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ウイグル人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/564.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 04 日 10:04:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アーリア人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 02 日 07:20:02)

ウイグル人の起源


雑記帳 2021年04月04日
新疆ウイグル自治区の青銅器時代以降の住民のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_4.html


 現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区(以下、新疆と省略)の古代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Wang et al., 2021)が公表されました。中華人民共和国北西部に位置する新疆は、何千年もの間、ユーラシア東西の移動の交差点として機能してきました。青銅器時代(BA)には早くも、新疆には古代ユーラシア草原地帯とシベリアとアジア中央部とアジア北東部の人口集団に影響を受けた、多様な文化が存在しました。多くの考古学的発見により示唆されているように、新疆へのこれらの文化的影響は、地域と期間により異なりました。新疆北部の遺跡では、アルタイ山脈の紀元前3300〜紀元前2500年頃となるアファナシェヴォ(Afanasievo)文化および紀元前2750〜紀元前1900年頃となるチェムルチェク(Chemurchek)文化とのつながりが明らかにされてきました。

 新疆西部の青銅器時代墓地には、移動輸送および発達した冶金術と関連する物質が含まれており、草原地帯西部および天山地域の紀元前1700〜紀元前1500年頃となるアンドロノヴォ(Andronovo)文化に由来する可能性が高そうです。青銅器時代の新疆は、内陸アジア山地回廊(IAMC)を介してアジア中央部西方とのつながりがあり、コムギやオオムギのような農業で重要性の高い穀類がもたらされ、河西回廊を通じてアジア東部とのつながりがあり、ホウキモロコシがもたらされた可能性が高そうです。さらに、新疆東部の青銅器時代人口集団は、中華人民共和国北部の甘粛省および青海省(甘粛青海)地域のアジア東部人と文化的つながりを共有しています。新疆の青銅器時代の小河(Xiaohe)遺跡と天山北路(Tianshanbeilu)遺跡に関する過去の研究は、Y染色体の一塩基多型とミトコンドリアDNA(mtDNA)の超可変領域の限定的な数を用いており、新疆の過去の遺伝的歴史を解明できません。

 中期〜後期青銅器時代(MLBA)を経て紀元前800〜紀元前200年頃の鉄器時代(IA)には、ユーラシア草原地帯の遊牧民集団が新疆のさまざまな地域に影響を及ぼしました。そうした集団の一つがスキタイで、タガール(Tagar)文化やパジリク(Pazyryk)文化やサカ(Saka)文化のようないくつかの人口集団の連合でした(関連記事)。一部の埋葬習慣の記録から、中期青銅器時代シベリア南部のオクネヴォ(Okunevo)文化は、草原地帯関連祖先系統を限定的に有し、新疆北部にも影響を及ぼした、と示唆されています(関連記事)。

 鉄器時代遺跡1ヶ所の最近のゲノム研究は、新疆東部における草原地帯関連祖先系統を報告しました。おもに草原地帯となる新疆周辺地域の古代ゲノム研究はさらに、鉄器時代における広範な人口集団移動と西方草原地帯関連祖先系統の混合を裏づけます(関連記事)。しかし、新疆全域の草原地帯関連祖先系統の程度は、より多くの古代DNAがなければ不明です。その後、紀元前200年頃以後、新疆は匈奴や突厥など多くの重要な遊牧民連合により支配されました。これらの集団はとくに新疆に影響を及ぼし、権力の頻繁な移行から、歴史時代(HE)も文化的に混合された期間だった、と示唆されるものの、新疆の人口構造がこれらの文化的変化に影響を受けたのかどうか、古代DNAなしには確定できません。

 全体として、古代新疆の人口集団の遺伝的構造は、青銅器時代から鉄器時代を経て歴史時代までの変化と同様に、特徴づけられていません。言語学的に、トカラ語とコータン語の存在も調べるべき重要な問題です(関連記事)。現在の新疆人口集団に関するゲノム研究からは、頻繁な移住と遺伝的混合を伴う複雑な遺伝的構造が示唆されます。しかし、わずか数遺跡の古代DNAデータしかないので、過去の人口集団構造と混合の全体像を再構築する能力は限られています。したがって、青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の古代遺伝データを得ることは、新疆の人口集団構造の時空間的変化を特徴づけるのに重要です。


●データの概要

 新疆全域の41ヶ所の遺跡から、4962〜500年前頃となる古代人237個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)データが得られました。網羅率は31〜5515倍です。これら237個体の完全なミトコンドリアゲノムは、時代・地域・文化により分類されました。青銅器時代では、4962〜2900年前頃の63個体のデータが得られました。これには4800〜4000年前頃となる前期および中期青銅器時代(EMBA)の新疆北部の24個体が含まれます。このうち18個体はチェムルチェク文化と関連しており(北部チェムルチェクEMBA、4811〜3965年前頃)、2個体はアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連しています(北西部アファナシェヴォEMBA、4570〜4426年前頃)。新疆西部のイリ渓谷のアファナシェヴォ文化と関連する3標本(西部アファナシェヴォEMBA、4962〜4840年前頃)が得られ、新疆北部のアファナシェヴォ文化と関連する標本と組み合わされて、北西部アファナシェヴォEMBA集団が形成されます。

 4237〜4087年前頃となる松樹溝(Songshugou)遺跡の3個体(NSSG_EMBA)と、4500年前頃となるカバ(Habahe)遺跡の1個体は、その文化に関連する情報がなく、別々に分析されました。新疆東部では、青銅器時代の3600〜3000年前頃となる南湾(Nanwan)遺跡の1個体(東部BA)と、後期青銅器時代の追加の25標本が得られました(3000〜2900年前頃の東部LBA)。天山北路と南湾の密接な考古学的関係を考慮して、本論文の南湾遺跡1個体のハプログループ情報が既知の天山北路個体群と統合され、東部青銅器時代集団が構成されました。さらに、新疆南東部に位置するタリム盆地東部の小河遺跡の第4層〜第5層の10標本が収集されました(3929〜3572年前頃となる南東部小河BA)。これらの分類は、青銅器時代の新疆の東部・西部・北部・南東部の人口集団を表しています(図1)。

 鉄器時代に関しては、新疆全域で2900〜2000年前頃の128標本が収集されました(図1)。そのうち27標本は新疆東部で(東部IA)、15標本は新疆北部で(北部IA)、55標本は新疆西部のイリ地域で(西部IA)、31標本は新疆南部で(南部IA)得られました。異なる南部IA遺跡群は、その高い文化的異質性と広範な地理的分布のため1つの大集団に統合されず、別々の集団として分析されました。南部IA集団のSZGLK_IA(19標本)とSWJEZKL_IA(12標本)はタリム盆地に由来し、SWJEZKL_IAはチベット高原に隣接する新疆南西部の高地に由来します。天山東部の石人子溝(Shirenzigou)遺跡の既知の鉄器時代10個体(2200年前頃)のハプログループ情報も、収集されて分析されました。

 青銅器時代と鉄器時代の個体群のミトコンドリアゲノムデータに加えて、2000〜500年前頃となる歴史時代の個体群のmtDNAも配列されました。歴史時代の遺跡群の標本規模とひじょうに混合された文化を考慮して、まず地理的位置に基づいて標本群が分類され、次に追加で文化に基づいて細分化されました。合計で5集団が分類され、1つは新疆西部(西部HE、11個体)、3つは新疆南部(15個体のSBZL_HE、10個体のSSPL_HE、9個体の南部ホータン)、1つは新疆東部の白楊河(Baiyanghe)遺跡の1個体(東部HE)です。さらに、新疆周辺地域の既知の古代人738個体と現代人7085個体のmtDNAデータが得られ、これら全ての人口集団は、以前の遺伝学的研究に基づいていくつかの下位集団に分類されました。

 一般的に、標本抽出された新疆の古代人口集団全てについて、母系(mtDNA)の遺伝的距離(FST)と地理的距離との間に正で有意な相関係数が見つかります。したがって、新疆の古代人口集団はひじょうに混合しており、低い地理的構造を有していた可能性が高そうです。青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の新疆人口集団の遺伝的比較も、ヌクレオチド多様性の変動を明らかにしました。鉄器時代と歴史時代の人口集団は一般的に、青銅器時代人口集団と比較してより高いヌクレオチド多様性を示し、青銅器時代と比較して鉄器時代と歴史時代における人口集団の移住と混合の増加を示します。鉄器時代と歴史時代の人口集団では、西部HEが最も高い多様性を示し、新疆南部人口集団で最も低い多様性が観察されました。以下、本論文の図1です。
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●青銅器時代新疆人口集団の遺伝的起源と複雑性

 青銅器時代新疆集団間の遺伝的違いと類似性を決定するために、まずmtDNAハプログループ(mtHg)頻度に基づいて主成分判別分析(DAPC)が行なわれました。PC1軸は地理的に東西の人口集団変動を、PC2軸は地理的に南北の人口集団変動を説明します(図2A)。一般的に、全人口集団は主要な4クラスタに区分されます。それは、アジア北東部(NEA、シベリアとアジア東部北方)、アジア南東部(SEA、アジア東部南方とアジア南東部)、草原地帯中央部、ヨーロッパ(トゥーラーンとヨーロッパ)です。新疆古代人全標本は、NEA人口集団から草原地帯中央部およびヨーロッパクラスタへと伸びる勾配に位置し、これら古代新疆人口集団がNEAと草原地帯中央部とヨーロッパの人口集団との関連性をさまざまな程度で有していた、と示唆されます。

 アファナシェヴォ文化(4962〜4840年前頃となる北西部アファナシェヴォEMBA)と関連する、新疆北部および西部の青銅器時代個体群は、西方の草原地帯関連人口集団(西部草原地帯EMBAおよびMLBA)に囲まれている、と明らかになります(図2A)。対照的に、新疆北部のチェムルチェク文化と関連するEMBA個体群(北部チェムルチェクEMBA)と松樹溝遺跡個体群(NSSG_EMBA)は、他の中央部草原地帯人口集団により囲まれるそれぞれ別個のクラスタを形成します(図2A)。以前おもに青銅器時代草原地帯人口集団で報告された、mtHg-U・H・Rの高い割合が観察されました。これらEMBA人口集団間の有意な遺伝的分化はありませんが、北部チェムルチェクEMBAのみが、草原地帯西部両人口集団(西部草原地帯EMBAおよびMLBA)とは有意な遺伝的分化を示します(図2B)。北部チェムルチェクEMBAは中央部草原地帯MLBAとも有意な遺伝的分化を示しますが、中央部草原地帯EMBAとは示さず、DAPCの位置と一致します。

 さらに、中央値結合ネットワークでは、西部草原地帯EMBA個体群は、北西部アファナシェヴォEMBAとmtHg-U4・U5・H15で、北部チェムルチェクEMBA とmtHg-U4・U5・H2・H6a・W3で、NSSG_EMBAとmtHg-U4でクラスタ化します(図3D)。mtHg-H2・H5は草原地帯西部関連人口集団に存在し、mtHg-H6aはアルタイ地域のオクネヴォ文化と関連する人口集団に存在します。mtHg-D4jの存在により裏づけられる北部チェムルチェクEMBA とNEAとのつながり(バイカルEBA)も見つかり、それはこれら2人口集団で、ネットワーク分析におけるわずか4ヶ所の変異で異なっており、シベリア地域を含むアジア東部北方に存在しました(図3E)。HBHのEMBA1標本のmtHgはU5で、より多くの草原地帯西部と関連するつながりが示唆されます。したがって、新疆の西部および北部両人口集団は、EMBAにおいてかなりの草原地帯西部関連祖先系統を有していた、と示されます。以下、本論文の図2です。
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 東部集団(東部BAおよびLBA)は新疆北部および西部のEMBA個体群とは別にクラスタ化する、と明らかになります。東部集団は両方、DAPCでは古代および現代のNEAとクラスタ化します(図2A)。東部BAおよびLBAは、mtHg-Dの高い割合(それぞれ36.70%と32.00%)を有しています。mtHg-Dは、中国北部人(18.20〜44.80%)および古代モンゴル人(31.20%)など古代および現代のNEA人口集団(関連記事1および関連記事2)で一般的です(図1A・3E)。東部LBAはこれらNEA人口集団の一部と有意ではない遺伝的距離を示します。具体的には、甘粛省・青海省(GQ)の古代2人口集団、つまりGQ斉家(Qijia)文化BAおよびGQ卡約(Kayue)文化LBAと、現代4人口集団、つまり日本人とモンゴル人とツー人(Tu)とオロチョン人(Oroqen)です。

 東部BAおよびLBAは両方、草原地帯西部関連のmtHg-Uを有していますが、ヨーロッパよりもNEAの系統の方でより高い割合を示し、後の標本ではより多くのヨーロッパ系統が確認されます(東部BAでは20%、東部LBAでは36%)。このパターンはDAPCと一致し、東部LBAの位置は東部BAと比較してユーラシア西部人の方に近くなっています。さらに、mtHg-D4b2b4は匈奴と東部LBAの両方でも見つかり(図3E)、共有されるNEA祖先系統の存在に起因する、東部LBAと匈奴の人口集団間の直接的関係を示唆します。したがって、東部BAおよびLBA人口集団は、より多くのNEAとのつながりを示しますが、草原地帯西部関連系統の存在(mtHg-Uが東部BAでは16.7%、東部LBAでは8%)も、草原地帯西部関連人口集団との追加のつながりを裏づけます。

 南東部小河BA はDAPCではNEA集団とクラスタ化し、それは東部BAおよびLBAと類似していますが、古代および現代のシベリア人祖先系統を有する人口集団へのより多くの類似性を示します。南東部小河BAは、NEA人口集団およびシベリア南部のバイカル湖地域近くのシャマンカ(Shamanka)人口集団など、古代および現代のシベリア人口集団に存在するmtHg-C4の高い割合を示します。この人口集団は、他の青銅器時代新疆集団を含む他の全ての古代および現代の人口集団と比較して、有意な遺伝的距離を示すことにおいて独特ですが、シベリアの現代の3人口集団、つまりエヴェン人(Even)とエヴェンキ人(Evenk)とヤクート人(Yakut)とは最短の遺伝的距離を示します。これらの結果は、小河遺跡に関する以前の研究と一致します。以下、本論文の図3です。
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 新疆の東部および西部の青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の標本群では、mtHg-R1bも見つかっています。青銅器時代では、北部チェムルチェクEMBAで2個体、北西部アファナシェヴォEMBAで1個体、NSSG_EMBAで1個体、南東部小河BAで1個体、東部IAで1個体、西部IAで1個体、西部HEで2個体です。mtHg-R1bはロシア北西部のカレリア(Karelia)など(関連記事)ヨーロッパ東部狩猟採集民だけではなく、カザフスタンのボタイ(Botai)文化個体群(関連記事)やダリ(Dali)遺跡個体群(関連記事)でも報告されました。さらに、ボタイ文化(関連記事)および草原地帯関連人口集団では、新疆東部の標本(東部LBA)と同様に、mtHg-K1b2が共有されていました。

 mtHg-R1bの中央値結合ネットワークでは、北西部アファナシェヴォEMBAと関連する、新疆北部および西部のEMBA標本(紀元前3012〜紀元前2890年頃)がネットワークの中央に位置し、1ヶ所のみの変異によりボタイ文化個体群と分離する、と示されます(図3B)。この分枝は、NSSG_EMBAおよびダリ遺跡の1個体を含む別の分枝と関連しています(図3B)。これは、古代北ユーラシア(ANE)人口集団との深い祖先系統のつながり、もしくはカザフスタンの地理的に近接する人口集団とのいくつかの遺伝的繋がりを示唆しているかもしれません(関連記事1および関連記事2)。新疆人口集団の1個体でもmtHg-R1bが見つかり、小河遺跡の人々の新疆北部とのつながりも示唆しているかもしれません。したがって青銅器時代において、新疆北西部人口集団がアファナシェヴォ文化およびチェムルチェク文化など草原地帯西部関連文化集団に、新疆南東部人口集団がNEAやシベリア南部の人口集団への高い遺伝的類似性を示し(図4A)、近隣人口集団および多様な文化的背景の共同体との複雑な相互作用が示唆されます。


●鉄器時代新疆におけるより大きな文化的およびmtHgの多様性

 鉄器時代(IA)の新疆における人口集団の移動と変化をよりよく理解するため、新疆全域の128標本が分析されました。一般的に、北部IAを除く全ての新疆鉄器時代集団は、青銅器時代集団よりも高いmtHg多様性を示し、ユーラシア東西からのより多くの移住と伝達が示唆されます。鉄器時代集団間の遺伝的分化(FST)はほぼ有意ではなく、鉄器時代における高水準の混合が示唆されます(図2B)。DAPC(図2A)では、北部IAはは、中国北部のGQ馬家窯(Majiayao)文化EBAやフブスグル(Khovsgol)LBA、中国北部の現代シボ人(Xibo)、シベリアの現代ヤクート人といったNEA人口集団の近くにクラスタ化し、これは草原地帯関連祖先系統を有する人口集団と密接にクラスタ化する新疆北部のEMBA人口集団と対照的です。NEAへのこの高い類似性は、アジア東部の主要な2つのmtHg(図1A)、つまりD(53.30%)およびF(13.30%)と、GQ馬家窯EBAやGQ斉家BAやGQ卡約LBAやLTP_IAといった中国北部人口集団との低いFST値によっても表されます。中央値結合ネットワークはさらに、一部のサカ文化個体群(天山サカIAのmtHg-D4j8)とともに、北部IAとNEAの個体群間のつながり(mtHg-D4eとD5a)を示唆します。さらに、草原地帯関連mtHg-U4(6.70%)・H5(6.7%)と、トゥーラーン(現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン)関連mtHg-U7(6.7%)も観察され(図3D)、これらの集団との遺伝的つながりが示唆されます。

 新疆東部IAと既知のSRZG_IAを含む2人口集団があります。東部IAとSRZG_IAの両方は、中国北部のGQ斉家BAとひじょうに低い遺伝的距離を示し、青銅器時代標本の東部LBAと一致します(図2B)。DAPCでは、東部IAとSRZG_IAは草原地帯中央部クラスタに位置しますが、東部IAがNEA人口集団とのわずかに大きな類似性を示すのに対して、SRZG_IAの既知の標本群は、草原地帯西部関連祖先系統を有する人口集団と密接に集団化します(図2A)。東部IA(22.20%)と比較して、草原地帯西部関連mtHg-U祖先系統のより高い割合(40%)も観察され、DAPCを裏づけます(図1A)。さらに、東部IAにおける匈奴のmtHg-D4b2bに表される NEAのmtHg-D(14.8%)も見つかりました(図3E)。アジア中央部のmtHgも見つかりました。東部IAにおけるトゥーラーン固有のmtHg-T2d1(ウズベキスタンMLBA)は、トゥーラーン人口集団と共有される追加の類似性を反映している可能性が高そうです。したがって、東部IA人口集団は、NEAとヨーロッパ両方のmtHgを示すだけではなく、トゥーラーン人口集団との追加の遺伝的類似性も共有します。

 DAPCでは、西部IA人口集団はNEAとヨーロッパの人口集団の勾配に位置し、サカやフンなど草原地帯中央部のIA人口集団と密接に集団化します(図2A)。このユーラシア東西との類似性は、他の鉄器時代3地域と比較しての、ユーラシア東西のmtHgの多様な配列でも見られます(図1A)。西部IAは2つの主要なヨーロッパのmtHg-U(20.40%)およびH(18.50%)と、NEAのmtHg-C(14.80%)およびD(11.10%)を含みます(図1A)。西部草原地帯MLBA系統とのつながりも、mtHg-T2b34およびU5a2a1で観察されますが、一部地域の青銅器時代標本では観察されません。mtHg-T2b34の中央値結合ネットワークも、西部IAと西部草原地帯MLBAのつながりを示します。この高いmtHg多様性はさらに、NEAおよびヨーロッパの人口集団の多くが西部IAとひじょうに低い値を示すFST値に反映されています。

 さらに、トゥーラーン固有のmtHg-HV(HV18およびHV20)とW(W3b)の存在(図3C)は、トゥーラーンから内陸アジア山地回廊(IAMC)を通ってイリ地域への人々の移住の可能性を示唆します。mtHg-G3a3(匈奴HP)やC4a1a+195およびC4+152(天山フン)やH101(中央部サカIA)の存在などいくつかの重要な外れ値も観察され、草原地帯遊牧民集団とのつながりの可能性が示唆されます。mtHg-C4・G3a3・H101の系統発生ネットワークも、西部IAと、鉄器時代草原地帯遊牧民のサカ文化や匈奴やフンの人口集団との間のわずかな違いを有する直接的つながりを示し(図3A)、古代のサカ文化や匈奴やフンの移住におけるイリ地域の潜在的な役割を示唆します。

 新疆南部のSZGLK_IAは、DAPCで草原地帯およびアジア中央部人口集団の近くに位置するので、草原地帯およびアジア中央部との強いつながりを示しますが、SWJEZKL_IAはNEAおよび草原地帯中央部祖先系統を有する人口集団の近くに位置し、NEAのmtHg-C(25.00%)およびD(25.00%)を高頻度で有します(図1A)。mtHg分析から、SZGLK_IAはmtHg-H(26.3%)とU(5.3%)を比較的高い頻度で有しており、これらのmtHgは、西部草原地帯MLBAなど古代ユーラシア西部人口集団に存在しました。SZGLK_IAは西部草原地帯MLBAとの低いFST値も示します。

 草原地帯MLBAとのつながりは、西部草原地帯MLBAには存在するものの、西部草原地帯EMBAには存在しないmtHg-T2b34・H5a1・U5a2a1・N1a1a1aの存在により、さらに強化されます。さらに、SZGLK_IA におけるmtHg-HV12とR2+13500も、トゥーラーンからのアジア中央部のつながりを明らかにします。アジア中央部人との密接な類似性は、SZGLK_IAをイラン銅器時代およびトルクメン前期新石器時代と比較してのより低いFST値で、さらに見つかりました。さらに、SWJEZKL_IAもトゥーラーン関連系統(mtHg-H13a2a)を有しており、トゥーラーンとのいくつかのつながりが示唆されます。

 鉄器時代人口集団は全体として、激しい混合にも関わらず、新疆全域で明確な人口集団構造を示します。北部IAと高地のSWJEZKL_IAがより多くのNEA祖先系統を有する一方で、西部IAと東部IA人口集団はNEAとヨーロッパ両方の祖先系統を示し、SZGLK_IAはMLBAにおける草原地帯西部関連人口集団とのより多くのつながりを示します(図4B)。さらに、全鉄器時代人口集団はトゥーラーン人口集団との遺伝的つながりを示します。これら鉄器時代標本群において、東部IAと西部IAとSZGLK_IAは、北部IAと比較して、トゥーラーン人口集団とより多くの類似性を共有します。これはさらに、内陸アジア山地回廊(IAMC)が果たした重要な役割を示唆します。それはおそらく、この地域で広く見られたバクトリア・ マルギアナ複合(BMAC)文化集団と類似した祖先系統を有する、トゥーラーンの人々の移住増加につながりました。以下、本論文の図4です。
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●新疆における鉄器時代と歴史時代の間の遺伝的連続性

 青銅器時代と鉄器時代の個体群に加えて、鉄器時代後の遺伝的多様性をさらに評価するため、2000〜500年前頃となる歴史時代の遺跡の46標本のmtDNAが配列されました。一般的に、歴史時代の個体群は新疆以外の他の古代人口集団と比較して、古代新疆人口集団と最小のFST値を示す、と明らかになりました。DAPCでは、西部HEは古代草原地帯中央部個体群とともに、西部IAやSRZG_IAやSBZL_HEやSZGLK_IAの他の鉄器時代個体群と密接にクラスタ化します(図2A)。西部HE人口集団も、西部IAに存在した、同じNEA系統(mtHg-Cが27.30%、mtHg-Gが9.10%)とヨーロッパ系統(mtHg-Hが9.10%、mtHg-Uが18.20%)を示します(図1A)。西部HE人口集団はさらに、西部IAでも見られた、フン(mtHg-C4a1a+195)とサカ文化(mtHg-H101)とトゥーラーンのmtHgを有します。西部HEと西部IAとの間の密接な類似性は、低いFSTでさらに示されます。新疆東部の歴史時代の1標本はmtHg-D4で、より多くのNEAとのつながりを示唆します。

 3ヶ所の遺跡(SBZL_HEとSSPL_HEとSHetian_HE)の南部HE個体群は、さまざまな類似性を示しました。SBZL_HEは南部HEではmtHg-D(13.3%)を有している点で独特ですが、SSPL_HEは草原地帯西部関連のmtHg-Hを高い割合(60%)で有しています(図1A)。mtHg頻度は同じパターンを示し、SBZL_HE個体群はSHetian_HE(mtHg-Cが11.1%)およびSSPL_HE(0.00%)と比較して相対的に高いNEAとの類似性(mtHg-A・C・Dで33.3%)を示し、草原地帯西部関連人口集団とのより高い類似性(SSPL_HEではmtHg-Hが60%、mtHg-Uが20%、mtHg-TおよびWが10%)を示し、DAPCでは草原地帯関連人口集団と密接に集団化します(図2A)。歴史時代の3人口集団は、草原地帯西部関連およびトゥーラーン人口集団と低いFST値を示し、同じ地域の鉄器時代人口集団(SZGLK_IA)と類似しています。しかし、南部HE標本群(SBZL_HE)と西部IAにおけるフン関連のmtHg-D4j5が見つかりました。mtHg-D4ネットワークから、西部IAとSBZL_HEは天山フンHEと少ない変異で分離しており(図3E)、鉄器時代の新疆西部と歴史時代の新疆南部との間のつながりと、イリ地域から新疆南部へのフンの南方への移動を反映しているかもしれません。


●青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の新疆個体群のミトコンドリアゲノム比較

 とりわけ、青銅器時代と鉄器時代の異なる新疆の地域間のmtHg比較は、複数の移住および混合事象の発生を示唆します(図1A)。新疆北部のEMBA人口集団は、mtHg-UおよびHにより示唆されているように、草原地帯西部関連人口集団とのより高い類似性を示していますが、鉄器時代人口集団(北部IA)は、ユーラシア東部人とのより多くのつながりを共有しており、とくに、鉄器時代と歴史時代に固有のmtHg-D4c1b1・D4e1・D4o2aなどmtHg-D4を高い割合で有するNEAで見られるつながりが多く共有されています。FST分析では一貫した結果が明らかになり、新疆北部EMBA人口集団は草原地帯西部関連人口集団との、北部IA は古代NEAとの小さな遺伝的距離を示します。青銅器時代から鉄器時代へのより多くのNEA関連祖先系統へのこの変化は、NEAと新疆北部の人口集団間のより頻繁な移住と混合を示唆します。

 新疆西部人口集団は青銅器時代と鉄器時代全体を通じてかなり一致するmtHg構成を示し、草原地帯西部関連mtHg(U5・H15)を有しますが、西部IAはNEAのmtHg(C4・G2・D4)をいくつか共有します。DAPCでは、西部IAはNEAとヨーロッパの人口集団の間に位置し、草原地帯中央部人口集団とクラスタ化します。これは、アファナシェヴォ文化と関連するEMBA個体群(北西部アファナシェヴォEMBA)とは異なります(図2A)。西部IAはトゥーラーン(トゥルクメン前期新石器時代、イラン銅器時代、イランEMBA)とのつながりも示します。したがって、青銅器時代から鉄器時代の遺伝的比較は、イリ地域の果たした重要な役割を裏づけます。イリ地域では、草原地帯関連およびNEA祖先系統を有する人口集団がひじょうに長く存続しました。

 新疆東部では、青銅器時代および鉄器時代両集団が、NEA人口集団とのより多くの類似性を示しますが、ヨーロッパ人口集団のmtHgも見つかり、NEAとヨーロッパの混合人口集団の存在が示唆されます。南部IA人口集団はトゥーラーンとのつながりを示し、西部IAと類似しており、新疆西部(イリ地域)から南部への人口集団の移住を反映しているかもしれません。IA人口集団におけるこれらのひじょうに混合した祖先系統は、歴史時代へと続きました。新疆の歴史時代には、NEAとヨーロッパの両人口集団のさまざまな移住と定住が見られたので、ユーラシア東西の両人口集団により創立され確立した「文明」を反映しています。

 さまざまな分類が異なる新疆集団間の分散にどのように影響するのか検証するため、古代新疆人口集団間で分子分散分析(AMOVA)検証が実行されました。他集団と比較すると、有意に高い値は、新疆標本群を4集団に分類する時に観察されました。その4集団とは、西部新疆(北部チェムルチェクEMBA、北部アファナシェヴォEMBA、NSSG_EMBA、西部IA、西部HE、SZGLK_IA、SSPL_HE、南部ホータンHE、SBZL_HE)、東部新疆(北部IA、SWJEZKL_IA、東部LBA)、東部IA(東部IA、SRZG_IA)、南東部小河BAです。東部新疆集団はNEA人口集団とより多くの類似性を共有し、西部新疆集団は草原地帯西部関連人口集団とクラスタ化し、東部IA集団は草原地帯中央部およびヨーロッパ人とより多くの類似性を共有します。


●新疆の現代人口集団と古代人との比較

 古代新疆人口集団がユーラシア現代人と共有する関係を決定するため、新疆個体群が地理的位置に基づいて下位4集団と比較されました。その下位4集団とは、現代NEA人口集団(pdNEA、シベリアとアジア東部北方)、アジア南東部人口集団(pdSEA、アジア東部南方とアジア南東部)、新疆および周辺地域人口集団(pdCA/XJ)、ヨーロッパとコーカサスとアジア西部を組み合わせた集団(pdEurWA)です。青銅器時代人口集団では、南東部小河BAはpdNEAのシベリア人と、東部LBAはpdNEAのアジア東部人(ツー人と日本人とモンゴル人)と最高の類似性を示しますが、新疆北部および西部EMBAはpdCA/XJおよびpdEurWAと最高の類似性を示し、それはDAPCおよびmtHg分析でも観察されます。鉄器時代と歴史時代の新疆人口集団も一般的に、pdCA/XJと高い類似性を示し、鉄器時代と歴史時代と現代の人口集団間の遺伝的つながりが示されます。さらに、新疆の北部IAおよびSWJEZKL_IAとpdNEAとの有意なつながりが観察されます。

 新疆南西部現代人には、ウイグル、キルギス、サリコル(Sarikoli)・タジク、ワハン(Wakhan)・タジクの4人口集団が含まれます。DAPCでは、ウイグルとキルギスはpdCA/XJ人口集団の近くに位置し、サリコル・タジクとワハン・タジクはpdEurWA人口集団とクラスタ化します。本論文の古代新疆標本群は、ウイグルおよびキルギスとクラスタ化し、ヨーロッパ人およびイラン人とのより多くの類似性を示すサリコル・タジクおよびワハン・タジクと比較して、アジア東部人とのより多くの類似性が示唆されます。FST分析では、新疆EMBAおよびIA個体群が、サリコル・タジクおよびワハン・タジクと比較してウイグルおよびキルギスと高い遺伝的類似性を示す一方で、新疆HE標本群はこれらの集団両方と同じような遺伝的類似性を示す、と一般的に観察されます。したがって、要約すると、シベリアとヨーロッパとアジア東部とアジア西部・中央部の全ての主要な祖先系統が、古代と現代の新疆人口集団に存在するという、古代から現代の遺伝的連続性が見つかります。


●考察

 新疆の考古学的発見は、過去の人口集団構造および移住に関する好奇心を高めました。競合する仮説の中でほとんどの考古学者が支持する見解は、古代新疆はユーラシア東西両方の人々の混合された連合だった、というものです。新疆周辺の青銅器時代および鉄器時代の人々の高い移動性と混合は、限定的な片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の以前の分析でも裏づけられています。しかし、複数の地域および期間の古代DNAの欠如のため、新疆の過去の人口構造は謎に包まれています。本論文の分析を通じて、新疆の人口集団構造と、それが青銅器時代から現代までどのように変化したのか、特徴づけられました。これらの新たなデータと結果から、ずっと詳細で広範な混合シナリオを提供できます。

 新疆周辺の青銅器時代はおもに、EMBAヤムナヤ(Yamnaya)およびアファナシェヴォ文化を含む草原地帯関連祖先系統に代表されます(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。たとえば、西部草原地帯EMBA人口集団は、複数のmtHg(U4・U5・H2・H6a・W3)で新疆北部の松樹溝遺跡個体群とクラスタ化します。これは、松樹溝遺跡のアファナシェヴォ様式の遺物、およびヨーロッパ人的な特徴を示すM15号墓の1個体の身体的特徴と一致します。青銅器時代新疆のチェムルチェク文化の影響の証拠も見つかりました。これは、さまざまな墓地の周囲の擬人化された彫像を伴う石柱の考古学的記録により示唆されます。

 ユーラシア東部(NEA)と西部(草原地帯西部関連)のmtHgの存在が見つかったように、新疆内の青銅器時代人口集団は遺伝的にかなり混合されていました。青銅器時代新疆の人々の高い混合にも関わらず、いくつかの特有の類似性が依然として観察されます。たとえば、草原地帯西部関連人口集団は、新疆北部および西部の人口集団(北西部アファナシェヴォEMBAと北部チェムルチェクEMBA)に、より多くのNEAとのつながりを示す新疆東部集団(東部BAおよび東部LBA)よりも多くの影響を及ぼしたようです。NEAとのつながりは、青銅器時代新疆東部の最初の既知の文化である、天山北路文化(3900年前頃)の考古学的に仮定された形成と一致します。新疆の東方に位置する甘粛省の馬家窯・馬廠(Machang)文化は、新疆東部で天山北路文化を、河西回廊でシバ(Siba)文化を形成した、と示唆されました。青銅器時代新疆東部の個体群(東部BA、天山北路文化)も甘粛省・青海省地域(GQ)の人口集団と身体的類似性を示しました。これらの報告と一致して本論文では、新疆東部の後のLBA人口集団も、古代GQ人口集団(GQ斉家BAとGQ卡約LBA)との遺伝的つながりを示す、と明らかになりました。

 新疆東部(東部BAと東部LBA)におけるいくつかのユーラシア西部関連mtHgの存在は、ヨーロッパ人的な身体的特徴を有する何人かの個体や、いくつかのユーラシア西部の特徴を有する天山北路文化遺跡の埋葬形態や装飾品や道具とさらに一致します。しかし、南東部小河BA人口集団は、古代および現代のシベリア人口集団とより多くのつながりを示します(図4A)。小河遺跡の考古学的発見には、コムギとキビの穀粒が含まれており、内陸アジア山地回廊(IAMC)沿いの、アジア西部文化と中国北部文化両方からのつながりと交換の可能性が示唆されます。このシナリオは、NEAとユーラシア西部両方からの移住が、青銅器時代新疆人口集団にかなりの影響を及ぼした、と示唆している可能性があります。アファナシェヴォやチェムルチェクやボタイなど、全てのこれら草原地帯関連文化は、おそらくIAMC経路を用いて新疆でその存在を確立した、アルタイ文化の一形態を表せます。さらに、NEAおよびシベリア人との新疆東部および南部青銅器時代人口集団の類似性も、新疆の青銅器時代におけるNEAとシベリアからのより大きな影響を示唆します。

 新疆の鉄器時代標本群は、ユーラシア東西系統とのより多くの混合であり続けましたが、青銅器時代と同様に、特定の地域はNEAとヨーロッパの人口集団へのさまざまな類似性を示しました。新疆北部の鉄器時代人口集団は、より多くの古代NEAとのつながりを示しましたが、新疆西部および東部の人口集団(西部IAおよび東部IA)は、NEAとヨーロッパ(トゥーラーンおよび草原地帯西部関連)両方の人口集団との類似性を有しました。新疆西部鉄器時代において、ユーラシア東西との混合された類似性は、混合された文化的および身体的類似性を反映しているかもしれません。

 新疆西部の前期鉄器時代の索墩布拉克(Suodunbulake)文化の埋葬構造は、アムダリヤ(Amu Darya)のアジア中央部サパリ(Sapali)およびワケシ(Wakeshi)文化と類似しています。索墩布拉克文化の彩色土器はユーラシア東部文化をより想起させますが、索墩布拉克文化と関連する個体群は、より多くのヨーロッパ人的特徴を有します。鉄器時代初期のスキタイ人によるイリ地域の占領も、鉄器時代新疆西部におけるユーラシア東西両方の人口集団との共有された類似性を説明できるかもしれません。東部IAで観察された継続的なNEAとのつながりは、青銅器時代の天山北路文化および鉄器時代の焉不拉克(Yanbulake)文化との間の連続性を反映しており、焉不拉克文化はさらに、新疆のチェムルチェク文化や新塔拉(Xintala)文化と同様に、甘粛省の辛店(Xindian)文化に影響を受けました。

 新疆南部の人口集団(SZGLK_IA)は、西部草原地帯MLBAおよびトゥーラーンとのより多くのつながりを示しますが、新疆南部の高地の人口集団(SWJEZKL_IA)は、NEAとのより多くのつながりを示します。一部の新疆人口集団の地域的な選好、とくに新疆の南西部と北東部との間の分化から、鉄器時代はひじょうに相互作用的な期間だった、と示唆されます。紀元前200年頃から、新疆を通過するシルクロードが、ユーラシア全域での人口集団移動の促進に影響を有するようになりました。新疆北部の鉄器時代標本群(北部IA)は、GQ地域の河西回廊のNEA人口集団とのより密接な類似性を示す点で、新疆北部のEMBA標本群とは異なる、と明らかになりました。さらに、新疆南部の鉄器時代標本群(SZGLK_IA)も、NEA系統(mtHg-C7b・D4i・D4j1b)を有しており、中国北部とタリム盆地との間のつながりが示され、シルクロード沿いのタリム盆地への人口集団移動の影響と一致します。

 歴史時代の人口集団はNEAおよびヨーロッパ両系統を示し続け、新疆における人々の高い移動と混合の維持を反映しています。これら歴史時代の人口集団はひじょうに混合されており、異なる文化的類似性の共存する社会でした(図4C)。北部IAと西部IA両方の人口集団は、サカ文化関連系統を有していると明らかになり、サカ文化の人々は新疆北部および西部で鉄器時代人口集団と混合したかもしれない、と示唆されます。天山の東西両方の人口集団(東部および西部IA)で見られる匈奴系統(図3E)は、紀元前3世紀もしくは紀元前2世紀頃の匈奴人口集団の西方への拡大と一致します(関連記事)。フン人のmtHgが新疆南部の(鉄器時代ではなく)歴史時代の標本群(紀元後421〜538年頃のSBZL_HE)で観察され、フン人のスキタイ人口集団への侵略および紀元後4〜5世紀のフン・スキタイ人の形成と一致し(関連記事)、歴史時代におけるイリ地域からこのフン伝統への南方への移動を示唆します。

 新疆東部は、消滅したインド・ヨーロッパ語族のトカラ語と関連しています(関連記事)。古代の写本に基づくと、トカラ語は新疆中央部で紀元後500〜900年頃まで存在していました。一般的に、考古学者はトカラ語を新疆のアファナシェヴォ文化の人々と関連づけています。青銅器時代遺跡群に関する本論文の結果は、タリム盆地の小河遺跡個体群が古代シベリア人口集団と深い祖先的つながりを有している一方で、新疆北部および西部の他のEMBA人口集団はより多くの草原地帯EMBA(アファナシェヴォ文化)とのつながりを示す、という複雑なシナリオを提案します。したがって、おそらくトカラ語は、アファナシェヴォ文化など草原地帯関連祖先系統と関連する人口集団とともに新疆に到来しました。しかし、他の新疆EMBA(4500年前頃)よりも後になる小河遺跡(3900〜3500年前頃)個体群は、代わりに古代シベリア人との深いANEのつながりを有しているので、この仮説の確定にはより多くの標本抽出が必要でしょう。

 別の古代言語であるコータン語はインド・イラン語派と関連しており、タリム盆地南部のコータンのニヤ(Niya)遺跡(紀元後200〜500年頃)の古代の記録で最初に観察され、本論文のタリム盆地の標本群(紀元後74〜226年頃のSSPL_HE、紀元後138〜345年頃の南部ホータンHE、紀元後421〜538年頃のSBZL_HE)と同時代です。コータン語は、紀元前200年頃のサカ文化の新疆への拡大と関連しています。多くの鉄器時代および歴史時代の新疆人口集団とサカ文化個体群との遺伝的類似性も観察され、新疆における広範な存在が示唆されます。

 まとめると、新疆のミトコンドリアゲノムの歴史は、草原地帯西部関連と草原地帯中央部とアジア北東部とトゥーラーンの遺伝子移入により強く特徴づけられ、さまざまな古代人口集団の連合が青銅器時代から歴史時代にかけてはっきりと見られます。この混合は新疆の現代人口集団の基礎を形成し、古代ゲノムデータを伴う将来の研究は、新疆におけるより多くの混合パターンを明らかにするでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、あくまでもmtDNAデータに基づいており、核ゲノムデータではやや異なる人口史が、Y染色体ではもっと異なる人口史が示されるかもしれませんが、広範な時代と地域のmtDNAデータに基づいており、たいへん意義深いと思います。確かに、mtDNAでは母系の人口史しか明らかになりませんが、核DNAと比較すると解析がずっと容易なので、より広範な地域と時代のより多くの個体を対象とした古代DNA研究が可能になる、という利点もあります。その意味で、本論文のようにmtDNAを用いた古代DNA研究は、今後も続けられていくでしょう。


参考文献:
Wang W. et al.(2021): Ancient Xinjiang mitogenomes reveal intense admixture with high genetic diversity. Science Advances, 7, 14, eabd6690.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abd6690

https://sicambre.at.webry.info/202104/article_4.html  

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1. 2021年11月14日 09:55:10 : GOGU4P3R6A : RVliVmZjWkd0bi4=[10] 報告
雑記帳
2021年11月14日
新疆ウイグル自治区の青銅器時代の人類の遺伝的起源
https://sicambre.at.webry.info/202111/article_14.html

 中華人民共和国新疆ウイグル自治区の青銅器時代人類集団の遺伝的起源に関する研究(Zhang et al., 2021)が公表されました。アジア内陸部の中心に位置する中華人民共和国新疆ウイグル自治区の最初の居住者の正体、およびその集団が話していた言語については長年議論が続いており、今なお異論があります。本論文は、ジュンガル盆地の紀元前3000〜紀元前2800年頃の5個体と、タリム盆地の紀元前2100〜紀元前1700年頃の13個体のゲノムデータを提示します。これらはそれぞれ、新疆ウイグル自治区の北部と南部で出土したこれまでで最初期のヒト遺骸です。

 得られたゲノムデータから、前期青銅器時代のジュンガル盆地の個体群はおもにアファナシェヴォ(Afanasievo)文化集団的な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)を有しており、さらに同地域の祖先系統の追加の寄与も受けていた一方、前期〜中期青銅器時代のタリム盆地の個体群は在来祖先系統のみを含む、と明らかになりました。タリム盆地の小河(Xiaohe)墓地遺跡で発見された個体からはさらに、歯石中に乳タンパク質の存在を示す強力な証拠が得られ、この地での居住の開始当初から人々が酪農牧畜に依存していた、と示されました。

 この結果は、タリム盆地のミイラが、アファナシェヴォ文化集団を祖先とするトカラ祖語話者の牧畜民か、バクトリア・マルギアナ考古学複合(Bactria-Margiana Archaeological Complex、略してBMAC)または内陸アジア山地回廊(Inner Asian Mountain Corridor)文化に由来する、とした以前のいずれの仮説も支持しません。対照的に、トカラ語は前期青銅器時代にアファナシェヴォ文化からの移住者によりジュンガル盆地にもたらされた可能性が高いものの、タリム盆地の最初期の文化は、近隣の牧畜民および農耕民の習慣を取り入れた遺伝的に隔離された集団において出現したと見られる、と分かりました。タリム盆地の人々はこうした文化により、タクラマカン砂漠の移動性の河川オアシスに沿って定住・繁栄できた、と考えられます。


 シルクロードの一部としてユーラシア東西の文化の地理的合流点に位置する新疆ウイグル自治区(以下、新疆)は、人々と文化と農耕と言語のユーラシアを貫く主要な交差点として長く機能してきました。天山山脈に二分された新疆は、ジュンガル盆地を含む北部と、タリム盆地を含む南部の、二つの地域に区分できます(図1)。新疆北部のジュンガル盆地は、遊牧民が伝統的に居住していた広大な草原に囲まれた、グルバンテュンギュト(Gurbantünggüt)砂漠で構成されています。新疆南部は、タクラマカン砂漠を形成する乾燥した内海であるタリム盆地で構成されます。タリム盆地は、ほぼ居住できませんが、小さなオアシスと河川回廊があり、氷河の融解による流出と周辺の高山からの雪により水が供給されます。

 ジュンガル盆地内およびその周辺では、牧畜民の前期青銅器時代(EBA)アファナシェヴォ文化(紀元前3000〜紀元前2600年頃)とチェムルチェク(ChemurchekもしくはQiemu’erqieke)文化(紀元前2500〜紀元前1700年頃)の遺跡群が、シベリア南部のアルタイ・サヤン地域のアファナシェヴォ文化牧畜民(紀元前3150〜紀元前2750年頃)とおそらくつながっており、この牧畜民は3000km西方のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化と密接な遺伝的つながりがあります(関連記事)。

 言語学者の仮定では、アファナシェヴォ文化の拡散は、インド・ヨーロッパ語族において紀元前四千年紀に他の言語系統と分離した、今では消滅した分枝であるトカラ語を東方にもたらしました。しかし、アファナシェヴォ文化関連祖先系統は、鉄器時代ジュンガリア盆地人口集団(紀元前400〜紀元前200年頃)で確認されており、トカラ語は紀元後500〜1000年頃のタリム盆地の仏教経典で記録されていますが、それ以前の新疆の人口集団、およびそのアファナシェヴォ文化集団もしくは他の集団とのあり得る遺伝的関係については、ほとんど知られていません。

 1990年代後半以降、タリム盆地では紀元前2000〜紀元後200年頃となる何百もの自然にミイラ化したヒト遺骸が発見され、そのいわゆる西洋的な身体的外見、フェルトや織物で作られた毛糸の服、ウシやヒツジ/ヤギやコムギやオオムギや雑穀やケフィアチーズを含む農耕牧畜経済のため、国際的な注目を集めてきました。そうしたミイラは今やタリム盆地全域で発見されており、そのうち最初のものは古墓溝(Gumugou)遺跡(紀元前2135〜紀元前1939年頃)や小河(Xiaohe)遺跡(紀元前1884〜紀元前1736年頃)や北方(Beifang)遺跡(紀元前1785〜紀元前1664年頃)の墓地の最下層で見つかっています(図1)。これらおよび関連する青銅器時代遺跡群は、その共有されている物質文化に基づいて小河考古学層位内にまとめられています。以下は本論文の図1です。
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 小河考古学層位の起源と西洋要素の説明に複数の対照的な仮説が提案されてきており、たとえば、ヤムナヤ/アファナシェヴォ文化草原地帯仮説や、バクトリアオアシス仮説や、内陸アジア山地回廊(IAMC)島嶼生物地理学仮説などです。ヤムナヤ/アファナシェヴォ文化草原地帯仮説では、アルタイ・サヤン山脈のアファナシェヴォ文化関連EBA人口集団がジュンガル盆地を経てタリム盆地へと拡大し、その後の紀元前2000年頃に小河考古学層位を構成する農耕牧畜民共同体を形成した、と指摘されています。対照的に、バクトリアオアシス仮説では、タリム盆地に最初に移住してきた人類は、アフガニスタンとトルクメニスタンとウズベキスタンの砂漠のオアシスからアジア中央部経由で到来したBMAC(紀元前2300〜紀元前1800年頃)だった、と指摘されています。この仮説の裏づけはおもに、砂漠環境への適応を反映している両地域間の農耕および灌漑体系の類似性と、両地域における麻苧属の儀式的使用に基づいています。IAMC島嶼生物地理学仮説では同様に、小河創始者集団のアジア中央部山脈起源が指摘されていますが、タリム盆地の西方および北方へのIAMCにおける農耕牧畜民の移牧と関連しています。これら3移住モデルとは対照的に、ヒンドゥークシュ山脈からアルタイ山脈にまたがるより広いIAMCは、人口集団ではなく文化的着想がおもに移動した、文化的地理的領域として機能したかもしれません。

 最近の考古ゲノム研究では、シベリア南部の青銅器時代アファナシェヴォ文化とアジア中央部のIAMC/BMAC人口集団が識別可能な遺伝的特性を有しており(関連記事)、これらの特性は同様に、アジア内陸部の農耕牧畜民以前の狩猟採集民人口集団とも異なる、と示されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。このように、青銅器時代新疆人口集団の考古ゲノム調査は、ジュンガル盆地の人口史と青銅器時代小河考古学層位の起源の再構築に強力な手法を提示します。

 本論文では、青銅器時代の33個体が調べられました。内訳は、ジュンガル盆地が尼勒克(Nileke)遺跡と阿依托汗(Ayituohan)遺跡と松樹溝(Songshugou)遺跡、タリム盆地が小河遺跡と古墓溝遺跡と北方遺跡です。ジュンガル盆地のアファナシェヴォ文化に分類されるEBA(紀元前3000〜紀元前2800年頃)5個体の古代ゲノム配列と、紀元前2100〜紀元前1700年頃となる前期〜中期青銅器時代(EMBA)の小河考古学層位に分類されるタリム盆地の13個体のゲノム規模データの回収に成功しました。さらに、タリム盆地の小河遺跡の基底層の7個体の歯石プロテオーム(タンパク質の総体)が報告されます。これらの個体は、この地域における最初期のヒト遺骸を表しています。


●青銅器時代の新疆の遺伝的多様性

 全ゲノム配列もしくは約120万ヶ所の一塩基多型のパネルのDNA濃縮により、33個体のうち18個体のゲノム規模データが得られました。全体として、内在性DNAは最小限の汚染水準でよく保存されていました。新疆の古代人口集団の遺伝的特性を調べるため、現代のユーラシア集団およびアメリカ大陸先住民集団の主成分がまず計算され、それに古代人が投影されました。古代の新疆の個体群は、PC1軸に沿って分布するいくつかの異なるまとまりを形成し(図2)、その主要な主成分はユーラシア東西の人口集団を分離します。以下は本論文の図2です。
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 アルタイ山脈近くの阿依托汗および松樹溝遺跡のEBAジュンガル盆地個体群(ジュンガル盆地EBA1)は、その北方のアルタイ・サヤン山脈のEBAアファナシェヴォ文化草原地帯牧畜民の近くに位置します。ADMIXTUREでの遺伝的クラスタ化は、この観察をさらに裏づけます(補足図3)。以下は本論文の補足図3です。
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 天山山脈近くの尼勒克遺跡の同時代の個体群(ジュンガル盆地EBA2)は、PC1軸に沿ってわずかに後のタリム盆地個体群へと移動します。EBAジュンガル盆地個体群とは対照的に、タリム盆地東部の小河遺跡および古墓溝遺跡のEMBA個体群(タリム盆地EMBA1)は、古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統を高水準で共有する青銅器時代前のユーラシア草原地帯中央部およびシベリアの個体群、たとえばボタイ(Botai)文化銅器時代個体群と近い密集したまとまりを形成します。タリム盆地南部の北方遺跡の同時代の個体群(タリム盆地EMBA2)は、タリム盆地EMBA1からバイカル湖地域のEBA個体群に向かってわずかにずれます。


●ジュンガル盆地におけるアファナシェヴォ文化集団の遺伝的影響

 外群f3統計は、ジュンガル盆地集団とタリム盆地集団との間の緊密な遺伝的つながりを裏づけます。それにも関わらず、ジュンガル盆地集団は両方、タリム盆地集団とは有意に異なり、ユーラシア西部人口集団との過剰な類似性を示し、ANE関連集団とのアレル(対立遺伝子)共有は少なくなっています。この混合された遺伝的特性を理解するためqpAdmを用いて、供給源として、タリム盆地EMBA1もしくはシベリア南部中央のアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の末期更新世個体(AG3)との混合モデルが調べられました。AG3はANE祖先系統の遠位代表で、タリム盆地EMBA1との高い類似性を示します。タリム盆地EMBA1個体群はジュンガル盆地集団よりも年代がずっと後となりますが、ジュンガル盆地集団よりも、アファナシェヴォ文化集団の遺伝的にはより遠く局所的な在来祖先系統のより高い割合を有している、と示唆されます。本論文は、より新しく到来した集団と関連しているのではなく、何千年も地域に存在してきた遺伝的特性を示すために、「在来」と定義します。

 ジュンガル盆地EBA1およびEBA2は両方、3方向混合モデルでの説明が最適と明らかになりました(図3c)。このモデルでは、両者はアファナシェヴォ文化からの主要な祖先系統(ジュンガル盆地EBA1では約70%、ジュンガル盆地EBA2では約50%)と、残りがAG3/タリム盆地EMBA1(19〜36%)とバイカル湖EBA(9〜21%)の混合としてモデル化されます。したがって、IAMCの寄与なしのアファナシェヴォ文化関連祖先系統は、ジュンガル盆地個体群のユーラシア西部構成要素の説明には不充分です。

 また、EBA牧畜民文化であるチェムルチェクは、ジュンガル盆地とアルタイ山脈の両方でアファナシェヴォ文化を継承し、その個体群のゲノムは、祖先系統の約2/3がジュンガル盆地EBA1で、残りはタリム盆地EBA1およびIAMC/BMAC 関連供給源に由来する、と明らかになりました(図3)。これは、以前にチェムルチェク文化個体群で指摘されたIAMC/BMAC両方の 関連祖先系統と、報告されたアファナシェヴォ文化集団との文化的および遺伝的類似性の両方を説明するのに役立ちます(関連記事)。まとめると、これらの結果から、ジュンガル盆地へのアファナシェヴォ文化牧畜民の初期拡散は、局所的な在来人口集団とのかなりの水準の遺伝的混合を伴っており、シベリア南部におけるアファナシェヴォ文化の最初の形成とは異なるパターンです。


●タリム盆地集団の遺伝的孤立

 タリム盆地EMBA1およびEMBA2集団は、地理的には600km以上の砂漠で隔てられていますが、かなりの人口ボトルネック(瓶首効果)を経てきた均質な人口集団を形成します。これは、密接な親族関係なしの高い遺伝的類似性と、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のハプログループの限定的な多様性により示唆されます(図1および図2)。qpAdmを用いて、タリム盆地個体群は2つの在来アジア遺伝的集団の混合としてモデル化されます。一方はシベリアのエニセイ川上流地域のアフォントヴァゴラ遺跡の上部旧石器時代個体(AG3)に代表されるANE(約72%)で、もう一方はバイカル湖EBAに代表される古代アジア北東部人(約28%)です(図3a)。北方遺跡のタリム盆地EMBA2も、タリム盆地EMBA1(約89%)とバイカル湖EBA(約11%)の混合としてモデル化できます。タリム盆地の両集団について、アファナシェヴォ文化集団もしくはIAMC/BMAC集団をユーラシア西部供給源として用いると、混合モデルは全て失敗するので、牧畜および/もしくは農耕経済を有する近隣集団からのユーラシア西部の遺伝的寄与は却下されます。

 タリム盆地EMBA1の遺伝的特性の深い形成年代が推定され、ユーラシア西部EBAとの混合の欠如と一致し、この遺伝子プールの起源は、標本抽出されたタリム盆地個体群の183世代前、もしくは1世代29年と仮定すると9157±986年前です(図3b)。これらの知見をまとめて考慮すると、タリム盆地個体群の遺伝的特性は、小河考古学層位の最初の個体群が古代の孤立した在来アジア人遺伝子プールに属する、と示唆します。在来のANE関連遺伝子プールは、アジア中央部およびシベリア南部の牧畜民よりも前のANE関連人口集団の遺伝的基盤を形成した可能性が高そうです(図3c)。以下は本論文の図3です。
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●タリム盆地の牧畜

 タリム盆地の過酷な環境は、この地域への遺伝子流動の強い障壁として機能した可能性がありますが、着想もしくは技術の流動の障壁ではありませんでした。それは、酪農牧畜やコムギおよび雑穀農耕など外来の革新が青銅器時代タリム盆地経済の基礎を形成したからです。小河遺跡や古墓溝遺跡の墓地の上層から、毛織物、ウシやヒツジやヤギの角や骨、家畜の糞尿、乳やケフィアのような乳製品が回収され、コムギや雑穀の種子、麻苧属の小枝の束も発見されています。紀元前1650〜紀元前1450年頃のミイラの多くは、チーズの塊とともに埋葬されてさえいました。しかしこれまで、この牧畜民生活様式が小河遺跡における最初期層も特徴づけているのかどうか、明確ではありませんでした。

 最初の考古学的期間の食生活をよりよく理解するため、紀元前2000〜紀元前1700年頃となる小河遺跡の7.個体の歯石のプロテオームが分析されました。7個体は全て、β-ラクトグロブリンやα-S1カゼインやα-ラクトアルブミンなど反芻動物の乳に固有のタンパク質について強く陽性で、ペプチドの回収は、ウシやヒツジやヤギの乳との分類学的診断の合致を提供するのに充分でした。これらの結果から、乳製品は小河遺跡墓地の最下層に埋葬されていた在来祖先系統の個体群(タリム盆地EMBA1)により消費されていた、と確認されます。しかし重要なことに、以前の仮説とは対照的に、タリム盆地個体群は遺伝的にはラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続ではありませんでした。むしろ、タリム盆地のミイラは、アジア内陸部および東部の先史時代酪農牧畜がラクターゼ活性持続遺伝子型とは無関係に拡大した、との証拠の増加に寄与します(関連記事1および関連記事2)。


●考察

 新疆におけるヒトの活動は4万年前頃までさかのぼれますが、タリム盆地における持続的なヒトの居住の最初の証拠は紀元前三千年紀後期から紀元前二千年紀初期にしかさかのぼりません。その頃には、小河遺跡と古墓溝遺跡と北方遺跡において、木製の棺内に埋葬され、豊富な有機物の副葬品群と関連づけられた、よく保存されたミイラ化したヒト遺骸が、タリム盆地の最初の既知の文化を表します。紀元後20世紀初期における最初の発見と、その後1990年代に大規模な発掘が開始されて以降、タリム盆地のミイラは、その起源、他の青銅器時代の草原地帯集団(アファナシェヴォ文化)やオアシス集団(BMAC)や山岳集団(IAMCおよびチェムルチェク)との関係、インド・ヨーロッパ語族のタリム盆地への拡大とのつながりの可能性に関する議論の中心となってきました。

 本論文で提示された古代ゲノムおよびプロテオームデータは、以前の想定とはひじょうに異なる、より複雑な人口史を提示します。IAMCは文化的および経済的要素をタリム盆地に伝播させる媒介となったかもしれませんが、IAMCの既知の遺跡群は、小河遺跡人口集団に祖先系統の直接的供給源を提供しません。代わりに、タリム盆地のミイラは、アジア起源が前期完新世にたどれる孤立した遺伝子プールに属しています。この遺伝子プールは、かつて地理的にずっと広範に分布していた可能性が高く、ジュンガル盆地とIAMC とシベリア南部のEMBA人口集団にかなりの遺伝的痕跡を残しました。タリム盆地のミイラのいわゆる西洋的な身体的外見は、おそらくANE遺伝子プールとのつながりに起因し、そのきょくたんな遺伝的孤立は、文化的つながりを反映している近隣の人口集団とのかなりの遺伝的相互作用を経た、EBAジュンガル盆地やIAMCやチェムルチェク人口集団とは異なり、ヒトの移動の障壁としての極限環境の役割を示します。

 しかし、それらの顕著な遺伝的孤立とは対照的に、小河考古学層位の人口集団は文化的に「国際的」で、はるか遠くの起源を有する多様な経済的要素と技術を取り入れていました。小河考古学層位の人口集団はケフィア的な発酵を用いて反芻動物の乳からチーズを作り、おそらくはアファナシェヴォ文化集団の子孫から製法を学びました。また小河考古学層位の人口集団はコムギやオオムギや雑穀を栽培し、その起源は近東と中国北部にあり、新疆には紀元前3500年前頃以降に、おそらくはIAMCの近隣集団経由で導入されました。小河考古学層位の人口集団はアジア中央部のBMACオアシス文化を想起させる様式の麻苧属の小枝とともに使者を埋葬し、新疆もしくは他地域の他の文化では見られない文化要素を発達させました。それは、ウシの皮で覆われ、木材の棒もしくは櫓で示される船形の木製の棺や、土器よりも織り籠を明らかに好むような要素です。これらの知見をまとめて考えると、小河考古学層位を築いた緊密な人口集団は、タリム盆地外のさまざまな技術と文化をよく知っており、タクラマカン砂漠と緑豊かで肥沃な川辺のオアシスという極端な環境に対応して、独自の文化を発展させたようです。

 この研究は、新疆のジュンガル盆地とタリム盆地の青銅器時代人口集団の起源を詳細に解明しています。とくに、本論文の結果は、青銅器時代タリム盆地のミイラの起源について、ユーラシア草原地帯もしくは山岳地帯の農耕経済からのかなりの移動を想定する仮説を支持せず、むしろ、タリム盆地のミイラは文化的には「国際的」であるものの、遺伝的には在来人口集団を表している、と明らかにしました。この知見は、IAMCが、紀元前四千年紀から紀元前二千年紀にかけて異なる人口集団をつないでいた地域的な文化的相互作用の地理的回廊および媒介として機能した、とする以前の議論と一致します。

 新疆北部のジュンガル盆地における紀元前3000年頃となるアファナシェヴォ文化人口集団の到来と混合は、この地域にインド・ヨーロッパ語族をもたらした可能性があり、紀元前2100年頃以降のタリム盆地のミイラの物質文化と遺伝的特性は、遺伝子と文化と言語との間の関連についての単純な仮定に疑問を呈し、青銅器時代タリム盆地人口集団がトカラ語祖語を話していたのかどうか、という未解決の問題を残します。その後のタリム盆地人口集団に関する将来の考古学的および古代ゲノム研究、および最重要なこととして、紀元後千年紀のトカラ語文献が回収された遺跡と期間の研究が、タリム盆地の後の人口史の理解に必要です。

 最後に、タリム盆地の古代ゲノムの特性は、かつて広範に存在した更新世ANE祖先系統特性の、いくつかの既知の完新世における遺伝的子孫集団の一つだったことを、意外にも明らかにしました。したがって、タリム盆地のミイラのゲノムは、完新世人口集団の遺伝的モデル化とアジアの人口史に重要な基準点を提供します。最近公表された、宮古島の先史時代人のゲノム解析でも示されたように(関連記事)、遺伝子と文化を安易に相関させてはならない、と改めて思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:青銅器時代のタリムミイラの起源に関する意外な知見

 中国の新疆ウイグル自治区のタリム盆地で発見された、自然に保存されてきた青銅器時代のミイラが、遺伝的に孤立した地域集団に属していたことが、DNAのゲノム規模の解析によって明らかになった。このことを報告する論文が、Nature に掲載される。この知見は、タリムミイラが現在のシベリア南部、アフガニスタン北部、中央アジアの山岳地帯から移住してきた集団の子孫だとする従来の仮説と一致しない。

 タリムミイラとこれらが属していた小河(Xiaohe)文化の起源については、ミイラが20世紀初頭に発見されて以来、議論が続いており、特にその理由となっているのが、ミイラの独特の外観とそれに関連した服飾技術と農耕技術だった。この点に関しては、3つの主要な仮説を巡って議論が続いている。つまり、現在のシベリア南部のステップ遊牧民の子孫とする仮説、中央アジアの山岳地帯出身の農民とする仮説、アフガニスタン北部の砂漠地帯のオアシスから移住してきた農民とする仮説だ。

 今回、Chuongwon Jeongたちは、新疆ウイグル自治区南部のタリム盆地で出土した紀元前2100〜1700年ごろのミイラ13体と、ジュンガル盆地北部で出土した紀元前3000〜2800年ごろのミイラ5体のゲノムDNAを解析した。これらのミイラは、これまで新疆ウイグル自治区で発見された最古の人骨だと考えられている。ジュンガルのミイラは、ほとんどの場合、祖先がアファナシェボ(現在のシベリア南部にあるアルタイ–サヤン山脈のステップ遊牧民)にあり、地元の遺伝的影響も一部見られた。一方、タリムのミイラは、地元の祖先しか見つからなかった。7体のタリムミイラの歯の堆積物の中から乳タンパク質が発見され、このタリムの集団が酪農に依存していた可能性が非常に高いことが示された。これらの知見をまとめると、従来の移住説とは一致せず、地元のジュンガル系集団とアファナシェボからの移民の遺伝的系統が混合した可能性があるものの、タリム盆地の文化は遺伝的に孤立した地域集団から生じた可能性が非常に高いことが示唆された。ただし、Jeongたちは、この地域集団の文化は国際的であり、近隣の牧畜民や農民と密接な関係を維持していたと示唆している。

 同時掲載のNews & Viewsでは、Paula Dupuyが、Jeongたちの論文に記述された重要な知見と、それが先史時代の内陸アジアに関する我々の知識に対して持つ意味をさらに掘り下げている。Dupuyは、結論として、Jeongたちが「小河文化の遺伝的起源という疑問に答えた。内陸アジアの青銅器時代を決めたダイナミックで多様な文化交流のパターンをさらに説明できるかどうかは、今後の学者たちの共同研究にかかっている」と述べている。


ゲノミクス:タリム盆地で出土した青銅器時代のミイラのゲノム起源

ゲノミクス:タリム盆地のミイラの意外な起源

 シルクロードの一部である中国の新疆ウイグル自治区は、ユーラシアをまたぐ交易の重要な拠点であった。新疆南部のタリム盆地からは、西洋風の衣服を身にまとい、青い眼や金髪などの表現型の特徴を持つミイラ化したヒト遺骸が発見されており、その起源については議論が交わされ、さまざまな仮説が立てられている。今回C Jeongたちは、タリム盆地の紀元前2100〜1700年頃の個体および新疆北部のジュンガル盆地の紀元前3000〜2800年頃の個体に由来する古代DNAを解析している。その結果、ジュンガル盆地の個体のDNAは大部分がアファナシェヴォ人系統に由来していた一方、タリム盆地の個体のDNAには同地域の系統しか見られないことが分かった。こうしたデータに基づいて、タリム盆地の人々が、アルタイ/サヤン山脈のアファナシェヴォ集団を祖先とするという「ステップ仮説」と、バクトリア・マルギアナ考古学複合の移動性農耕民を祖先とするという「オアシス仮説」の両方が否定された。著者たちはこれとは対照的に、タリム盆地のミイラがこの地域において遺伝的に隔離された集団から生じた集団に属していたと結論付けている。


参考文献:
Zhang F. et al.(2021): The genomic origins of the Bronze Age Tarim Basin mummies. Nature, 599, 7884, 256–261.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04052-7


https://sicambre.at.webry.info/202111/article_14.html

2. 2022年4月10日 15:30:24 : mqTygPfupR : VFI4SVNtS1hVVEk=[9] 報告
雑記帳
2022年04月10日
新疆の青銅器時代以降の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202204/article_10.html

 現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区(以下、新疆)の青銅器時代以降の人口史に関する研究(Kumar et al., 2022)が公表されました。日本語の解説記事もあります。中国北西部に位置する新疆は、ユーラシア東西の人々の間の物質文化と農業と技術の交換において中心的な役割を果たしてきました(関連記事)。新疆地域は、北方はアルタイ山脈から南方は崑崙山脈とパミール高原に囲まれています。中央部および西部の天山山脈は新疆をジュンガル盆地とタリム盆地に分けており、ほぼ乾燥した半砂漠で構成され、川の周りに居住可能地域があり、農耕に肥沃な土地を提供しています(図1)。青銅器時代(BA)には、冶金技術が新疆を経由してアジア東部に伝わり、コムギやオオムギのような農業で重要な植物が内陸アジア山地回廊(IAMC)を経由して5000年前頃に西方から横断し、キビは東方から河西回廊を経由して新疆に入ってきた、と推定されています。新疆の青銅器時代住民の起源の理解は、これらの文化的および技術的移転がその後の数千年にわたる人口構造にもたらした変化をたどるために必要です。以下は本論文の図1です。
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 いくつかの仮説が新疆の青銅器時代人口集団の起源について提案されてきており、それは、新疆地域周辺の影響力のある文化からの移民と関連づけられてきました。北西には、アファナシェヴォ(Afanasievo)やチェムルチェク(Chemurchek)やボタイ(Botai)の草原地帯文化が存在しました。南方には、アジア中央部のオクサス(Oxus)文化もしくはバクトリア・ マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、以下BMAC)が存在しました。東方では、河西回廊周辺にシバ(Siba)文化が存在しました。この文脈で、考古学およびミトコンドリアの研究が示唆してきたのは、新疆の青銅器時代の住民と文化は在来の新石器時代基層からではなく、ユーラシア東西の人々の混合に由来していた(関連記事)一方で、青銅器時代の埋葬はユーラシア北部草原地帯文化およびアジア中央部のBMACとのつながりを示唆している、ということです。

 言語学的には、タリム盆地の紀元後5世紀〜紀元後10世紀の文献で証明された、今では消滅したインド・ヨーロッパ語族であるトカラ語の存在も、新疆におけるインド・ヨーロッパ語族話者の起源と範囲に関する問題を提起しました。これまでに、タリム盆地の青銅器時代の小河(Xiaohe)墓地遺跡のミトコンドリア研究では、草原地帯とシベリア中央部両方の派生的ハプログループと、BMACからの後になっての影響の証拠が見つかっていますが、より広範なミトコンドリアの調査が示唆するのは、これらの結果が地域全体には適用できない可能性です(関連記事)。青銅器時代タリム盆地のミイラの最近のゲノム分析では、古代北ユーラシア人(ANE)の一部に由来する在来祖先系統の証拠が見つかりました(関連記事)。したがって、新疆の青銅器時代の定住のより完全な全体像を得るには、青銅器時代遺跡群の地理的に包括な収集全体にわたる、核DNAのより正確な分析を用いた詳細な調査が必要となるでしょう。

 アジア東部および西部の鉄器時代(IA)は、広範な人口移動と遺伝的混合と文化的変化により特徴づけられます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。新疆では、紀元前千年紀以前となる3150年前頃の最初の鉄製道具が、広範に分布して重要な鉄器時代遊牧民文化である、サカ人(Saka)もしくはスキタイ人など草原地帯遊牧民と関連しています。鉄器時代遊牧民文化の存在は、新疆の青銅器時代北西部およびタリム盆地南部のイリ川流域の多くの遺跡で報告されてきました。サカやフンやパジリク(Pazyryk)や匈奴やタガール(Tagar)など多くの遊牧民連合が、鉄器時代に新疆周辺地域で台頭しました。これら遊牧民文化の人々は、鉄器時代新疆において高い多様性を維持しました(関連記事)。

 これらのうち、サカ人はアンドロノヴォ(Andronovo)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化など後期青銅器時代(LBA)牧畜民の子孫で、前期青銅器時代(EBA)のシャマンカ(Shamanka)文化などバイカル湖地域人口集団とBMAC人口集団に由来する追加の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しています。サカ人は、新疆において他地域への拡大前に南部で話されていた、インド・イラン語派コータン語と関連づけられてきました。単一の鉄器時代遺跡の以前のゲノム研究は、鉄器時代新疆個体群における草原地帯関連祖先系統の存在を示唆してきました。しかし、より広範な地域について報告された高水準の遺伝的多様性と遊動性は、鉄器時代新疆人口集団の包括的な理解のための、より広い調査の必要性を浮き彫りにします。

 2200年前頃以後の期間は、月氏や匈奴や漢や突厥などの近隣勢力により、新疆地域の支配をめぐっていくつかの注目すべき闘争がありました。したがって新疆は、動的な文化的・言語的・遺伝的背景のある人口集団の過去の合流点と共存の研究にとって、重要な地域を表しています。過去5000年の文化的および技術的移行における新疆人口集団の人口統計学的変化を追跡するため、新疆全域の39ヶ所の遺跡から収集され、年代は青銅器時代および鉄器時代から歴史時代(HE)までの201点の標本から、ゲノム規模データが生成されて分析されました。


●標本

 ゲノムライブラリは、約120万ヶ所の一塩基多型(SNP)を標的とするよう濃縮され、平均網羅率は0.01〜8.60倍です。その後、疑似半数体の遺伝子型が標的SNPで呼び出され、5000〜1141000ヶ所のSNPが得られました。新疆全域は、北部(40点)と西部(105点)と南部(49点)と中央部(3点)と東部(3点)と未知の小地域(1点)に区分されます。年代区分は、5000〜3500年前頃となる新疆BA(青銅器時代)、3500〜3000年前頃となる新疆LBA(後期青銅器時代)、3000〜2000年前頃となる新疆IA(鉄器時代)、2000年前頃以降となる新疆HE(歴史時代)です。

 汚染率の高い5個体が除去され、親族検定により87組の親族が特定されました。親族関係の個体については、SNPの数の多い方だけがさらなる分析に用いられ(43個体)、3万ヶ所未満の一塩基多型の2個体が廃棄された後、親族関係にない152個体が得られました。主成分分析(PCA)やADMIXTUREやf統計やqpAdmやDATESを用いて、既知の古代および現代の人口集団とともに、これら新たに配列された個体群が分析された結果、ひじょうに混合しており、ADMIXTUREを用いて、多くが独特な祖先系統を含んでいた、と観察されました。これらの観察に基づいて、新たに分析された個体群はおもにPCAにより64の下位群に分類され、近隣の遺跡や類似の期間で見つかった個体群も含めて、遺伝的に均質な個体群と特定されました。


●青銅器時代新疆は東西の草原地帯祖先系統の混合を示します

 BA新疆人口集団の起源を説明する試みは、周辺の草原地帯およびアジア中央部人口集団との類似性に焦点を当ててきました。この地域の最初のBA移民を説明するのに、二つの主要な競合する仮説が提案されてきました。草原地帯仮説では、タリム盆地は北方のアファナシェヴォ草原地帯文化により定住され、文化遺物と埋葬習慣と骨格の特徴の間の類似性からの裏づけが見つかる、と述べられています。バクトリアのオアシス仮説は、IAMC経由でつながっている、パミール高原と天山山脈全域での、新疆の西方に位置するBMAC文化との砂漠盆地環境と生計慣行の類似性を強調します。追加の考古学的証拠も、河西回廊を通っての、中国北部の現在の甘粛省と青海省、つまり甘青(GanQing)地域からのアジア東部とのつながりを示唆します。

 全て新疆の北部と西部にある、以前に刊行されたBA個体群(関連記事)および5ヶ所の遺跡の追加のLBAの7個体(3500年前頃以降)と統合された6ヶ所の遺跡のBA20個体のゲノム規模データを通じて、BA新疆人口集団の起源が調べられます(図1)。BAとLBAの新疆人口集団間の高い類似性と、ANE祖先系統をとの類似性が、PCAとf3統計の両方で観察されます。ANEは、24000年前頃となるシベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年(Mal'ta 1)と17000年前頃となるアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の個体(AG3)に代表され(関連記事)、その祖先系統は、草原地帯の前期〜中期青銅器時代(EMBA)、つまりヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ文化とシベリア西部狩猟採集民(WSHG)にも存在しました(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 ANE祖先系統に加えて、ADMIXTUREモデル(K=7)を用いて、BA新疆個体群のさらなる3つの主要祖先系統構成要素が特定されました。それは、アジア東部狩猟採集民とイラン農耕民とアナトリア半島農耕民です(図2B)。さまざまな祖先供給源の割合を定量化するため、qpAdmモデル化分析が用いられました。混合結果と類似して、BA新疆人口集団はANE(27〜91%)・アナトリア半島農耕民(8〜25%)・イラン農耕民(14〜26%)・アジア東部人(9〜73%)と関連する4つの主要な供給源で構成されています。さらに、より近い年代のあり得る祖先供給源のモデルは、タリム盆地の小河墓地遺跡BAミイラ(新疆BA1_TMBA1)に存在する祖先系統(8〜85%)、アファナシェヴォ祖先系統(57〜100%)、シャマンカEBA祖先系統(10〜92%)、BMACのゴヌルテペ(Gonur Tepe)遺跡個体(ゴヌル1_BA)祖先系統(43%以下)に由来する4つの主要な祖先系統供給源の混合として、新疆北部および西部のBA人口集団を描き出します(図3A)。草原地帯人口集団との遺伝的つながりは、アファナシェヴォ関連のY染色体ハプログループ(YHg)R1b1を有する10個体によっても確認されています。以下は本論文の図3です。
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 BA新疆人口集団で観察される深いANE祖先系統の存在(図3A)は、新疆BA1_TMBA1祖先系統にたどれるかもしれません。新疆BA1_TMBA1祖先系統の72%は、上部旧石器時代の個体(AG3)に由来する可能性があります(関連記事)。スルイ人(Surui)やカリティアナ人(Karitiana)といった南アメリカ大陸先住民とヨーロッパおよびシベリアの現在の人口集団に存在するANE祖先系統は、PCAおよび外群f3結果で示されるように、これらの人口集団とBA新疆人口集団との類似性を説明できるかもしれません。BA新疆人口集団のほとんどは相互と高い類似性を示し、それは外群f3統計を用いて示されるように、この時点での新疆地域の均質性の程度を論証しますが、いくつかの個体はより多様な祖先系統を示しました。3個体は、本論文のデータセットでは外れ値として機能し、標本抽出された地域ではあまり一般的ではない祖先系統か、個体群の高水準の移動性か、より小さな集団を表している可能性が高そうです。

 新疆北部の松樹溝(Songshugou)遺跡のそうした1個体(新疆BA7_oEA)は、放射性炭素年代で5043〜4861年前頃となり、PCAとADMIXTUREにおいてアジア東部人との類似性を明らかにしており、f4統計により裏づけられます(図2)。qpAdmモデルでは、新疆BA7_oEAは新疆BA1_TMBA1(8%)とシャマンカEBA (92%)という2つの供給源の混合としてモデル化できますが(図3A)、アルタイ山脈北部のチェムルチェク(Chemurchek)文化個体群に存在する新石器時代モンゴル祖先系統(モンゴルN東)を用いてはモデル化できません(関連記事)。

 混合事象の時期を計算するDATESを用いての混合時期の推定では、6754〜6041年前頃との年代が得られ、これは草原地帯祖先系統の到来前の新疆に、バイカル湖地域に広く分布していたアジア北東部祖先系統を位置づけるかもしれません。さらに、新疆西部のイリ川流域でアファナシェヴォ文化関連個体(新疆BA5_oSte)が確認されました(図2A)。この個体はPCAで直接的に草原地帯EMBAのアファナシェヴォ文化およびヤムナヤ文化の人口集団と重なり、現在のシベリアの人口集団とよりも、現在のヨーロッパの人口集団の方と多くの遺伝的浮動を共有します。じっさい、f3類似性検定とf4統計で観察されるように、この草原地帯関連祖先系統は他の西部草原地帯人口集団ではなくアファナシェヴォ文化個体群に由来する、と示されます。

 qpAdmで混合割合を推定すると、新疆BA5_oSteは混合されていないアファナシェヴォ祖先系統を有するとモデル化できる、と観察されました(図3A)。アジア東部および草原地帯EMBAとの類似性を有する外れ値に加えて、チャナングオール(Chananguole)遺跡のチェムルチェク文化の2個体(新疆BA6_aBMAC)は、放射性炭素年代で4352〜4096年前頃となり、PCAとADMIXTUREではBMAC人口集団との高い類似性を示し、同様にqpAdmモデル化では43%のBMAC祖先系統が必要とされます。BMAC祖先系統の内容は、近隣の現代モンゴルに位置するヤグシイン・フゥドゥー(Yagshiin Huduu)遺跡の同時代のチェムルチェク文化関連2個体で報告されたものと類似しており、これは、アルタイ山脈南部のチェムルチェク文化人口集団との連続性を論証し、BA新疆人口集団におけるBMAC祖先系統を確証します。

 DATES分析では、ボタイ文化集団とBMAC集団の混合が5281〜4575年前頃に起きた、と推定されています。BA新疆標本のアファナシェヴォ文化関連集団との混合の推定平均年代は、4877〜4642年前頃です。混合の推定時期は、アファナシェヴォ文化とチェムルチェク文化がアルタイ地域の近くで発展中だったのと類似の時期に草原地帯関連の人々を新疆北部および西部に位置づけます。これらの結果は、5000年前頃となるトカラ語の言語系統学的分岐時期と一致し、新疆におけるインド・ヨーロッパ語族のトカラ語の到来が、ヨーロッパにおけるインド・ヨーロッパ語族の出現よりも早いことを裏づけるかもしれません。

 BA新疆人口集団の4つの主要な祖先系統構成要素(ANEとアジア東部狩猟採集民とイラン農耕民とアナトリア半島農耕民)の特定後、経時的なこれら祖先系統の割合変化が追跡されました。草原地帯の中期〜後期青銅器時代(MLBA)の祖先系統は、アンドロノヴォ(Andronovo)およびシンタシュタの牧畜文化により特徴づけられ、それは草原地帯東部に遅くとも3000年前頃までに到達し、考古学的証拠も新疆におけるその存在を示唆してきました。アンドロノヴォ文化およびシンタシュタ文化関連祖先系統は、ユーラシア西部から到来したアナトリア半島農耕民関連構成要素が増加している点で、EBA牧畜民とは異なります。PCAとADMIXTUREとf3およびf4統計の結果によると(図2)、新疆北部および西部のLBAの7個体は、草原地帯MLBA人口集団と同様に、イラン農耕民関連祖先系統とともにアナトリア半島農耕民関連祖先系統の増加を示しました。

 これら7個体は、その遺伝的類似性によると、4つの下位群に分けられます。機能するqpAdmでは、高水準の草原地帯MLBA祖先系統がさらに観察され、残りの祖先系統は、新疆BA7_oEAもしくはシャマンカ関連の人々(7〜12%)とBMAC集団(12%)に由来します(図3A)。さらに、新疆西部の単一の新疆LBA3人口集団は、草原地帯EMBAアファナシェヴォ文化祖先系統(88%)とアジア東部祖先系統(12%)を用いてモデル化でき(図3A)、草原地帯MLBA 祖先系統の流入にも関わらず、BAとMLBAの人口集団間の連続性が示唆されます。とくに、イリ川西方の吉仁台溝口(Jirentaigoukou)遺跡の1個体(新疆LBA4)は、シンタシュタ文化集団との単一供給源モデルとして機能し、アンドロノヴォ文化集団よりもシンタシュタ文化集団の方との高い類似性と、新疆におけるアンドロノヴォ文化とシンタシュタ文化両方の存在の可能性を示唆します。

 これらの結果は、新疆地域全体の広範な標本抽出に基づいており、深いANE関連祖先系統を含むタリム盆地におけるBA人口集団を示し、少なくとも新疆北部と西部に現れるEBAバイカル湖地域と類似のアジア北東部祖先系統が伴っています。アファナシェヴォ文化およびBMAC 関連人口集団とのIAMC沿いの追加の移動と混合も報告され、新疆の定住についての草原地帯とバクトリアのオアシス両方の仮説の側面が確証されます。LBAには、草原地帯MLBA祖先系統の追加の流入を伴う既存の遺伝的特性の継続が見つかります。


●遊牧民の草原地帯文化との鉄器時代の混合

 紀元前千年紀初期に起きた鉄器時代(IA)への移行は、新疆周辺のさまざまな遊牧民集団の確立により特徴づけられます。この期間には移動性が高まって、ユーラシア東西の人口集団間の接続性増加につながり、それはウマの使用がますます広がったことと、新疆と近隣地域をつなぐいくつかの自然の山道により促進されたかもしれません。新疆の西方のIAMCとパミール高原地域は、新疆においてアジア中央部をタリム盆地とつなぐBA経路として提案されてきました。新疆における経時的なアジア中央部BMAC関連祖先系統の程度を特徴づけると、これらの地域間の社会および文化的接続の発展についての情報が提供されます。新疆全域のIAの98個体(図1)の分析により、新疆人口集団についてこれら提案された相互作用の影響が調べられました。

 まず、新疆IAと新疆BAの人口集団間の関係が調べられました。PCAでは、新疆IA個体群は地理的には充分に区別されず東西の勾配に沿って位置し、草原地帯MLBAおよび草原地帯EMBA人口集団のまとまりに囲まれる、新疆BAのまとまりと密接に分類されます(図2A)。IA新疆人口集団は、新疆における多様な祖先系統の共存を示しており、草原地帯かアジア東部かアジア中央部の人口集団との類似性を有し、37の下位群に分類されます(図2A)。

 MLBA に確立した傾向に基づいて、IA新疆人口集団はさらに、アナトリア半島農耕民およびイラン農耕民関連祖先系統の割合増加により特徴づけることができ、ADMIXTUREとqpAdmの結果で明らかなアジア東部関連祖先系統の追加の増加が伴います(図2A)。外群f3検定では、これらの個体のほとんどは、古代の草原地帯関連人口集団、現代のヨーロッパ人およびシベリア人と最も多くのアレル(対立遺伝子)を共有します。しかし、いくつかの個体は、ADMIXTUREとf3統計でアジア東部との類似性増加を示し、鉄器時代における新疆へのアジア東部祖先系統のかなりの流入を裏づけます。

 LBAとIAの人口集団間の遺伝的関係をよりよく定義するため、新疆BAと新疆LBAがqpAdmモデルの代理供給源として用いられ、IA新疆個体群は、新疆LBA1人口集団を用いて、新疆BA1_TMBA1かアジア東部かBMACかインダス川流域の供給源からの追加の祖先系統でモデル化できる、と観察されます。これは、IAへの新疆LBAの遺伝的連続性を論証しており、アジア東部および中央部からの追加の遺伝的寄与が伴います。

 新疆LBAと同様に、IAで観察される顕著な祖先系統は3供給源に由来します。それは、草原地帯MLBA(55%)、BMAC(18%)、新疆IA1(18ヶ所の遺跡の43個体)に代表されるシャマンカEBA(27%)です。2個体かそれ以上の他の下位群は、アジア東部人口集団(32〜60%)か草原地帯MLBA人口集団(24〜56%)のどちらかとの類似性を示しますが、一部の機能するモデルでは、BMAC祖先系統は新疆BA1_TMBA1祖先系統(13〜26%)に置換されます(図3A)。さらに、PCAとADMIXTUREの図で示されるように独特な祖先系統を有する外れ値(_oで示されます)21個体は、上述の基本3供給源(草原地帯MLBAとBMACとシャマンカEBA)の1つもしくは2つと高い類似性を示すか、qpAdmモデルで示されるように、草原地帯EMBAもしくはサカ人口集団により表される独特な祖先系統を含んでいます(図3A)。

 新疆LBA人口集団への草原地帯MLBA 供給源の流入が特定されたので、新疆IA人口集団における中核となる草原地帯祖先系統の影響がさらに調べられました。IA新疆人口集団の草原地帯EMBAと草原地帯MLBAとの間の類似性を区別するため、EMBA草原地帯人口集団におけるアナトリア半島農耕民的な祖先系統の既知の欠如が用いられました。ヨーロッパロシアにあるコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の上部旧石器時代の38700〜36200年前頃となる男性個体(関連記事)に、アナトリア半島農耕民祖先系統が欠如している外群f3統計(アナトリア半島農耕民、検証X;ムブティ人)および(コステンキ14、検証X;ムブティ人)を用いてこの検証が実行されました。その結果、アナトリア半島農耕民との新疆IAのより大きな類似性が裏づけられ、より最近の草原地帯MLBA祖先系統が新疆IA人口集団の大半と結びつけられます。f4統計に基づく手法を用いて、新疆BA人口集団と比較しての、新疆IAにおけるWSHGとの類似性増加に伴う、アナトリア半島農耕民およびイラン農耕民関連祖先系統の増加の勾配も観察されました。

 qpAdmモデルも、新疆人口集団の一部における43%に達するアナトリア半島農耕民祖先系統構成要素の増加と、38%のイラン農耕民構成要素を確証します。IAで見つかる草原地帯MLBA祖先系統は、異なる草原地帯MLBAのYHg-R1a1(30個体)の存在と、BA人口集団とよりも草原地帯MLBAの方との外群f3統計での大きな類似性によって、さらに裏づけられます。qpAdmモデルでアファナシェヴォ文化関連祖先系統を有するIAの7つの人口集団と、草原地帯EMBAのYHg(R1b1)を有する3個体が特定されました。追加のシャマンカEBA祖先系統を有するIAの4人口集団(ABST_IA2_oIA1、新疆IA8_aEA、新疆IA10_aEA、新疆IA12_ aSte)における、アファナシェヴォ文化およびアンドロノヴォ文化とのモデルも見つかりました。DATESの結果から、新疆IA10_aEAの混合事象は4351〜3177年前頃に起きたと示唆され、これは改善のために追加のIA個体群の標本抽出を必要とする広範囲となります。中核となる草原地帯EMBA祖先系統の連続性は、IA新疆へのインド・ヨーロッパ語族の持続性を裏づけるかもしれません。

 IAはf4統計比較でBMAC祖先系統の頻度増加も示します。IAの7つの人口集団はBMAC祖先系統(30〜47%)を含んでいると分かり、インダス川流域祖先系統供給源SPGTとゴヌル2BA(18〜37%)を有する2供給源を用いてモデル化できる、4つのIA人口集団が観察されました。BMAC祖先系統の出現の増加は、IAにおけるBMACもしくはインダス川流域から派生する人口集団の新疆地域へのかなりの移動を示唆し、最も可能性が高いのはパミール高原と天山山脈を越えてのIAMC経路です。とくに、IAの9個体は以前に特定されたサカ文化人口集団と遺伝的に類似していると分かり、この9個体はqpAdmを用いて天山山脈およびサカ文化集団で単一の供給源としてモデル化できます。

 上述の結果をまとめると、複数のアジア中央部・南部・東部供給源に由来する、IAの新疆において出現する外部祖先系統の増加が示され、人口統計学的接触および周辺地域の集団間の交換拡大を論証し、サカ文化や匈奴などIA遊牧民は重要な役割を果たしました。さらに、言語の拡大は常に人口史と一致しているわけではありませんが(関連記事)、新疆IA人口集団におけるサカ関連祖先系統の存在は、サカ文化で話されており、後にこの地域において証明された、インド・イラン語派コータン語の到来を裏づけます。


●青銅器時代から鉄器時代にかけて増加したアジア東部祖先系統

 新疆および甘青の近隣地域における類似の銅器および青銅器物質の考古学的発見は、アジア東部との重要なつながり、および現在の中国北西部への冶金技術導入の可能性を示唆します。そうした物質とともに、この地域におけるアジア東部祖先系統の存在と程度は、アジア東部のさまざまな地域とのBAとIAの新疆人口集団間の移動と接触の定義にとって重要です。シベリアのバイカル湖地域(シャマンカ文化)のアジア北東部祖先系統はBA新疆人口集団に存在し、主要な草原地帯祖先系統とは別に、いくつかの混合モデルもアジア北東部祖先系統を必要とします(図3A)。

 新疆北部の松樹溝遺跡では、BAの1個体(新疆BA7_oEA)の92%は、シャマンカEBAからの供給でモデル化できます(図3A)。IAには、アジア東部祖先系統構成要素の増加が、新疆標本群で頻繁に観察され、PCAでは新疆IA個体群の分布はアジア東部祖先系統増加の西から東の勾配に位置します(図2A)。BAと比較してのアジア東部祖先系統のこの増加はADMIXTURE分析でも観察され(図2B)、外群f3統計で裏づけられます。アジア東部関連祖先系統と草原地帯関連祖先系統両方の優勢は、f4統計(WSH、シャマンカEN;新疆集団、ムブティ人)および(WSH、BMACおよびインダス川流域;新疆集団、ムブティ人)を用いての比較によりさらに裏づけられ、IA人口集団では、アジア東部人との類似性をより多く有する一群と、草原地帯関連人口集団との類似性をより多く有する一群との、2群に分離します。

 古代アジア東部人口集団の中で、新疆BAおよびIA人口集団のほとんどは外群f3統計で、アジア東部北方の淄博(Boshan)遺跡もしくはアジア東部南方のマンバク(Man_Bac)遺跡人口集団とよりも、シャマンカENやロコモティフ(Lokomotiv)Nや悪魔の門洞窟Nなどシベリアの古代アジア北東部新石器時代(N)人口集団、および匈奴のような草原地帯東部IA人口集団の方と高い類似性を示します。現在のアジア東部人口集団の中で、古代新疆人口集団は一般的に、カンボジア人のようなオーストロアジア語族話者や、傣人(Dai)のようなタイ・カダイ語族話者とよりも、ウイグル人、アミ人(Ami)のようなオーストロネシア語族話者、シェ人(She)のようなミャオ・ヤオ(Hmong-Mien)語族話者、漢人のようなシナ・チベット語族話者の人口集団の方と、最高の類似性を示します。新疆の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)では、北部と南部と西部の68個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)のC・D・M・Nと、南部と東部の4個体のYHg-O2a2bも、新疆における最高水準のアジア東部祖先系統を反映しています。

 QpAdmモデルは、BA新疆で見つかるアジア東部祖先系統の主要な供給源が、新石器時代モンゴル(モンゴルN)やバイカル湖地域(シャマンカEN)や黄河(黄河MN)人口集団で一般的なアジア北東部祖先系統と類似している、と明らかにしました。対照的に、IA人口集団のアジア東部構成要素はより多様です。一部の人口集団のモデルは匈奴もしくはシャマンカEBA(新疆IA14_aSteなど)からの祖先系統を裏づけますが、他のIA人口集団は、新疆IA3_aEAなど匈奴(および漢人関連人口集団)かシャマンカEBA(新疆IA4_aEAと新疆IA7_aEAなど)でのみ機能します。IA新疆における匈奴関連祖先系統の出現は、甘粛省とタリム盆地における月氏の敗北後の、2200年前頃以降となる匈奴の西方への拡大と一致します。BAのアジア北東部祖先系統の継続的存在に加えて、IAに始まる広範なアジア東部祖先系統の増加は、外群f3統計で観察されます。これは以前に匈奴で報告された漢人関連祖先系統構成要素の結果かもしれませんが(関連記事)、本論文の結果は、これらアジア東部の流れを特定の人口集団まで追跡できず、この期間における新疆への追加のアジア東部集団の移動の可能性を除外できません。


●歴史時代の人口集団における鉄器時代混合祖先系統の遺伝的連続性

 IA新疆人口集団についての本論文の分析は、新疆全域の強い移動性と遺伝的交換を明らかにしており、アジア東部および南部からの祖先系統の寄与が高まっています。歴史時代(HE)のIA後の人口集団のゲノムデータはほとんど存在しませんが、この情報は、IA後の人口統計学的変化が歴史的な人口集団と新疆現代人のゲノム多様性に及ぼした寄与の追跡に重要です。新疆の政治的支配は、匈奴と漢王朝の間で紀元後3世紀まで受け継がれ、紀元後6世紀には突厥汗国が新疆全域の支配を確立し、後には唐王朝により駆逐されました。その後の数世紀、新疆はチベットやウイグルやモンゴルのさまざまな影響を受けました。これらの事象が新疆人口集団に与えたかもしれない影響を記録するため、15ヶ所の遺跡の歴史時代27個体(新疆HE)が配列され、分析されました。これら新疆HE個体群は新疆IA個体群とまとまり、同様に天山サカ人やフン人や中央部サカ人などの草原地帯遊牧民集団とPCAで重なりました(図2A)。

 IA個体群と同様に、新疆HE人口集団は外群f3統計では草原地帯MLBA人口集団および現代ヨーロッパ人と最も多くのアレルを共有しており、外れ値個体はアジア東部もしくはアジア中央部人口集団のどちらかとより多くの類似性を示します。f4統計(ゴヌル1BA、ゴヌル2BA;新疆HE、ムブティ人)を用いてのアジア南部および中央部の祖先系統の比較は、BMAC(ゴヌル1BA)祖先系統とよりもインダス川流域(ゴヌル2BA)祖先系統とより高い類似性を有する2個体(AYSG_ HE_oEAとBYH_HE_oEA)を示しました。

 IAに存在した祖先系統と同様に、草原地帯EMBAもしくは草原地帯MLBA(17〜73%)と、BMAC(10〜33%)と、アジア東部(9〜57%)の主要な3祖先系統供給源が観察され、いくつかの例外があります(図3A)。HEの27個体は16の下位群に分類され、独特な祖先系統を示すHE個体群と人口集団が別々に分析されました。HEの2個体は、イリ川のJMCY_HE2_ oIranと新疆北東部のBYH_HE_oEAというSPGT人口集団に由来するかなりの量の祖先系統を共有しており、新疆へのアジア南部および中央部祖先系統の継続的流入を示唆しているかもしれません(図3A)。

 草原地帯MLBAの影響に加えて、いくつかのqpAdmの機能するモデルが見つかりました。そのモデルでは、構成要素の一つとして草原地帯EMBAもしくは新疆BA1_TMBA1祖先系統が含まれ、そのうち2個体もYHg-R1b1です。HEイリ川地域の1個体も、アファナシェヴォ文化もしくは新疆BA1_TMBA1祖先系統(18〜39%)と新疆LBA1(アンドロノヴォ文化)もしくはシンタシュタLBA祖先系統(29〜63%)供給源の両方を有する、機能するqpAdmモデルで特定されました。それは、qpAdmモデルが外群としてアファナシェヴォ文化関連祖先系統で機能するからです。タリム盆地EMBA祖先系統(16〜34%)とアンドロノヴォ文化関連祖先系統(22〜63%)を有する7つの人口集団も特定されました。まとめると、これらの調査結果は、HEへと持続する最初の波の草原地帯EMBA祖先系統の事例を記録します。

 これら祖先系統の変化が表現型に影響を及ぼした可能性の研究のため、HIrisPlex-Sシステムを用いて、全期間のより高い網羅率の個体(38〜64)で予測される目と髪と肌の色素沈着が調べられました。新疆北部と西部におけるより明るい髪と肌の出現はLBAに始まり、IAへと継続する、と観察されました。青い目のアレルも、これらの地域で遅くともIAには出現し、IA標本の1〜2個体は、イリ川地域で青い目を有していました。明るい目と髪の色素沈着は、以前には草原地帯MLBAのアンドロノヴォ文化と関連する人々で特定されており、新疆で新たに特定された青い目の個体の一部はアンドロノヴォ文化と関連しています。新疆全地域のわずか5点のHE標本の表現型結果しかありませんが、注目されるのは、5個体全てがより暗い髪と目の色素沈着を有しており、アジア東部・南部・中央部からの祖先系統増加の期間と対応していることですが、これはひじょうに小さい標本規模のため慎重に解釈されます。

 とくに、IAにおいて特定された祖先系統供給源、つまり草原地帯とBMACとアジア東部も、現代新疆のウイグル人で観察され、IAから現代の新疆人口集団の遺伝的連続性が示唆されます。現代の新疆人口集団とのPCAでは、HE個体群は、アジア中央部のタジキスタンとカザフスタンとウズベキスタンの人々、トルクメン人、新疆のウイグル人、現代ウイグル人とより大きな浮動が共有された、より多くの草原地帯関連類似性を有する個体群と重なりました。

 したがって、IA後の新疆のいくつかの遊牧民集団による複数の影響にも関わらず、IAに存在した混合祖先系統がHE新疆人口集団にも存在し、IAでのアジア中央部および東部祖先系統の影響増加が、依然としてHEと現代の新疆人口集団間で共有されているという点で、驚くべき程度の遺伝的連続性が見つかります。しかし要注意なのは、本論文のHE遺跡の標本規模が、BAおよびIAの遺跡群の標本規模ほど堅牢ではないことです。より大きな地理的領域を網羅するより広範な分析によって、現在のデータセットで観察された傾向をよりよく検証できます。


●考察

 先住のANEに由来する人口集団とBA西部および草原地帯東部人口集団にたどれる祖先供給源で始まり、新疆の人口構造は、侵入してくる遺伝子流動と、現存祖先系統に追加する周辺地域人口集団からの混合の波により、特徴づけることができます。BA新疆地域には主要な4祖先系統があり、それには、タリム盆地EMBA1(新疆BA1_TMBA1)とアファナシェヴォ文化(BA5_oAfan)とアジア北東部(新疆BA7_oEA)とBMAC(新疆Xinj_BA6_aBMAC)が含まれ、多様なBA個体群での存在を考えると、タリム盆地EMBA1は新疆在来の可能性があります(図3B)。アルタイ地域近くのモンゴルのチェムルチェク文化住民は、BA新疆北部のチェムルチェク文化を通じてさらに新疆とつながっており、アルタイ地域全体での人々のBAにおける移動を論証します。したがって、草原地帯仮説とバクトリアのオアシス仮説の両方の裏づけが見つかるだけではなく、追加の祖先系統の特定は、新疆におけるEBA人口集団のさらなる複雑さを示唆します。BAよりも前とEBAの人口集団の追加の標本抽出が、この期間に新疆で確立した祖先系統の継承をさらに特徴づけるのに必要でしょう。

 その後のLBAでは、アジア中央部のBMAC人口集団に存在した祖先系統がより顕著になっていき、IAMC経路を通って、アンドロノヴォ文化やシンタシュタ文化やカザフスタン東部のダリ(Dali)遺跡(ボタイ文化集団関連祖先系統)といった人口集団など、草原地帯MLBA人口集団とともに新疆に入ってきた可能性が高そうです(図3B)。新疆への草原地帯MLBAの侵入(3900年前頃)は、アンドロノヴォ文化の下位区分文化であるフョードロヴォ(Fedorovo)文化(3750〜3500年前頃)の天山山脈からの到来と相関しています。

 IAは、新疆地域への、草原地帯とアジア中央部および東部の人々の移動と混合の増加により特徴づけられます。IAには、BMAC祖先系統を含むアジア中央部人口集団とのより大きな遺伝的類似性を有する、草原地帯MLBA祖先系統の連続が見られました。LBAとIAにはアジア南部狩猟採集民のオンゲ人に由来する祖先系統も観察され、新疆南部へと、すでにこの祖先系統を有するアジア中央部人口集団か、パミール高原地域経由でのインダス川流域人口集団の移動が示唆されます。同時に、現在のモンゴルとなる草原地帯東部からのアジア東部祖先系統のIAの流入も観察され、新疆へのパジリク(Pazyrk)匈奴の西方への拡大と関連しているかもしれません。IAに確立した、草原地帯およびアジア東部・中央部の人々と関連するこれらの混合祖先系統は、その時以来維持されており、HEと現代両方の新疆では依然として一般的で、過去と現在の人口集団を結びつけます。この再構築された人口史の側面には考古学的記録の裏づけが見られますが、新たに生成されたゲノムデータと以前の考古学および歴史の証拠との比較により、いくつかの洞察が得られます。

 第一に、文化の拡散が常に人口移動を伴うわけではないものの、新疆人口集団における文化拡散と人口移動との間の全体的な一致が観察されます。たとえば、新疆北部および西部人口集団の最初の定住に存在した主要な遺伝的影響は、アファナシェヴォ文化やチェムルチェク文化やオクネヴォ(Okunevo)文化など、さまざまな文化的背景を有する人々の共存と関連している可能性があります(図3A)。また、人口集団の祖先系統における変化は、提案された人口移動と関連づけることができます。具体的には、BA個体群におけるアファナシェヴォ文化関連祖先系統は、アルタイ・サイ(Altai-Sai)地域におけるヤムナヤ文化の同時の出現と一致しており、LBA個体群における草原地帯MLBA祖先系統は、新疆への草原地帯MLBA文化の拡大に起因する可能性があります。

 IAには、サカ人など遊牧民集団との遺伝的類似性が、草原地帯全体のこれら集団の広範な存在を明らかにします。全体的に、IAとHEに存続したタリム盆地EMBA祖先系統が検出され、新疆における草原地帯とEMBAとBMACと在来のタリム盆地EMBAの人々の子孫である人口集団の共存が示唆されます。これらの調査結果も、新疆における多くの言語拡大の根底にある広範な人口統計学的過程にゲノム証拠を与えます。アファナシェヴォ文化と関連する人口集団によりもたらされたトカラ語などそうした言語は、HEにも存続しました。IAにおけるサカ人の移動性の増加と、HEへと続くサカ人の国家は、新疆でもコータン語などインド・ヨーロッパ語族の拡大に寄与しました。

 本論文で記録された広範な人口移動にも関わらず、新疆で過去5000年間に維持されてきた遺伝的連続性の程度は注目に値します。アジア北東部など、比較的高い文化的均質性を有する孤立した環境もしくは地域で遺伝的連続性が観察されてきましたが(関連記事)、多様な祖先系統を有する人口集団間の動的な相互作用は、オセアニア諸島やヨーロッパなどで見られるように、大きな人口集団の変化と置換をもたらす可能性がより高そうです(関連記事1および関連記事2)。

 しかし、これは新疆人口集団には当てはまらず、遺伝的連続性の少なくとも二つの異なる事例が観察されます。その最初は、BA個体群からLBAおよびIA個体群への遺伝的連続性(草原地帯祖先系統)で、中核となる草原地帯祖先系統が多様な祖先系統の広範な流入の追加にも関わらず維持された事例を表します。第二の事例は、過去2000年の連続的な外部支配勢力の混乱にも関わらず、HEから現代の新疆人口集団の多様性の安定性です。そのおもな理由は、この混合祖先系統が新疆だけではなく、アジア中央部全体で一般的だったので、動的な人口移動が大きな遺伝的変化をもたらさなかった、ということにあるかもしれません。これらの調査結果が示唆するのは、遺伝学的および考古学的証拠が異なるものの補完的な洞察を人口史に提供できる、ということです。これは次に、さまざまな人口集団と文化との間の持続的相互作用が起きた新疆のような地域の複雑な歴史を明らかにするための、学際的手法の重要性をさらに強調します。


参考文献:
Kumar V. et al.(2022): Bronze and Iron Age population movements underlie Xinjiang population history. Science, 376, 6568, 62–69.
https://doi.org/10.1126/science.abk1534


https://sicambre.at.webry.info/202204/article_10.html

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