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北朝鮮報道⇒色んな見方があるのですね 投稿者 甘南備の住人 日時 2002 年 10 月 19 日 08:29:45:

(回答先:  悪貨は良貨を駆逐するというこの業界ーー北朝鮮報道 投稿者 MASA 日時 2002 年 10 月 18 日 15:05:43)

何でも書けるる環境にあるわが国は本当にありがたい国だ。
以下の評論は非常に参考になりました。

http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/mood.html


北朝鮮軍は何も変わっていないのに
ムードで和平を論じるな
〜北の「国連サミット欠席」は米朝の共謀〜
Originally written: Sept. 10, 2000
Last update: Sept. 10, 2000


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●韓国の異常なメディア環境
●韓国には「世論」がない
●見破られた「韓国の弱点」
●軍縮なき和解ムードの無意味さ
●米朝の意外な一致点
●米軍は「和解ムード」ぐらいでは撤退しない
●「不可解な国」をみずから演出
●単純な「和平」「統一」の危険性
●猿芝居

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最近、いわゆる「ウルトラマン世代」の書いた、面白い朝鮮半島情勢についての論評を読んだ。>台湾研究家、船津宏 の「ウルトラマンの居なくなった日本で」である。

さまざまな怪獣、宇宙人にたとえて、日本、中国、台湾、南北朝鮮、米国などの東アジア情勢を論じたもので、たいそう面白いのだが、結論として(2000年6月以来の南北「和解ムード」により)「朝鮮半島は北を中心に共産化統一され、米軍は出て行く――そういう流れになってきた」と述べているのは、根拠が不明で、大勢の読者をミスリードする恐れがあり、残念である。以下の本誌記事を読んで再考されることを希望する。


>台湾研究家、船津宏 へのメール
彼の記事「ウルトラマンの居なくなった日本で」を読む。

●韓国の異常なメディア環境
1998年の韓国映画界ナバンバー1の大ヒット作『シュリ』は、2000年年頭に日本でも公開され、ある程度のヒットを記録した。が、その内容のひどさ、粗雑さに呆れ返ったのは筆者だけではあるまい。この映画には、盗聴、逆探知、弾倉の詰め替えといった、サスペンス・アクション映画の基本がまったく存在せず、韓国の映画人が手本となるべき海外の映画をほとんど見ていないことがわかる。

「日本の文化侵略の防止」「国内映画の保護」「人を殺す場面は禁止」などといった、無意味な芸術抑圧政策による日米の秀作映画の排除、なかでも(日本軍国主義の問題と無縁な、単なる劣等感の問題から)黒澤明監督作品の拒絶、という世界芸術史を冒涜する、救いがたいほどの愚策により、韓国の映画監督がこぞって能無しになったことを示すに十分な「証拠」が、この『シュリ』なのである。

 また、そうした能無し監督の創ったガラクタ映画を、言論統制された、表現の自由のなんたるかもわからないマスメディアや評論家がべたべたほめまくって大ヒット作にしてしまう、という映画産業の育成には、およそ考えうる限り最悪の環境が韓国に存在することをも、『シュリ』の内容は十二分に示した。

(1998年の、韓国内で公開された映画の最大のヒット作が『シュリ』で、その観客動員数は『タイタニック』を上回ったという……ばかげた話だ。韓国政府が悪意をもって、「韓国にもりっぱな映画があり、映画監督がいるのだ」というウソを広めるために、世論操作、マインドコントロール、あるいは愚民政策を取ったと考えない限り、がらくたの『シュリ』が映画史に残る傑作『タイタニック』を凌駕することなどありえない。韓国政府は世界芸術史や表現の自由を冒涜することを、なんとも思っていないらしい)

 日本の左翼の方々はよくご存じのとおり、韓国は建国以来きわめて長い期間、戒厳令下、軍政下にあり、民主的な大統領選挙が再開されたのは、1988年のソウル五輪直前のことにすぎない。詰まるところ、韓国の言論の自由と民主主義の歴史は、たった10年ほどしかないのだ。

 日本の左翼系のマスコミや文化人(のみならず、右翼・保守系勢力の大半も)はソウル五輪以来、都合よくこの事実を忘れ去り、韓国の永年に渡る「言論統制の伝統」のもとにある、言論の自由と無縁なマスメディアが「韓国には日本文化への反発がある」と言えば、その「大本営発表」を鵜呑みにし、一切裏付け取材をせずに「韓国には反日的な世論がある」とか「日本は過去の歴史を反省しよう」といった言論を条件反射的に報道するクセを付けてしまった。

 日本のように、重要な政治問題について(たとえば、安全保障問題について、非武装論者から重武装独立論者までが)多様に意見を発表するような環境は、韓国にはない。数年前『朝まで生テレビ』のスタジオに訪れた韓国からの留学生が、従軍慰安婦問題について「この問題は韓国ではもう、論争して決着が付いた問題なのに、なぜ日本ではいつまでも真相がどうだったか、などと議論するのか」と不満を表明していたが、もし、これが韓国国民の一般的な「世論」だとすると、由々しきことである(元朝日新聞記者の筑紫哲也などの一部の日本のジャーナリストも「村山政権時代の河野洋平官房長官の談話で決着が付いた」と述べているが、これも同様に由々しき態度である)。

 考えてもみよ、歴史の真相を論じるのに「決着が付く」などということがあるだろうか。筆者はこのたび(2000年10月) でSF作家としてデビューするが、その前は歴史作家としてのデビューを模索し、日本史上のいくつかの重大事件について研究していた。そのうち「本能寺の変」は、筆者を含む多くの歴史作家、歴史研究者、歴史ファンにとって最重要のテーマで、その「真相」については、400年以上経ったいまも、何十通りもの説があることは承知のうえで、それでも真相に迫ろうと独自の説を展開する準備もしていた。

「決着が付いたからもう論じるな」というのは、歴史学と言論の自由に対する明白な冒涜である。念のために言っておくが、筆者は何も「従軍慰安婦問題で日本政府の責任を追求することに反対」と言っているのではない。多くの読者がよくご存じのように、筆者は本件に関しては中立である(反対なのは、むしろ朝日新聞の「泥塗り記事」でおなじみの古谷浩一記者らのほうである)。

落ち着いて考えてみればわかることだが、「決着が付いたから論じるな」というのは、中国や北朝鮮のような独裁国家の発想である。もし、上記の韓国人学生や筑紫哲也の意見を「昭和天皇の戦争責任」にあてはめればどうなるであろう。「東京裁判で決着が付いたのだから、昭和天皇の戦争責任についてはもう研究するな」ということになってしまう。これが言論弾圧にすぎないことは、左右両翼いずれの立場から見ても明らかではないか。

 かつて、韓国で粛軍クーデターと光州暴動鎮圧によって、チョン・ドウホアン(全斗煥)大統領(とその後継大統領となる腹心のノ・テウ)が政権を握ったとき、光州暴動は国家への反逆とされ、それへの武力鎮圧やそれに伴う市民の死傷は正当化され、以後「決着が付いたから論じるな」とされた。

 90年代に、ノ・テウ(呂泰愚)政権の退陣を受けて、キム・ヨンサン(金泳三)政権が誕生すると、一転して「まだ決着が付いていない」ことになり、全、呂の2人の元大統領こそが善良な光州市民を虐殺した独裁者とされ、裁判にかけられ投獄された。

●韓国には「世論」がない
 韓国には、日本や西側諸国にあるような意味での「世論」というものは存在しない。少なくとも、多様な言論に機会を与えて、そのなかから多数派を形成していく、といったプロセスはない。常に「オール・オア・ナッシング」なのだ。

 そのような韓国において、『シュリ』のごとき駄作が封切られ、大ヒットした。より正確には『シュリ』が傑作かどうかについて議論することは「すでに決着が付いた」といった雰囲気が人工的に作り出されていた。
 この映画の中にこういうセリフがある。

「(北朝鮮がソウルの五輪スタジアムでテロを行うなどというのは)最近の北朝鮮の南北和解ムードに反する(のだから、そんなはずはない)」

 筆者は、このセリフに吐き気を催した。安っぽく「ムード」ごときで国家の安全保障が左右されるという趣旨のこのセリフは、平和ボケした日本の左翼文化人が監督した映画ならいざ知らず、(男子)国民皆兵の、臨戦体制下にある国の、兵役を経験した監督の作品のセリフとは到底思えない。

 が、永年にわたって、「世論」も「言論の自由」もない社会主義国家同然のメディア環境に置かれていた韓国国民の「現実認識」能力はしょせんこの程度だ。「世論」はどうせオール・オア・ナッシングだ。北朝鮮への警戒感を一夜にして親近感に変えることもできよう(終戦後の日本人の対米感情が一夜にして「鬼畜米英」から「Give me candy!」に変わった例もあることだし)……北朝鮮政府の指導者のなかに『シュリ』を見た者がいたとすれば、そう考えたとしても不思議ではない。

 そして、『シュリ』を見た指導者は現実に存在した。ほかならぬキム・ジョンイル(金正日)である。これは、ジョンイル自身が6月の南北首脳会談のときに韓国側の同行記者団に語ったことで明らかになった。

 彼の父、キム・イルソン(金日成)は「寅さんシリーズを全部見た」というほどの熱狂的な日本映画ファンであり、息子のほうは膨大なハリウッド映画(英国の007シリーズを含む)のビデオコレクションを保有する世界屈指の「映画通」である。『シュリ』が駄作であることも、駄作に熱狂する韓国国民に与えられたメディア環境の貧弱さも、ジョンイルには、一目瞭然であったに違いない。

●見破られた「韓国の弱点」
 こうして、「韓国の弱点」を見破ったジョンイルは、南北首脳会談で劇的な、韓国への「世論操作」に打って出る。とにかくムードを変えれば、この国民の「世論」は容易に変えられるのだ。韓国メディアは軍事政権時代からこんにちまで、「敵」である北朝鮮の独裁者である自分に過剰な悪意に満ちた非難キャンペーンをやって、自分を悪魔か非人間的な者のように扱ってきた。それなら、ほんのわずかでも「人間性」を見せてやれば、韓国の愚民どもは熱狂するに違いない……映画監督になる才能があると言われるジョンイルは、その才能を如何なく発揮する。

 6 月の南北首脳会談当日、ジョンイルは初めて韓国メディアの映像に生中継でその姿を見せ(たるみすぎた下腹を突き出して)キム・デジュン(金大中韓国大統領)と握手し、ほとんど初めてのはっきりした肉声を発し、それを報道させた。

 長幼の序を重んじる儒教の国、韓国(朝鮮)では、年下の者は年上の者を敬う必要があるのだが、ジョンイルはそうした儒教道徳は一切無視して、自分よりはるかに年上のデジュンの前で、横柄な態度を取り、これみよがしにベラベラしゃべりまくった。

 それは冷静に見れば、独裁者の威張りくさった態度にすぎない(産経新聞の黒田勝弘・ソウル特派員)のだが、永年過剰な敵対報道と情報不足で北朝鮮の指導者に過度に悪い幻想を抱いていた韓国国民にとっては「人間性あふれる指導者の登場」「彼もにんげんなのだ」という感動的な「発見」になってしまった。

●軍縮なき和解ムードの無意味さ
 これが、首脳会談以来の「南北和解ムード」と言われるものの正体である。この間北朝鮮がやったことと言えば、「南北離散家族の再会」以外に、具体的に和解につながりそうな施策は一つもない。

 北朝鮮側はただの一つも明白な「和解」の提案をしていない。軍縮提案、韓国・日本へのスパイ工作の中止、拉致日本人の帰還、日本にいる北朝鮮コネクションのジャーナリストや文化人(いわゆるスパイ文化人)の名簿提出、永年のテロ・通貨偽造・覚醒剤密売についての日本への謝罪など、何もやっていない。ただ「独裁者が下腹突き出して横柄な態度を取った」だけである。

 具体的な軍縮提案が一切ないのだから、今回の動きは「和解」ではないし、まして「在韓米軍の撤退」などに結び付くはずはない。

●米朝の意外な一致点
 いや、仮に北朝鮮側に軍縮提案があったとしても、それが在韓米軍の撤退に結び付くことはない。なぜなら、当の北朝鮮がそれを望まないからだ。

 北朝鮮は永年に渡って「朝鮮半島からの外国軍隊の撤退」を主張してきた。そして、1950年に半島南部(韓国)から米軍が撤退すると、ただちに南下侵略したから、北朝鮮の究極の目的はそこにある、と見る意見は、いまでも専門家のあいだでは少なくない。

 しかし、現在の北朝鮮の軍事力は、兵員数こそ極端に多いものの、近代兵器が乏しく、また、経済の低迷で、その部品や燃料の確保がおぼつかないため、韓国軍と単独で(米軍抜きで)戦えば(開戦当初こそ、ソウル市内に重大な打撃を与えうるものの)惨敗は必死である。

 そして、韓国の保守政治家、軍人のなかには「北進統一」を主張する者がいまだに少なくない。

 しかし、在韓米軍のほうはどうかと言えば、韓国が北進し、北朝鮮を武力で併合する事態になると、アメリカの同盟国である韓国と、同盟国ではないが経済権益を追求したい大市場である中国とが、中朝国境で直接接してしまい、米中関係に無用な軍事的緊張を生じることになるから、「北進統一」には反対である。

 それなら、在韓米軍をそのまま置いておこう、と北朝鮮が考えてもなんの不思議もない。戦争を防ぐ最大の手段は、けっして、湾岸戦争のときの旧社会党の土井たか子委員長のように「一兵も送るな」とわめき散らすことではなく、「戦う意志のない大軍を前線に送っておいて、いざというとき『戦わない』と言わせること」なのだ(筆者は、土井たか子のことを、人命軽視の「人殺し」と思っている)。北朝鮮と戦いたくない米軍には「北進統一」を防ぐためにずっと韓国に駐留していてほしい、と北朝鮮が願うのは、至極当然の帰結である(これは、会談直後の、朝日新聞記者の意見でもある)。

 仮に「在韓米軍は北の共産主義の脅威から韓国を守るためにのみ存在する」というタテマエが100%正しく、北朝鮮が韓国やアメリカと和解し、経済や社会のシステムを「対外開放」したとしても、それがただちに在韓米軍の撤退につながる、という理由はない。

●米軍は「和解ムード」ぐらいでは撤退しない
 たとえば、NATO(北大西洋条約機構)は、米国と西欧諸国が、ソ連と東欧の共産圏諸国の軍事同盟であるワルシャワ条約機構の侵略に備えるための軍事同盟として結成されたものだった……が、91年にソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構がなくなっても、NATOはなくならないし、米軍も欧州の基地から撤退しない。

 それどころか、NATOは拡大している。冷戦時代ワルシャワ条約機構に加盟していた、ポーランド、チェコ、ハンガリーの旧社会主義諸国はNATOに加盟し、NATOは「敵」であるソ連とその軍事同盟の消滅後、逆に拡大したのである。

 理由はもちろん、新加盟の3か国を含むほとんどのヨーロッパ諸国が依然としてロシア(旧ソ連)に脅威を抱いているからであり、それに対抗するには米軍の支援が欠かせないと見ているかおらである。

 ソ連(ロシア)は連邦を解体し、軍事同盟(ワルシャワ条約)を解消し、ペレストロイカを経て民主化も達成した。それでも、ソビエト・ロシアの侵略主義的な本質は変わらない、とヨーロッパ諸国は見ているのだ(ロシアは善良になったのではなく、弱くなったにすぎず、弱くなったから善良に振る舞わざるをえなくなったのであり、将来再び強くなればまた何をするかわからない、のというがポーランド、ドイツなどロシアに苦しめられてきた国々の実感なのだ。この「善良になったのではなく……弱くなったから善良に振る舞わざるをえなくなったのであり、将来再び強くなればまた何をするかわからない」というのは、そのまま北朝鮮にもあてはまるのだが、韓国国民の現実認識能力は著しく低いので、これを警戒しないのは困ったものだ。日韓の「歴史認識」がしばしば一致しないのも当然か)。

 このヨーロッパの「常識」に照らせば、「キム・ジョンイルが下腹突き出して出て来ただけで、在韓米軍撤退へ」というのが、いかに非常識か、というのはだれの目にも明らかであろう。

●「不可解な国」をみずから演出
 2000年9月5日、キム・ヨンナム(金永南)最高人民会議常任委員長(国家元首)らの北朝鮮外交団一行が、ドイツでニューヨーク行きの飛行機に乗り継ぐ際に、米航空会社(アメリカン航空)の職員から、上着や靴を脱げなどと、執拗な「身体検査」を受けたことを不満とし、ニューヨークで開かれる、全国連加盟国の首脳が一堂に会する「ミレニアム・サミット」を欠席する、という事態になった。

 いかに、米国と国交のない「ならず者国家」(テロ支援と覚醒剤密売の常習犯)の外交団とはいえ、一国の国家元首の一行に「執拗な身体検査」を繰り返したアメリカン航空の対応はいささか無礼だったと言わざるをえまい(他の「ならず者国家」キューバ、イランなどの代表は今回無事にニューヨーク入りしているのだから)。が、代わりの便を予約すれば国連サミットに十分間に合ったにもかかわらず、そうはせず、ニューヨークで首脳会談を予定していた相手国、韓国と日本に対して会談を一方的にキャンセルし、迷惑をかけて平然としている北朝鮮の態度はもっと異常である。

 これは、異常な国の「唐突な決定が国際社会の理解を得るの難しいだろう」(朝日新聞2000年 9月6日付朝刊7面、小菅幸一・ソウル特派員)と思わせ、「北朝鮮の行動は予測しにくいという印象を改めて国際社会に示した」(同)ことでもある。

 しかし、この北朝鮮の「イメージダウン戦術」は、米朝双方に、南北の急激な和解(と、在韓米軍の撤退)を望んでいない、という「利害の一致」があることを思えば、容易に説明が付く。

 この「国連サミットキャンセル事件」は、アメリカン航空の対応が悪いとか、米朝間の連絡がうまくいっていなかった、といった枝葉末節にこだわった憶測をあれこれめぐらすより「米朝が共謀して演出した、不幸な行き違い」と解釈するのが、いちばん自然ではないだろうか。

 じっさい、もしキム・ヨンナム委員長がニューヨークに来てしまうと、韓国、日本との首脳会談が行われ、関係改善は一気に(過度に)進んでしまう、という懸念が北朝鮮側にあったことは想像に難くない。それに、2000年になってからG7(主要先進国)のなかでは初めてイタリアと国交を樹立するなど、外交活動を活発化している事実を踏まえて見れば、表向き報道されてはいないものの、「キャンセル」されたのは日韓だけではなく、実は他の西側の国(たとえば、英独仏など)との秘密の外交折衝も準備されていたのではないかと思われる。そうした外交活動によって、北朝鮮の西側でのイメージがよくなりすぎることを、アメリカと、そして北朝鮮自身が(在韓米軍の駐留継続のためにも、北朝鮮人民軍の士気の維持のためにも)好ましくない、と判断したからではないだろうか(つまり、北朝鮮は自分で自分にブレーキをかけたのである)。

●単純な「和平」「統一」の危険性
 敵と味方の関係は、しろうとの平和主義者が思っているほど、単純ではないのだ。
 そして、平和もまた、きれいごとの「全面軍縮」や「南北統一」にあるのではなく、ほどほどの緊張感を持った対立(冷戦)の中にこそあると知るべきだ。

 朝鮮半島の不幸は同じ民族が2 つの民族に分かれていることではなく、「対立」にある。たとえば、ドイツとオーストリアは同じ民族なのに2つの国に分かれているが、対立しておらず、国民同士の往来も自由なので、別に悲劇ではない。

「何がなんでも統一以外はダメ」というのは、過剰なナショナリズムであり、オーストリアとドイツの統一を夢見たヒットラーの発想と同じである。

 もし、南北が1つの国になると、韓国の国民はその富の大半を注ぎ込んで極貧の北朝鮮経済を支える必要が生じる。人口6400万の西ドイツが1500万の東ドイツを支えるのでもかなり苦しかった。まして、西ドイツよりはるかに経済力の小さい人口4200万の韓国が人口3000万の北朝鮮を支えるのは不可能に近い……韓国の経済水準は第二次大戦直後の水準まで下がると予測されている。韓国人はいざ、実際の統一が近付いたときには「和解ムード」など忘れ去り、必ず尻込みするに相違ない。「オール・オア・ナッシング」の世論の大転換である。

それでも「ムード」に流された韓国の「世論」があくまで南北統一に固執すると、どうなるか……南側の大都市には北側難民が流れ込み、日雇い労働などの不安定な仕事しか得られず、大部分は半失業者かホームレスになり、韓国の治安が悪化する。南の人の「北の同胞」への親近感は一夜にして醒め(またもや「オール・オア・ナッシング」の大転換が起き)南の人は北の人をうとましく感じ、露骨に差別するようになる(これは現在「統一ドイツ」で、旧東ドイツ人の身に起きていることである)。

 この状態が続くと国が崩壊してしまうので、「統一韓国」では国家統合のために共通の敵(日本や中国、アメリカ)が必要になり、対外強硬論とネオナショナリズムが台頭。旧北朝鮮に隣接する中国吉林省延辺朝鮮族自治区の朝鮮族の「民族感情」を刺激し、中国と統一韓国のあいだで国境紛争が勃発……こんな第三次大戦につながりかねない恐ろしい事態を避けるために、(北朝鮮の独裁体制下にある人々には気の毒だが)朝鮮半島の南北の冷戦構造を当面維持したい、と願うことはけっして好戦的なことではなく、むしろ平和主義的な思考なのだ。

 むしろ「東アジアの冷戦構造を終わらせなければ」などと妙に力んで、日本あたりが過度に平和外交を活発化させると、結局、冷戦が「熱戦」になってしまうことだって考えらえる。

 平和はけっして、単純なスローガンで実現されるような安易なものではない。世の中は複雑なのだ。

●猿芝居
 この9月15日に予定されているシドニー五輪の開会式では、韓国と北朝鮮の選手団が史上初めて並んで入場行進をし、南北和解をアピールするらしいが、筆者はテレビでそれを見ても、なんの感慨も抱かないだろう。具体的な軍縮交渉を伴わないただの「猿芝居」に意味があるとすれば、北朝鮮が韓国や日本の単細胞な連中から、経済援助をもらうための「物乞い」の役に立つだろう、といった程度のものだ。


(敬称略)

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