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Re: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」とグローバリズム 《国民経済と経済主体の対立》 〈その14〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 05 日 21:19:22:

(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:産業経済主体の論理と金融経済主体の論理 《今後の世界動向を規定する対立》 〈その13〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 03 日 23:06:33)

『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:産業経済主体の論理と金融経済主体の論理 《今後の世界動向を規定する対立》 〈その13〉』に続くものです。


1)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、〈その7〉までがレスのかたちでぶら下がっています。

2)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における金利と物価の変動 〈その8〉 前半部』( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/108.html )から、残りがレスとしてぶら下がっています。

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終わりと宣言した舌の根も渇かないうちで恐縮だが、追加のテーマで一つだけ書き込みをします。


■ 「近代経済システム」とグローバリズム


● 「近代経済システム」は端緒からグローバリズム

“ボーダレス経済”という言葉は15年ほど前から一般化し、“グローバリズム”という言葉はここ数年のキーワードにもなっているものである。

これらの言葉の意味を政治的なものとしてではなく、経済的なものとして考えてみる。

これまでの連載内容をお読みいただいた方であれば、「近代経済システム」が、根っからの国際主義(=超国民経済主義)に基づくものであり、国民経済の近代的発展が国際取引の利益によってのみ実現されるという経済論理をご理解いただけたのではないかと思っている。

近代産業の黎明が国際交易に利益を求める重商主義によってもたらされ、国民経済にとって真の利益は、貿易もしくは国際金融(対外直接投資を含む)から得る利益のみであるということである。

“閉鎖”国民経済が科学技術の進歩で「労働価値」を上昇させても、財1単位当たりの価格が下がるために物価下落を引き起こしたり、財1単位に必要な労働力の減少が失業者の増加を招くだけで、国民経済を発展拡大させることはできない。
もちろん、閉鎖的「労働価値」上昇の活かし方はあるが、「近代経済システム」のパラダイムを超えた論理である。
(“閉鎖”国民経済で産業経済主体が利益を上げるとしたら、価格支配力や国家政策による通貨的“富”の移転以外にはない。そして、その利益が資本化(供給拡大)されないとすれば、国民経済は低落していく)

“閉鎖”国民経済で金融取引がいかに活発化しても、通貨のある部分が財に向けられないことで物価下落要因になる一方で、新たな職種従事者の増加で失業者の増加を抑制するが、金融資産と通貨の保有者が入れ替わるという通貨的“富”の移転が行われるだけであり、国民経済を発展拡大させることはできない。
(金融取引で支払われる手数料や税金を考えれば、通貨保有者や金融資産保有者は、その分の通貨を他者に引き渡していることになる)

ある国民経済が発展するためには、産業資本主義的であれ、金融資本主義的であれ、自己に向けて開かれている外部国民経済が必須なのである。

個別経済主体の「労働価値」上昇は、その結果として産業連関的に国民経済の「労働価値」上昇を実現し、財の輸出増加を通じて貿易収支及び経常収支の黒字を達成することで国民経済の発展に寄与する。
この循環的継続的経済活動が資本化の増加(勤労者の給与上昇を含む)に結びつくことで、国民経済は発展拡大していく。
価格支配力や国家政策による通貨的“富”の移転を含む経済主体の利益が対外直接投資に回された場合は、一時的には、国民経済内の資本化と同等の貢献を果たすこともあるが、長期的には、個別経済主体の利益にはなっても国民経済の利益になるとは限らない。
対外投資先の国民経済は発展することによる輸出の拡大や対外投資から得られる利益が資本の増加に結びつくと国民経済の発展に寄与する。(財の生産における国際的棲み分けがきちんと行われていけば有効である)

金融取引も、外部国民経済に対して行われ、それが果実(利益)を生みだし、果実が国民経済の資本増加に結びつくときのみ国民経済の発展拡大に寄与する。それは、直接的な需要増加というかたちでもいいし、取引先国民経済への輸出増加という間接的なかたちでもいい。
しかし、果実を生み出さないどころか元本の回収までおかしくなると、国民経済の低落に結びつく。国民経済内需要や輸出による需要が減少するのみならず、国民経済内金融取引のリスク管理や利益追求が厳しくなることで経済活動を停滞させる。


このように、ことさら“ボーダレス経済”や“グローバリズム”という言葉を持ち出さなくても、「近代経済システム」は、“ボーダレス経済”や“グローバリズム”を存続条件とした経済システムである。

しかし、それらの言葉が意識的に使われるようになった理由を問うことは重要である。

“ボーダレス経済”や“グローバリズム”は、超国民経済すなわち世界経済という意味性を強く持った言葉である。

世界経済という概念はあっても、現実の世界経済は、諸国民経済の有機的連関として形成されるものであって、国民経済と同じような経済システム的基盤があるわけではない。

“ボーダレス経済”や“グローバリズム”という考え方は、自立性を確保するとともに経済取引対象(利益源)を多国民経済化した経済主体の論理が反映したものである。
国民経済的利益論理から受ける規定や束縛から逃れたいという“国民経済反逆罪”的発想とも言えるもので、“国民経済反逆罪”的発想が“国家反逆罪”にならないよう国家の政策を転換させるため、“ボーダレス経済”や“グローバリズム”という考え方の浸透を図っているとも言える。
多国籍企業と言っても超国家的存在になることはできないから、国家の論理を自己の論理に引き寄せるという構図である。

こう書いたからと言って、“ボーダレス経済”や“グローバリズム”という考え方が誤った論理や思潮だと主張したいわけではないのは、「近代経済システム」の存続条件が根っからそうであることをしつこく主張してきたことでご理解いただけると思う。

“グローバリズム”にいくら反対しようとも、「近代経済システム」である限り“グローバリズム”が通底しているという認識がなければ警鐘を鳴らす意義以上のものとはなり得ない。

「近代経済システム」を地上で初めて確立した英国の経済主体は、結果として恩恵を受けたとしても、英国や英国民のためにそれを確立させたわけではない。
まさに、自己の経済的利益をグローバルな経済取引を通じて極大化するために、英国国民経済を「近代経済システム」につくり替えたのである。
近代産業の興隆も、グローバルな商業的金融的経済利益を極大化するための手段でしかない。
英国の経済主体が英国国民経済の利益を代表しているわけではないからこそ、第一次世界大戦を境に経済的覇権は米国に移り、第二次世界大戦後の英国国民経済は低落していったのである。
(インドをはじめとする広大な植民地も、英国の経済主体にとって大きな利益源であっても、英国国民経済にとっては大きな負担であり、英国国民経済の疲弊要因となった)

英国国民経済の低落と英国経済主体とりわけ英国金融経済主体の低落はイコールではない。英国金融経済主体は、グローバリズムを貫き米国に活動拠点を移し、資本増加を継続していった。
それ以前からだが、19世紀以降の英国金融経済主体による対米投資なくして、通貨=資本不足に苦しみ続けた米国が覇権国家になることは、戦後日本が米国の通貨=資本なくしては高度成長を遂げられなかったと同じように不可能だったのである。

この視点から“米英共同歩調”という昨今の国際政治を捉えなければ、W.ブッシュ大統領やブレア首相という個人的資質に還元させてしまう誤った認識に陥る。

産業経済主体の金融経済主体の大きな違いとして、前回書いたG−W−G’とG−G’に基づく活動拠点移動の容易性を指摘できる。
生産設備の移動や労働力の育成は並大抵なことではないが、日本に暮らしていればわかるように、国境を越えた通貨の移動は実に容易である。
そして、通貨は、通貨の極大化がより効率的な場所や対象に移動していくものである。

サッチャー政権の“金融ビッグバン”は、ロンドンをニューヨークに次ぐ国際金融の拠点に甦らせたことで、産業資本力に活路を見出せない英国国民経済にわずかな拡大をもたらしたが、そのための金融政策や経済政策が産業資本力をより弱体化させていった。
(英国経済は米国経済の“虚構の繁栄”のご相伴に預かってきたが、来る「世界デフレ不況」でより大きな打撃を受ける経済構造になっている)

そして、今、戦後世界で経済的政治的覇権を維持してきた米国がその経済的基盤を危うくしつつあり、かつてのロンドンからニューヨークという余剰通貨(金融取引に使われる)の移動先や効率的な運用対象がない状況に世界経済は置かれている。

これが、「世界同時デフレ不況」を予測する根拠の一つでもある。


● マックス・ヴェーバーとヴェルナー・ゾンバルトそしてアジア的価値観

マックス・ヴェーバーは経済学というより経済史学者として日本でも著名な学者であるが、ヴェルナー・ゾンバルトは、最近見直しをされているようだが、ある本を書いたことにより日陰に追いやられた経済学者である。
その本のタイトルは、『ユダヤ人と経済生活』(邦訳書:金森誠也監修・訳/安藤勉訳:荒地出版社:6,800円)である。

原著は、ナチスドイツという歴史過程以前の1911年に発行されたものだから、反ユダヤ主義の理論的な支えになる“危険性”はあるとしても、陰謀論や反ユダヤ主義的論のような“政治性”はない。

マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で展開したように資本主義の精神をプロテスタンティズムに求めたが、ヴェルナー・ゾンバルトは、資本主義の精神はユダヤ教に由来するところが多いと主張した。
(『ユダヤ人と経済生活』そのものが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に触発されて書かれたもの)

どちらが正しいというわけではなく、マックス・ヴェーバーは産業的側面に、ヴェルナー・ゾンバルトは企業形態や金融的側面にそれぞれ焦点を当てたと言うことができるが、ヴェルナー・ゾンバルトの論のほうがより根源的な考察だと言える。
(利息付き貸し出しを別にすれば、ゾンバルトの言及内容は、イスラム世界にもある範囲で通用するものである)

このような話を唐突に持ち出したかと言えば、戦後の歴史過程のなかで、『アジア的価値観と資本主義の精神』とも言える事態が生まれたからである。

近代的ものづくりという産業資本主義の面で言えば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の正しさを証明したとしてドイツ経済の発展を取り上げることができるかが、それ以上に、日本・台湾・韓国・中国というアジア諸国(地域)を取り上げなければならないだろう。(ドイツが経常収支赤字に陥っているなかで、日本を筆頭にしたアジア諸国に貿易収支及び経常収支の黒字が集中している)

中国はともかく、日本は、かつてのような相対的低賃金による国際競争力で貿易収支の黒字を達成しているわけではなく、高度な資本活動力でそれを達成している。

米国を中心とした世界の経済支配層が理解しているかどうかわからないが、「近代経済システム」の成功は、個人主義や自由主義で必ずしも達成されるものではないということが歴史的に証明されたのである。(個人主義や自由主義は、政治的社会的意味ではなく、あくまでも経済活動における価値観である)

先進国のなかで唯一持続的な成長を遂げた80年代の日本経済に対して、“ジャパン・アズ・No.1”という見方もなされたが、“失われた90年代”のなかでそのような論調は影を潜め、日本人自身が、“虚構の繁栄”を続ける米国的価値観に回復の活路を見出さそうとしている。

しかし、日本が証明したアジア的価値観と産業資本主義の関係は今後の世界動向を考える上でも重要なテーマだと考えている。

通貨=資本不足さえ解決すれば、治山治水という大規模な事業をこなしながら、協業的労働で収穫の増大を図ってきた水田米作の歴史過程で培われてきた価値観が、プロテスタンティズムの倫理以上に近代産業の発展に資するのである。

数年後を見据えた投資的労働の重要性、手にした労働成果を消費し尽くすことなく再生産に回す倹約の精神、多くの人が協調的労働することによる効率化と相互扶助の意義などを体得してきたアジア的価値観は、大規模な固定資本を必要とし、獲得した利益を消費したり流出させるのではなく再投資に回すことで競争力を高めなければならず、協調的で知恵を出し合う労働過程が目に見えない「労働価値」の上昇をもたらし、相互扶助的な産業連関が国民経済の拡大を実現し個別経済主体にも利益をもたらす「近代経済システム」に格好のものなのである。

米欧識者が、心底から個人主義・自由主義・キリスト教などを「近代経済システム」における優位な価値観と考え、アジア的な社会や価値観を見くびっているとしたら、間違いなく、米欧諸国は、現在の米国と同じように、アジア諸国の“余剰資本”(国民経済に必要な財を超える資本活動力)に財の供給を依存する立場に転落するだろう。


金融経済主体と産業経済主体という論理的対立が、欧米的価値観とアジア的価値観という地域的対立につながりかねない世界経済構造になっているとも言えるのである。
そして、欧米支配層が、明確な理論に基づいているかどうかは別として、アジアがEUのように統合されていくのを恐れていることも間違いない。

天然資源と金融をめぐる米欧とイスラム世界の対立の次には、米欧とアジア世界との対立が控えている可能性があることを認識すべきであろう。

このような視点で、対中国政策や対北朝鮮政策も考慮しなければならないと考えている。

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