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Re: 「自由の女神」にまで引き継がれてきた“セミラミス”とは 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 20 日 17:01:48:

(回答先: イエスの誕生日・再論 投稿者 ビルダーバーグ 日時 2002 年 2 月 20 日 10:29:38)

ビルダーバーグさん、丁寧なレスありがとうございます。

今なお「自由の女神」を通じて世界で“崇拝”されている太陽神ニムロデ(別名セミラミス)について、なぜか手元に本がある(実は昨日本屋で高い書棚から別の本をとろうとしたら見えなかったその本が落下してきたのです(笑))ので簡単な説明をさせていただきます。

『消えた古代文明都市 バビロニア』(R.アイゼレ著/片岡哲史訳 三交社刊)によれば、

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[一応史実的な説明]

ある時期バビロニアを支配したアッシリア(イラク北部発祥のセム系)王のシャルマネサル三世(在位BC858〜824年)が、王子シャムアダド五世(在位BC823〜810年)の嫁として迎えたバビロニアの女性(セム系)の名はサンムルアマト(サムラマット)だった。
サンムルアマトは、夫である王子の死後5年間、息子アダドニラーリ三世(在位BC809〜782年)の摂政として政治を行った。
後にギリシア人が、彼女を「セミラミス」と呼び、インドやアビシニア(古代エチオピア)に対する征服戦争の他、「吊り庭園」までも彼女の業績とした。

[伝説的な説明]

セミラミスと言われている彼女は、母親の不倫から産まれた子で、成人して王の高官と結婚した。セミラミスを見初めた王が、彼女を譲るよう高官を説得したが高官は抵抗して自殺した。これにより、セミラミスが王妃となった。王妃としてニニャスという子を産み、王の死後ニニャスが成人するまで国政を行った。
セミラミスは、“奇蹟の庭園”と言われている「吊り庭園」の建設やバビロンの建設までその名誉を与えられるようになった。

ディオドロスは、歴史家の伝えるところとして、セミラミスは美しい娼婦だったとしている。
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「陰謀論」では、このようなことから、セミラミスを“バビロンの大淫婦”としているようです。(セミラミスはバビロニアの王女だったという説もあります)
イラクのフセイン大統領は、1996年までに「吊り庭園」を再建し終わったそうです。

サンムルアマトこと“セミラミス”が歴史書においても伝説においても重要な地位を占めているのは、バビロニアの宗教(ナブ信仰)をアッシリアに普及させ、セム系の宗教意識=価値観をまとめたことにあるようです。

それは、ミトラ教のみならず、ユダヤ教→キリスト教→イスラムと続くセム系一神教宗教の祖とも言えるからでしょう。


※ バチカンやヴェネチアなど歴史資料を秘匿している書庫を開放してくれれば、様々なことがすっきりわかるんですがね(笑)

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