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http://www.asyura.com/2003/dispute5/msg/171.html
「デフレ不況」で「構造改革」ができるのは全知全能の神のみ
投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 19 日 17:20:35:

(回答先: 引き続きあっしら氏に挑む 投稿者 せいがく 日時 2002 年 11 月 19 日 13:37:02)


せいがくさん、こんにちわ。


「構造改革・供給サイド整備論」に不変的に反対しているわけではなく、「デフレ不況」や市場原理主義的経済価値観が主流になっている状況だから反対しています。

構造改革ができる経済状況になれば、その時点で合理的な経済改革を提示するつもりです。


1)「デフレ不況」では、構造改革を行おうとしても、経済論理に阻まれ、ただデフレ不況が悪化するだけで目的は達成できない。

[理由]

● 名目・実質GDPの縮小が起きているなかの供給力調整は後ろ向きのもの

デフレ不況下の供給力調整は、需要がないから設備を縮小するというかたちになり、将来の需要拡大が期待できるものに切り替えるための供給力調整にはならない。

比喩的に言えば、「デフレ不況」の企業経営は、川の流れに逆らって泳ぐようなもので、目一杯がんばっても下流に流されている結果になる。
そして、時間が経てば経つほど、より下流に位置することになる。
そのような状況で、新規事業を育成することはできない。

経済は、プールのように流れがないということは稀であり、縮小か拡大のいずれかの方向に動いている。

「構造改革」は、時間よ止まれ!もしくはちょっとタイム!ができるなら可能かもしれないが、縮小の動き(デフレ・スパイラル)のなかで実行できないものである。

経済は、人々が生き物であると同じように生き物であり、逆らえば破綻につながる経済論理に規定されるものであることを無視してはならない。

現状の経済で「構造改革」ができるのなら、デフレであっても実質GDPはプラスという経済変動を実現できるはずである。(構造改革論者には、デフレは解消しなくても、プラス成長を達成させて欲しい)

供給力の削減にはほとんどの場合就業者の減少が随伴するものであり、それが、川の流れを加速させることになる。

※ フル操業時の生産能力を示す製造工業生産能力指数(1995年=100季節調整済み)は9月に92・7となり、95年を基準とする統計では過去最低となった。
電気機械や繊維などの需要が伸び悩み、工場の設備廃棄などが進んだためで、製造工業稼働率指数(同)も95・9になった。


● 需要減少を補う財政支出ができない

「デフレ不況」のままでは、“待った”はなしの条件だから、「構造改革」はできない。
“待った”の代わりになるのは、川の流れ(GDP縮小)を止めてプール状態にすることである。

個々の企業は川の流れを止める手段を持っていないので、川の流れを止める役割は政府になる。
赤字財政支出を増加して、失業者や就業断念者の可処分所得減少を「構造改革」が完了するまで穴埋めするというものである。(「構造改革」が完了するまで、どんなことがあっても穴埋めを続けると宣言する)

しかし、現在の手法でこのような赤字財政支出を継続すれば、「構造改革」が完了した後に、利払いと償還のための増税が必至となり再び「デフレ不況」に陥ることになる。


2)好況期で市場原理主義的経済価値観が主流であれば、構造改革は実現できるとしても、国民生活の総体的向上には結びつかない。

[理由]

「構造改革」で生産性を上昇させ国際競争力も高めることに反対ではない。

しかし、それが利潤極大化の手法として追求されるなら、国民経済の総体的向上に結びつかず、70年以降の米国と同じように、所得格差の増大と失業者の増加の道に向かうことになる。
米国は、外国からの通貨流入に支えられて、そのような経済状況でも増税を回避できたが、日本にそれを期待することはできないから、落ちこぼれた国民のセーフティ・ネットのために増税を強いられることになる。
それも、高額所得者や企業への増税ではなく、消費税という大衆増税になるだろうから、結局は、「デフレ不況」に逆戻りすることになる。

雇用者に給与を支払うことと雇用せずに財政支出で救済することは、マクロ的には同じである。
(直接給与をもらうか、他の人の給与から分けてもらうかの違いであり、その違いが意味があるのは、企業が支払う給与が減少することで輸出が増加したときのみである)


このようなことを前提に、せいがくさんの論理を検討していきます。


>「財的豊かさ」(=生活水準の向上)の実現が経済の目標だと思います。だから、これ
>ができるなら経済運営は成功と言えます。100人の経済から10人を取り除く事によっ
>てそれができるならやった方が良い。

「財的豊かさ」が実現できるのは、経済価値観が転換されたときです。
構造改革を達成したからと言って実現されるわけではありません。
構造改革の目的が競争力(才覚)がある経済主体(人)がより豊かになるというものであれば、「財的豊かさ」が手に入るのは90人だけになります。
そして、そのような状況が、90人のなかから落ちこぼれていく人を徐々に増やしていきます。


>ただ、限られた貨幣量の中で財的豊かさが拡大するということは、財・サービスの単
>位当たりの価格が下落する’デフレ’を意味しますから、幾ら実質GDPが増え、好景
>気であってもそのデフレが将来悪影響を及ぼす事が有り得る。だから、財的豊かさの
>拡大に伴って、通貨当局が適宜通貨量を増大してやれば良いと思います。

名目GDPが縮小していますから、好景気という実感は持たれません。

通貨当局は通貨供給量(マネタリーベース)を増加させることはできますが、通貨流通量(マネタリーサプライ)を増加させることはできません。

それができるのはマクロ条件だけです。


>消費側、供給側共に人々のマインドが前向きに変わっているわけですから、今みたい
>に通貨が銀行部門で滞って経済に還流してゆかないこともないでしょう。こうすれ
>ば、財的豊かさを拡大しつつ、デフレにはならず、物価変動がほとんどない経済にな
>るのではないでしょうか。管理通貨制の下、’通貨的富’を外国から奪う必要などな
>く、端に通貨発行量を中央銀行が増加させれば良いのではないでしょうか。

一時的にマインドが前向きになるとしても、経済が思わしくないことを認識し、すぐにブルーなマインドに転換します。


>「供給力は生産性の上昇がない限りそれがアッパーリミットになる」というのは分か
>ります。その通りでしょう。しかし、今の問題は、供給力のアッパーリミットよりも
>かなり下で縮小均衡しており、その均衡がさらに縮小を続けそうなことが問題なので
>あって、供給力のアッパーリミット問題は今憂慮すべきこととは思いません。

オリジナルと言いたかったことは、不断に生産性の上昇が必要だということですが、供給力のアッパーリミット問題は常に考慮すべき問題です。
自由主義貿易である限り、供給力のアッパーリミットは経済論理で生じます。現状は、日本企業が国内生産と輸入をコントロールしているのでまだ救いがありますが、輸入製品が外国企業のものであれば、価格競争力で一気に国内供給力が縮小する可能性があります。
国際競争財の価格競争力で負ければ、外国の供給力不足以外の国内供給力は消え去ると考えていた方がいいでしょう。

上述のなかでデータを示しましたが、供給力そのものが縮小しています。
生産設備は順次償却期限を迎えたり時代的もしくは物理的な耐用期限に達します。そのとき需要が縮小していたら、その更新は行われません。

また、日本企業が日本向けの製品を海外で生産することになれば、日本国内の生産設備を移設するか廃棄することになります。

「供給=需要」という論理は、需要が縮小すれば、供給(力)も縮小させるかたちで平衡が保たれるようにします。
輸入の増加は、需要が縮小しなくとも供給(力)を減少させ、それが需要の減少をもたらすことになります。

供給力過剰が同じ50でも、供給力1000と需要950と供給力900と需要850という内実の違いがあります。日本経済は、長期低迷のなかで、供給力の縮小と過剰が同時的に進んでいます。

これこそが、「デフレ不況」では構造改革が達成できないという所以です。
供給力を削減しても、さらに供給力と需要のギャップが拡大しているから、デフレ・スパイラルになっているのです。

>>利潤追求とは通貨的豊かさの追求ですから、財的豊かさが実現できる経済条件でも
>>デフレ不況になるという視点が重要です。

>ここには異論があります。少なくとも国民にとっては財的豊かさ(サービスも含む)が
>重要なのではないでしょうか。利潤を追求する企業や金融資本家にとってすらも、表
>面的な通貨の蓄積額が多ければ良いというものではなく、財やサービスとの交換価値
>を高く維持した「交換手段の蓄積としての」通貨を積み上げて行くのでなければ意味
>がないと思います。
>前述した通り、財的豊かさを高めて行ける経済条件が整ったならば、通貨は後追いで
>ただ単に発行すれば良いだけの話ではないでしょうか(紙に印刷するだけの話ですか
>ら)。何か大きな思い違いをしていますでしょうか?

前述しましたが、「通貨は後追いでただ単に発行すれば良い」で済まない論理だからこそ、デフレ・スパイラルに陥っています。

国民にとってデフレは、所得が確保できるのなら悪いものではありません。
金融資本家も、国債でもいいのですが保有通貨の運用先があれば、デフレは悪いものではありません。(極端に言えば、運用先がなくても自然に通貨価値が上昇するのですから、悪いものではありません)

問題は、産業にとってのデフレは地獄のような経済事象だということです。
産業は、保有通貨をいったん財や活動力に変換し、それらを使って財を生産・販売することでより多くの通貨を手に入れるという存在です。
デフレは、時間の経過とともに財の価格が下落するという経済事象です。
1億円で財や活動力を購入し、それらから生産された財を販売したら9900万円になるというのがデフレです。
もっと言えば、10億円を借りて据え付けた生産設備や工場もあります。それから生産される財の価格が下落するということですから、借金の返済や減価償却も計画通りには行かなくなります。
さらに、財の価格が下落する傾向にあるのですから、5年後に同じ設備や工場を購入した企業は9億円で済んでいる可能性があります。そして、そのような企業と価格競争しなければならないことになります。

このように、デフレは、供給側としてGDPの大半を占める産業の活動意欲を大きく削ぐ経済事象なのです。

産業が利益を上げられなくなれば、金融資本家の資金運用もごく限られたものになります。


>100人でやっていたことが90人でできるようになったことの意味は大きいと思いま
>す。おっしゃるように労働時間を10%削減しても良いし、別の財・サービスを産み
>出す力に振り向けても良い。どちらにしても、その分だけ「豊かになった」といえま
>す。そうなるだけのテクノロジー(供給力)は整っている。にもかかわらず繁栄とは程
>遠い現状になっているのは、経済の仕組み(ブラックボックス)に問題があるのではな
>いか。銀行で旧勘定と新勘定を分けるごとく、企業も勝ち組と負け組を整理する、経
>済の好転に合わせて通貨の出まわり量を増大させてゆく、これではうまく行かないの
>でしょうか。

これまで説明したことなので省略しますが、100人でやっていたことが90人でできるようになり、その結果、労働時間が10%削減されたり、別の財・サービスを産み出す力に振り向けられるためには、経済価値観の転換が必要です。

「企業も勝ち組と負け組を整理する、経済の好転に合わせて通貨の出まわり量を増大させてゆく」という考えがデフレ不況下でうまくいかないのは、経済は静態的なものでも機械的なものでもないからです。

日本企業は総体が負け組になっており、勝ち組は、トヨタなど限定的な“輸出優良企業”だけです。

その状況で負け組を整理すれば、負け組に近い企業までは負け組そのものに転落していきます。負け組も、存続している限りは、給与を支払い、財を購入している存在であることを忘れてはなりません。給与の支払いは雇用保険で補填されるとはいえ60%程度のものです。

負け組かどうかの判断と整理は、デフレ不況が解消されてから行うべきものです。


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