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遅くなって悪かったのう。ビンボ学生さん 投稿者 ボケ仙人 日時 2002 年 8 月 26 日 09:17:11:

(回答先: ボケ仙人さんへお聞きしたいのですが 投稿者 ビンボ学生 日時 2002 年 8 月 24 日 09:56:21)

ビンボ学生さん、返事が遅くなってしもうて申し訳なかったのう。なにせボケじゃから、キーボードをたたくのが大変なんじゃ。野暮用も多いでな。しかし、あんたの質問も、プリミティブではあるものの、この世の摂理の根幹に触れる問い掛けが含まれておるでな、慎重な対応を要するので、どの切り口から説明すべきか、長考となったぞ。喋れば簡単な事も、文章にするとな。そこで、まず簡単なところから順じやってみよう。
1・肉食について
 A,人間は基本的に穀物食生物じゃから、極端な肉食は避けるべき。
 B,現代人は体的な時代に暮らすため、ある程度の肉食はやむを得ない。
 C.肉も、魚・鳥・哺乳動物と大別されるが、日本人は肉を消化するのが苦手なので魚を中心とするのが適切。
 D, おおむね、植物性7:肉性3程度が良さそう。
2・食について
 A、人は霊的存在でもあり、体的存在でもあるが、それらを支える大切なエネルギー補給手段としておろそかにしない。
B・波動レベルを下げない食、血を汚さない食材に心がける。体的には腸の働きが大切であり、常に整腸に配慮する、人も精気を食しており、精気の強いもの(新鮮さ、愛情)を食することになる点にも着目する。
@ 農薬、抗生物質などが使われてない自然なもの(当然化学調味料も含む)
A 鮮度の高い食材(干物,缶詰類などは維持されやすい)
B 調理に愛情のこもった料理
B,マクロビオテック・桜沢如一や岡田茂吉らの研究をし、上記1,2の@からBを階層的にレベルを考えれば良いであろう。
3・無駄な殺生
  此処での無駄な殺生とは、あらゆる生物(動・植)に対する、意味、目的のない、生命の奪略を言うぞ。従って、食するには食する目的があり、自分に危害の及ぶ危険性がある場合など常識的範囲で考える事で、とりあえず良いじゃろう。しかし、常識も個人、立場によって異なる場合もあろうから、恣意的と思われるのもやむえないことであるが、魂のレベルによってその判断の正当性も自づから判って来るんじゃ。この辺りから難解となり易いので、のち程述べよう。
  また、命を奪った以上、それを無駄に扱わないところも大切じゃな。すなわち、食べ残しを沢山作るとか、材料を捨てるとか、いい加減な料理を作る。腐らせてしまったとかな。
4・空海の言葉について
  ワシは空海じゃないのでのう。ホントのところは判らんて。仏教界では、悟りに至ることの難しさを表現しているということらしいぞ。そりゃそうかもしれんが、しかし、わしはそれでは軽すぎる解釈じゃと思うておる。生まれと死の繰り返しは輪廻転生を表現し、幾度も生を頂いたにもかかわらず結局暗いところに生まれ(生きる事の苦しいレベル)そして冥い所(暗い霊界…地獄)へ行く。
すなわち、せっかく魂を向上させるチャンスをいただきこの世に生を受けながら、堕落した暮らしに終始し、上がるどころか、降下させてあの世へ行き。あの世では、この世より苦しい修行を繰り返して、やっと再びチャンスを頂いても、苦しいこの世の生活に負けて堕落する。その連鎖を断ち切ることも出来ず、ただただ、苦しみを繰り返しておる。と、仰っているようにワシは思うがのう。
そして空海さんはきっと「愚かでもあるが、何とも痛ましく哀れなことでもあるから。だから、少しでも幸せになるように、民に法(魂のレベルを上げる…幸せとなるための摂理)を伝えよう」とお考えであったにちがいないじゃろう。
5・罪について
  罪とか、善悪、徳不徳などはこの世の摂理に触れる重要な観点であるので慎重な物言いが求められるでなぁ。紙幅にも限りがあり、簡単には伝えられんと思うが、頑張って見ようか。
  A・動物・植物に対する罪の差
   動物と植物の霊界は異なっとるようじゃからはっきりとは知らんが、レベルは動物の方が上のようじゃのう。しかし罪の件についてはむしろ、こちら側の想い(何をしたかは大切なこととじゃが、それをどんな想い、心情で成したか)の方が影響は大きんじゃろうと思うぞ。
B・基本的に、アンタの言うとおり「人は生きることそのものが罪をつくる存在」じゃて。しかし、それまでしても、主神は、地球に生命を生み、人を造った。この狭間を、人は重く受け止める必要があるんじゃ。
それが、生を頂いた人間の使命と責任の大きさを表しており、それゆえ人には大きな自由(許し)と快楽が与えられておるようだのう。
その意味で、ものごとを深く思惟することは極めて重要なことじゃが、あまりデリケートに罪を思う必要は無く、そのバランスが難しいところではあるが、むしろ多少の罪を覚悟しながらも、大胆に徳積みを実行することじゃ。罪穢れを意識するあまり、消極的となっては魂のレベル向上は覚束ない、それゆえ人には「大きな許し」があり、その中で、この世の生の喜びを堪能しながも、目標を立て善行を実行する。どんどん前向きに行くんじゃぞ。
人には「身魂相応」と言うことがあって、それぞれの霊的レベルによって、物事の受け止め方、考え方、判断、反応などに大きな差異が生じておる。そして、世の中、不条理も多いが、それら全てが人の魂のレベルを上げるための出来事じゃから、レベルが上がる毎、そうした様々な想い、反応など感じる世界にも変化が生じ、例えば、罪に対する考えにも自然とそのレベルなりの答えが見えてくるはずじゃ。
人は、魂を清め、レベルをあげる。そうすると霊界も清まって、多くの魂がレベルアップする。また、自分のために犠牲となった命。魂に感謝しつつ、自らの魂を清め行くことによって、それらの魂(犠牲)も浮かばれる(レベルの向上)訳じゃ。
それが、生きとし生けるものがまつろい(調和)弥栄えて行く道(一切が向上し、幸せとなり行く道)じゃて。その摂理と現実を対照して想うと、空海の言葉(想い)が途方もなく切ないのう。
以下、徳積みの基本的方向性をお伝えして、今日のところは勘弁してくれよ。

(1)魂のレベルを下げない…不徳を成さない(マイナスを成さないだけのこと)
@他者を悲しませたり、苦しめない。嘘や偽りをしない。恨みやねたみをかうことをしない。等等 
(2)過去(前世含む)の罪穢れを払拭する
@悩み苦しみ悲しみに晒されること<消極的清め>…浄化と云う
A…精神的苦悩(経済面も含む)
B…肉体的苦痛(病気、怪我、事故・被災など)
(3)徳積み<積極的清め>(2の部分も軽減されるので、楽になる)
A…人から感謝されることを行なう(まずは、夫婦・親子・兄弟など最も身近な人たちに心をくだき、和合する努力を惜しまない)
B…他の命(あらゆる生命、物)を慈しみ、大切にする…思いやり、いたわりの心
C…他者の幸せのために尽くす(陰徳…人が知ないところでも心を尽くし実行する)
D…先祖から感謝されることを行なう(先祖供養だけでなく、先祖の思いをわかり、思いに沿うこと。…霊界の事が分らんとあかんわな)
E…神が喜ぶことを行なう(とくに、神に触れた思いのするような不思議や功徳をいただいたら、その神ごとを人に伝える。)
              ↓
          これらを繰り返し、一歩一歩、幸せの螺旋階段を上がる努力をするわけだが、こつこつとやるんじゃ。継続は力じゃ。陳腐な話じゃが、「長者の万燈、貧者の一燈」という仏教説話があるが、これがワシの座右の銘じゃからそれをアンタに贈ろう。(内容は調べてくれよ)
        

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