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「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 22 日 09:51:44: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 知ると脱力 日本の伝統の正体(笑) 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 11 日 09:46:15)

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実

そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?
2021.09.22
https://blackasia.net/?p=26699

若者になればなるほど、大部分が長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。長文は避けられる。今は「日本人の3分の1は日本語が読めない」のだが、そのうち日本人の半分は日本語が読めない世界に突入するのではないか?


「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実
昔から文章を読まない人は本当に読まない。私の知り合いの90%は本を読む習慣がないし、長文を読むのを嫌がる。長文は読めるが読みたくないのかと思ったら、そうではなくて「長文が読めない」人も相当数混じっているようだ。

塾講師や大学講師の経験則として「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」という人もいる。

さすがにそれはないだろうと思っていたのだが、最近は作家の橘玲《たちばな・あきら》氏が『無理ゲー社会』の中で、「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実を紹介して、私も大いに驚いたのだった。

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実は別に橘玲氏が推測で言っているのではなく、経済協力開発機構の国際成人力調査の調査を紹介しているものである。

日経ビジネスもこれを取り上げていて、『日本人の3分の1は日本語が読めない!?  量産されるAI未満人材』の中で、以下のように綴っている。(日経ビジネス:日本人の3分の1は日本語が読めない!? )

日本人の現役世代の27.7%は「日本語読解力の習熟度がレベル2以下」で、例えば「図書館で目録を指示通りに検索し、指定された書名の著者を検索できない可能性」が高い。

高齢者の認知度が下がって日本語が読めないとか、小学校の勉強嫌いの子供が日本語をうまく読めないというのではない。「現役世代」が文章を読めないのだ。


長文はもはや「化石」のような存在になってしまった
今の時代、文学系の書籍は数千部売れたら良いところで、1万部でそこそこヒット、10万部は大ヒット、100万部も売れたら大流行作家である。

しかし、冷静に考えてみて欲しいのだが、日本の人口は1億2000万人である。その中の100万部など全体から見たら「たかが知れている」数字である。テレビの視聴率で言えば1%でしかない。1%の視聴率なら打ち切りレベルである。

出版社は「文字」で稼いでいない。出版社は「マンガ=映像」で稼いでいる。文字を読む人は少ないというのはデータとして出ているので、もともと「文字」に注力するのは不利だった。

その傾向がインターネットとスマートフォンの時代になって拍車がかかっている。

スマートフォンはとても小さなディスプレイである。これが主流なので、小説を読むにしても、「文字びっしり」の小説は敬遠される。そのため、まるでLINEの会話をそのまま写したのではないかと思うようなライトな小説が好まれる。

ニュースサイトでも本文を読む人よりも、見出しだけで判断する人の方が多い。さらに、ネットには文字が満ち溢れているように見えるのだが、すでにインターネットのメインストリームも文字ではなく動画やマンガに移っている。

インターネットは「文字が中心だった世界」の頃はマニアのもので、画像・動画が主流になってからやっと大衆《マス》のものになったと言える。長文はもはや「化石」のような存在になってしまっている。

当然だが、このままでは「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」とか「日本人の3分の1は日本語が読めない」という世界は、もっと悪化していく。そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

読解力がなければ仕事で苦労するだろう。理解力がなければ能力も向上しないだろう。仕事では不利な立場に置かれることになり、やがてそれは収入にも反映されていくのだろう。しかし、日本語が読めない人たちが減ることはない。

この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人
本を読む人口は一定数いる。文章をじっくり読む人が好きな層は、どんなに動画時代に入っても消えることはない。

私自身は子供の頃から典型的な「文字人間」で、私はマンガを読むのが苦手だし、テレビも見ないし、映画も見るときは何か義務感のようなものを感じて「娯楽として楽しむ」という姿勢になれない。

やはり文字が読みたいのである。それも、きちんとした文章が読みたい。

しかし、私のように「本を読むのが好きだ」というのは、狭い世界の「変わった趣味」になっており、決して世の中のメインストリームではない。テレビやYouTubeのような動画は世間に広く受け入れられるが長文は避けられる。

若者になればなるほど、大部分は長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。

長文は明確に避けられる。そして、長文が避けられ続けることによって、「長文が読めない」人が普通になっていき、長文が読める人の方がむしろ珍しくなっていく。

長文が読めないのだから、当然のことながら長文を書くこともできない。長文で書かれた大事な資料は長文で理解できない人が半分以上になるので、動画に置き換えられて要点が説明される方向に変わっていく。

つまり、長文の読解力が必要な場面になっても、長文が読まれるようになるのではなく、動画で説明される時代になるということだ。

そう考えると、この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人で、それを読むことができるのは特殊技能を持った人という扱いになっていくのではないかとも思っている。

今後、「超」高度情報化社会に入るのに長文がどんどん避けられるのだから、私から見ると何か割り切れないものもある。しかし、超高度情報化社会の主役は動画になるというのは避けられない動きであり、時代が文字に戻ることはないだろう。


『本の読み方 スロー・リーディングの実践(平野 啓一郎)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4569768997/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=blackbook2tok-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4569768997&linkId=384d66400b27ed3a100f2992c8ff7fd7


https://blackasia.net/?p=26699  

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コメント
1. 2021年10月14日 08:26:07 : g44oCUBLkU : M2E2MzNnLnIvUjY=[4] 報告
マンガ全盛時代。忌避されていく長文と、これからも求められていく「描く」才能
2021.10.14
https://blackasia.net/?p=27126


元々、ブラックアジアは東南アジアの暗いアンダーグラウンドの世界を題材にしているのだが、これを私自身がコミカライズ化したら、きっと誰も読めないような凄まじくダークな絵柄でブラックな内容になってしまうに違いない。もっとも私がマンガを描けるわけがないので、ただの夢想だが……。(鈴木傾城)


今後も「長い文章」はどんどん忌避されてしまう
以前にも書いたが、日本人の若年層の多くが「文字」を読まなくなっている。(ブラックアジア:そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?)

本当に日本人の半分が日本語を読めない人になるのかどうかは別にして、日本語を読める人でも「長い文章」を忌避する傾向がかなり強くなった。

最近ではTwitterの140文字ですらも「文字が多い」と感じる若年層が大勢いて、日本で言えばLINEのようなメッセージアプリの10文字くらいでやり取りするレベルの文字量が心地良いということだ。

10文字と言えば、「おはよう」とか「元気?」とか、そのレベルでしかないのだが、若者はそういう短い単語レベルの文章を読み書きして、後は自分の感情や状況はそれらしき絵を使って表現する。

その絵というのは絵文字であったり、スタンプであったり、どこかで拾って来た画像であったり、マンガであったりするのだが、そういうのを使ってコミュニケーションするので、もう長い文章であれこれ書かない。

現代人の「目」をつかんでいる媒体はスマートフォンである。もう本も新聞も紙では読まれないし、そういうのを持ち歩く人も極度に減った。若者だけでなく中高年もみんな「何をするにも」スマートフォンを見ている。

小さなスマートフォンの画面では長い文章を読むのはことさら億劫だし、キーボードもないので長い文章も打てないので、勢い絵に頼ることになる。だから、今後も「長い文章」はどんどん忌避されてしまうのである。

文字が廃れるとか、長文を読む人がいなくなるとか、そういう話をしているのではなく、長い文章は読まれなくなり、実質的に「文字の時代は終わっている」という話をしている。


『アジア売春街の少女たち〜スワイパー1999』より。スワイパーというのはカンボジアの首都プノンペンになったベトナム人の売春村。もちろん、実在の村である。
避けているとますますマンガが読めなくなるという悪循環

私自身は他の誰よりも「文字人間」である。子供の頃から誰かと話しているよりも、テレビを見るよりも、マンガを読むよりも、ただ文字ばかりが書かれた本を読む方が好きだった。それは今も変わっていない。

そのため、「文字の時代は終わった」としても、私自身は文字の世界を捨てることはないだろう。私は文字を読むことで生きている実感を味わっている。

実のところ、私はマンガもほとんど読まない。誰かに勧められて読まざるを得なくなったとか、勉強のために読む必要ができたとか、何らかの「外圧」があった時だけマンガを読む。

読む時も、「さて、読まなければ……」と決意して、受験の参考書でも読むような悲愴な心境で臨むのが常だ。なぜなら、私はマンガの世界観に慣れていないし、絵にも興味がないし、マンガの正しい読み方もよく分かっていないので、慣れないマンガを読むのが苦痛だからである。

「なぜ、文字で表現しないのだろう」とか余計なことも考えてしまうので、ますますマンガを読んでいて苦痛になる。苦痛なのでずっと避けているわけで、避けているとますますマンガが読めなくなるという悪循環である。

そんな私も自分の小説『スワイパー1999』が、ぶんか社でコミカライズされたので、『アジア売春街の少女たち〜スワイパー1999』を読んでいる。

原作が自分のものであるがゆえに、文章とマンガの表現の違いがいろいろ目について、はじめて「ああ、マンガというのはこういう文章をこういう切り取り方をして表現するのか」と勉強になった。

コミカライズされたこのマンガは原作と完全一致ではない。最初からそうしなくてもいいと私は伝えていたし、物語の大筋は同じでも細部は表現者の裁量に任せたのでかなり原作と違う部分もある。

そういうのも含めて「マンガというのはこうなのか」と文字の世界とマンガの世界の違いに興味を持ったのだった。


『アジア売春街の少女たち〜スワイパー1999』より。原作が自分のものであるがゆえに、文章とマンガの表現の違いがいろいろ目について、はじめて「ああ、マンガというのはこういう文章をこういう切り取り方をして表現するのか」と勉強になった。
下手したら100倍も200倍も、文字だけの本より売れていく
小説の売れ行きとマンガの売れ行きを比較したら、もはや比べものにならないほど圧倒的なまでにマンガの方が売れるだろう。10倍以上どころか100倍以上違うかもしれない。

それだけ日本ではマンガの支持が圧倒的なのである。脅威的なまでに違う。

村上春樹の『ノルウェイの森』なんかは1000万部も売れたということで、これはもはや伝説級の売上だ。ところが、マンガの世界では1000万部など吹けば飛ぶような塵《ちり》のような数字なのである。

歴代発行部数ランキングを見ると、『ワンピース』4億9000万部だとか、『ゴルゴ13』3億部だとか、『ドラゴンボール』2億6000万部とか『ナルトNARUTO』2億5000万部……とか、想像を絶する部数が出ている。

もちろん、マンガは巻数が多いので1作品で比較するのはフェアではないかもしれない。

しかし、仮に『ノルウェイの森』が大河小説で100巻まであったとしても、3億だとか4億には到底届かないだろう。そもそも、100巻もある大河小説など誰も読まなくて逆に売上は10分の1以下に減ってしまうはずだ。

そして、マンガは文字の世界よりも30倍も40倍も、下手したら100倍も200倍も、文字だけの本より売れていく。ついでに言うと、マンガは100巻でも平気で売れるのだ。100巻越えは16作品ほどあって、今後も増えていくだろう。『ゴルゴ13』は、いろいろ合わせると全202巻くらいあるという。

同じ「本」だとしても、こうまで潜在的市場が違ってしまっていたら、もはや「世界が違う」というしかない。マンガというのは、それほどまで凄まじい世界だということだ。ちなみに、私はここで挙げたマンガのすべてを読んだことがない。


『アジア売春街の少女たち〜スワイパー1999』より。小説の売れ行きとマンガの売れ行きを比較したら、もはや比べものにならないほど圧倒的なまでにマンガの方が売れるだろう。10倍以上どころか100倍以上違うかもしれない。
日本人の多くが今後もマンガにのめり込んでいくのだろう
時代は稀に振り子のように右から左へ、左から右へと振れることがある。とすれば、今はマンガが隆盛だが、これから再び「文章の時代」に戻ってくることがあるのだろうか。人々はこぞって文章を読むようになるだろうか……。

私は今のところ「それはないだろう」と考えている。それこそ今のハイテク文明が何らかの要因で自壊して、文明がグーテンベルクの時代にまで退化したら再び文字の時代が戻って来るかもしれない。

しかし、そんなことを考えるのは時間の無駄だ。文字の時代は戻って来ない。

ではマンガの時代はこれからも永遠に続くのだろうか。いや、私はそれも違うと思っている。ハイテクは、やがてマンガというジャンルも時代遅れにしてしまうような、何か新たな新しい分野を生み出すかもしれない。

それは私には分からない。しかし、何にしろ世の中は今とは違う世界に変わっていくのだろうが、しばらくはマンガという強大なジャンルは続いていくのだろう。

「マンガか……」としみじみ思う。コミカライズされた自分の小説をマンガで読みながら、私は自分自身がブラックアジアをマンガで書いたらいったいどんな作品になってしまうのだろうと夢想してしまった。

元々、ブラックアジアは東南アジアの暗いアンダーグラウンドの世界を題材にしているのだが、これを私自身がコミカライズ化したら、きっと誰も読めないような凄まじくダークな絵柄でブラックな内容になってしまうに違いない。

もっとも私がマンガを描けるわけがないので、ただの夢想だが……。

何にしろ、マンガを描くというのは違う才能である。そして、その才能は巨大な需要がある分野の才能でもある。日本人の多くが今後も大量のマンガを求め、マンガにのめり込んでいくのだろう。


『アジア売春街の少女たち〜スワイパー1999』より。スワイパー1999の物語は実在の事件を組み込んでいるのだが、物語自体はフィクションである。出てくる女性は、どの女性もモデルがいる。当時、スワイパーにいた男たちの中には誰がモデルなのか分かる男もいるかもしれない。

https://blackasia.net/?p=27126

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