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【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済における余剰資本と余剰通貨 《年金問題の本質は“高齢化”にあらず》 〈その11〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 27 日 20:51:36:

『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』から『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:国民経済と財政 《ケインズ乗数理論と公共事業》〈その10〉』に続くものです。


1)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html )から、〈その7〉までがレスのかたちでぶら下がっています。

2)『【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」における金利と物価の変動 〈その8〉 前半部』( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/108.html )から、残りがレスとしてぶら下がっています。

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■ 国民経済における余剰資本と余剰通貨

“余剰資本”と“余剰通貨”という概念は、一般的にイメージされている過剰とか余分のといった意味ではなく、次のようなものとして使用する。

“余剰資本”:労働成果財生産の資本活動に従事しない国民のために活動している資本

“余剰通貨”;資本化されない、すなわち、勤労者を含む財の購入に向けられないまま滞留している通貨(例えば、株式市場にずっと居続ける通貨)


“余剰資本”がどういうものを説明するために、「高齢化社会」の到来で危機が叫ばれている公的年金制度を取り上げる。


● 公的年金制度の経済的意味

公的年金制度の保険料については、将来の反対給付を約束した“特定目的税”と考えることもできるが、経済論理として公的年金制度を説明すると、資本活動に従事している人が活動成果の一部を権利者に移譲することで、将来において、資本活動に従事する人の活動成果の一部を受領できる権利が得られるシステムである。

(企業年金は考慮外である。現在の資本活動の一部移譲については基礎的移譲(基礎部分)と移譲の大きさが諸個人によって異なる部分(報酬比例部分)があり、報酬比例部分の大きさによって将来受領できる権利の大きさが規定されている。実際の制度は、賦課方式と積立方式が混在しているが、基金として積み立てられた通貨も預貯金と同じように“使われてしまっている”のだから、すべてが賦課方式で運営されていると考えることができる。本当の積立であれば、ここ数年の分は別として、インフレによって実質価値は大幅に劣化している。価値が劣化しなかったのは、その通貨が資本化され使われ続けたからである)


現実の公的年金制度には、公務員共済年金など資本活動そのものに関わっていない人も加わっているが、その原資は、俸給を媒介にしているとは言え、資本活動を担っている経済主体(従事者を含む)から徴税したものであることから上記の説明に包含される。

公務員については、資本の活動やそれに従事する人たちの生活が円滑に運ばれるための活動に従事することで、経済主体から、現在でも活動成果の一部を移譲されるのみならず、将来においても活動成果の一部が移譲されると説明することができる。
(資本活動従事者の給与は経済主体から支払われるものなので経済主体に含めることができる)

この論理で言えば、公的年金制度は、経済主体の資本活動の一部を権利者に移譲することで、その活動に従事していた人たちが、ある年齢に達することで、経済主体の資本活動の一部を受領できるシステムということになる。

公的年金制度が現象的に保険料負担と年金受給という見知らぬ者たちの間の通貨移転に見えるからといって、その次元にこだわったまま問題を眺めると、利息や金融資産取引と同じように、制度が意味している経済的本質が見えない。

資本化されない通貨は基本的にないことや、資本化されない通貨は転化されるべき「労働価値」が伴っていないために実質価値を持っていないということから、現象的には誰かがある条件で負担しているとしても、経済論理的には、労働成果財を生産する資本活動を部分的に移転することになる。

何度も繰り返し説明していることだが、ペーパーマネーである通貨が経済的な価値を付与されるためには、それが労働成果財の生産において資本化され「労働価値」の転化過程を通らなければならない。(金本位制の通貨も同じである)
労働成果財の資本活動を通じて価値を付与された通貨が利息や税金として銀行や政府部門に移転していくからこそ、それらに従事している人々が給与として得る通貨も価値を持つのである。
(「労働価値」の洗礼を受けない通貨が大量にうごめくと、バブルの形成・崩壊という経済事象が起きたり、ハイパーインフレが発生する)

このような意味で、年金保険料のみならず税金を含む公的負担は、迂回的で異なる経済主体や個人が負担する部分があるとしても、労働成果財の生産を行う資本の活動成果が移転されたものであり、そうでなければそれらのために移転する通貨は実質価値を持たないものになってしまう。

抽象的で回りくどい説明をしてきたのは、公的年金問題が、巷間言われているような負担者と受益者の比率を規定する人口構成変動(高齢化)によって起きるわけではなく、日本の資本活動力すなわち日本経済そのものに関わることであることを説明するための前提になるからである。


● 公的年金制度の破綻は日本経済の破綻

公的年金問題は、“高齢化社会”という人口構成変動に起因するのではなく、労働成果財を生産する資本の活動力そのものの問題だから、公的年金制度の破綻は、日本という国民経済そのものの破綻を意味する。
穏やかに言えば、公的年金制度の給付条件切り下げは、国民経済すなわち経済主体の活動力低落をもたらす。

日本には、“高齢化問題”だけではなく、人口の減少という問題も間近に控えている。
出生率の低下により、日本の人口は、2010年前には減少し始めると予測されている。
これは、一人当たりの生活費(消費額)が年間100万円だとすると、10万人減少することで需要が1千億円減少する可能性を示唆している。
幸いなことに存在しない国民の生活を国家が保障する必要はないから、政府支出でこの需要減少を補填することはない。
1千億円の需要減少は、それに相当する輸出増加がない限り、1千億円の供給減少に至る。
人口減少は、資本化される通貨が減少することであるとともに、資本は増加を続けなければならないという“資本の論理”に反する経済状況がだらだらと持続することを意味する。

だからといって、この問題は、日本も欧米諸国が採っているような移民政策を採用し、人口を増やしていけば乗り切れるというわけではない。

通貨を大量に持っている移民のみで人口が増えるのであれば、居座り続ける外国人観光客が増えたという話になるから国民経済の需要は増加するが、日本で就業しなければすぐに通貨が底を突くという人たちの移住で人口が増えるのであれば、就業機会を与えない限り、政府が社会保障を通じて面倒を見なければならなくなる。
就業したくないと考えられている職種があるとしても、完全失業率が5.4%(350万人の失業者)に達し、潜在失業率は10%とも言われている日本が、政治(人道)的配慮ではなく、経済的思惑で移民を受け入れる必要はない。

3Kなどと言われ就業したくないと思われている職種は、外国人に依存するのではなく、必要な数が就業したくなる水準まで給与額を引き上げるべきである。
日本は、近代産業が達成した飛躍的「労働価値」上昇の成果を近代産業が独り占めにするのではなく、通貨政策と政治的政策を通じて広く国民に分配することで、購買力平価ベースは一般先進国並みであるとしても、一人当たりで3万8千ドルという世界最高水準の所得水準を達成した。
政治的政策の代表が“米価政策”である。これにより、農家と都市勤労者の所得格差を縮めるのみならず、化学工業や農機具メーカーなどの資本増加を実現した。
好まれない職種は、外国人の不法就労ではなく、所得分配政策による賃金水準を引き上げることで解決すべきである。


公的年金問題に戻ると、現在の年金支給額は年間35兆円ほどである。
これからは受給者が増加することから一人当たりの給付額が減少するにしても、支給年金総額そのものは増加していく。そして、現在の統治者の志向を考えれば、それに対応して、年金負担者(経済主体)の保険料負担率が上昇するため、彼らの可処分所得や利益が減少していくはずである。

「就業者総実収入+年金受給者総実収入」が減少していけば、人口減少と同じように、それを補うほどの輸出増加がない限り、国民経済の総需要は減少していくことになる。

例えば、就業者実収入総和:220兆円と年金給付額総和:35兆円を加算した255兆円が、就業者実収入総和:190兆円と年金給付額総和:55兆円で245兆円になれば、国民経済の総需要は10兆円の減少になる。

説明するまでもないだろうが、ケインズも語っているように、10兆円の需要が減少した状況をそのまま放置すれば、近いうちに供給も10兆円減少することになる。
セイのように、供給が10兆円減少すれば、需要も10兆円減少すると言い換えても基本は同じである。
これは、需要と供給は、一方の減少によりスパイラル的に減少していくことを意味し、事象的には失業者や未就業者が増加していく。
このような経済事象は、国内需要の減少に相当する輸出(国外需要)の増加が実現されたときのみ防止できる。


余剰通貨という資本化されずに眠っている通貨がないという前提であれば、このような需要の減少を補えるのは政府部門だけで、しかも、中央銀行からの直接借り入れで政府支出を増加させなければならないというとんでもない結論に到達する。

しかし、これは、価値が付与されない通貨の増加を意味し、禁断の借り入れにいったん手を染めると財政秩序は弛緩してしまうものだから、インフレ率の高騰を招くことになる。
(余剰通貨が存在し、政府の中央銀行からの直接借り入れがそれと同等であれば、中央銀行からの借り入れを原因としたインフレは生じない。但し、余剰通貨が資本化されるとインフレが昂進することになる)

政府支出を増税で増加させたとしても、経済主体(現役世代)から通貨をより多く政府部門に納めさせることだから、通貨が向かう財の種類が変わるだけで、需要そのものが増加するわけではない。
徴税しなければ預金や債券に向けられる通貨も、正常なら迂回的であっても需要になるものである。
増税分をすべて支出に回したとしても、せいぜい、株式市場に留まるはずだった分がプラスになる程度である。

政府が支出増加を“正規”の借り入れに頼る場合でも、銀行や生保など余剰通貨を保有する経済主体が国債の引き受けをしなくても国内で運用できる経済状況にあり、国債発行でそれを横取りしたものであれば、国民経済の需要は、政府支出が増加したからと言っても増加するわけではない。

(80年代後半のようにバブル形成のために使われた通貨の徴税やそのために貸し出しされたものの横取りであれば有効だが、正常な国民経済であれば、他の経済主体が使うはずの通貨を政府が使うというだけであって総需要が増加するわけではない)

国内ではなく国外で運用している通貨を国債引き受けに転換させた場合は、国民経済の需要増加に資するが、国外で通貨を運用することが日本の輸出を支えているのなら、それが減少することで財の輸出(需要)が減少する可能性がある。(他の国民経済の輸出が減るだけの場合もある)
国外で運用されている通貨が国外の株式市場で滞留しているものであれば、輸出(需要)減少に与える影響は軽微である。


こうやって考えていけば、近々国民経済で使われる予定のない通貨を政府が徴税するか借り入れしない限り、国民経済レベルの需要を確実に増加させることができないことがわかる。
近々国民経済で使われる予定のない通貨と問えば、大事にタンスにしまい込まれている通貨か、株式市場に滞留している(張り付いている)通貨か、外部国民経済に存在している通貨(非日本円)と言うことになる。
(輸出は、借り入れではなく、財取引による外部国民経済からの通貨流入である)

タンス預金がどれだけあるかわからないが、事情があるのなら、それが徴税されたり国債購入に向かうことはない。(捕捉対象にしない無記名の割引国債で誘うしかない)

また、日本が外国からの通貨流入を多く期待することはできない。
なぜなら、それなりの量の通貨を外国で運用できるのは、個々の経済主体は別として、国民経済レベルで見れば極めて限られた数しかなく、その代表が、これまでのそして現在の日本だからである。

(外国の公的部門は外貨蓄蔵手段として日本国債を購入する程度であり、日本の経常収支の大きさから見てその規模は知れている。日本以外の国民経済のほとんどが通貨不足である。だからこそ、日本国債の外国人保有率が5%程度なのである。もちろん、「国債サイクル」を確実なものにするという財務当局の意向が基本要因なのだが...)

欧米先進諸国は、経常収支が赤字もしくはすれすれで黒字という国民経済がほとんどである。
中国の外貨準備が増加し続けていると言っても、積極的に外資を誘致していることや厖大な失業者(8千万人とも言われる)がいることでわかるように、通貨に余裕があるわけではなく、根源的には通貨不足である。
(外貨準備は、国際収支でもいいが経常収支の黒字で貯まった外貨を米国債などに変えて蓄蔵しているだけで、それに対応する自国通貨は国民経済で既に支払われている)

このようなことから、対外投資の引き揚げによる輸出減少やハイパーインフレを起こさずに日本の需要不足を借り入れによる政府支出で補うためには、それこそ、アラブのオイルマネーに国債を持続的に購入してもらうか、国民が保有しているゴールドバーを外国で売却してもらって、それで得た通貨で超長期の国債を買ってもらうしかないことになる。
(国内で金を売却したのなら、ゴールドバーの保有者と預金等の保有者が入れ替わっただけになるので意味がない。株式を外国人投資家に売却するかたちでもいいが、度が過ぎると、経済主体の支配権を失いより酷い経済状況になる可能性もある)


ごちゃごちゃと書いてきたのは、公的年金問題(及び人口減少問題)が、年金支給条件の切り下げや年金保険料の単純な負担増という次元では対応できないことを明らかにしたかったからである。
(もう一つ、米国が如何に巧妙に自国経済の需要不足=供給不足を補ってきたかを説明したかったからでもある)


● 公的年金問題は“余剰資本”の問題

公的年金問題は、国民経済の在り方すなわち国家の在り方そのものに関わるものであり、経済論理的に言えば、労働成果財を生産する余剰資本をどう考えるかということである。そして、余剰資本の取り扱いを誤ると、国民経済そのものが低落していくことになる。

経済学の究極のテーマは、余剰資本=余剰労働問題だと考えている。

“余剰”というのは、過剰で有効に使われなていない余ったものという意味ではなく、労働成果財の資本活動に携わっていない国民のために行う資本活動という意味である。

別の表現で言えば、生産活動に関わっていない国民にどういう方法で財=通貨を供給するかということである。

(余った資本というものは基本的に存在しない。なぜなら、一時的に過剰になることであり得るとしても、そういう資本は倒産や解雇そして設備の廃棄や売却で消滅していき、資本化されない通貨は銀行などで使われないままか借換債のかたちでしまい込まれるからである)

現状の日本で、資本の生産活動に関わっていない人にどうやって財=通貨が供給されているかを簡単に見てみる。

商業経済主体は、財の販売活動を行うことで財に転化されている価値の一部を受領して、再資本化(給与の支払いを含む)を行っている。

俗に言われるサービス業経済主体は、迂回的であっても、自己の活動力を労働成果財の経済主体やそれへの就業者に提供することで再資本化を行っている。

銀行など非労働成果財経済主体は、迂回的であっても、労働成果財の経済主体や就業者が支払う利息や金融資産取引の収益と手数料収入を得ることで再資本化を行っている。
(返済することになっているが、銀行には優先株の購入というかたちで政府支出も行われた)

公務員は、国家や国民生活を円滑に維持するために必要という国民的了解のもとで、徴税を通じた給与の支払いで賄われている。

国民経済にとって活動力=労働力の再生産は必要不可欠だから、子供たちの活動力成育過程は、家計収入(所得税扶養控除や企業の家族手当など)と政府支出(児童手当や学校教育など)で賄われている。

生来的な要因や病気や怪我で活動力が阻害された人々には、公的生活扶助を通じて通貨=財が給付される。

そして、公的年金制度は、年齢によりリタイアした人々に通貨=財を供給する手段であり、現役時代に移譲した通貨=労働により得た権利で、死ぬまで通貨=財を手に入れることができるはずのものである。

また、国民に対してではないが、国民経済に存在するもう一つの余剰資本は輸出(貿易収支黒字)であるが、それは通貨の流入(外貨→日本円)で補われている。

国民経済として労働成果財の資本活動に従事する人が不足しているのなら、たとえ70歳になっても働ける人には働いてもらうしかない。

しかし、通貨が資本化されないまま大量に“退蔵”(=余剰通貨)されていたり、労働成果財の資本活動に従事したいと望みながら失業している数が350万人にも達していたり、財の輸出が輸入を大幅に超過している国民経済であるのなら、合理的な政策を採ることで、公的年金制度はきちんと維持することができるのである。

逆に、合理的な政策を採らなければ、公的年金制度がおかしくなるだけではなく、国民経済そのものがおかしくなる。

とりあえずの暫定的な結論でしかないが、税制など現在の公的規定要素が変わらないことを前提にして、国民経済と公的年金制度を共に持続させるためには、「就業希望者ができるだけ就業できるようにし、それでもなお定まっている額の公的年金の給付に支障が出るのなら、経済主体及び就業者が負担する年金保険料を引き上げると同時にそれと同額の給与引き上げを実施する。そして、コスト増が及ぼす財の価格上昇をできるだけ抑えるために、技術力を駆使して「労働価値」を上昇させていく」という方法を採らなければならない。

人口減少で総需要が減少し、見合うだけ輸出が増加しないのであれば、現役世代の給与にその分をさらに加算しなければならない。

このような賃金政策を実施する経済主体は、「労働価値」を上昇させる余地が高い近代的産業と金融関連だけでかまわない。


(年金受給者とりわけ就業している年金受給者に対する課税方法など見直すべき政策課題もある)

簡単に言えば、国民経済を最低でも維持するためには、人口構成が変化したからと言って、年金給付条件を切り下げるのではなく、現役世代が保険料負担を多く負担すると同時にそれに相当する給与の増額を受け、国民経済総和での可処分所得が変わらないようにしなければならないのである。
そのために一時的に資本=通貨が足りないという経済主体には、政府が主導してそのための貸し出しを実現させなければならない。

余剰通貨が大量に存在し、外国の株式市場にまで投資したり、日銀の当座預金口座に積み上げたり、借換債のかたちにするために先を争っている日本であれば絶対に可能な政策である。
逆に、資本化されない通貨が増加すればするほど、国民経済は沈滞することになる。


とんでもない!そんなことをしたら、経済主体の利益が減少したり、国際競争力が低下したり、企業が海外に逃げてしまうという反論が予測されるが、残念ながら、それらを全面的に否定することはできない。おそらくというより、間違いなくそのような悪影響が生ずる。
これには、財務省キャリアの「どんな苦境にも耐えて見せる、という国民一丸となった対応をしたいものです」という言を借りる。しかし、笑顔で語るが、それほどの苦境が生じるわけではない。

合理的な政策を採らなかった場合に生ずる総需要の減少が及ぼす日本経済をシミュレートしてみれば、そうしないときよりも、国民経済がもっと酷い状況になることがわかるはずである。

このシリーズの財政に関する書き込みで説明したことだが、税などの公的負担は、究極的には経済主体が負担しているのである。

同額の公的負担であるとしても、売上も利益も増加しない(減少している)のに増税される経済主体や収入が増加しないのに増税される勤労者という状況と、コストアップ=供給増だがそれに連れて需要が増加し、増税はないという状況のどちらが、国民経済の活力につながるかを考えればわかる。(増税はないが税の増収はある)

ある年齢に達した非就業者で通貨を保有していない国民はどうなろうと知ったことではないという国民合意が得られない限り、年金給付ではなくても社会保障費総額が増加し、それを増税もしくは政府借り入れ(増税の先送り)で賄うしかない。
通貨を持たない老人を切り捨てるという国民合意が得られたとしても、そのような人たちが従来的水準で必要な財=通貨を賄わず、輸出も増加しなければ、その分だけ確実に国民経済の総需要は減少していくことになる。

供給=需要というセイの法則は、輸出の増加がない限り、国民経済が逃れられることができない宿命である。
国民経済の総供給とは、諸経済主体が財を購入したり給与として支払った通貨額であり、国民経済の総需要とは、まさにその通貨額である。
輸出の増加がない限り、国民経済内には、総供給の増加以上に、経済主体が生産した財に向かう総需要が増加することはないのである。
(輸出は財の量が減る一方で需要は減らないことで財の国内価格上昇をもたらす。少ない財の量で同じ需要を得ることから、需要増と同じ経済的意味を持つ)

そのような需要増加があたかも存在するように見えるとしたら、価値が付与されていない通貨や株式市場などで眠っていた通貨が財の購入に向かったときである。眠っていた通貨は一時的なもので終わり、価値が付与されていない通貨の増加は、インフレを誘発する。
そして、需要が減少すれば、それが供給の減少につながり、そしてさらなる需要の減少という悪循環に陥る。

貨幣経済における総供給とは、断じて、財の総量ではない。財の量は変わらなくても、供給は増加し、その分需要も増加する。もちろん、経済事象的には、物価の上昇という姿になる。

ここ10年とりわけ中高年の失業が増加したここ5年で、貯蓄を取り崩したために通貨をそれほど保有していない中高年が増加しているはずである。
これに追い打ちをかけるかたちで実施される公的年金の給付条件切り下げが、国民経済の需要を大きく減少させることは間違いない。


消費税を公的年金の目的税とするというアイデアもあるが、消費税の税率アップで補うかたちにしても、経済主体が公的年金を負担することには何ら変わりがないのである。
ダイレクトに経済主体が負担するのか、形式的に他者が負担しその代わりに自己の売上(収入)や利益を減らすのかの違いでしかない。

EU諸国の付加価値税は20%ほどになっているが、それが国民経済に与えている悪影響は計り知れない。(食糧などが0%課税になっていることや内税であることは消費税よりも好ましいが...)
寡占・ブランド力・政府調達などで価格競争力がある財を生産している経済主体は、付加価値税をコスト化することなく素直な税として需要者から得ることができるが、そうではない経済主体は、需要者から得た税にコスト増=利益減を上乗せしたかたちで政府に支払うことになる。(端的には、利益を減らすかたちで価格設定をせざるを得なくなるということ)
これは可処分所得の実質減少のしわ寄せが、価格競争力のない経済主体に向かっていることを意味する。そして、その因果で、伝統企業もじりじりと売上と利益を減少させていくことになる。
このような条件下では、伝統企業がなんとか生き残る一方で、起業家による創業は困難になり、国民経済に活力が生まれてこないのは道理である。


経済活動を自立的完結的に担っている経済主体は、国民経済=国家の負担を他者に押しつけようとしても、必ず自己に負担が戻ってくる存在であり、誰も負担しないことや負担を減らすことを選択しても、総需要の減少というトガを受けるという存在なのである。


現役世代の就業者が増加し、公的負担増になっても個々の就業者の可処分所得が変わらないか増加し、年金世代も給付水準が維持されるのであれば、経済主体は、給与アップによるコスト増加を財の価格にわずかながら転化させて販売量を確保できるので、利益は少々減少するがそれほど酷い落ち込みではない。
(こういう政策を採らなかった場合は、財の販売量も価格も下落し、利益が出る経済主体は稀という経済状況に陥る。経済主体が資本化している生産設備のウエイトが大きいからである)

中央銀行からの直接借り入れで政府支出を増加させるのではなく、資本活動=供給の増加による通貨量の増加であれば、資本活動によって制御されているのでハイパーインフレは起きない。

何より大きな効果は、死ぬ時期は不確定というなかで“老後の不安”にさいなまれている人たちが、貯蓄ではなく消費活動に励むことである。
(彼らは余裕の時間をたっぷり持っているのだから、貯蓄を少しずつ取り崩して消費活動にいそしむことになれば、需要拡大効果は大きい。願わくば、海外旅行は程々で、国内旅行にいそしんで欲しいが...)

輸出競争力に関しては、競争関係にある国民経済との相対的な財価格関係になるが、財の価格が上昇すれば為替レートは、それに連れ、自国通貨安の方向に動く。
そして、10兆円を超える規模の経常収支黒字を維持し続ける必要はないから、一時的に国際競争力が低下しても、経常収支黒字が減少していくことで自国通貨安傾向に振れることから相殺される可能性もある。

輸出競争力は、レート変動という小手先よりも、「労働価値」の上昇で高めなければならないものである。
「労働価値」の上昇は物価抑制機能を持っているが、これは、そのまま給与上昇余地を生み出していることを意味する。「労働価値」を上昇させて、それと同等に給与を上昇させれば、競争関係にある国民経済の通貨政策にもよるが、外国為替レートが高くなることもない。
「労働価値」の上昇こそが、様々な政策の自由度を保証するものである。

日本には蓄積された高い生産技術と製品開発力があり、それをさらに高めるための現在的な技術開発活動力もある。
需要が減少していけばそれを活かせる条件が減少するが、需要が維持されるなら、それを「労働価値」上昇に活かすことができるのである。

このような政策の実施を嫌って、地理的に密集しているという好条件で一人当たりの所得水準が世界最高そして平均的教育レベルも高く勤勉でもあるという日本から逃げ出す経済主体は、経済論理を知らない愚かな経営者を抱えているということである。
逃げ出す経済主体があるとしても、ことさら不買運動をしなくとも、根拠地が日本であることを選択することになる。

日本がこのような絶好の経済条件を維持できるのは、ぎりぎりで今後3年ほどだと予測している。
「デフレ不況」による経済主体の資本減少がさらに進み、製造拠点の海外移転が進むことで貿易収支が赤字に転落すれば、日本が「遅れて到達した先進国」であることから、欧米諸国以上の経済的ダメージを被ることになる。

日本国が政策を転換できるために残された時間はきわめて限られていると考えている。


もう一つ付け加えると、“高齢化社会”という人口構成の変動は、日本だけが抱えている問題ではなく、出生率低下が共通現象である先進諸国すべてが、差異はあるとしても共通して抱えている問題である。

[2020年時点の65歳以上人口比]

 日本:27.8%
  独:22.5%
  仏:20.5%
 英国:20.2%
 米国:16.3%
-----------------------
先進国:19.3%
-----------------------
 中国:11.5%


失業率という視点で言えば、現時点では日本・英国・米国が同等の水準で、ドイツとフランスは10%水準である。

米国は、65歳以上の人口比率が低いとはいえ、経常収支の赤字と政府債務は図抜けて大きい。経常収支の赤字が資本収支の黒字で穴埋めされなければ、その分、供給=需要は減少し、失業率も上昇していくという構造になっている。

先進諸国は、共通のテーマとして人口構成変動問題に合理的に対応しなければならない状況なのである。
明確に言えるのは、この問題に合理的に対応した国民経済のみが持続的な活動力を確保できるということである。

国民の平均的所得水準=生活水準を切り下げる国民経済は、経済的活動力が低落し、そこを根拠とする経済主体も衰退していくことになる。


※ 最近「世界の工場」となりつつある中国をどう調整していくかという問題があるが、基本的には、人民元の変動相場制への移行で調整すべきだと考えている。


暫定としたように、これがベストな政策と考えているわけではないが、税制など現在の公的規定要素が変わらないことを前提にすれば、現在政府が志向している「現役世代負担増+年金世代給付減」政策よりも、国民経済と国民生活の両方が安定的で活力あるものになる。


税制など現在の公的規定要素が変わることを考慮した政策は、このシリーズのまとめとして後日書くつもりである。


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