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認識と真理 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 08 日 16:44:11:

(回答先: やっぱり話が噛合わんわな。 投稿者 ボケ仙人 日時 2002 年 11 月 08 日 15:41:10)

ボケ仙人さん、お久しぶりです。

投稿をいつも興味深く拝読させてもらっております。
レスしようかなと思うときもありますが、深みにはまる危惧を感じるので止めております(笑)


>また、我々から見える世界そのままがこの世界の実体と思うとると、幻想じゃぞ。

幻想という言葉が的確かどうかは別として、実体と思うのは錯誤だと考えています。


>それを自分の知識、常識の範囲で、しかも机上の判断していては何も掴めんじゃろう
>て。ワシは物質的な真理の追究が科学とし、精神的な真理の探究が宗教だとしても良
>いと思っとるが、いずれも分析し、仮説を立てて実行することを繰り返しながら真理
>に近付かねば何も得られんと思うぞ。

ボケ仙人さんが、ギリシャ哲学と同じように、「物質的な真理」と「精神的な真理」という区分を立てているのが解せません。

(「霊界、神界、人の霊・体の二重構造性を認めざるを得んことが分るはずじゃ。逆に言えば今の科学が、それを前提としたら、すぐ統合できるじゃろな」ということも述べられているので、そのような区分に拘泥されているわけではないとは受け止めていますが、そうであれば、そのような区分をなにがしの説明をもって厳しく否定されることを期待します)

私は、宗教的表現を使うと「有即無」や「凡我一如」に近い「存在=認識」という考えをしているので、「物質的な真理」と「精神的な真理」を切り離すことはできないと考えています。

さらに言えば、“真理”については、それが存在するのか、それを問うことに意味があるのかという問題を設定します。

私は、存在=認識というレベルでの真理はないという考えを持っています。
不可知論というわけではありませんが、認識内容について、真理を問う意味はないし、真理は必要でもないと思っています。
真理だと観念することには意味があるとは思っています。

理論や観念は、ある目的を実現するために有効でより効率的なものかどうかが問題であり、真理性を問う必要はないということです。

科学や宗教は認識対象の説明体系であり、どれだけ実証的であろうとも、どれだけ信仰されるものであろうとも、真理性とは無関係です。

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