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花のお江戸の市場経済システム 投稿者 てんさい(い) 日時 2002 年 7 月 28 日 01:10:06:

________Japan On the Globe(251) 国際派日本人養成講座_______
_/_/
_/ 国柄探訪: 花のお江戸の市場経済システム
_/_/
_/ _/_/_/  日本人のDNAには過去400年以上にわたる
_/ _/_/ 市場経済システムの経験が組み込まれている。
_______H14.07.28_____38,902 Copies_____519,334 Views________


■1.日本人のDNAに組み込まれた市場経済システム■

 アメリカがまだ植民地であった時代から、わが国には固
有の先進的な市場経済システムが存在し、世界に類を見な
い百万都市江戸を成立させていた・・・

 日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済
システムの経験が、しっかりと組み込まれている・・・

 鈴木浩三氏の「資本主義は江戸で生まれた」[1]は、我々の
祖先が、江戸時代にいかに高度な市場経済システムを作り上げ、
その上でたくましい経済活動を展開していたかを、活写してい
る。今回は、この本を頼りに、我々自身に潜むDNAを思い出
してみよう。そこに日本経済の再生のための重要なヒントが見
つかるだろう。

■2.天下普請のケインズ政策■

 天正18(1590)年、三河や駿河を本拠地としていた徳川家康
は、秀吉の命令で関東に移り、江戸に居を構えた。当時の江戸
は、海岸沿いは葦原ばかり、東は荒涼とした武蔵野に続くさび
しい土地だった。

 家康は関ヶ原の戦いで天下をとると、全国の大名に命じて、
江戸城の城郭築造工事、江戸市街地や水路網建設に当たらせた。
このように天下人が諸大名に命じて土木・建設工事をさせるの
を「天下普請」と言う。これは戦時の軍役と同じ扱いで、必要
な資金・人員のいっさいを大名の石高に応じて供出させ、工
事・役務を行わせるものだった。

 数年に一度命ぜられる天下普請は、大名達に巨額の財政支出
を強いた。それは幕府から見れば、敵対する可能性のある諸大
名の経済力をあらかじめ削いでおくという防衛的な目的があっ
たが、同時に、軍備にあてられるかもしれない経済力を、平和
な「公共工事」に向けるという意味もあった。

 また天下普請の間は大名は多くの家臣ととも江戸に滞在した。
そのための大名屋敷、武家屋敷群が建設されていった。これら
の建設工事が資材や労働力への巨大な需要を生みだし、さらに
膨大な工事関係者の生活を支えるための食品、日用品、娯楽な
どの消費需要が生まれる。江戸時代初期の70年間、このよう
な公共工事が集中的に江戸で行われた結果、需要が需要を生み
出す形で、江戸は高度成長を続けた。これは戦後の高度成長と
同様に、公共投資を呼び水にして、需要が需要を生み出すケイ
ンズ政策であった。

■3.参勤交代で盛り上がる消費需要■

 寛永12(1635)年に、参勤交代制度が始まった。大名達は一
年を江戸、一年を国もとで過ごす。これも軍役と同様に、禄高
と格式に応じた供揃いを義務づけられた。供揃いとは、そのま
ま戦闘に移れる武装した行軍行列のことで、飲料水と薪以外は、
武器・弾薬・食糧をすべて持ち歩かねばならなかった。

 参勤交代を含めた江戸在府に必要な経費は、大名の実収入の
5,6割を占め、大きな負担となった。大名達は国もとの米を
売り払って、貨幣を得て、それで江戸屋敷の生活費や諸経費を
支払った。殿様に随行して地方からやってくる大勢の家臣団も、
江戸での消費需要を盛り上げ、町人層を潤わせた。

 江戸屋敷での最大の支出は、幕府や他の大名との交際費だっ
た。江戸屋敷に常駐した「留守居役」は、天下普請の計画をな
るべく早く掴み、思わぬ案件が自藩に廻ってこないように幕府
の役人に根回ししたり、あるいは他藩と「談合」したりした。
そのために吉原や高級料亭での接待や、書画・骨董などの贈答
がさかんに行われた。こうした接待・贈答需要が、料理・服
飾・工芸などの産業を発展させた。

 江戸時代後半には、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵師が活
躍し、「名所江戸百景」「東海道五十三次」などが盛んに出版
された。これらは参勤交代で江戸に集まった武士たちが国元に
持ち帰る土産であり、また道中のガイドブックでもあった。さ
らに江戸に全国から武士が集まることで、諸国の情報が集まり、
また江戸の最新流行ファッションや、長唄などの新曲が地方に
伝わった。

■4.民間による商業航路の発達■

 天下普請のための石材など資材の運搬、さらに動員した家来
や土木作業員の食糧供給のために水運が発達した。江戸城の石
垣築造では、西国大名31家が3千艘の運搬船建造と、それに
よる伊豆半島からの石材輸送を命ぜられた。

 また東北の大名は、太平洋岸を南下する東回り廻船航路で、
江戸まで米や資材を持船で運んだ。家康は東北大名達に命じて、
慶長14(1609)年、その中継地点である銚子に港を築かせた。
このルートによる流通が盛んになるにつれ、民間による海上輸
送の方が有利となり、東回り廻船航路での定期便が確立してい
った。

 また江戸の消費需要が盛り上がるにつれ、日本全国から多種
多様な物産が水運で運び込まれるようになった。清酒は摂津国
鴻ノ池(現在の兵庫県伊丹市あたり)の酒屋が慶長十五(1610)
年に、最初に江戸に持ち込んだ。当時、江戸では濁酒しかなか
ったため、清酒は飛ぶように売れ、はじめは人が背負って運ん
でいたのが、駄馬による輸送となり、寛永(1624〜43)になると、
船で運ばれるようになった。醤油も正徳年間(1711〜15)に、大
阪から持ち込まれて、高級調味料としてもてはやされた。

 上方の物産を江戸に運ぶために、大阪と江戸の間の民営の定
期航路が発達した。二つの組織がそれぞれの定期便を運航して、
明治に入るまで、競争を続けた。また江戸時代以前に確立して
いた北前船(大阪と日本海経由で北海道を結ぶ)、西廻り廻船
(大阪と瀬戸内、九州を結ぶ)と合わせて、日本列島全体を結
ぶ民間による定期商業航路が完成した。

■5.変動相場制による取引■

 江戸時代の通貨制度は、「東の金遣い・西の銀遣い」と言わ
れ江戸の金貨と上方の銀貨が対等な本位貨幣として両立してい
た。また銅貨も少額の補助貨幣として使われていた。しかも、
これらの間の交換比率は変動相場制であった。このような3貨
制は世界的にみても非常に珍しいと言われる。

 変動相場制だから、江戸の商人が上方に注文を出すには、銀
相場が安い時、すなわち金高銀安の時に行うと有利だった。た
とえば、現代日本の企業が国際市場で石油を調達しようとする
と、石油の価格の動きと、円−ドルの交換比率の両方の変動を
考えなければならない。江戸の商人たちは、すでにそういう世
界にいた。

 江戸、大坂、京都には、多くの両替商が繁盛していた。貨幣
の鋳造は幕府が行っており、たびたび金銀の交換比率を公定し
たが、ダイナミックな市場経済には幕府権力も及ばない。両替
商たちは、日々の相場を見ながら、金銀の両替・売買を行った。

 相場は「立会場」で決まった。大阪・北浜にあった金相場会
所では正月三が日と五節句を除いて毎日、午前10時から1〜
2時間、「立会い」が開かれた。両替商達が少しでも利益を上
げようと、血眼になって、取引に熱中する。立会い時間が過ぎ
ると拍子木を打って知らせるが、取引が過熱していて終わらな
い時には水をかけた。これを「水入り」という。「立合い」
「水入り」という相撲用語は、当時の商業用語でもあった。

 コンピュータこそないものの、取引の内容自体は、現代の通
貨市場と本質的には変わらない。

■6.両替商の銀行業務■

 両替商は、為替取引や預金・貸付け、手形取扱いなど、現代
の銀行とほぼ同じ事業を行っていた。江戸−大阪−京都の三都
間では本格的な為替取引が行われていた。たとえば、幕府の大
阪御金蔵から江戸への公金輸送と、江戸商人から大阪商人に支
払われる商品代金を相殺する形で、決済していた。

 商人は両替商に預金口座を開いて、稼いだ貨幣を預けた。現
代の当座預金にあたるもので無利子だったが、信用のある両替
商と取引がある事は、その商人自身の信用を高めた。両替商は
取引を希望する商人がいれば、身元や財産状況を徹底的に調べ
てから、口座を開いた。

 両替商の中には大名に貸付けを行うものもいた。諸大名は天
下普請や参勤交代で出費がかさむ一方、年貢収入は頭打ちだっ
たため、その財政状態は窮迫していた。そこで家老や留守居役
が藩主の代理人として、両替商一同を料理屋などで接待し、借
金を頼む。両替商達は、その大名の信用状態によって、貸出し
総額を値切ったり、時には断ったりした。また貸出しが焦げつ
いた時の危険分散として、何人かの両替商がシンジケートを組
み、貸付けを分担したりした。現代の銀行に大企業に融資する
のとまったく同じである。

 大名側は地位を利用して、借金の踏み倒しを行う例も少なく
なかった。肥後熊本の細川家などはその常習犯で、「細川家は
前々から不埒なるお家柄にて、度々町人の借金断りこれあり」
などと記録にも残っている。こういうブラックリスト情報は両
替商仲間にすぐ伝わって、組織的な貸し付けボイコットや年貢
を担保に求められるようになった。大名の権威も、市場経済シ
ステムの前ではかたなしだった。

■7.通貨政策による物価安定■

 諸大名は領地でとれた米を大阪で売って銀を得ていた。大阪
の米市場では需給関係から米価が決まり、その変動を見越した
投機や、先物取引(将来の一定期日にあらかじめ約束した価格
で商品を売買する取引)が行われていた。

 近代的な商品先物取引が本格的に成立したのは1865年のシカ
ゴ商品取引所だと言われているが、同所の発行する「商品取引
便覧」には、「1730年代に、日本の大阪において先物取引を含
む商品取引所が存在していたことは驚くべき事である」と、大
阪堂島の米市場を紹介している。[2,p88]

 大名側が増収方策として米の増産に励んでも、米の供給が増
えるほど米価が下がって収入は伸びない。その反面、その他の
商品の物価は上がり続けた。幕府は米価の維持のために、米の
買い付けを大阪の豪商に命じたり、大阪御金蔵の資金によって
自ら買い付けたが、それを売りに出すとすぐにまた米価は下が
ってしまう。

 幕府は困って大阪の両替商たちに米価維持策を相談した。両
替商達は、米が安いのは通貨の質が良すぎるのと通貨供給量が
少ないためだから、貨幣供給量を増やすように、と答えている。
この策を直接聞き入れたためかどうかは定かではないが、幕府
は実際に貨幣の金や銀の含有量を下げる貨幣改鋳を行って、米
価の上昇と、諸物価の安定にある程度成功した。

 現代でも円高を避けるために、政府が円売りドル買いをした
りするが、幕府の米買いによる価格維持策はそれと同じである。
また両替商たちはすでに通貨の質や供給量が物価にどのような
影響を及ぼすのか、すでに理解していた。通貨政策で物価の安
定を図るという現代マネタリズム流の手法は、20世紀の社会
主義経済での公定価格制などよりもはるかに先進的である。

■8.問屋株仲間は業界団体■

 商品経済の発達につれて幕府も年貢米を財政基盤とする体制
から、商品流通に財源を求めた。江戸中期の老中、田沼意次は
現在の同業者団体にあたる「問屋株仲間」を公認して独占を許
すとともに、その対価として冥加金、運上といった「間接税」
の徴収を始めた。

 問屋株仲間はもともと米、酒、塩、味噌、炭など、生活必需
品12品目の高騰を規制するために、同業組合として幕府が結
成を命じたもので、株とはその会員権をさした。田沼時代末期
の大阪では130にものぼる問屋仲間が公認されていた。

 問屋株仲間に入っていない業者が勝手に商売を行った場合は、
幕府に訴えれば処罰してくれた。また株仲間の一部が幕府の規
制に触れる行為を行うと、株仲間全体が連座して処罰の対象と
なったので、そのような事態を防ぐための自治活動が行われた。
新入りの仲間に対する厳しい選別過程はもとより、仲間の跡取
りの品行をチェックして、道楽者、怠け者を排除したり、嫁取
り、婿取りに対しても、全員の承認が必要だった。

 問屋株仲間は幕府の指導・統制を個々の業者に伝える「上意
下達」だけでなく、業界としてのコンセンサスをとりまとめて、
幕府に伝えるという「下意上達」の機関でもでもあった。これ
は現在の経済産業省が、業界団体を通じて間接的に各事業者を
統制するという現在のやり方と同じである。ただ間接税も業界
団体を通じて徴収するという点は異なる。

■9.4百年にわたる市場経済システムの進化■

 公共投資政策としての天下普請、需要喚起策としての参勤交
代、通貨政策や需給調整を通じた物価安定策、高度な物流や金
融のシステム、間接税、そして業界団体による間接的な事業者
統制、、、こう見てくると江戸時代に発展した市場経済システ
ムは、現代にそっくりである。

 明治維新後の「文明開化」が急速に進んだのも、こうした近
代的な市場経済システムが実態としてすでに江戸時代から存在
してからである。経済史的に見れば、明治維新や大東亜戦争敗
戦という転機にもかかわらず、江戸時代から現代まで、わが国
の市場経済システムは環境変化に適応しながら、400年間に
渡って連続的に進化してきたものである。このあたりはロシア
や中国とは根本的に異なる。

 こう見れば、たとえば政府(官)と個々の事業者(民)の間
に業界団体(公)を設けて業界としての自治を求めるなどとい
う日本流のやり方が、アメリカ流「グローバル・スタンダー
ド」に欠落しているからと言って、一概に時代遅れの産物であ
るかのように見なすのはおかしい事が分かる。歴史の浅いアメ
リカの市場経済システムが、まだそこまで到達していないだけ
の事かもしれない。

 わずかここ10年ほどの経済の不振で、我らの父祖が400
年にわたって成長させてきた市場経済システムを弊履にように
投げ捨てて、「グローバル・スタンダード」に走るのは、歴史
に学ばない愚か者のすることだ。市場経済システムを、どう新
しい時代と環境に適応させ、その長所を強みとして発揮させて
いくべきか、と考えていくべきだろう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設
に乗り出した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog024.html
b. JOG(030) 江戸日本はボランティア教育大国
 ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く教
育水準を実現した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog030.html
c. JOG(091) 平和の海の江戸システム
 日本人は平和的に「自力で栄えるこの肥沃な大地」を築き上げ
た。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog091.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 鈴木浩三、「資本主義は江戸で生まれた」★★、日経ビジネス
文庫、H14
2. 西尾幹二他、「地球日本史 2」、産経新聞社、H10

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「亀井正夫 〜「おまけの人生」で国鉄改革」について 
匿名希望さんより

 今回の亀井さんの生き様に感動しました。まさにプロジェク
トXですね。一人一人を大切にするというのは、今の日本で忘
れかけているように思います。日産のカルロス・ゴーン氏がも
てはやされていますが首をかしげます。ただ大量に解雇して業
績が上がっただけじゃないですか、解雇された人がどれだけ苦
しんでいるかいっこうに省みられないのには薄ら寒さすら感じ
ます。

 最近、「武士道と現代」(笠谷和比古著 産経新聞社)とい
う本を読みました。上杉鷹山や徳川吉宗の改革、そして各藩に
おける改革の実態が面白く書かれていました。その中で「借
知」という藩が家臣の給与の削減をして財政破綻から立ち直る
為の制度が紹介されていました。その発令の法令文にこのよう
に書かれていたそうです。

「我ら不徳ゆえの儀と後悔少なからず」、「甚だ御心外」

といった自責の念や不本意な事である事が明記されていたそう
です。そして藩主は自ら粗衣、粗食につとめていたとの事です。

 亀井氏の一人一人を大切にする考え方は、昔から日本の中に
あったんですね。日本もそろそろ歴史の浅いアメリカの浅知恵
の真似はやめて、ご先祖様の知恵を謙虚に学ぶ姿勢が必要じゃ
ないでしょうか? 土光氏も亀井氏も戦前の教育を受けて育っ
た世代の人ですよね。現在、戦後の占領政策による教育を受け
てきた世代が日本の政治や経営をおかしくしている。この状況
を克服するには昔からの日本の良さを取り戻すしかないように
思うのですが。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 「賢者は歴史に学ぶ」と言います。そしてわが国の歴史には
豊かな智恵がたくさん詰まっています。

 読者からのご意見をお待ちします。本誌への返信で届きます。
掲載不可、匿名・ハンドル名ご希望の方はその旨、明記下さい。
欄掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。

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