断を正当化する論拠にはなり得ない。そもそもわれわれは、「軍事作戦の成果」の視点から現場の幹部全員が猛反対していたという事実、そして、現実は彼らが主張した通りの顛末に終わったという事実をけっして忘れてはならない。

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林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html


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【我那覇真子「おおきなわ」#70】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
歴史の真実を暴く[桜R1-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=26s4G56kn-E

【我那覇真子「おおきなわ」#71】林千勝〜日米戦争を策謀したのは誰だ!
戦争の黒幕「国際金融資本」とは?[桜R1-5-31] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4pNK9Gh6SKU

司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)
ゲスト:林千勝(戦史研究家)

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「陸軍の勝算」秋丸機関の真実 林千勝 偕行社 平成27年11月29日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=om_F35kgO3w
https://www.youtube.com/watch?v=ddMi4D8N8-w
https://www.youtube.com/watch?v=eMrNOsVgtLc


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林千勝氏(戦史研究家・つくる会東京支部幹事)
『 国を護るにはリーダーが大事!−近衛文麿にみる大日本帝国敗北(崩壊)の教訓−』
2017.6.25〈歴史・公民〉新東京塾・第3回講演会 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cjBdtLIX-O0


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林 千勝・講演会【日米開戦・陸軍の勝算!日本の勝算と敗北ー現代への教訓】
広島原爆の日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fVUFNGm_Qv0


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林千勝先生講演「日本の勝算と敗北 - 現代への教訓 – 近衛文麿の野望と挫折 」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yQKdjoLZxQ0
https://www.youtube.com/watch?v=-DXJpXr-T38
https://www.youtube.com/watch?v=gwc-DEka1N4


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近衛は自殺したのではない!近衛の野望と挫折 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5f17npsMuG0  
 


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特攻隊員は「志願して死んでいった」のか
http://blogos.com/article/270009/

フィリピンの基地から出撃した陸軍特攻隊「万朶隊」の佐々木友次伍長機(写真=佐々木友次氏提供)

「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」人がいます。名前は佐々木友次。作家・演出家の鴻上尚史さんは、92歳の佐々木さんに5回会い、その証言を著書『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)にまとめました。鴻上さんは取材を通じ、「志願して死んでいった」という話は、特攻を「命令した側」の見方だったのではないか、と考えました――。


※本稿は、鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)の第4章「特攻の実像」を一部再編集したものです。

■「命令した側」が作り上げた特攻隊のイメージ

佐々木友次さんの人生を知ることは、特攻隊を理解していくことでもありました。

調べれば調べるほど、「特攻隊とはなんだったのか?」という質問は成立しないと考えるようになりました。

特攻隊は「命令した側」と「命令された側」があって、この両者をひとつにして「特攻隊とはなんだったのか?」と考えるのは無意味だと思うようになってきたのです。

「特攻隊は『志願』だったのか、『命令』だったのか?」という今も続く論争も、この二つの視点を明確にしなければ、意味がないと考えるようになりました(佐々木友次さん達『万朶隊』(※)は明確に「命令」でしたが)。

※編注:佐々木さんは日本陸軍の特攻隊『万朶隊』の第一回出撃隊に選ばれた。

『神風特別攻撃隊』という戦後、ベストセラーになった本があります。大西瀧治郎中将の部下であり、海軍の特攻を命じた中島正、猪口力平の二人が書いたものです。

英語にも翻訳され、世界に「カミカゼ」のイメージを伝えました。「積極的に自分から志願し、祖国のためににっこりと微笑んで出撃した」という、今も根強いイメージです。

それには、第2章で紹介した関行男大尉が海軍第一回の特攻隊長に指名された時の様子が描写されています。

深夜、寝ているところを士官室に呼ばれた関大尉に対して、所属部隊の副長である玉井浅一中佐は、肩を抱くようにし、二、三度軽くたたいて、現在の状況を説明し、


「『零戦に250キロ爆弾を搭載して敵に体当たりをかけたい(中略)ついてはこの攻撃隊の指揮官として、貴様に白羽の矢を立てたんだが、どうか?』

と、涙ぐんでたずねた。関大尉は唇をむすんでなんの返事もしない。(中略)目をつむったまま深い考えに沈んでいった。身動きもしない。―一秒、二秒、三秒、四秒、五秒……

と、かれの手がわずかに動いて、髪をかきあげたかと思うと、しずかに頭を持ちあげて言った。

『ぜひ、私にやらせてください』

すこしのよどみもない明瞭な口調であった」

陸軍の『万朶隊』のように、いきなり体当たりを命じられてはいません。

これを「志願」という人もいるかもしれません。けれど、厳しい階級社会の軍隊において、中佐という二階級上の上官から「涙ぐまれながら」「どうか?」と言われて断るのは本当に難しいと思います。

ところが、1984年、戦後40年近くたって、この夜のやりとりが猪口・中島の書いた嘘だと判明します。

のちに、僧侶になった元副官の玉井氏が、関大尉の中学時代の同級生に対して、「関は一晩考えさせてくれ、といいましてね。あの日は豪雨で、関は薄暗いローソクの灯の下で、じっと考え込んでいました」と証言していたのです。

また、『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(神立尚紀 文春文庫)には、同じことを猪口参謀が大西中将の副官だった門司親徳氏に戦後、話したと書かれています。

「一晩考えさせてください」と答える関大尉に、玉井中佐は、編成は急を要する、できれば、明日にも、敵機動部隊が現れれば攻撃をかけねばならない。と、重ねて、大西長官の決意を説明し「どうだろう。君が征ってくれるか」とたたみかけたのです。

そして、関大尉は、「承知しました」と短く答えました。

これは、「志願」のふりをした「強制」です。いったん、ふりをするだけ、余計に残酷だと感じます。

■『神風特別攻撃隊』の多数の欺瞞

『神風特別攻撃隊』では、他の隊員の志願に関しても、嘘が書かれています。

初めて隊員達に特攻の志願を募った時を、猪口参謀は次のように描写しています。


「集合を命じて、戦局と長官の決心を説明したところ、感激に興奮して全員双手をあげての賛成である。かれらは若い。(中略)小さなランプひとつの薄暗い従兵室で、キラキラと目を光らして立派な決意を示していた顔つきは、いまでも私の眼底に残って忘れられない。(中略)これは若い血潮に燃えるかれらに、自然に湧きあがったはげしい決意だったのである」

ですが、生き残った浜崎勇一飛曹の証言によれば、23人の搭乗員達は、あまりの急な話に驚き、言葉も発せずに棒立ちになっていました。


「いいか、お前達は突っ込んでくれるか!」

玉井副官は叫びましたが、隊員達には戦闘機乗りとしてのプライドがありました。

反応が鈍いのに苛立った玉井副官は、突然、大声で、

「行くのか行かんのか!」と叫びました。その声に、反射的に総員が手を挙げたのです。

それは、意志というより、突然の雷に対する条件反射でした。

玉井副官は、その風景を見て「よし判った。志願をした以上、余計なことを考えるな」と答えました。全員が「自発的に志願」した瞬間でした(『敷島隊 死への五日間』根本順善 光人社NF文庫)。

それ以降の隊員選びでは、中島飛行長は、封筒と紙を配り、志願するものは等級氏名を、志願せぬものは白紙を封筒に入れて、提出させたと戦後、答えました。

「志願、不志願は私のほかはだれにもわからない」ためにです。

けれど、やはり生き残った隊員は、そんな手順を踏まず、実際は、

「志願制を取るから、志願するものは一歩前へ」というものだったと証言しています。

中島だけに分かるのではなく、まったくの逆です。結果、全員が一歩前に出たと言います。

当事者の隊員がこう証言していても、中島は、戦後もずっと当人達の意志を紙に書かせたと主張し続け、航空自衛隊に入り、第一航空団指令などの要職を経て、空将補まで上り詰めました。

■なぜ部下の内面に一歩も踏み込まないのか

『神風特別攻撃隊』は、徹底して特攻を「命令した側」の視点に立って描いています。特攻の志願者は後をたたず、全員が出撃を熱望するのです。

酒の席に招かれれば、「私はいつ出撃するのですか、はやくしてくれないと困ります」と迫られ、特攻隊員を指名する前には中島のズボンの腰を引っ張りながら「飛行長、ぜひ自分をやって下さい!」と叫ばれ、夜には自室に志願者が出撃させて欲しいと日参してくるのです。

隊員達の状態は次のように描写されています。


「出発すればけっして帰ってくることのない特攻隊員となった当座の心理は、しばらくは本能的な生への執着と、それを乗り越えようとする無我の心とがからみあって、かなり動揺するようである。しかし時間の長短こそあれ、やがてはそれを克服して、心にあるものを把握し、常態にもどっていく。

こうなると何事にたいしてもにこにことした温顔と、美しく澄んだなかにもどことなく底光りする眼光がそなわるようになる。これが悟りの境地というのであろうか。かれらのすることはなんとなく楽しげで、おだやかな親しみを他のものに感じさせる」

死ぬことが前提の命令を出す指揮官が、「動揺するようである」という、どこか他人事と思われる推定の形で書くことに、僕は強烈な違和感を覚えます。

猪口、中島というリーダーは、部下の内面に一歩も踏み込んでいないと感じられるのです。

どれぐらい動揺しているのか、本心はどうなのか、動揺に耐えられるのか。優秀なリーダーなら、部下と話し、部下を知り、部下の状態を把握することは当然だと考えます。

けれど、特攻を「命令された側」の内面に踏み込む記述はないのです。それは見事なほどです。登場する隊員達は、全員、なんの苦悩も見せないのです。それは、今読み返してみると、異常に感じます。

隊員の内面に踏み込んだ描写をせず、関大尉の場合のように嘘を書く理由は、ひとつしか考えられません。

特攻隊の全員が志願なら、自分達上官の責任は免除されます。上官が止めても、「私を」「私を」と志願が殺到したのなら、上官には「特攻の責任」は生まれません。が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。多くの上官は、「私もあとに続く」とか「最後の一機で私も特攻する」と演説していたのです。

大西瀧治郎中将のように、戦後自刃しなかった司令官達は、ほとんどが「すべての特攻は志願だった」と証言します。私の意志と責任とはなんの関係もないのだと。

■秘密裏に「回収」された隊員たちの遺書

2012年8月28日に放送されたNHK『クローズアップ現代』は奇妙な内容でした。海上自衛隊第一術科学校の倉庫の奥深くから大量の特攻隊員の遺書が見つかったことが始まりでした。

鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E6%AD%BB%E8%BA%AB%E3%81%AE%E7%89%B9%E6%94%BB%E5%85%B5-%E8%BB%8D%E7%A5%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%B8%8A%E5%AE%98%E3%81%AB%E5%8F%8D%E6%8A%97%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%B4%BB%E4%B8%8A-%E5%B0%9A%E5%8F%B2/dp/4062884518


なぜここにあるのかと調べていくうちに、1949年(昭和24年)、特攻隊員の遺書を遺族から回収して歩いた男がいたことが分かります。男は、特務機関の一員だと名乗り、このことは口外しないようにと遺族達に言いました。もちろん、戦後ですから、もう特務機関などというものは存在しません。

集められた遺書は、1000通余り。2000近くの遺族を訪ね歩いていました。どうしても遺書を渡すのが嫌だと拒否した場合は、その場で書き写したそうです。けれど、多くの遺族は従いました。

発見された遺書を初めて見た遺族が番組で紹介されていました。両親が死に、遺書を渡していたことを知らず、初めて兄の自筆の遺書を見た妹でした。

60年以上、大切な遺書は倉庫の奥で忘れられていたのです。

遺書に押されていた「二復」の文字から、この男は海軍を事実上引き継ぐ組織である「第二復員省」から情報をもらって遺族を訪ね歩いていたと分かりました。

その男と頻繁にやりとりをしていたのが猪口力平でした。

なんのために遺書を集めたのか、何が目的だったのか。

1951年(昭和26年)、特攻作戦や軍部への批判が高まっていた時に、『神風特別攻撃隊』は、その風潮に対抗するように出版されました。

この本の中には、特攻が現場の兵士達の熱望によって生まれ、出撃の志願者が後を絶たなかったということの裏付けとして、遺書7通が引用されています。

これらは、すべてこの時に回収された遺書でした。

猪口は、本の中で「海軍の特別攻撃隊員の慰霊巡拝のため、全国を行脚して歩いた篤行の士に、近江一郎という人があったが」と書き、彼が連絡、送付してくれたとして、遺書を紹介しています。「慰霊巡拝」の人物が、特務機関から来た、口外しないようにと遺族に言って回ったというのですから、不思議な話です。

番組に出た専門家は、どうしてこんなことが起こったのかという番組の問いに対して、こう考えを述べました。

この当時、10年たったら海軍は復活すると多くの人は考えていて、明治以来の立派な歴史を持った海軍を復活させたいという気持ちがあった。

その時、唯一、海軍としては軍としても人としてもやってはいけない特攻作戦を発案し、それを実行したという、本当に抜きがたい、心に刺さったとげのような部分があったのではないか。

なので、日本全国の遺族の手元に遺書があると、これは孫の代になっても、ひ孫の代になっても、自分の祖父は、曽祖父は、こういう形で死んだんだというのがずっと残る。海軍はそれがつらかったんじゃないか。

と、分析しています。

真相は闇の中です。

■遺書に本当に書きたかったこと

本の中で紹介されている遺書は、「戦場における異常心理」などに支配されず、「意外なほどしずかな落着いた精神のたたずまい」が見られると猪口は解説しています。

けれど、遺書に本音が書けなかったことは、少し調べればすぐに分かります。

特攻が「志願」だったと強調する人は、特攻隊員の遺書や遺稿に溢れる「志願」「喜び」「熱意」を根拠にしますが、それは当時の状況を無視しすぎています。

『死にゆく二十歳の真情 神風特別攻撃隊員の手記』(読売新聞社)の著者、元特攻隊員の長峯良斉氏は「(遺書は)それが必ず他人(多くの場合は上官)の手を経て行くことを知っており、そこに(中略)『死にたくはないのだが……』などとは書けない」と書いています。

上官の目に触れなければ何を書くか。そのひとつの例が、『陸軍特別攻撃隊』の著者、高木俊朗氏が執筆を依頼し、軍部の目を盗んで直接遺族に届けることができた、上原良司氏の「所感」です。

明日出撃する『振武隊』の中にいた上原の表情があまりにも思い詰めた様子なので、高木氏は「君、ちょっと何か書いてくれ」と紙と鉛筆を渡します。

慶応大学から学徒動員で特攻隊員になった22歳の上原が、この時書いた文章は、『きけわだつみのこえ』の冒頭に収録されて、とても有名になりました。

上原氏は「自由の勝利は明白な事だ」「権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家(日本・ドイツ・イタリア三国同盟の諸国)において見る事が出来ると思います」と書くのです。

特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬ、自殺者とでもいうか、精神の国、日本においてのみ見られる事と書いた後に、「こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です」と、苦悩と思考の流れを吐露しているのです。

所感の冒頭は、陸軍特別攻撃隊に選ばれたことを「身の光栄これに過ぐるものなき」と書き、終わり近くは「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です」としました。

■黙殺された「命令された側」の言葉

上原氏の言葉は、猪口・中島が決して聞こうとしなかったものだと思います。『神風特別攻撃隊』という本は、徹底的に「命令した側」の視点で、特攻隊を世界的に広めたのです。

ちなみに、猪口力平と中島正は、それぞれ昭和の終わりと平成まで生き、80歳と86歳で亡くなりました。

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鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学在学中の81年に劇団「第三舞台」を結成。87年「朝日のような夕日をつれて’87」で紀伊國屋演劇賞団体賞、95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞。10年に戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。舞台公演のかたわら、エッセイや演劇関連の著書も多く、ラジオ、テレビ、映画監督など幅広く活動。日本劇作家協会会長。
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(作家・演出家 鴻上 尚史 写真=佐々木友次氏提供)
 

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モチベーションややる気は、無くて良い


モチベーションで勝てるという上司は、「竹やりで米軍に勝てる」というのと同じ
引用:https://img.cnread.news/uploads/20170508/E2/E2EE168F7D42w640h426.jpeg


モチベーションは根性論か

一時期スポーツや会社で「モチベーション」が重視されていた事がありました。

最初にモチベーションを連発したのはサッカーだった気がするが、「モチベーションが低いから負けた。モチベーションを上げなくてはいけない」と選手たちが言っていました。

日本語では「動機づけ」だが、「やる気」「根性」と同じ使い方がされているようです。


モチベーションを上げれば勝てるというのはスポーツではあるのかも知れないが、それを労働者に当てはめるのは問題がある。

スポーツはせいぜい2時間で終わるが、仕事は一生であり、一生涯「やる気」「根性」でペースを上げ続けることはできない。

「モチベーションを上げろ」と指示するのは会社の上層部や上司だが、「モチベーション」が高い上司や経営者は決して言わない。


その会社では間違いなく社内のモチベーションが低く、無気力が蔓延し、やる気も覇気も感じられない筈です。

だから上層部は「モチベーションを上げろ」と命令するが、問題を悪化させる場合が多いといわれています。

社内が沈鬱なムードなのには原因が在るはずなので、原因を解決するか取り除くのが「モチベーションを上げる」事になります。


例えば上司が適切な指示を出さないとか、機械の性能が低いとか、物理的あるいは組織的な原因は他にある筈です。

ところが本当の原因は放置して「やる気と根性が足りないんだ」というのでは、戦前の精神論と同じです。

日本の社会は戦前からグルっと一周して、また戦前の精神論に戻ってしまったのでしょうか?


モチベーションが低い原因を解決すべきなのに、「モチベーションを上げろ」と怒鳴る
bp1020-01-min
引用:https://biz-shinri.com/wp-content/uploads/2015/04/bp1020-01-min.png


大本営と現代の経営者の発想が同じ

戦時中の有名な出来事として「特攻」があり、戦闘機などに火薬を詰め込んで軍艦に体当たりします。

実に勇敢だが、物理的にはこの攻撃方法は理に叶っておらず、何の戦果も挙げていません。

まず爆弾は上空から落下させるから装甲を貫いて艦内で爆発するが、飛行機は装甲で跳ね返されるので、機体は外で爆発してしまいます。


艦内に食い込んだ爆弾は火薬庫を誘爆させ、一発で戦艦や空母を撃沈する可能性があるが、船外で爆発する戦闘機は表面を焦がすだけです。

しかも技術的に体当たりの方が困難で、何しろ練習する事ができないので上達しません。

しかし敗戦濃厚になった日本軍では「精神」「根性」が重視され、特攻を批判すると「必勝精神が足りない」とされました。


まさに今の日本企業の幹部が言っている「モチベーション」と戦時中の日本軍幹部が言った「必勝精神」は同じではないだろうか。

ミッドウェイ作戦という日本の敗戦を決定づけた海戦があり、日本は主力空母のほとんどを失い、事実上ここで戦闘能力を喪失しました。

敗因は暗号を解読されたなどあったが、開戦のハワイ作戦から休み無く働かせた事で、人間も機械も疲弊しきっていました。


大本営は空母機動部隊に休暇を与えず整備もせず、東南アジアからインド洋、オーストラリア攻撃までやらせました。

乗組員や搭乗員が疲弊していたら必要なのは休養させる事で、機械が故障したら整備や修理をしなくてはなりません。

ところがここで出てきたのが精神論で「休みたいなどというのは精神が弛んでいる」と言われて余計に働かされました。


おかげでミッドウェイ作戦では作業員がミスを連発し、南雲長官は疲労からか何度も作戦ミスをおかし、挙句に偵察機は故障して索敵もできませんでした。

暗号以前に負ける条件が揃っていたのであり、もし真珠湾攻撃から十分な休養と整備を取っていたら、暗号を知られていてもミッドウェイで勝っていた筈でした。

このように「モチベーション」や「精神、根性」は百害在って一理なしで、むしろ無いほうが問題が早く解決して良いほどです。

他に問題があるのに「精神力でやれ」と言っているのが現代の経営者であり、そういうのは大本営と同じなのです。
http://www.thutmosev.com/archives/74451805.html

因みに、神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が発案したと言われています

[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理


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「命が削られる音がした…」沖縄水上特攻・生還者たちの証言 時代遅れの巨大戦艦「大和」とともに(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/582.html
2018.01.24 栗原 俊雄  現代ビジネス

「何とか生きて帰ろう」と思ったが…

「燃料は半分。飛行機の護衛はない」

今から73年前の1945年4月、駆逐艦「雪風」の寺内正道艦長は、西崎信夫さん(91)たち乗員にそう話した。「特攻だ」と。

「母親から『是が非でも生きて帰ってきなさい。それでこそ立派な兵隊ですよ』と言われていました。だから、『何とか生きて帰ろう』と思っていました」

実際、西崎さんは1944年、かつて世界最強を謳われた、連合艦隊の機動部隊が壊滅したマリアナ沖海戦、その連合艦隊自体が事実上壊滅したフィリピン沖海戦、さらには護衛していた巨大空母「信濃」が米潜水艦に撃沈された海戦からも生きて帰った。しかし「特攻」と聞いた時は「『いよいよこれはダメだ』と」。

第二次世界大戦末期、劣勢の大日本帝国陸海軍が進めた特別攻撃隊=「特攻」について、筆者は昨年3回、現代ビジネスに寄稿した。いずれも戦闘機や爆撃機などが爆弾もろとも敵艦に突っ込む「航空特攻」について取り上げたものだ。

しかし、特攻にはそれ以外にも水上の軍艦による特攻(水上特攻)や小型潜水艦などによる特攻(水中特攻)があった。

ドラマや小説、ノンフィクションでも繰り返し描かれてきた航空特攻ほどは知られていないだろう。だが、これらの特攻では航空特攻に匹敵するほど多くの兵士たちが死んでいった。

「水上特攻」の代表は、戦艦「大和」など10隻による沖縄水上特攻がそれである。筆者はこれまで、「大和」を中心にこの特攻から生還した人たち30人近くに取材をしてきた。本稿では、この「特攻・大和艦隊」のことを振り返ってみたい。

「世界最強」のはずが…

1941(昭和16)年12月に始まった米英などとの戦争で、大日本帝国は当初、勝利を重ねた。だが連合国軍が体制を整え本格的な反攻を始めると、劣勢に転じた。決定的だったのは1944年。ことに7月、サイパンやグアムなどマリアナ諸島を米軍に占領されたことだ。米軍がここを拠点に、大型爆撃機B29による日本本土爆撃が可能になった。

そのことを、日本の為政者たちは知っていた。だが、戦争をやめなかった。そのため被害は拡大した。戦争による日本人死者310万人のうち、実に9割が1944年以降と推算されている(『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』吉田裕著・中公新書)。

同年10月には、フィリピン戦線で航空特攻が始まった。「大和」など連合艦隊の主力が、フィリピン・レイテ島に上陸した米軍を撃退すべく、航空機の援護がないままに出撃した乾坤一擲の戦いであった。

「大和」は開戦間もない1941年12月16日に竣工した。全長263メートル、全幅38・9メートル。基準排水量6万5000トン。「世界最大」の戦艦であった。また戦艦の存在価値は主砲で決まる。「大和」の主砲は四六センチ砲九門で、最大射程距離は四二キロ。同時代の、他のどの国の戦艦より主砲が大きく、射程距離は長かった。


【PHOTO】gettyimages

「大和」は「アウト・レンジ」戦法、つまり敵艦の砲弾が届かないところから、その巨砲で一方的に攻撃することができるはずだった。「世界最強」と謳われた所以である。

これは、敵味方の戦艦が主砲を打ち合って雌雄を決する(たとえば1905年、日露戦争の日本海海戦)という戦術思想に基づくものである。また、航空機は戦艦を沈められない、という前提もあった。ところが航空機の発達により、海戦の主力は戦艦から航空機とそれを積む航空母艦(空母)を中心とした機動部隊に移っていった。

「大和」は、誕生した時点で時代遅れの巨大兵器だった。帝国海軍が期待したような、アウト・レンジで敵艦隊を撃滅することはなかった。そもそも、「大和」にはそういう戦闘場面すらなかった。

「大和」が期待された戦果を挙げられなかったのは、海軍が使い道を対水上艦隊にこだわり続けたせいでもある。たとえば早くから機動部隊の護衛として、あるいは上陸した米軍を艦砲射撃で叩くことに使用されていれば、それなりの戦果を挙げただろう。

水上部隊だけ何もしないわけには

ともあれ戦局の大きな節目となった1944年は、帝国海軍にとっても最悪の年になった。まず7月、前述のマリアナ諸島を守るべく出撃したマリアナ沖海戦で米海軍に惨敗。かつて世界最強だった機動部隊が壊滅した。さらに10月には、前述のレイテ島を巡る海戦で連合艦隊そのものが事実上壊滅した。「大和」とともに「浮沈艦」と言われた姉妹艦の「武蔵」も撃沈された。

為政者たちがずるずると勝ち目のない戦いを続けるうち、敵は日本本土に近づいてきた。そして1945年4月1日、米軍が沖縄に上陸した。この米軍を撃退するために出撃したのが「大和」特攻艦隊である。「大和」以下、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「濱風」「朝霜」「霞」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」からなる「第二艦隊」の10隻であった。

航空機の援護を持たない艦隊は、敵の機動部隊には勝てない。勝てないどころか惨敗を喫する。そのことは、ほんの半年前、フィリピン近海で学んでいたはずだ。

さらに沖縄近海を遊弋する米海軍の戦力は、機動部隊以外でも「大和」艦隊を桁外れに上回っていた。たった10隻でそこに殴り込んでも、勝算はほとんどない。そもそも沖縄にたどり着くことすら極めて難しい。無謀そのものの「作戦」だった。

このため海軍内部では反対論が強かった。第二艦隊でも伊藤整一司令長官以下、なかなか賛成しなかった。

こうした、失敗の可能性が極めて高い特攻が発令されるには、いくつかの背景がある。まず、底が見えてきた燃料事情だ。開戦直後に侵攻した、東南アジアの石油産出地域は占領を続けていた。しかしそれを運ぶ補給路を連合国軍に押さえられているため、運ぶことができない。備蓄の燃料が少なくなる中、膨大な燃料を消費する巨艦は「厄介もの」扱いされつつあった。

さらに連合艦隊参謀長だった草鹿龍之介の証言によれば「一部の者は激化する敵空襲に曝して何等なすところなく潰え去るその末期を憂慮し、かつまた全軍特攻として敢闘している際、水上部隊のみが拱手傍観はその意を得ぬというような考えから、これが早期使用に焦慮していた」(『聯合艦隊』)という雰囲気があった。

つまり、このままでは敵の空襲でなにもしないままやられてしまう。あるいは航空特攻を初めとして「全軍特攻」を標榜する中、水上部隊だけがなにもしないというわけにはいかない、といった危機感だ。

昭和天皇への「忖度」

さらに、昭和天皇の影響もあった。

2014年9月、宮内庁が公開した『昭和天皇実録』(『実録』)には以下の記述がある(1945年3月26日の項)。

「御文庫において軍令部総長及川古志郎に謁を賜う。なおこの日午前十一時二分、聯合艦隊司令長官は天一号作戦の発動を令する」と記されている。「天一号作戦」とは、沖縄方面での航空特攻を主体とするもの。及川が作戦の詳細を説明したとみられる。

さらに4日後の30日、天皇は及川に会い「天一号作戦に関する御言葉への連合艦隊司令長官よりの奉答を受け」(『実録』)た。

及川が答えを言うからには、昭和天皇から何か質問されたはずだ。『実録』はその内容を記していない。しかし、その会話をうかがうヒントがある。宇垣纏(まとめ)海軍中将の日記『戦藻録』だ。1945年4月7日、つまり「大和」が撃沈されたその日に以下の記述がある。

「抑々(そもそも)茲(ここ)に至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊丈の総攻撃なるやの御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ」

宇垣によれば、沖縄の作戦に関し及川から説明を受けた天皇は「航空部隊だけか」という趣旨の「御下問」をした。「水上部隊はどうするのだ。『大和』は出撃しないのか」と催促したわけではない。しかし、及川は大元帥=昭和天皇の意志を忖度した。それが第二艦隊の特攻につながったとみられる。

とはいえ、昭和天皇の言葉だけで特攻が決まったわけではない。前述のように、もともと海軍の一部には、「大和」を特攻させたい勢力があった。昭和天皇の一言は、そうした勢力を後押ししたのだ。

しかし、第二艦隊は特攻に納得しなかった。連合艦隊からは説得のため、草鹿龍之介参謀長(中将)を山口県・徳山沖に停泊する「大和」に向かわせた。納得しない伊藤らに対し、草鹿は言った。

「要するに、一億総特攻のさきがけになってもらいたい」

一億=国民すべてが本当に特攻したら、国家も民族も消滅する。それでは戦争を続ける意味がない。「一億総特攻」は比喩でしかない。草鹿の言葉はおよそ論理的ではないが、論理を超えた説得力があったようだ。「とにかく特攻したほしい」。そういう連合艦隊の本音に対し、伊藤は「そうか、それなら分かった」と応じた。

自分の命が削られていく音

1945年4月6日、午後3時45分。豊田連合艦隊司令長官は第二艦隊に電文を発した。

「(前略)帝国部隊ハ陸軍ト協力 空海陸ノ全力ヲ挙ゲテ沖縄島周辺ノ敵艦船ニ対スル攻撃ヲ決行セントスル。

皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ 茲ニ殊ニ海上特攻隊ヲ編成 壮烈無比ノ突入作戦ヲ命ジタル(後略)」

この「特攻」を「命令」していることを確認しておきたい。というのは戦後、特攻を指揮した将官などが「特攻は兵士たちの意志だった」といった旨の発言をし、今日に至るまでそう信じられているむきがあるからだ。

自らの意志で特攻に飛び立った兵士は、確かに多かった。しかし、そうではない兵士もたくさんいた。

筆者はこれまで、実際に特攻で出撃した兵士30人に取材してきた。この中に、特攻するかしないか選択を任された者は1人もいなかった。特攻「大和」艦隊の人々がそうであるように、初めから特攻と決まった「作戦」に送り出された者がいたのだ。

根拠もなく「意志だった」と言い張る将官は、そうでないと自分の責任が追及されることを恐れてのことか、そうでなければ自分に催眠術をかけて罪の意識から逃れようとしたのだろう。

艦隊による「特攻」を知った「雪風」の西崎さんは、居住区で瞑想していた。

「父の形見の腕時計をしていたんです。ふだんは聞こえない、『カチカチ』という音、秒針の音が聞こえました。自分の命が削られていく気がしました」

1942年に海軍特別年少兵一期生として入団した西崎さんはこのとき19歳。「酒も女も知らないで死ぬのか」と戦友に話すと「俺は国のためではなく、家族のために戦う」と言った。「おれも家族、それに友だちのために戦おう」と応じた。

同4月6日、前述の10隻からなる第二艦隊が沖縄を目指して山口県・徳山沖を出撃した。開戦前、米英とならぶ世界屈指の軍事力を誇った帝国海軍が、最後に送り出した艦隊となった。沖縄の陸軍は米軍に押されつつあったが、翌日反転攻勢に出る計画であり、特攻「大和」艦隊はこれに呼応する狙いもあった。

連合艦隊の方針では、航空機による援護はしないことになっていた。だが翌7日、かつて「大和」に乗っており、この時は鹿児島県鹿屋を基地とする第五航空艦隊司令長官だった宇垣は、自身の判断で特攻「大和」艦隊の直衛機を出した。しかしわずか10機。時間は午前6時から10時までだけだった。

そのわずかな護衛機がいなくなるのを見計らったように、米軍機の空襲は正午ごろから始まった。それ以降の凄惨な戦闘については、拙著『戦艦大和 生還者たちの証言から』(岩波新書、2007年)を参照して頂きたい。

水上特攻の成果は…

「世界最強」と謳われた戦艦「大和」は実質2時間程度の戦闘で撃沈された。乗員3332人のうち、伊藤司令長官ら3056人が戦死した。生還者は276人。一割にも満たなかった。軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦「磯風」、さらに「濱風」「朝霜」「霞」も沈んだ。艦隊全体では4044人が死んだ(前掲『戦艦大和 生還者たちの証言から』)。たった。


この水上特攻で米軍が直接的に被ったのは戦闘機3、爆撃機4、雷撃機3の計10機の損失と戦死が12人。これが「大和」以下六隻と、4044人の命と引き替えた、直接的な戦果である。鉄板に卵を投げつけたような戦いだった。沖縄を取り巻く米軍を蹴散らすどころか、敵艦の陰すらみることはなかった。

無残な失敗の責任は、もちろん4044人にはかけらもない。この「作戦」を進めた海軍上層部にこそある。そしてその責任を負うべき者たちは、決して第一線には行かなかった。さらに陸軍が予定していた4月7日の反転攻勢は延期された(12日に実施し失敗した)。

宇垣は、この戦いについて海軍上層部を激しく批判した。

「全軍の士気を高揚せんとして反りて悲惨なる結果を招き痛憤復讐の念を抱かしむる外何等得る処無き無謀の挙と云はずして何ぞや」(前掲『戦藻録』)

士気を高めるためだったが、悲惨な結果となった。「復讐してやる」という気持ちを抱かせただけで、何も得るところがない無謀なことだった。そういう意味だ。

さらなる苦難

さて沈没する「大和」などから離れ助かった兵士たちには、さらなる苦難があった。

「大和」大爆発の後、あたり一面は重油の海となった。生き延びるためには、その海を漂いながら駆逐艦に救助されなければならない。疲れ切り、あるいは負傷した兵士たちには酷に過ぎた。駆逐艦側も、敵の制空権内に長く留まるのは極めて危険だった。

西崎さんの乗った「雪風」は舷側からロープを下ろして兵士たちを収容した。人間一人をひっぱりあげるのは相当な苦労だ。しかも、西崎さんは戦闘中、機銃弾が左足を貫通する傷を負っていた。それでも「火事場の馬鹿力」を振り絞った。

助けられる方は「疲れているし、重油ですべるからなかなか上がってこられない」。1本のロープに2人がぶらさがった。とても引き上げられない。「そういう時は、棒で一人の腕を叩きました」。叩かれた兵士は海に落ちた。その後どうなったのかは分からない。「そういう業(ごう)があるんですよ……」。西崎さんは70余年前のその光景を今も脳裏に刻んでいる。

特攻「大和」艦隊のように、船もろとも沈んだ遺体はほとんどの場合、回収されない。第二次世界大戦ではおよそ30万人もの日本人がこうした「海没遺骨」となった。無謀な作戦を遂行した者たちが、陸地で寿命を全うし、人によっては国会議員などになり再び国策遂行に関わったことを考え合わせると、戦後日本のありようが立体的に見えてくるだろう。

さて昭和天皇は敗戦後、この「大和」特攻について語っている。沖縄戦を振り返る中で、「とつておきの大和をこの際出動させた、之(これ)も飛行機の連絡なしで出したものだから失敗した」とし、「作戦不一致、全く馬鹿馬鹿(ばかばか)しい戦闘であつた」と断じた(『昭和天皇独白録』)。

筆者に特殊な能力があったら、4000人以上の死者たちにこの評を知らせたいものだ。


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特攻作戦を主導した昭和天皇

特攻第一号神風隊の関大尉の別れの杯、

特攻隊員に対する昭和天皇の「よくやった」というお言葉

を隊員に紹介する隊長、「見事に死んでもらいたい」と訓示する上官、そして

昭和天皇は大元帥であったことを再確認する馬に騎乗し閲兵する姿
http://anarchist.seesaa.net/article/49087839.html


最初の特攻であった、海軍神風特別攻撃隊の隊長である関大尉。

戦後出版されてきた、捏造戦記では、特攻を命ぜられて、すぐに

「ぜひ、私にやらせてください」

と答えたなどと都合よく書かれていたが、実際は違った。

「一晩、考えさせてください」

と言ったのが真実。今も昔も変わらない。上司からの命令は絶対であった。雪印や三菱のような不祥事が続く悪しき温床は、昔から続いている。

艦爆乗りで腕に自信があった彼としては、戦闘機零戦に乗ること自体が納得いかず、特攻は新婚の兵士に命ぜられることはないと聞いていたので、がっかりしたというのが本音であった。

実際、彼は同盟通信特派員につぎのように語っている。

「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。

ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA(妻)のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」


まったくもって無念であったろう。彼は、戦死するが、みごと軍神となった。残された貧しい母は軍神の母となって、絶望的な戦局の中、国民を欺くプロパガンダに利用された。敗戦となると、あれほど近所から尊敬された『軍神の母』は、周りから罵声を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けたそうだ。
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/880.html

 


特攻作戦の人間学:戦艦大和の場合

1945年4月6日,第二艦隊司令長官・伊藤整一中将座乗の巨大戦艦「大和」は,9隻の艦艇をしたがえて徳山沖を出航,沖縄本島西部海域をめざす征途についた。連合艦隊の生き残りをあつめた最後の艦隊出撃である。作戦計画では航空機による護衛は皆無。燃料は全艦片道分しか搭載せず,生還を期さない海上特攻であった。

作戦構想の内容とは,はじめ敵迎撃機の攻撃を吸収する海上の“囮”となって特攻機の突撃を助け,次に敵上陸地点へ殴り込んで徹底的な艦砲射撃を加え,最後に銃をとって陸上戦をたたかう,というものであった。しかしこんな計画が実行できるはずはない。実際,南西海域の制空権と制海権はすでにアメリカ側に握られている。その海域を,わずか10隻の残存艦隊が航空機による護衛もなく進攻すればどうなるかは問うまでもない。出撃命令の下命以前から,伊藤・第二艦隊司令長官は断固反対との意見具申をおこなった。

伊藤中将の頑強な反対を異例の事態と認めた中央は,説得のための特使として,連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将を派遣, “説得”は成功した。しかしそれは,「一億総特攻の模範となるよう,立派に死んでもらいたい」という言葉によってであった。

本作戦発動の一週間前,及川軍令部総長が沖縄方面の戦況ついて,「航空機による特攻攻撃を激しくやります」と天皇に報告した。

すると天皇から重ねて,

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」

と“御下問”があった。及川総長はこれを

「水上部隊は何をしているのか」

という叱正の言葉と解した。

及川総長から連絡を受けた豊田連合艦隊司令長官は,さっそく

「畏レ多キオ言葉ヲ拝シ恐懼二堪エズ」

にはじまる緊急電を発し,あくまで作戦の完遂を期すべし,と呼びかけた。

「海上部隊はあるか?」

という疑問の言葉は

「あるなら使ってはどうか」

という間接的・暗示的命令として解されうる。

「海上部隊はないのか?」

という否定疑問文では,こうした間接的・暗示的命令性がいっそう強まるだけではなく,

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”のニュアンスまでが加わってくる。


こうして及川総長と海軍首脳部は

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか?」

という“御下問”を深読みし,そこにまず

「あるなら使ってはどうか?」

という間接的・暗示的な命令を発見する。連日出動してゆく特攻機群にくらべて,空しく係留・温存されている海上部隊は顔向けができない。天皇に対しても,特攻機に対しても面子まるつぶれではないか。間接的・暗示的な命令は

「あるのになぜ使わないのか!」

という“叱正”と解され,“恐懼”の感情を誘発し,海上部隊活用への「焦り」を生む。

海軍上層部の空気は変化し,ついには海上特攻艦隊という構想へ到達したと推定されるのだ。それだけではない。天皇の発言を契機として生じた海軍上層部の空気のこうした変化こそが,草鹿特使の“説得”の真の内容であったと推定することによって,伊藤中将の態度急変の謎も初めて解けるのだ。

こうして,戦艦大和がひきいる10隻の特攻艦隊は,死の南西海域へ向って出撃して行った。
http://www.okayama-u.ac.jp/user/hasep/yh-seminar/2002/Fukushima_20425.html


▲△▽▼

改革の不条理 日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか (朝日文庫) – 2018/5/7
菊澤研宗 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%9D%A1%E7%90%86-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%94%B9%E6%82%AA%E3%81%8C%E3%81%AF%E3%81%B3%E3%81%93%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E6%BE%A4%E7%A0%94%E5%AE%97/dp/4022619279/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1528334849&sr=8-1&keywords=%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%9D%A1%E7%90%86

日大アメフト部問題と「旧日本軍の組織と論理」の共通点が見えた
軍隊をまねた体育会系部活の不条理
菊澤 研宗 慶応義塾大学商学部教授
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55967


今日、多くの人たちが、いま話題になっている日本大学アメリカンフットボール部の反則タックル事件が、安倍政権の森友問題や加計学園問題と重なるという。

首相は不正な指示をしていないといい、官僚が勝手に忖度して不正を働いたという。同様に、日大の監督もケガをさせろと命令した覚えはないといい、選手が思い詰めて行ったものだという。

一方で、このような上司と部下の関係は、実は旧日本軍が遂行した非人道的な作戦つまり特別攻撃命令とも似ているのだ。

戦後、生き残った海軍軍令部の幹部たちは、特攻を命令していないという。特攻は、あくまでも若者たちの志願だったというのだ。しかし、当時の部下たちは、特攻は明らかに命令だったという。

もともと日本では部活と軍隊は密接に関係している。反則タックル命令と特攻命令といった2つの異なる事例には、共通するリーダーの行動原理が見いだせる。

それについて、以下に説明してみたい。いずれもリーダーたちが不条理に陥り、その不条理を若者たちに実行させたのである。


体育系部活と軍隊の関係

まず、かつて日本中の学校にある部活が軍隊と密接に関係していたことを忘れてはならない。本来、楽しいはずのスポーツが、日本では軍隊の訓練や兵士予備軍としての男子学生の心身を鍛練する手段として利用された歴史が日本にはある。

特に、戦前の日本が軍国主義化するとともに、スポーツは「体育」という言葉で置き換えられ、日本人の間には「スポーツ」と「体育」は同じ意味をもつ言葉として定着した。

特に、軍国主義時代には、部下は上官に絶対服従する必要があり、厳しい上下関係による規律が求められていた。それゆえ、命令と服従という組織原理が、学校という教育機関で「体育」という教科を通して、徹底的に叩き込まれていったのである。

そして、残念ながら、戦後もこの傾向はなくならなかった。いまだに継続されている。特に、ラグビー、野球、サッカー、テニスなどの体育会系運動部では、年功序列の上意下達型の縦社会組織が形成されているように思える。

そこでは、いまも目上の者に対する絶対的服従は当然であり、目下の者はいかなる命令にも背くことは許されない。非科学的な根性論や精神論がはびこっている。
このような関係のもとに、必然的に起こったのが、戦時中の特攻であり、今回の日大アメフト部の事件なのだ。


日本軍の特攻命令と服従関係

戦後、旧海軍将校たちによって行われた海軍反省会では、興味深いテーマが議論された。戦時中では、上下関係が厳しくて口をきくことすら許されない立場にあった下級将校たちが上官に向かって声を挙げはじめたのである。それは、特攻についてであった。

一般に、特攻というと、海軍の大西瀧次郎が提案したものとされている。しかし、旧海軍の若手将校たちによると、非人道的で無意味な特攻作戦はそれ以前から軍中央から指示されていたという。

というのも、神風特攻隊以前から、人間の体を兵器に変える人間魚雷「回天」、人間爆撃機「桜花」、人間爆弾ボート「震洋」、そして人間機雷「伏龍」などの様々な特攻兵器が開発されていたからである。

それにもかかわらず、戦後、海軍軍令部の中枢にいた人たちは、中央から特攻を命令したことはないと主張する。特攻は、あくまで若者たちの志願であったという。そして、戦後もそういった話をいろんなところで広めているというのだ。

当時、軍隊という上下関係の厳しい組織では、決して主張することができなかった青年将校たちが、戦後、かつての上官たちを問い詰めている。非人道的な特攻作戦は、明らかに上からの命令だったと。

そして、上官は若者を送り出すとき、必ず後に続くからといって送り出したが、結局、続いたものは誰もいなかったと批判している。


日大反則タックル命令の矛盾

この同じことが、今回、日大アメフト部の監督・コーチと選手たちとの間にも起こったように思える。

日大アメフト部の選手が、試合中、ルールを無視してボールを持っていない無防備な状態にあった相手チームの選手に、背後から反則となるタックルをしてケガを負わせた事件である。

この事件について、5月22日、反則タックルをした日大の宮川泰介選手が、弁護士同席のうえで記者会見を行った。

彼は、一連の経緯や監督やコーチからどのような指示や発言があったのかなどについて詳細に説明した上で、監督やコーチの指示があったにせよ、指示の是非を自分自身で判断することなく反則行為をしてしまったなどとして自己反省し、相手選手に対して改めて謝罪したのである。

これに対して、翌5月23日、選手が所属する日本大学チームの内田正人監督と井上奨コーチが記者会見を行った。

宮川選手の主張に反して「クオーターバックをつぶしてこい」といった発言は認めたものの、内田監督による指示ではなく、また怪我をさせる目的で発言したものでもないと説明した。

とくに、「つぶせ」という言葉は、内田監督と井上コーチによると、これまで日常的に使用されてきた表現であり、それは反則を容認したり、ケガをさせたりすることを意味するものではないとして、宮川選手の主張を改めて否定したのである。


リーダーが陥っている不条理

おそらく、いずれもケースも上層部が指示命令し、部下がその命令に忠実に従ったのだろう。

しかし、なぜ上司はそもそもこのようなルール違反で非人道的な命令をおこなったのか。答えは簡単だ。彼らはいずれも損得計算し、その結果、その方が得だと考えたからである。

つまり、不正なことを命令し、実行させることが合理的だという「不条理」に陥ったのである。(このメカニズムについては拙書『改革の不条理』に詳しく解説している)

戦時中、日本軍の上層部は、海軍航空隊の若手兵士たちの実力では、到底敵を攻撃することはできないことを認識していた。それゆえ、損得計算すれば、若者たちを直接敵に体当たりさせる方が合理的だったのである。

同様に、日大アメフト部の監督・コーチは、現在の日大の選手の能力では関西学院大学には勝てないと思ったのだろう。それゆえ、損得計算すると、相手選手を直接ケガさせた方が合理的だと判断した可能性がある。

このような上司たちが行う損得計算の結果を部下に実行させることは、命令と服従の原理が浸透している組織では容易なことだ。

しかも、このような損得計算にもとづく意思決定は、ある意味で合理的で客観的で科学的かもしれない。というのも、この同じ状況に置かれれば、だれでも同じ損得計算を行い、同じ結果をえる可能性があるからである。

それゆえ、そのような損得計算にもとづいて客観的に命令しているリーダーは、その責任を取る必要性を感じないのである。

しかし、このような損得計算を行うには、はじめから人間を物体や備品のような消耗品として扱う必要がある。

損得計算の中に人間を組み入れるには、一人ひとりの人間がもつ固有の価値、個性、歴史、そして尊厳など、はじめかから無視する必要があるのだ。そうでないと、損得計算ができないのである。

このような損得計算を行動原理として、上層部は徹底的に行動していたために、戦時中、日本軍は世界でも最も人間の命を粗末にしていたのであり、特攻という人間を兵器の代わりにする前代未聞の作戦を行う鋼鉄の檻のような冷酷な組織だったのである。

その結果、どうなったのか。その過ちからいまだ学んでない組織として日本の一部の体育会系運動部があるように思える。


損得計算原理から価値判断原理へ

では、このようなルール違反で非人道的な命令に出くわしたとき、われわれはどうすべきか。

今回、加害者である日大アメフト部の宮川選手がその答えを示している。

彼は、命令を受けたとき、その命令に従うことが人間として正しいかどうか価値判断すべきであり、問うべきであったと述べた。それを問わずに、ケガさせれば試合に出しやるという上からの指示のもとに、彼自身が損得計算して得する方を選んでしまったのだという。

確かに、人間の行動原理として経済合理的な損得計算は必要ではある。しかし、それは人間の究極的な行動原理にならないことが、今回の日大アメフト部の事件で明らかになったのだ。

やはり、人間は、常に正しいかどうか、適切かどうか、価値判断する必要がある。そして、もし正しいと価値判断するならば、次にわれわれは何をなすべきか。その価値判断が、われわれに実践的行為を要求してくるのである。

このような内なる理性の声を聴いて行動したいものだ。そうすれば、悪しき命令はなされないし、それに従うこともないだろう。

このような価値判断にもとづく実践的行為は、それが主観的であるがゆえにまったく非合理的に思えるかもしれない。それゆえ、多くの優秀な人たちはこれを恐れ、避けようとする。

しかし、恐れるべきことはない。この主観的な価値判断、そしてそれにもとづく実践的行為に対して、われわれは責任をとればいいのだ。ここに、実は人間らしさ、人間の自由や自律があり、人間固有の尊厳や気品がある。

もちろん、無制約な価値判断にもとづく行為は、単なる子供のわがままな行動にすぎない。啓蒙された大人として主体的に価値判断にもとづく実践行為を行うためには、以下の2つの条件を常に満たす必要がある。

1) 価値判断にもとづく行為はその原因が唯一自分自身にあるので、その行為の責任は他でもなくすべて自分にあるということを自覚すること。

2) 価値判断にもとづく行為を実践するために、他人の自由や主体性を無視してはならないこと、つまり他人を単なる道具や手段として扱ってはならないこと。

これである。

以上のような原理に従っていたならば、冷たい鋼鉄の檻のような組織も、もっと温かいものになっていただろう。


▲△▽▼


投下できないはずの爆弾が… 新証言で明かされる特攻隊のリアル
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180809-00000063-sasahi-soci
AERA dot. 8/14(火) 7:00配信 週刊朝日  2018年8月17-24日合併号

咲き乱れる花を意味する「万朶隊」の佐々木友次伍長と握手をし激励する冨永恭次司令官(c)朝日新聞社


鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)(左)/1958年、愛媛県生まれ。作家・演出家。新作音楽劇「ローリング・ソング」(8月11日〜9月2日)を紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演。福岡・大阪公演もあり。

吉田 裕(よしだ・ゆたか)/1954年、埼玉県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授、専攻・日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書に『昭和天皇の終戦史』『兵士たちの戦後史』など。


 版を重ねて18万部を突破した『不死身の特攻兵』の著者で作家の鴻上尚史さんと、13万部を数える『日本軍兵士』を著した吉田裕さんが、特攻隊について新たな証言が出てくる背景について語り合った。

*  *  *
吉田:10年ほど前から、不時着したり、わざとエンジントラブルを起こしたりして戻ってきた特攻隊の人たちの話が出てきた。特攻の多様な事実が明らかになってきた。

 大岡昇平の『レイテ戦記』は立派な本ですが、体当たりに成功した人を偉大だと讃えている。それによって、生きて戻ってきた人たちに沈黙を強いる結果になった。それだけに新たな証言が出てきたことの意味は大きい。

鴻上:「志願」だったのか「命令」だったのかというのも調べてみると、たしかに志願した人もいたんです。しかし、それは予科練のように14、15歳から軍隊教育を受けた一部の人たち。陸軍の整備兵だった人たちの話では、多くの人は特攻の指名を受けた途端、顔色が本当に真っ青になったといいます。

吉田:軍隊以外の社会を知らないまま、17、18歳で特攻に行った人たちはそうかもしれないですね。

 特攻をめぐる新たな証言が出てくるようになった背景には、戦友会などが相次いで解散したことも大きい。これまでは、日本軍の恥部に触れることは言わないという空気がありましたから。南京事件などの戦争犯罪の場合でもほとんどの人が出身地に帰って暮らしていたので、匿名で証言をしても誰が言ったのかすぐにわかってしまう。「おまえ、なんであんなことを言うんだ」と電話がかかってくる。そうした圧力が薄れてきたということもあるんでしょうね。

 陸軍の特攻に朝鮮の人たちがいたことも少しずつわかってきています。

鴻上:吉田さんの『日本軍兵士』がすごいと思ったのは、身体に即して書かれているところ。たとえば水虫にかかった兵士が半年間、靴を脱げなかったという話。どんな理屈を口にされるよりも「行軍中、水虫に苦しめられるんだよ」と言われたほうが、戦争はいやだと思いますよ。

吉田:そうですね(笑)。

鴻上:戦地ではろくに歯も磨けない。歯医者も兵士4千人に1人しか配置されず、歯痛の治療も受けられなかった。

吉田:戦争の悲惨さを語ることで平和の尊さを訴えるよりも、戦争の評価について迷いのある人に読んでもらいたい。そんな思いから、だれにとっても一番身近な問題である身体に関わるものを紹介するように心がけたんです。あの戦争では1944年以降に亡くなった人が大部分なんですが、それさえ「初めて知りました」という読者が多い。歴史の基本的な事柄が継承されてこなかったんです。

鴻上:議論の大前提となるものが損なわれていますね。

 僕は、『不死身の特攻兵』でインタビューした、9回出撃して9回生還した元特攻兵の佐々木さんがどうして生き残れたのか、そこを知りたくて何度もお会いして話を聞いたんです。佐々木さん自身はそういう言い方はされませんでしたが、結局、飛行機に乗るのが好きだったからじゃないかと思うんです。彼は戦場に行くのを怖いと思ったことがない。いつも、わくわくドキドキしていたという。

吉田:そうですか(笑)。

鴻上:佐々木さんの乗った「九九式双発軽爆撃機」というのは評判の悪い飛行機だったんですが、熟練すると鳥の羽のようになる。空を飛ぶのが好きで、こんなにも飛行機を愛している。だから、特攻で愛機をダメにするというのは嫌だと思ったんじゃないか。でも、軍隊という“超ブラック組織”の中で「好きだ」という実感を語ることは難しい。

吉田:なるほど。

鴻上:企業が新製品を発売するとき、「ビッグデータから見るとこうで……」などと理屈を並べるんだけど、中心にいる人間は「だってこれおいしいんだもの」と言いたいだけだったりする。佐々木さんがラッキーだったのは、どんなに理不尽な上司がいても、空では腕が一番ものをいう。「死んでこい」と言われながらも、行くたびに爆弾を投下して戻ってくる。これが歩兵だったらそうはいかなかったでしょう。好きでなおかつ技術をもっていたのは大きいと思います。

吉田:陸軍の場合は、正式な特攻部隊を形成していなかったために指揮権があいまいで、懲罰を含め上下関係の圧力が少なかったということもあったでしょうね。

鴻上:佐々木さんのようなパイロットは、仲間が何人も殉職するような激しい訓練を受けてきた。それなのに、「急降下爆撃なんかしなくていいから体当たりしろ」と言われて憤ったわけです。70数年前の彼らも自分たちと変わらない人間だと思えましたね。特攻機は爆弾を機体から切り離せないつくりでしたが、整備兵たちは爆弾を投下できるように手を加えました。現場レベルのリアリズムは「落とせない爆弾はありえない」だった。そこにはわずかな希望を感じましたね。(構成/朝山実)




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13. ぢっとみる[738] gsCCwYLGgt2C6Q 2019年8月22日 10:30:48 : LLC16YRhF6 : ZGEwWi9qMFkwMms=[152] 報告
>>10. しんのすけ99さん

> つまり あの戦争で亡くなった 320万人すべてが 突き詰めれば ことごとく無駄死にだったという事
> あの戦争への痛切なる悔恨と反省こそが、戦後の日本を築き上げた原動力 すなわち 無駄死にさせられた人達の
> 屍の上に築かれたのが、「戦争を放棄した 戦後の日本」 と言う社会なのです

> 彼ら 「無駄死にさせられた戦死者」 を、本当の無駄死にに するかしないかは 我々に掛かっているのです
> 「二度と戦争などしない」 という事を 守り続ける事 それだけが唯一の彼らへの救いと慰めになる筈なのです。

昭和テンノーが「本当に」悔いて(“反省”という言葉は、あえて使わない)いたのなら、
それは何故かと考えて、どうすれば良いのかと考えて、
そのような後悔するような道を歩まずにすむようにしなければならない。
そうしないならば、
昭和テンノーの“反省”なんて、
みんなウソだと思いながら、話を合わせて繕えばよいと思っているということになる。
それならそれで、また考え直さないといけない。

14. 前河[2626] kU@JzQ 2019年8月22日 10:32:33 : eKKBdMhn0w : L0tIYTRwY1kudmM=[49] 報告
雨宮さんという方は、細かい内容まで様々な事に考えを巡らせる方のようですね。

しかし、「若い特攻隊を死に追いやった大人たちに、深い深い怒りを覚える」

この言葉に全てが集約されていますね。だから、個人的には、靖国なんか参拝するな。靖国はいらないと感じる。


「特攻隊のおかげで今の日本がある」というのは、完全な間違いではないが、言い方にかなり大きな問題点がある。

それは、特攻隊を特別視して美化しているからだ。特攻隊や大日本帝国の軍隊を決して美化してはならない。

あの不幸のどん底に陥った愚かな戦争を決して美化してはならない。

今の日本があるのは、特攻隊だけのおかげでなく、全ての過去に生きた日本国民のおかげである。さらに言えば、全世界の人類のおかげであるとも言える。(別に私は宗教家ではない)

上の方が言われたこと。
>特攻隊のおかげで、「今の日本がある」のなら、東京大空襲で10万人殺されたことはもっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。

>ピカドンで30万人殺されたのは、もっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。

>戦没兵士230万人のうち、140万人が病気と餓死で殺されたのは、もっと「今の日本がある」ことに寄与しただろう。

この方の「もっと……」という順番は個人的には異論があるが、まあ、細かい話は置いときましょう。この方が言われるように、「今の日本があるのは……」と考える時に、特攻隊だけを特別視するのは間違えだ。戦争の被害に遇われた全ての人々のおかげである。

やはり、特攻隊員は洗脳された被害者。騙されて駆り立てられた訳だから、尊敬よりも同情の方が大きくなるのが自然な捉え方だろう。カルトに騙された信者に似ている。

神風特攻隊なんか考えた奴は(特攻隊構想と神風特攻隊発案者は違うらしい)、最終的には自決したらしいが、とんでもない奴だ。

勿論、彼らを「騙された愚か者」などと言ってはいけない。学校教育だの教育勅語だの日本全体が愚かな洗脳を行った訳だから、騙されてもやむを得ない側面が大きい。

むしろ、そういう空気に流されないで、政治家ながら反戦なんかを訴えていた斎藤隆夫や尾崎行雄のような人の正義感はスゴい。

国会全体や国の雰囲気に反し、反対意見を言う事がどれだけの勇気が必要な事か。今の安倍に平伏す自民公明の政治家には幻滅する。恥ずかしいやつらだ。石破は斎藤隆夫を尊敬しているようだが。


しんのすけさんが言われた「二度と戦争などしない」 という事を 守り続ける事 それだけが唯一の彼らへの救いと慰めになる筈なのです」というのが大切だと思う。

失敗例として、その不幸な過去を反省し現実を受け止め、将来に活かす事が最も重要な事であり、ウヨが言うように「自虐的な歴史観」などというのは、反省や学習を拒否し、また同じ過ちを繰り返す危険性をはらんだ愚かな意見だと言わざるを得ない。

15. 2019年8月22日 11:44:14 : nuFElU31SM : eTJSNmNQN0hWc2s=[632] 報告
残った虎の子の人的、物的資源まで根こそぎ海に捨てたんだぜ。
つまり特攻は敵には何ら被害を与えず、ただ日本を完璧に破壊し尽くす作業であるに過ぎなかった。
もしこれが無ければ、日本はあそこまで消耗していないし、復興ははるかに容易だった。

過剰労働力と在庫の処分に貢献した、という意味ならなるほど特攻隊は貢献したと言える。
しかしそれは日本という法人に対する貢献ではない。
財閥という法人に対する貢献だ。

今の韓国の動員に対する賠償請求問題もそれだ。
財閥に対する請求を日本に対する請求であるかのようにねじ曲げて主張しているのは安倍だ。
そして韓国で起きた安倍に対する抗議のデモを、日本に対する抗議のデモであるかのようにねじ曲げて報じているのも同じ。
売国奴は常に国家の陰に隠れようとする。
サミュエル・ジョンソンの「愛国はならず者の最後の砦」とは蓋し名言ではないか。

騙された被害者を罵倒したくはないし、この上から目線こそ左翼が大衆の支持を集められない理由だというのは理解しているが、肉屋を神と崇める豚の群れを前にどう言えばいいのだろう。

16. しんのすけ99[715] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月22日 12:34:37 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[477] 報告
「無駄死に」 「嘘だらけの大本営発表」 「戦死よりも餓死が多い」 「国民の目と耳を塞いだ」 「道端の草を食べた」

これらが あの戦争の苦難とそれがもたらす苦しみです

しかし もしも 「あの戦争が 始めから起らなかったら」  これを仮定の話として考えても身の毛がよだつ
今の北朝鮮と ほとんど同じ国家体制が 残っていたかもしれないのです もちろん 戦争放棄などと言う憲法は
絶対に 出来たりする可能性は ほとんどゼロだったでしょう 

※ 子供たちが 「兵隊さんのお陰です♪」 なんて 毎日歌わされる社会が 続いていたかもしれないのです ※


あの戦争の回顧が 悲惨極まりないものばかり連なって語られる だから 軍国主義を励賛していた国粋主義者は
戦後まったくその声を失い 非難と蔑みの視線を浴び続ける 「針のむしろ」 に立たされたのです
国民の 戦争と 軍国体制に対する 激烈なる怒りと憎悪 これが いまの日本を作った原動力と私は考えます

ただし  “お陰” といっても 我々一般人と 馬鹿ウヨ連中では 意味がまったく違います

馬鹿ウヨ連中の考える特攻隊員は 「崇高なる殉教者」 我々一般人の考える特攻隊員は 「哀れなる犠牲者」 です
もちろんその実態は 後者です 彼らはほとんど騙されたに等しいのですから 哀れな犠牲者ですよ。

17. 2019年8月22日 12:45:42 : OB8gel5NnE : dzZUS0NDRWVtN1U=[1] 報告
昔、「きけわだつみのこえ」を読んだ。

少なくともあれを読んでしまっては、ネトウヨや「戦前戦中の日本はすばらしかったから、そこへ帰ろうではないか派」にはとてもなれない。

なれないと思う。
人によってはなる人がいるんだろうか?

ともかく、死んでいった人たちを想えば俺にはなれなかった。

18. 2019年8月22日 13:02:31 : OB8gel5NnE : dzZUS0NDRWVtN1U=[2] 報告
何年前か知らないが、市川海老蔵主演の「出口のない海」という映画があった。
同名の小説が原作らしい。

特攻というと空の特攻隊の話ばかりが出るが、海の特攻、人間魚雷「回天」があったことを知らない人もいる。

回天の実物は靖国神社の遊就館にある。

私の母方の伯父は回天の整備兵だった。母の話では帰ってきた伯父はしばらくは人が変わったように険しくて怖かったという。

「回天」と書かれた工具袋がしばらく納屋の壁に掛かっていた。

伯父はもうだいぶ前に亡くなってしまったが、生きていたら「出口のない海」を見せてあげたかった。

なかなかリアルに描けた良い映画だったと思う。見ていない方は御一見をお薦めしたい。

19. panbet37[1741] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2019年8月22日 14:26:04 : vA4QFYUaS6 : YzRNWHU2ZFo1Y3M=[9] 報告
 誠実で心にしみるメッセージです。英霊うんぬんに洗脳され、真実が見えない、見えなくされている人が、まだまだたくさんいる。悲しいですね。
20. AN[120] gmCCbQ 2019年8月22日 17:12:04 : yMNPYpFb52 : LnlCMXF6SXVuRFU=[82] 報告
>>15.さん
<肉屋を神と崇める豚の群れを前にどう言えばいいのだろう

 難しい問いです……。
 そうですね、まずは、自分と彼等と何が違うのか?を自問するところから始めたらどうでしょう?

 彼等も自分も、同じ人間なんです、弱いところも強いところもある。 あなたにも私にも弱いところがある。 そう思えば、豚と非難できなくなるし、どう話せば良いのかも見えてくるんじゃないでしょうか。

 ほかの方のご意見もお聞かせください。

21. 2019年8月22日 17:49:52 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[107] 報告
『本当の「アホ」、「愚か者」というのは、ここ阿修羅にもいますが」

 6>>から20>> まで 全部アオホじゃないか 愚か者は君等だ

 馬鹿は死ななきゃ治らない。

22. SHIGE[410] gnKCZ4JogmaCZA 2019年8月22日 18:39:55 : 8UP26mIKBQ : dTR6TVVwRENwWVU=[144] 報告
「『彼らと比べて自分と来たら何をやっているのだろう』とみんなで語り合った。『英霊の言乃葉』」だけでなく、私たちは特攻隊の本をたくさん買った。そんな本に掲載された写真に写る特攻隊は若く、顔にまだあどけなさが残る者も多くいた。それらの事実がいつも、『自分は何をやっているのか』という焦りに火をつけるのだった。」


この人はすごいと思った。
特攻隊より何世代も後の世代が、まったく異なる時代状況の中で、限りなく彼らに接近し心情を共有しようとした、生身の息苦しさと気おくれ感。

そんな自身の若き日の体験が飾り気なく語られている。

彼女は自分が特攻隊と同じ心境には、ついに到らなかったことに、どこか後ろめたさを感じていることさえ、その正直な表白から我々に伝わってくるようだ。

特攻隊と同世代で、自らを「死にぞこない」として辛い戦後を生きた、優れた精神の多くは、いまだ超えられない戦後文学の高みであり続けている。

戦後数年を経て生を受けた当方には、はじめから向き合いきれず棄せざるを得なかった、共感への試みであり続けている。

だがどうだろう、この人は、日本が戦後初めて味わった不況期世代の申し子としてか、当方らよりはるかな深みのところで、特攻隊の真実の幾分かを感じ取っているように思えるのだ。

プロフィールからすれば、この人は山本太郎さんとも近い年齢層ではなかろうか。

安易なアナロジーは禁物だが、二人とも時代性とか弱者とか不遇とか言ったものに対する共感力が、類を絶して強力であるように感じる。

といって暗い感じがしないのも両者に共通だ。
彼らの新しい政治ビジョンの源泉は、こんなところにあるのかもと、勝手な妄想を抱いた。

23. 前河[2628] kU@JzQ 2019年8月22日 19:20:25 : AtkcS53V0w : WXdFYm52ZVBycms=[54] 報告
>>21

また、お前か、バカウヨ。

小遣い稼ぎのためにバカを演じているのか、本物のバカなのか?知らないが、

取り合えずノー餓鬼垂れてないで意見のひとつでも言ってみな。ただ人を罵倒するだけか?クズだなお前


24. 2019年8月22日 19:30:01 : o4TAHv9bY2 : TkxjRlJBbFdvNFk=[83] 報告
伏せられる 命じた側の 無責任
25. 2019年8月22日 20:30:16 : lPsUC5aioc : QnA4UUFBTTR4a1k=[23] 報告
兵器としての特攻隊について、考案者か軍関係者の言葉を以前読んだことがある。
具体的な文章は忘れたが、要はコストパフォーマンスが高いと軍内部で特攻の意義を主張したらしい。

主に空母めがけて突入したらしいのですが、私は昭和20年生れで戦後ニュース(アメリカ側)映像で、ゼロ戦が対空砲火の中を海面すれすれで突っ込んでくる映像を何度も見ました。

最初のころは、米兵はまさか空母に自爆してくるとは夢にも思わず、かなり成功したようです。
しかし空母に突っ込んでみても、火災が発生するぐらいで、兵隊が消火ホースでどんどん消火してとても沈没などしなっかったようです。

そのうち米艦船に特攻の情報が伝えられてからというものは、弾幕のような対空砲火により海に墜落する零戦がほとんどだったと思います。(ニュース映像を見て)

米軍からしてみれば、まさか自爆兵器だとは想像もできない。
私たちが見た太平洋戦争の映像は、全てアメリカのニュース映像で、日本兵がどんなに悲惨な目にあったかを、頭に焼きこんでいました。

26. 2019年8月22日 20:47:43 : syoID3ywmo : ei90ZldySjdXbi4=[2] 報告
「ただ人を罵倒するだけか?クズだなお前」

 日本を罵倒しているやつら、お前を含に クズといわれても

 片腹痛いわ。  呵々大笑 

27. 世のすねものから[208] kKKCzIK3gsuC4ILMgqmC5w 2019年8月22日 23:02:43 : FL2WgtHR8s : UUwxLmtEMEhveDI=[6] 報告
8番氏に。ちょっと蛇足で申し上げる。@特攻を発案した大西滝次郎中将には昭和天皇が「何。そんなことまでやらさなければならないのか?」と発言し、終戦へと梶切されるのではとの期待があったとの憶測がなされたのだが、先日の「拝謁記」にはその辺の話はなかったな。A特攻第一号の関行雄大尉(愛媛県西条市出身)は悩んだ末に受け入れ、「自分は通常の対艦爆撃で撃沈できる自信がある。その自分に人間爆弾になれと言うのだから、海軍ももう終わりよ。」とのべ、『K(妻を意味する海軍用語)のために死ぬ』と言って出撃した。整備兵には「人間が爆弾になって飛んで行ったことがあったと後世に伝えておいてくれ」と話したとのこと。
B特攻要員には関のような兵学校でのエリートも確かに少数いたが、大半は予科練に入れられた実業学校出身者だった。旧制中学から陸士海兵に進んだものは意外に死んでいないのだ。当時の在学生に確かめた話だ。Cさて、関は軍神に祭られたが一人息子を失った母親は戦後悲惨な生涯を終えた。僻地の小学校の小使いさんにしてもらったのだが、周りの愚民どもは「行雄さんは死んではない。コッソリ帰って来て、押し入れに隠れとるそうな。」と噂し、彼女を苦しめた。それが国民の正体さ。間違っても、いい加減な一般国民の犠牲になどなってはいけない。
28. 世のすねものから[209] kKKCzIK3gsuC4ILMgqmC5w 2019年8月22日 23:09:46 : FL2WgtHR8s : UUwxLmtEMEhveDI=[7] 報告
関行男氏が正しいです。お墓は西条市と新居浜市の境近くにあり、軍神関行男の旗が立っています。彼には新婚の妻がいましたが、戦後再婚されました。
29. 前河[2629] kU@JzQ 2019年8月22日 23:18:45 : qhPkogdan6 : RnlzcDEuTEdQVjI=[50] 報告

>>26

日本を罵倒してる?お前、本格的なバカウヨだな。

どうして日本を罵倒していると言える?日本のためを思っているがゆえの皆さんの意見だ。

それがわからないお前こそが、特攻隊員や日本国の皆さんを罵倒しているに等しい。

少しは頭を使って考えな。

ただのバイト君か?そんなバイトしてると根性が腐るぞ。


30. 世のすねものから[210] kKKCzIK3gsuC4ILMgqmC5w 2019年8月22日 23:36:06 : FL2WgtHR8s : UUwxLmtEMEhveDI=[8] 報告
 バカウヨ守護神の故渡部小1は特攻を讃えていましたが、本職の海軍軍人は「軍人は決死の作戦を行いますが、必死は作戦ではありません。沖縄戦でもそれほどの効果はありませんでした。」と切り捨て、「若者に死を強制するような国家を存続させる意味はあるのか?」と言う議論になり、原爆投下に対するブレーキを外しただけだった。と評価しました。冷静な軍人の発言です。
 なお、米軍はすでにマリアナ沖海戦から半径50メートル内に敵機をとらえると炸裂するVT信管付き高射砲弾を使用するようになり、その弾幕を突き切って敵艦に体当たりするのは困難になっていました。
 神風(しんぷう)は英語でカミカゼと呼ばれ、心理的効果はあったものの、日本悪者論の根拠とされました。トランプがオチョクるISの自爆テロの先駆者として世界史に記憶されました。イスラム世界では13世紀に麻薬ハシシを使いテロリストを育成するハシシン派が確かにいたのですがね。
31. 2019年8月23日 02:58:03 : QJLSY5ECbQ : bmh5NmhUdHNWT28=[4] 報告
>みんな貧しく、先のことなんてまったく見えなかった。学生時代、
>「頑張れば報われる」と言われて育ってきたわりには
>「一部の人しか報われなくなりつつある社会」の中で、自分たちは
>貧乏くじをひいたんだな、という感覚は濃厚に共有されていた。
>それでもまだこの国には「貧困」なんて言葉はなくて、なんとなく
>「豊かな日本で生きづらい私たち」というストーリーが共有されていた。
>「自分探し」なんて言葉がちょっと前に流行って、少し上の世代には
>バックパッカーになって世界を旅する人なんかがいたけれど、
>どんどんフリーターが稼げなくなっていく中で同世代には
>そんな人はいなかった。就職したくないわけじゃないけど、
>社会からは巧妙に疎外されている感じがした。でも、正社員になることを
>「懲役40年」と揶揄するくらいのバブルの残りかすはまだあって、
>「サラリーマンなんかなりたくねぇ」的な言葉が
>まだギリギリ失笑されない感じがあったあの頃。

自分は社会に参画してないのでフリーターレベルですらないが
もう男の人間としては去勢されたという感じがする。
社会のはみ出し者。ただただ馬鹿にされる対象、見下される対象、
としての自分が存在するのみ。かと言ってそれを
受け入れているわけでも悟り達観しているわけでもない。

数理モデルなんか理解できやしない。何も理解出来ずに
何も知らずにただただ「能力差」を恨んで死んでいくのみ。

32. 2019年8月23日 03:05:35 : QJLSY5ECbQ : bmh5NmhUdHNWT28=[5] 報告
「自分探し」とか「モラトリアム」なんてもんじゃない。
ただただ【宙に浮いている】だけ。浮遊物、漂流物。
2000年以上前に存在したソクラテスよりも劣る存在。
33. 2019年8月23日 08:56:49 : cA4M9XWQOQ : SVU1VEVRT3hDVlk=[195] 報告
特攻隊を企画し実行した参謀たちは
とりあえず勝てるかどうかよりも
自分たちが【作戦】を立案し
サボってないといというアリバイが欲しかった
初見で少しは損害を与えたといことで
のめりこんでいったのだ
大和の沖縄砲台作戦なんかも
えらい大金をかけて作った
大艦巨砲主義に遺物を使わないまま残すと
彼らの体裁が悪いと
片道特攻しいて3000千人の兵隊を犬死させた
特攻を賛美するのは筆者の言う通りの層も多いが
特攻の命令に高揚感もつ
バカ総理や偏差値エリ-トも多いのだ
僕命令する人、君たち自爆テロする人
という、精神構造している
ヒ・ト・デ・ナ・シ
34. しんのすけ99[720] grWC8YLMgreCrzk5 2019年8月23日 12:16:49 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[482] 報告
兎にも角にも 特攻隊員たちは 騙されていた だから 哀れなる犠牲者なのです


なにをどう騙していたのか

それはまず第一に 奇跡的な確率でしか敵艦隊までたどり着けないという事実
レーダーによる厳重な警戒網と 雲霞の如く待ち受ける敵戦闘機に 九分九厘叩き落されるという事
(ゼロ戦に250キロ爆弾積ませたら 時速300キロも出せないという 撃墜王 坂井三郎氏の証言がある
つまり敵戦闘機F6Fは 倍以上の速度で追いかけまわすという事)

そして第二に 仮にもし 奇跡的に突入に成功したとしても そんなゆっくりとした速度で突っ込んでも
大型艦船を沈めるほどの 「装甲貫徹力」 は ほとんど望めないという事
(真珠湾で戦艦アリゾナを 一撃で轟沈させた800キロ徹甲爆弾は 1500b以上の高空から落下させたモノ)
事実 一万トン以上の艦船は 特攻隊の攻撃では ただの一隻も沈んでいないという現実がある

◆ 最初のレイテ沖海戦の時だけ、熟練した搭乗員を使ったから戦果を挙げられただけの事だった ◆

以上この 二つの事実を 知らされてなお 特攻隊に志願したというのなら 「崇高なる殉教者」 という見方も
まったく出来ない訳ではないと思うが 絶対に聞かされてないだろう 特攻隊員の生き残りの証言から
唯の一度たりとも そんな話は出た試しがない 【奇跡的にしか成功しない】【命中しても必殺の威力はない】
この二つの事実を 事前に聞かされた人など まずいない 存在しない筈である


ならば やっぱり 騙されたも同然なのである 哀れと言うより他にない。

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