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☆ノ−ム・チョムスキ− VS 辺見庸☆ (月刊PLAY BOY6月号p.36〜p.43) 投稿者 dembo 日時 2002 年 4 月 26 日 09:28:26:

☆ノ−ム・チョムスキ− VS 辺見庸☆ (月刊PLAY BOY6月号p.36〜p.43)

「知識人とマスメディアに疑いの目を」


辺見:私、昨日、ジョン・F・ケネディ空港に着きましたが、セキュリティチェックの厳しいのに驚きました。で、この国では、9・11以来、言論の統制もひどいことになっているのではないかと想像しました。あなたにもさまざまな圧力がかけられているのではないでしょうか。

チョムスキ−:いいえ、ちょうどその反対なのです。この国はおそらく、世界一自由な国です。言論への抑圧などいかなる意味でもない。政府はできるものなら言論を統制したいと願っているけれども、その力はありません。異議申し立ても反対運動もこれまでのどんな時代よりもずっと盛んに行われています。ケネディ空港の話が出ましたが、今月はどういう月でしょうか。実は、ケネディが南ヴェトナムへの軍事介入のため、アメリカ空軍を派遣すると発表したのがちょうど40年前の今月なのです。ナパ−ム弾による爆撃を容認し、科学戦の端緒を開き、南ヴェトナムの農村を破壊して最終的には何十万という人びとを強制収容所や都市のスラムに追いやることになった。それがいまから40年前のことでした。

辺:ああ、そうでしたか。1962年といえば、ケネディがダラスで凶弾に倒れる前年ですね。キューバ危機も62年でしたが...。

チョム:ケネディ空港に「今月はケネディ大統領の重大犯罪40周年記念です」という看板か何か出ているでしょうか? アメリカ国民で今月が40周年だということを知っている者がいるでしょうか? あるいはアメリカ以外の国の誰かが? 答えはノーです。
 なぜならば当時は、それへの抗議というものがまったくなかったからです。アメリカ大統領が空軍を派遣して空爆を行い、一般市民を殺戮したいと考えようが、食料生産を断つために化学兵器を使用したいと思おうが、あるいはナパーム弾を降らせたいと望もうが、それについて異を唱える者はなかったのです。したがって、人びとはそれらの事実が実際に起きていることすら知らなかったのです。知識人が理解しているのは、アメリカ国家は南ヴェトナム人民を共産主義やどこからか侵攻して来る侵略者の手から守ろうとしていたのだ、ということだけでした。ただ、どここかで間違ってしまい、ひどく犠牲の多い戦争をしいられる結果になってしまったのだと。人びとはそのように理解しています。それは、政府が統制しなかったのに、反対運動がまったくなかったためなのです。当時に比べればこの国は随分よくなりましたよ。いまやアメリカのどの大統領も、ジョン・F・ケネディがヴェトナムだけでなくその他の場所でも犯したような過ちを犯したいなどと夢見ることさえできません。公民権運動、反戦運動、フェミニスト運動、労働運動などなどが、この国の様相を変えたのです。今この国は、40年前のこの国とはまるで違った国になっている。
 結果として、抗議行動も盛んに行われるし、何事も包み隠さず語れるようになっています。いくら政府が言論を封じたくても封じることはもはやできないのです。私は毎日、大勢の人に語りかけている。何千という人びとです。40年前だったら、話をしたくてもせいぜいひとりふたりしか聴衆のいない小さな教会で話をすることができた程度でしょう。

辺:外から見ていると、どうしても印象が異なってしまいます。記憶違いなのでしょうか。1960年代のほうがいまよりはまっとうだったと思ってしまうのです。あのころは、バートランド・ラッセルやスウェーデンのパルメ首相やサルトルたちが相次いで重要なメッセージを発し、国際的反戦運動を大いに盛り上げました。いまはそういう重要なメッセージが、あなた以外にはあまり目立たないような気がします。

チョム:バートランド・ラッセルは当時80代でした。彼は非常に強固に立場を貫き、断罪されました。アメリカ中で増悪され、罵倒されたのです。批判に対する反論さえ、ニューヨーク・タイムズは受け付けなかった。ひどい悪事を働いたかのように咎められた。ジャン=ポール・サルトルもいくつか声明を出しましたよ。私も署名しました。ふたりして共同声明も出しましたが、まったく無意味だった。だって、たったふたりの知識人が一緒に声明文に署名したからといって、何になりますか? それに、あれは随分たってからの行動だった。1963年ではありませんでした。ヴェトナム戦争に対する反対なんて事実上なかったんですよ。もちろん、市民たちの反戦運動はありました。しかし知識人のなかにはなかったのです。非常に限られた反論しかありませんでした。どのくらい限られていたかといえば、何年か前にロバート・ナクナマラが出した回想録がどう迎えられたかを考えてみればよくわかります。興味深い本でしたよ。

辺:『マクナマラ回想録〜ベトナムの悲劇と教訓』のことですね。日本のヴェトナム戦争研究者の間でも評判になりました。

チョム:タカ派の人びとは、マクナマラを裏切り者と批判した。ハト派の知識人たちは、喝采した。なぜならマクナマラが最終的に、ハト派正当性を認めた、と言っているからです。しかし、ハト派が自らの正しさを認めてもらえた、と感じたその本にマクナマラはいったい何を書いていたのか。彼はアメリカの人民に対して謝罪しました。だが、ヴェトナム人民に対しては? 何もなしです。彼はアメリカ国民に謝罪した。それは、あれが多大な犠牲を払う戦争になることを、然るべき段階で発表せず、そのために、国民に苦痛をもたらしたからです。こういうことならナチの将軍にだって書ける。スターリングラ−ド包囲のあとで、戦争はコストがかかることを早く言わなかったから、とドイツ国民に向かって謝罪するようなものだ。あるいは日本軍の将官が、「真珠湾攻撃などするんではなかった。ああいう結果招くとは」と言うようなものです。マクナマラの謝罪は、そういう類い謝罪なのです。
 しかしおもしろいことに、鳩派の知識人達はこれで自分達の正当性が証明されたと感じた。ハト派の知識人というのがどういう者たちだったか、これでよくわかるでしょう。彼らは決して戦争そのものに反対していたわけではなかった。戦争の進め方にコストの面で異論を唱えていただけなんです。まさに衝撃的ですよ。民衆は(知識人と考えが)違っていたのです。

辺:そうでしたか。日本では必ずしもそうは受け取られていませんでした。重要な指摘だと思います。

チョム:知識人が言っていたのは、戦争は誤りだった、と、最初は善良な意図から始めたけれども、判断を誤ったのだ、と、それは要は戦争のコストのことだったのです。他方、一般の人びとは、戦争は「基本的に悪であり、道徳に反する。単なる判断の誤りではない」と言っている。極めて大きな溝です。知識人と大衆の間には、大きな隔たりが当時たしかにあった。それはいまでもあるのです。

辺:私は一般に民衆のほうが保守的だとばかり思ってきました。

チョム:反戦運動については、それがいつ始まったか思い出してください。私は自分の経験からお話することができるんです。この街ボストンは、とてもリベラルで活動家の多い都市です。われわれは1966年になるまで、戦争に反対する集会を持つことができませんでした。南ヴェトナムへの軍事介入が開始されて4年もたっていた。なぜ集会ができなかったか。学生たちの手で、集会が物理的に妨害されたからです。メディアは、「ああいうものを見事に阻止した学生たちはすばらしい」と称えました。後に、1966年の終わりから67年にかけて、反戦運動はボストンのみならず世界中に広がっていきます。しかしそれは、何十万という人がすでに南ヴェトナムで虐殺されてしまってからのことです。国土は壊滅状態になっていた。南ヴェトナムには何十万というアメリカ兵がいて、戦乱はインドシナ半島全体に波及していきました。そういう段階になってやっと、実効のある反戦運動ができるようになった。それは民衆の間に起こったことでした。知識人の間にではない。そのことはしつこいくらいに言わねばなりません。

辺:60年代と現在の状況の比較を興味深くお聞きしました。というより、常識を覆されて、ちょっとしたショックを受けております。日本のアメリカに対する左右両面の幻想はもっとただされなければならないのかもしれません。それにしても心配なのは、いまのアメリカの言論状況です。例えば、あなたご自身は、政府当局から何らかの脅威を受けたりはしていませんか? カリフォルニアのバ−バラ・リ−(下院議院員)や作家のスーザン・ソンタグがいま、ある種の脅しに晒されているということも聞きますけれども。

チョム:そんなことはありません。彼女たちは当局からはいかなる脅しも受けてはいないのです。批判的な立場をとると、脅迫の手紙を受け取ったり、人から嫌われたり、新聞に悪く書かれたりはする。そういうことが起こりうる、という現実に不慣れな人は驚きはするでしょう。しかし、ここで起こっていることなど、どうということはないのですよ。それを取り立てて言うこと自体、「不面目」なことです。
 私はつい先日までトルコに行っていました。ある出版人の裁判に出るためです。その出版人は、私が書いた文章を出版した。トルコのクルド人抑圧について書いたものです。

辺:あなたの著書『米国の介入主義』の出版をめぐる国家治安法廷のことですね。トルコ検察庁が反テロリズム法を根拠にその出版人を起訴した。結果的に検察側は起訴を取り下げたと聞いていますが。

チョム:非常に重大な問題なのだが、しかしトルコでは、そのようなことを口にするのは許されないのです。出版人は刑務所に入れられるかもしれない。彼を支えているのは、トルコの指導的知識人です。この人たちはまさに裁判と言う機会を捉えて禁じられた言論や、刑務所にいる人びとの文章などを集めた本を共同で出版してのけ、それを検察につきつけました。私もその出版に参加しました。
 勇気があって、誠実で高潔な知識人とはこういう人たちを言うんです。それに、トルコの刑務所というところはハンパではない。彼らが立ち向かをなければならないものに比べたら、この国の人間が抑圧などと言うこと自体、恥ずかしいんです。この国では、抑圧といっても誰かから中傷される程度でしょう。そんなこと、誰が気にしますか? ちっともたいしたことではない。

辺:抑圧がなくても自主規制するということでしょうか。日本ではまさにそうです。

チョム:例えば、昨夜はMITで私を批判する大規模な集会が開かれた。気にはしていませんが。私を批判するために集会をしたければすればいい。ちっとも構いません。それを抑圧と呼べるでしょうか。世界中で、人びとがいったいどのような現実と闘っているかに思いをめぐらせたならば、「抑圧」などと口に出すのすらおこがましい。抑圧などありません。何でも好きなことが言える。主流から外れたことを言えば、知的ジャーナリズムからは批判されるかもしれない。誹謗され、断罪され、ひょっとして脅迫状の一通も受け取るかもしれない。しかし、だから何だと言うんでしょう。なぜそんなことをわざわざ騒ぎ立てるのか。この国は極めて自由な国です。政府には言論を統制するだけの力はない。マスコミは、いろんな意見を封殺することができます。 
 いまはタイムワ−ナ−AOLになっている企業が、私の本を世間に出回らせないようにするためだけに出版部門をつぶし、保有していた書籍をことごとく抹殺したことがあります。そういうことは現実に起こるんです。しかしそれは抑圧とは言えない。出したければ別の出版社から本を出すことだってできるんですから。そういうことをことさらに言い立てるのはばかげています。

辺:私は今、言論統制がないということについての、あなたの真意が初めてよくわかりました。自分への抑圧を他国のもっとひどい抑圧状況との比較の上で考える。また、権力の抑圧ということを、それに抗する運動や闘争との関連で考える。それは大事な思想ですが、締め付けがないわけではない。

チョム:言論の自由はアメリカで、市民の運動の中で獲得されてきたものです。第一次世界大戦当時、バートランド・ラッセルはどこにいたか。刑務所です。アメリカの労働運動指導者、ユージーン・デブスはどこにいたか。刑務所です。彼らがいったい何をしたというのか? 何もしていません。戦争の大儀に疑義を呈しただけです。言論の自由とはそういうことです。今は違いますよ。市民運動が言論の範囲を広げたのです。現在まで自由は保証されてきています。そしてこのまま保障され続けるわけではない。こういう権利は勝ち取られたものです。闘わなければ勝ち取ることはできない。闘うのを忘れてしまえば、権利は失われて行くのです。天与の贈り物のように、降ってくるわけではないのです。

辺:全く同感です。テーマを移したいと思うんですけれども、今年になってからの話をしたいんですが、ブッシュ大統領が、一般教書演説で、「悪の枢軸]という極めて危険な考え方を打ち出しました。それ以来、イラクに対する軍事攻撃の可能性が非常に高まっていると思うんですけれども、この点については、あなたはどうお考えですか?

チョム:そうですね、まず、「悪の枢軸」という言い回しを点検してみましょう。ブッシュ大統領はおそらく、「悪の枢軸」の何たるかを知りもしないでしょうね。しかし演説原稿を実際に起草するライターは知っています。北朝鮮とイランとイラクの関係が枢軸などではないことは十分すぎるほど承知している。(第二次世界大戦中の)東京とローマとベルリンの関係と同じではない。イランとイラクはもう20年も戦争をしている。北朝鮮がこれに加えられたのは、ただほかのイスラム社会に、悪いことは何でも自分達に押し付けられるという印象をもたせないようにするためです。だから北朝鮮が入ったんです。
 スピーチライターが悪の枢軸という表現を原稿に加えてブッシュに言わせたのは、国内の聴衆を意識してのことです。ジョージ・ブッシュのマネージャーは大変です。非常に厄介な問題に対処しなければならないんですから。政府が国民に対してやっていることに、アメリカ国民の注意が決して集まらないようにしなければならない。政府は国民に非常に深刻な損害を与えているのです。9月11日を冷徹にも絶好の機会として、国内の人びとへの攻撃を強めた。富裕層対象の減税や軍事費の膨張は必然の結果をもたらしています。例えば、一般の人びとに対する社会政策費は削られている。これは、すでに限られたものでしかない社会援助をされに痛めつける攻撃です。こうまで痛めつけられては、政策を維持することができないでしょう。そういう事実から、国民の目をそらしたい。(エネルギー会社最大手の)エンロンが税金を払っていなかったという事実から、国民の目を逸らしておきたいのです。
 エンロンの問題で肝心なのは、何年もの間税金を払っていなかった、それが問題なのです。なぜ払わずにすんだのか。政府が、金のある強力な企業が税金を逃れられる仕組みを作ったからです。そう、これもまた、権力者による一般大衆への攻撃です。いまの政府は以前にもましてたちが悪い。そしてまた政府は、今日の石油会社を利するためなら、明日の子供達が生きる環境を破壊してもまったく平気だという事実に、国民の注目を集めないようにしたい。それがジョージ・ブッシュの政府なのです。孫の代に環境がどうなっていても意に介さない。今儲けることが大事なんです。
 しかし人びとは意に介します。人びとは孫たちに地球を残したい。だからこそ、政府はそこに注意を引きたくないんです。完全に逸らしておきたい。ワシントンでは国民に対する大掛かりな攻撃が行われている。そこに人が目を向けないように、どこか別の所を向いていて欲しい。どうすればいいか。恐怖に陥れれば委員です。人びとをコントロール最良の方法は恐怖を利用することです。だから、もしもわれわれを滅ぼそうとしている、「悪の枢軸」が存在するならば、人びとは恐怖に怯えて四の五の言わず、指導者が人びとにしていることにいちいち神経を尖らせることはあるまい、とこのように考えているのです。
 炭素菌の問題では人びとは気付きました。炭素菌パニックが起こると、これはたちまち国外のテロリストの仕業にされた。実際、イェ−ル大学のトップクラスの学者6人が、つい最近大学出版局から本を出して、アメリカ合衆国に対する新の脅威は炭素菌だ、なぜなら外国のテロリストがここまでやるということを示しているからだ、と書いています。しかし、炭素菌の出所はテキサスの国立研究所だと判明した。その時点で、この話題は新聞の一面から抜け落ちてしまった。国内のテロリストが政府の研究所から盗んでやったこと。それはトップニュースにはならないのです。
 炭素菌では人びとを恐怖に陥れることができなかった。だから別のもので脅かさなければならない。見せしめです。「悪の枢軸」もそれ同じことです。「枢軸」が何のことだったか、ブッシュは覚えていないかもしれないが、人びとの中には覚えている者もいるでしょう。「枢軸」は恐怖の象徴でした。その意味で非常に上手な喩えです。だから子供のおとぎ話でも使われるのです。響きがいい。「悪の枢軸」があれば、「ヒーロー」も現実味を帯びてくるのです。
 ですからアメリカ合衆国がイラクを攻撃することは十分にありえますが、これは国際テロリズムとはまったく無関係です。先日ブッシュ大統領が記者会見で述べたこととも無関係です。いいですか、大統領は、サダム・フセインとは自国の国民に向かってまで化学兵器を向けるような極悪人だ、大量殺戮兵器を開発しているんだ、と言っていました。どれも間違っていない。ただ、ブッシュのスピーチライターが注意し忘れたことがある。サダム・フセインはそれを、現大統領の父親の支援を借りてやった、という事実です。父親のジョージ・ブッシュはフセインを支援していました。イギリス政府もです。ジョージ・ブッシュとイギリス政府はフセインが最も残虐な行為をしている最中も、その後も、熱心に彼を応援し、大量殺戮兵器を作り出す技術を与え続けた。彼が非常に危険な存在になった時も、いまのフセインよりはるかに危険であったときも。アメリカもイギリスも、フセインの犯罪を全く気に留めなかったのです。

辺:そうですね。サダム・フセインがクルド人に対して毒ガスによる虐殺などの残忍なテロを行っていたときに、米国は強力に支持していましたね。

チョム:残虐行為の2年後、1990年の春にブッシュ大統領は上院の指導者からなる代表団をイラクに派遣しました。団長はのちに共和党の大統領候補になるロバート・ドールでした。代表団の任務はイラクに行ってフセインにエールを送ることだった。代表団はあの化け物にあてたジョージ・ブッシュのメッセージを携え、「アメリカから聞こえてくる批判は気にしないで」「はねっかえりのジャーナリストが2、3人ああいうことを言っているが」「我々はあななに全幅の信頼をおいている」などと伝えてきたのです。
 フセインは犯罪者です。当時も、いまも。しかし彼の犯罪と米軍の攻撃とはまったく関係がありません。それはたしかなことです。この問題について西側知識人が沈黙を守るのは、あまりにも卑屈ではありませんか。イギリスとアメリカがフセインの圧制を支援していたことは知識人なら誰でも知っているし、今、彼を悪の手先のように非難するのが極めて偽善的であるのもわかりきっているのに、誰ひとりそうは言わないのです。なぜならばs、知識人は権力に従わなければならないと知っているから‥‥事実を口にしてはいけないと知っているからです。権力には迎合して、指導者を称えなければならないとね。
 それを確かめたいなら、「そうとも、あいつは犯罪者だ。ありとあらゆる恐ろしいことをしでかした--我々の支援を受けて」と言った者が何人いるか、数えてみればいい。そう言えないのなら偽善者です。まったくの嘘つきで偽善者です。それが知識人の限界なのです。

辺:そうですね、とりわけ9.11以降、どこの国でも知識人といわれる人のメッキが剥げつつあります。

チョム:したがって、攻撃の理由はそれではない。では何なのか? じつに明白です。イラクの石油資源はサウジアラビアに次いで世界第2位です。アメリカは遅かれ早かれ、かつてそうしていたようにイラクの石油資源を支配下におきたくなる。これはいい機会だと政府は考えたかもしれません。反テロを口実に世界第2位の石油供給源に対する支配権を再び手中にできるいい機会であり、ライバル国、特にフランスとロシアに支配権を譲らないですむいい機会である、と考えたとしてもおかしくない。
 遅かれ早かれそういうことが起こります。これはいい機会であるかもしれない。しかし非常に難しい作戦になります。極めて根本的な理由から。誰であれサダム・フセインに取って代わる者は、民主主義勢力であってはならないのです。何故か。新しい体制に少しでも民主的な要素があれば、人民が声を上げることになるだろうからです。イラクの多くはシ−ア派です。何が起きているか語る言葉をもしシ−ア派が持ってしまうと、人びとはイランとの関係を深めようとする方向へ行くでしょう。それをアメリカ政府は容認できない。だからアメリカ政府としては、民主主義とは程遠い政権が、フセインに取って代わることを確保しなければ都合が悪いのです。
 イラクのもう一つの勢力はクルド人です。アメリカ政府はクルド人に自治権を与えることなど到底承認できない。なぜならトルコに迷惑がかかるからです。トルコではクルド人が大変悲惨な目にあっています。80%はアメリカ軍の力を使って。これはクリントンの重大犯罪の一つですが、報道されていません。だから誰もそれについて語ろうとしない。じつは私はつい先日までそこにいたんです。クルド人地域に。何百万という人びとが荒廃した国土から追いやられていました。それというのもすべてビル・クリントンと、アメリカの知識階級の責任です。知識階級は事実を語ろうとも報じようともしなかった。なぜならこれが彼らの犯罪だからです。1990年代最悪の犯罪の一つです。
 トルコ政府にとっては、隣にクルドの自治区ができるのは、最も望ましくないことです。だからイラクにおいてはクルド人の権利を否定しなければならないし、多数派であるシ−ア派の権利も否定しなければならない。どうすればそうなるか? いましようとしているのとそっくり同じことをすればいいんです。目下、国務省とCIAは1990年代に国外へ逃れたイラクの将軍たちと接触を図っています。大半は犯罪者たちだ。現にそのうちのひとりはハラブジャ虐殺(88年、イラクのサダム政権が国内クルド人に対して化学兵器を使用、妬く5000人を虐殺したとされる事件)の責任者のひとりです。あらは毒ガスを使った...。しかしそんなことにはお構いなしだ。この男がいま我々のために喜んで動きたいというのならそれでいい。そもそも我々は彼の犯した犯罪など最初から気にも留めていないのだから。アメリカ政府は喜んで彼にポストを与えるでしょう...。  
 そしてもし可能なら、サダム・フセインとそっくり同じ体制を導入したいのです。さらに言えば、これは秘密でもなんでもないのです。完全に公になっています。1991年3月、湾岸戦争の末期にはアメリカが完全な支配権を握っていた。そのとき南部でシ−ア派が蜂起して、フセイン政権はこれで倒されるかもしれなかった。ところがアメリカ政府がフセインに、空軍を使って暴動を鎮圧するのを許したのです。 
 それがゲームのやり方なのです。人類の歴史を通じてずっとやられてきたやり方です。
 1930年代、40年代、50年代、日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発しましたか? 60年代はどうです? 実際アメリカ人が裏に隠された真実を暴いた本を発表するまで、できなかった。それがいつものゲームのやり方なんです。

辺:天皇裕仁と日本の知識人の関係性は、日本のジャーナリズムや言論界の悪しき土壌を形成している大きな問題ではあります。が、ここではもう一つのテーマについて聞きたいんですけれども、最近、ペンタゴンが、ロシアとか北朝鮮とか全部で七カ国でしたか、それをターゲットにした核攻撃のガイドラインを作りはじめたと言われます。これについてはどのようにお考えですか?

チョム:これは、クリントン政権時代の政策にほんの少し手を加えられたものにすぎません。私はこのことに関する書物を4年前に読みました。ベルリンの壁が崩壊するやいなや、ペンタゴンはもう武力の行使を抑制するものは何もないということに気付いたのだと思います。なぜならソ連が消失しましたから。だから彼らは戦略を変えはじめました。贅沢な兵器を潤沢に保有しているソ連から、少しずつ標的をずらしていったんです。専門用語があります。ソ連は「多兵器(ウェポン・リッチ)環境」と呼ばれていた。(アメリカは)そこから「多標的(タ−ゲット・リッチ)環境」へとターゲットをずらして行ったのです。「多標的環境」は兵力保有は少ないが。ターゲットが多いのです。
 「多標的」とはどういうことか? 南です。第三世界のこと、非ヨーロッパすべてです。そこを攻撃するには、違う方法論がいる。必要なのは小型核兵器であって、巨大な核爆弾ではない。それと新しい戦術。新しい戦術は文字通り「専制的反撃」と呼ばれました。意味するところは、反撃しなければならないような攻撃が来る前に,あらかじめ反撃をしておくことです。これは、核不拡散条約に加盟している核保有国に対して、先制攻撃を仕掛けることを表す公式用語です。それが大統領命令で認定された。 
 もう一つ、同様の公式声明がある。最高位の機関である戦略指令部が「冷戦後の抑止力の必須条件」なるものを発表したのですが、それにみんな書かれています。ここで言われているのは、アメリカは「非合理的で報復的」にならなければならないということ、もしも国花が脅かされたらアメリカは無分別な行動をとることもあり得ることを世界にわからせなくてはいけない、というものです。そして人びとは恐れ入らなければならない。名前までついています。「威信の確立」と言うのです。アメリカが攻撃してくるとわかっているから、そしてアメリカには圧倒的な軍事力があるから、誰もが恐れなければならないのです。
 「核兵器は不可欠だ」と彼らは言い、これを作戦の中核に据えています。なぜなら、化学兵器や生物兵器は効果が薄く、あまり劇的でもない。それに引きかえ、核兵器は非常に不気味です。だからこそ、作戦の中核に必要なのです。核兵器を常に背後においておかなければならない。背後にあることがわかっている限り、恐れられるからです。実際には使われなかったとしても、外交に影響を及ぼすことはできる。だから作戦の中核に核兵器がなければ困るわけです。(ブッシュ政権の軍事政策は)クリントンの構想といくらか違っているところもあるが、大差はありません。ブッシュのまわりの人間たちはクリントンの取り巻きよりもやや攻撃的で好戦的かもしれない。しかし肝心なのは、作戦面で大きな違いがないことです。そのうえなんと、いままで話してきたことは全部、戦略全体から見たら副次的なものなのです。作戦の主要部分、最も危険な部分は宇宙の軍事化です。 
つづく...

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