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大林宣彦監督が生前、語っていた反戦の思いと安倍政権下の日本への危機感 「みんながしっかり怯えてほしい。大変なことになってきている」(リテラ)
http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/460.html
投稿者 赤かぶ 日時 2020 年 4 月 11 日 16:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

大林宣彦監督が生前、語っていた反戦の思いと安倍政権下の日本への危機感 「みんながしっかり怯えてほしい。大変なことになってきている」
https://lite-ra.com/2020/04/post-5364.html
2020.04.11 大林宣彦監督が生前、語った戦争の記憶と安倍政権下の日本への危機感 リテラ

    
戦争と平和をテーマにすえるようになったのかについて語っていた大林監督(ドキュメンタリー『大林宣彦の遺言』(2017年9月2日放送/NHK Eテレ)


 大林宣彦監督が、肺がんのため4月10日夜に82歳で亡くなった。新型コロナの影響で映画館が公開延期となったが、この日は、病魔と闘いながらつくりあげた最新作『海辺の映画館─キネマの玉手箱』の公開予定日だった。

 大林監督といえば、『時をかける少女』などの“尾道三部作”で知られているが、近年は、反戦と平和への思いを強く訴えるようになった。

 今回の新作『海辺の映画館』も久しぶりに尾道に舞台にしたエンターテインメント作品であり、同時に、戦争の歴史を無声映画、トーキー、アクション、ミュージカルといった様々な映画表現で展開していく、大林監督の反戦と映画への思いがつまった作品となっているという。

 それにしても、大林監督はなぜ、戦争と平和をテーマにすえるようになったのか。それは2017年、前作『花筐/HANAGATAMI』が公開される際に、大林監督自身がその理由を語っていた。

『花筐/HANAGATAMI』は、檀一雄原作の、日米開戦直前を舞台にした青春群像劇で、やはり戦争と平和の問題が深く掘り下げられている作品だ。

 この『花筐/HANAGATAMI』の映画化は42年前に頓挫していた企画を復活させたものなのだが、大林監督はその理由について、ドキュメンタリー『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』(2017年9月2日放送/NHK Eテレ)のなかでこのように語っていた。

「40年前はやっぱり僕は文学青年だから、放蕩無頼の檀さんのね、青春文学というものに憧れていた部分もあるし。あれから40年経つと、また日本がね、戦争ができる国になったいまになると、あの痛切な気持ちね、あの放蕩無頼っていうのは、“自分の命ぐらいは自由にさせてくれよ”と、戦争に行って、殺され、消耗品になる、そういう戦争を青春として過ごした人たちの無念の気持ちが、実はこれからまたやって来ると、(そう)いうときにね、ようやく、この『花筐/HANAGATAMI』をいま撮るべしという声が聞こえてきたんでしょうね」

 大林監督は、安倍政権下の日本の状況を見て、『花筐/HANAGATAMI』の時代に近づいているという危機感を強く抱くようになったと語ったのだ。

 なかでも大林監督が危惧していたのが、戦争によって若い人たちの命が奪われることになるのではないか、ということだった。それが、『花筐/HANAGATAMI』という映画のなかでキーフレーズとなっていた「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉だった

 大林監督がこの言葉を使うにあたりイメージした人物がいる。それは、大林監督の父・義彦氏だ。義彦氏は医大の外科教室で研究をしていたが、1939年、30歳のときに戦場へ向かうことになる。大林監督は父が復員した後も戦場の思い出を聞くことはなかったというが、軍医として中国、マレー半島からジャワ島へと赴いた先で見たものが何であったかは想像するにあまりある。

 父は晩年、戦場で起きたことを手記に残しており、最近その手記が見つかった。前述ドキュメンタリーでは、1945年10月29日、復員して尾道に帰ってきた日のことがこのように綴られていたと紹介している。

〈やっと戦時生活も終わった。これで自分で考え、自分の意思で生きていける。本当の人生がまた帰って来た〉

 妻と子を日本に残し、研究者としての仕事も中断させられ、6年間もの歳月を軍医としての生活に費やさざるを得なかった父の無念の思いを、ドキュメンタリーのなかで大林監督はこのように語る。

「父のことを考えたら、人生丸ごと消耗品だったんだよね。精神の自由もなかった。なんという人生だろうね。でも、そのなかをきっちり青春があって、生きた。親父たちも自らを納得させていったんだろうと」

■大林監督が語った敗戦時の記憶 母親から「この短刀で僕を殺して自分も死ぬ」と…

 戦争によって人生を消耗させられたのは父だけではない。1938年生まれの大林監督も同様に戦争で人生を大きく狂わされた。もしかしたら、戦後すぐに彼は死んでいたかもしれなかったのだ。

 九死に一生を得たのは、終戦後すぐ、尾道に進駐軍がやってくるという噂が立ったときのこと。ドキュメンタリーでは、その当時住んでいた大林監督の生家を訪れているのだが、寝室に使っていた部屋に入ると大林監督はこんな思い出を語り出した。

「いつもなら布団が敷いてあるんだけれども、それがなくて、ここに座布団があって、こっちに座布団があって、スーツをきちんと着た母親と僕が座って。なぜかここにこれぐらいの短刀が置いてありましたよ。なにか子ども心に、より切実に、夜が明けたらアメリカやイギリスの兵隊さんがやって来て、僕らを取って食べるんだと。だから、その前に母親はこの短刀で僕を殺して自分も死ぬんだと。そう納得してね。父親はまだ戦地から帰ってませんでしたから、『お父さんのお帰りを待てんけどね』と言って母親と話をした」

 結局、この心中は未遂に終わったのだが、その夜のことについて母に話すことはできなかったという。

「戦争中のことはね、親子といえども、というか、親子だからこそ探り合わない。探り合えばきっと傷つき合うんだということを子ども心に真剣に僕たちは承知していましたよ。そりゃだって我が子を殺めて自分も死ぬなんてことを母が決意していたってことをどうして子どもの僕が問い返せますか?」

 ようするに、この日の鮮烈な記憶、そして安倍政権下で進む日本の歩みに憤りを覚えたことが、戦争をテーマにした映画を撮り続けさせたのだ。

 周知のように、『花筐/HANAGATAMI』のクランクイン直前、大林監督は肺がんが発見され「余命3カ月」がと宣告を受ける。だが、大林監督は当時、「文藝春秋」2016年9月号にこんな随筆をよせている。

〈日本は復興・発展。高度経済成長期、僕は大人になった。すると今度は、日本人が自らの手で、日本を壊し始める。僕は町興しならぬ町守り映画を作る事こそが、「敗戦少年」の責務であると。斯くして「3・11」を経て、明治維新以降の日本の「戦争」と「平和」を見直す「古里映画」を作り続けております。敗戦後七十年は「平和〇年」の筈だった。然し今、この日本は!?
 人ヲ殺シテ死ネヨトテ、二十四マデヲソダテシヤ。
 僕は七十八まで生き延びた。まだまだ、死ねぬ〉

 そして、大林監督はがんとつきあいながら、『花筐/HANAGATAMI』を完成させたばかりか、その後も、映画を撮り続けた。それが最新作である『海辺の映画館』だ。

 前掲したNHKのドキュメンタリーのなかで大林監督は「戦争」についてこのように語っている。

「みんながしっかりと怯えてほしい。大変なことになってきている。過剰に怖がらせているように思われるかもしれませんが、過剰に怯えていたほうが間違いないと僕は思う。それが、実際に怯えてきた世代の役割だろうと思うので、敢えて言いますけどね。怯えなきゃいかん。戦争というものに対して。本当に」
 
 戦争の恐ろしさをしっかりと認識し、その凄惨さに怯えること。そして、その恐怖を乗り越えたら、今度は「平和を信じる力」を身につけること。大林監督の残したメッセージを私たちはしっかりかみしめる必要がある。

(伊勢崎馨)


 

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コメント
1. 赤かぶ[69791] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:27:03 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6872] 報告

2. 赤かぶ[69792] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:27:40 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6873] 報告

3. 赤かぶ[69793] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:28:20 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6874] 報告

4. 赤かぶ[69794] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:28:53 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6875] 報告

5. 赤かぶ[69795] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:29:39 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6876] 報告

6. 赤かぶ[69796] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:30:14 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6877] 報告

7. 赤かぶ[69797] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:33:06 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6878] 報告

8. 赤かぶ[69798] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:34:28 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6879] 報告

9. 赤かぶ[69799] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:36:23 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6880] 報告

10. 2020年4月11日 16:37:36 : QAiADQMylg : aHpjejhicUR3Mm8=[103] 報告
戦争の生き証人として関連あると思うので載せておく。

“悠仁さまの家庭教師”半藤一利89歳が振り返る「太平洋戦争開戦の興奮」
https://bunshun.jp/articles/-/13353

悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問

(中略)このように秋篠宮父子が近現代史の教師役として半藤氏を招いた背景には、半藤氏が戦争体験者として過酷な少年時代を過ごしたことも影響しているだろう。

半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれている。その翌年には満州事変が勃発、次第に日本は軍靴の音が高く鳴り始めていった。

昭和15年頃になると、半藤少年は互助組織だった「隣組」が監視機関に変貌するのを目の当たりにした。「この戦争は負ける」という父の発言を密告され、半藤家は1年あまりの間に3度も警察に踏み込まれたのだ。

「そんな父の影響もあって、旧制中学に進学しても、私は軍人の学校には一切行かないと決めていた。周囲はやれ陸軍幼年学校だ、少年航空兵だと熱に浮かされていたので、『オマエは非国民だ』とよく罵(ののし)られたものです」

半藤少年の思惑をよそに戦況は悪化の一途をたどる。そして14歳だった昭和20年3月10日。東京大空襲で下町は、すさまじい火炎に包まれた。

「焼夷弾の荒れ狂う中を逃げまくり、九死に一生を得た。空襲がおさまった後、焼け野原の中で、そこら中にある死体を片付けました。

防空壕の中があんなふうに蒸し焼きになるなんて……想像を超えていました。蒸し焼きだから黒焦げじゃないんです。おびただしい死体が折り重なっていてね。それを片付けていくと、一番下の死体だけは直接地面に接触して炭化している。これは、実に軽かったですね。中学2年の私がひょいと持てちゃうくらいでした。

そうやって死体を運び出していたら、2時間ぐらいで警防団の大人たちに『お前たち、もうやめろ。これは大人の仕事だ。帰れ』と追い払われた。帰れと言われたって、一面焼け野原でしたがね。ただ、もっと死体処理を続けていたら、今でいうトラウマになったかもしれません。

だけどこんな話は、40代半ばぐらいまでは、到底口にできませんでした。

話し始めたのは、自分が仕事で旧軍人の話を聞くようになったからです。

旧軍人って、嘘をつくんですよ。もちろん誠実な人もいましたが、それ以上に、他人の話を自分のことのように話す奴、自己弁明する奴が山ほどいた。初めのうちは私も本当のことだと思って全部鵜呑(うの)みにしていたんです。ところが、だんだん取材を重ねていくうち、他の証言や記録とかから考えて、コイツがその日時にその戦線にいたはずない、ということがわかってくるようになった。それを指摘すると激高するんですよ。お前みたいな戦争を知らない若造に何がわかる! ってね。それで言い返すようになった。

『あんたはそう言うけど、本当は最前線に出ないで南の島の基地にいただけじゃないか。そのころ俺たちは本土空襲で焼夷弾を山ほど浴びて、死ぬ思いをしたんだ!』。そう言わざるをえなくなった。

戦争の話は、本当にこちらが勉強して、かなりの知識を詰め込んでから対峙しないと危ない。本人が言っているんだから間違いない、なんてことはないんですよ。誰だって自分を守りたい。それを忘れちゃいけません。

私自身、必死に東京大空襲を生き抜いたけど、だんだん語り慣れてくるというのかな。気がついたら、非常に冷静沈着な勇気ある少年が、あの火事の中を逃げて、人を助けようとして川に落ちて……なんて、格好いい体験談になってきた。

あのときの私は、実際はそこら中に散らばる死体を見ていても、哀しいなんていう気分は全然なかった。麻痺していました。そういう言いたくない部分は抜け落ちてしまうんです。ただ、書くときはさすがに自制が利きますから大言壮語にはなりにくい。最近、よく『体験を語り継げ』という声を聞きますが、じつは語り継ぐのは難しいことなんですよ」

半藤氏は自戒をこめて、こう語る。

国際連盟を脱退して以来、日本には外交なんて一度もない
戦争をしてはならない、と繰り返す半藤氏は、同時に戦争へと引きずられないためにいかに外交が必要かを説く。

「私に言わせれば昭和8年以来、日本に外交なんてものは一回もありません。

昭和8年3月。決してやってはいけなかった国際連盟脱退から、日本はどんどん突っ走って戦争になり、敗戦になった。昭和27年に独立したといっても、その日から安保条約の傘の下に入り、自分たちのことを米国に丸投げした。それが今まで続いている。昭和8年から外交がないということは、もう誰一人、日本人は外交の経験がないということです。だから北方領土の暴言を吐く議員みたいなのが出ても、どうしようもないんですよ。

北方領土のことで言えば、かつて幕府海軍を率い、維新後に駐露特命全権公使になっていた榎本武揚(たけあき)が、樺太千島交換条約を結びました。日本国内では、広いほう(樺太)をロシアに渡すとは、と大不平が出たんですが、実はロシア国内もこの決定には大反対が巻き起こっていた。

『あんなだだっ広くて何にもないところをもらってどうするんだ。俺たちに必要なのは太平洋に出ていくための足がかりじゃないか。千島が日本の領土になったら、ロシア艦隊が太平洋に出る海路は封鎖されてしまう!』と。

榎本は目先の大小にとらわれず、その地が将来どのような役割を果たすかまで見通して交渉した。榎本が行ったことこそが外交というものです」

太平洋戦争から74年。昭和から平成へと、曲がりなりにも日本は平和を保ってきた。令和の世はどうなるのだろう。

「この前、3ヵ月だけ女子大で講義をしたんです。そのとき、アンケートをとります、と4択問題を出した。

『太平洋戦争において、日本と戦争をしなかった国は? @アメリカ Aドイツ B旧ソ連 Cオーストラリア』

そうしたら、50人中実に13人がアメリカと答えた。次の週に、『僕の授業を聞いてるのに、君たち13人はふざけてるのかね?』と聞いたら、大真面目だと言う。しかもその一人が手を挙げてこう言った。

『で、どっちが勝ったんですか?』

こうやって話していると笑い話のように聞こえますが、決して笑い話じゃない。これから来る令和の時代って、きっとこういう時代なんですよ」
https://friday.kodansha.co.jp/article/53220

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

11. 赤かぶ[69800] kNSCqYLU 2020年4月11日 16:42:46 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6881] 報告

12. 2020年4月11日 16:48:54 : QAiADQMylg : aHpjejhicUR3Mm8=[104] 報告
>[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:この投稿に対する
>コメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。
>(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

何が場違いなのか。該当人物だけしか対象にしてならないなら
該当人物でも何でもない脈略なく陰謀論を持ち出す連中は
どうなるのか。非表示にされてないだろう。

>>10は戦争関連・教訓として関係ある。
安倍自民党が「戦争できる国」を進めるなら
それを止めるのは誰か。国民だろう。

その国民への啓蒙も含めたのが>>10の記事。
関係ない、ということは断じてない。

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:管理板にすべきコメント(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

13. 2020年4月11日 16:52:32 : QAiADQMylg : aHpjejhicUR3Mm8=[105] 報告
赤かぶは記事を誰よりも作成するので
場の提供者という面では尊重はしているが
如何せん許容範囲が狭すぎる独裁的対応が気になる。

こんな綺麗事は述べたくなく、腹が立つので
この掲示板機能しなくなるくらいに
連投してやろうか?(どうせオカルト連中の集いだから
法的措置もないだろう)の一つも言いたいのだが
自重しておく。

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:管理板にすべきコメント(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

14. 赤かぶ[69807] kNSCqYLU 2020年4月11日 17:06:57 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6888] 報告

15. 2020年4月11日 17:08:00 : 1E1VorvUpM : L0NYZ0tiYTFDams=[16] 報告
氏はどう考えても、反戦平和がテーマだったと思われるのに、
何故それと正反対の思想を持つ、
倉敷芸術科学大学(加計学園)の客員教授を引き受けていたのだろうか。
16. 2020年4月11日 17:09:35 : beY0rwzU0w : cUh6S0hFTlhHOEU=[4] 報告
>戦争の恐ろしさをしっかりと認識し、その凄惨さに怯えること。
>そして、その恐怖を乗り越えたら、今度は「平和を信じる力」を
>身につけること。大林監督の残したメッセージを
>私たちはしっかりかみしめる必要がある。

言うて精神論だけでは意味がない。BIを推進すれば良い。
恐怖と言うのは何も戦争だけに限らない。
競争社会の中で様々なことが「恐怖の対象」にされており
不要に不安を煽られている現状がある。
恐怖指数を下げるには見て呉れのやってる感ではなく
勇ましい根性論ではなく実のあるものを
国民に渡す必要がある。それがBI。
弱い人(人間は弱い)を無理に駆り立てることなく
家に居る自由も国家として保証するべき。
乗り越える必要すらない。乗り越えられない側に
乗り越えろと囃し立てるのは外道のすること。

弱い人間が食われないなら移民問題もないし
下の中で生命の淘汰圧に見舞われることもない。
「結果の淘汰」はあり得るだろうが
子作りが至上命題の時代は終わった。

平和にさせようと思うなら暴論でもあるが
「競争」を止めることに尽きる。
国家間競争に国家内競争、勝ち組と負け組。
奪う者と奪われる者、虐げる者と虐げられる者、

男社会=血気盛んな社会とも言えるので
これも止めるべき。男に武器を持たなくても
言いような社会にするべきだろう。

でなければ平和など真面目に訪れないよ。

17. 赤かぶ[69808] kNSCqYLU 2020年4月11日 17:12:14 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6889] 報告

18. 2020年4月11日 17:21:49 : hZmOqzxWPQ : YmNOSS9xOFFEQVk=[9] 報告
要は上級が出来た人間なら本当は何も問題はない。
社会主義も上手く行っていただろうが
現状は御覧の通り上級も猿ゆえに体たらくで
自滅した。上級が体たらくゆえに結果に
「競争社会」が賛美されることになる。
リテラも否定する新自由主義という思想の台頭。
これは弱肉強食社会に他ならない。

戦争をしなくとも結果的に戦争状態と変わりない。
潰して、蹴落として、優悦に浸る。
21世紀にはあってはならない思考が
資本主義社会という名の下に許されている。
合法的に合法の名の下に。

こういう部分も戦争と関係あるわけよ。
だから国家のすべきことは本当なら
資本主義を否定すること。AIの進歩と共に
何れは社会主義化(=平和)していくのかな。

19. 2020年4月11日 17:49:24 : G7DQA7AOpk : czJmak5hcmt6bnM=[1] 報告
大林宣彦氏
「正気の沙汰じゃないんですよ、戦争というのは。どういう理屈があれ、
どんなに理屈では正論であれ、 『戦争だけは絶対に駄目』ということを
僕達は学んだはずなんです、70年前に。
“過去から学ばなかったなぁ”という無念と恐ろしさを感じると同時に、
未来になって、この日を振り向いた時に日本が戦火にまみれている時に、
その中で、“ああ、しまった、あの時”と振り返られる日なんですよ。
僕達が映画を創るということは、今、核ボタンを押そうとしている人が
この映画を観て、手を止めてもらえるかなという願いで創ってますよ。
本当に申し訳ないんですよ、戦争を体験して、あの戦争を知ってる
世代として安保法制を通してしまってはね、申し訳ないです」
http://www.asyura2.com/15/senkyo188/msg/722.html

それから、戦争や人の命に対して現実感がないクルクルパー(こんな言葉あったなぁ)
安倍に対しては強い不安を持っていた、大林宣彦監督は。この感想は他にも大勢いる。
今、コロナ感染の対応で現実になってきた。

20. 赤かぶ[69815] kNSCqYLU 2020年4月11日 17:56:42 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6896] 報告

21. AN[920] gmCCbQ 2020年4月11日 18:22:35 : g3Fm57P8U2 : RE1yaUVzNTh0bjY=[79] 報告
>>15.

15.氏は全然分かんないけど、反戦平和を主張してるようにも思われるのに、
何故それと正反対の思想を持つ、
アベ支配下で、日本人をやってるのだろうか。

22. 赤かぶ[69826] kNSCqYLU 2020年4月11日 18:50:07 : JLW3EQFRFE : UDUxektQVjk3OUU=[6907] 報告

23. 2020年4月12日 16:10:41 : 1E1VorvUpM : L0NYZ0tiYTFDams=[18] 報告
>>21
日本人であることは選べないけれど、加計学園の客員教授は、拒否できるの。
だから猶更不思議なのよ。なんでこれだけの大物監督が、
あんな疑惑にまみれた学園の客員教授をやっていたのか、と。
しかも生涯を捧げた作品との思いとは、まるで正反対の世界に・・・。

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