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フランクフルト学派のユダヤ人はコロンビア大学に移った?
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 08 日 08:24:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ユダヤ陰謀論の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 05 日 15:50:23)

フランクフルト学派のユダヤ人はコロンビア大学に移った?


  一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ〜、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ〜」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ〜」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)

  フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。

Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01


(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )

  コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)

  この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。

  1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)

  「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。

  「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。

Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001


(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )

  脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)

  ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。

  ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。

Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234

(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )

  ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。

Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1


(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )

  もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。

  ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。

  ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)

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(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )

  日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。

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(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)

  日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。

  同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。


http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html    

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