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個と集団 投稿者 ラブ&缶ピース 日時 2002 年 9 月 17 日 07:24:48:

(回答先: Re: 国家同士のプライドは関係ない。人間同士の付き合い方の問題。 投稿者 とある日本人 日時 2002 年 9 月 16 日 15:48:22)

とある日本人さん、はじめまして。貴重なレスありがとうございます。

>あなたが言うように、長年の問題の放置そのものはおそらく謝罪に値するものでしょう。しかしそのような事とは別に、一部の人々が在日外国人参政権を認めろとか言って、金を使って組織ぐるみで買収まがいの事をしたり圧力をかけたりしている事が、いわゆる「善良」な日本人から嫌がられる原因のとなっていると思います。むしろ、帰化する環境が整わないとか言うのなら、なぜ政府に環境整備なりをする方向で働きかけていかないのか、なぜ日本国内で外国人であることやその組織に固執しするのか、なぜ日本の憲法をねじ曲げてまで自分たちの主張を押し通そうとするのか、こう言った「彼ら」の態度が理解できないと言うのが日本人としての一般的な感覚だと思います。

仰ることは理解できます。そういう在日グループがとっている態度についても存じており、憂慮を感じています。
韓国の日本海名称変更問題について書いたように、私は理由をはっきりさせる努力もせず、また相手の立場に立つことも公平な議論をしようともせず感情的で一方的な要求をつきつける態度については批判的です。

第一、お互いにそういう態度をとり続ければ、何も発展することなく硬化した水掛け論が延々と続くことになり、それではいつまでたっても埒が明かないということで、その議論を無理にでも終結させようという段になれば、結局どちらか一方のより強く出られる側が強権を発動したり、攻撃的暴力的な解決を計るしかなくなる恐れが強いということを憂慮するのです。
そうなればその事態(経済的制裁や戦争)によって、その議論に参加していない、中立的で無関係な市民をも巻き込んでしまうことになります。

しかし、ある異質なグループ内の一部の人間の主張や態度を、そのグループに属する又は属していると思われる全ての個人に敷衍してみたり、グループ全体の構成分子が共有している固有の性質のように論じることに対しても、それが庶民的一般的な傾向というものなんだから仕方ない、と言われようがどうしようが批判的です。
ただ、だからこそ、私はそうした個人的な体験や感覚を、一般的な感覚しか持ったことのない読者に、黙ってないで伝えていこうとしているんじゃないかと、このスレッドに書き込みを続ける間、感じるようになってきました。自分にも一般的な感覚に依拠している部分があるのだし、ただ批判しっぱなしで切ってしまうのも、卑怯なんじゃないかと・・・。

私が本当に言いたいことの趣旨は、在日であれ外国人であれ、日本人であれ、「個人」としてのあり方と、「集団、組織」としてのあり方とを分けて考えるべきだというものです。
個人或いは家族などの小グループの中では弱い存在も、集団となればより強い主張を行うことが可能になります。そこに依存してしまえば、個人対個人の交流は絶たれ、集団対集団という構図に嵌りこんでしまい、多くの大切な視点を見失ってしまいます。また、小集団内でのみ通用する論理に流されるため、よりマクロな集合性という視点も見失ってしまいます。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という論理が、より危険な状態を招いてしまうと思っている訳です。
私は様々な在日の方や、外国籍の方と関わったり話したことはありますが(もしかすると、実は皆同じくらい関わったことがあるけれど、たまたま私の外見が外国人だったために在日の人が自分の出自を明かし易かっただけなのかも知れませんが)、彼らの認識は様々なものです。とても頑なに屈折していて疲れるようなものから、非常に示唆に富んでいて、こちらの勉強になるような開かれたもの、更にとても共感するものまで。

在日(2世ですが)の人の中に、同じ在日の人々の多くが持つ、グループとして閉鎖的になりがちなところや、結局韓国朝鮮のもつ同族意識の強さから抜けられない、日本の文化的特性には適応できないような人々がいることを批判し、「日本の文化を受け入れて、別の個性をもった市民として認められようとするのではなく、強制的に連れてこられた恨みを、自分たちの文化や感情を強引に押し通し、日本の文化を内部から食い荒らす寄生虫になることで晴らそうとしているとしか思えない人が多い」というようなことを漏らした人もいました。むしろ、子供の時には人一倍差別され、帰化したくても周りの協力が得にくいこともありなかなかできないような中で、日本を愛し、受け入れられようと努力してきたような人です。在日一世の父母の受けた恐怖や悲しみ怒りは理解できるが、何時までも身内や同じ立場の者同士で固まって篭っていたところで、何も解決しないんじゃないか、自分はハングルはほとんどわからないし、友達も親しんだ文化も殆どが日本のものだから、過去の世界に戻ることはできない、親には自分のような在日2世3世の立場も理解して欲しい、ということも言っていました(私の幼少時の時の立場により近いので、共感もし易い)。
私の中には、一方的な論理で参政権を主張している人の中にも、全体から押しつぶされてしまわない為の精一杯の足掻きとして、また、独自のあり方を認めてもらいながらも市民権を得たいという、切なるアイデンティティの確立に於ける葛藤があるという見方も出来るため、簡単に批判して切って捨てることはできないのですが、それが集団的な暗黙の圧力をその構造の中にいる特定の人々や、更に集団外の、彼らに対して特に色眼鏡で見てもいない人にも向けられているとなると、その位相に対しては徹底的に批判の目を向けた方がいいのではないかという気持ちはあります。
彼女は「日本人と言っても、殆どの人の中に、大戦以前から渡来してきている朝鮮人の血が入っていると聞く。本来、そうした大多数の日本人と自分の立場はそうは変わらない筈なのに、戦争を介したというだけで、在日という宙ぶらりんなレッテルに甘んじなくてはならず、そのため参政権も国家の充分な保護も得られずにいる。かと言って親を裏切ることもできない。とても辛い」と言っていました。
こういう人は、あなたが言ったような、金で参政権を買収するというような一部の在日の人から、日本人から受ける、或は日本人が受ける以上の迷惑を蒙っていて、かえってうまく周りに溶け込んだり、帰化したりする道を阻まれている、ということもできると思います。
また、彼女のような主張なら、日本人の理解をとりつけることもずっと楽だと思うのですが、そのような存在のもつ主張を同じ在日の「集団」が受け付けないため、別の2次的な差別構造が、同じ在日というグループの内部で発生し圧力をかけているという、非常に難しい問題が発生してしまっていると思います。儒教的価値観の孕む世代間断絶の危険性(現在の韓国の中でもそういう問題が起きてきていると聞きます)を示唆しているとも思え、単純な構造で差別を論じることができないということを考えさせられます。そして、改めて戦争はろくでもない遺産ばかり多く残すものだ、いう気持ちにもさせられます。
いずれにせよ、私の出発点は「社会の中では、しばしば個人としての主張は弱いが、集団としての主張となると強い」という事実です。そして、そこから展開したいものは、だから集団を形成するのだ、という方法論に対するアンチテーゼなのです。

私自身も、子供の頃「合いの子」「ガイジン」と呼ばれて虐められていました(今はそんな風に言う人はいません。普通にハーフと言われます)。父は元米軍人で、戦後母と米軍基地で知り合っているということは事実ですが、私より少し上の年齢の人に多かったという私生児や捨て子だった訳ではありません。後にサンダースホーム出身の人や、年齢は上だけど私と同じ立場の人の話を聞いたことがあります。その結果、私の受けた差別や境遇の過酷さなんて、そんな彼らよりずっと軽いものだと思え、甘えてはいられないな、と気持ちがひきしめられました。しかし、私の場合も比較的田舎にある普通の公立小学校に通っていた結果気づかされた、彼らも話さなかった「ある事実」に直面していました。
それは、確かに私を囃し立てたり、虐めたり、露骨な興味本位で絡んできたのは(主に低学年の)子供たちでしたが、「実際に」私を差別していた主体は、子供達ではなく学校やPTAなどの「大人の組織」だったことです。
詳しいことは長くなるので割愛しますが、一つはとても不条理で法的な意味もまったくない種々な理由で(親が大変な出費をして弁護士を立てたお陰でなんとかなったものの)、もう少しで学校への入学資格を取り消されていたという事実、それも当時私は二重国籍でしたが日本国籍をもっていることの証明として、漢字の名前でなくてはならず、そのため実際の父方の戸籍名ではなく、母方の旧姓を使うという条件(2年後にそれは取り消されましたが)を呑むことで、やっと入学式のぎりぎり前になって入学が認められたという事実を聞かされたこと。もう一つは、自分の子供に向かって「あの子、合いの子じゃないの?ああいう子とは、余り関わらない方がいいわよ」という言葉を放っているその子供の母親の言葉を聴いてしまったことと、後で自分の親から聞かされたことですが、私がある日、「この頃、やーい、妾の子って言われていじめられるんだけど、お母さん、メカケって何?」と母親に訊き、普通低学年の子供が自分の思いつきで言うとは思えない、誰がそんなことを教えたのかと思ってショックだったという話を聞いたこと(もしかすると、私が学校で、米国に異母兄がいるという事実を話したことがあり、その子がよく理解できなくてその子の親に尋ねたところ、「ああ、それじゃあ、あの子の母親は妾だったのか」と言われた結果かも知れません。勿論事実ではありませんが)でした。尤も、私の母親も筋金入りの右翼(恐らく親米派の)で、前の投稿で書いたように、平気で差別的なことを言うところがあったので(私は自分の立場もあったので簡単に影響は受けませんでしたが)、却ってそういう構造にピンときやすかったということがあります。
事実、その後学年が上にあがるにつれ、子供たちの間からはそういう差別的な対応は消えてゆき、普通のクラスメイトの1人として受け入れられるようになってきました。普段接している教師や親たちも、慣れてくるにつれ次第にあからさまな警戒や蔑視は示さなくなって来ました。
私は自分の個人的体験を持って過去の謝罪をしろなどと要求する気はありませんが、非常に集団の持つ構造的な怖さというものが身にしみるようになり、組織に自分から入ったり同化したりすることができなくなりました。その反面、個人、人間同士として人と関わることに対しては、とても積極的になってきました。そういう経験から、以前問題になった、オウムの松本智津夫氏の子供達の就学反対運動のニュースを見た時は、血が凍るような感覚すら覚えたものです。


>あなたのこの辺の主張を読んでいると、はっきり言ってしまいますがどうも日本国内おける、文化・人種的な多数派vs同少数派という構図にハマッてしまってるように思えます。

少数派、多数派という構図ではありません。
個か、集団かです(ここで言う集団とは、同一の価値観の共有というコンセンサスを軸に、固定的、不変的であることを前提に形成されている、多くの人間を保有した場のことです。アメーバ的に柔軟に展開していることを自覚している、可変的な場ではありません)。
これもいじめ問題(=差別問題)に関係しますが、私のように目に見えて異質、あるいは在日アジア人のように、理由自体は比較的はっきりしている異質なグループが受けるより、同じ日本人同士の間で起こるいじめ、村八分、無視などの問題は、その差別構造が非常に微妙で外からは見えにくく、それ故私のようにいくら不条理であっても、その理由がはっきり分かるケースに比べ、より深刻であると考えています。それが、異質性に基づいていること自体は変わりないのですが、周りが気がつかないでいるとどこまでもエスカレートする恐れが高く、何を変えれば改善するか分からないため自分側の対処法も分からず、勇気を振り絞って同質性に依拠した他の日本人、例えば親や教師に助けを求めても、「みんなと同じにしていればいいんだ」とか「やられたらやり返せばいいんだ」などの、本人が求めているものとは違う答えが返ってくる結果にもなりやすく、結局「理解」が全く得られないまま、ついには命を絶ってしまうような結果になってしまうこともままあるからです。
無論、在日の人でも、その事実が他の日本人に知られていない状態で起きているいじめなら、日本人同士、同じ国民同士のいじめと同じです。
差別というものが全てただの民族的文化的な問題に始終しているものなら、これ程分かりやすいものはありません。全ては個と集団との間に生じる親和性及び対立性の微妙なバランスの崩れが引き起こしている問題だと思います。

>>私は、何処の国家が相手だろうが、国家のプライドを振りかざす態度をとっている限りは見下し続ける。国家を神様のごとくごたいそうなものとしてあがめ奉るような連中には、めいっぱいの哀れみ=蔑みをくれてやりましょう。
私ってなんてお慈悲深いのかしらん。
お前は何様か、と言うなら、腐ってもタイ、クズでも人間、地球の生命体様だ。と答えてせせら笑ってやりましょう。

>気持ちは多少なりとも察しますが、上記のような「余計な一言」が「テロル的」と言われたりする原因となってると思います。(まあ、ここの読者の皆さんは主張はどうあれ、あなたの感情的な言動は見てみぬふりをしてくれるとはおもいますが。)

これは、以前の投稿にも書きましたが、私が誤解される原因を自ら招く、悪いクセからきた書きなぐりです。
自分が真剣な気持ちになって書いていると、いろいろな過去を思い出したりしてとても気が重く、悲しくなってきて疲れてしまうことがあります。そんなとき、とっさにそういう重さや湿っぽさが読者に伝わることを恐れて、衝動的に軽く、偽悪的でおちゃらけたような文章を書いてごまかしてしまうことがあります。以前も別の掲示板でそれをやって「一気にシラけた」と言われたことがありましたが、今回もついやってしまいました(今回は最初からそういう斜に構えたモードで議論をはじめてしまったこともあります)。
照れ隠しとか、余計な気遣いとかそういう類の衝動だと思いますが、子供の頃泣き顔が見られたくなくてピエロで3枚目な行動をとっていた頃の名残りだと思います(よく、本当に泣いているのに恥ずかしく思って「ばあ、嘘泣きだびょ〜ん!」とか言ってごまかし、却って殴られたりしていました)。しかし、自分が誤解を受けて後悔するだけでなく、真剣に読んで下さっている方には却って失礼なことになってしまいますね。これからは気をつけます。
(また、普段口ではあまりどぎついことや露骨に破壊的なことは人に言えないので、テロル的、ゲリラ的な言葉や態度に憧れているところもあるかも知れません。昔、本当は気のいい人なんだけどすごい毒舌家で、男性が相手でもバッサバッサ切り付ける女性の友人がいて、すごくかっこよく映っていたことがあるものですから・・・。これも自分の本来の個性から来るものではない以上、文脈や相手によっては勘違い甚だしいことになってしまうのは分かってはいるのですが)。


>自分は日本が好きなんで上記の発言に関して一言言わせてもらうと、結局あなたの主張の延長線上でいくと、日本という国が国として将来存在するにはいわゆる「多民族国家」となるしか道がないように思えます。

これは恐らくあなたの誤解だと思います。私は日本がいわゆる他民族国家になるのが理想だと思ったことは一度もありません。まして、言語や文化や伝統を破壊する侵略を受けることを良しとするような発想は全くありません。
ただ、そもそも日本を単一民族国家だとは思っていないので、そういった幻想を根拠に同質社会という理想を主張する人に対して違和感を感じることはありますが。もし、理想があるとしたら、それぞれの国のもっている文化や言語や伝統を尊重しつつ、様々な国の人間同士がもっと歩み寄り、理解し会えって互いの発展を支え合えるような社会でしょう。

また、私は「日本が嫌い」だとは一言も言っていないと思います。私は日本という国土も、文化伝統も、日本人も、日本語も大好きです。一時アメリカに滞在し、永住を薦められましたが、理屈じゃなく自分は絶対日本の方が水が合うと思ったので、二重国籍のうち米国籍の方を返上して、日本に帰ってきたのです。夫も日本生まれの日本人です。
しかし、あるテーマに於ける議論のなかでは、日本と外国、どちらにより味方しなければならないという感覚もありません。何かの主張の味方をしろと言われれば、主張がよりバランスがとれていると思われる方の味方をするでしょう。ただ、無機的で血の通わない「国家という概念」や、一方的一元的に人を管理、誘導しようとする「権力、権力組織」などは、日本におけるそれであろうとなかろうと好きなものではありません。また、自分自身はあまり集団、組織に同化することはできませんが、そういったものに普通程度に同化しているくらいの人間なら好きな人間は沢山います。しかし、宗教の教祖や国家や権力者を神の如く崇め奉っていて、印籠を振りかざして「控えあろう〜」なんていう連中とは係わり合いになりたくありません。

>そしてその国家が国民の正常な利益代表として存在し、かつ多くの文化・人種を上手く束ねていく為に「愛国心」という現在あまり前面に出ない「プライド」もある程度必要だと思っています。このより大きな枠組みで「国家」や「愛国心」を捉えてみれば、あなたもこの国の一員として韓国人的な反日一辺倒の意見でもなく、また右翼的な古い「愛国心」でもない新たな国の創造について考える事ができるのではないでしょうか。

私のスタンスは上に記した通りですので、くどくは言いませんが、つまり、あなたの仰っていることと全く同じ意見です。以前に書いたものに、誤解を招くような物言いがあったことは私のミスですが、あなたの意見に心から賛同します。


この項の総まとめとして最後に述べますが、私が主張したかったことは、理屈の根拠を一般的庶民、帰属する集団組織(親子、家族の情なども含む)、いわゆる世間などという相対的で曖昧なレベルに漫然と委ねてお茶を濁すのでなく、常にあらゆる意味での「個」と「個」の関係というものをベースに据えて考えるのでなければ、全体を俯瞰することもできずただの現状肯定に終わり、自由や人間性といったものを発展させる基礎も築かれないのではないかということです。世間体やしきたりや漫然とした同質的仲間意識に寄りかからないというのは、社会に適応できなくなるということではなりません。それは、失敗を実感することも多いでしょうし、決して楽なことではないけれど、個人としては充分な手ごたえをもった楽しい生き方、それが広がれば、より明るく生き生きとした国及び国際社会の発展には繋がり得ると思っています。

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