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宮沢賢治の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/751.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 09 日 18:20:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 川端康成の世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 27 日 19:27:00)


宮沢賢治の世界


宮沢賢治  21世紀映像童話集  黄いろのトマト



『80年後のKENJI〜宮沢賢治21世紀映像童話集  
汚れなき魂  「黄いろのトマト」


出演:竹財輝之助, 我妻三輪子, 小柴亮太, 竹中涼乃,
 

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コメント
1. 2021年6月10日 16:11:49 : CD0syXjenk : R2dzTkMyT3VGNWs=[24] 報告
【ゆっくり解説】天才詩人•童話作家「宮沢賢治」!注文の多い料理店や銀河鉄道の夜など数多くの作品を残した彼の人生とは…?




【目次】
0:00 オープニング
1:29 宮沢賢治の概要
3:38 宮沢賢治の生涯の振り返り
27:24 エンディング
2. 保守や右翼には馬鹿し[188] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年5月20日 12:49:17 : 9yppaRr6IU : cDdWdzlnUHhyU1E=[3] 報告
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イーハトーブという国
2023年05月20日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12803769340.html

 日本の北の方に「イーハトーブ」と名付けられた国がある。面積は日本の県のなかで一番大きい。四国よりほんの少し小さく、イスラエル国よりも少しだけ小さいほどだ。
 そんなイーハトーブ国からは、少ない人口に見合わず、人口比で当然といえる東京都を除けば、山口県に次いで二番目という、たくさんの総理大臣を輩出している。

 有名人も数多いのだが、この数年になって、とんでもない物凄い野球キャラクターが数名登場してきて、世界中にイーハトーブの名が一気に広まった。
 それが大谷翔平と佐々木朗希で、もう一人菊池雄星もいる。後に続く佐々木麟太郎も三名に匹敵する活躍が予想されている。
 すぐ隣の地域でも、落合博満という凄い選手を出した。

 そもそもイーハトーブとは「葉っぱを食べる国」(イート・ハーブ)という意味で、その理由は名付け親の童話作家Mが仏教の敬虔な信者で、殺生を嫌い、精進食を好んだからといわれている。
 でも、葉っぱを食べて2m近い高身長の世界的スポーツ選手が育つとは思えないのだが。
 イーハトーブ国からは、随分前だが、三船久蔵と藤原敏男という、これも歴史に残る物凄い格闘家を輩出している。しかし彼らがイーハトーブ食だったかは分からない。

 私は大谷翔平の報道を見ていて、日本中が夢中になっているなかで、彼の純粋な精神性に惹かれるのだが、それは名付け親のMに共通するものを感じるのだ。
 Mは、生きているうちには誰からも、何一つ正当な評価を受けず、無名で貧しいまま結核で死んでいったが、とてつもない純粋純真な心根だけをこの世に残していった。
 まるで大谷が、Mに与えられるべきだった評価を、まとめて受けて無念を晴らしているようにさえ見える。

 イーハトーブの住民は、全員が子供の頃からMの純真さに打たれ、その心を受け継いでいるように見える。だから、政府に割り当てられた県名よりも、Mの名付けたイーハトーブ国という名前に誇りを持っているのだ。
 イーハトーブは、Mの精神を受け継いで、とてつもなく優しい人が多い。
 だから、全国犯罪率ランキングでも、隣の「もうアキター国」と並んで47都道府県中最低なのだ。
 http://area-info.jpn.org/CrimPerPop.html

 イーハトーブの小学校では、全員がMの残した詩を朗読して記憶するので、大人になっても淀みなく話せる人が多い。
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノノ
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 
******************************
 こんな詩を、幼い頃から暗誦していれば、いったいどんな子供が育つだろうか?
 それが、イーハトーブの犯罪率が日本最低であることの秘密だと私は思う。
 そして大谷や佐々木を輩出した本当の秘密なのだ。

 イスラエルのユダヤ教徒が、旧約聖書のトーラー五書を13歳までに暗誦するバルミツバという成人儀礼を見れば、その意味が反対側からわかる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%BC#:~:text=%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC,%E5%BC%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E6%8C%87%E3%81%99%E3%80%82

 ユダヤ教徒が幼いころから暗誦する義務を負っているトーラーには何が書かれているのか?
 それは、「陰謀と殺戮の教科書」と呼ばれていることで察しがつくだろう。
 代表的な陰謀殺戮の章である、旧約聖書創世記34章を見れば思い知らされる。
 https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/34.htm

 あるとき、ヤコブの娘ディナをシケムという他部族の若者が犯した。シケムの一族はディナを妻として娶りたいと申し入れたとき、ヤコブは一族が割礼を受け入れるなら認めると答えた。
 シケムの一族が割礼の痛みと化膿によって戦意を喪失すると、ヤコブの一族が攻め入ってシケムの一族を皆殺しにしたという物語だ。

 ユダヤの民は、この物語を繰り返し幼い頃から暗誦し、「陰謀殺戮」の意味を心の底に沈殿させる。他にも、旧約聖書には陰謀的な殺人が無数に登場してくる。
 こうして大人になったユダヤ人の、あらゆる発想の根底に、旧約聖書が置かれるのである。
 それが世界資産の9割を手中に収めたユダヤ人によって、どんな計画がもたらされるのか? それは、あなたの想像力のなかにある。

 もう一つ、イーハトーブの人々の人間性を定めてきた、Mの悲しい詩がある。
 日本の詩集の最高傑作として、知らない人はいないのだが、こんな詩を読みながら育ったイーハトーブの人々の人間性が、どうして大谷翔平や佐々木朗希につながるのか、あえて説明する必要もないだろう。

 永訣の朝
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (*あめゆじゆとてちてけんじや)
 うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
 みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

 青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀たうわんに
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

 蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
 みぞれはびちよびちよ沈んでくる
 ああとし子
 死ぬといふいまごろになつて
 わたくしをいつしやうあかるくするために
 こんなさつぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ

 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
 はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
 おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
 みぞれはさびしくたまつてゐる
 わたくしはそのうへにあぶなくたち
 雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
 すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう

 わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
 みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
 もうけふおまへはわかれてしまふ
(*Ora Orade Shitori egumo)

 ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
 あああのとざされた病室の
 くらいびやうぶやかやのなかに
 やさしくあをじろく燃えてゐる
 わたくしのけなげないもうとよ

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまつしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ
  (*うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで     くるしまなあよにうまれてくる)

 おまへがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが天上のアイスクリームになつて
 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
*******************************

 私はMが書いた「銀河鉄道の夜」を読んでいて、大谷翔平が、この世の小さな欲望の交錯するカオスのなかで、まっすぐに銀河だけを見つめて、ひたすら登ってゆく姿を見せているような気がする。
 大谷も佐々木も、たぶんMの人間界を超越した壮大なビジョンのなかで、ジョバンニとカンパネルラのように、銀河鉄道の乗客になっているのだと思える。
 それがイーハトーブの人々なのだ。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12803769340.html

3. 2023年6月19日 07:47:22 : fwqF0gWoXo : UGFxZU9PQ2NJVDI=[5] 報告
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岩手県では、小学校で「雨にも負けず」を全員が暗誦しなければならない
2023年06月18日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12808279049.html

 私は、名古屋市なのだが、実は、私の子供の頃の記憶をたどると、やはり小学校で「雨にも負けず」を暗誦させられたことを思い出した。
 ちょうど、1960年前後のことだ。今から63年前になるかな。

 1960年代と聞けば、私には安保闘争が思い浮かぶ。当時、父が国労愛知の書記長だったから、毎日のように、我が家に当時の国労活動家が集まって反対運動の構想を話し合っていた。
 私も、学校で「アンポハンタイ」とか叫びながら教室内を練り歩いていた記憶がある。
 東大生の樺美智子さんが、デモ中に機動隊に殺されたニュースもはっきりと記憶している。当時の東大女学生の死といえば、今で言えば、広瀬すずが強姦され殺害されたくらいのインパクトがあった。当時の首相はA級戦犯でありながらCIAスパイになることで政界に復帰した岸信介だ。

 それから今の天皇の徳ちゃんが誕生した。社会は、樺美智子さんの死を悼む人々と、徳仁ちゃんの誕生を喜んで提灯行列する人々に、完全に二分されていたような気がする。
 我が家には、中古の白黒テレビがやってきて、毎晩、近所の人たちが見に来ていた。

 力道山とブラッシーの対戦では、白黒テレビだから顔中を真っ黒に染めた力道山(金信洛)の画面を見つめて、凄まじい大声を上げて、驚いているのか喜んでいるのか分からない反応だった。
 あとは、若乃花と栃錦、大鵬と柏戸の戦いを興奮して眺めた。他の番組といえば、黒柳徹子の出る人形劇(ちろりん村とかひょっこりひょうたん島とか)が記憶に残っている程度だ。

 そんな日本中に活気が満ち溢れ、上昇気流一辺倒だった時代、小学校では、圧倒的に日教組が強くて、「民主主義」の理念を教育するという熱意に溢れていたように思う。
 そして、子どもたちの人間性を高めたいという教師の願いを体現する教育として、宮沢賢治の詩の暗誦が選ばれたのだ。

 宮沢賢治の詩を調べているうち、にわかに、そういえば小学校で暗誦させられた記憶が蘇ってきた。そこで、宮沢賢治の地元岩手県では、どうなっているのか調べてみると、どうやら今でも「雨ニモマケズ」の暗誦が行われているようだ。

 「雨ニモ負ケズ」を暗唱するようぬ
https://ncode.syosetu.com/n1062eo/

https://ehon.manebi.tokyo/entry/amenimomakezu

https://kids.shueisha.co.jp/manten/nihongo/omoi/chapter3_3.html
************************************
 もちろん全体主義が大好きな、文科省官僚たちが人間性を磨こうとしてきた宮沢賢治と相容れるはずがないから、必須科目にはなっていないかもしれないが、その教育的効果を絶賛する人が少なくない(上のリンク)。

 私は、前にも書いたのだが、少年時代に雨ニモマケズを暗誦した人たちは、その思想理念を心の奥底に沈殿させ、生涯にわたって、人間性を磨こうとするのだと思う。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6038440.html

 岩手県をイーハトーブと名付けたのも宮沢賢治だ。戦後、全国最強の日教組があって、革新的な思想持った人が多かったように思う。
 だが、岩手県出身の有名人をウィキで調べても、記憶と一致する人は、東條英機、板垣征四郎、石川啄木、新渡戸稲造、金田一京助と宮沢賢治くらいで、芸能人や歌手など、千昌夫くらいしか分からなかった。
 しかし、最近は違う。
 世界的なスケールの、とんでもない若者たちが、岩手県から飛び出してきた。

 今や、大谷翔平は世界の話題の中心にいるし、やがて佐々木朗希もそうなるだろうし、菊池雄星だって一流のメジャーリーガーだ。佐々木麟太郎も、やがて大谷に次ぐ地位に向かうだろう。
 私は、菊池雄星がはじめて甲子園の決勝で戦ったとき、ちょうど花巻大沢温泉にアブに噛みつかれながら友人と入っていたのだが、客も宿側の人も、完全に客の世話など忘れて、テレビに熱狂してしまっていた。
 「おいおい、夕飯、食いたいんだけど……」

 「これは尋常な熱気じゃないぞ!」
 もしかしたら、岩手県にとんでもないことがおきはじめているのかもしれないと、宮沢賢治記念館で「セロ弾きのゴーシュ」の展示を見ながら、そう思った。
 私は、宮沢賢治のイーハトーブが、何か物凄い勢いで躍動を始めているように思った。
 「岩手県には特別な何かがある」

 私は、県内を彷徨った。とりわけ興味があったのが、私が若い頃から夢中になって貪るように読み漁っていた、柳田国男の「遠野物語」であり、遠野地区や早池峰山周辺を回った。
 遠野には何度も通ったが、いたるところに河童のモニュメントが建設されていた。テレビドラマでも遠野が主役になったものがあったような気がする。もしかしたら、この時代が一番良かったかな。
 ネット時代になったら、今度は有名な猫が登場した。「カゴ猫シロ」だ。
 https://cat-press.com/cat-news/book-noseneko-final
 これが、動物の癒やしブログの先駆けになったような気もするが、数年前に主役が寿命を全うして消えた。
 
 早池峰山は、70年代前半に、登っているが、このときは車のマフラーにマムシが食いついたことが強く記憶に残っていて、「ここはマムシの王国なのか」という印象さえ持った。
 しかし、エーデルワイスの咲き乱れる「荒らされない自然」という意味で、八甲田のような観光客汚染もないし、本当に素晴らしい場所だと思った。
 八幡平では、熊の影を何度も見た。熊の糞だらけの山道だった。私の住む岐阜県も、熊が凄いが、岩手県は岐阜の比ではない。

 岩手県のことを話し始めると、思い出が尽きないのだが、私は、岩手県から大谷や佐々木が登場している理由について、思い当たることがあった。
 それは、宮沢賢治との関係だ。大谷も佐々木も、幼い頃から宮沢賢治と否応なしに深い関わりを持たされてきた。
 たぶんではあるが、小学校で、雨ニモマケズを暗誦させられたと思う。そして、イーハトーブという国について、深く考えるきっかけを与えられて育ったのだと思う。
 子供の頃に、心の奥底に暗誦によって刻み込まれた「生きる理念」は、生涯の思想を規定するのだ。
 https://eqwel-takarazuka.com/blog/798/

 三歳から十歳までの子供時代の心に刻まれた理念は、生涯を定める思想になる。
 この時期に、雨ニモマケズの思想を暗誦で心に刻み込んだ、イーハトーブの子どもたちは、死ぬまで「人に対する優しさ」という純粋な人間性を価値観として生きることになる。
 私は、岩手県から大谷たち世界史的な若者がたくさん登場してくることの背景には、彼らの子供時代に心に染み込んだ何かがあると予想した。
 そして、それは小学校における宮沢賢治の暗誦ではないかと考えた。

 前にも書いたが、逆に、子供時代に、殺戮教書ともいうべき旧約聖書を義務として暗誦させられたユダヤ人の子どもたちは、「陰謀殺戮」を心の底に置いて大人になってゆく。
 するとビルゲイツやイーロン・マスクのような「金儲けののためなら人命など屁の価値もない」と考えるような人々が育ってゆく。

 私には、ビルゲイツをはじめとするユダヤ人超富豪が、世界資産の9割以上を懐に入れる時代になった今、イーハトーブから、物凄い若者たちが飛び出し始めたことが偶然には思えない。
 ちょうど、イスラエルと岩手県は、似たような面積だ。旧約聖書が生み出したユダヤの国と、宮沢賢治が生み出したイーハトーブの国が、これから人類社会の焦点になるような予感がしてならないのだ。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12808279049.html

4. 2023年6月19日 07:54:36 : fwqF0gWoXo : UGFxZU9PQ2NJVDI=[6] 報告
<■98行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
宮沢賢治と法華経
https://kenji.hix05.com/kenji52.hokekyo.html

鎌田茂雄「法華経の読む」を手引きにして法華経のことを考えていたら、自然と宮沢賢治のことが思い浮かんだ。賢治は法華経に深く帰依していたことで知られている。その作品の中にも法華経の影響がこだましている。そんな法華経のこだまを、賢司の作品のなかから聞き当ててみると、どんなことになるか。そんなことをふと思ったので、その思ったことをとりあえず文章にしておきたい。もとより単なる思いつきの域を出ない。

法華経の根本思想は仏国土の実現ということである。仏国土とは、仏が導き給う浄土のことを言う。どんな人でも、大乗の教えに基づき修行すれば菩薩となり、ついには成仏して仏となる。仏となった人は、自分自身のみならず彼が生きている世界のすべての人々を救う力を持っている。それゆえ、彼が成仏すると、彼が生きている世界は彼を中心にした仏国土すなわち浄土となる。単純化して言えばそういうことになろう。つまり、あの世ではなく、この世において実現する理想的世界、それが法華経のいう仏国土なのである。この世がそのままに浄土となる、しかもその浄土を導く仏には、どんな人でもなれる可能性がある。それ故、人々はおのれ自ら成仏しつつ、彼が生きている世界の一切衆生を救うべくつめねばならない。

宮沢賢治が作品の中で主張したのは、まずはこの仏国土の実現ということであった。賢治が仏国土をとりあげた例としてよく引かれるのは「銀河鉄道の夜」のなかの次の一節である。

「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしそうに云いました。
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」

銀河鉄道に途中から乗ってきた姉と弟に向かって、ジョバンニがずっと一緒に行こうよ、と誘ったところ、姉は自分たちはこれから天国へ行くのだからここで降ります、と答えたのに対して、ジョバンニは天上などではなく地上ですばらしい世界つまり仏国土を実現しようと言っている場面である。このジョバンニの言葉の中に、賢治は法華経の説く仏国土の実現への希望を述べているととらえることが出来るわけである。

その仏国土とは具体的にどのようなものなのか。「ポラーノの広場」はそれを問題にしている。ポラーノの広場にいる人々は、どこか別の世界で理想郷を建設しようとつとめるが、なかなかそれは実現しない。何故なら理想郷とは、彼等がいまいるポラーノの広場そのものなのだから、というのがこの童話の根本的な内容である。この童話は、賢治晩年の四つの長編童話のひとつだが、これらの長編童話にはいずれにも、法華経の言葉がこだましている。そのこだまの中で、もっとも法華経の核心に迫るのが、「ポラーノの広場」における理想郷実現への希求と考えることが出来よう。

以上は、法華経の核心についての賢司の捉え方が垣間見えるところだが、賢治は外に、法華経のいくつかの重要な経典について、その内容を童話のなかに盛り込んでいる。

まず、「提婆達多品」。これは、どんな人でも成仏できることの例として、提婆達多という悪人が成仏したということを説いている。賢治は、「よだかの星」において、同じようなテーマを追求した。「よだかの星」に出てくるよだかは、いわゆる悪人ではないが、世の中から疎まれ自分を嫌悪しているという点で悪人に通じるところがある。そのよだかが星になると言うのは、成仏の隠喩であろう。つまり、よだかが星になるということを通じて、どんなものでも成仏できるのだという考えを、賢治はこの童話のなかで語っているのだと考えられる。

星になるためには、よだかは星と一体にならなければならなかった。ということは、己の身を火で焼きつくすという行為が介入しているわけである。ここで、この童話には焼身というもう一つのテーマが潜んでいるということになる。法華経のなかで焼身を取り上げているのは「薬王菩薩本事品」である。このお経は、衆生救済のための自己犠牲として菩薩の焼身を取り上げているわけだが、賢治の童話のなかで焼身とそれによる衆生の救済というテーマに密接なかかわりがあるのは、「グスコーブドリの伝記」である。

この童話の中で、グスコーブドリは自分が火山の中に飛び込むことで、火山の噴火を防止し、人々を危険から救ったということになっている。つまり焼身という自己犠牲が衆生救済につながるという物語であるわけで、その骨格は「薬王菩薩本事品」と全く異ならない。賢治がこの美しい童話を、「薬王菩薩本事品」をもとにして構想したことは疑いを容れないと思う。

焼身といえば、いまでも東南アジアの仏教圏の中でたびたび起きている。東南アジアの国々の仏教は基本的には小乗仏教であり、それがなぜ焼身による自己犠牲を推奨するのか、研究に値するところだと思う。

賢治には「雨ニモマケズ」に始まる、自訓のような有名な文章がある。この文章は、自分自身に課した掟だと解するのが妥当と思えるのだが、その内容を精査すると、法華経の中の「常不軽菩薩品」の教えとよく似ている。

「常不軽菩薩」の常不軽とは、「常に人を軽んぜず」という意味であるが、そのとおりこの菩薩は、身を粉にして人々を礼拝して歩いていた。なぜ礼拝するかと言えば、人々に自分自身の価値を知ってもらい、成仏できるように薦めたいからであった。あなたはこんなにもすばらしい人です、それゆえわたしはあなたを礼拝するのです、あなたには礼拝される資格があるばかりでなく、成仏する資格もある、ですから菩薩の道を歩みなさい、そう言って人々を励まして歩くというのが、「常不軽菩薩」の自分自身に課した掟であった。その掟と、賢治が「雨ニモマケズ」の中で自分に課した掟は非常によく似ている。

賢治は言う、
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
  小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ

これは礼拝ではないが、人々を励ましていることは、「常不軽菩薩」と同じである。自分の身を粉にしているところは、続く部分で次のように書かれる、
  ヒデリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
そして最後は、
  サウイフモノニ
  ワタシハナリタイ
と結んでいる。つまり賢治は、自分自身が「常不軽菩薩」のようになりたいと言っているわけである。
https://kenji.hix05.com/kenji52.hokekyo.html

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