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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:産業経済主体の論理と金融経済主体の論理 《今後の世界動向を規定する対立》 〈その13〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 03 日 23:06:33:

(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明::国際管理通貨制における外貨準備 《米国政府の対外債務返済能力》 〈その12〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 30 日 00:05:47)

『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国際管理通貨制における外貨準備 《米国政府の対外債務返済能力》〈その12〉』に続くものです。


1)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、〈その7〉までがレスのかたちでぶら下がっています。

2)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における金利と物価の変動 〈その8〉 前半部』( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/108.html )から、残りがレスとしてぶら下がっています。

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この回でこのシリーズを終わりにしたいと考えています。

これまでも触れてきた内容ですが、今回のテーマは産業資本と金融資本という性格が異なる経済主体の共通利益と利害対立を説明することを主眼にしたもので、平たく言えば、メーカーと銀行のそれぞれが内包している経済論理の違いについて説明します。

今後の世界経済の歴史的動向を決める主要因も、産業資本の経済論理と金融資本の経済論理の対立にあると考えています。


※ 構想としてはもっと原理論的な説明をする予定だったが、経済学の説明体系を志向しているわけではないので、日本経済や世界経済の実状に即したものになってしまったことをご了承いただきたい。


■ 産業経済主体の論理と金融経済主体の論理

産業経済主体も金融経済主体も、資本=通貨を増加させる経済活動を営んでいることにおいては共通である。

しかし、資本増加は共通の目的であっても、資本増加過程は両者で異なる。

産業経済主体は、通貨形態である資本を必ずいったん財や労働力の有機的統合体としての生産資本に転化させ、その資本活動の成果である財を販売することで元の通貨形態としての資本に戻すという迂回的な資本増加過程を不断にかつ循環的に行わなければならない。

一方、金融経済主体は、財(不動産・情報処理システムなど)や労働力にも資本を転化させているが、資本や預金として保有している通貨を貸し出し、それを利息付きで返済してもらうことで資本を増加する過程を不断にかつ循環的に行わなければならない。
(金融経済主体が資本を財や労働力に転化することは、競争的資本増加という現実ではやむを得ないことだが、本来的には貸し出し(運用)原資である資本を固定化させることで減少させてしまう無駄な経済行為である)

※ 【補足】その他の近代的経済主体

商業経済主体は、農水産業経済主体や産業経済主体の販売活動の一定部分を担うことで資本の増加を図る。財の価格の一部を生産経済主体から受領すると考えることができる。

一般的にサービス業と言われる経済主体は、レストランなど財の生産を含むものもあるが、財の生産ではなく労働を“販売”して資本の増加を図る。
ある業種では労働成果財の販売を含むが、無形的労働成果“財”を販売する経済主体で、労働成果財経済主体及びその従事者から、彼らの手間を補ったり彼らに精神的充足を提供することを通じて通貨=財の分配を受ける。
連関的に、サービス業経済主体及びその従事者の間でも、手間を補ったり精神的充足を提供するで、通貨=財の再分配が行われる。
労働成果財生産経済主体の「労働価値」上昇が財供給量の増加と輸出の増加を実現することで、国民経済に通貨の実質価値の上昇と通貨の増加が達成されると、サービス業経済主体の資本活動力が高まる。
財の需要構成が、必需財から利便財や奢侈財にウェイトが高まる傾向と同じ変動論理である。

証券会社など非銀行金融経済主体は、自己売買部門は証券投資を通じて資本の増加を図り、その他の部門は手数料収入で資本の増加を図る。
非銀行金融経済主体も、労働成果財経済主体の「労働価値」上昇で通貨の実質価値の上昇と通貨の増加が達成されて余剰通貨が増加することで、その資本活動力を高めることができる。
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以降の説明では、産業経済主体という表現を農業や商業などを含む非金融経済主体の代表として使用し、金融経済主体という表現を銀行を意味するものとして使用する。

産業経済主体は、否応なく、通貨を財や労働力に転化させて組織する生産過程で生産した財を販売しなければ資本を増加させることができない存在である。(G−W−G’)

金融経済主体にとって、資本を財や労働力に転化させる行為は、産業資本のように不可欠なものではない。たっぷり自己資本を保有していれば預金は不要であり、オーナー=バンカーが貸し出し交渉をまとめることで資本の増加が可能である。(G−G’)
(預金を使った貸し出しは、借り入れ需要の大きさが自己資本を超えるときに有効な資本増加手段である)

どちらの経済主体も、G’<Gという循環に陥れば縮小再生産になり、生産設備など変動調整が困難な固定資本の未償却比率や資本に占める借り入れ率が高かったり、利払い対象の預金比率が高い(逆に言えば銀行の自己資本比率が低い)と破綻に至る。
(被雇用者の解雇ができにくいことは、労働力が固定資本化しているとみなすことができる。これは、供給=需要の維持という好ましい側面とG’<G状況を長期化させてしまう側面を持っている。成熟した国民経済では、供給=需要の維持効果のほうが大きい)

名目GDPの下落は、国民経済がG’<Gの状態に陥っていることを意味し、資本化されない余剰通貨の増加をもたらす。(成熟段階とりわけデフレ状況では、実質成長率よりも名目成長率のほうを重視しなければならない)

資本の縮小再生産が起きても、供給の減少=需要の減少だから、必ずしも財価格の下落(デフレ)が起きるわけではない。
貿易という要素を除外し、非就業者の消費支出が一定だとすると、国民経済がデフレに陥るのは、Gのなかの労働力部分として支出された通貨が財の購入に向かわず貯蓄に回る割合が上昇し、その貯蓄上昇に見合う貸し出しを通じての資本化がなされていないという経済状況による。
国民経済における住宅を含む耐久消費財(利便財や奢侈財)のウェイトが高まると、その買換サイクルが遅延することでこのような状況は出現しやすくなる。
(ある国民経済の生活水準での必需財の充足が達成されていると、経済不安から可処分所得の貯蓄化が高まり、銀行も、自己資本比率の低下と経済不安の二重要因で貸し出しが停滞し、企業もデフレの高金利性と経済不安の二重要因で借り入れ意欲を失う。借り入れを望む企業は、破綻を避けたいという後ろ向きのものになりやすく、銀行も貸し出しを渋るようになる)

貿易を考慮し輸出を一定だとすると、従来国民経済内で生産していた財が輸入されるようになることで、その財の生産に必要なGのなかの労働力部分のある部分が失われるため、供給>需要という経済状況が生まれ、財価格の下落(デフレ)をもたらす。
(高額の輸入ブランド品が売れるということは、供給>需要をつくり出すことでもある。自由主義経済であれば、高額で売れる国産ブランド品を生産して対抗するしかない)

輸出が増加すると、供給=需要でありながら国民経済内での財供給量が減少するので、供給<需要となり財価格の上昇要因となる。


G’<Gの状況ではなくても、生産した財の価格が下落するというデフレになることでG’<Gの状況が生まれ、資本の縮小再生産過程が始まり、それがデフレ要因を誘発することで“デフレスパイラル”に落ち込む。

インフレは、通貨量が一定でも、同額のGで「労働価値」を上昇させることにより財の供給量を増加させることができるので、経済主体の努力で解消することもできる。
(この意味で、インフレを通貨量の調整で行わなければならない国民経済は、資本活動力が劣化していると言える)

しかし、デフレ状況では、同額のGで「労働価値」を上昇させて財の供給量を増加させると、さらにデフレを悪化させてしまう可能性が高く、経済主体の利益の源泉である「労働価値」の上昇という根源的“資本の論理”の追求が、G’<Gをさらに拡大させてしまうという経済的災厄である。
(ある国民経済では、資本活動力が高いが故に資本を毀損させていく(G’<G)というパラドックスが生まれる)

景気循環的財価格の下落は、輸出や財政支出の増加という需要サイドの変動で解消させることができたが、輸出や財政支出の増加という需要サイドからのプルが期待できない歴史段階的(構造的)財価格の下落は、尋常な手段では解消することができない。

輸出の増加が国際的な関係性で無理であれば、デフレを解消するためには、Gの総和量を財の供給量を上昇させないかたちで増加させたり、Gとして投入された通貨が財の購入に向く割合を高めたり、余剰通貨を強制的に財の購入に向けさせたり、国際競争財の輸入を減少させるために国内生産比率を高めたり、供給主体が一律的に財の価格を上昇させざるを得ないような増税(企業向け)や金利上昇といった政策をとるしかない。

(最後に説明した政策は、財の価格上昇で余剰通貨が消費に引き出されることになるが、余剰通貨が少なければ企業収益を低下させるスタグフレーションに結びつく。とりわけ長期不況下であれば、必需財以外の財を生産している経済主体はスタグフレーションに陥り、安価な輸入代替財があればよりいっそう打撃を受ける)


● デフレに対する産業経済主体と金融経済主体の論理

デフレは、国民経済的には災厄とも言えるマイナス経済事象だが、すべての人にとってマイナスというわけではない。

わかりやすい例をあげると、通貨資産家(金持ち)である。
マイナス金利はないから、デフレは実質金利を上昇させやすい。0%の預金金利でも、2%のデフレであれば、2%の利子が付いているのと同じである。(インフレであれば、名目金利外貨に高くとも、実質金利が0%未満ということもあり得る)

現状の日本の銀行は異なるが、通貨資産家の典型は金融経済主体である。
自己資本率が高い銀行は、デフレであれば、極端な話、従前よりもリスク管理を厳しくすることで貸し出しを控えても、保有通貨の実質価値が上昇するのでG’>Gを実現しやすくなる。(銀行は、財の購入と財の販売というWの過程が不要なので、少なくともG’<Gにはならない)

ざっくばらんに言えば、自己資本をたっぷり保有している金融経済主体は、通貨の実質価値が上昇するデフレを好ましい経済事象と考えがちなのである。
しかし、これまでも書いてきたように、利息や金融取引収益の源泉は労働成果財生産資本活動にあるので、この考えは短絡的で刹那的なものであり、長期と言わずにまもなく金融経済主体の資本増加活動に打撃を与えるようになる。


一方、産業経済主体にとって、Wの価格が時間軸的に下落していくデフレは、G’<Gを生じさせやすい経済状況である。
Wの時間が長ければ長いほどG’<Gに陥りやすく、固定資本(固定的W)比率が高ければ高いほど、資本に占める借り入れ比率が高ければ高いほど、G’<Gに陥りやすい。

別の表現をすると、保有通貨を資本化している比率が高いほど、G’<Gに陥りやすく、資本化していない余剰通貨の比率が高いほど、G’<Gを避けることが可能になる。
(このGとG’は、これまでの説明で使ってきた概念的資本ではなく、余剰通貨を含む通貨評価での資本である)

また、国民経済のデフレを追い風にできる輸出比率が高い産業経済主体も、G’<Gを避けやすい。輸出後の円転換額が同じだとすると、その生産のために国内で調達する財の価格が下がることで、利益額が増加する(G’>G)からである。

わかりやすく言えば、トヨタに代表されるような、余剰通貨をたっぷり保有し売上に占める輸出比率が高い産業経済主体は、デフレを好まないとしても、デフレ耐性は強いのである。

逆に言うと、余剰通貨を持たず資本化を借り入れに依存し国内向けに財を販売している中小産業経済主体は、デフレの打撃をもろに受けることになる。

このようなことから、発言力もあり産業連関においても主要な地位を占めている産業経済主体が考えを改めるためには、「世界同時デフレ不況」でも起きなければならないとも言える。(「世界同時デフレ不況」により、余剰通貨のメリットのみが生き残り、輸出で享受できるメリットが消える)

しかし、その間にも、日本経済を支えてきた良質の中小産業経済主体の資本が廃棄されていく。これは、目に見えるGDPの落ち込みとは比較できないほどの中長期的な打撃を日本経済に与える。

産業経済主体も、“資本の論理”から、できるだけG−G’のかたちで資本を増加させたいという内的衝動を持っている。
それゆえ、余剰通貨を資本化ではなく“財テク”で増加させたいと考え、生産過程についてもできるだけWの部分を少なくしたいと志向する。

このような経済論理が、バブル形成を生み出したり、生産過程の外注化や人件費がより安い国民経済に製造拠点を移転させる基礎である。
本業の使用総資本利益率が5%で、金融取引での利益率が10%という状況であれば、“財テク”に走るのは、資本=通貨を増加させることが目的である経済主体としてある意味当然である。
最近何とか問題になっている企業の不正行為の根っこも、産業経済主体のG−G志向に由来していると考えている。

大産業経済主体は、資本増加過程を通じて、企画開発・販売・金融という機能を強めてきた。製造のみならず企画開発までもが、良質の中小産業経済主体を廉価に活用することに依存するようになっていった。

このような産業構造になっている日本経済で、良質の中小産業経済主体の資本が廃棄されていくことは、俗に言う足腰を失うだけで済むことではなく、頭脳や手までも失うことを意味する。
(失礼な比較だが、韓国経済の本質的弱さは、キャッチアップを急ぐあまりに財閥型重化学工業育成を志向したことで、ものづくりに優秀な技術を持つ良質の中小産業経済主体が少ないことにある。このまま進めば、日本も、韓国型産業構造になってしまうのである)

端的に言ってしまえば、ここまで成熟した日本経済と貸し出し機能を喪失した銀行という現状に照らせば、メガバンク一つの破綻よりも、良質な中小産業経済主体一つが破綻するほうが、日本経済の行く末にとって大きな損失なのである。

このような認識と自覚がないまま国策が決定されていけば、ものづくりに懸命に取り組んでいる中国が誤りをしでかさない限り、中国との中長期的な競争に勝つことはできない。


● 戦後日本の産業経済主体と金融経済主体

銀行が取得する利息は、迂回的なかたちであれ、産業経済主体を中心とした労働成果財の生産と販売を行う資本活動が源泉である。

(金融取引で通貨を増加させる目的が、ただ額面表示的な通貨を増加させることではなく、「必需財」・「利便財」・「奢侈財」・「快楽享受財」といった労働成果財をより多く入手することである限りそうなる)

通貨は労働成果財の資本活動に投入されない限り、通貨としての価値を維持することさえできない。財の生産が伴わない通貨になってしまうからである。

このような意味から、金融経済主体にとって、産業経済主体の存在は不可欠であるが、産業経済主体にとっては、金融経済主体は不可欠な存在ではない。
資本化したい通貨を調達する方法は、借り入れだけではなく、増資や債券発行によっても可能である。

戦後日本経済は、絶対的な資本不足=通貨不足と絶対的な労働力余剰という条件を出発点とした。
(資本不足は続いたが、早い時点で労働力不足に陥った。これが、産業経済主体の「労働価値」上昇意欲をさらに高めた)

食糧は労働力さえ投入すればとりあえず自給できる条件にあったが、石炭など限定的な財を除けば、近代産業が活動するためには財を輸入しなければならない条件にあり、それらの輸入を賄うだけの余剰財の生産はなかった。

このような経済条件では、日銀券をどれだけ発行して貸し出しを通じて資本化できるようにしても、限定的な供給の増加しか実現できないため、高率のインフレを招くだけである。

日本円が国際的に価値を持つ通貨でなかったのは、国際制度や信認性の問題もあるとは言え、根源的には、財の輸入に匹敵する財の輸出ができなかったことによる。
国際支払いにあてるだけの余剰財が生産できない国民経済の通貨は国際的に無価値である。

その当時国際的に価値を持つ通貨といえば米ドル以外にいない状況であり、それを借り入れることが不可欠だった。
労働力など国内で調達できる財は日本円が通貨としての価値を持つが、輸入財に対しては日本円が通貨としての価値を持たないという通貨的二重構造である。
そのため、外見的には同じ日本円だが、経済論理的には輸入財向け通貨と国内財(労働力を含む)向け通貨の2種類があったことになる。
輸入財向けの通貨とは、米ドルが日本円に姿を変えたものである。

同じ価格水準を維持すると仮定すると、国内財(まったく輸入財が含まれていないもの)向け通貨は、国内財の供給増加に応じて増加させることができる。
しかし、輸入財向け通貨は、国際支払い手段であるドルの保有量以上に発行してしまうと、国内財向け通貨とまったく同じ通貨であることから、財の価格を上昇させてしまうことになる。

原材料や生産設備などとして輸入財が含まれている国内財の供給増加に対応する通貨量の増加は、輸入(生産設備は償却費換算)+ドル借り入れ利息と同等の輸出が実現された残りの供給増加に対応したものであることでのみ、インフレを起こさないことができる。

遅れて近代化を歩み始め、戦争で多くの資本を失った日本は、金融経済主体を米国のそれに依存し、国内の金融経済主体は、限定的な金融機能しか果たせなかったのである。

ドルの借り入れに資本=通貨を依存していた日本は、経常収支が黒字基調になるまで、国民経済そのものが、すべてが良質の中小産業経済主体と見なすことができる産業経済主体の論理に規定されていたと言える。(戦後の世界経済構造も、日本が経常収支を黒字基調化することで変容せざるを得なかった)

国民経済総体が、国際的に受けれいられる良質で安価な財を生産することに経済的活動力を傾注したのである。

遅れて出発し近代的資源にも恵まれていない日本が国際競争力を手に入れるかたちで産業経済主体を発展(資本増加)させるためには、厖大な通貨(米ドル)を借り入れて、米国から資本財を、その他から原材料を輸入するしかなかった。
さらに、国際的にも厳しい競争を展開して状況では、使える(未償却)生産設備だからと言ってそれを使い続けていけば、品質を含む価格競争で後塵を拝することになるため、競争的生産設備更新でも借り入れが必要になる。

この過程で、初期は低賃金が後ろ盾になったとしても同じ生産設備を使いながら米国以上に「労働価値」を上昇させることで輸出を増加させ、それで借り入れたドルを利息付きで返済しながら、外貨準備も積み上げていった。

この成果のさらなる進展が、資本財も優秀で安価なものを生産するようになり、世界最高レベルの一人当たり国民所得と世界最大の対外純資産という国民経済につながっていったのである。

そして、高度成長期に急成長(資本増加)を遂げた産業経済主体は、正味の余剰通貨を保有するまでになった。


● 国際的に見た産業経済主体と金融経済主体

産業経済主体が資本化しないで済む余剰通貨を多く保有するようになると、系列会社に対する貸し付けや株式投資などの金融取引での運用益を考えるようになり、金融経済主体的価値観を持つようになる。(M&Aや国際的企業提携にも、産業経済主体の金融経済主体的価値観という側面が見られる)

産業経済主体のなかに経済価値観の二分化が起き、いわゆる大企業が金融経済主体的価値観を持つようになると、国民経済が金融価値観的な動きへと変容していく。

英国の産業革命すなわち「近代経済システム」の端緒が、国際金融(商業)経済主体による産業経済主体形成にあったことは重要な視点である。
その意味で、日本は、80年代に「近代経済システム」を完成させたとも言える。


金融的収益は、外部国民経済から得たものでない限り、経済主体間の単なる通貨の移転でしかない。国内取引で銀行が利益を拡大すれば、その分産業経済主体が利益を減らしているということである。
銀行が国内の産業経済主体からいくら貸し出し利息を得ようとも、国民経済的な通貨的“富”は増加しないし、国民経済内の経済主体同士で株式や土地を取り引きしてどんなに利益を上げようとも、国民経済的な通貨的“富”は増加しないのである。

国民経済内での金融取引は、ゼロサムなのである。

金融取引で実のある利益を上げるためには、近代化をめざしながら通貨不足状態にある発展途上国か、確実な返済が期待できる通貨不足の先進国に国際貸し出しを行うしかない。

しかし、日本が「金融資本主義的国民経済」をめざして、唯一の真なる利益源である国際金融に挑戦しても、米国・英国・フランスの国際金融経済主体に勝利できるどころか伍すことさえできない。

ハードカレンシーとは言え国際基軸通貨ではない日本円と国際金融活動については幼稚園児並みの経験と能力しかない金融機関のペアで国際金融活動の道を進んだとしても、かつてならいざ知らず、これから成功することは幸か不幸か絶対にないのである。

まず、国際貸し出しを行ってきちんと債権を回収するためには、借り入れた国民経済が、かつての日本と同じように、「労働価値」を上昇させることを通じて余剰財を生産できるようになり、それが輸出の増加にきちんと結びつくようにしなければならない。
その輸出増加を受け入れるのは、かつての米国のように、貸し出した国民経済の“義務”でもある。そして、それは、貸し出した国民経済の産業経済主体の衰退を招き、“義務”の履行を出来にくくする。
現在進行形のアルゼンチン・グアテマラ・ブラジルの通貨危機は、この論理が現象したものである。

次に、国際的に貸し付けた通貨をきちんと回収するためには、貸し出し先の国家運営にまで首を突っ込まなければならない。これは、軍事力を含む国家の対外活動力そのものが問われることである。
(貸し付け返済を不能にしてしまうような経済政策を採る統治者の首をすげ替えることまでしなければならないし、国民の恨みも買わなければならない)

また、数百年から数千年間にわたって蓄積してきた国際金融のノウハウとネットワークを持つ他の国民経済の金融経済主体には勝つことができないどころか、いいカモにされてしまうだけである。
(90年代を通じて日本からどれだけの通貨的“富”が流出したか、そして、自己責任であるとは言え、今まさに対外投資に振り向けられていた通貨的“富”がずるずると減少していく状況にあることを考えればわかることである)


国際金融活動で成功を収めることができない日本は、否応なく、「産業資本主義的国民経済」として緩やかに持続的に成長(資本増加)していくしかないのである。


最後に、国民経済内の金融取引がゼロサムであると同様に、世界の金融取引もゼロサムであることを言っておきたい。
国内が経済主体間の通貨の移転でしかないのと同じように、国民経済間の通貨の移転でしかないからである。

余剰通貨が特定の国民経済に偏って存在するようになれば、その間での金融取引で収益を上げることはできるが、それ以外の国民経済との金融取引では収益を上げにくくなる。
米国の「バブル崩壊」で、日本の国際金融取引の利益源?であった対米証券投資も危ういものになってきた。

世界は、先進諸国の労働成果財受け入れ(輸入)増加余力が減少していることで、国際貸し出しもスムーズに行えない経済構造になっている。
なぜか最強の国民経済と自他共に認めている米国は、4千億ドルもの経常収支赤字を計上していることから、発展途上国と同じ通貨=資本不足に陥っている。
このような状況で国際金融取引を通じて利益を上げることは至難の業である。


世界は、日本を除けば、産業資本力を相対的に衰退させるだではなく国民経済的な余剰通貨(経済主体は保有している)も減らした先進諸国と、通貨=資本不足にありながらそのために借り入れた通貨をきちんと返済できない国際経済条件に置かれている発展途上国という構図になっている。

この問題をどういう智恵で解決しようとするかによって、今後の世界史は大きく変わることになる。


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