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地方から死んでいく日本。豪雨・台風・大地震…さらに少子高齢化が重なり土地ごと見捨てられていく
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1016.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 11 日 11:41:06: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ここにだけは住んではいけない 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 20 日 17:38:35)

地方から死んでいく日本。豪雨・台風・大地震…さらに少子高齢化が重なり土地ごと見捨てられていく=鈴木傾城
2021年8月7日
https://www.mag2.com/p/money/1087623

ゲリラ豪雨に、巨大台風に、大地震。多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)


豪雨や台風や地震があれば、禿げ山が大きく崩れていく
日本では静岡県熱海市伊豆山で発生した土石流で凄まじい被害に見舞われている。大量の土砂が家屋を飲み込み、押し流し、行方不明者も数十人がいまだに発見されていない。

この土石流の要因は「盛り土」にあると言われているが、この盛り土のすぐ側にはメガソーラーが設置されている。

今の日本はあちこちの山の木を伐採して禿げ山にして太陽光発電を設置しており、それが壮大な面積を占める「メガソーラー」となっているのだが、日本人なら誰もが知っているように、山の木を伐採したら山に保水能力が喪失して山崩れ、土石流被害が起きやすくなる。

今後、異常気象はますます激甚化していくというのは分かりきっているのに、わざわざ山を切り崩して環境破壊して太陽光発電を設置するのは、「金のことしか考えていない」と言っても過言ではない。

こうした太陽光発電を促進したのが2009年から2012年まで日本を悪夢のどん底に突き落としていた民主党政権なのだが、自民党もこれを放置していたのだから共犯と言っても差し支えない。

政治の無策が日本の国土を脆弱化させている。

いずれにしても、すでに日本のあちこちで木が広範囲に渡って伐採され、山が削られ、メガソーラーが設置されているわけで、今後も豪雨や台風や地震があれば山が大きく崩れて麓にいる人々に被害をもたらすことになる。

自然を破壊すれば、自然に復讐される。目の前で起きているのはそういうことだ。

異常気象が年々ひどくなって、日本の環境を破壊していく
異常気象が年々ひどくなっているというのは、今に始まったことではない。そして災害が巨大化・凶悪化しているのも今に始まったことではない。

今、カナダでは異常熱波が襲いかかっていて、場所によると49.6度を観測している。通常は25度くらいの場所がその2倍の50度近くなのだから、まさに「異常気象」と言っても過言ではない。

しかし、もう世界中であらゆる異常気象、巨大災害が続発しても、もう誰も驚かない情勢である。それもそうだ。異常気象が常態化してしまっているので、珍しくなくなったのである。

たとえば、日本はすでに熱帯化している。

最高気温が35度以上は「猛暑日」と呼ぶのだが、最近は35度どころか、40度を超えるような日がいくらでも観測されるようになった。時には「東南アジアよりも暑い」と言われる日すらもある。

熱帯と言えばスコールだが、猛暑日が続発する今の日本を悩ましているのが「ゲリラ豪雨」だ。ゲリラ豪雨が発生すること自体が、日本が熱帯化していることを意味している。

しかし、日本には季節がある。灼熱の夏が終わると、秋が来て冬が訪れる。では冬は暖かいのかと言えば、それがまるっきり逆で過去に経験したことのないような厳寒になる。今まで想定もしていなかった豪雪で身動きが取れなくなる。

なぜ、こんなことになっているのか。

以前から言われているのが「地球温暖化」なのだが、その理由は人間の自然破壊なのか、それとも自然環境の変化なのかはともかく、「何らかの理由」で海面温度が上がっているのは間違いない。

西暦2030年から40年の間には起こる南海トラフ大地震
2021年2月26日。南極の棚氷から氷山が分離という事態が起きていたのだが、南極の棚氷、氷山が次々と分離するという事態が進行している。環境の変化が進んでおり、それが今までの自然とは違う環境を生み出している。

海面の温度が上がると、温められた海面から大量の蒸気が上がる。それがどこかの段階で常軌を逸する豪雨や台風やハリケーンやサイクロンや豪雪となって降り注ぐ。温暖化が止まっていない以上、災害がどこまでも巨大化していくのは避けられない時代に入っているのだ。

自然災害はそれだけではない。私が最も憂慮しているのは「次の巨大地震」のことである。日本は4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国であり、世界でも類を見ないほどの地震大国である。

今年は日本に壊滅的なダメージを与えた東日本大震災から10年経つ。東日本大震災の爪痕は今もあちこちに残されているのだが、日本人は誰もこれが「最後の巨大地震」であるとは思っていない。

30年以内には70〜80%の確率で、推定死者最大32万人になる「南海トラフ大地震」さえも起きることが「予測」されている。

南海トラフ大地震は言って見れば「西日本大震災」である。専門家は「西暦2030年から40年の間には確実に起こる」とも言っているほどだ。

具体的な時期はともかく、日本は間違いなく巨大災害の犠牲国と化す。「南海トラフ大地震」でなくても、それに近いような大きな地震も必ず発生する。想定していない場所で、甚大な被害が発生するだろう。

別にこれは予言でも何でもない。日本というのは世界で最も災害が起きやすい土壌に構築された国家なのである。

災害に見舞われたら再生不可能になる地方が続出する
多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。

1990年以後、日本はバブル崩壊と次々と上がっていく消費税と長々と続く緊縮財政のせいで国民の貧困化が加速してしまい、それに起因する少子高齢化も世界最悪のペースで進んでいる。

人口減は地方の共同体を壊し、莫大な過疎地と限界集落と消滅集落を生み出す。2015年4月から2019年4月までの4年間で住民がゼロになって消滅した集落は全国で164集落だったが、今後は3622集落が消滅すると総務省は2020年にデータを出している。

財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。

現に2017年に福岡と大分両県をまたがって発生した「九州北部豪雨」では4年経っても復興は終わっておらず、もう住民が戻ってこない。戻るどころか「出て行っている」のである。

政府も自治体も財源が無限にあるわけではない。少子高齢化によって税収が減っている上に高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。

そんな中で災害の起きた場所が過疎か過疎に近い地区だった場合、もはや建物や壊れたインフラの復旧ができなくなって見捨てられるのだ。

つまり、人口の少ない地方、交通の便の悪い地方は、いったんインフラが破壊されるような災害に見舞われたら、再生不可能になる危険が高まる。限界集落などは被災した時点で、地域ごと捨てられることになる。

「少子高齢化」解消が不可欠。地方再生の道はこれしかない
少子高齢化と増え続ける災害は、地方の崩壊と荒廃をもたらす危険性はかつてないほど高まっている。

政治家は、空虚な言葉で「地方の再生」を叫ぶが、本当の意味で地方の再生を成し遂げたいのであれば、20年計画で少子高齢化の解決のために全精力を傾けることであると気付く必要がある。

根本に少子高齢化対策があって、そこに「地方の再生」や「国土強靭化」を絡めなければ日本には未来がない。このままでは、災害が起きるたびに地方は死んでいく。  

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コメント
1. 中川隆[-17293] koaQ7Jey 2021年8月11日 11:45:11 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[19] 報告
日本政府は行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にしようとしている


映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク - 内田樹の研究室 2020-03-02
http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html

21世紀の日本はこれから急激な人口減と高齢化局面を迎えます。予測では、21世紀末の日本の人口は上位推計で6450万人、中位推計で4950万人、最少では3800万人となります。今1億2700万人ですから、中位推計でも7000万人減る。

 人口減は世界中で進行しています。日本が高齢化では世界一ですが、欧米もアジアもすぐ後に続いています。韓国も少子高齢化局面に入りましたし、中国は「一人っ子政策」のせいで、このあと劇的な人口減局面に入ります。15億人でピークアウトした後に世紀末には7億人に半減すると予測されています。これほどの人口減を人類は経験したことがありません。だから、何が起こるかわからない。

 今の社会システムはすべて「右肩上がり」の経済成長を前提にしています。人口減局面を生き延びるためには選択肢は2つしかありません。

 一つは都市一極集中。今の日本の政官財が考えているのはこれです。すべての資源と人口を首都圏の狭い範囲に集める。人口が減っただけ集住する地域を狭くする。そうすれば、仮に人口が半減しても、都市の風景は今と変わりません。その代わり首都圏の外には無住の地が広がることになる。無住の地には交通や通信や上下水道のようなインフラを整備する必要がありません。行政コストは限りなく抑制できる。「人を狭いところに集める」、今政府が考えている人口減対策はそれだけです。小泉進次郎環境大臣が先日語った「もう人口減少、嘆くのやめませんか」と言うのは、具体的にはこのことです。

 シンガポールは人口560万人、面積720平方キロ。人口は日本の4%、国土は日本の0.2%しかありませんが、一人当たりGDPは世界8位で、26位の日本の1.6倍です。土地もない、自然資源もない、食糧も飲料水さえ自給できないシンガポールがこれだけ繁栄しているのは「経済成長」が国是だからです。それだけではありません。シンガポールは建国以来一党独裁で、治安維持法があって令状なしに反政府的な人物を逮捕拘禁できて、反政府メディアも労働運動も学生運動も存在しません。この国がおそらく今の政権にとっての「人口減局面でのモデル」だと思います。

 行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にするというのが基本構想ですから、東日本大震災の復興が進まないのも当然です。「ねまれや」の女性に行政が告げたように、「人口が減っていく地域に、そんな施設など作ってどうするのか?」ということです。

 政府は東京オリンピックを「復興五輪」などと言っていますが、隠された目的は東京にすべての資源を集中させて、地方を枯渇させることです。政府は東北の復興に予算を使う気はないし、福島の原発の除染も本格的にやる気はありません。「どうせいずれ誰も住まなくなる土地なんだから、そんなところを『人が住めるようにする』のはまるで無駄だ」と思っているからです。

 地方の無住化・日本のシンガポール化しか政府に策はありません。たしかに人口減局面でなお経済成長しようという無理なことを実現するならシンガポールモデル以外に選択肢はないのです。でも、政府や財界は彼らが「シンガポール化」をめざしていることを決して公言しません。東北復興や福島の除染をだらだら進めているうちに、東北の人口が減ってゆく。やがて「人が減ってゆく地域に予算を投じるのは金をドブに棄てるようなにものだ」という世論が形成されるのを待っているのです。でも、今それを言ったら地方の選挙区では自民党に入れる有権者はいなくなる。あっとうまに政権は倒壊する。だから、その方向に政策を着々と手を打ちながら、自分たちが何を目指しているのかについては口を噤んでいる。

 でも、もうひとつのシナリオがあります。それは「経済成長をもう目指さない」ということです。そらなら東京への資源一極集中の必要はありません。むしろ、地方に離散する。

 今、若い人たちが地方に移住して、第一次産業に就く動きが出てきました。こちらの方が生活の質を考えたら、明らかにアドバンテージがある。東京一極集中ということになると、生業の選択肢は資本を持たない若者には賃労働以外にはありません。定型的な賃労働と定型的な消費生活を強いられる。快適で文化な生活を維持しようと思うならむしろ地方にチャンスがある。そのことを直感しているからこそ若者たちの地方移住が続いているのだと思います。

 今、僕たちは人類の文明史的転換点に来ています。僕の周りでも、若い人たちがどんどん地方移住を始めて、農業林業のような第一次産業に就いたり、本屋やカフェを営んだり、図書館を開いたり、出版社を立ち上げたり・・・いろいろな仕事を始めています。

 日本には温帯モンスーンの豊かな風土があり、植物相も動物相も多様だし、温泉やスキー場などの観光資源も豊かだし、食文化も芸能も世界的レベルですし、教育も医療も高水準です。経済成長にこだわらずに、この豊かな資源を活用する仕方に知恵を使うべきだと僕は思います。

 この映画は、林業を営む限界集落の再生という話も取り扱っています。鱒淵という中山間地に、年間2世帯ずつ人が戻ってくれば、人口は定常化するという話が出てきます。この「定常化」ということがこれから先の地方再生の基本になると思います。もう右肩上がりで人口が増えたり、右肩上がりで経済成長することはあり得ないのです。それでも定常的な経済活動を維持することはできます。

 定常経済というのは新規の需要が発生せず、買い替え需要しかない経済のことです。だから、投機的に株を買っても儲からない。それじゃ意味がないと思う人がいるかも知れませんけれども、それでも出資する人はいるはずです。その商品やサービスが安定的に供給されることそれ自体を「配当」として受け取る人たちが株を買う。自分が出資することで「必要なものが、必要な場所で、必要なときに手に入る」のならそれ以上は求めないという人たちが経済活動を動かしている限り、経済成長の必要はありません。

 今日本の政官財は東京一極集中プランにはっきり舵を切りました。日本の農業や林業も切捨てるつもりです。しかし、多くの国民は、故郷が無住の地になり、地方が切り捨てられるというシナリオの現実性にまだ気が付いていません。この流れに抗して、もう一度地方を住みやすい場所、住み甲斐のある場所にしてゆくことが、これからのわれわれの仕事だと思います。

http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html

▲△▽▼


2020年3月2日
【三橋貴明】店じまい国家の断末魔
https://38news.jp/economy/15441

店じまい国家の成れの果て
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html

安倍政権の朝令暮改と臨終
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578536890.html

グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)を究極まで推し進め、政府を限りなく「小さく」することを「国家の店じまい」と呼んでいます。

元々、「国家の店じまい」とは、佐藤健志先生が紹介された、達増拓也岩手県知事のツイートが元ネタです。

達増拓也 TASSO 幸福を守り育てる希望郷いわて
@tassotakuya 2016年3月24日

経済は市場にまかせ、民生は地方にまかせ、国家が店じまいするように、人口減少で地方が末端から消滅するのが必然とばかり、大震災を奇貨として地方消滅の加速を図ろうというのは良くない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/712980527293140992

達増知事は地方交付税交付金などを減らし、地方の衰退を加速している安倍政権について「国家が店じまいするように」と表現されていますが、国家の店じまいは地方行政に限りません。

そもそも、グローバリズムという「小さな政府」を目指す政策は、国家の店じまいなのです。

国家の店じまいは、様々な分野に及んでいますが、今回のCOVID−19感染症の襲来で明らかになったのは、日本国民の公衆衛生、健康促進が役割の厚生労働省、医療サービスまでもが、国家の店じまいを進めていたという衝撃的な事実になります。

【日本国内の保健所数(合計)】
http://mtdata.jp/data_68.html#hokenjo

【日本の病院病床数の推移】
http://mtdata.jp/data_68.html#bed

日本政府は(第二次安倍政権発足前から)全国の保健所を次々に閉鎖していきました。
さらに、病院の病床数も削減。

安倍総理大臣は2019年10月28日、経済財政諮問会議において、
「持続可能な地域医療体制を構築するため」
とのお題目で、病院の統廃合(=削減)や「過剰な」ベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しています。

ただでさえ減っている病床数を、さらに減らせ、と。

もっとも、何しろ日本政府の政策のコンセプトは「国家の店じまい」でございますので、非常事態に国民を救う可能性がある医療サービスなど「ムダ」という話でございますよ。

閉店作業中の店舗が、客からの要望を受けますか?
新たな仕入れや什器のために支出しますか。

するわけないでしょ。

というわけで、特に「非常事態への備え」を中心にカットし、国家の店じまいを続けてきた日本政府が、実際に非常事態が到来した途端に大混乱に陥っています。

安倍政権は、間もなく終幕です。
問題は、むしろ「安倍政権の後」になります。

何しろ、グローバリズムのトリニティ、国家の店じまいが続く限り、誰が政権を
担おうとも、我々国民の「豊かで安全な生活」は実現しないのです。

というわけで、日本国民は現在の非常事態が「なぜ、ここまで深刻化したのか?」について理由を正しく知らなければなりません。

そもそも、国家の店じまい、小さな政府化という日本政府のグローバリズム推進は、初めから非常事態に対応不可能なのです。

その上で、次の政権において、グローバリズム路線を「ピボット(転換)」させる。小手先の変更ではダメです。

政権の基本コンセプトからのピボットが必要なのです。
すなわち、令和の政策ピボットです。

令和の政策ピボットを実現するためには、現在の日本の絶望、店じまい国家の断末魔をしっかりと見届ける必要があります。
少なくとも日本において、希望は絶望の先にしかないのです。

https://38news.jp/economy/15441

2. 中川隆[-17292] koaQ7Jey 2021年8月11日 11:52:02 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[20] 報告
2020年03月01日
引っ越すなら40年後も「持続可能な街」が良い
憧れで移住して20年後に自治体が消滅しているかも

画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/

限界集落に住むべきではない

移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。

住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。

おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。


他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。

日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。

憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。


だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?

政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。

日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。


人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。

電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。

山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。


40年後も存在する街

そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。

大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。

車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。


憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。

移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。

その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。


だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。

都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。

発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。


道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。

地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。

地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。


移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html

▲△▽▼

2020年02月02日
ダム拒否した集落は消滅、受け入れた集落は存続
ダム候補地になる集落は、ダムができなくとも住民が逃げ出して消滅します

画像引用:https://giwiz-tpc.c.yimg.jp/q/iwiz-tpc/images/story/2018/7/26/1532558148_1532558119_1____20180527-DJI_0022-2-x828-y552.jpg


ダム拒否した集落から消滅した

今から10年前くらいまでダム建設反対を唱える「反ダム運動」や大型モール反対を唱える「反大型店」が大ブームでした。

現在は反原発や反米軍基地がブームですが、過去のブームを知れば将来が予測できるかも知れません。

反ダム運動とはダム建設を推進しようとした政府に、故郷の村が消えるとして各地で反対運動が起きました。

ダム建設にはきっかけがあり、1959年伊勢湾台風は死者5千名以上、浸水や流された家屋は数数万戸に達した。

東日本大震災の死者は約1万5,700人だったが、連続台風によって巨大地震並みの被害が出た。

1950年代から60年代は大型台風の被害が多発し、1961年の第2室戸台風でも200名以上の死者を出しました。


台風は地震より局地的な被害は少ないが、日本列島を縦断するので沖縄から東北、北海道まで被害が及んだ。

被害が拡大したのは戦争とGHQ統治で災害防止工事が止まっていたからで、ダムなどの建設工事をする機運が高まった。

こうしたタイミングで登場したのが「土建屋宰相」の田中角栄で、並外れた才能を示し1972年総理大臣になった。


田中は総理になる前と総理を辞任後も強い影響力があったので、60年代後半から87年の中曽根内閣までが実際の田中時代だった。

田中角栄は日本列島改造を唱えて大規模公共事業を行い、その一つがダム建設でした。

上越・東北・九州・北陸新幹線や地方の高速道路は全て田中角栄が指示して建設したもので、田中が居なかったらこれらは無かった。


ダムを受け入れた集落には膨大な投資が行われ、電力や水資源保護、防災、観光などの職場が産まれた

画像引用:https://www.shiibakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/1265589203-640x333.jpg


ダム受け入れた集落は存続

時代は替わり90年代になると「公共事業悪玉論」が台頭し、日本が悪いのはすべて公共事業のせいだという空気になった。

空気に正体はないが、マスコミや学者がみんなそう言うので日本ではあらゆる公共事業が批判され工事停止した。

高速道路も新幹線も原発も港湾も空港も新規建設は行わなくなり、当然の結果として日本経済は衰退した。


日本中のダム建設も中止されたが、最近また地球温暖化で大型台風が増え、やっぱりダムは必要だという空気になっている。

おかしなものであれほど「ダム反対」を唱えていた人たちが、台風で被害が出たら「なぜダムを造らなかったのか」と批判した。

政治家が「空気」つまり雰囲気に流されて政治をしたら、必要なダムや公共事業が行われなくなり、日本経済を破壊してしまいました。


さてダム建設候補地だった自治体は、ダムを建設した村と拒否した村に分かれたのだが、結果はどうなったのでしょうか。

ダムで村が沈むとして建設拒否した村は例外なく限界集落になり、今後すべて消滅集落になります。

ダムの底になるような山奥の谷底に好んで住む人はいないので、ダムが無くても人口は減り村は消滅しました。


一方ダムを受け入れた村では確かに集落はダム底に消えたが、住民は補償金を受け取り平野部に移住したり、周辺のもっとマシな場所に移住しました。

ダム建設の資金が小さな村に数十億円も投入され、バブル景気に湧き様々な施設や道路が建設された。

そうしたダムの多くは秘境となり、釣り人や観光客が訪れる場所になっています。


人口百人程度の集落では、一日数人が宿泊する民宿であっても経済効果が大きく、ダム周辺には小集落が残る。

結局ダムを拒否した村の方が消滅し、ダムを受け入れた村のほうが、細々ながら存続している。

この理由は単純に「お金」で、ダムによってダムや観光などの職場ができ、職場があれば人々は定住します。


一方ダムを拒否した集落には収入源が無く、職場がないので住人はいずれ去っていきます。

郷土愛だけでは故郷は守れなかったという事です。
http://www.thutmosev.com/archives/82090443.html

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2020年01月17日
GS閉店で給油困難地域が増加 1台給油して利益50円
過疎地のGSは一度閉店すると、出店することは2度と無い

引用:http://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/028/354/614/28354614/p1.jpg?ct=361ddc0250ff


ガソリンスタンドの閉店が続き、ついに最盛期の半分近くにまで数が減ってしまいました。

ガソリンスタンドが少ない「GS過疎地」や給油不可能な地域まで出来ようとしている。


ガソリンスタンドの大量閉店

ガソリンスタンドの数がついに最盛期の半分に減少し、給油困難地域が深刻な問題になろうとしています。

1994年には6万ヶ所存在したが、2018年には3万70ヶ所に減少し、さらに減少を続けています。

年間消費量は2004年の6147万キロリットルから、2018年は5063万キロリットルに減少しました。

燃料消費量は毎年1%から2%減少していて、減っていく客をGS同士で奪い合っている。

車で遠出をする人が減り、若い男性の月間走行距離は、1990年代の半分に減ったというデータもある。

ハイブリッド車や軽自動車など、燃費の良い車が普及し、ガソリンを道路に撒くような大型車が売れなくなった。


追い討ちを掛けたのが政府の失策で、2013年までに老朽化したタンクの改修を義務付けました。

地下タンクの改修には1基100万円掛かり、灯油と軽油タンクも必要なので、最低500万円から1000万円は掛かる。

大手や繁盛店はコストを負担できたが、ギリギリで運営しているスタンドには、借金して営業を続ける意味は無かった。


ガソリンを売るだけでは利益を得られなくなり、大手は洗車機やカフェ、点検整備の充実で補っている。

設備を拡大できない小規模店や、そもそも人口が少ない地域では、淘汰されて大量閉店しました。

利益率が低いので増税による減収も響き、2012年の温暖化対策税や、2014年の消費増税で閉店が相次いだ。


経済産業省はガソリンスタンドが3ヶ所以下の自治体を「GS過疎地」と呼び2017年に312市町村に増え、全体の17%以上になった。

ガソリンスタンドは灯油販売所も兼ねているので、灯油の入手が難しくなり、寒冷地では深刻な問題になる。

ガソリン需要が少ない地域では24時間営業する意味がないので、給油できるのは朝8時から夜8時までに限られる。


給油計画を建てておかないと、どこかで燃料切れという事になりかねません。

また農家の農機具に給油出来ないといった事例も出て来ています。


ガソリン需要は減っていない

総務省や経産省はようやく間違いに気づいたのか、少ない費用で運営できるスタンドを検討しています。

コンビニにスタンドを併設し、コンビニ店員が給油する「駆けつけ型GS」などが考えられている。

大量閉店の原因を作った地下貯蔵タンクについては、地上に設置して費用を抑える事も検討している。


国土交通省によれば、高速道路で100キロ以上もGSがない「空白区間」が83ヶ所存在している。

燃費がリッター10キロとして、燃料計が残り10リッターを指してから、スタンドを探しても間に合わない計算になる。

高速道路上での停止は重大事故に繋がりかねないが、営業に応募する石油会社がなければ手の打ちようが無い。


最終手段として自治体や役所、公的事業者などが高速GSを営業する手段もあるが、現在は検討されていません。

奇妙な事にガソリン需要は毎年減少しているのに、自動車の保有台数は毎年増え続けています。

低燃費化と走行距離減少が、ガソリン需要減少の主な原因になっているのが分かります。


ガソリン需要は最盛期の6147万Kリットルから、5063Kリットルに減少したと最初に書きました。

減少率は17%に過ぎず、ガソリンスタンドが半減するほど消費量は減っていなかったのです。

GSが半減した理由としては、80年代頃のブームで増えすぎていたのが最大の要因とされています。


場所によっては100mの間に3軒以上もGSが並んでいたのは、どう考えても多すぎました。

第2の理由は過当競争と増税、安全設備でガソリン1リッター当たりの利益率が減少した。

1990年代には1Lあたり10円以上の利益が在ったそうですが、現在は2円以下だそうで、なるほどやってられません。


軽自動車に30L給油して利益は30円か60円で、100円ショップで駄菓子を売ったほうが儲かる。

今後の見通しですが、ガソリンそのものの需要減少はゆっくりとしたものであり、今後も急速には進みません。

従って過当競争が収まって、ガソリンの利益率が回復したら、GS閉店ラッシュも収まるのではないでしょうか。


GSと反対に増えているのがEVの急速充電所で、2009年はほぼゼロだったのが2019年に7600か所になりました。

ただ2016年まで充電所は急激に増えていたが17年以降はゆっくりとしたものであり、今後急速には増えない。
http://www.thutmosev.com/archives/43917925.html

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2019年06月09日
今から30年後の田舎 インフラや商店がなくなり無人化が進む
「パッとしない田舎」の多くが今後30年で過疎化する


自分の町が消滅集落になる日

総務省の予想によると、2040年代に東日本や四国のほとんどでは、人口が1割以上減少している。

たっだ1割なら良いんじゃないかと思えるが、その頃には若者は半減して高齢者が倍増しています。

日本創成会議によると全国自治体の半数が、出産可能年齢の女性が現在の半分以下になっている。


具体的には現在「市」以上の栄えている街を除く、町や村のほとんどで子供の数が半減している。

その一方で都市化が進むので、県庁所在地や主要都市の減少ペースは遅く、人口が増える場合もある。

40年代の田舎では今は当たり前に存在するものが次々に消滅し、無人化が進行します。


まず利用客の少ないコンビエンスストア、郵便局、銀行、スーパーのような物が徐々に減ります。

数年前まであったドラッグストアとかクリーニング屋とか、ATMや保育所も一つづつ消えていきます。

今の無人駅は廃止され、今のバス停は整理されてなくなり、予約制のコミュニティバスとかに置き換えられる。


不便な場所にある団地(なぜかニュータウンという名前が多い)が日本中でどんどん廃墟化しています。

昭和50年代に20代で入居した人は今60代後半で、子供たちは引っ越して高齢者だけの集落になっています。

今現在パッとしない田舎や不便な団地は、2040年代にはすべてゴーストタウンか無人になっている。


今の田舎は30年後に無人かも知れない

田舎では車が必須だが、ガソリンスタンドがなくなるのでEVが走り回るようになる。

ATMや銀行や郵便局もなくなるので、田舎でもキャッシュレス化が進み支払いをオンラインで済ませる人が増える。

幼稚園や保育所や学校がないので、たとえ田舎が好きでも子供が生まれた夫婦は都会に引っ越していきます。


日本の農業人口は4%くらいですが、他の先進国は2%前後で日本より自給率が多いので、今後20年で農業人口は半減するでしょう。

こうして田舎の人口は減少しつづけるが、2050年代にはこの減少も止まるのではないかと考えます。

農業人口が2%を割ると必要な食料を得られなくなるので、国は今度は補助金を出して若者に農業を奨励するようになる。


日本の田舎は水源地で都市の上流にあるので、もし田舎の自然が荒廃したら都会も人が住めなくなります。

田舎や無人地帯でも災害防止や自然保護で一定の労働者が必要なので、完全な無人地帯というのは存在しません。

ただ山々に点在する集落はほとんど消滅し、コミュニティという意味では存在しえません。


これが20年から30年後の日本の田舎の姿で、今田舎に住んでいる人は将来も住み続けるのか考えた方が良いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80059173.html


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2019年05月04日
田舎からコンビニが無くなると昭和の生活に戻る

コンビニがなくなると便利なサービス全てを失い、昭和以前に戻る


画像引用:日本のコンビニサービスについて | SITA - Study in Japan Guide - http://si-ta.com/ja/in-japan/convenience-store/

生活インフラをコンビニに依存するリスク

コンビニエンスストアの24時間をめぐって本部とオーナーが対立しているが、問題点は他にもいろいろある。

ATMや公共料金支払い、公的文書の受け取りや、保険などの契約手続き、宅急便の発送などコンビニが生活インフラになった。

この結果コンビニがある地域とない地域で生活レベルに大差が生まれ、コンビニが無い場所は郵便も出せずお金を引き出せない。


銀行は経営が悪化したので高コストのATMを減らそうとしていて、今後短期間に半減します。

ATMは人件費削減と利便性向上のため始まったが、1台年間1000万円以上の維持費がかかっています。

銀行員を一人立たせておくより安いかも知れないが、有名都市銀行では「1回500円以上の手数料を貰わないと赤字」と言っています。


日本全体でATMは約2万台あり、維持に年2兆円もかかっているので、銀行はATMを廃止したくてしょうがない。

集客力があるコンビニのATMは最後まで残るが、田舎にポツンとあるような「キャッシュコーナー」は廃止・統合されます。

すると数年以内に日本中で、コンビニ以外の田舎のATMの多くが撤去されるだろうという予測ができます。


公共料金の支払いとか手続きも、コンビニ以外では郵便局・銀行や役所でできるが、9時に開いて5時に閉まり、サービスによっては3時で窓口が閉まる。

コンビニがある・なしで生活が激変し、コンビニがなくなるのは昭和に戻るのと同じになります。

われわれの生活は気づかない間に、ここまでコンビニに依存するようになりました。


コンビニがなくなった世界

コンビニは知らない間に公的な役割を担うようになったが、一方でコンビニはただの民間業者にすぎない。

利益がでなければいつでも閉店するし、住民や自治体のためにサービスをする義務はありません。

多くのコンビニはオーナーとフランチャイズ契約をし、オーナーが経営者になっています。


オーナーとコンビニ本部は5年か10年の契約を結び、契約期間が満了したら閉店する事になっている。

もし店に利益が出ていたらオーナーが再契約するか、本部の直営店として生まれ変わる可能性もあります。

コンビニを取り壊してまた同じコンビニを建てたり、一度閉店して再度開店しているのはこうした契約の事情かもしれません。


いずれにしても人口減少でコンビニに利益が出ず閉店するとき、自治体や住民は全く口出しできません。

今後20年で日本の半分の自治体では若い世代の人口が半減しますが、過疎化した自治体ではコンビニ売上を維持できません。

くしの歯が抜けるように田舎のコンビニは閉店していき、昭和に逆戻りしたような生活が始まります。


そうなる前にコンビニがなくなっても、サービスを続けられる仕組みを作る必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/79730913.html


これからは、コンビニとガソリンスタンドが無くなった所から無人地帯になっていきます。

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日本人は地方を見捨てるのか。
2024年、少子高齢化で認知症が這い回る地獄絵図となる=鈴木傾城 2018年9月20日
https://www.mag2.com/p/money/530806
少子高齢化の問題を真剣に考えている人は少ない。日本人の半数が大都市圏に住んでいるため、その深刻さを理解できないのだ。日本をあきらめた地方の悲惨な現状を知っても、まだ見て見ぬふりを続けられるだろうか。

都会の人は気づかない。急増する買い物弱者、団塊世代の認知症…

日本を終わらせる「超少子高齢化」

2018年9月16日、総務省は「日本の総人口に占める70歳以上の割合が2,618万人となり、初めて日本の人口の2割を超えた」と報告している。団塊の世代が70代に達しているのだ。65歳以上で見ると3,557万人で、日本の総人口比の28.1%である。

一方で出生数の方は、200万人超えだった1974年以後から明確に減少の方向にあり、2016年にはとうとう100万人を割って97万6,978人になってしまっている。

高齢者が極端に増え、子供が極端に減っている。まさに、超少子高齢化が進んでいる。また、人口の自然増減率を見ると2007年から一貫してマイナスを記録するようになった。

これらのデータから、日本は3つの危険な事態が進行しているということが分かる。

1. 高齢者が増え続けている
2. 子供が減り続けている
3. 人口も減り続けている

高齢者が増えて、子供が減って、人口も消えていく。日本が静かな危機に直面している。

高齢者が増え続ける国にイノベーションは生まれない。子供が減り続ける国に活力は生まれない。人口が減り続ける国に成長は見込めない。

少子高齢化は日本を崩壊させる致命的な病苦なのだ。そろそろ日本人は、これから生々しい「日本の崩壊」を現実に見ることになる。

日本人のほとんどは少子高齢化という病魔に無関心

社会・文化・経済における「日本の崩壊」があるとしたら、その原因となる確率が最も高いのは、間違いなく少子高齢化の進行だ。

しかし、日本人のほとんどは少子高齢化という日本を蝕む病魔に無関心だ。まるで他人事なのだ。なぜなのだろうか。それは、半分以上の日本人が「少子高齢化をまったく実感できていない」ことにある。

なぜ実感できないのか。それは、日本人の人口の半分が三大都市圏(東京圏・名古屋圏・大阪圏)に暮らしており、この三大都市圏に暮らす人たちは「日本人が減っている」ということに肌で気づかないからでもある。

総務省統計局「国勢調査」及び国土交通省「国土の長期展望」がまとめた資料を元に、総務省市町村課が作成した『都市部への人口集中、大都市等の増加について』の資料を読むと、この三大都市圏に住む人たちの割合はさらに増えていき、都市部の人口集中がこれからも続くことが示されている。

一方で、三大都市圏以外の地域は着実に人口減となる。2050年までに、現在、人が居住している地域の約2割が無居住化し、国土の約6割は無人化すると分析されている。

人口の半分以上は三大都市圏に暮らすので、少子高齢化はまったく実感できていないのである。だから、地方がどんどん死んでいくのに無関心のまま放置されている。

日本崩壊の過程が人口動態から透けて見える

この現象を見ると、日本の崩壊はどのように始まるのかは明確に見えてくるはずだ。

「都会に住む日本人が無関心のまま最初に地方が死んでいき、やがて都市部もまた少子高齢化に飲まれて崩壊する」

これが、人口動態から見た日本の崩壊の姿である。少子高齢化という病魔は、「地方」という最も弱いところを破壊して壊死させてから、都市部に侵食していくのだ。


増え続ける「買い物弱者」

最近、地方で買い物ができずに孤立する「買い物弱者」の問題が表面化しつつある。

地方は人口が少ないので、そこでビジネスをしても割が合わない。だから地方に進出するビジネスは少ないし、逆に地方のビジネスはチャンスを求めて都会に向かう。

仕事が消えれば、若者も消える。地方に残されるのは常に高齢層である。高齢層は消費が弱い。だから地方の個人商店は売上が上がらず、店主の高齢化も相まって次々と廃業を余儀なくされていく。

地方で暮らすというのは、不便と隣合わせである。都会ではどこにでもあるファストフード店やコンビニも採算が合わないので進出しない。


そこに今まであった個人商店さえも消えていくのだから、地方ではモノを買いたくても買えない人たちが大量に出現しているのである。

地方は、もはや買い物すらできない陸の孤島に

2015年の経済産業省調査では、こうした60歳以上の買い物弱者数は700万人いると試算している。

若年層であれば、こうした環境であっても「インターネットで買い物すればいい」と考える。しかし、高齢者はそんなわけにいかない。

高齢層は年齢層が高くなればなるほどテクノロジーから疎くなり、インターネットの基本さえ分からない。

それだけではない。人口が減り、出歩く高齢者も減っていくと、交通機関も赤字経営となって維持できない。電車は走らなくなり、バスの路線もなくなり、交通はいよいよ不便になる。


銀行も、病院も、郵便局も、赤字経営になれば撤退していくしかない。当然のことながらATMもない。

そうなれば、地方は陸の孤島も同然の状態となり、いくら郷土愛が強くても、そこで暮らしていけなくなってしまう。こうした状況が延々と続いており、少子高齢化によって状況は悪化するばかりだ。


自然災害からのインフラ復旧すら危うい

ファストフード店もない、コンビニもない、個人商店もない、交通機関もない、銀行もない、病院もない、郵便局もない。少子高齢化はそうやって地方を「壊死」させてしまう。

人口が減り、高齢化し、やがて消えていくのだから、地方が再生できると思う方がどうかしている。

昨今は地震やゲリラ豪雨や台風と言った自然災害も大型化しているが、地方がこうした自然災害に被災していくと、やがてはインフラの復旧ができなくなる可能性も高い。

インフラが消えれば生活環境は極度に悪化する。地方は再生よりも荒廃に向かう。


見捨てられた高齢者が認知症で這い回る地獄絵図

2018年、「70歳以上の割合が2,618万人となった」と総務省は発表したというのは冒頭でも書いたが、気がかりなのは2024年には日本で最も人口の多い団塊の世代がすべて「75歳以上」となってしまうことだ。

認知症は75歳を過ぎると急激に増えていく。2024年から認知症は大きな社会問題として見えるようになっていく。2026年には高齢者の5人に1人が認知症患者となる。これは患者数にすると約730万人である。

日本の地方は病院も介護施設もなくなっている。だとすれば、あと10年もしないうちに、見捨てられた高齢者が認知症で這い回る地獄絵図が発生したとしてもおかしくない。実際、そうなると危惧する人もいる。

地方の人々は日本をあきらめた

少子高齢化に叩きのめされ、地方は疲弊し、荒廃し、そして見捨てられた。そして、地方の人々はもうこの状況が改善できないことを悟り、再生をあきらめ、日本をあきらめた。

しかし、都会に住む日本人はまったくそのことに気づいていないか、気づいても無関心のままである。これで日本はこれからも大国でいられると楽観的に思える人はどうかしている。


日本を愛し、日本の未来を憂うのであれば、日本最大の国難は少子高齢化であると強く認識しなければならない。もう手遅れの一歩手前まで来ている。


危機感が共有できていないうちは何も始まらない

少子高齢化が日本を破壊する時限爆弾になっているという意識は、まだ日本人全体に共有されていない。そして、危機感もまた希薄だ。

すでに少子高齢化が地方をじわじわと殺している現状にあっても、国民の半数は三大都市圏に住んでいるので、まるで他人事のように「見て見ぬふり」をしている。

しかし、少子高齢化によって税収が減っている上に、高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。

少子高齢化の放置によるツケは、年金受給年齢の引き上げ、年金の削減、医療費負担の増大、税金の引き上げ……という見える形で、日本人全員にのしかかってくるようになっている。


人口動態から見ると、少子高齢化問題は解決するどころかより深刻化してしまうわけで、もう日本人はこの問題を無視できないところにまできていることを認識すべきなのだ。

自滅へのトロッコに乗った私たちにできること

最初にやらなければならないのは、とにかく「少子高齢化が日本を自滅させる」という共通認識を持ち、これを広く周知して国民の意識と議論を高めていくことだ。

危機感が共有できていないから問題は先送りされてきた。ここで少子高齢化の危機感が共有できなければ、日本は破滅的な結末を迎えてしまう。

この危機感が共有できたら、出生率を上げるためにどうするのか、地方をどう救うのか、少子高齢化を解決するために税金はどのように配ればいいのか、政治家は何をすべきなのか、社会はどのように変わるべきなのか、すべての議論が進んでいくことになる。

危機感が共有できていないうちは何も始まらない。だから、「少子高齢化による日本の崩壊」という未来が見えた人は、まず最初に日本を救うために「大変なことが起きている」と叫ぶ必要がある。もう時間がない。



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増え続ける災害と少子高齢化が、地方の崩壊と荒廃をもたらすのだ │ ダークネス:鈴木傾城 2018.09.13
https://bllackz.com/?p=4853

異常気象が年々ひどくなっているというのは、今に始まったことではない。そして災害が巨大化・凶悪化しているのも今に始まったことではない。

たとえば、日本はすでに熱帯化している。

最高気温が35度以上は「猛暑日」と呼ぶのだが、最近は35度どころか、40度を超えるような日がいくらでも観測されるようになった。時には「東南アジアよりも暑い」と言われる日すらもある。

この暑さの中で日本を悩ましているのが「ゲリラ豪雨」だ。熱帯地方には「スコール」という現象があるのだが、ゲリラ豪雨はスコールに相当する。

ゲリラ豪雨が発生すること自体が、日本が熱帯化していることを意味している。

しかし、日本には季節がある。灼熱の夏が終わると、秋が来て冬が訪れる。では冬は暖かいのかと言えば、それがまるっきり逆で厳寒になる。豪雪で身動きが取れなくなる。

2018年1月は東京でも大雪が降って交通機関が麻痺したこともあったが、夏はゲリラ豪雨、冬は豪雪が日本列島を襲いかかる時代になっているのである。

なぜ、こんなことになっているのか。

以前から言われているのが「地球温暖化」なのだが、その理由は人間の自然破壊なのか、それとも自然環境の変化なのかはともかく、「何らかの理由」で海面温度が上がっているのは間違いない。

これによって温められた海面から蒸気が上がり、豪雨や豪雪となって降り注ぐ。温暖化が止まっていない以上、災害が巨大化していくのは避けられない時代に入っている。

多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある

日本は4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国であり、世界でも類を見ないほどの地震大国である。いつでも、どこでも地震は発生する。

30年以内には、死者最大32万人になる南海トラフ巨大地震さえも起きることが「予測」されている。日本というのはそのような国なのである。

多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。

財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていくのではないか。

政府も自治体も財源が無限にあるわけではない。少子高齢化によって税収が減っている上に高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。

そんな中で災害の起きた場所が過疎か過疎に近い地区だった場合、もはや建物や壊れたインフラの復旧ができなくなる場所が出てきたとしても何ら不思議ではない。

つまり、人口の少ない地方、交通の便の悪い地方は、いったんインフラが破壊されるような災害に見舞われたら、再生不可能になる危険が高まる。限界集落などは被災した時点で、地域ごと捨てられることになる。

少子高齢化と増え続ける災害は、地方の崩壊と荒廃をもたらす危険性はかつてないほど高まっている。

政治家は、空虚な言葉で「地方の再生」や「国土強靭化」を叫ぶが、本当の意味で地方の再生や国土強靭化を成し遂げたいのであれば、20年計画で少子高齢化の解決のために全精力を傾けることであると気付く必要がある。

根本に少子高齢化対策があって、そこに「地方の再生」や「国土強靭化」を絡めなければ日本には未来がない。このままでは、災害が起きるたびに地方は死んでいく。(written by 鈴木傾城)

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2018年09月09日
移住者が多い田舎ほど栄える理由

観光客や移住者がもたらす金は過疎地にとって非常に大きい


画像引用:円空の里 なごみ村キャンプ場 | ZAQおでかけガイド https://sasp.mapion.co.jp/f/glean/0/29446/sh728170/29010689_2601_1.jpg

田舎が衰退した原因は自由貿易

日本はこれから少子高齢化で急速に人口減少し、東北地方は半減するとも予想されています。

人口減少のしかたには違いがあり、都市部はあまり減少せず過疎地ほど減少し、廃村が続出します。

まず山奥の村が廃村し、次いで山里が廃村、次に平野部の農村人口が半減します。


山から平野へ人口が移動していき、大都市は最後まで人口減少がゆっくりと進む。

なぜこうなるかはお金の流れで決まっていて、過疎地は都会から金を得て成立してきました。

日本の都会は明治から昭和には、炭鉱や食料や木材など生活物資の大半を田舎から買っていました。


江戸以前は木炭が主要なエネルギーで建築資源は石と木しかなく、それらは田舎にしか存在しなかった。

旧石器時代から昭和まで田舎は都会に資源を供給し、見返りを受け取ることで発展してきました。

ところが1980年ごろから貿易自由が本格化し、外国から何でも輸入し始めました。


木材や地下資源や食料や水すら外国から低価格で輸入したので、田舎は資金源を断たれて貧困化しました。

これが日本の地方の衰退を引き起こし、人口減少の原因になりました。

山里や山間地は今では都会で売るものがなくなってしまい、生活ができなくなったので衰退しています。


観光客や移住者がもたらすお金

そこで解決策になるのは「都会から田舎に金を移動させる」ことで、何かを売るか都会の人に来てもらうことになる。

野菜や木材を売っても大した金にはならないが、都会の人が田舎に遊びに来るだけでかなりのお金を使います。

例えば一人5000円使うとしてひと夏に1万人が遊びに来たら村には5000万円もの金が落ちます。


それが春夏秋冬と繰り返されて、毎年リピーターが来たら、年間数億円のお金がもたらされます。

年数回遊びに来る観光客だけでこれだけのお金が移動するのだから、移住者はもっと多くの金をもたらします。

人間一人が移住すると数百万円のお金が都会から田舎に移動し、移住した人が働いたり消費してまたお金が増えていきます。


さらに田舎に住んで都会で仕事をするタイプの人は、毎年数百万円もの金を田舎にもたらします。

現在はネットで完結する職業もあり、住むのは田舎だが仕事はネット上という人も増えています。

都会から田舎に移住した人は田舎で起業して観光客を呼び寄せたり、仲間の移住者を増やします。


すると相乗効果でどんどん移住者や仲間が増えていき、都会から田舎にお金が移動していきます。

これからの田舎や過疎地はこういう事をやらないと、やがて人口ゼロになり揃って廃村に成りかねません。
http://www.thutmosev.com/archives/77409693.html


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2018年09月05日
ゴーストマンションの未来? 湯沢リゾートで現実に
住民が減り高齢化すると多くの問題が起きる


画像引用:http://livedoor.blogimg.jp/jnrz34/imgs/a/9/a9676e5c.jpg

老朽マンションは最後にどうなる

今後大量に顕在化する老朽マンションはどうなるのか、もしかしたら湯沢は東京の近未来なのかもしれない。

多摩ニュータウンなど高度成長期に建設されたニュータウンは、住民の高齢化でオールドタウンになりつつある。

山を切り開いたような不便な場所にあるので子供たちは通勤に便利な場所に住んでいる。

残った老人ばかりになったニュータウンは、都市近郊でありながら限界集落になっている。

都市部でも高度成長期からバブル期に建てたマンションが老朽化し、今後耐用年数を迎える。

実際には補修や修繕を適切に行えば50年はおろか100年でも使えるのだが、そうできない事情がある。


入居者が一定以下に減ると修繕積立金はおろか管理費も集まらなくなり、日常的な保守費用も出なくなる。

すると管理や清掃が行き届かなくなりさらに入居者が減り、最後は家賃も払えない高齢の滞納者だけになる。

一足先にそうなっていると言われているのが新潟県越後湯沢のリゾートマンション群です。


湯沢では1990年台前半のバブル期に無数のリゾートマンションが建設されたが、バブル崩壊で需要がなくなりました。

数百万から数千万円で売り出された物件は、現在では10万円以下のものが常に数十件売りに出されています。

中古価格が10万円以下になったマンションでは、平穏な生活を営むのが難しくなる。


湯沢リゾートマンションの最後

最初リゾートマンションとして分譲されたが価格が下がると高齢者が購入し、現在は高齢化率が40%を超えている。

そういう人がつぎつぎになくなるので”事故物件”が増えてますます中古価格が安くなっている。

湯沢マンションは分譲なので家賃はないが、管理費と積立金で4万円以上かかる事が多い。


管理費を滞納すると差し押さえられて競売に掛けられるが、競売の基準額(開始価格)は1万円になっている。

管理組合は自分で競売にかけた物件を自分で入札し、1万円から数十万円で落札している。

これにはコストがかかるがそんな面倒な事をする理由は第一に、競売に掛けることで管理費滞納者を追い出せる。


第二に「反社会組織」に落札されると面倒なことになるため、自分で落札したうえで不動産屋を介して購入者を募集する。

その手の組織に購入されて占拠されると、管理組合を乗っ取られて組合が集めた積立金を横取りされてしまう。

数百戸ものリゾートマンションの修繕積立金は数億円もなっているので、組織はこの金を狙って乗っ取りを仕掛けるのです。


ここまで住民の質が低下すると再建は困難だが、安い住居が欲しい人は居るので一定の需要がある。

首都圏の老朽マンションや限界ニュータウンも、最後はこんな状況になるかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/77424954.html



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2018年07月17日
田舎移住はアパートや団地がある程度の田舎が良い

本当の過疎地では、移住者を受け入れる準備がない


画像引用:長野県生坂村 移住者田舎体験ハウスhttp://www.village.ikusaka.nagano.jp/images/muradukuri/mura.jpg

限界集落に移住してはいけない

若い人を中心に都会から地方に移住する人が増えているそうで、良い事だと思いますが、限界もあります。

移住を進めるサイトの中には、山間地や農村の美しい風景を掲載している場合がある。

イメージ画像としては良いが、本当にそのPCの待ち受け画像みたいな場所に住むと問題も起きます。


そうした過疎の村は数百年も孤立してきたので、他からの移住者を想定しておらず、準備もできていない。

例えば移住してきて朝ゴミを出そうとしても、「ゴミ捨て場」があるとは限らない。

地域のゴミ捨て場は自治会とか組合の所有物で、移住者は勝手にゴミ捨てできず、自治会には代々暮らしてきた住人しか入れない場合がある。


地方でもそこそこの都会では当たり前のことが、限界集落や過疎地では当たり前ではない。

自治会とか組合は曲者で、役員はやはり代々住んでいる地域の有力者が独占しています。

限界集落では働き先は農家以外では公共事業の建設会社、役所、公的機関、学校や郵便局やインフラ関係くらいです。


警察や役所を頂点としたピラミッド型の階級社会の場合が多く、移住者は一番下に位置付けられます。

こういう地域で都会からやってきたITエンジニアが暮らすのは、あまり快適ではないでしょう。


アパートがある程度の田舎

では田舎は全部だめなのかといえば、「アパートや団地がある程度の田舎」なら他からの移住者が多く、面倒くささが少ない。

ゴミ捨て場は最初からあって自由に使えるし、町内会は嫌なら入らくても良く、実用上は困らない。

大きな団地が近くに存在するなら、職場もあるだろうし商店もあり、買い物場所や様々な公的機関、民間機関もあるでしょう。


本物の限界集落には商店は一軒もなく、一番近いコンビニは車で片道2時間で、夜は閉まっていたりします。

極端な田舎で困るのは競争とか市場原理が働かないので、選択の自由がなくなる。

たとえばプロパンガスの取次店とか食品店とか、その店の対応に納得できない部分があるとします。


たとえ期限切れの食品を平気で売っていたとしても、他に商店がなければそこで買うしかないのです。

こんな時に苦情をいったり訴え出たら、その人は地域の厄介者になってしまい、村八分にされるかも知れません。

悪いのは向こうでも、こっちが頭を下げてお願いしなくてはならないのです。


アパートがたくさんあって大きな団地があるような田舎では、田舎なりの競争があるので市場原理も存在します。

都会から移住するなら、まずはそうした「適度な田舎」のほうが良いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/76847040.html


移住先はリゾートマンションか別荘地のどちらかにしておいた方がいいです
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八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/
  
さて一昨日の土曜日
天下泰平さんとこのドームハウスで移住セミナーやってますた。
皆様、都内からたくさん来て頂きありがとうございますた。

いや、それにしても素敵なドームハウスでしたね。

ドームハウスといえば日本では


ログハウスのBESS
https://www.bess.jp/index.html


という輸入ログハウスの会社が有名です。

でも、輸入材なので日本の気候に合ってなくて必ず結露とか雨漏りの問題が出て来る。

でも泰平さんのドームハウスは全て国産の資材で作られているそうです。
だからそういう問題が出ない。
ドームハウスとしては全て国産資材というのは初だとのことでした。

ちょびっとその模様を載せときます。

外見はUFOみたいなとこで中は素敵な空間ですた。

暖房なしでも暖かかった。


さて、これは当日の補足です。

ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。

八ヶ岳の西側。

茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。

エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


エコーラインの超えられない壁。

これはこの辺りでは有名な話です。

役場でも聞きました。

エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。

そう聞きました。

例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。

そういう話が昔からあるようです。

とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。

八ヶ岳エコーラインとはここですね。
http://golden-tamatama.com/


Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


以下は、ワタスの持つエコーラインから下の現地住民のイメージ図です。

ほーっほほー


例えばこんな感じです。

例えばワタスが原住民エリアを散歩する。
良い風景ですねぇ。

ニコニコ。
笑いながら散歩してると。

バタッ、バタッ。
一斉に辺りの窓が閉められる。

よそ者が来た。
よそ者が来たぞ。

窓の奥で小さく囁く声が聞こえる。
そして監視している人々の目線を強く感じるのですた。

うーん。
まるで全身スキャンされているようだ。。

爪さきから脳天まで鋭く指すような目線を感じるのですた。


例えばです。
都内からカフェに来たお客さんがいる。

良い空気ですね〜

そういって何も知らないで、ニコニコと犬を連れて散歩する。
で、途中、畑の真ん中でワンちゃんが糞をする。

大自然の中、犬だって開放的になる。
自然の生理現象です。

別にアスファルトの上なら糞の処理もするでしょう。
でもこんな畑のあぜ道でほっといたって肥料になるだけでしょう。

そうやって放置して過ぎ去ったら、500mも過ぎた場所で

あんたあそこで糞させてただろう。
拾ってけ!
そのように現地住民にドヤされるのですた。

ガクガクガクガク。
ってあんた、ずーっと遠くから望遠鏡で監視してたの?

そんな風なエリアなのですた。

原住民の口コミ速度は光ファイバーより早い。

よそ者が来た!
そういう情報があっという間に広まって限界体制がひかれるのですた。


ワタスの場合、そういう危険エリアだと露知らず、真っただ中でカフェなどをやってしまいますた。
今となっては後悔しかありません。

カフェの場所は非常に分かりずらかったせいもあり

金玉カフェどこですか。
金玉さんって、どこですか。

辺りの原住民にそう聞きまわってやってくる読者さんが結構いますた。

玉蔵さん!
いやー
やっと見つけますたよ。

5軒以上聞きまわってやっとみつけますた。
いや、見つかって本当に良かった。

そう目を輝かせてワタスの手をとって喜ぶ読者さん。

こ、この野郎。。

こんな危険エリアで金玉、金玉などと言いふらしやがって。。
このスカポンピャン!!

その読者さんをぶん殴りそうになったのを覚えています。


とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。

そういうお話をしますた。

という訳で笑いあり涙( ;∀;)ありのお話ですた。
http://golden-tamatama.com/

田舎暮らしの真実を語ろう! 10/29(土) タッキー&玉ちゃん 移住セミナー開催!

さて、最近は田舎暮らしに憧れる人達も多いと聞きます。

以下は移住先人気ランキング。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html


おほぉ!

なんとワタスの住む長野県、そしてしょっちゅう行く山梨県。
ランキングツートップ1位2位ではないですか。


そうですか。
ワタスは人気県に住んでたのか。

ワタスはこんな人気になる前に人に先駆けて人気ナンバー1の県に住んでいる。
人が羨む田舎暮らし。
くほほほ。

別にワタスは長野は適当に決めただけなんですが。

なんてワタスは幸せなんだ。
ありがとうございます。
ついてる。ついてる。

先ほどまで斉藤一人さんの教えを呟いていますた。

とかなんとか。

さて、しかし。
移住希望ランキング1位の長野県。

移住先の人気になることは嬉しい。
しかし、こう言ってはなんだが。。

先に移住した者として語らなければいけない真実がある。

確かに田舎に行けば素晴らしい景色、綺麗な空気、おいしい食べ物。
素敵なスローライフが待ってる。

でも、そういう幻想を抱いているあなた。

気を付けないと大変な目にあう。
移住で苦労したくなければ事前に知っとくべきことはかなりある。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html

地方消滅 田舎暮らしの真実 その2
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


さて、昨日は長野、山梨は移住ランキング 1位 2位と載せたのですが。

以下は全国空き家率ランキングです。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html

実は、なんと長野県や山梨県は空き家率でも全国1位2位なのですね。


え?
長野、山梨は移住先人気1位2位なのになんで空き家率トップ?

矛盾している。
なんでしょうこの矛盾したデータは。

そう。

この意味するところ。
言いにくいことですが。


地方消滅。。


以下、元総務大臣で岩手県知事などを経験した増田氏の著書です。
全国に衝撃を与えたと言われる著書です。


地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也 中央公論新社 2014-asyuracom-22
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4121022823/asyuracom-22/


これから全国1742の地方自治体のうち、ほぼ半数の896市町村が消滅する。
今後の日本は地方が消滅し都市部だけに人口が集中する。
人口が点在する極点社会になる。

データを元にしてそう書かれた本です。


以下は国土交通省が出した今後の日本の人口推移グラフです。
ご存じのようにこれから日本は急減に人口が減ります。

日本の現在の出生率1.41%。2100年には人口 5000万人になるのでした。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


実はここまでの人口減少を経験する国はないと言われています。

大抵の国はここまでなる前に移民を入れたりする。
移民を受け入れない国でも子供を急激に増やす政策を打ちだして人口減少に歯止めをかけている。

でも、日本の場合どちらもやってないのでした。

フランスやスウェーデンは事実婚制度をすすめて子供が増えた。

ちなみに、知らない人が多い事実ですが、
日本は、生まれる数より堕胎する数の方が多い。

日本の場合、戸籍制度が縛りになって子供が増えない。
結婚の半分はできちゃった婚なのに、戸籍制度が縛りになって入籍するより堕胎を選ぶ人が多い。

フランスやスウェーデンは事実婚制度を推奨してから子供が増えた。

で、何もやってない日本は急激に人口の減る一方なのでした。

そして長野県、山梨県は10年後20年後には無人化するところが多いのでした。

以下は先日撮影した長野県の限界集落です。


長野県限界集落レポート - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iCw48Xp18HA


この動画は以下のルートで撮影しました。
八ヶ岳の麓。

富士見町から茅野あたりまでの20号線沿いを走ってます。

どうでしょうか。
見ると非常に寂れた街並みです。

この地域は、長野の中でも空き家率2位の場所です。
限界集落がどういうものか分かると思います。

Wiki 限界集落

中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。


実はワタスはこの20号線沿いでカフェをやってました。
その時、ワタスは多くの人達から何度も言われたのを覚えています。

玉ちゃん。
原村や茅野はエコーラインから下は住んじゃダメだよ。
あそこは移住者が住む場所じゃないよ。

ワタスは移住してまもないのでそんな場所とは露知らず。
カフェなどやって非常に苦労したのでした。


ワタスが最初に感じた違和感。
近くの温泉に行った時のことでした。

いたるところに

「オムツは捨てないで下さい。」

そういう張り紙が貼ってあったことを覚えてます。

オムツ?
こんな温泉で赤ちゃんのオムツを捨てたりするのか。。

何たるマナーの悪さ。
もうちょっとこの地域のお母さん方の教育をした方が良い。

そう思ってたのですが。


もちろんオムツとはジジババのオムツのことですた。

ガーン。

住民の平均年齢75歳。
移住して最初に感じる幻滅。

ダメだこりゃ。。

希望溢れる移住者は最初にここで打ちひしがれます。

ジジババ天国。

そこは驚くほど完全閉鎖的。排他的です。
現住民は外からの刺激を完全シャットアウト。

よそ者にはきてほしくない。
よそ者のあんたにゃわからない。

このキーワード。

決まりきったジジババサークル以外は誰も寄せ付けない。

地方には新しい取り組みをしたがる若者がいたりする。
移住者が何か新しい取り組みをしたりする。

でも村に住む保守的な老害が潰してしまう。
前例がない。
その言葉で大抵、何もやらない。

その地方では自民党系議員と土建屋だけが栄えてるだけ。
良くあるパターンです。
なんの新しい取り組みもアイデアも出ないので産業もなにも作りだせない。

で、若者は出て行く一方。
もちろん外部からもだれも寄り付かない。


随分と前に商店はシャッターを下したままだ。
そして最近スーパーが閉鎖した。
バスも来ない。
電車もかなり昔から1時間に一本。

かなり前から子供もいないので学校は閉鎖しました。
そして郵便局が消え、しまいには交番が消え。
最近、唯一繁盛していた病院が消えた。
今、繁盛してるのは火葬場だけです。

長野や山梨はそういう場所がいたるところにある。

それが空き家率ナンバー1,2の理由でした。

移住者はこんな場所には間違っても行ってはいけないのでした。


そういう場所は今後10年〜20年で70歳代の排他的ジジババも自然消滅する。

限界集落を越えて消滅集落。
これから20年以内にインフラ自体が消えてなくなっていくのです。


もちろん移住は楽しい。
美しい景色、美味しい野菜。
そういうハッピー移住ライフを目指すなら、
移住前にちゃんとした情報を仕入れましょう。

という訳で何年も前に引っ越したワタスは移住のリアル。
良いとこも悪いとこも語る話は多い。

こういう話はいくらでも書くことがあるのでまた続きを書きましょう。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html



▲△▽▼

八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html
ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。

八ヶ岳の西側。

茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。

エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


八ヶ岳エコーライン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


エコーラインの超えられない壁。
これはこの辺りでは有名な話です。役場でも聞きました。

エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。

そう聞きました。

例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。

そういう話が昔からあるようです。

とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。


八ヶ岳エコーラインとはここですね。Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U

とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html


に書かれている様に、原住民と接触しなくても良い別荘地内に住んだ方がいいです:

yodogawa3169さん 2015/05/19 01:02:38

セルフサービスのスタンドを除いて、山梨では、★ガソリンの価格★が他府県ナンバーの車は高い単価になります。

洗車も、他府県ナンバーは吹っ掛けられます。

慣れたらそんな物かと諦めますが。

あの有名な遊園地は、
地元民に無料で開放の日があります。
美術館などの入場料も地元民は無料です。

もし、京都や横浜でそう言う事をしたら、 観光客は怒りますよね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534

ID非公開さん 2015/5/18 15:29:48

春に山梨に転居してきました。パートですが、職場の雰囲気に馴染めず悩んでいます。

妙にそっけなく無視されているようです。それでいて、体調不良で休みをとると

「どんな病名?」「どこの病院いった?」「先生は誰?」「どんな薬?」

などプライベートな領域にズカズカ入ってきます。
いきなりそんな事聞く!?と引いてしまうのは私の感覚がおかしいのでしょうか!?


mobilat74さん 2015/5/18 15:41:25

山梨には都市部・山間部を問わず「無尽」という風習があり、無数の閉鎖的サークルが点在しているような土地柄です。

酒や女といった欲求から、お金の融通、祝い事、留守番から介護といった、およそ人間が生活していくうえですべての面倒をみてくれる、濃厚濃密な人づきあいです。
山梨の人は必ず、たとえルンペンであっても、自分の生活エリアの無尽にいくつか所属しています。

あなたが職場の雰囲気に馴染めるようになるのは、その職場の無尽に入ってからです。質問が多いのは、あなたを無尽に入れるかどうかの鑑別です。

入れるなら入った方がいいでしょうね。
山梨で無尽に入らず、生活できた人を知りませんので…。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534


山梨県限定の秘密の風習「ムジン」って何なの? - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2134979873440847801


山梨県民が楽しみにしている「無尽」の習慣って一体何? [2013/04/14]

「無尽」は「無尽講(むじんこう)」「頼母子講(たのもしこう)」とも言う


山梨県には「無尽(むじん)」という独特の習慣がある。無尽とは月1回程度、特定のメンバーで集まって食事や飲み会をすること。そして、その時に食事代とは別にお金を出し合って積み立て、メンバーが順番に使ったり、グループの目的のために役立てたりすることをいう。なぜこのような独特のシステムが生まれたのだろうか。

助け合いの精神から生まれた独特の習慣

「無尽」は、鎌倉時代に始まった庶民同士の融資制度が始まり。冠婚葬祭などまとまったお金が必要になった時、お互いに助け合うために作られたという。それなりの頻度で集まり、しかもお金が絡んでくるとなると、メンバー同士の信頼が必要になる。その点、山梨県は昔から住民同士のつながりが強く、このような独特の習慣が発展したようだ。

その後、金融サービスが発達して融資し合う必要はなくなったが、既に生活に根づいていた仲間で集まるという習慣は残った。現在では積み立てをする人たちもいるが、必ずしもお金を出し合うわけではなく、特定のメンバーでの定期的な飲み会を無尽と呼んでいる人も多いという。

人間関係が希薄な時代の貴重なつながり


おいしい料理とお酒を前に笑顔があふれる


そんな無尽、実際にはどんな形で行われているのか、地元の人に聞いてみた。まず参加している無尽の数は平均1〜3つ。付き合いが多い人は10、20も参加する人もいる。しかし、最近は人間関係が希薄になり、どの無尽にも属していないという人も増えているという。

メンバーは学生時代からの友人や職場の友人、趣味の仲間など気の合う人同士というのが基本。男性同士、女性同士、同年代が多いと思いきや、「草野球の無尽」「カメラ仲間の無尽」など趣味の集まりになると、幅広い世代が集まることもあるそうだ。

無尽を行う場所は、居酒屋やレストランが多いという。しかし、休みの日などはキャンプに行ったりバーベキューをしたり、食事をしたあとスーパー銭湯でリラックスしたりと、様々な形で行われている。場所決めは、持ち回りの幹事が行うことが多い。

女性の無尽は、いわゆる女子会的な雰囲気。食べたり飲んだりが好きなメンバーだと毎回場所にもこだわり、話題のおいしい店で行うことが多いとか。ちなみに、無尽は夜に行われることが多いが、家庭を持っていたりお子さんがいたりする女性でも、「無尽だけは特別」と家族が快く送り出してくれるそうだ。

積立金はみんなで有意義に使う


融資制度の名残で、積み立てをするグループも


積立金の場合は、その日集まったお金を各メンバーがローテーションで持って帰る形が主流。例えば、メンバーが5人いて1人1万円払うとすると、合計5万円を1人が持って帰るということになる。使い道はそれぞれに任されているので、貯金をする人もいれば欲しかった物を買う人もいる。

一方、目的を決めて積み立てをするグループもある。例えば、旅行好きの集まりならば、目標金額がたまったらそのお金を使ってみんなで旅行するという具合。あるいは、毎回食事代を少し多めに徴収して積み立てていき、忘年会でパーッと使うというケースもあるという。いずれにしても、細かくは仲間同士で話し合って決めるそうだ。

山梨県の飲食店は「無尽承ります」

山梨県の居酒屋やレストランの看板やホームページには、他の地域ではあまり見られない「無尽承ります」という文言が記載されている。それだけ無尽が根づいている証拠と言えるだろう。次は、そんな「無尽承ります」を掲げている山梨県甲府市・笛吹市の居酒屋「北海屋」に話を聞いてみた。


「北海屋」のホームページには「無尽承ります」の文字が明記されている


北海屋では、月に20件ほどの無尽が行われるそうだ。いろいろなグループが訪れるというよりも、無尽の常連さんがいて、例えば「毎月第3土曜日は、北海屋で無尽」と決めて同じグループが訪れることが多いという。そのため常連さんから予約が入ると、お店の方は「また無尽だな」と分かるそうだ。

人数は5〜10人でそれほど多くないので、メニューはお店に来てから決めるグループがほとんどだという。北海屋は、すしや刺身など新鮮な海の幸を中心に、バラエティに富んだメニューを提供している。それぞれ好きなものを注文して、気の置けない仲間とのひとときを楽しむそうだ。

ちなみに北海屋スパランド店は、宿泊できるスパ施設が併設されているため、泊まりで無尽を行うグループもいるという。これなら飲んでも安心、心ゆくまで楽しめるということで、こちらの店を利用する人も多いそうだ。


無尽があるからがんばれる! 生活の張り合いに

山梨県の珍しい習慣「無尽」。単なる飲み会とも言えるが、無尽によって楽しみが増えて充実した生活を送っているという人が多いそうだ。定期的に気の合う友人に会い、おいしい物を食べて飲む。そして次の無尽の約束をする。何げないことのようだが、こうやって仲間とつながっていることで毎日頑張れるのだという。

また、人とのつながりが薄れがちな高齢者も、無尽に参加することによって生活に張り合いが出るという人も多い。たくさんの無尽に参加している人ほど長生きするという話もあり、生きがいにつながっているようだ。

基本的には特定のメンバーで行われるため、県外の人はなかなか参加できないが、知り合いなどがいれば一度参加させてもらってみるといい。もしくは、居酒屋などで無尽らしき会が行われていたら、その様子を眺めてみたりするのも面白いかもしれない。
http://news.mynavi.jp/news/2013/04/14/027/

afurika_careさん 2012/7/12 16:56:50

山梨県のことをどう思いますか?
現在山梨県に住んでますが人間も短気で性格がキツいし最悪。
給料安い。仕事もロクな仕事が無い。車が無いと不便極まりない。
早く転勤したいです。

yamairaniranさん 2012/7/18 08:29:22

・山梨県をどう思うか → 今まで住んだ中で最悪(甲府よりも県内の田舎に行くほどひどいと感じる)

・県民性→
排他的
県内と県外に分けたがる
盆地だからか古めかし~い地区の冠婚葬祭を今だ続けている
会社まで休まされる
自慢話が好き
妬み僻みがすさまじい
ケチが多い


・給料→
安い
大企業は他県へと移転したり、そもそも大企業があっても工場であり、数も限られている

・仕事→
土木建築関連が県の予算も多く公共工事が県の主な産業なのだろうか?
販売系も愛想が悪い
デパートの店員にタメ口で話された経験有
・・・デパートもメジャーなデパートなし


・不便→
そのとおり
バス高いし本数ない
車がないと不便極まりない
運転も運転マナーも良くない
選択肢がすべてにおいて少なすぎる
全てにおいてレベルがお粗末

siettela_siettelaさん 2012/7/17 02:11:41

他県から山梨に来た者ですが正直な所、一ヶ月で嫌気がさしました(笑)
色んな地方に住みましたが、こんなに嫌だと思ったのは初めてです。

まず、車がないと生活出来ない。バスは料金が高いし、中心街に住んでるわけじゃないので電車も殆ど来ないです。

自然はいっぱいですが、遊ぶ所が殆どなく、場所によってはかなり過疎っていて寂れてる感じです。店も閉まってる方が多かったりします。

人間性ですが、他の所から来た人を快く受け入れず、よそ者と言うくくりでずっと扱います。隣町から移り住んで何十年経っていても、よそ者扱いされてる人もいるぐらいです。

あと、とにかく自慢話が凄いです。永遠に聞かされます。そして他県をけなします。とくに都会の人をけなします。

やたらと『若いってよく言われる。いくつに見える?』と聞くジジババが多かったです(笑)大抵、年齢より上に見えるんですが…。

噂話好きで、よくデカイ声で井戸端会議してます。早朝からです。田舎時間なのか、朝早くに悪びれる事もなく訪ねて来ます。

いい人もいるけど、気が強く、押し付けがましい人が多い気がします。

あと、うちの地域だけなのか、やたらと募金だのイベントだの、お札代だのとお金を集めに来ます。

いい所は自然いっぱいで景色がいい、果物が豊富で野菜も新鮮。ぐらいです。

本当に仕事がないです。給料も安いです。早く引っ越したいです。

japan2012okさん 2012/7/15 12:47:36

山梨県について思うのは・・・住みたくないと言う事です

過去に日本国内、とある島を含め数箇所住みましたが、
ここまで嫌な思いや、不便、理不尽を感じたことは山梨のみです。

旅行で行くぐらいなら良い所かもしれません
しかし、住むと質問者様が書かれている事がピッタリ当てはまる場所だと思います

質問者様が他の都道府県から来られた方ならあまりの田舎に驚かれたことと思います。

わたくしも他の都道府県から来ましたが長年「いつか慣れる」と思ってたのですが
いまだに慣れません。
住みにくい生き辛い場所だと思います

ただの田舎ならのどかで良いのかもしれませんが

山梨県は県民性が都会などでもまれてる人が少なく、田舎の価値観そのまま、自分と山梨中心の価値観を押し付けてきます

さらに他人の家庭やあらゆることにズケズケと平気で口を挟みます

地域には噂大好き田舎人が必ずいて、誇張した噂を流す人がいます

井の中の蛙のような人間がたくさんいます

自分と自分の(東京・埼玉・熊本・大阪・神奈川)から来た友人達の感じる山梨県は
地縁、コネ、都会に対する妬み、やっかみ、嫉妬深さに損得勘定に見栄っ張り

黙ってはいられないのかすぐ大声で口をはさむ、人の話を聞かない頑固さ

山梨に来て良かったことがこれといってないどころか、早く他に引越しをした方がよいという感想です。

仕事もスキルが高い人は少ないです

恐らく元々のスキルが高い人は東京や大阪など大都会に本社のある会社に就職しているでしょう
そして優秀な成績の子供達は山梨以外の大学へと県外に出ているでしょう

ですから山梨にどうしても帰らなければならない理由がある人以外はあまり山梨にすまないのではないでしょうか

山梨から出れないで過ごしている人も多いです

進学しないとか、就職も山梨県民お得意のコネ頼みなど

仕事も大手企業はありませんし、山梨県民が自慢する仕事は「役所」「地元地方銀行」「教師」の3点ぐらいなものです

車がないと身動き取れません
街つくりも下手ですよね、いちいちアクセスが悪すぎ

風景も綺麗というよりは特に冬場は悲しくなりますよ、
枯れた山に木が四方に見えますから廃墟みたいに感じます

仕事で来られた方も都会から来て山梨が嫌で、途中から単身赴任で子供や奥様が戻られるケースもあります

まあ、個人的には住みたくない県です
今後も人口は減るんじゃあないでしょうか?

もともとの山梨県民の中にも都会暮らしを経験した方は、山梨の不便さを嫌ってる人もいますし近所関係の深い深い関わりが苦痛だと言ってる方もいますので

住んでいる人々が悪いのではなく地形的にこのようになってしまったのでしょうね

東京と埼玉、東京と神奈川、大阪と奈良、滋賀と京都、などのように日々、日常的に他の県民と会ったり通勤通学ができる場所であったら、ここまで排他的で狭い視点の県民性にはならなかったかと思われます

早く転勤が決まればいいですね

ryghm962さん 2012/7/14 20:34:19


様々なところで地方生活を送りましたが、一番肌には合わなかったですね。

地方は不便、これは共通の課題(魅力とも捕らえられますが)です。

ただ、とにかくエゴイストが多すぎますよね。
それは人の性格のみならず、街づくりにも垣間見られます。

石和は温泉資源を持ちながら、街並はバラバラ。
どこも「うちさえ売れれば」の雰囲気で、情緒的な「温泉街」としての街並は最悪。

表面・無駄な見栄張りの重なりは県民性を表してますよね…


cat2jpさん 2012/7/13 16:36:29

私も転勤で、甲府に暮らしたことがあります。

正直、田舎コンプレックス丸出しの人たちが多いと思います。
良い思い出の無い街でした。

食べ物もまずいし(私の口には合わなかった)、飲み屋もロクなのないし、
女の子もブス(私好みの女性がいなかった)ばっかりだし。

早くイイところに転勤できるといいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1390577563

hm_luxuryさん 2014/3/16 23:12:46

仕事で山梨県にきてます。かわってる人が多くいる印象です。
悪口ばかり言ってるし(こそこそ)仲いいのかわからない会話している。
横浜出身ですが、このようなこと感じたことないから。同じ境遇の方いますか?

kokutetsuakajiさん 2014/3/17 01:53:05

ああ、それが山梨県民ですよ。
早く出世して山梨から脱出した方がよい。

私は逆に山梨から神奈川へ出た人間ですが、神奈川って、なんとまあ人間の質が素晴らしい県かと思ったけど、その後いろんな土地に住み、いろいろな都道府県の出身者と関わってみると、悪い意味で山梨が特別だということがよくわかりました。

残念なことに今はまた山梨で暮らしていますが、山梨出身でも山梨以外を知ると二度と帰りたくないと感じるのが山梨(県民)です。

育った場所なので、風景や自然は懐かしく感じますが、県民とは関わりたくない、そういう県です。

日本にはこういう地域もあるんだなと、勉強のつもりで頑張ってください。
必ず、山梨を出る日はきますから。

プロフィール画像

springkp1677さん 2014/3/20 11:06:06


旦那の仕事の都合で東京から山梨にきました。

最初の一年マンションに住み、その後会社近くの一戸建てを購入したのが大間違い。
マンションに居る時は気が付かなかったのですが、めちゃくちゃ住民の性格が悪いですね。

人の悪口言いまくり。常に誰かを仲間外れにしないと気が済まないみたいです。
お年寄りだけならまだしも、若い人も他県出身というだけで敵対視します。

私は東京で生まれ育ち、色々な県民の方との交流がありましたが、山梨県民最悪です。
我が家は旦那の定年をもって山梨とはおさらばする予定です。

プロフィール画像

pomery_popさん 2014/3/18 22:06:24


自分も仕事で山梨県に来ました。

典型的な山梨県民ですね。
仲良さそうに接しててその人が居なくなった途端に悪口・陰口を言う…。

あと、山梨県外から来た人にはいじめ、嫌がらせ等する山梨県民もいるので気をつけて下さい。
いい人もいるけど、全体的に自己中・傲慢・陰湿・ケチでセコい人が多いと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12122591922



▲△▽▼

『人口減社会の未来学』から - 内田樹の研究室 2020-03-18
 ちょうど2年前に『人口減社会の未来学』という編著書を出した(文藝春秋、2018年)。寄稿者は常連の平川克美、小田嶋隆のほかに、池田清彦、平田オリザ、ブレイディみかこ、姜尚中、藻谷浩介ら錚々たる論客。私が序論を書いた。
 この文中の「人口減」を「コロナウィルス禍」と書き換えても、ほとんどそのまま使えるということに気がついた。そのつもりで読んで頂きたい。
 
 人口減社会の未来を予測する書物は、本書を含めて、これからいくつも出版されると思います。このような国民的な問題については、できるだけ多くの書き手によって、できるだけ多くの知見が示されるべきだと思います。未来はつねに霧の中です。霧の先にどういう風景が広がっているかについては、確定的なことを言える人は一人もいません。ですから、論者の数だけ未来像が語られることになる。この場合、予測される未来像が違えば違うほど、僕たちが書き出さねばならない「心の準備」のリストは長大なものになります。

 ところが、僕たち日本人はこの起こるかも知れないことについて「心の準備をする」ということがどうも大変に苦手らしいのです。上の依頼文の中で、人口減社会の未来予測は「世界各地で同時多発的に、いくつもの領域で始まりつつある」と僕は書きました。たしかに海外では数年前から「脱成長論」や「定常経済論」が重要な論件になってきています。でも、日本社会にはそれが喫緊の論件だという切迫感がまだありません。それが不思議です。なぜなら、日本は世界で最初に超少子化・超高齢化のフェーズに突入する国だからです。かつて世界のどんな国も経験したことのない、歴史上前例のない局面に踏み込む。にもかかわらず、「その時何が起きるのか?」についての予測がなされていない。僕のような経済学とも人口学とも制度論ともまったく無縁の人間が「こんな本」の企画の編者に呼ばれるのは、率直に言えば、専門家がこの議論を忌避しているからです。「人口減社会の予測や対策は専門家にお任せください。素人さんが出しゃばることないです」と専門家が言ってくれるなら、僕だって心配しません。そもそも僕のような素人のところにこんな企画が回ってくるはずがない。でも、現に僕は「こんな文」を書いている。この事実そのものが、日本人が人口減社会に対する備えができていないことを証拠立てています。

 もう一度言いますけれど、僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。「嫌い」のなのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。

 戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。

 人口減そのものは天変地異ではありません。自然過程です。キャリング・キャパシティを超えた人口膨張に対して、人類が生き延びるために無意識的に選択しつつある集団的な行動です。

 70億という人類の総人口はどう考えても地球環境への負荷としては過大です。それでも、22世紀までは人口はさらに増え続けます。2050年には97億人、2100年には112億に達すると予測されています。それだけの人口に対して、エネルギーや食糧や水や医療や教育資源を安定的に供給できると思っている人はたぶんいないでしょう。現在でさえ、世界では8億人が栄養不良状態にあります。9人に1人が飢えている。それにもかかわらず、世界人口はこれから30年でさらに30億人、1年一億のペースで増え続けます。

人口が際立って増えるのは、インド(4億人)、ナイジェリア(2.1億人)、パキスタン(1.2億人)、コンゴ(1.2億人)、エチオピア(9千万人)、タンザニア(8千万人)、アメリカ(7千万人)、インドネシア(6千万人)、ウガンダ(6千万人)などです。

これらの国々において、30年後は今より政情が安定し、経済が好調で、民心が穏やかになっていると予測するためにはよほどの楽観が必要でしょう。これ以上の人口増を受け入れるだけの体力は(アメリカを除いて)これらの国々のどこにもありません。ですから、地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。先進国はどこでも(アメリカを除いて)これから人口減局面に入ります。22世紀にはアジア、アフリカを含む全世界が少子・高齢化、そして人口減局面を迎えます。これは「誰の身にも起きること」なのです。まずそのことを認めるところから始めないと話になりません。

 誰の身にも起きることであるわけですから、早晩どこの国もそれに対する備えを始めなければならない。でも、最も早くその危機に遭遇する日本では、なぜかそれに対する備えが始められていない。人々はそのことについては考えないようにしている。駝鳥が砂に頭を突っ込むように、危機の接近に気づかないふりをしている。人口減社会の実相についての具体的な考察に入る前に、僕は序文においてこの日本人の集団的無能についての予備的な考察をしたいと思います。少し長い話になりますけれど、ご容赦ください。

 先日、毎日新聞が「縮む日本の先に」という座談会を企画しました。「人口減がなぜ深刻な問題なのか、どのような課題に、どのように向き合っていけばいいのでしょうか」という記者の問いに、ある人は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」と回答しました。ある人は「人口が減っていくと『衰退宿命論』が社会に広がっていく。すると、なすべき対応を忘れ、社会は転落する」と回答しました。別の人は「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」と回答しました。その後、個別的な議論になって、東京一極集中から地方分権へ、定年制の延長と高齢者の就労促進、年金支給年齢の引き上げというような当たり障りのない意見がぱらぱらと出た後、最後に政治家が(福田康夫元首相でしたが)「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と冷たく突き放して座談会は終わりました。

 ここから知れるのは、人口減社会に対して、行政のどの部署が対応策を起案するのか、その提案の適否は誰がどういう基準に基づいて判断するのかについて、今の日本にはまだ何の合意も何のルールも存在しないということです。「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」というようなことを行政の専門家が今頃(自分にその起案責任があるのではないかという自覚をまったく欠いたまま)言っているという事実に僕たちはもう少し慄然としてよいと僕は思います。
「最悪の事態」に備えてさまざまなプランを用意するということを日本人は嫌いますけれど、それはかなりの程度まで日本人の民族誌的奇習だと思います。とりあえずアメリカは違います。

 前にも書いた話ですけれど、手ごろな傍証なのでまた引かせてもらいます。『エアポート77/バミューダからの脱出』(1977年)というパニック映画がありました。ジャンボ機がハイジャックされ、バミューダ海域で故障して水没する。アメリカ海軍が救難信号をキャッチして現地に急行し、ジャンボ機を乗客ごと引き上げるための大規模な救助作戦が始まる・・・という「あらすじ」を書いただけで「よくあるパニック映画」だとわかると思います。さしてサスペンスも盛り上がらず、爽快感もない凡作なのですけれど、それを休日の昼間に寝転んで見ていて強い違和感を覚えた場面がありました。それはジャンボ機の引き上げ作業(それは海底に沈んだ機体に風船をくくり付けて浮かび上がらせるというものなんですけれど)を始めるに当たって、艦長が「それだと作戦第何号だな」と言って、艦橋のロッカーを開けて、そこにびっしり詰まっている作戦実施要領ファイルの中から一冊を抜き出し、艦内放送で「これから作戦第何号を実行する。なお、これは演習ではない」と告げた場面でした。僕は思わずテレビ画面に向いて「おい」とつぶやいてしまいました。「海底30メートルのところに乗客ごと沈んでいて、浸水し、酸素がなくなってきたジャンボ機を風船で浮かせる」オペレーションに特化したマニュアルがあって、乗組員たちはその演習をこれまで何度か繰り返して来ているという設定があまりに非現実的なものに思えたからです。でも、このシナリオがユニヴァーサル映画の企画会議を通って、1000万ドルの製作費が出たということは「こんなご都合主義の設定はいくら何でも客が怒り出すだろう」と言った人がユニヴァーサルにはいなかったということを意味しています。

 僕はこの時に「危機」というものについての考え方が日米ではずいぶん違うのだと思いました。「ふつうは起きないこと」を網羅的に列挙し、それぞれについて逐一対応策を用意しておくことをアメリカ人は「無駄」だとは考えない。むしろ、「誰も思いつかなかったような最悪の事態」を思いつき、それに対処するプランを立案できる能力にアメリカ社会は高い評価を与えるらしい。

「カタストロフが過去に一度も起きなかったということは、それが将来において決して起きないということの根拠にならない」という命題は(デイヴィッド・ヒューム以来)英米の知性にはおそらく深く内面化されている。「これまで起きなかったこと」はこれからも起きない蓋然性が高いけれど、それはあくまで蓋然性に過ぎない。蓋然性の見積もりに主観的願望を関与させてはならない。これがおそらくはアングロ=サクソン的知性にとっての「常識」なのです。でも、これは日本では常識ではありません。日本では話がみごとに逆転します。起こる確率の低い破局的事態については「考えないことにする」。それが本邦の伝統です。

 その傾向が最も極端なかたちで発現したのが、さきの大戦のときの大日本帝国戦争指導部でした。「これがうまく行って、これもうまく行けば、皇軍大勝利」という「最良の事態」ばかりを次々とプレゼンできる参謀たちがそこでは重用されました。もちろん現実はそんなに都合よくはゆきません。敗色が濃厚になってから後はほとんどすべての作戦は失敗しました。けれども、作戦が失敗した場合も、その責任はしばしば作戦起案者ではなく、現場の指揮官や兵士たちが指示通りに行動しなかったことに帰されました。作戦が成功すれば立案者の功績、失敗すれば実行部隊の責任。ノモンハン以来、インパールでもフィリピンでもずっとそうでした。
 
 ですから、作戦起案時点で、「最悪の事態」を想定する人間が出て来るはずがない。「もしプランAが失敗したらどうするんですか?」という問いは「そういう敗北主義が皇軍の士気を低下させて、作戦の失敗を引き寄せるのだ」というロジックでただちに却下された。

 先の座談会でも、四人の論者たちは全員が「悲観的になってはならない」という点では一致していました。確かに、その通りかも知れません。けれども、この場合に気をつけなければいけないのは、日本社会では「最悪の事態を想定して、その対処法を考える」という態度そのものが「悲観的なふるまい」に類別されるということです。だから、「そういうこと」をしてはならないと厳命される。悲観的になると人は「衰退宿命論」に取り憑かれ、「なすべき対策を忘れ」、そのせいで「社会は転落する」からです。

 危機的な事態に備えている人間は別に悲観的になっているわけではないと僕は思います(とりあえず『エアポート77』を見る限りではそうです)。でも、そういうふうに考える人間は日本社会では例外的少数であるらしい。というのも、たしかに彼らの言う通り、日本人は「最悪の事態」を想定すると、それにどう対処するかをクールに思量し始める前に、絶望のあまり思考停止に陥ってしまうからです。
 人口減は対処を誤ると亡国的な危機を招来しない問題ですけれど、それについては政府も自治体もまだ何も手立てを講じていません。どの部局が手立てを講じるべきかについての合意さえない。それは「悲観的になると、何も対策を思いつかない」という信憑がひろく世間に行き渡っているからです。現に、経験知もそう教えている。悲観的になると日本人は愚鈍化する。

 そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、日銀の「異次元緩和」も官製相場も、どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、どれについても関係者たちは一人として「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については一秒も頭を使いません。すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復・・・というような話を(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、被害を最小化するかという話は誰もしない。それは「うまくゆかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。そして、この論法にしがみついている限り、将来的にどのようなリスクが予測されても何もしないでいることが許される。

 その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部とマインドにおいてはほとんど変わりません。いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、そんな時に「責任者は誰だ」というような他責的な言葉づかいで糾明する人間はもういない。そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。だったら、いっそ破局まで行った方が個人の責任が免ぜられる分だけ「得」だ。それが「敗北主義が敗北を呼び込む」というロジックの裏側にある打算です。

 東京裁判の時、25名の被告の全員が「自分は戦争を惹起することを欲しなかった」と主張しました。満州事変についても、中国との戦争についても、太平洋戦争についても、被告たちは「他に択ぶべきはかれていなかった」と述べて責任を忌避しました。例えば、小磯國昭は満州事変にも、中国における軍事行動にも、三国同盟にも、米国への戦争にも、そのすべてに個人的には反対であったと証言しました。これに驚いた検察官は、なぜあなたは自分が反対する政策を執行する政府機関で次々と重職を累進しえたのかと問い詰めました。それに小磯はこう答えました。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、1964年、109頁)
 丸山眞男はこの証言を引用した後にこう記しています。「右のような事例を通じて結論されることは、ここで『現実』というものは常につくりだされつつあるもの或は作り出され行くものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこかから起って来たものと考えられていることである。」(同書、109頁、強調は丸山)

 被告たちは戦争指導の要路にありながら、自分たちが戦争という現実を作り出したということをかたくなに拒みました。戦争は人間の能力を超えた天変地異のように「どこから起って来たもの」として彼らには受け止められていたのです。それゆえ、その圧倒的な現実に適応する以外に「択ぶべき途は拓かれていなかった」と彼らは弁疏したのです。

 戦争がコントロール可能な政治的行為だとするならば、どのような理念と計画に基づいて戦争を始めたのかについての政治責任が発生します。けれども、「どこかから起って来た」天変地異的な破局であるならば、誰の身にもいかなる政治責任も発生しない。ですから、いささか意地の悪い見方をすると、戦争指導部の人々は敗色濃厚になってから後は「戦争が制御不能になること」をこそむしろ無意識的には願っていただろうと僕は思います。

 1942年のミッドウェー海戦で海軍はその主力を失い、もう戦争遂行能力はなくなっていました。ですから、その時点で講和の交渉を開始することは選択肢としては合理的でした(現に、木戸幸一や吉田茂らは和平工作を始めていました)。でも、例えば講和の条件として、大日本帝国の継続を認める代わりに、満州や朝鮮半島や台湾の植民地を手離すことを求められが場合、何が起きたでしょう。「誰が、何をめざしてこのような無謀な戦争を始めたのか? 国益を損なったのは誰だ?」というきびしい責任追求が行われたはずです。統治機構がまともに機能していて、国民生活が平常に送られていて、ジャーナリズムがまだ生きていたら、戦争指導部の責任が問われたはずです。その場合には、後に東京裁判で被告席に立たされることになった人たちの多くは日本人自身の手によって裁かれたはずです。でも、戦争が制御不能になり、統治機構が瓦解し、人々が戦火の下を逃げまどい、政治的意見を語る場も対話の場もなくなれば、事態があまりに破局的であるがゆえに日本人自身による戦争責任追及の機会はなくなる。人々はとりあえずその破局的現実に適応して、生き延びることに全力を尽くすしかない。そして、国運が決した以上、「自分の意見は意見、議論は議論」として脇に措いて、生き延びたものたち同士で手を取り合い、国を再建する事業に取り組む、それが「課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方」であるということになる。「一億総懺悔」というのはそういうことです。この破局は天変地異なのだから、そんな修羅場で「誰の責任だ」というような野暮は言うな、と。

 自分の手で敗戦処理ができるだけの余力がある間は(責任を問われるから)何もしない。ひたすら天変地異的な破局が天から降って来るまで(あるいは「神風」が吹いて指導部の無為無策にもかかわらず皇軍勝利が天から降って来るまで)手をつかねて待つ。

 この病的な心理機制はさきの敗戦の時に固有なものではありません。今もそのままです。手つかずのまま日本社会に残っている。現に、今もわが国の指導層の人々は人口減がどういう「最悪の事態」をもたらすのか、その被害を最小化するためには今ここで何を始めればよいのかについては何も考えていません。悲観的な未来について考えると思考が停止するからです。自分がそうだということはわかっているのです。それよりは無根拠に多幸症的な妄想に耽っている方が「まだまし」だと判断している。楽観的でいられる限りは、統計データを都合よく解釈したり、リスクを低く見積もったり、嘘をついたり、他人に罪をなすりつけたりする「知恵」だけはよく働くからです。そうやって適当な嘘や言い逃れを思いつく限りは、しばらくはおのれ一人については地位を保全できるし、自己利益を確保できる。でも、悲観的な未来を予測し、それを口にしたとたんに、これまでの失敗や無作為について責任を問われ、採るべき対策の起案を求められる。そんな責任を取りたくないし、そんなタスクを課せられたくない。だから、悲観的なことは考えないことにする。早めに失敗を認めて、被害がシステム全体には及ばないように気づかった人間がむしろ責任を問われる。非難の十字砲火を浴び、謝罪や釈明を求められ、「けじめ」をつけろと脅される。それが日本社会のルールです。システム全体にとっては「よいこと」をしたのに、個人的には何一つ「よいこと」がない。だったら、失敗なんか認めず、「すべて絶好調です」と嘘を言い続けて、責任を先送りした方が「まだまし」だということになる。

 これはバブル期の銀行経営において見られたことです。銀行経営者たちは不良債権のリスクを知りながら、自分の在任中にそれが事件化して責任を問われることを嫌って、問題を先送りし、満額の退職金をもらって逃げ出し、銀行が破綻するまで問題を放置した。彼らは早めに失敗を認めて、被害を最小化することよりも、失敗を認めず、被害が破局的になる方が「自己利益を確保する上では有利」だと判断したのです。

 どんな世の中にもそういう利己的な人間は一定数存在します。これをゼロにすることはできません。けれども「そういう人間」ばかりが統治機構の要路を占めるというシステムはあきらかに病んでいます。その意味で現代日本社会は深く病んでいます。(...)

 以上、個人的な愚痴をまじえて長々と書いてきましたが、僕が言いたいのは、要するに日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がないということです。ただ、誤解して欲しくないのですが、僕はそれが「悪い」と言っているわけではありません(そんなこと今さら言っても仕方がありません)。そうではなくて、どんな場合でも、日本人は「最悪の事態」に備えてリスクヘッジする習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避するという事実を勘定に入れてものごとを考えた方が実用的ではないかと言っているだけです。日本人というリスクファクターを勘定に入れておかないと適切なリスク管理はできない。そういう話です。車を運転する時に、ブレーキがよく効かないとか、空気圧が足りないとか、ライトが点かないとかいうことを勘定に入れて運転しないとえらいことになるのと同じです。「ちゃんと整備されていない車を運転させるな」と怒ってもしょうがない。それしか乗るものがないんですから。不具合を「込み」で運転するしかない。

 僕たちがこれから行うのは「後退戦」です。後退戦の目標は勝つことではなく、被害を最小化することです。「どうやって勝つか」と「どうやって負け幅を小さくするか」とでは頭の使い方が違います。

 勝つ時にはそれほど頭を使う必要はありません。潮目を見はからって、勢いに乗じればよい。でも、負けが込んできた時に被害を最小化にするためにはそのようなタイプの頭の使い方では間に合わない。もっと非情緒的で計量的な知性が必要です。

「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」というのは松浦静山の『甲子夜話』の言葉です(野村克也監督がしばしば引用したことで知られておりますが、もとは剣術の極意について述べたものです)。なぜ勝ったのか分からない勝ちがある。けれども、どうして負けたのか理由がわからない負けというものはない。勝ちはしばしば「不思議」であるけれど、負けは「思議」の範囲にある。だから、後退戦で必要なのはクールで計量的な知性です。まずはそれです。イデオロギーも、政治的正しさも、悲憤慷慨も、愛国心も、楽観も悲観も、後退戦では用無しです。ステイ・クール。頭を冷やせ。大切なのはそれです。

 これからの急激な人口減はもう止めることができません。それによって社会構造は劇的な変化を強いられます。いくつもの社会制度は機能不全に陥り、ある種の産業分野はまるごと消滅するでしょう。それは避けられない。でも、それがもたらす被害を最小化し、破局的事態を回避し、ソフトランディングするための手立てを考えることはできます。それがまさに「思議」の仕事です。(後略)
http://blog.tatsuru.com/2020/03/18_1003.html


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日本はもはや“人口時限爆弾”、危機的な8つの兆候―米メディア
http://www.recordchina.co.jp/b193935-s0-c30.html
2017年10月18日(水) 5時50分
2017年10月15日、騰訊網は、日本が「人口の時限爆弾」と化していることを示す八つの兆候を挙げた米メディアの報道を伝えた。

記事は、米メディア・ビジネス・インサイダーの報道を引用。「日本は今、経済学者が指摘する人口の時限爆弾に対処している」としたうえで、日本が「時限爆弾」化している兆候を8点紹介した。

一つ目は、100歳の人口が約6万8000人に上り、対全人口比が世界のどの国よりも高くなっていること。

二つ目は、大人用紙おむつの販売数が、乳幼児用紙おむつの販売数を超えていることだ。

三つ目は、2016年の日本での出生数が過去117年で最低レベルに達したこと。1899年に現行の方法で統計を取り始めて以来初めて100万人を切るとともに、死亡者数も約130万人と低い水準になっているとした。

四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を病院や介護施設に送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。

五つ目は、刑務所が高齢者介護施設と化していること。日本では約5分の1の犯罪が高齢者によるもので、その多くは万引きである。高齢者の犯罪率が上昇するのに伴い、刑務所が事実上の高齢者施設になっている。看守たちの仕事が、高齢の受刑者の入浴などを補助することになっている、と記事は紹介した。

六つ目は、低い出生率で、これが続けば3776年8月12日には日本の人口がゼロになる計算だという。

七つ目は「もし40歳までに互いに結婚していなければ、私たち結婚しよう」という友達同士の会話が、日本では往々にして現実になること。

八つ目は「長時間労働による過労死が増えていること」を挙げている。いずれも人口問題に悩む日本の現状を表現したものだ。(翻訳・編集/川尻)

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>四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を病院や介護施設に送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。


最近は10万円で叩き売られている湯沢のリゾートマンションもそういう用途で買われていますね:

四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を湯沢のリゾートマンションに送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。

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内田樹 2017年07月31日 地方移住の意味するもの
http://blogos.com/article/237706/

先日、奈良の山奥の集落で、都会から移住してきた若者たちと話し合う機会があった。

都市住民の地方移住は3・11以来途絶えることなく続いているが、メディアはこれを特に重要なことだとは考えていないらしく、ほとんど報道されることがない。総務省も国交省も農水省も、この動きには特段の関心を示していない。そもそも今のところ、地方移住については公式の統計さえ存在しない。

2015年末に毎日新聞が明治大学の研究室と共同調査を行い、2014年度に地方自治体の移住支援策を利用するなどして地方に移住した人が1万1735人であることを報じた。それによると、09年度から5年間で地方移住者は4倍以上に増えたという。ただし、これは自治体の移住支援を受けた移住者だけの数であり、行政の支援を受けずに移住した人たちがおり、アンケート未回答の自治体もあるので、移住の実態は明らかにされないままである。

私はメディアと政府のこの無関心にむしろ興味をそそられる。過疎化・高齢化による「地方消滅」という危機的事態の切迫を考えると、若者の地方移住をどうやって支援するかということは国家的な急務だと私には思われるからである。だが、そのような熱意を政府やメディアから感じとることはない。なぜか。

そのときのトークセッションのテーマは「10年後の地方移住」というものであった。

集まってきた人たち(若者ばかりではない)はそれぞれの仕方で地方移住を果たした人たちである。住民たちと親しくなり、高齢の農業従事者からは「地域の農業文化を絶やす事なく継承して欲しい」と頼られるようになり、それなりに質の高い生活を営めるようになった。あと数年は「こんな感じ」で暮らしていけるだろう。けれども、10年後にはどうなっているのだろう。今のような生活がこの先10年後も20年後も維持できるのか。それについて意見を聴きたいと言われた。

私の見通しは明るいものではない。だから、こんなふうな話をした。

いま、みなさんが村落共同体のメンバーとして迎え入れられたのは、限界集落化という地方の窮状ゆえである。かつての村落共同体は、都市からやってくる「ニューカマー」たちに対してそれほど宥和的ではなかった。村の閉鎖性が解除されたのは、「このまま人が減り続ければ集落が消滅する」という危機感がリアルなものとなったからである。

だから、当然のことだが、移住者に対して最もフレンドリーなのが70代以上の高齢者で、それより年齢が若くなるほど移住者に対して距離感を持つということが起きる。同じことをいくつかの場所で聞いた。そうだろうと思う。「まだ時間がある」と思えば、見ず知らずの部外者の助力を求めるまでもなく、自力で何とかしようと考える。「もう時間が残されていない」と感じる人は「藁をもつかみ」、「猫の手」も借りたいと思う。閉鎖的な村落共同体の扉が緩んだのは高齢者たちが抱くこの危機感ゆえである。

だが、このような「チャンス」は長くは続かない。というのは、「脱都市」志向は文明史的な出来事だから、これからも続く者が出るだろうが、「限界集落消滅寸前」という事態にはタイムリミットがあるからである。

先日、私がある席で隣り合わせた岐阜県の人は、故郷の村はいま200戸あるが、子どもたちが引き続き村に住むと言っているのは2戸だけだと悲しげに語っていた。おそらくあと20年もすれば彼の故郷はほとんど住む人のない村になるだろう。

まだ集落としての体をなしているうちは移住者の受け入れもできる。だが、ある時点で、受け入れる主体そのものが消えてしまう。だから、地方移住はある意味で時間との競争なのである。このまま高齢化・少子化が進めば、20年後には「地方移住希望者をぜひ受け入れたい」と切望する集落そのものがなくなってしまう。諸君は「村落共同体の扉が一時的に開き、たぶん永遠に閉じる前の、ごく限られた時間帯」に地方移住を果したのである。そういう話をした。

気を付けなければいけないのは、地方の人口はなだらかな曲線を描いて減るのではなく、ある時点で一気に垂直に下降してゼロに近づくということである。先にあげた「200戸の集落が2戸になる」ケースを考えてみればわかる。2戸だけしか住人がいない集落にはもうバスも通らないし、学校もないし、病院もないし、警察もないし、消防署もない。住みたければ住んでもいい。

「そういう生き方」を自己責任で続けたいという人を止めることはできない。だが、同じ地方自治体の他の地域の住民と同じクオリティの住民サービスを行政に期待してはならない。そう告げられるだろう。住民が2戸だけの集落にバスを通したり、ライフラインを維持したりするコストを税金で分担することを、他の地域の住民は拒否するだろう。

だが、家族の中に子どもがいる場合は学校が近くになければ困る。介護看護を要するものがいる場合には病院が近くになければ困る。だから、人口減によって行政サービスが劣化した地域の人々は、生業を捨てて、「地方都市」へ移住することを余儀なくされる。

「コンパクトシティ」構想という国交省のプランは、この「里山から地方都市へ」という人口移動を利用しようとするものだと私は考えている。

たしかに、里山の住人たちを地方都市に呼び集めれば、一時的に地方都市は人口を回復し、消費活動も活発になるだろう。だが、それも一時的なものに終わる。そもそも里山の人口減は高齢化によるものである。高齢者を地方都市へ集めれば、地方都市が高齢化するだけの話である。彼らは年金や貯金の取り崩しによって、しばらくの間はいくばくかの消費活動を行い、介護など高齢者対象の雇用を創出しはするだろう。

だが、里山で営んでいた生業を継続することはもうできないし、新たに起業することも期待できない。そして、何年か経って、消費活動に特化したこの高齢者層が「退場」したあと、「コンパクトシティ」はかつての里山と同じステイタスになる。住民たちは「採算が取れない」という理由で、それまで享受していた交通や通信や上下水道や医療や教育や防災や治安のサービスを打ち切られる。

「採算が合わない行政サービスは廃止すべきだ」というロジックをかつて一度受け入れた以上、二度目も三度目も、受け入れ続けるしかない。かつて里山からコンパクトシティへ移住したように、今度は次の「もう少し大きい地方都市」への移住が促される。でも、やがてそこも人口減になる。すると、今度は「首都圏」への移住が促されるだろう。そして、最終的に首都圏に列島の人口の大部分が集まり、その外には「無住の荒野」が広がる。

「採算が合うか合わないか」ということを唯一の物差しにして、公共サービスの打ち切り・縮小を続けていれば、100年後の日本は「そういう光景」になる。

厚労省の中位推計によれば、100年後の日本の人口は約5000万人。今から7000万人ほど減って、日露戦争の頃の人口にまで縮減するのである。その5000万人が明治時代の日本のように列島各地に広く分布し、その頃のような穏やかな風景を取り戻すことになるのか、あるいは今私が描いたようなディストピア的風景になるのか、それはまだわからない。だが、経産省や国交省が描いている未来社会は「ディストピア」の方である。

前代未聞の人口減局面に立ち至って、まだ「経済成長」というようなことを言っている人たちなのだから、これからも「選択と集中」を呪文のように唱え続けるだろう。五輪や万博を招致し、カジノやアミューズメントパークを作り、リニア新幹線のような不要不急の土木事業に巨額の国富を投じ、「一発大当たりしたセクターからのトリクルダウン」を約束して、国民には増税や低賃金や私権の制限を求める。私は個人的にこれらの政策を「日本のシンガポール化」と呼んでいるが、政官財が日本の「明日の姿」として合意しているのはその方向と断じて間違いない。

シンガポールはご存じの通り、国是が「経済成長」であり、すべての社会制度は経済成長に資するか否かを基準に適否が決定される。だから、建国以来事実上の一党独裁であり、治安維持法によって令状なしで逮捕拘禁ができ、反政府的メディアも反政府的な労働運動も市民運動も学生運動も存在しない「世界で一番ビジネスがしやすい国」である。

然るべき筋に通じて、権力者によって「身内」認定されれば、面倒な手続きも審査も「岩盤規制」もなしに利益の多いビジネスが始められる環境のことをもし「ビジネスがしやすい国」と呼ぶのだとすると、本邦における森友学園・加計学園問題のプレイヤーたちがどういう社会体制を理想としているかはおのずと知れる。

地方移住する若者たちになぜメディアも行政も関心を示さないのか、なぜ里山をもう一度豊かな故郷に蘇生させようとする彼らの願いに対して国を挙げての支援体制を整えようとしないのか、その理由は以上の説明でだいたいご理解頂けただろうと思う。

地方移住者たちは直感的にそういう生き方を選んだ。それは経済成長が止まった社会において、なお「選択と集中」という投機的な経済活動にある限りの国富を投じようとする人たちに対抗して、まだ豊かに残っている日本の国民資源−温帯モンスーンの豊饒な自然、美しい山河、農林水産の伝統文化、地域に根付いた芸能や祭祀を守ろうとする人たちが選んだ生き方である。

先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』では、モルガン・スタンレーのチーフ・グロバル・ストラテジストという肩書のエコノミストが、経済成長の時代は終わったという「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどない」ことを嘆いていた。経済目標を下方修正しなければならないにもかかわらず、政治家たちは相変わらず「非現実的な経済成長を目標に設定し続け」ている。

中でも質の悪い指導者たちは「人々の関心を経済問題から引き離そうと、外国人をスケープゴートにしたり、軍事的冒険主義に打って出たりすることでナショナリズムを煽っている」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、2017年 第六号、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン、21−22頁)。

まるで日本のことを書かれているような気がしたが、世界中どこでも政治指導者たちの知性の不調は似たり寄ったりのようである。

だが、このエコノミストのような認識が遠からず「世界の常識」になるだろうと私は思っている。今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」を提示することである。若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。海外メディアがこの動きを「超高齢化・超少子化日本の見出した一つの解」として興味をもって報道する日が来るのはそれほど遠いことではないと私は思っている。

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山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171017T0213500900.html


日本は少子高齢化を放置してきたので、地方からどんどん寂れてしまっている。人口は急激に減少して、地方の僻地どころか、地方都市そのものまで人口が消えてマンションや民家に空白が増えている。

地方のこの惨状は、実際に自分の目で見て見ると「本当に日本はこのままで大丈夫なのだろうか?」と背筋に冷たい汗が流れるような恐怖に駆られる。

以前、広島の人口減で消えていく村や、廃墟になりつつある民家の写真を紹介したことがあるが、私は「人が消える」ということに居心地の悪い不安を隠すことができなかった。

これは実際に、誰もいなくなった限界村などを歩けば誰もが同じ不安を持つはずだ。もう一度、この写真を見て欲しい。それは「地方の死」に他ならないのである。

(滅びゆく地方の光景。やがてそれは日本の致命傷になる)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20150519T1709040900.html

私は東南アジアの多くの地方都市や何もない郊外を、野良犬のようにほっつき歩いてきたが、東南アジアで同じような不安を感じたのはインドネシア・モロ島くらいだ。

(不気味なインドネシア・モロ島と、打ち捨てられた村の女性)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20121031T0451180900.html


しかし今、改めて考えると不気味だと思ったモロ島以上に、日本の地方都市は人が消えて薄気味悪くなってきている。


2025年、「ついに東京都も人口減少」に向かう

私は一時期、地方のどこかに家を買って隠遁したように生きていこうと思ったことがあったのだが、実際に地方を回って過疎と限界集落の現場を見て止めた。

私は都会生まれの都会育ちなので、電気・ガス・水道・インターネット等のインフラが使えなくなったら日常生活が送れないと客観的に思っている。

もし、地方に家を買ってそこが限りなく過疎になったら、インフラが維持できなくなってしまう。そうなったら、私にできることは何もない。

だから、私は地方に住むのはリスクを抱えると直感して、以後は東京から離れる気をなくした。

何かのSF映画では、しばしば人類が絶滅して数人の人間が生き残って廃墟の街を歩くような場面が出てくる。

日本はあたかもその人類滅亡以後の世界を地方に作り出しているかのように見える。子供が消え、老人ばかりになり、やがてその老人も消えていき、最後に日本人全体が縮小していく。

その、じわじわと迫り来る未来に対して日本人が危機感を覚えないのは、人口の大多数が都会に住んでいることと、少子高齢化の現象はじわりじわりと進むので切実な危機感を覚えられないからである。

熱湯に入れたカエルは驚いて飛び出すが、じわじわと温度を上げていくとカエルはそのまま茹でガエルになる。それと同じ現象が日本に起きている。

都会に住む私たちはこの人口減を「田舎だけの話だ」と他人事のように思っているのだが、どのみちあと8年もしたら「ついに東京都も人口減少」に向かう。

2025年の日本は3人に1人が65歳以上となり、少子高齢化を解決することは不可能になる。不動産価格も全体的に崩落していく。

(マネーボイス:日本発地獄行き。「念願のマイホームを買う」という幸せゲームの末路)
http://www.mag2.com/p/money/314207


過疎化の地区がアメーバのように広がっていく絶望

東京は、どのような光景になっていくのだろうか。ぼんやりと、そのように考えていた時、ふと私の脳裏に浮かんだのは、「山谷」だった。

かつてドヤ街として知られ、日本中から労働者が集まって溢れんばかりの熱気にむせ返っていた山谷は、今や人々が消え、労働者も高齢化していなくなり、東京でありながら誰も関心を寄せない淀んだ空気の街となっている。

そこには昼間歩いても車の往来も人の往来もほとんどない。老いた人たちが目立つが、その老いた人たちですら少ない。

数年前に山谷を歩いた時に私が感じたのは、「この街は死んでる」というものだった。

2025年の日本が超少子高齢化によって活気を失っていくのだとすると、どのような光景をイメージしたらいいのか、私はその手がかりを現在の山谷に持っている。

今のまま少子高齢化の波を止められないというのであれば、東京は2025年以後、まだら模様に人口が少ないところから、今の山谷のようになっていくはずだ。

すでに東京では、26市1群や東京圏の外側からゆっくりと過疎が始まっている。

多摩ニュータウンも歯が抜けたように人口が消えており、今後は八王子市域や稲城市域でも人口減少に悩まされるようになっていく。

場所によってはすでに首都圏の過疎化が始まっているのだが、やがては過疎化の地区がアメーバのように広がっていき、あちこちで「都市内限界集落」のような場所が生まれていくことになるだろう。

家やマンションは買わない方がいいというのは、自分の住んでいる地域が過疎化して今の山谷のようになってしまう可能性もあるからだ。

資産価値が落ちるかもしれないのに30年以上にも及ぶローンで人生を消費しても仕方がないし、自分の住んでいる街が駄目になったら、さっさと住みやすいところに逃げられる身軽さを保つ方がよほどいい。

つい先日、平日の昼間に山谷に寄った。今の山谷がかつての熱気などまったくなくなっていることを写真から雰囲気を感じて欲しい。

泪橋を南下した都道464号線。昼間なのに人通りも少ないし、通っている車もそれほどない。誰もこの地区には用がないようだ。


テナント募集も「FOR RENT」もずいぶん古くなっているのが分かる。誰も入らない。山谷ではもはや「FOR RENT」すらもあきらめて見捨てられた建物もたくさんある。


ゴミを捨てるなと看板が出ているのに、そこにわざわざゴミを捨てている。そのまわりは誰もいない。


自転車に乗った高齢層が危なっかしくフラフラと自転車で大通りを走っている。危なっかしくても大丈夫だ。この大通りに車はほとんど走っていない。


作業衣を売っている店もあるが、もう商売をあきらめた雰囲気もある。労働者は高齢化して、誰も作業衣を必要としていない。


コンビニがあったが、利用しているのはやはり高齢者である。まだそれほど気温は低くなかったが、かなりの厚着をしている。路上に長い人は、厚着の傾向が強い。


道の奧まで見渡せるが、人がほとんどいないのが分かるはずだ。本当にこのあたりは人がいない。


「年金生活者、生活保護、保証人不要」を謳うのは大阪のドヤ街である「あいりん地区」と同じだ。高齢層の年金や生活保護費を狙うのが貧困街の貧困ビジネスである。


孤独な高齢者が、収容されているアパートから出てどこかに歩いていく。


見捨てられた建物。二階のガラスが割れている。もう誰も住んでいないのが分かる。


ドヤのひとつ「トキワ」。かなりの老朽化した建物であるのが分かる。


教会も老朽化している。ドヤ街にこうした教会が多いのは、貧困層の救済の意味もあるが、布教のためでもある。


三三ハウスは、労働者ではなく安い宿に泊まりたい外国人のバックパッカーのための宿だ。


個室は2200円、ドミトリーは1250円となっている。無料Wi-Fiも使えることになっている。


杖をついて歩く高齢層の姿もあった。この日、街に子供の姿はまったく見なかった。


いったいいつの店なのだろうか。氷販売……。まるで昭和40年代にでもタイムスリップしたかのような看板だ。


山谷の商店街「いろは会」も、昼間だというのにほとんど誰もいない。99%の店が商売をあきらめて店を閉じている。

アーケードの中。まったく活気がないのが分かるはずだ。シャッター通りなので、買い物に来ても何も買えない。


ただ、すべての店が閉まっているわけではない。雑貨屋のような店が開いていた。この店もまた古めかしい昭和の雰囲気がぷんぷんしている。


アーケードは撤去されるようだ。工事は平成29年5月からと書かれているが、工事が始まっている気配はまったくない。工事までやる気がないのだろうか。


この商店街のシンボルである「あしたのジョー」の看板がある。もはやジョーがいた頃の山谷と今の山谷はまったく違う光景になっている。


古めかしい旅館(ドヤ)だが、今でも健在だ。


空室あり。高齢化した労働者はドヤからドヤへと渡り歩くのではなく、年金や生活保護費をもらいながら、ドヤをアパートのように使っている。


自動販売機は70円だった。


かつての山谷は、このような建物がたくさん建ち並んでいたのだろう。この家もガラスが割れて見捨てられている。


この家も見捨てられている。恐らく家主が亡くなって、そのまま放置されてしまっているのだろう。


こうした見捨てられた建物が山谷にはあちこちに建っている。このあたりは日本堤なので、台東区になるが、東京23区でも見捨てられる土地は見捨てられるということだ。


人がいるのかいないのか、開いているのかいないのか分からない旅館も多い。


ここもまったく人の気配がない。ふと、私はゴーストタウンでも歩いているのか、という気分にもなった。


全室冷暖房が完備されて一泊2000円。月にすると6万円だから、年金だけの高齢者には厳しいかもしれない。


冷暖房が完備されているというのは、旅館の売りになっているようだ。


この旅館は完備されているようには見えない。しかし、表の自転車の数で見ると、住民が多いように見える。


やはり、誰も歩いていない。


ここも誰も歩いていない。人がいないところを探して写しているわけではない。本当に人が歩いていない。


やっと人を見つけた。やはり老いた人で、ゆっくりと私を追い抜いて歩いていく。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171017T0213500900.html



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日本発地獄行き。「念願のマイホームを買う」という幸せゲームの末路=鈴木傾城
2017年10月5日

不動産デベロッパーが仕掛ける持ち家信仰に踊らされ、家を買いたいと思う日本人は多い。彼らはこの国の確定した未来から目を背けている。どういうことか

日本で持ち家が「財産」だった時代はとうの昔に終わっているのに


この国自体が「終わっている」

日本は世界で最も激しい少子高齢化に突き進んでいる国であり、人口が減少している国でもある。人口が減っているということは、「働き手」も減っているということだ。

「働き手」のことを生産年齢人口というが、15歳から64歳までの人口もバブル崩壊以後、じわじわと減少している。

日本は、1990年のバブル崩壊から国が壊れたままで直せない状況にあると言える。

それは、バブル崩壊以後、26年に渡ってバブル期の株価の頂点であった3万8915円を一度も超えることができなくなっていることや、銀座の地価1億2000万円をも超えられないことを見ても分かる。

少子高齢化の放置、人口減の放置こそが日本を蝕む最大のガンであると、何度も繰り返し警鐘が鳴らされていた。しかし、日本政府はまったく手を打たず、日本人も危機感を覚えることがなかった。

今のままで推移するのであれば、日本は立ち枯れすることになる。だから、客観的かつ合理的に考えるのであれば、「日本に長期投資する」というのは正しいことではない。

これは株式であっても不動産であっても然りだ。もちろん、すべての企業、すべての不動産がじり貧になるわけではないのだが、全般的に見るとかなり厳しい状況になるのは間違いない。

「郊外に夢のマイホーム」という悪夢

私も日本の株式はいくらか持っている。しかし、日本株を増額する予定はまったくない。

短期的に見れば、円安が進むのであれば日本企業の売上が上がって株価も上がるという局面が起きるので、今年あたりは日本株を買っておくのは無駄ではないかもしれない。

しかし長期的な視点で見ると、日本への長期投資とは、日本特有の少子高齢化リスクを背負うことを意味する。それよりも、資本主義の総本山であるアメリカの株式市場に投資しておいた方が間違いない。


現在の資本主義を動かしているのはアメリカだ。アメリカには自社株買いを行い、高い配当を出し、増配する超優良企業が山ほど存在する。日本の株式市場でそれを探すよりも、簡単でシンプルで分かりやすい。

日本に投資して良い環境というのは、爆発的に人口が増えて少子高齢化が解消する頃である。そのメドが経ってからでも遅くない。

それがいつ来るのか、本当に来るのかは分からないが、「日本を蝕む最大のガン」が治癒したら、その時こそ日本に全財産を投じるべきだろう。

私が心配しているのは、人口減が進む今になってもまだ日本の不動産にこだわる人が多くいるということだ。

不動産デベロッパーが仕掛けてくる「持ち家信仰」に踊らされ、「自分の家」を買いたいと思うのだ。自分の家を買っても良かったのは、バブル崩壊前までの話である。

今後はよほどのロケーションでもない限り、不動産はじりじりと値を下げていくばかりと化す。

住宅ローンに追われて人生の大半を借金返済のために生きるくらいなら、値段の付く今のうちに売っておいた方がいい。日本の不動産は財産にならない可能性がある。

特に郊外の新興住宅地の不動産は厳しいことになる。
「売れるはず」のその不動産は、絶対に売れない

日本で空き家率が増えるのは避けられない。

総務省統計局は2011年より人口が年間20万人規模で減少しているとしている。少子高齢化が解消できないので人口減が止まらないのである。

さらに、若い「働き手」の多くは都会に行くので、まずは地方から、村や町が成り立たないほどの人口減に見舞われている。

こうしたところでは今後も人口が増える見込みが立たないので、借り手も買い手も見つからない。その結果、どうなるのか。不動産価格は暴落することになる。

また、こうしたところでは商業施設も病院も撤退し、個人商店も一代限りで廃業するので、取り残された高齢者は買い物すらもできなくなってしまう。現在、こうした買い物すらもおぼつかない生活をしている人は全国で約700万人もいる。

そのため、残された高齢者もそこで暮らすことができなくなり、やがては施設に入っていく。

「スラム化」の波は首都圏にも

東京圏は大丈夫だと思っている人もいるかもしれないが、東京圏でも埼玉や千葉は人口減に向かっており、空き家率はどんどん増えている。

バブル期、千葉の郊外に作られた1億円以上の住宅が、今や3000万円でも買い手が付かず、居住者はいなくなったり老いたりして建物もバケモノ屋敷のようになってしまっているというのはよく知られている。

また、高度成長期にあちこちに作られた「ニュータウン」も老朽化して無残な姿をさらけ出している。こうしたところではバス通勤が必要なのだが、人口が減ればバスも本数を極度に減らすか廃業するしかなくなる。

かくして、日本全国の空き家数は820万戸となり、それが売るに売れない状態となってしまっている。売れるはずだった不動産が売れないのである。

自分の家をローンで買う必要はまったくない

このような状況を冷静に見つめたとき、今後の日本で不動産が財産であるという考え方は成り立たないと考えた方が早い。都心なら大丈夫といっても、大阪でさえ人口減に見舞われているのだから、一筋縄ではいかない。

現在でも820万戸の空きがあり、さらに不動産デベロッパーが馬鹿のようにマンションをあちこちに建てているので、状況はもっと悪化する。

大量に供給されるものは、価値が下がる。日本の不動産を買うというのは、その価値の下がるものを買うということに他ならない。

価値の下がるものを買うのは投資ではない。つまり、日本の不動産を買うというのは、もはや投資ではない可能性がある。それは一部に上がるものがあるとしても、全般的に見ると下を見るからである。

仮に自分が不動産を買った地域が過疎化してしまうと、どうなるのか。空き家率が30%を超えると、その地域はスラム化に向かって突き進むことになる。スラムの不動産の価値などゼロに等しい。

住宅は「財産」ではなく「消耗品」

不動産デベロッパーは今も不動産が財産のように喧伝して住宅を買わせている。しかし、「住宅は財産」という考えは、一刻も早く捨てるのが好ましい。

住宅は「消耗品」であると考えるべきだ。家は古くなるし、壊れるし、ひっきりなしに手入れが必要だ。

莫大な住宅ローンを背負って家を手に入れても、返し終わった頃には土地も建物も価値を失っている。

家はボロボロで再び多額の修繕費をかけなければならない目に遭う可能性も高い。それは自分の家だから逃れられない。それができないと家がスラム化していく。日本中がそうなっていこうとしているのである。

確定した悲惨な未来

少子高齢化と人口減を甘く見てはいけない。それは猛烈なスピードでやってきている。そんな中で、自分の家を莫大なローンをかけて買うというのは、非常に問題な時代になっているのだ。

家はもう財産ではない。やがてそれが「お荷物」になる前に清算しておいた方がいい。特に自分の家をローンで買う必要はまったくない。今の日本の状況で言うと、家は消耗品なのだから、使い捨てるのが正しい。
http://www.mag2.com/p/money/314207



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20年後に田舎では水道の水は飲めなくなる 迫る老朽化と経営破たん

このグラフの先は必然的に、水道水が飲めなくなるのを意味している
引用:公明党https://www.komei.or.jp/var/files/storage/images/news/detail/20160831_21147/556121-1-app-WF/_1.jpg


水道水は飲めなくなる

日本は水道の水をそのまま飲む事ができる、世界で10カ国しかない国の一つだそうです。

だが10年後か20年後には飲めない地域がでてきて、数十年後には日本中で飲めなくなる可能性が、指摘されています。

理由の一つは設備の老朽化で、もう一つが水道事業者の経営悪化、そして水道技術者の減少が上げられています。

          
これらは相互に結びついていて、人口減少や公共事業費削減、人材育成の軽視、旧態依然とした行政などが原因です。

現在の水道は明治時代から戦前に基礎が作られ、戦後の成長期からバブル期に完成したものでした。

バブルの頂点から暫くは景気テコ入れのために公共事業費が増やされたが、その後「公共事業悪玉論」で大幅カットされました。


水道は老朽化してもすぐに使えなくなる訳ではなく、数十年超過しても一応蛇口から水は出てきます。

だが水道水はだんだん赤茶けた錆びや土を含むようになり、結局生水を飲めなくなります。

公共事業費が減らされた上に水道料金を支払う人口も減少しているので、水道会社は必要な設備更新ができません。


同じ公共設備でも電気会社大手は全国に10社しか存在しないのに、水道事業者は1344社も存在しています。

市町村が一つずつ水道事業者を持っているのだが、これはあまりに非効率で、水道危機の原因になりかねません。

こんな小さな水道事業者では人材育成もできず、職員は高齢化していて、若者はほとんど居ません。


水道自由化すれば田舎の過疎化が進む

いざ水道の大改修を全国規模で始めようとしても、その時にはすでに水道工事できる人材が居ないかも知れません。

小さな水道事業者が無数にあるので、例えばJRのように大都市の利益で赤字路線を支える事はできず、赤字なら閉鎖されるだけです。

アメリカは水道も資本主義なので、過疎地域では水道水が飲めないのは当たり前で、水道がない地域もかなり多い。


日本では水道の民営化が始まろうとしていて、始まったらバタバタと赤字水道会社は民営化され統合されるでしょう。

ここで問題なのは、国は電気のように「全国統一価格」ではなく、ガスのように「自由価格」にしようとしている事です。

現在ガス価格は全国で数倍の差があるが、水道も同じように都市では安く、過疎地ほど高くしようとしています。


ガス料金の制度もそもそもおかしいのだが、加えて水道料金も田舎だから都会の数倍であったら、田舎はますます衰退するでしょう。

水道会社は(ガス会社も)一地域に1社しかないので、使わないか言い値で契約するしかなく、利用者に選択権は一切無い。

こういうジャンルを民営化しても成功例がないのだが(刑務所など)、国は水道を民営化すれば良くなると言っています。
http://www.thutmosev.com/archives/73585955.html

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2019.01.30 真冬の移住セミナーやってました
https://golden-tamatama.com/blog-entry-winter-iju-seminar.html

くほほほほ
くほほほ

さて、何を思ったかワタスは昨日、都内で移住セミナーをやってますたよ。
いきなり富士山に登ったと思ったら、次は新宿で移住セミナーをやる。
神出鬼没の動き。

もしかしたら明日はあなたの街に現れるかもしれません。
宜しくお願いします。

さて、直前の告知にも関わらず多くの隊員が来てくれますた。

ちょっとその模様を張っときます。

なんで真冬に移住セミナー?
それはこの時期だからやっとかねばならないのです。
とかなんとか。

で、ワタスは
今、人気の移住エリアだからと言って将来どうなるか分からないよ。
そう言いましたね。

例えば、総務省の人口問題研究所が2045年までの人口予想を載せてます。
移住を考えてる人は移住先の人口がどうなるか確認した方が良いでしょう。

例えば、長野県は74%まで人口が減る。


山梨は71%まで減る。人口の減り具合で言えば山梨の方が若干急です。

例えば山梨県の南部町というところは、2045年には人口が30%ぐらいになってしまう。

山梨県の北杜市は、今は移住希望ナンバーワンの人気エリアですが、
こんな人口予想になってます。


今後、急激に人が減るんですね。
人気があるのは移住者エリアで、地元エリアは人口が減ってる。

長野県の原村あたりはそうでもなかった。
ゆっくり減ってる。

こういうのも色々見て総合的に判断した方が良いでしょう。

人口が急激に減るようなとこは人里離れた山奥のログハウス買ったり。
ペンション買ったり。
そういう移住はしない方が良いのでは?

今は普通に機能してるかもしれませんが、公共サービスやインフラがなくなってく
ことも考慮した方が良い。
除雪車も今は来てくれても、将来来なくなったら真冬は身動きが取れないでしょう。

そういうところはやはり駅周辺など中心部に近いとこに住んだ方が良い。

今後、地元エリアは空き家がゴロゴロあるので、
地元住民と仲良くなるとただで貸してくれる物件もある。

今まで地元住民も色々嫌がらせをしてよそ者を排除してたが、
今や年寄りだらけになってどんどん数が減って、そんなことをやってられなくなってる。

とかなんとかそんなを色々話しますた。

実は今年は、何を思ったか。
ワタスは春よりまたシェアハウス計画を立ててます。

近々、2月の極寒の八ヶ岳。
マイナス10度、体感温度マイナス20度。
寒中、シェアハウス案内ツアーをやろうと思ってます。
体力に自信がある方はご参加ください。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-winter-iju-seminar.html

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2019年02月18日
日本の田舎は変われるか 移住者を追い出すから人口が減る


限界集落では住人自身に問題があり人が離れていくことが多い


画像引用:https://d3numabb4btu5o.cloudfront.net/assets/images/reading/posts/9594/1603bb23-f642-47ad-97d2-8b0b88446f56.jpg

移住者いじめという田舎文化

都会から田舎に移住するUターンやIターンが増えているが、問題点も明らかになった。

人口減少になやむ過疎地域ほど、移住者への反発が強く、公然といじめや村八分を行っている。

しかも「移住者募集します」とネットで公募しているような過疎地ほど、移住するといじめに遭うので始末が悪い。


住民たちは人口を増やしたいと思っているが、同時に既得権を手放す気はまったくない。

今まで人口10人だった集落に3人家族が移住してきたら13人になり、それだけ先住者の権利は失われてしまう。

町内会でもゴミ出しルールでも神社や寺の運営でも、なんでも自分たちだけで決めていたのに、ある日よそ者が来て「それはダメだ」と言い出すのが耐えられない。


こうした過疎の村は家長である数人の実力者が代表になり、その中でも力のある1人の人物が全権力を握っていることが多い。

移住者がその大ボスに従順な態度を見せないと村八分になり、受け入れられても新参者は住民の最底辺になる。

山口県周南市の「かつを事件」やその後発生したトラブルの多くは、このように発生していました。


奈良県のある山間地では町内会費を払わないという理由で電気の供給を拒否され、隣の市から電線を引いた。

他の複数の過疎地でも、町内会をめぐってトラブルがあり、ゴミ出し場を使用させないなどの村八分が発生している。

ある程度の都会では町内会に入ろうが入るまいがゴミ出しは市民の当然の権利だから、町内会費を払っていない人が多い。


田舎が変わらないと人口は減るばかり

過疎地では町内会は強制で会費を払わなかったり活動しないのは非国民のような存在になってしまう。

田舎では集団で草刈りしたり神社などの行事をしていて、都会の人はそれを見て「のどかな風景だ」と思うが多くが強制です。

消防団とかも強制だしPTAも強制、過疎地では民間サービスも行政サービスもないので、住民にボランティアを強制することでやっと村を維持している。


ところが人口が残り100人を切るような過疎の集落ほど、先住者は既得権を守るために「よそ者いじめ」に精を出すから益々人口が減ってしまう。

移住してきた人も数年で出ていき(追い出され)、子供が生まれても街に引っ越すので住民は老人だけになる。

老人だけになった集落はさらに頭が固くなり、自分たちのルールに固執しさらによそ者いじめを過激化させる。


こんな事が全国の過疎地で起きていて、名指しすると長野県や奈良県、秋田県、山梨県の山間部などが評判が悪い。

移住者を募集しておいて移住したら追い出そうとするのは、募集しているのは役所の職員で住民ではないからです。

役所の職員は移住者を騙して連れてくれば自分の成果になるが、後の面倒は一切見てくれません。


役人は募集時の説明では良いことだけを話すが、実際に移住したら移住者を放置します。

「人口減に悩む過疎の村」はまるで被害者のような言い分だが、人が出ていくような事ばかりしたから人口が減った面もある。
http://www.thutmosev.com/archives/79048819.html



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2019年03月03日
100万円以下 田舎の激安物件は買えるか

自然豊かな田舎に家や土地があるのは、とりあえず夢はある


田舎の激安物件が大量発生している

デフレの頃は激安XXXXが大流行りだったが、最近はあまり聞かなくなりました。

今激安価格なのが実は田舎の不動産で、人口減少の上に都市への移動で住む人が減っている。

不動産情報サイトで検索しても安い物件はあまり見当たらないが、実は大量に存在しています。


不動産屋は「利益になる物件」だけを宣伝するので、100坪10万円の土地があったとしても扱わないし宣伝しない。

そんな安い物件をサイトに掲載したら、他の物件が高く見えて値引きを要求されるのがオチだからです。

大手不動産屋は100万円以下のような物件は扱わないし、ネットの不動産サイトにも情報が掲載されません。


そうした激安物件は所有者から地元の不動産屋に売却を依頼するが、宣伝もしないのでほとんど売れ残っています。

激安不動産の所有者は親から相続したり、利用価値のない土地に税金だけを払っているので、タダでも良いから手放したい。

だが長年暮らしてきた愛着やメンツもあるので、300万円程度の価格がつけられている場合が多い。


こういう物件は実際に買う気がある客が現れれば、簡単に半額程度になる場合も多い。

駅から遠かったり廃線になった地域だと、値段はあってないようなものになっている。


激安物件を買う人とは

全国の住宅は約6000万戸以上で、2013年に800万戸が空き家になり、現在は900万戸を超えていると想定されます。

2033年には空き家が2000万戸になるとも言われていて、当然空き家の下の地面も空き地になります。

空き家を解体すると100万円ほどかかるのでそのまま放置される例が多く、各地でおばけ屋敷になっています。


田舎でも広い道路に面した更地で人口もそこそこあれば激安価格にはならない。

数十万円から200万円以下まで下がるのは、過疎で道路が狭く利用価値が低いような物件です。

斜面に段差をもうけて家を建てていることもあり、こんな土地では100万円でも買い手がつきにくい。


50万円とかゼロ円で空き家バンクに載っている物件は、現地に行ってみるとびっくりするような場所が多い。

最も近いスーパーやコンビニまで車で片道1時間、学校の類はなし、病院などもなし、バスは大通りだけコミュニティバスが走っているイメージです。

それでも空き家バンクの激安物件は売れているので、何らかの価値を見出して購入している人たちが居る。


そこに永住するには苦痛だが、別荘を建てたりレジャーの活動拠点とするには面白そうです。

田舎の自然の中に自分の土地があるのは都会の人からすれば夢があるし、激安なら欲しい人も居る。
http://www.thutmosev.com/archives/79170532.html



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2019年03月21日
水道&ガス料金の格差 田舎は生涯600万円以上も多く支払う
過疎地の水道&ガス料金は都会の1.5倍から2倍以上高い


水道&ガス料金格差の理由

電気料金は全国ほぼ一律料金ですが、水道料金とガス料金はかなりのバラつきがあります。

水道民営化は今話題ですが、20m3当たり3000円前後の自治体が最も多い。

水道料金が安い自治体は1000円前後、高い自治体は北海道に集中していて6000円以上になっている。


水道料金が高いのは破綻した夕張市など北海道・東北・九州の「町」が多く、地名から想像すると過疎地が多い。

東京、大阪のような大都市や県庁所在地クラスの都市は、3000円前後の中心価格帯に収まっている。

人口が多い都市は大人数で割るので価格が平均化されるのに対し、過疎地は少ない人数で割るので料金が高くなる構図です。


大都市が安く過疎地が高い構図は、ガス料金にもそのまま当てはめることが出来ます。

知っての通り大都市や中小都市の中心部は都市ガスが供給されていて、料金はとても安い。

だが中小都市の周辺部や町村・郡部などはプロパンガスで、都市ガスの2倍程度も料金が高い。


仮に2倍として月5000円多く払ったら年6万円、50年間の生涯では300万円も多く支払います。

加えて水道料金も東京都の世帯平均は月5000円なので、2倍近い地域では300万円、水道とガスの合計では生涯600万円も多く払います。

高価格地域では他の物価も高く、住居費や家賃も高いと推測されるので、合計するとおそらく1000万円程度の違いになるでしょう。


どの場所に住むかによって一生涯で1000万円も支出額が違うのは、意外だが現実です。


エネルギー自由化の末路

電力自由化に続いてガス料金も自由化され、水道民営化で水道も自由化されようとしていますが、自由化をもてはやす人達はマイナスの影響を説明しない。

自由化すれば当然大都市ではあらゆる料金が安くなり、過疎地ではあらゆる料金が値上がりします。

現在の電気料金のように全国統制価格にしておけば水道やガスも全国同じ料金だったのに、自由化することで3倍以上の格差になりました。


自由化したからと言って大都市の水道ガス料金はあまり安くならず、過疎地の料金だけが大幅に値上がりしました。

これは人口の比重が違うからで、「都会ではほとんどメリットがなかったのに、過疎地では大幅に値上がりした」のでした。

こういうバカな政策がエネルギー自由化で、誰にもメリットが無いのに「素晴らしいものだ」と推進しています。


10年後に過疎地の電気料金やガス料金が都会の10倍になっても、驚くには値しません。

電力やガスや水道料金のようなものは全国一律価格にしても、東京や大阪の料金は1割か2割しか値上がりしません。

その変わり過疎地や離島では料金が3分の1になり、こうした地域への移住が促進され生活が豊かになります。


地方が栄えれば結局都会の人も豊かになるので、誰も損をしないのです。

移住したら生涯600万円から1000万円も多く払うような場所に、好んで移住する人などいません。

都会の人はなんとなく「どこでもガスや水道料金は同じ」と思って移住して、後で現実を知るのです。
http://www.thutmosev.com/archives/79317270.html



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2019年04月01日
引っ越しで収入が上がる 田舎から都会へのiターン

やはり人が多い都市ほど平均収入が高い


好景気は大都市にしかない

世のなか都会を離れて田舎へ引っ越すUターンやiターンが盛んですが、逆はあまり話題になりません。

実際には田舎から都市部へ出てくる人の方が多く、今も日本の都市化は進んでいます。

総務省によると首都圏・中京圏・近畿圏の3大都市圏では人口が増えていて、その他の地域では減少が続いています。


このままの傾向が続くと今世紀後半には千葉から兵庫までの太平洋側は人口が微増で、他の地域の人口は4割ほどに減少します。

千葉から兵庫までと他の地域は別の国と言えるほど違っていて、就職状況も大きく異なります。

例えば人出不足と言われますがそれは3大都市圏だけで、他の地域には当てはまりません。


労働者の給与やバイト時給などの民間統計の多くは、需要の多い大都市だけしか取っていません。

好景気や不景気といった景況も、好景気は大都市から始まって田舎になるほど最後にやってきます。

そして不況は田舎から始まって、大都市には一番最後にやってくるものです。


過疎地には杉の値段が上がったとか行楽客が増えた、公共事業予算が増えたなどで好景気を感じられる程度です。


近い県や同一県内でも収入格差がある

大都市圏以外は募集企業も限られていて、田舎では昔ながらの職業しかない場合が多い。

田舎に留まったまま収入を上げるのは困難なので、お金を求めるなら都会に出た方が良い。

田舎の人口流出はまさに「お金を稼げないから」なので、そこに留まる限り収入は増えません。


すごく能力が高い人は田舎で出世したり高収入を得られるが、その場合も都会に出た方が収入は向上します。

田舎でも人口減少による労働者不足がありますが、この場合は人手不足でも企業は賃金を低く抑えようとします。

自分が住んでいる地域の平均収入を調べてみて、3大都市圏より大幅に少ないようだったら、真剣に移住を検討するべきかも知れません。


1位の東京都は615万円で5位の京都府は498万円、18位和歌山県の453万円あたりまでが3大都市圏に該当しています。

400万円以下は38位鳥取県の396万円、46位宮崎県は365万円、47位青森県は359万円などとなっています。

九州の中でも26位の福岡県、内陸部でも12位栃木県や16位群馬県は高収入県となっています。


東北でも19位の宮城県、四国では24位香川県、北陸でも22位石川県は比較的収入が高い。

同じ県内でも県庁所在地など最大都市の平均収入が高いので、同一県内でも過疎地から都市部に引っ越すメリットは大きい。
http://www.thutmosev.com/archives/79430347.html



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2019年05月04日
田舎からコンビニが無くなると昭和の生活に戻る

コンビニがなくなると便利なサービス全てを失い、昭和以前に戻る


画像引用:日本のコンビニサービスについて | SITA - Study in Japan Guide - http://si-ta.com/ja/in-japan/convenience-store/

生活インフラをコンビニに依存するリスク

コンビニエンスストアの24時間をめぐって本部とオーナーが対立しているが、問題点は他にもいろいろある。

ATMや公共料金支払い、公的文書の受け取りや、保険などの契約手続き、宅急便の発送などコンビニが生活インフラになった。

この結果コンビニがある地域とない地域で生活レベルに大差が生まれ、コンビニが無い場所は郵便も出せずお金を引き出せない。


銀行は経営が悪化したので高コストのATMを減らそうとしていて、今後短期間に半減します。

ATMは人件費削減と利便性向上のため始まったが、1台年間1000万円以上の維持費がかかっています。

銀行員を一人立たせておくより安いかも知れないが、有名都市銀行では「1回500円以上の手数料を貰わないと赤字」と言っています。


日本全体でATMは約2万台あり、維持に年2兆円もかかっているので、銀行はATMを廃止したくてしょうがない。

集客力があるコンビニのATMは最後まで残るが、田舎にポツンとあるような「キャッシュコーナー」は廃止・統合されます。

すると数年以内に日本中で、コンビニ以外の田舎のATMの多くが撤去されるだろうという予測ができます。


公共料金の支払いとか手続きも、コンビニ以外では郵便局・銀行や役所でできるが、9時に開いて5時に閉まり、サービスによっては3時で窓口が閉まる。

コンビニがある・なしで生活が激変し、コンビニがなくなるのは昭和に戻るのと同じになります。

われわれの生活は気づかない間に、ここまでコンビニに依存するようになりました。


コンビニがなくなった世界

コンビニは知らない間に公的な役割を担うようになったが、一方でコンビニはただの民間業者にすぎない。

利益がでなければいつでも閉店するし、住民や自治体のためにサービスをする義務はありません。

多くのコンビニはオーナーとフランチャイズ契約をし、オーナーが経営者になっています。


オーナーとコンビニ本部は5年か10年の契約を結び、契約期間が満了したら閉店する事になっている。

もし店に利益が出ていたらオーナーが再契約するか、本部の直営店として生まれ変わる可能性もあります。

コンビニを取り壊してまた同じコンビニを建てたり、一度閉店して再度開店しているのはこうした契約の事情かもしれません。


いずれにしても人口減少でコンビニに利益が出ず閉店するとき、自治体や住民は全く口出しできません。

今後20年で日本の半分の自治体では若い世代の人口が半減しますが、過疎化した自治体ではコンビニ売上を維持できません。

くしの歯が抜けるように田舎のコンビニは閉店していき、昭和に逆戻りしたような生活が始まります。


そうなる前にコンビニがなくなっても、サービスを続けられる仕組みを作る必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/79730913.html


これからは、コンビニとガソリンスタンドが無くなった所から無人地帯になっていきます。

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2020年03月01日
引っ越すなら40年後も「持続可能な街」が良い
憧れで移住して20年後に自治体が消滅しているかも

画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/

限界集落に住むべきではない

移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。

住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。

おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。


他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。

日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。

憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。


だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?

政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。

日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。


人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。

電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。

山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。


40年後も存在する街

そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。

大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。

車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。


憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。

移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。

その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。


だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。

都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。

発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。


道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。

地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。

地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。


移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html



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2020年3月2日
【三橋貴明】店じまい国家の断末魔
https://38news.jp/economy/15441

店じまい国家の成れの果て
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html

安倍政権の朝令暮改と臨終
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578536890.html

グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)を究極まで推し進め、政府を限りなく「小さく」することを「国家の店じまい」と呼んでいます。

元々、「国家の店じまい」とは、佐藤健志先生が紹介された、達増拓也岩手県知事のツイートが元ネタです。

達増拓也 TASSO 幸福を守り育てる希望郷いわて
@tassotakuya 2016年3月24日

経済は市場にまかせ、民生は地方にまかせ、国家が店じまいするように、人口減少で地方が末端から消滅するのが必然とばかり、大震災を奇貨として地方消滅の加速を図ろうというのは良くない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/712980527293140992

達増知事は地方交付税交付金などを減らし、地方の衰退を加速している安倍政権について「国家が店じまいするように」と表現されていますが、国家の店じまいは地方行政に限りません。

そもそも、グローバリズムという「小さな政府」を目指す政策は、国家の店じまいなのです。

国家の店じまいは、様々な分野に及んでいますが、今回のCOVID−19感染症の襲来で明らかになったのは、日本国民の公衆衛生、健康促進が役割の厚生労働省、医療サービスまでもが、国家の店じまいを進めていたという衝撃的な事実になります。

【日本国内の保健所数(合計)】
http://mtdata.jp/data_68.html#hokenjo

【日本の病院病床数の推移】
http://mtdata.jp/data_68.html#bed

日本政府は(第二次安倍政権発足前から)全国の保健所を次々に閉鎖していきました。
さらに、病院の病床数も削減。

安倍総理大臣は2019年10月28日、経済財政諮問会議において、
「持続可能な地域医療体制を構築するため」
とのお題目で、病院の統廃合(=削減)や「過剰な」ベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しています。

ただでさえ減っている病床数を、さらに減らせ、と。

もっとも、何しろ日本政府の政策のコンセプトは「国家の店じまい」でございますので、非常事態に国民を救う可能性がある医療サービスなど「ムダ」という話でございますよ。

閉店作業中の店舗が、客からの要望を受けますか?
新たな仕入れや什器のために支出しますか。

するわけないでしょ。

というわけで、特に「非常事態への備え」を中心にカットし、国家の店じまいを続けてきた日本政府が、実際に非常事態が到来した途端に大混乱に陥っています。

安倍政権は、間もなく終幕です。
問題は、むしろ「安倍政権の後」になります。

何しろ、グローバリズムのトリニティ、国家の店じまいが続く限り、誰が政権を
担おうとも、我々国民の「豊かで安全な生活」は実現しないのです。

というわけで、日本国民は現在の非常事態が「なぜ、ここまで深刻化したのか?」について理由を正しく知らなければなりません。

そもそも、国家の店じまい、小さな政府化という日本政府のグローバリズム推進は、初めから非常事態に対応不可能なのです。

その上で、次の政権において、グローバリズム路線を「ピボット(転換)」させる。小手先の変更ではダメです。

政権の基本コンセプトからのピボットが必要なのです。
すなわち、令和の政策ピボットです。

令和の政策ピボットを実現するためには、現在の日本の絶望、店じまい国家の断末魔をしっかりと見届ける必要があります。
少なくとも日本において、希望は絶望の先にしかないのです。

https://38news.jp/economy/15441


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2020年12月8日
【室伏謙一】緊縮財政に殺されかけつつある北海道
 本日政府の新たな経済対策が閣議決定されると聞いています。その下敷きになっているのが自民党の経済対策提言。11月30日に一度菅総理に申し入れを行ったにも関わらず、12月4日に「仮称」と「案」と付いた対策が、分量が倍ぐらいになって党政調の全体会議にかけられ、取りまとめられたもの。その内容のお粗末さというより恐ろしさについては、拙稿「お粗末すぎる自民党「新たな経済対策への提言」、コロナ禍の影響を無視」( https://diamond.jp/articles/-/256327 )をご参照ください。

 それにしても菅内閣、相変わらず我が国の置かれた状況、世界の状況の変化を理解できていないようで、いまだに民間主導でなんとかなる、国よりも民間にやらせた方がいいという考え方にしがみついているようです。それがこの20年の衰退を招いたというのに、まだ飽きたらないのか、転換(ピボット)できる絶好の機会なんですがね。

 さて、そうした誤った政策によって徹底的に打ちひしがられてしまった典型が北海道です。10月末に現地に行っていろいろ見て回ってきましたが、実に悲惨な状況でした。

 まず高速道路。道央道はまだいいのですが、帯広方面に整備された道東道は実に悲惨な状況でした。高速道路とは名ばかりのほとんどが片側1車線であり、インターチェンジ等を除いて街灯もない状態で、夜間の走行は結構危険な感じでした。

 次に帯広市。今回で3回目なのですが、前回、10年前と比べて、圧倒的に寂れてしまっていました。そもそも市道は整備が行き届いていないのか、ボコボコだったり、歩道の端が崩れてしまっているところが散見されたり、交差点以外は街灯がなかったりと、まるで発展途上国に来たかのようでした。

 これらはいずれも北海道、特に道東に公共投資を十分にしてこなかった結果ですね。そんな暗く寂れかけ、そして不便な地域になど住みたくない、ならばとりあえず札幌に出てしまおう、そんな風に考えて帯広を引き払ってしまう人がいるのも当然です。地方の過疎化や人口減を止めたいのであれば、人口を増やしたいのであれば、その地域に住む利便性を高めてあげることです。その利便性とはインフラの利便性であり、交通インフラは特に重要です。Wi-Fi環境を整備するのもいいですが、まずは生活の利便性向上に直結するインフラに投資するのが常道のはずです。

 しかしそれをさせてこなかったのが、緊縮財政であることはご承知のとおり。しかし財政制度等審議会では、平気で「日本のインフラは十分だ」などといった類の議論が行われています。結局緊縮脳の人たちは机上の空論でしかものを考えず、実際に現場をじっくり見るということをしない、東京の都心だけを見てものを考える、そういった悪い癖がついてしまっていて、そこから抜けられないのでしょう。そんな現実感覚に欠ける「専門家」など、とっとと退場していただきたいところですが、まさにその地位に「連綿と」してひたすら緊縮教の呪文を唱え続けています。

 ならば、我々が現実を把握し、彼らに対して、国会議員や官僚、そして一般国民に突きつけるしかないのです。

 「そうは言っても札幌は・・・」という人がいるかもしれません。確かに帯広に比べて圧倒的に札幌は利便性が高いですが、札幌に向かうJR北海道の郊外線、東京で言えば中央線や京浜東北線、総武線に該当する路線の駅等の施設も、柱や柵に錆が目立っていたり、廃線になった駅なのではないかと勘違いしてしまいそうなぐらいに寂れていたりと、緊縮に加えて構造改革脳、民営化脳、とにかく合理化脳の悪影響で施設の維持管理のための投資が全くできていない実態が見て取れました。

 緊縮脳に加えて構造改革脳等が日本を、国内各地域を破壊し続けてきました。今もそれは続き、菅内閣はそれを更に加速化しようとしています。それを止めるためには、まずは実態を、現実を伝えることです。皆さんが直面している現実、ご親族やお友達が直面している現実を、是非発信してください。

 私も今後も現地調査、実態の把握を続けていきます。
https://38news.jp/economy/17180


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命の源の食料とその源の種を守る取り組みを強化しよう 東京大学教授・鈴木宣弘
2021年1月2日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/19666

 すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授に就任。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)、『食の未来に向けて』(同)など著書多数。

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方向性が間違っていた

 大手人材派遣会社のT会長はK県で「なぜ、こんなところに人が住むのか。早く引っ越せ。こんなところに無理して住んで農業をするから行政もやらなければならない。これを非効率というのだ。原野に戻せ」と言い、そうした発言を繰り返してきた。


 コロナ・ショックは、この方向性、すなわち、地域での暮らしを非効率として放棄し、東京や拠点都市に人口を集中させることを「効率的な社会のあり方」として推進する方向性が間違っていたことを改めて認識させた。都市部の過密な暮らしは人々を蝕む。

GoToトラベルをどう評価するか

 GoToトラベル事業を続けるべきかどうかが議論されているが、この議論には、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如している。GoToトラベルは都市部の「三密」構造をそのままにして、感染を全国に広げて帰ってくるだけで、都市部の「三密」構造を転換するという視点がない。

危うい観光・外需頼み

 さらに根本的には、地域経済が観光や外需に過度に依存しないで回っていく循環構造を生み出すことが望まれるが、GoToトラベルは単なる観光であり、観光に依存した地域振興はそのままである。つまり、本質的には、都市人口集中という「三密」構造そのものを改め、地域を豊かにし、地域の中で経済が回る仕組みづくりを進めていく必要がある。


 地域の農林水産業が元気で地域の環境や文化が守られなくては、観光も成り立たない。ましてや、輸出5兆円が実現できるわけがない。足元を見ずに、観光だ、インバウンドだ、輸出だ、と騒ぐのは本末転倒だ。

核は農林漁業のはずだが〜命を守る食・農でなく儲けの道具としての食・農へ

 地域に働く場をつくり、生産したものを消費に結びつけて循環的な地域経済をつくるには、農林水産業が核になるはずである。政府が何に力を入れていくべきかは明らかだ。ところが、家族農業を「淘汰」して、オトモダチの流通大手企業などが虫食い的に儲けられることを意図したような制度改革が推し進められてきた。

 特に、中小農家については「つぶれても構わない」「むしろ農地が空けば大企業の農業参入に好都合」と考えてきたかのように思われる。結局は、政権を支えてくれる経済界のため、金儲けを手助けすることしか頭にないのではないか、と疑いたくなる。

 「種子法廃止→農業競争力強化支援法8条4項→種苗法改定」で、コメ麦大豆の公共の種事業をやめさせ、その知見を海外も含む民間企業へ譲渡せよと要請し、次に自家増殖を制限して、企業に渡った種を買わざるを得ない方向性がつくられてしまった。農家の権利を奪って企業利益の増大につなげようとするのは、他人の山を勝手に切ってバイオマス発電をして儲けは企業のものにし、漁民から漁業権を取り上げて企業が洋上風力発電で儲ける道具にするという農林漁業の一連の法律改定と同根である。

農林漁業を犠牲にして国民の命は守れない

 畜産などでもメガ・ギガファームと言われる超大規模経営はそれなりに増えているが、それ以外の農家で廃業・規模縮小が増え、全体の平均規模は拡大しても、やめた農家の減産をカバーしきれず、総生産の減少と地域の限界集落化が止まらない段階に入っている。

    

 特に、【表@】のとおり、飼料の海外依存度を考慮すると、牛肉の自給率は現状でも11%、このままだと2035年には2%、種の海外依存度を考慮すると、野菜の自給率は8%、2035年には3%と、驚くべき低水準に陥る可能性がある。このままでは地域コミュニティが維持できるわけがないし、地域の住民や国民に安全安心な食料を量的に確保することも到底できない。

 そもそも、農家の所得を1時間あたりに換算した時給【表A】は、コロナ・ショック以前の問題として、平均961円しかない。

   

 これは、自動車などの輸出のために農と食を差し出す貿易自由化が進められた結果でもある。【表B】のとおり、貿易自由化の進展と食料自給率の低下には明瞭な関係がある。農林漁業は貿易自由化も通じた一部企業の利益の犠牲とされ続けている。

  

 食料は国民の命を守る安全保障の要(かなめ)なのに、日本には、そのための国家戦略が欠如しており、自動車などの輸出を伸ばすために、農業を犠牲にするという短絡的な政策が採られてきた。農業を過保護だと国民に刷り込み、農業政策の議論をしようとすると、「農業保護はやめろ」という議論に矮小化して批判されてきた。

 農業を生贄にする展開を進めやすくするには、農業は過保護に守られて弱くなったのだから、規制改革や貿易自由化というショック療法が必要だ、という印象を国民に刷り込むのが都合がよい。この取組みは長年メディアを総動員して続けられ、残念ながら成功してしまっている。しかし、実態は、日本農業は世界的にも最も保護されていない。

 【表C】のとおり、欧州諸国では、農業所得の90〜100%が政府からの直接支払いの国もある。日本は30%前後で、オセアニアを除く先進国では最低水準だ。米国・カナダ・EUは最低価格を支えるために穀物や乳製品を政府が買い入れる仕組みを維持している。支持価格による政府買い入れを廃止したのは日本だけだ。

    

 近年は、農業犠牲の構図が強まった。官邸における各省のパワー・バランスが完全に崩れ、農水省の力が削がれ、経産省が官邸を「掌握」していた。筆者は「今は“経産省政権”ですから自分たちが所管する自動車(天下り先)の25%の追加関税や輸出数量制限は絶対に阻止したい。代わりに農業が犠牲になるのです」と2018年9月27日に某紙で日米交渉の構図を指摘した。

 新内閣では、経産省の影響力が低下したとも言われているが、残念ながら、大企業利益の徹底した追求の構造は内閣の交代でむしろ強化されようとしている。

 「地方は原野に戻せ」と連呼した先述のT氏と、中小企業社長の名目で、中小経営淘汰を進めているA氏が、内閣の参謀の2トップになっている。(「新モノプソニー論」という怪しげな理論が出されているが、まず、モノプソニー〈買手独占〉はオリゴプソニー〈買手寡占〉に変えるべきだし、企業による労働の買い叩き〈買手寡占〉が問題と言いながら、処方箋は大企業への一層の生産集中〈中小企業の優秀な労働力を低賃金で雇える構造の強化〉という完全な論理矛盾が展開されている。)

命の源の食料とその源の種を守る取組みを強化しよう

 日本の消費者は命の源の食料を、その源の種も含めて、量的にも質的にも確保するために、安全・安心な食料を提供してくれる国内の生産者との連携を強化すべきである。地域の多様な種を守り、活用し、循環させ、食文化の維持と食料の安全保障につなげるために、ジーンバンク、参加型認証システム、有機給食などの種の保存・利用活動を強化しよう。それらを支援し、育種家・種採り農家・栽培農家・消費者が共に繁栄できる公共的支援の枠組みが必要である。

 多様な農業経営が共存して地域が発展できるように、欧米のように、再生産に必要な価格・所得水準が確保できる差額補填を充実し、支持価格による政府の買入れの仕組みも復活させよう。「日本=過保護で衰退、欧米=競争で発展」は逆だったのだ。命、環境、地域、国土・国境を守る産業は、安全保障の要であり、国民全体で支えるのが世界の常識である。それを非常識とする日本が非常識だということに気づき、一人一人が行動を起こそう。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/19666


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2021年02月04日
日本は「地方バラマキ」を再開した方が良い
http://www.thutmosev.com/archives/85019210.html

90年代に「地方を貧しくすれば都会が豊かになる」というバカみたいな主張が支持を得て、地方予算をどんどん減らしていった。
その結果日本すべてが貧しくなった


バラマキを辞めたら貧乏になった

1990年代の日本はバブルが崩壊しバブル批判が起き、公共事業とバラマキ財政が矢面に立たされた。

特に目立ったのは当時大人気だった社会党や進歩的文化人の、「バラマキをやめれば何兆円浮く」という主張でした。

公共事業費については平成10年(1998年)の約15兆円がピークで、最近は6兆円前後に定着しています。

地方バラマキは各省庁に別れていて定義が難しいが、大幅に減少したのは確かでしょう。

地方バラマキでもっとも批判されたのは竹下総理の「ふるさと創生事業」で全市町村に1億円づつ現金でくばった。

使い道に困った村は1億円の金塊を見せびらかしたりしたため、かなり評判が悪かった。


全国にばら撒いた別の例は日本中にある「道の駅」で3割は赤字、利益が出ているのは半数に満たない。

しかも道の駅は公共事業であるため税制などで優遇されているので、実質大半が赤字とも言えます。

道の駅と言えば広い敷地に立派な建物があり、産地直売所やレストラン、お土産コーナーなどがある。


道の駅は自治体が費用を支出するが、国が地方交付金などでお金を出しているので、自治体は国からお金を貰うために作りたがる。

多くの道の駅は自治体や委託業者が経営していて、無駄が多く効率的な経営がされているとは言えない。

だからと言って全国1200か所の道の駅を廃止したら、日本は今よりもっと衰退するのは容易に予想できます。

バラマキを辞めると国は貧しくなる

この30年ほど日本は非効率な事業を次々に廃止したが、お金が余るどころかどんどん貧乏が加速していきました。

石原伸晃大臣が小泉政権で「北海道は人よりクマが多いから高速道路は不要」と言って建設中止させていました。

発想は鳩山政権のレンホーと同じで、「無駄遣いを辞めればお金が余り財政好転する」と考えていました。


レンホーも日本の為に良かれと思ってやっていたと思うが、まあバカの努力は迷惑だったりします。

レンホーや石原大臣のような政治家が頑張れば頑張るほど日本は貧乏になり、もうG7どころか上位20か国からも転落しました。

『こんなに節約しているのに』財政は悪化の一途をたどり、財務省はもっと倹約して支出を減らすと言っています。


この種あかしは政府が財政支出、いわゆる無駄遣いを減らすほど民間も無駄遣いを減らし給料が減り、民衆も無駄遣いをしなくなります。

無駄遣いを違う言葉でいうと「消費」で、昔池田総理は「消費は美徳」と消費を奨励し、日本は世界の経済大国にのし上がりました。

もし池田総理が「倹約は美徳」と言って新幹線も高速道路もオリンピックも中止させていたら、日本は今フィリピン程度の国だったでしょう。


バブル崩壊後特に最悪だったのは地方へのバラマキを辞めたことで、地方の収入がなくなり過疎化と貧困化と少子化が起きた。

このままでは全国の自治体の半数が消滅し、地方の過疎地の殆どが人口ゼロになると予想されています。

バブル期までの日本は「都会から田舎へ」お金が流れていて、田舎でも十分な収入を得られていました。


レンホーや石原のような政治家が人気を得て地方を切り捨てた結果、日本全部が貧乏になりました。

バブル崩壊後に「地方への補助金をやめれば数兆円が浮く」という意見が支持を得て、地方切り捨てで東京は繁栄すると言われていました。

実際に地方を切り捨ててみたら地方は衰退したが東京も衰退し、日本すべてが衰退しました。


当たり前の話で日本から東京を切り離して、東京だけ繁栄する事なんかあり得ません。

東京の人間は東京の年収が高いのを自慢するが、その金は「日本中から集めた金」で東京都内で稼いだ金ではない。

日本経済の再生のために「国の無駄遣いと地方バラマキ」の再開をお勧めします

http://www.thutmosev.com/archives/85019210.html

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