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Re: 近代的政治理念と「大日本帝国」 投稿者 近代化とその戦争からわれわれは何も学んでいない 日時 2002 年 8 月 24 日 03:47:05:

(回答先: 近代的政治理念と「大日本帝国」 投稿者 書記長 日時 2002 年 8 月 22 日 17:46:03)

多くの方にダイアログに真剣に参加していただいてほんとうに感謝しています。皆さんからいろいろと教わっています。

唐突ですが,米国市民は1940年前後、ヨーロッパ戦線に参加することに反対でした。チャーチル首相はナチスヒトラーに押されており,何とかアメリカを欧州戦線に参戦させて形勢立てなおしを狙っていました。時のルーズベルト大統領はチャーチルとともに米英支配層の代理人ですから欧州戦と日本への戦争開始をしたくてしたくてたまりませんでしたが、戦争にみなさんの子弟を送り出すことは絶対しないとの公約を出して当選した立場上,参戦表明はできませんでした。そこでチャーチルのやったことは英国諜報部を使い、米国議会人と市民の言論を操作することでした。例えば,一般人を装って,新聞に参戦すべしと投稿したり。で、それは大成功をして,あっという間に世論がモンロー主義を放棄し参戦へすべしの世論形勢に傾斜し,ルーズベルトが欧州と日本へ開戦する社会的気配を作ること成功しました。戦争賛成などを含め,国内外の一定の世論の誘導をすることなど,米英の政府と情報部にとって基本中の基本だということです。
  で、戦後日本も米英支配層による激しい操作を受けています。左側でも右側でも、映画メディアでも留学生援助制度でも利用できる連中と機会をすべて捕まえ,なりふりかまわず徹底操作しています。米国には高尚な哲学があるのではなく,早い話,支配層が国内的文脈と国外的文脈で支配と収奪をできることなら要人殺害・政府転覆なんでもござれです。

   彼ら米英支配層が東アジア諸国に対して取っている基本戦略は伝統的に分断統治の手法です。かれらは日本・中国・韓国・台湾が仲間割れしていがみ合ってくれるいることをなにより喜んでいますし、当然その方向で言論操作をしています。で、書記長さんや匿名希望さんのような、アジア文脈での大東亜戦争日本無罪論が一人でも多くの日本人や日本政府内に広がることを望んでいます。こういう考え方の政治家や官僚やメディア関係者などに、アメリカ大使館の夕食会でお話を伺いたいなどといって饗応したり,ワシントンDCで今度OO国際会議があります,旅費ホテル代は気にしなくて良いですから参加してもらいませんかなどと、アメリカ大使館職員(大使など)やアメリカOOXX国際問題研究所の所長,シカゴ大学日本研究所の教授といった権威のある肩書きを持つ人々がしきりにアプローチしてきます。所が実はこれはいわゆるJapanHandler(日本操作班)のチームワークによる操作だったりするのです。アプローチされた日本人側はもう天にも上る自負心を覚え,おれなあ,先日アメリカ大使館にディナーの招待受けちゃってサーとか,今度シカゴ大学で講演たのまれちゃったんダーとかいってひとり興奮のルツボで同僚・友人・知人・家族親戚に電話しまくりだったりするわけです。 

  書記長さんや匿名希望さんの主張は,好むと好まざるとにかかわらず、事実上,結果として、米英支配中枢の分断統治戦略上、好ましさ度Aー(マイナス)クラスです(米英経済侵略上のA+ならエコノミスト竹中平蔵大臣の論調)。皮肉なことですが、このレトリックはいってみれば書記長さんが呪詛する米英帝国をそれこそ利する利敵的言論,国益に損害を与える効果を持ちかねない議論なんです(「国益」という概念は非常に逆説的に危険な概念でよほど慎重な扱いが必要ですが)。そろそろアメリカ大使館にディナーご招待されると楽しみにしていてください。書記長さんの意見などをこの阿修羅サイトを通じて観察対象にしながら日本操作班は、オー,なんとほほえましい,ワンダフル!ニホンのカンリョー、だからダーイ好キデスネー、ラブリー、自分タチノ非操作性ヲマッタクワカッテイマセンネー、アイカワラズニホンジン無警戒デスネー、ハイホー!と 祝杯酒をあおっているところかもしれません。そうだそうだ,大東亜戦争で日本のやったことは正当だ、中国韓国にもっともっと喧嘩の種を振りまけー,渡辺・矢沢・小室・小林ガンバレーって(以上皮肉な言い方でゴメンナサイ!)。日本の議会や行政機構の構成者たちが,この分割統治の誘導に乗るのは国家を自殺させるもので,彼らこそ売国の輩と非難されかねないんです。だから,満州問題,大東亜戦評価の問題は非常に慎重にレトリックを組む必要がある,一種の剣が峰なのです。米英指導中枢は東アジアを喧嘩させて高みの見物、そして漁夫の利を狙っています。そんな隙間に落ちてもいいんですか,書記長さん。
   で、彼ら米英支配層が一番いやがるのが、東アジアが仲間割れを終結したうえで一丸となって(分割統治ができなくなって)、欧米列強と日本帝国主義が行った過去の振る舞いがもつ共通した、ないし個別的な問題点をえぐり出して人類にその理解や知識が知恵として共有に付されることなんです。現在でいえば、イラク戦争をはじめるレトリックもパワーポリティクスも彼ら組み立てたできなくなってしまうんですよ。ちなみに匿名希望さんがパワーポリティクスの駆け引きでは,哲学的洞察を基礎としたレトリックを組み立ててもそれは単なる理想論にすぎず効果はないと冷笑的ですが、それは日本国が一度試してから絶望してもおそくはないのではないのですか?たしかに戦前で日本政府は国際連盟で人種差別撤廃の議論を展開しいわば大向こうをうならせ,当時米国内のブラックの人々をも喜ばせたぐらい国際的なインパクトがあったそうですからね。戦後だってやったっていいんじゃないんですか?米英はレトリック合戦が得意です。米英支配層の持つレトリックを全面的に封じ込めること、および東アジア,全アジア,全アフリカ,南アメリカ,および白人国家の一般市民たちを納得させ感銘を与えること,この二点の要求を満たす総合的なレトリックを世界にぶつけるというレトリック戦略が必要なんです。そのためには米英と日本が取った帝国主義と文明の手法の問題点を抉り出す必要があるんです。満州問題についてのレトリックは,あくまでこの総合的なレトリックの中に位置付けをもたなければならないんです。そうでなければ,日本は整合的な論理を世界に打ち出すことができなくなるのです。論理が混乱・矛盾・破綻してしまうんです。論理上の自殺が発生するんです。


   米英支配層の分断統治策に安直に巻き込まれてはいけないのではないか,というのは傍流の視点であるとして,正面からの問題としては、実は書記長さんの構築するレトリック自体に極めて深刻なつまり,近代文明,近代社会の価値構造のもつ毒素がはらんでいることをルソー的視点は示唆しているのではないか,という点です。それは、「自尊心」というものもつ破壊的効果のことなんです。これはきわめて逆説的な視点ですので,慎重で丁寧な議論が必要になってくるところなんです。メンツと国家の威信で満州撤退などできるわけなかった,と書記長さんかいていらっしゃいますよね。ご自分でも自尊心自体がそうさせた,と示唆されていますよね。
   自尊心の防衛と保全のために,観察力・判断力(論理の混乱・矛盾・破綻)・行動の質の低下(破壊的活動)がおきうる場合が個人でも国家でもありうる、と私自身は考えています。文明を名乗る諸国の破壊活動のエネルギーの源泉の一つがこの「自尊心」という,取り扱いの非常に難しい意識帯であるとみています(毒にも薬にもなるかもしれない。薬の要素は比較するとより少ないと思えるのですが)。ルソーは自尊心の化け物であるフランス人に絶望を覚え,自分が言っていることの意味が彼らに理解されることはないだろう,と諦念していました。

   ルソーが対抗モデルとして参照した国と人々はアメリカ先住民でした。実は,アメリカ先住民については(特に北米大陸北東部)欧州・植民地知識人はその高度に洗練された政治文化(自由・平等民主主義が制度的に整備されており洗練された憲法体制をもっていた)の水準の高さに打たれ憧れ羨望の念すらもっていました(一般人や商人は別です)。16世紀初初頭からの流れとして、トマス=モア,モンテーニュ,モンテスキュー、ジョン=ロック、ルソー、フランクリン,ジェファーソン,トマス=ペイン、ジョン=アダムズ,19世紀のモルガン(文化人類学の始祖)、マルクス,エンゲルス、、、。あげたらきりがないのですが、これらの人々の議論のたたき台あるいは研究対象がすべてアメリカ先住民の洗練された政治文化でした。近年,特に1990年前後から米国などでは新しい理解がすすんでいるのですが「自由・平等・民主主義」という政治思想と原理は西洋で生まれたものではない,という理解なんです。それらは実際、先住民において確立されていたもので、絶対王政に代わるモデルとして、上記のような西洋人に学ばれたものです。ただ,ルソーを含め現地にいったことのない欧州知識人は植民地生まれの欧米知識人とことなり,アメリカ先住民とその洗練された社会体制について、信じがたいような夢物語をみているような感覚で偏見も交え議論していますが(フランクリン,ジェファーソンなどは子供の頃からインデアンの子供と一緒に遊んで育ちましたから,彼らの社会を実物経験していおり,実際彼らはインデアンオタク=IndianBuffsでインデアンのことならならなんでもダーイスキ!といった調子でした)。欧州の中世近世の農業と農民の悲惨で貧しい生産性と生活に対し,北東部アメリカ先住民の農業経営規模の巨大さとその生産性と食べ物の種類や配分の豊かさは輝かしいばかりで、天と地の違いがありました。日本の縄文社会のように女系性ですから,男女平等でありながらも、女性が社会を指導していました。相手への平和への説得の限りをつくしてもどうしても避けられない戦争の場合の開戦決定・戦士の派遣・戦争終結・条約締結(兵士の文民統制の担い手が女性でした)から社会経済・教育まですべて女性が指導していました(現代フェミニズム理論の源流は先住民における女性の社会的地位の高さについての18世紀白人女性である研究者ゲイジやスタントンなどの先住民コミュニティーに住み込んでおこなったフィールドワークにあります。彼女たちは米国憲法内で女性選挙権のための社会運動を担いました)。農作業は女性のみの特権であり(男は農地には足を踏み入れさせてもらえなかったのです)、労力を最もかけず,欧州農法と違い、楽に最大の収穫となる方法を差配していました。欧米男性知識人にはこうした平和と安全と自由・平等・民主主義を謳歌する社会の存在自体があまりに劇的で衝撃的で,信じられないほどでした。トマス=モアの作品での「ユートピア」とは彼らの世界のことで、これを憧れのうちに描いています。ルソーの社会契約説の基礎である「一般意志」(GeneralWill),「人民主権論」は理解が難しいとされていますが、実はまったくそんなことはありません、なぜなら先住民の洗練された政治システム原理のコピーにすぎないからです。ルソーは自尊心と虚栄と対抗心が病理化してドス黒く暴力指向のフランス人欧州人に吐き気を催し彼らを唾棄・呪詛する一方,自尊心やエゴに毒されていない先住民の持つ純良さ,社会的自由と公平さに強烈な憧れをもっていました。彼らをこそ自然状態に帰属し自然法に服しており,人間は本来こうでなければならない(自然人,自然法概念の構築),と考え,欧州支配層(王侯貴族、新興商人)が何かと誇っていた侵略的概念である「文明」とやらを激しく批判し,「自然に戻れ」との主張となったわけです。近代政治の出発点となるアメリカ独立革命が起きる以前1755年から1770年ぐらいにかけてです。アメリカ憲法は先住民の「自由・平等・民主主義」を西洋人的に修正して摂取しました。近代憲法の基礎原理は先住民自身が持っていた憲法の政治原理を基礎としたものです。アメリカではロースクールで,先住民の憲法を世界の憲法典の一つとして比較憲法のデータベースにいれているところがありますし,大学院で米国憲法の雛型としての彼らの憲法との比較憲法学を講じるところがあります。またアメリカの小学校の教科書などでそのことを説明しているものが増えています。(残念ながら日本の学者・知識人の間にはまったく知識が届いていませんが,こうした問題の専門書の翻訳が一冊もないことが原因となっています。日本は旧式の知的枠組み,つまり白人・西洋人が組み立てた歴史のレトリックのなかの議論に終始しています。白人国家はまちがい,日本人は正当で正しいと主張する人々自身が白人の組み立てた歴史の構想「自由・平等・民主主義は」俺たち白人様が作ったんだ、という偽の議論に則って議論しているのですから。)

(ちなみに1000の頭蓋骨の形態をコンピュータで系統分析した結果アメリカ東部の先住民の祖先は縄文人であるというのが西暦2000年時のミシシッピ大学考古学部の最新研究です。彼らのホームページに広報されています。わたしは日本が新しい国つくりの上で参照すべき日本歴史内のモデルは縄文社会と考えています。権力ヒエラルキーが発生した弥生以降,明治近代政治含め吐き気がしますし,未来的にはまったく参考になりません。ブッシュ王はじめ、欧米や近代戦前戦後の日本の男が指導する社会の好戦性にはほとほと、うんざりしています。欧米列強と近代日本の男の指導層の狂気に巻き込まれてかりだされて死んでいった庶民はすべて無駄死ににだったんですよ。男が指導するキリスト教・ユダヤ教・回教徒同士の果てしもない戦争は,もうホントウに勘弁してくださいよ!米国で911以後アフガン戦争に勇気をもって反対した議員はたったの二人,ともに(黒人)女性。アメリカでアフガン戦争に反対し,全米から徹底して眼の仇にされたたった一つの自治体バークレー市の7人の全員が女性議員でした。アメリカで真珠湾攻撃直後、日本開戦に唯一、 一人反対したのも女性議員でした。

さて、ここまでが長くなっちゃいましたね。

書記長さん(そのほかのかたにも)にお尋ねします。

1一般的に、「自尊心」というものが観察力や判断力や行動に質的な限界(劣化や不適切性)を与える場合がある,とお考えですか?
2 客観的にみて、ご自分の中に日本と日本人に対する自尊心がきわめて強く働いている,と観察されますか?
3.もし上記1と2について肯定される場合、客観的にみて、ご自身のものの見方に一定の歪みや混乱が出てきている可能性を肯定されますか?されませんか?どちらでしょう。
4.良い自尊心と悪い自尊心とが仮にあるとするなら,その境界線はどこにあるのでしょう?

  私自身、自分が物を見るとき,判断するとき,行動するとき、自分のもつ自尊心が障害となって自分の人生や仕事の各種の次元で歪みと軋轢が発生していることに非常に苦しみを覚えています。特に物をみる目が曇る,混濁する苦しさです。この苦しさを共有してもらえるでしょうか,それともまったく苦しみを覚えないかたですか?自尊心を超越した場合に見えてくる地平や世界は自尊心を超えられない,自尊心を持つことにまったく苦しみを覚えない世界とまったく異なるものなのではないか,と想像するのですが。いいかえれば,自尊心に脅迫的にからみ取られていてはまったく見えてこない地平。その地平から見える近代日本と日本人、そして西欧列強。これに私は関心を持っています。このパネルで「如往」さんが「(日本人は)歴史を相対化する術を構築するという難問に取り組んでいかねばならず、これこそが学ぶことの本質だと思うのです。(でも、新たな峰の登山を多分固辞するだろう書記長さんとの時間差を埋めるのは難しいかも知れません。)」とおっしゃっていますが、自尊心を克服した地点から歴史を見てみる,というのも歴史を相対化して観察する技術の一つに数え上げても良いのではないか,と思っています。ここで,「書記長さん都の時間差を埋めるのは難しいかも知れません」ということの真意の一つは,自尊心への自己膠着が相対化を邪魔しており、その結果、過去から学ぶという知恵の回収への通路がふさがれてしまう可能性があるという指摘なのかな、とよみました。

書記長さん,気を悪くなさらないでネ!ここは討論・議論というよりダイアログ,気づきの場にしたいとおもっているだけなんです。私自身の限界,不明と無明を探りたいためにみなさんの声を参照させて心に響かせさせてもらっているだけなのです。

 



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