★阿修羅♪ > 原発・フッ素53 > 818.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
福島に帰りたいけど、やっと見つけた新しい故郷も好き 新潟に避難の少女、家族に言いたい「ありがとう」(東京新聞)
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/818.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 3 月 15 日 13:15:53: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

(回答先: 避難先で進学してもいじめは続いた…心は限界を超え自殺未遂 原発さえなければ福島にいられた(東京新聞) 投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 3 月 13 日 12:33:25)

2022年3月15日 03時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/165558

連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」C

 どう受け止められるんだろうー。2021年10月、少女は転校した新潟県内の高校の授業で、3年の同級生の前に立った。課題の「自分史」を発表すると決意してきたはずなのに、反応が怖かった。緊張して作文を持つ手が震えた。

 福島県郡山市で伸び伸びと育ったこと。原発事故後の避難。転校後始まったいじめ、保健室登校、自殺未遂…。当時の気持ちを率直に書いた。課題は4000字だったが書き切れず、つづった文字は8000字に上った。

 夢中で読み終え、顔をあげると、泣いている同級生たちがいた。「受け入れてくれたんだ」と救われる思いがした。「話してくれてありがとう」「生きていてくれてよかった」。同級生の感想を読みながら、涙が止まらなくなった。

 前の高校で自殺未遂をした後、避難者の友達が「私の学校に来ない?」と誘ってくれた。彼女もいじめを受け悩んでいたが、この高校で見違えるほど明るくなった。学校見学に行くと、校長先生が「悪いところもあるから」と正直に言うのを聞き、親子でほっとした。

 高校2年から転入。当初は気を張って全ての授業に出たが、7月には疲れて休みがちになった。

 「ちょっと頑張り過ぎたから休もうか。ご両親には俺から言っとく」。これまでのことを担任の男性教諭に打ち明けると、そう言われ驚いた。倒れた時に「迷惑かけてごめん」と謝ると、同級生たちが「何言っているの。迷惑かけてなんぼでしょう」と返してくれた。

◆背中を押すのは、助けてもらった記憶

 凍った心はゆっくり解けていったが、人混みや大声に恐怖を覚えた。避難訓練に参加したり、緊急地震速報を聞いたりするとパニックになった。いじめの記憶がよみがえり、震えが止まらなくなった。それでも学校にいられる時間が少しずつ長くなり、心から笑えるようになっていった。

 将来も考えられるようになった。いじめが激しくなった小5で、アーティスト「まふまふ」の曲に出合った。「ただ一つ一言だけください 生きていいよってさ」。そんな歌詞に何度も救われた。初めてライブで「こんなにも生きる力をくれるんだ」と圧倒された。人に生きる元気を与える仕事がしたい。そんな仕事をする人を手伝いたいと、ヘアメークに興味を持った。春からは専門学校に通う。

 今でも死にたくなる時がある。けれど両親や先生、友達に助けてもらった記憶が背中を押してくれる。福島に帰りたい。でもこの高校が故郷になり、新潟を好きにしてくれた。

 今だから分かる。両親がどんな思いで自分を守ろうとしてくれたのか。自分が親でも同じ選択をしたと思う。二度と私たち家族のような思いを誰もしないように、これからは私も体験を伝えていきたい。面と向かっては言えないけれど、両親の子に生まれてよかった。そしていつか言いたい。お父さん、お母さん、私を守ってくれてありがとう。

 記者と初めて会った昨年2月末、自分のことをいつか記事にしてほしいと告げた少女は、とびきりの笑顔で言った。「記事は私を守るために必死に闘ってくれた大好きな両親へのラブレターです」 (片山夏子)=おわり

 ◇  ◇

 記者は20年11月から少女とメールでやりとりを始め、その3カ月後から実際に会って話を聞いた。1年を超える取材を基に、少女と家族の11年の軌跡を4回にわたって伝えた。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 蒲田の富士山[1172] ipeTY4LMlXiObY5S 2022年3月15日 13:37:25 : c4C8mxYAwM : Yjhnd0NvNklTOXM=[6] 報告
「やさしさを大切にして生きていこう」…避難少女の書いた「自分史」(東京新聞)

2022年3月15日 03時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/165506

 東京電力福島第一原発事故後、福島県郡山市から新潟県へ家族とともに避難した少女は、2021年8月に高校の課題で8000字を超える「自分史」を書きました。一部を本人の許可を得て抜粋します(学校名は伏せ「この学校」とした以外は、原文のまま)。

 ここまでの17年間、沢山たくさん嬉うれしいことを知りました。沢山楽しいことを知りました。沢山悲しいことを知りました。沢山つらいことを知りました。沢山のことを知りました。それは1人だったら、決して知ることの出来なかったことばかりです。お母さんがいて、お父さんがいて、おじいちゃんが、おばあちゃんがいて、妹がいて、叔母さんがいて、いとこがいて、はとこがいて、友達がいて、先生がいて、その他にも沢山の人がいて。私の周りにこんなにたくさんの人がいたから、嬉しいこともつらいことも、沢山知ることができました。震災の傷は癒えません。いじめの傷も癒えません。トラウマに苦しむ日々が続いています。

 それでも、震災があったから新潟に来れた。いじめがあったから、前よりも人に優しくなれた。傷は沢山あるし、治るのにはかなりの時間がかかります。たくさんのものを失いました。故郷も、おいしい食べ物たちも、むこうでの友情も、コミュニティーも、たくさん失いました。辛つらいときは幾度となく福島に帰りたいと願いました。その言葉で何度も、「なんで新潟にいるのかわかるでしょう。あなたを守るためなんだから。」と言わせて、両親を泣かせました。でも、つらくても得たものも沢山あります。新潟に来なかったら、この学校にはきっと来なかった。いじめられなかったら、こんなに優しくなれなかった。避難したから、福島がどれほど大切か再確認できた。たくさんのことを教えてもらいました。たくさん傷つけられました。たくさん助けてもらいました。

 今でも死にたくなる時はあります。行動に移したくなる時もあります。このさきの人生もトラウマと付き合っていかなきゃいけないと考えると、もう命を絶ちたくなります。

 でも、助けてもらった記憶があるから、嬉しさや楽しさを知ってしまったから、もう少し生きてみようかな、とこの学校にきて、やっと考えられるようになりました。

 最近、両親が「一番大切な時期に避難させて、いじめも受けて、親を恨んでいるんじゃないか。」と友人に話したそうです。もちろんムカつくことも、郡山に帰りたいと思うことも何度もありましたが、避難するという選択をしてくれた両親には感謝しかありません。

 この先、つらいことは当然あると思います。しかし、ここまでのことを経験してきたからこそ、きっとこの先も乗り越えられると思います。これからも人との出会いを忘れず、やさしさを大切にして生きていこうと思います。

2. 2022年3月28日 14:19:59 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[12996] 報告
原発避難 実態を知れ 2022.3.16
2022/03/28
日本共産党
#高橋千鶴子 議員の質問 衆院復興特別委員会
https://www.youtube.com/watch?v=ttYPtJd0TK8

▲上へ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素53掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素53掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
原発・フッ素53掲示板  
次へ