・ >産経抄 12月26日 >「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」。 >イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの25日、こんなイエスの言葉が >頭をよぎった。<残念ですが、聖書の教えを曲解・歪曲し過ぎです。 ちゃんと勉強してから記事にしないと、3K君。ダメだね。」 ======================================= ◆:【 裁きなさい!裁いてはならない! 】の違いと両立を解説します。 (1)『他人を裁くな!』 ぶっちゃけた表現をすれば「自分のことを棚に上げて冷たく批判したり、後ろ指をさすな。」 という意味です。ただし、無条件で裁いてはならないとは教えていません。条件はこうです、 (イ)マタイ18:15〜 「「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うこと を聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れ て行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるた めである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れない なら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。」 *:先ず一対一で悔い改めを勧める。 *:聞き入れないなら複数で悔い改めを勧める(証人を伴い)。 *:公に裁判(この場合は教会内)を開いて処分を下す。=【 裁 く! 】 *:反省して処分を受け入れない場合は、除名して追い出し、関係を断つ=【 裁 く! 】 (ロ)1コリ5:12 「あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。」 *:問題児=悔い改めない=<認めない>・<反省しない>・<責任を取らない>・<弁済しない> <“真摯な”謝罪をしない>・・・etc・・・・ は社会の交わりから追い出しなさい。 1コリ5:2〜問題児は取り除け・・・と教える。 「そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。」 ※:因みに、マタイ福音書、コリント書、ともに“裁く”というギリシャ語はア【 クリーノォ 】と いう同じギリシャ語が使われています。
=================================== つまり、十分に悔い改めを促し、その時間を与えても、改めもしない、謝罪もしない、責任も取ら ないで、これまで通りに悪事に手を染め続ける人間は、コミュニティーから締め出せ・・・が教え。 では、何故そこまで厳しくするのか? (1)全体に迷惑(被害)が及ばないために、 (2)限定的でもそれ以上の被害を出さないために、 (3)そこまで追い込んでやることで(完全孤立)目を覚まして真っ当な人間に立ち返らせるために。 ================================== 姦淫の場で捕らえられた遊女に対して「罪のないものが石を投げよ!」という解釈が3Kさんは 完全に的外れだ。勉強不足だから、聖書の引用は止めた方がいい。 「石を投げる!」=文字通りに殺すこと。 【 罪を犯したから即座に皆殺しだ〜!】だなんて?、あんまりでしょう。 それを止めよ!とイエスは言われたのであって、正しい批判や批評をするな!とは一言も言及して いないのです。 【 では、この場合の模範解答は? こうなります。 】
(イ)遊女が正しい生活を取り戻せるために、一時的に金額援助をする。売春を止めれる。 (ロ)立ち直るための仕事を世話してあげる。 (ハ)資格が必要なら学費援助なり、社会制度利用を勧めるなりして、サポートする。 (ニ)内面の回復は必要不可欠なので、カウンセリング、寄り添い、などにも対応する。 (※;これは専門家の助けも必要) などなど・・・を全くしないままで、いきなり【 殺してしまえ 】はいくら何でも乱暴でしょう。 それを批判して止められたのは、人間として当たり前です。 ================================== ★【 改めない問題児を常に<裁き>続けたイエス・キリスト 】:マタイ23章
「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち」と呼びかけ、この言い方で、13節、14節、 15節、23節、25節、27節、29節で、合計で7回も繰り返し言われて、極めて痛烈にパリサ イ人をイエス・キリストは批判しています。 「7回」は完全数なので、徹底して全否定して極めて激しく批判して裁いた・・・訳です。 改めない・反省しない・謝罪しない・責任も取らない〜偽善者に対しては、一切の妥協無しに、 極めて痛烈に、ユダヤ人の表現では最上級の辱めを与える言葉で、人を裁かれたのが、イエス・ キリストです。 ※:<忌まわしい>:「ウアイ」(ヘブル語)の意味は、 「 大いなる悲しみ(怒りが潜む)を伴う激しい嘆き!」のことで、黙示録8:13では 「 わざわいが来る。 わざわいが来る。 わざわいが来る。・・・」 神の怒りと裁きが下り、 信じられないような地獄のような状況に捨て置かれるぞ!〜〜という意味です。 ですから、マタイの福音書で7回も人を裁かれたイエス・キリストがどれほどの怒りや悲し みや憤りを以ってこの言葉を口にしたかがよく分かります。 ==================================== (ハ)2テモテ4:2、テトス22:15 「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」「・・責めなさい。」 ギリシャ語の詳しい解説は省略。 断罪する=審判を下す・(恥部を)暴く & 裁く・刑を科す(罰)〜という意味です。 当たり前です。例えば、他人の車を傷付けても、認めない・謝罪しない・反省しない・責任を取 って弁済しない・・・のであれば、<責め>・<戒め>る=【 裁 く 】のは当たり前。刑に処し 刑罰を実行することになります。 これが聖書の教えです。 裁く必要があるのであれば、そうしなければ罪になります。 ================================== 悪魔のアメリカのキリスト教会の教えを信用してはなりません。 ウソ・デタラメのオンパレードです。 都合よく勝手に解釈してるだけで、インチキな教えだらけで呆れ果てます。 今までに【 間違って刷り込まれたキリスト教解釈 】を捨て去る必要があります。 「右の頬を打たれたら、左の頬も・・・」も全く間違って解釈されてます。 ====================================== 裁くべき時に裁かなければ、世の中は犯罪塗れで腐り果てます。 改めない限りは、悔い改めるまで裁いて批判しなければ、世の中も日本も死にます。 常識で考えても分かるでしょう。 何でも赦されたら、人殺しし放題、レイプし放題、強盗し放題、暴力し放題・・・。 ====================================== もう一度書きます。 悪魔のアメリカのキリスト教会の教えを信用してはなりません。 ウソ・デタラメのオンパレードです。 何故ならば、元々キリスト教は白人とは全く無関係なものだからです。 イエス・キリストはユダヤ人として生まれました。 フセインやオサマビンラディンの様に、髭だらけ、天然パーマ、薄茶色い肌のアラブ人。 さらに、モーセの時代からアフリカには聖書が伝わり、紀元前の遥か昔からアフリカ人は キリスト教を信仰してましたが、イギリスでは8世紀に初めて伝来し、13世紀に国の文 化として国教に定めました。白人社会はキリスト教的には部外者の立場です。 白人は昔から<霊媒><口寄せ><占い><呪い><汎神論>が信仰の中心です。今もで す。文化のみ(看板だけ)がキリスト教で、実態は反キリスト教国です。 フランスでも、キリスト教徒(礼拝出席):100万人、イスラム教徒:600万人、で 残りは昔からの<霊媒><口寄せ><占い><呪い><汎神論>が信仰の中心です。 ========================================== 3Kさんの浅はかな知識では、まともに聖書を理解するのは到底無理だね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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