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米国の資本家はスターリンを倒す為にヒトラーを支援した
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 01 日 18:32:27: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 共産主義の歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 15 日 21:58:43)

米国の資本家はスターリンを倒す為にヒトラーを支援した


2021年07月31日
ナチスを育てた米国の資本家 / 隠された西歐史
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html


ヒトラーに資金を流した黒幕

Hitler 2232J.P. Morgan 221

(左 : ドイツ兵を前にするヒトラー / 右 : ウォール街の大物 J.P.モルガン)

  西歐世界における歴史教育は非常に厄介だ。なるほど、歐米諸国では優秀な大学教授や有名な研究者が、膨大な資料に基づき様々な歴史書を出版してきたし、現在も続々と新刊本が出ている。かつてのソ連圏や支那、朝鮮で出版される歴史書なら、「こんなのは政治プロパガンダの一種だろう」と笑われてゴミ箱行になるところだが、名門大学の権威者が世に出した“学術書”となれば話は別だ。一般人は準聖書の如く扱い、謙虚な心を以て恭しくその青史を繙く。まさか、歴史の真実を隠蔽するための偽典とは思わない。なぜなら、多少、解釈や判断の違いがあっても、あからさまな捏造は無いからだ。しかし、高名な学者であっても、何らかの“不都合な事実”を葬るため、意図的に言及を避けたり、陰謀論として却下するから一般国民には注意が必要だ。

  従来の学校歴史観だと、英米はソ連を同盟国にして、極悪のドイツ、イタリア、日本を成敗したことになっている。さらに、英米の勝利は「ファシズムに対するデモクラシーの勝利」となっているから片腹痛い。なぜなら、どうして極悪の共産主義国、すなわち全体主義のソ連が同盟国となっているのに、リベラル・デモクラシーの勝利と宣言できるのか? しかも、アメリカは大虐殺を厭わない毛沢東を支援して、支那大陸の赤化を推進した張本人。朝鮮戦争だって、ディーン・アチソンやジョージ・マーシャルの不可解な言動を調べれば、米ソの「出来レース」だと判る。東アジアは米国から遠く離れた化外の地。冷たい“緊張状態”が続くことは、エスタブリッシュメントにとって必ずしも損な状態ではない。ノルマンディー上陸作戦だって甚だ怪しく、ポーランドを含めた東歐諸国をソ連に貢ぐための策略じゃないのか、と思えてくる。もし、本当に歐洲を救いたければ、フランスの海岸じゃなくバルカン半島から上陸し、北上しながら反撃すればいいじゃないか。英米の一般人は、ポーランドがヒトラーの手から解放され、スターリンの懐に入ったから嬉しいのか?

Normandy D Day 001WW II Battle-of-Stalingrad

(左 : 「ルマンディー上陸作戦」に参加したアメリカ兵 / 右 : 第二次大戦で勝利したロシア兵)

  もちろん、一般のアメリカ国民や連合軍の将兵は、米国と歐洲を救うべく、多大な犠牲を払ったと思っている。しかし、大戦が勃発する原因や経緯、戦後の経済体制や国際秩序を冷静に見つめてみれば、何となく割の合わない結果であることに気づく。普通のアメリカ人やイギリス人は絶対に口にしないけど、「どうも、腑に落ちない。日独に勝ったとはいうものの、俺達の生活は良くならないどころか、以前よりも悪くなっている。第一、ナチズムを一掃したら、今度は故郷に有色人種が増えちまった。アーリア人を殺して、アフリカ人が隣人なんて真っ平御免だぞ。これなら、ドイツと一緒に組んでユダヤ人を中東に叩き出しておけばよかった。あれだけ多くの血を流したのに、その結果がこの程度なんて・・・」と嘆いてしまう。そもそも、大戦前にブリテン帝國の崩壊と英国病を予想したイギリス人は、いったい何人いたんだ? また、南洋戦線で日本兵を撃ち殺した白人兵は、本国での人種平等、つまり黒人との混淆やユダヤ人との共生を望んでいたのか?

  第二次世界大戦の隠された目的は、独立を高めるドイツ帝國への懲罰処分にあった。我々はナチ・ドイツがヨーロッパ諸国を侵掠し、ユダヤ人を迫害したから、正義と秩序を守る英米が蹶起(けっき)した、と習っている。しかし、こんなのは子供騙しの御伽噺だ。大戦の理由は幾つかあるけど、そのうちの一つは、歐米世界を牛耳る闇組織の誤算にあった。ロスチャイルド家の指令を受けたウォーバーグ銀行が、レーニンのボルシェビキに資金を流したことはよく知られている。日本人は「ロシア革命」と思っているが、実質的には「ユダヤ人によるクーデタ」と呼んだ方がいいだろう。嘘だと思う日本人は、ボルシェビキの幹部を一人一人じっくりと眺めてみれはいい。

  ポグロムを以てユダヤ人を度々迫害してきたロマノフ朝ロシアは、ユダヤ人にとったら不倶戴天の敵であるから、一家皆殺しは当然の結果である。しかし、革命の目的はそれだけではない。ロシアの富を収奪しようとする連中にとって、買収の効かないロシア皇帝は邪魔者でしかなかった。もし、外国人勢力がロシアの天然資源を根こそぎ奪い、民衆を低賃金労働者にして搾取すれば、必ずやロマノフ王朝は介入してくる。おそらく、外国企業は国外追追放になってしまうだろう。でも、子飼いのレーニンが支配者になれば、共産党が唯一の窓口になるから、党の幹部に甘い汁を吸わせておけば、後は国際企業のやりたい放題。巨大な資金を有するオルガルヒのような悪党、つまりロシア人の“フリ”をしたユダヤ人が、ロシアの至る所で跋扈し、ロシアの石油や稀少金属を掘り出して巨万の富を得るだろう。もちろん、ボルシェビキの一般党員は「赤色革命」の輸出に夢中だ。しかし、裏から資金を流していた連中は違う野望を抱いていた。そして、世界政府の樹立を目論む大富豪は、レーニン亡き後の指導者にレフ・トロツキーを充てようと考えていたのだ。

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(左 : ウラジミール・レーニン / 中央 : レフ・トロツキー / 右 : ヨシフ・スターリン )

  ところが、グルジア人のヨシフ・スターリンが、国際金融業者の計画に大きなズレをもたらした。スターリンは巧妙な策略を用いてトロツキーを欺き、レーニンの葬儀に参列できないよう仕組んでしまう。意識朦朧のレーニンから「後継者の指名を受けた」スターリンは、独裁者として赤いロシアに君臨する。しかも、冷徹な目で現状を捕らえる大元帥は、トロツキーの永続革命論を斥け、一国社会主義で自分の土台を固めようと考えた。これはトロツキーを「操り人形」にしようと考えていた資金提供者にとっては番狂わせのパプニングだ。彼らはスターリンを甘く見ていたのかも知れない。知識人型のレーニンと違って、暴君型のスターリンは金持ちどものペットになる気は更々無かった。レーニンは資本家の足元にひれ伏したが、スターリンは彼らの尻(ケツ)を舐めるのが大嫌い。ユダヤ人のパトロンに頭を下げるくらいなら、自前で金を稼ぐ方がいいと考えた。実際、スターリンは金に困って強盗になったし、売春婦を搾取する女衒にもなっていた。やはり、革命家は暴力団の闘士でなきゃ。

  ボーダレス・エコノミーを夢見る資本家達は、「絶大な権力を手に入れたスターリンを何とか制禦しなければ !」と思い、このグルジア人を懲らしめる政敵を創ろうと考えた。そこで目に附けたのが、当時、まだ駆け出しの政治家であったアドルフ・ヒトラー。なんと、ロンドンやウォール街を牙城とする大物ビジネスマンは、現地の企業を通してヒトラーに活動資金を渡していたのだ。この経緯については、アンソニー・サットン教授が詳しく述べている。フーバー研究所に属していたサットン教授は、ウォール街とボルシェビキの関係を明らかにしたことで有名だ。彼の三部作を読めば、どんな人物がヒトラーのパトロンになっていたかが判る。

Anthony Sutton 1Emil Rathenau 002Walther Rathenau 001


(左 : アンソニー・サットン / 中央 : エミール・ラーテナウ / 右 : ヴァルター・ラーテナウ )

  ヒトラーの台頭を助けた企業として挙げられるのは、米国の有名企業である「ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)」である。この会社はベルリンにある「ドイツ・ジェネラル・エレクトリック社(Allgemeine Electricitäts Gesellschaft / A.E.G.)」と提携し、国家社会主義者のヒトラーを支援するスポンサーになっていた。「A.E.G.」というのは、エミール・ラーテナウ(Emil Rathenau)がトマス・エジソンの特許を取得して設立した、「ドイツ・エジソン電器会社(Deutsche Edison Gesellschaft für angewandte Electricität)」が前身となっている。そして、エミールの息子というのが、ワイマール共和国で外相を務めたヴァルター・ラーテナウ(Walter Rathenau)ときている。彼は1922年に暗殺されてしまうが、元々は父親の跡を継いでA.E.G.の経営を担っていた人物だ。

  ドイツでA.E.G.をパートーナーにしていたのが、アメリカの「ジェネラル・エレクトリック(GE)」で、GEの経営陣には、日本でも有名なオーエン・ヤング(Owen D. Young)とジェラルド・スウォープ(Gerard Swope)がいた。第一次大戦後、ベルサイユ体制で痛めつけられたドイツは、不況とハイパー・インフレーションに見舞われ、賠償金の返済にも困っていた。これを憂慮したアメリカは、ドーズ案とかヤング案を用いてドイツの経済復興を助けようとした。当時のカルヴィン・クーリッジ大統領は、特別委員会を設置し、元銀行家で副大統領になったチャールズ・ドーズ(Charles Dowes)を委員長にしてドイツへ派遣する。オーエン・ヤングが議長となった委員会では、「ヤング案」という計画が作成され、これが新たな賠償方式となった。このヤング委員長はGEの会長で、復興支援を模索する傍ら、ドイツの電器産業を束ねる計画、すなわちカルテルを結成しようと目論んでいたのだ。彼は他の企業の経営にも携わっており、「Radio Corporation of America」の会長や「OSRAM」と「A.E.G.」の経営者、ニューヨークのFRB副議長も務めていた。(註 / 「オスラム : OSRAM」というのは、電球などの照明器具を製造するドイツ企業で、ここの日本法人は神奈川県にある。)

Owen D. Young 22Gerard Swope 001Charles Dowes 1


(左 : オーエン・ヤング / 中央 : ジェラルド・スウォープ / 右 : チャールズ・ドーズ )

  ジェラルド・スウォープはGEの社長で、「A.E.G.」や「OSRAM」の経営にも携わっていた。彼も様々な役職を兼ねており、RCA(ヤングが創設したラジオ局や電気機器、レコード会社を手掛ける多国籍企業)、NBC(三大ネットワークの一つ)、ニューヨークの「National City Bank」の経営陣にもなっていたが、ヤングと同じくモルガン商会の代理人であった。J.P.モルガンの手下は他にもいて、GEの経営陣に属するクラーク・ヘインズ・マイナー(Clark Haynes Minor)は、「International General Electric(I.G.E.)」の社長であった。ヴィクター・カッター(Victor M. Cutter)もGEの経営陣に加わっており、彼はボストンの「First National Bank」を任されていた。

  ドイツの経済界でカルテルを形成しようと図るGEは、大手企業のA.E.G.を傘下に納めようと画策した。1929年8月、1,400万マルク相当の株がGEの手に渡り、両者の人的関係や技術提携は濃密になった。1930年1月になると、A.E.G.の重役会議にはGEの三人衆、すなわちクラーク・マイナーとジェラルド・スウォープ、E. アーサー・ボールドウィン(E. Arthur Baldwin)が送り込まれた。(註 : ボールドウィンは「International General Electric Company」の副社長を務めていた。) GEの野望は壮大で、このアメリカ企業はドイツの大手企業である「シーメンス&ハルスケ(Siemens & Halske)社」にも食指を伸ばし、電器業界の独占を目指していたのである。しかし、GEの目論見は達成されず、シーメンス& ハルスケ社は独立を保つことができた。(このS&H社はシーメンス社の一部門で、かのシーメンス社は電気・通信技術をはじめ、発電機やロータリー・エンジンなどの開発も手掛ける大手企業。大正3年に発覚した「シーメンス事件」は有名で、帝國海軍の高官が贈賄を受けたとのスキャンダルが騒がれ、山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれた。)

  ウォール街からやって来た投資家や企業家は、貪欲にもドイツ企業の支配に励んでいた。GE社の「International General Electric(I.G.E.)」は、「A.E.G.」株の約30%を取得し、「Gesellschaft für Electrische Unternemungen」社の株だと全体の約25%、「Ludwig Lowe & Co.」も餌食となって、全体の約25%を占められていた。(「G.E.U」は投資会社から始まった電力供給会社で、鉄道事業も手掛けていたドイツ企業。「Ludwig Lowe」の方は、機械製造の会社で、武器弾薬の生産も行っていた。) IGEはOSRAMにも影響力を持ち、A.E.Gの経営陣を通して操っていたという。

  シーメンス社が間接的にヒトラーへ献金を行った事はあっても、直接的に渡したという証拠は無いらしい。でも、「A.E.G」や「OSRAM」からの資金提供は明らかで、「国家信託機構(Nationale Treuhand)」を介して資金を流していたそうだ。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler, Seal Beach, California : '76 Press, 1976, p.53.) 米国のビジネス業界と連動するドイツ企業もヒトラーに資金提供をしており、染料や肥料、窒素の生産で有名な「I.G. ファーベン(Interessengemeinschaft Farbenindustrie)」も直接的に献金を行っていた。A.E.G.から数名の役員がI.G. Farbenに出向しており、A.G.Eの会長を務めるヘルマン・ブュヒャー(Hermann Bücher)とユリウス・フレッチハイム(Julius Flechtheim)、そしてヴァルター・フォン・ラス(Walter von Rath)の三名は、I.G. Farbenの重役でもあった。

  A.E.G.のウァルター・ファーレンホルスト(Walter Fahrenhorst)は、「フェニックス社(Pheonix A.G.)」や「ティッセン社(Thyssen A.G.)」、「デマグ社(Demag A.G.)」の重役を兼ねており、この三社はともにヒトラーへの献金を行っていたという。(上掲書、p.57) また、潜水艦や戦車に使われるバッテリーを製造していた「Accumulatoren Fabrik 社」もA.E.G.の重役二名、アウグスト・フェファー(August Pfeffer)とギュンター・クァント(Günther Quandt)を迎えており、2万5千ライヒス・マルクの献金をヒトラーに渡していた。ちなみに、クァントは「Accumulatoren Fabrik 社」が発行する株の75%を個人的に持っていたそうだ。A.E.G.のポール・マムロス(Paul Mamroth)とハインリッヒ・ファールス(Heinrich Pferls)は「OSRAM」の重役で、同社はヒトラーに4万ライヒス・マルクの献金を行っていた。

  鉄鋼業から始まり兵器産業へと進出した「クルップ社(Krupp)」も「I.G.E」と繋がっていた。GEは子会社の「Carbolony Company」を使ってクルップ社とカルテルを組み、「炭化タングステン(tungsten carbide)」の値段を吊り上げた。1920年代、この素材は1ポンド当たり50ドルしかしなかったのに、Carboloyが特許を用いて独占を図ると、1ポンド当たり453ドルまで高騰したという。これにより、両社は大儲け。I.G.E.と提携したクルップは、60万ライヒス・マルクの資金をヒトラーに提供していた。

  学校の教科書を疑わない日本人は、ナチスとヒトラーの話を聞けば、直ぐにホローストや侵略戦争を頭に浮かべてしまうが、「誰が伍長上がりの活動家に銭を渡したのか」を考えることはない。政治家になるには理念や情熱だけでは不充分で、必ず活動資金が必要となる。ユダヤ人の害悪を訴える退役伍長は、大企業の御曹司でもなければ、貴族の道楽息子でもない。露骨に言えば、大勢の乾分(こぶん)を抱えたルンペン親分だ。潰しの利かない武闘派の手下に飯を与えるだけでも精一杯。だから、アメリカやブリテンからやって来た怪しいビジネスマンでもOKとなる。「シドニー・ウォーバーグ(Sidney Warburg)」というペンネームで出版された『Financial Origins of National Socialism』によれば、ウォーバーグ自身が1929年から1933年にかけて、5回ほどヒトラーと会談し、このドイツ人が資金を欲していると分かったので、約2500万ドルを送金したという。

Paul Warburg 11James Paul Warburg 221max_warburg_1905Eric Warburg 11


(左 : ポール・ウォーバーグ / ジェイムズ・ポール・ウォーバーグ / マックス・M・ウォーバーグ / 右 : エリック・H・M・ウォーバーグ )

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  もちろん、この「シドニー・ウォーバーグ」というのは実在の人物ではない。しかし、巷ではこの本がポール・ウォーバーグ(Paul Warburg)の息子であるジェイムズ・ポール・ウォーバーグ(James Paul Warburg)によって書かれたんじゃないか、という噂が流れた。なぜなら、第一次大戦で有名になったドイツ軍のエーリッヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff)将軍の再婚相手で、未亡人となったマチルデ(Mathilde Friedrike Karoline Ludendorff)夫人が、ニュルンベルク裁判でジェイムズ・P・ウォーバーグがウォール街とナチスの橋渡しになっていた、と証言したからだ。しかし、マックス・M・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)の息子であるエリック・H・M・ウォーバーグ(Eric Hermann Max Warburg)は大激怒。マチルデ夫人の言説を「でっち上げただ!」と言い放った。この「シドニー・ウォーバーグの虚説」に対して憤慨したエリックは、これを掲載した各新聞社に抗議し、正式に取り消してもらったそうだ。(ロン・チャーナウ 『ウォーバーグ : ユダヤ財閥の興亡』 下巻、青木榮一 訳、日本経済新聞社、1998年、 pp.298-299.) 

  ちなみに、チャーナウの翻訳本は全訳ではなく、大切な「註」も省略しているので、本の価値が半減している。せっかくの労作なのに、肝心の註を省いたから台無しだ。まぁ、数頁にわたる脚注を附けると値段が高くなるから割愛したんだろうが、翻訳者の青木氏と日経新聞社はアホな事をしたものだ。

  話を戻す。「シドニー・ウォーバーグ」の本は元々、ネーデルラントのアムステルダムにある「Van Holkema & Warendorf」という老舗の出版社から刊行された書籍である。ところが、この小冊子は極めて少数しか販売されなかったので、今では稀覯本となっている。ただし、ここに隠れた価値を見出した人がいたので、スイスでドイツ語版が出版されたという。さらに、ドイツ語版を基にして英訳本が出版され、 1980年代に入って「Research Publications」が復刊した、という次第である。現在は、「Omnia Veritas社」が出版しているので、日本人でもアマゾンで購入できる。原書の『De geldbronnen van het nationaal socialisme : drie gesprekken Hitler』(Amsterdam : Van Holkema & Warendorff, 1933)が誰によって書かれたのかが不明だから、安心して信用できる資料とはならないが、もしかすると、内情に詳しい誰かがこっそりと暴露したのかも知れない。全くの素人が出鱈目を書いたとは思えないから、たとえウォーバーグ家が否定しても、幾つかの箇所は事実なのかも知れないぞ。日本の歴史学者は、こうした点に目を附けて詳しく調べるべきなのに、ユダヤ人の書いた学術書ばかりを有り難がるんだから本当に情けない。

  我々は学校で社会科の授業を受け、テレビや雑誌でも第二次世界大戦について聞いている。しかし、その歴史観、あるいは説明の枠組みを誰が作ったのか、に関しては興味が無い。生前、外務省の外政官でサウジ・アラビアやタイに赴任した岡崎久彦大使が語っていたけど、敗戦国では戦時プロパガンダが暴露され、様々な嘘が明らかにされているが、戦勝国では戦時プロパガンダがそのまま残ってしまうらしい。不正確な情報が否定ささず、修正もされないまま温存され、やがてそれが「定説」となってしまうのだ。ナチ・ドイツに関する「歴史」もその危険性があり、ナチス側の反論は悉く斥けられ、英米の学者やユダヤ人の一方的な解釈と論説で「正統な歴史書」が綴られている。

  そもそも、事後法に基づくニュルンベルク裁判自体が違法だし、検事と判事が“グル”なんて論外だ。勝者側の裁判官はドイツ側の弁護士が証拠の提出を求めても却下するし、英米側が持ち出してくる「証拠」だって、どんな「味付け」がなされているのか分からない。公式な報告書だって巧妙な捏造かも知れないし、調査官が米国側の工作員という可能性もあるのだ。日本人はユダヤ人の証言を鵜呑みにするが、科学的捜査に基づく物的証拠も無いのに、それを「真実」と思うのは間違っている。だいたい、「宣誓証言」でもない「噂話」や「感想」を「事実」と宣伝するのは異常だ。もし、米国と英国の政府がドイツと日本を裁くなら、英米の極秘ファイルも公開すべきだろう。しかし、いくら日本の弁護士が機密資料の公開を求めても米国は応じまい。つまり、英米は「疚しい過去」や「不都合な真実」を隠したまま、日独を裁いたということになる。たぶん、アメリカの弁護士や裁判官は、心の底でこうした魔女裁判を「リンチ法廷」と見なしているはずだ。でも、自分の社会的地位を守りたいから、誰もが口をつぐんで知らぬ顔。悧巧な者は無口だ。

Deborah Lipstadt 001David Irving 222

(左 : デボラ・リプシュタット / 右 : デイヴッイド・アーヴィング )

  歐米の知識人に勇気のある人は少ない。A.J.P.テイラーやパトリック・ブキャナンのように、従来の「歴史観」に刃向かったら、ユダヤ人勢力の総攻撃を食らって自滅となる。日本でもそうだけど、有名になる知識人というのは、民衆から尊敬されたいと望み、出来ることなら優雅な生活を送りたいと欲する高級種族。しかも、綺麗事を語るのが大好きな偽善者。日本学術会議にたむろってい連中をみれば判るじゃないか。リムジン・リベラルの先生達は、真実を喋って貧乏暮らしなんて真っ平御免である。英国のデイヴッイド・アーヴィング(David Irving)は、普通の大学教授が怠けて調べないドイツの一次資料を丹念に調べ、驚きの事実を数々公表したが、歐米ではネオ・ナチとか異端の歴史家扱い。ユダヤ人学者のデボラ・リプシュタット(Debora Lipstadt)から目の敵にされたアーヴィングは、「ホロコースト否定論者」との因縁をつけられ、訴訟沙汰に巻き込まれて多額の罰金を科せられた。こうした迫害を受けたアーヴィングは、憐れなことに破産状態へと陥った。こんな惨劇を見れば、普通の知識人はビビってしまうだろう。だから、ちょっと賢い歐米人は、どんなにユダヤ人が事実をねじ曲げ、勝手な歴史観をバラ撒こうが、絶対に反論しようとは思わない。日本人は自由な言論空間にいると思っているが、それは鉄壁の枠組みが透明で目に見えないからだ。しかし、勇気を持って主流の枠組みから逸脱し、「陰謀論」と馬鹿にされる世界に立ってみれば、別の景色が見えてくるかも知れないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html  

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コメント
1. 中川隆[-14493] koaQ7Jey 2021年12月22日 10:31:04 : 2ZSh73GvKY : UHZ5QzlJQUtFdEU=[1] 報告

2021.12.22
COVID-19騒動に気を取られている間に軍事挑発を繰り返す米国へ露国が強い警告
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112220000/


 ​ウラジミル・プーチン露大統領は昨年6月、「レニングラード包囲戦」の際に2歳だった兄が死んだことを明らかにしている​。この戦闘は1941年9月から44年1月にかけて行われ、アドルフ・ヒトラーはレニングラード市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。

 この戦闘はドイツが1941年6月に始めた「バルバロッサ作戦」の一環で、ヒトラーはこの攻撃に310万人を投入した。西側には約90万人しか残していない。西側からの攻撃を考慮しない非常識な作戦が実行されたのはヒトラーが命令したからである。プーチンはバルバロッサ作戦の轍を踏まないと決意しているはずだ。

 しかし、アメリカ/NATOはウクライナや黒海の周辺で軍事的な恫喝を続けている。NATOをこれ以上東へ拡大させるなというロシア政府の要求に対し、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務局長はロシアが何を言おうと、ウクライナを加盟させるという意思を示し、NATO諸国はウクライナ軍を訓練、アドバイスを与え、軍事物資や技術を提供していると12月16日に宣言した。

 現在、ロシアの防衛ラインはバルバロッサ作戦が始まる前のソ連とほぼ同じ位置にある。アメリカ/NATOはさらにロシアへ攻撃ラインを近づけようとしているのだが、それをプーチン政権が許すと見るべきではない。すでにアメリカ/NATOはロシアが設定した「レッド・ライン」に到達している。

 12月17日に​ロシア政府が公表した文書​によると、NATOがこれ以上拡大させず、モスクワを攻撃するシステムをロシアの隣国に配備せず、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わず、NATOの艦船や航空機はロシアへ近づかず、定期的な軍同士の話し合いを実施、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないといったことを保証する文書を作成するように求めている。

 その前、12月15日にプーチン大統領と中国の習近平国家主席はバーチャル会議を開き、1時間14分にわたって話し合った。軍事問題だけでなく、両国独自の金融システムを構築することでも合意、習近平はロシアとの関係を「同盟以上」とも表現する。

 アメリカ/NATOに対するプーチン政権の立場は明確で、「戦争は避けたいが、戦争したいなら受けて立つ」ということだ。2008年8月にイスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃した時、あるいは2015年にバラク・オバマ政権がシリアへの本格的な軍事侵攻の準備を整えた時のように、動くときは速いだろう。

 おそらくプーチンの頭にあるであろうバルバロッサ作戦でドイツ軍は1941年9月にモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。ソ連軍の敗北は決定的だとヒトラーが語ったのは10月。ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しているが、モスクワは陥落しない。

 そこでドイツ軍は翌年の8月にスターリングラード(ボルゴグラード)市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名が降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。

 こうした状況を見たアメリカとイギリスは動きを活発化、1943年5月にワシントンDCで両国は会談、7月に両国の軍隊はシチリア島に上陸した。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏する。この際、コミュニスト対策としてマフィアの協力を得ている。

 ドイツの敗北が決定的になってからイギリスとアメリカはゲリラ戦部隊の「ジェドバラ」を編成する。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのはレジスタンスだけで、その主力はコミュニスト。非コミュニストでレジスタンスに参加したシャルル・ド・ゴールは珍しい存在だと言えるだろう。コミュニストの影響力を押さえ込むことがジェドバラ編成の目的だったとされている。

 ジェドバラは戦争の終結で消滅するが、人脈は生き残る。1948年に極秘の工作機関OPCが組織される際にその人脈が中核となり、そのOPCは1950年10月にCIAと一体化して計画局(DDP)になる。クーデターや暗殺を仕掛ける破壊工作部門だ。1970年代に議会で秘密工作が調査の対象になると、名称を作戦局(DDO)に変更、国家秘密局(NCS)を経て作戦局に戻っている。

 ロシア政府はアメリカ/NATOに対して「最後通牒」を突きつけたとも見られている。これをアメリカ政府が無視した場合、ロシア政府はバルバロッサ作戦の轍を踏まない決意をしている可能性があるが、アメリカはこのまま進むと早晩、破綻する。再びヘゲモニーを握るためにアメリカが戦争を必要としていることも否定できない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112220000/

2. 中川隆[-12825] koaQ7Jey 2022年12月27日 16:23:19 : E4ZieSqcgA : eXgxNmV4YUM2cWM=[2] 報告
2022.12.27XML
CIAはNATOの秘密部隊ネットワークを利用し、ロシアに対するテロ戦争を始めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212270001/

 ​ロシアの治安機関であるFSB(連邦保安庁)によると、12月25日にウクライナからロシアのブリャンスクへ侵入しようとした4名のチームを銃撃戦の末に殲滅した​という。その4名はサブマシンガンやカービン銃で武装、破壊活動に使う予定だったと思われる爆発物を持っていた。

 12月5日にはロシア領内へ深く入った場所にあるディアギレボ基地とエンゲルス基地が、また12月26日にもエンゲルス基地がそれぞれUAV(ドローン)で攻撃されたが、いずれもロシア領に潜入した工作員によるものだと言われている。​ジャーナリストのジャック・マーフィーによると、CIAはNATO加盟国の情報機関を利用し、ロシアで破壊活動を続けてきた​。本ブログでも繰り返し書いてきたように、アメリカとイギリスの情報機関はNATO加盟国全てに秘密部隊を作らせている。

 この秘密部隊の背景にはイギリスとアメリカの対ソ連戦略があった。第一次世界大戦の際にイギリスはロシアとドイツを戦わせるため、MI6を使い、障害になっていたグレゴリー・ラスプーチンを暗殺する。

 1917年3月の「二月革命」で誕生した臨時革命政府は巨大資本と手を組んでいたこともあり、戦争推進。それを嫌ったドイツは「即時停戦」を主張していたウラジミール・レーニンが率いるボルシェビキに目をつけ、その幹部をロシアへ列車で運ぶ。ドイツの思惑通りボルシェビキ政権は即時停戦を決めるが、アメリカが参戦していたこともあり、ドイツは負けた。

 しかし、そうした経緯もあり、ドイツとボルシェビキ政権は友好的な関係を維持するが、ナチスの台頭によって関係が壊れる。ソ連はイギリスと共同でドイツを抑え込もうとするが、失敗。ヨシフ・スターリンは1939年8月にドイツと不可侵条約を結ぶのだが、41年6月にドイツ軍の4分の3隊がソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。西側に4分の1しか残さなかったのはアドルフ・ヒトラーの命令によるが、彼は西から攻められる心配がないことを知っていたと考える人もいる。

 1990年代にNATOは東へ、つまりロシアへ向かって拡大し始めた。約束違反だが、アメリカやイギリスの支配者の言うことを信用することが悪い。この段階で「新バルバロッサ作戦」は始まっている。その山場が2010年1月から14年2月にかけてのウクライナにおけるクーデターにほかならない。その「新バルバロッサ作戦」が現在、ロシア軍の反撃で窮地に陥っている。

 ところで、ソ連に攻め込んだドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。ソ連軍は敗北し、再び立ち上がることはないと10月3日にヒトラーはベルリンで語り、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、レニングラードでドイツ軍は激しい抵抗に遭い、モスクワは陥落しない1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月からソ連軍が猛反撃に転じ、翌年の1月に生き残ったドイツの将兵は降伏した。この時点でドイツの敗北は決定的だ。

 そこで慌てたのはイギリスのチャーチル政権。すぐアメリカ政府と協議し、1943年7月に米英両国軍はシチリア島上陸作戦を実行する。その作戦の最高司令官はイギリス人のハロルド・アレグザンダーで、その下で戦ったのがジョージ・パットン司令官の第7軍(アメリカ軍)とバーナード・モントゴメリー司令官の第8軍(イギリス軍)だ。この作戦が相手にしていたのはドイツでなくソ連だと言えるだろう。

 その年、アメリカのOSSとイギリスの特殊部隊SOEはレジスタンスに対抗させるためにゲリラ戦部隊を組織する。それが「ジェドバラ」だ。大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、レジスタンスだけだが、その主体がコミュニストだったことから米英の支配層は敵視していたのだ。後にシャルル・ド・ゴールが命を狙われた一因は彼がレジスタンスに参加していたからだとも言われている。

 大戦後にジェドバラは解散するが、人脈は消えない。その人脈はアメリカで破壊工作機関OPCを創設、1951年にはCIAの内部に入り込み、秘密工作部門になる。要人暗殺やクーデターを仕掛けてきたのはこの部門だ。

 この人脈はヨーロッパで破壊工作機関のネットワークを組織、NATOが創設されるとその内部に入り込む。そのネットワークの中で最も有名な組織はイタリアのグラディオ。1960年代から80年代にかけ、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画している。そのメンバーを日本政府が守ったことも知られている。ネットワークを指揮しているのはイギリスのMI6とアメリカのCIAだ。

 NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要がある。アメリカ人ジャーナリストのアーサー・ローズ、情報活動に関するイタリアの専門家であるジュゼッペ・デ・ルティース、イタリアでグラディオを調査しているマリオ・コグリトーレなどもこの議定書は存在していると主張している。

 この問題を研究しているダニエレ・ガンサーによると、NATOの元情報将校は「右翼過激派を守る」ことが秘密の議定書によって義務づけられていると語っている。コミュニストと戦うために彼らは役に立つという理由からだという。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

 秘密工作ネットーワークにはウクライナのネオ・ナチを率いているひとりのドミトロ・ヤロシュも含まれていると言われているが、ロシアの内部にも網の目は伸びているだろう。そうした網を構成する工作員が活動を開始したとマーフィーは言っているのだ。

 9月26日のノード・ストリーム爆破はイギリス海軍が実行したとロシア政府は主張しているが、10月8日にクリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)が爆破された事件はイギリスのMI6が計画したとも言われている。

 10月29日にクリミアのセバストポリにある基地がUAVや無人艦で攻撃されたが、攻撃を実行したのはオチャコフにいるイギリスの専門家から訓練を受けたウクライナ第73海軍特殊作戦センターの隊員だという。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212270001/

3. 中川隆[-12806] koaQ7Jey 2023年1月23日 17:14:54 : MoYzjeDoZc : R0ljb0czOW8uQms=[12] 報告

2023.01.23XML
ロシアとの戦争で劣勢のアメリカはNATOとEUの戦略的な関係を宣伝
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202301230001/

 ​NATOとEUは「共通の価値観、共通の課題に取り組む決意、ユーロ大西洋地域における平和、自由、繁栄を促進し、保護するという責務」に基づき、戦略的な協力関係を築くとしている​。アメリカ/NATOが仕掛けた対ロシア戦争で劣勢になった危機感の現れだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、NATOはヨーロッパを支配する仕組みとしてアメリカやイギリスの支配層によって創設された。NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATOを創設した目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることのあると公言している。

 そのイスメイはドイツ軍が「バルバロッサ作戦」を始めて間もない1941年10月の段階で3週間以内にモスクワは陥落すると推測していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 勿論、心配していたわけではない。アドルフ・ヒトラーはこの作戦に約300万人を投入、西部戦線には約90万人しか残さなかったことから西からの攻撃はないと確信していた可能性が高い。

 ナチス政権は1934年1月にポーランドと不可侵条約を締結したが、両国の間には飛地の問題、いわゆる「ポーランド回廊」の問題があったのだが、交渉はほぼ合意に達し、1939年3月21日にポーランドのジョセフ・ベック外相がドイツの首都ベルリンを訪問することになった。

 ところがベックは姿を現さず、ロンドンへ向かった。ロンドンではコントロール不能になったアドルフ・ヒトラーをどうするか決めるために西側各国の指導者が集まっていた。そして3月26日にポーランドはドイツに対し、回廊をドイツに返還しないと通告する。

 その年の8月11日にイギリスとソ連はドイツ問題で交渉を開始、ソ連の国防相(国防人民委員)と参謀総長はポーランドの反対が解決されれば、ドイツを封じ込めるために軍隊をドイツとの国境へ派遣する用意があると提案している。

 イギリスのテレグラフ紙によると、部隊の規模は120歩兵師団と16騎兵師団だが、イギリスの代表は交渉する権限がないという理由で回答を拒否した。見切りをつけたソ連は1939年8月23日にドイツと不可侵条約を結ぶ(Nick Holdsworth, “Stalin ‘planned to send a million troops to stop Hitler if Britain and France agreed pact’, the Telegraph, 18 October 2008)のだが、これは「ミンスク合意」のようなもので、守られない。

 1939年9月1日にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻。チェコスロバキア侵攻のケースでは黙認したイギリス、フランス、オーストラリア、そしてニュージーランドが9月3日に宣戦布告して第2次世界大戦は始まったのだが、ドイツはそれから半年間、目立った戦闘を行なっていない。イギリスやフランスもドイツとの本格的な戦闘を始めない。「奇妙な戦争」の期間だ。ドイツはこの時点で大規模な戦争を始める準備をしていなかった可能性が高い。そしてバルバロッサ作戦へと進む。

 ドイツの対ソ連戦はイスメイの思惑通りには進まず、1942年1月にドイツ軍はモスクワでソ連軍に降伏、8月にはスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢に見えたが、11月になるとソ連軍が猛反撃に転じ、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、1943年1月にドイツ軍は降伏する。この時点でドイツの敗北は決定的だった。イギリスとアメリカが動き始めるのはこの後である。

 ドイツが降伏する直前の1945年4月に反ファシストのフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、降伏直後にチャーチル英首相はソ連に対する奇襲攻撃の作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)へ命令、5月22日には。「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 下野したチャーチルは第2次世界大戦後、冷戦の開幕を告げる。その冷戦は1991年12月にソ連が消滅した時点で終わり、アメリカの国防総省では世界制覇プランが作成された。​国防次官補のポール・ウォルフォウィッツが中心になって書き上げた「DPG草案」、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」​だ。

 その目的として、ソ連と同じような脅威をもたらす新たなライバルの再出現を防ぐことだとしている。アメリカにとって重大な脅威が発生する可能性がある地域として、旧ソ連だけでなくヨーロッパ、東アジア、中東、南西アジアを挙げ、またラテン・アメリカ、オセアニア、サハラ以南のアフリカも注目している。要するに、全世界でアメリカのライバルが出現することを許さないというわけだ。

 1991年12月にソ連が消滅して以来、NATOはソ連首脳との約束を無視して東へ拡大させるが、これはロシアにとって「新たなバルバロッサ作戦」にほかならなかった。

 2014年2月にアメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使った暴力的なクーデターでキエフを制圧、クーデターに反対する東部や南部を軍事的に占領しようとする。そして始まったのがドンバスにおける内戦だ。

 軍や治安機関の内部にもネオ・ナチによるクーデターに反発する人は少なくなかったこともあり、内戦はドンバスの反クーデター派が優勢。そのまま進めばドンバス軍の勝利で終わりそうだったが、そこで話し合いによる解決を目指す動きが出てくる。ドイツやフランスを仲介者とする停戦交渉が始まったのだ。

 その結果、ウクライナ、ロシア、OSCE(欧州安全保障協力機構)、ドネツク、ルガンスクの代表が2014年9月に協定書へ署名する。これが「ミンスク合意」だが、キエフ政権は合意を守らず、2015年2月に新たな合意、いわゆる「ミンスク2」が調印された。

 この合意について​アンゲラ・メルケル元独首相​は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでウクライナの戦力を増強するための時間稼ぎに過ぎなかったと語っている。メルケルと同じようにミンスク合意の当事者だった​フランソワ・オランド元仏大統領​もその事実を認めた。

 アメリカ/NATOは兵器や装備品を供給、兵士を訓練、軍事情報を提供する態勢を整備していく。のちにロシア軍が回収したウクライナ側の機密文書によると、2022年春に軍事作戦を始める計画を立てていた。その直前、2022年2月にロシア軍は軍事作戦を始動させた。

 この軍事作戦についてNATOは「深刻なユーロ大西洋の安全保障への脅威」だと表現、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権に対する支援をEUと共同でさらに強化すると宣言している。

 アメリカ/NATOは2014年2月、ウクライナの独立や主権を無視したクーデターで領土を占領、ウクライナ人から自らの運命を選択する権利を奪ったわけである。そしてロシアに対する軍事的な恫喝を強化した。

 クーデターで占領できなかったドンバスやクリミアを制圧するため、アメリカ/NATOはウクライナの戦力を増強する必要があり、そのための時間稼ぎがミンスク合意だった。

 ところがロシア軍が先手を打ち、戦況はアメリカ/NATOの思惑通りに進んでいない。ジョー・バイデン政権が始めたロシアに対する経済戦争はロシアへダメージを与えられないだけでなく、EU社会に混乱をもたらしている。それが西側を苦しめている「食糧とエネルギーの危機」だ。

 アメリカ/NATOからの攻撃を受けたロシアは中国との関係を強化、今では「戦略的同盟関係」にある。米英の支配層は中国経済を1970年代に新自由主義化、経済だけでなくアカデミーの世界も支配することに成功したのだが、ロシアと中国との接近を阻止できなかった。

 シティやウォール街を拠点とする金融資本がナチスへ資金を提供していたことが判明しているが、その金融資本はネオコンの黒幕として対ロシア戦争を継続しているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202301230001/

4. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2023年5月25日 09:27:36 : hkS8l6HytQ : d1R1YmlNR0lWLlE=[2] 報告
<■160行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023.05.25XML
豪労働党は米国の核戦略に従い、原潜を環境規制法案の対象から外す法案を提出
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305250000/

 ​オーストラリアの労働党は原子力潜水艦を環境保護の法的規制の対象外にするため、「国防法改訂法案」を議会に提出​したという。原子力発電所は1998年に制定された「オーストラリア放射線防護および原子力安全法」と1999年に制定された「環境保護および生物多様性保全法」の規制を受けているが、その規制から原潜を外すということだ。

 この法案はオーストラリアがアメリカやイギリスと創設した軍事同盟AUKUSと関係している。2021年9月に創設が発表された際、アメリカとイギリスはオーストラリアに原潜の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するとも伝えられ、ジョー・バイデン米大統領はオーストラリアへ売却する3隻のバージニア級原子力潜水艦を2030年代の初めに建造すると語っている。その潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上、アメリカ海軍の潜水艦になるという。

 この計画は日本とも関係している。山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日、日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明しているのだ。

 アメリカ、イギリス、オーストラリアはアングロ・サクソン系の国だが、日本は明治維新以来、アメリカやイギリスの金融資本から強い影響を受けてきた。アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ編成替えしたが、この新体制でも日本の軍事的な役割は重要だとされている。

 アメリカ、イギリス、オーストラリアに日本とインドを加えた5カ国で「クワド」と呼ばれる軍事同盟が作られているが、インドは腰が引けていて、ロシア製の防空システムS-400の購入を諦めていない。

 中東ほど劇的な形ではないが、東アジアでもアメリカから自立する動きがある。台湾、韓国、フィリピンの現政権はアメリカへ擦り寄っているが、日本ほど盤石ではない。そこでNATOが乗り出そうとしている。

 NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言した。2024年中に連絡事務所をNATOは連絡事務所を東京に設置するという。

 1949年4月にアメリカとカナダの北米2カ国、そしてイギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国で創設されたNATOはソ連軍の侵攻に備えるとしていた。

 しかし、この主張には説得力がない。ソ連はドイツとの戦争で2000万人とも3000万人とも言われる国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態で、西ヨーロッパに攻め込む余力があったとは思えない。結局、ソ連はこの痛手から立ち直ることができなかった。

 NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATOを創設した目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえ込むことのあると公言している。アメリカがヨーロッパを支配するための仕掛けとして設立されたと考えるべきだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線は1942年8月から43年2月にかけて行われたスターリングラードの戦いで事実上、勝敗は決していた。アドルフ・ヒトラーの命令でドイツ軍は戦力の4分の3をソ連との戦いに投入、その部隊が降伏したのだ。

 それを見て慌てたイギリスとアメリカの支配層は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にシチリア島上陸作戦を敢行した。その際、レジスタンスの主力だったコミュニストを抑え込むため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月だ。

 その頃になるとアメリカの戦時情報機関OSSのフランク・ウィズナーを介してアレン・ダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)らと接触している。ソ連に関する情報を持っていたゲーレンをダレスたちは同志と見なすようになり、大戦後には彼を中心に情報機関が編成された。BND(連邦情報局)だ。

 スターリングラードでドイツ軍が降伏した後、アメリカやイギリスはナチスと接触して善後策を協議。サンライズ作戦である。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させたり、保護したり、雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などという暗号名が付けられている。

 その一方、ソ連やレジスタンスに対抗するための手を打っている。そのひとつがシチリア島上陸作戦だが、もうひとつはゲリラ戦部隊ジェドバラの創設。1944年のことである。この部隊を組織したのはイギリスとアメリカの特殊部隊。つまりイギリスのSOEとアメリカのSO(OSSの一部門)だ。

 アメリカの大統領だったフランクリン・ルーズベルトはファシズムや植民地に反対、ソ連を敵視、植民地の維持を望んでいたイギリスのウィンストン・チャーチルとは関係が良くなかった。ルーズベルト政権が始まった1933年から34年にかけての時期、アメリカの金融資本はクーデターを計画している。ファシズム体制を樹立しようとしていることを金融資本側は隠していない。このクーデターを阻止したのが海兵隊の退役少将だったスメドリー・バトラーだ。

 アメリカの金融資本(ウォール街)を生み出したのはイギリスの金融資本(シティ)であり、チャーチルはシティにつながっている。米英の金融資本がナチスと手を組み、ソ連やコミュニストを敵視していたことはジャーナリストや研究者によって明らかにされてきた。

 例えば、アメリカのブラウン・ブラザース・ハリマンやディロン・リードといった金融機関はナチスとの関係が強かった。ブラウン・ブラザース・ハリマンの重役の中にはW・アベレル・ハリマンやプレスコット・ブッシュも含まれ、ハリマンとブッシュはドイツ企業との手形交換業務を行う名目で「ユニオン・バンキング(UBC)」を設立、ナチスへの重要な資金ルートになる。スイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイギリスのイングランド銀行もナチスとの関係が指摘されている。

 アメリカでは政府の内部にもファシストの巣窟が存在していた。国務省だ。反ファシストのルーズベルトは大統領として国際会議に出席する場合、国務省の高官を同行させていない。基本的に同行したのは軍人で、文民は個人的にルーズベルトが信頼していたハリー・ホプキンスだけだったという。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 アメリカの国務省には「リガ・グループ」とも呼ばれる反コミュニスト、反ソ連の一派がロシア革命の直後から存在していた。ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任していた外交官たちがその中心で、メンバーの中には「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンや駐日大使を務めたJPモルガン人脈のジョセフ・グルーも含まれていた。そのケナンより反ロシア感情が強く、好戦的なグループがネオコンにほかならない。

 ルーズベルト大統領は大戦が終わってから金融資本とファシストとの関係を明らかにする意向だったと言われているが、1945年4月に休止してしまう。ドイツが降伏したおはその翌月。その直後にチャーチルはソ連を奇襲攻撃するための軍事作戦を作成させた。「アンシンカブル作戦」である。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など)

 その作戦では、1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めることになっていたが、イギリスの参謀本部は拒否し、実行されなかったという。

 この作戦が葬り去られる別の理由もあった。1945年7月16日、アメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功したのだ。ハリー・トルーマン大統領の意向でポツダム会談が始まる前日に実行されたという。

 その実験成功を受けてトルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可。26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表、8月6日に広島へウラン型爆弾を投下、その3日後には長崎へプルトニウム型爆弾が落とされている。これ以降、チャーチルやアメリカの好戦派はソ連や中国への核攻撃計画を作成する。核兵器に反対することに問題はないが、ソ連が核兵器を保有しなければアメリカやイギリスが核戦争を始めたことを無視するべきではない。

 AUKUSの創設が発表された際、オーストラリアの原子力潜水艦保有計画も明らかにされた。敵国の潜水艦を攻撃することな任務になるようで、核戦争を想定している。しかも建造、維持・運用をアメリカに依存することになっているので、アメリカの核戦略の一部になる。必然的にオーストラリアはアメリカが進めている中国やロシアとの戦争に巻き込まれてしまう。

 かつてオーストラリアの労働党は自主独立の政策を進めようとしていた。1972年12月の総選挙で労働党が勝利、ゴフ・ホイットラムが首相に就任、自国の対外情報機関ASISに対し、CIAとの協力関係を断つように命令する。イギリスのジャーナリスト、デイビッド・レイによると、ウイットラムはチリにおける軍事クーデターに関する情報を入手、そこでASISがCIAのサルバドール・アジェンデ政権崩壊工作に協力していたことを知っていた。(David Leigh, "The Wilson Plot," Pantheon, 1988)

 また、オーストラリアのパイン・ギャップにはCIAの通信傍受施設があるのだが、その使用期限が迫っていた。この施設は1966年12月に結ばれた秘密協定に基づいて建設されたもので、協定の有効期限は10年。1976年までに更新しないと基地を閉鎖しなければならない。ホイットラムが更新を拒否することをアメリカ側は懸念していた。

 そこでCIAは1975年11月、イギリス女王エリザベス2世の総督であるジョン・カー卿を動かしてホイットラム首相を解任した。実際に動いたのはアメリカのCIAやイギリスのMI6だが、総督がいなければ解任できなかった。総督は名誉職だと考えられていたが、そうではなかったのである。

 アメリカのジャーナリスト、ジョナサン・ウイットニーによるとカーは第2次世界大戦中の1944年、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣されてCIAの前身であるOSS(戦略事務局)と一緒に仕事をしている。大戦後もCIAと深い関係にあった。(Jonathan Kwitny, "The Crimes of Patriots," Norton, 1987)

 アメリカとイギリスを中心とする情報機関のつながりがある。アングロ・サクソン系のカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの機関がその配下にある。事実上、米英金融資本がそうした国々を監視、管理するためのネットワークだ。すでにアメリカや韓国は米英の影響下にあるが、それをNATO2030で強化しようとしているのだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305250000/

5. 中川隆[-11347] koaQ7Jey 2024年3月09日 13:01:30 : FzROkOFlVo : dUZ5TzV2U2tRM1k=[2] 報告
<■76行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.03.09XML
米英金融資本が作ったナチス・システムから逃れられず、露との戦争へ向かう独
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403090000/

ロシアの十月革命からナチスが台頭するまでの期間、ドイツとロシア/ソ連の関係は良好だった。ソ連を率いることになるボルシェビキの指導部は二月革命で臨時革命政府が樹立されるまで収監されているか、亡命していてロシアにはいなかった。二月革命で臨時革命政府を樹立したのはフェリックス・ユスポフをはじめとする一部貴族、資本家、そして資本主義革命を望んでいた「リベラル派」の連合体で、イギリスの戦略通り、第1次世界大戦でドイツと戦争することを望んでいたのだ。

 この勢力のライバルだったのは大土地所有者や皇后を後ろ盾とするグレゴリー・ラスプーチンという修道士。この勢力はドイツとの戦争に反対していた。ロシアの支配層が戦争をめぐって対立する中、1916年7月13日に戦争反対の皇后はラスプーチンへ電報を打つのだが、それを受け取った直後に彼は見知らぬ女性に腹部を刺されて入院してしまう。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。

 参戦してもラスプーチンが復活すると戦争を辞める可能性があるのだが、1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺された。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれ、最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫いていた。2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発目は前頭部に命中、これが致命傷になったと見られている。暗殺したのはフェリックス・ユスポフだとされているが、止めの銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。

 その当時、ロシアにはイギリス外務省が送り込んだMI6のチームがいた。中心はサミュエル・ホーアー中佐で、ステファン・アリーとオズワルド・レイナーが中心的な役割を果たしていた。

 アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家と親しく、アリー自身はモスクワにあったユスポフの宮殿で生まれたと言われ、レイナーはオックスフォード大学時代からユスポフと親密な関係にあった。

 臨時革命政府はドイツとの戦争を継続、両面作戦を嫌ったドイツは即時停戦を主張していたウラジミル・レーニンに目をつけた。そこでドイツ政府は国外に亡命していたボルシェビキの指導者32名を1917年4月に「封印列車」でロシアへ運ぶ。その後、紆余曲折を経て十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止めることになるのだ。

 このソ連とドイツとの関係を潰したのがナチスであり、そのナチスの資金源がイギリスやアメリカの金融資本だということがわかっている。アメリカの金融資本は1933年から34年にかけての頃、フランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派の政権を潰すためにクーデターを試み、スメドリー・バトラー退役少将に阻止された。金融資本はファシストの戦術を真似ようとしていたが、それだけでなくファシズム体制の樹立を目指すと記者に語っている。

 戦争が終了した後に金融資本とナチスとの関係にメスが入ると見られていたのだが、ドイツが降伏する直前の1945年4月12日にルーズベルトが急死、ニューディール派は急速に力を失い、金融資本が実権を取り戻した。

 1949年4月に北大西洋条約機構が調印されてNATOが誕生するが、初代事務総長のヘイスティング・ライオネル・イスメイはその目的を「ソ連を追い出し、アメリカを引き入れ、ドイツを抑え込むことだ」としている。この機構はヨーロッパをアメリカが支配するための仕組みであり、その手先になる秘密部隊のネットワークも存在する。

 それに対し、西ドイツがNATOへ加入した1955年、ソ連は近隣諸国と「ワルシャワ条約」を締結、安全保障機構が設立された。ソ連の近隣国とはドイツがソ連へ軍事侵攻する直前に支配していた地域で、カトリックの影響が強く、大戦中、反ロシア感情からナチスと結びついていた人が少なくなかった。本ブログで繰り返し書いてきたように、ポーランドの反ロシア感情とイギリスへの従属が第2次世界大戦の引き金になっている。

 ナチスを育て、支援した米英金融資本の戦略は19世紀に書かれた。その中心的なグループはビクトリア女王にアドバイスしていたネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてセシル・ローズらだ。

 ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けした人物。1877年6月にフリーメーソンへ入会、『信仰告白』を書いている。

 その中で彼はアングロ・サクソンが最も優秀な人種だと主張、その優秀の人種が住む地域が増えれば増えるほど人類にとってより良く、大英帝国の繁栄につながるとしている。そのためには侵略し、先住民を皆殺しにする必要がある。そうした意味で、アメリカやイスラエルは彼らの戦略が成功した地域だと言えるだろう。

 中東やウクライナ、そして日本でも多くの人が死ぬようなことをしているが、これは彼らの計画だと考えるべきだ。そうした計画を実現するためにはエネルギーと作戦本部が必要。秘密結社はその作戦本部だと考えられる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403090000/

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