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中島由佳利 「新月の夜が明けるとき──北クルディスタンの人びと」超ダイジェスト紹介 投稿者 YM 日時 2002 年 10 月 19 日 15:13:01:

(回答先: なぜ、クルド人はサダム後を懸念するのか・抄 中島由佳利 (『未来』2002年4月号) 投稿者 YM 日時 2002 年 10 月 19 日 15:07:21)

http://www.miraisha.co.jp/
『未来』2001年6月号
クルディスタンへの道
──新月の夜が明けるとき──北クルディスタンの人びと(1)
中島由佳利(ノンフィクションライター)


プロローグ 月光のもとで
イラクとの国境近く。ラマザン(二三歳)がいたトルコ軍コマンド部隊の分隊は、山の中で、もう何日も待機していた。分隊長と九名のコマンドたちの任務は、オジャラン率いるPKK(クルド労働者党)のゲリラ基地のひとつを壊滅させることであった。
ある月夜の晩のこと、分隊長がコマンドたちに対して、身を潜ませるために五〇メートルおきに掘られた穴にひとりずつ入って仮眠をとるようにと命じた。「少しは休まなければ身体がもたない。だが、危険だから絶対に外には出るな。一時間後に私が様子を見にくるから、月明かりでゲリラと間違えて殺さないでくれよ」そう言い置いて、分隊長は自分の穴に入っていった。ラマザンも一番端の自分の穴に向かった。
ラマザンは命令に背いて木の上で寝ていた。微かな物音でふと目が覚め、分隊長が見回りにやってくる前に木から下りようとしたそのときだ。何者かが消音器をつけた銃を隣りの穴に向けて撃っているのを、はっきりと見た。PKKか、とラマザンは身を固くした。
月の光が、こちらに近づいてくる男の素顔を、暗闇の中で白く浮かび上がらせていた。ラマザンは息をのんだ。男が分隊長だと気づいたからだ。頭が混乱した。自分の穴に銃口が向けられようとしたとき、ラマザンは木の上からとっさに分隊長を撃ち殺していた。
その分隊長は、スパイとしてトルコ軍に潜入していたPKKのテロリストだったのだ。彼は、穴の中で疲れ切って眠っている若いコマンドたちをひとりひとり殺して歩いていた。コマンドたちの中にはトルコ人だけでなく、トルコ人と同じように徴兵されたクルド人の若者ももちろんいた。たったひとり生き残ったラマザンもまた、クルド人だった。
兵役を終え、イスタンブルに戻ってきた今も、ラマザンは肌身離さずピストルを隠し持っている。それがないと、不安で眠れないのだ。
(中略)

クルド人
クルド民族はイラン、イラク、シリア、トルコ、アルメニアの国境沿いにまたがる山岳地帯、メソポタミア文明を育んだティグリス・ユーフラテス川の上流にあたる地域に居住する先住民族だ。クルド人たちは自分たちの住む地域を「クルディスタン」と呼ぶ。人口は定かではないが二〇〇〇万から二五〇〇万人と言われる。独自の言語と文化を持ち、その起源は紀元前二〇〇〇年にまで遡るという記録も残されている。
クルド人の顔つきはアフガニスタン人やペルシャ人に似ている。だが、アラブ人やトルコ人のような感じの人もいて、ひとくちにこうであるとは言えない。主観的に言えば、彫りが深く、整った顔立ちをした人が多いように思える。
言語学的にはクルド語はインド・ヨーロッパ語族の仲間だ。ウラル・アルタイ語族のトルコ語よりは、どちらかというとペルシャ語に近い。だが、クルド語と呼ばれる言語の中にはクルマンチュ語、ザザ語、ソーラーン語などがあり、それぞれの言葉でお互いの意志疎通を計るのは不可能だ。
宗教的には自然崇拝や偶像崇拝、ゾロアスター教を信仰していた可能性が強いという。確かにクルディスタン地域のお祭り「ネブロス」には拝火の儀式がある。イスラム世界に組み込まれたのはずっと後の七世紀に入ってからのことだ。

クルド民族の歴史
クルド民族は部族社会による遊牧生活を送ってきたため、まとまった国というのをつくったことがない。クルディスタンで遊牧生活を営んでいた彼らは、つねに他民族に従属させられてきた。ササン朝ペルシャに支配され、アラブ・イスラム世界に組み込まれ、モンゴル帝国に攻め入られ、チムール帝国などトルクメン系の王朝に長い聞苦しめられた。
(中略)
一七世紀中ごろには、再びオスマン帝国とペルシャ帝国によってクルディスタンは分割にさらされた。だが一六世紀から一九世紀始めまでの約三〇〇年間、クルド人たちはこのふたつの帝国の間でうまく立ち回り、実質的には独立を維持していた。その後、ペルシャとロシアの戦争によりペルシャに残っていたクルディスタンが再び分割され、クルディスタン北東部の大部分がロシア帝国に併合される。
また、一九世紀を通じてオスマン帝国内では帝国政府に対するクルド部族の反乱が相次いで起こっていた。これに対して帝国政府は、遊牧社会形態を解体するためクルディスタンに土地所有制度を導入、もともと部族の共有地であった土地を、それぞれの部族長に私有させ、部族民を小作農民として働かせた。帝国の思惑どおり伝統的遊牧生活は崩壊し、彼らは土地に定着せざるをえなくなった。こうして帝国政府と多くの部族長が結びつき、部族民たちは徴兵と徴税に苦しめられることになる。だが、そんな欲にまみれた部族長ばかりではなく、あくまでも帝国に対して抵抗を続けた部族長たちがかなりいたのも、帝国にとっては頭痛の種だった。

現代のクルド人間題の発芽
「敵の敵は味方」という考え方で他民族とですら手を組み、クルドの部族同士で抗争を統けてきたような社会であったために民族意識が育たず、まわりの帝国に利用され続けたという指摘もある。が、現在まで引き続いているクルド人問題の発端は、第一次世界大戦後のヨーロッパ列強による中東の分割統治にある、というのが一般的な見かただ。クルディスタンの中に国境線が引かれ、クルド民族は五つの国に分断された。その結果、彼らはそれぞれの国の中で抑圧と同化という苦難を強いられることになった。
第一次世界大戦のときドイツに味方して敗戦したオスマン・トルコ帝国は、一九二〇年に作成されたセーブル条約によって、連合国の間で国土を分割される危機に陥った。その条約の中には「クルディスタンはトルコより分離自治、一年後に独立」という項目もあった。だが、ケマル・アタチュルクによって死守されたアナトリアにはトルコ共和国が打ち立てられ、一九二三年に新たに交わさんたローザンヌ条約においてはアラブ領域とモスール州のみを手放すことでトルコ本来の領土は保全された。トルコ民族主義の勝利はセーブル条約の破棄を導き、世界地図からトルコという文字が消えるのを水際で防いだ。
が、クルド人たちの悲劇はここから始まる。セーブル条約で取り決められたクルディス文ンの分離自治、独立という項目は、ローザンヌ条約の中では削除されていた。クルディスタンに含まれるモスール州に油田地帯のあることが判明したため、イギリスが当初の方針を変えてしまったのである。結局モスール州はイラクに組み込まれ、イギリスがその油田の利権を握ることになる。クルディスタンには石油・石炭・リン・クロム・銅・鉄などの鉱脈、水資源など、豊かな天然資源があり、それらをどうしても手中に収めたいヨーロッパ列強によって独立は妨げられたのである。
こうしてクルド人たちは、ヨーロッパ、イラン、イラク、トルコ、後にアメリカも加わった諸国の思惑に利用され、迫害され続けた。

イラン・イラク・トルコのクルド人たち
イランではイギリスとソ連の石油をめぐる勢力争いのすきをみて、一九四六年イラン北西部(東クルディスタン)にクルド人の国家「マハバド共和国」の樹立が宣言された。だがイラン軍によって一年ももたずに崩壊させられ、マハバド共和国の指導者たちは処刑されてしまった。処刑の理由のひとつに、マハバドが独自の旗を持っていたというのがあった。クルド人は自らの国家を持つだけでなく、旗を持つことすら許されなかったのだ。
イラクでは北部(南クルディスタン)にクルド人自治区があり、イランやトルコのようにクルド語や民族衣装を禁止されたりはしていないが、サダム・フセインによる迫害を常に受け続けている。サダム・フセインはクルド人居住地区にたびたび毒ガスを使用した。フセインはイラン・イラク戦争直後に武装蜂起したクルド人に対する報復として、イラク北部のクルド人の町ハレプチュで化学兵器によるクルド人大虐殺を行った。青酸ガスやマスタード・ガスが使用され、五〇〇〇人ものクルド人が死亡、生き残った者も呼吸困難、嘔吐、視力障害などに苦しんだ。丸くて白い顔をした幼い子どもが、あどけないロもとを残したまま仰向けになって死んでおり、その子どもをかばって覆いかぷさるようにして亡くなっている老人の写真を新聞などで見た人も多いはずだ。また、湾岸戦争後にも、蜂起に失敗したクルド人たちが、フセインの報復を恐れて雪の山岳地帯へ逃げた。難民の数は二〇〇万人とも言われ、トルコ・イランに門戸を閉ざされた多くのクルド人たちが雪山の中に倒れていったことは記憶に新しい。これは世界が直面した初めての大量難民問題でもあった。
トルコでも激しい同化政策が行われてきた。トルコには一二〇〇万人ほどのクルド人がおり、分割されたクルディスタンの中では一番クルド人の割合が高い。だがクルド人の存在は否定され、彼らは「山岳トルコ人」と呼ばれていた。クルド語やクルド文化は禁止され、人名や村の名称はトルコ語に変更させられた。さからう者は容赦なく迫害され、村ごと強制移住させられた者、家や畑、牧草地を燃やされた者、逮捕、投獄された者は数限りない。報酬を与えてトルコ政府側につかせたクルド人を、密告者としてクルド社会に潜入させ、またクルド人たちに対する拷問、虐殺などの執行者としても使った。このような、クルド人たちの間にお互いに対する猜疑心や恐怖心を起こさせる心理作戦は、トルコ東南部(北クルディスタン)のあらゆる地域で行われている。冒頭のトルコ軍コマンド部隊のエピソードはラマザンの親戚のひとりから聞いたものだが、クルド人(分隊長=PKKスパイ)がクルド人(徴兵されたコマンド)を殺し、それをまたクルド人(ラマザン)が殺すというようなやりきれない状況が起こってしまう背景には、部族同士で殺し合いを続けてきたクルド民族独特の歴史と気質を利用した、トルコ政府によるこの心理作戦の影響が大きく関わっているのである。

孤立するクルド人たち
(中略)
トルコではクルド人という存在自体が否定されている。クルド人なんてものはトルコにはいない、いるのはすべてトルコ人だ、と彼らのアイデンティティを強引にも無視する。中東の石油や資源の利権、投資の機会が欲しい欧米諸国は、クルド民族に協力して中東諸国を敵にまわすようなことは考えられない。この地域が不安定になることも望まない。
日本では、クルド人についてほとんど関心が持たれていない。日本にも確認されているだけで数百人のクルド人が滞在し、そのうち百名以上が難民認定を待っているが、その存在すら知られていないのが現状だ。世界の中で、クルド人たちは本当に孤立しているように見える。
(続)

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