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北朝鮮の平民の生活の実態は地獄だ!
http://www.asyura.com/2003/war25/msg/443.html
投稿者 はやくやっちゃえ 日時 2003 年 3 月 09 日 00:02:59:

いたるところで、↓に似た話が出ている。
北朝鮮の穀物生産量は、いまも、ほとんど増えていない。
脱北する者も増えつづけている。
これは、現在の話だ!
開放する為には、早くやっちゃえ!

(▲「週刊東亜」第216号/2000.01.06)
http://www.dongailbo.com/docs/magazine/weekly_donga/news216/wd216cc030.htmlより

■韓半島/いま北朝鮮では

飢えの土地、銃殺に火あぶりまで

北脱出者証言報告書…韓国人と会ったり、軽微な窃盗も「例外なく銃殺」

<いま、北朝鮮でどのようなことが行われているのか、世界はあまり知らずにいる。大部分の人々は貧困と飢謹にあえぎ、飢死する人々が続出しており、飢えに耐えられず豆満江、鴨緑江を渡り中国へ越えて行く住民たちが多いという程度としてのみ知っている。しかし北朝鮮では、飢えて死ぬ人々以外にも銃殺されて死ぬ人々が少なくない。

また火あぶり(火刑)という残忍非道な方法により死んでいく人もおり、はなはだしきは人間に食べられて死ぬ人々もいる。本文は11月中旬頃、中国東北地方のある都市で会った北脱出者20余名の証言を土台に、関係機関が作成したものである。彼ら北脱出者は、総じて99年10月末頃に北を脱出した人々であるがゆえに、最も最近に行われたことについての生々しい証言を聞くことができた。

いま北朝鮮で行われているぞっとするような行為が、どうして、どのように発生したのかを知ることができる。>

 

公開銃殺は頭から狙う

公開銃殺はどんな方法で行われるのか。咸北茂山が故郷のイ・ヨンフン君(17)によれば、茂山では、おもに茂山中学校のそばにある青年公園で銃殺が行われる。銃殺が執行される時は、まず人間の身長より大きい樹を選び、その樹の前に小さな踏み台を置いてから、踏み台の上に人間を立たせる。死刑となる人々はほとんど全員が死刑場にくる時からすでに半死状態のままずるずる引かれて出てくる。監獄中で酷使と殴打を受けているのである。

銃殺する時は、三人の軍人がひとりを同時に射つ。軍人ひとりが自動小銃を四発発射する。死刑囚には合計12発が撃ち込まれる。そばにある放送から「前方の犯罪者に向かって単発で撃て」と命令が下されると、死刑囚の頭がまずぐさりと落ちて血がほとばしり出てくる。その次に胴体がさく烈する。通常は、胴体の血が外に飛び散らないよう、厚い布をかぶせるが、それでも血が外部に流れ出る。総計12発を被弾した人間は、身体の形が完全に崩れてしまう。死んだ人々の屍体は台に載せられ、ナンバープレートのない車に乗せられてどこかに消える。車にナンバープレートが付いていれば、死刑された人々の家族がその番号を見てその車に対して報復してくる可能性があるため、ナンバープレートをはずしているのだ。屍体をどこに捨てたのかわからないため、家族は屍体を埋葬する方法がないのである。

死刑囚を射つ時は例外なくまず頭から射つ。何故そのように残忍な方法で銃殺を行うのであろうか?清津が故郷で、海軍で7年間服務したのちに脱出したキム・ヨンジン氏(25)によれば、頭の中に資本主義思想が入ってしまったがゆえに銃殺する、という事実を北朝鮮人民らに明確に見せる意図があるという。北脱出者がいまほど多くなかった90年代初め頃までは、公開銃殺刑では胴体から射ったということだ。

公開銃殺は人々がたくさん集まる場所で執行される。他の人に警戒心を植え付けるためだ。そのため通常、数千名の人々が処刑場面を目撃する。家族は必ず参加しなければならない。家族はその銃殺が正しいものであることを、見物している人々に十分に証言してくれなければならないのである。かと言ってその家族の無事が保証されるわけではない。北朝鮮当局は家族らの報復を恐れ、死刑囚の遺族全員を保衛部の監獄に送致する。

公開銃殺場面を二つの目で目撃した人々はどのような感覚を受けるのか。咸北会寧が故郷で、軍に3年間服務している途中で北朝鮮を脱出したキム・ソンチョル氏(23)は、会寧でだけ20回以上の公開銃殺を見たことがあるという。

「頭がめちゃめちゃになり血が四方に飛び散り、全身に赤い鮮血が降り注ぐように出てくるのを初めて見た時は、あまりにもぞっとして、夜ごとの恐怖感に苦しめられ、こりごりでした。よく眠れず、また眠り込んだとしてもぞっとするような悪夢を見ました。しかし銃殺場面もたびたび見てしまった今となっては、なんでもないです」

 

連座制で一家族みな銃殺

公開銃殺の場合、連座制が適用され、一家族三世代が同時に死刑台の前に立つ場合がある。茂山から来たイ・ソンス君(16)の証言によれば、1998年1月8日、茂山在住のキム・ソンド(21)が、韓国の安全企画部により買収されたとして、キム・ソンド本人と父、母、親戚ひとりなど合計4人が同時に銃殺されたという。このように北朝鮮では、過去の朝鮮時代に逆賊を処罰する時、三世代を満遍なく滅ぼすことと同じ前近代的な方法が堂々と行われている。キム・ソンドは茂山で金正日党書記に反対して親韓国運動を起こそうとし、進んで清津の人々をも一緒に抱き込みかけたのだが、北朝鮮安全部に申告され捕えられたという。北朝鮮当局の判断により、重罪である思想犯の場合は家族もろとも銃殺し、そうでない場合は遺族を保衛部の監獄に送致する。北朝鮮の監獄は監獄という名ばかりの、死の収容所である。遺族は監獄のなかで食うに事欠いて、むちで打たれて結局は死んでいくのだ。たとえ銃殺されずとも、結果は同じなのである。

北脱出者らは93年頃、イ・インモ老人が北朝鮮に帰ってきた時、彼が韓国の監獄で30年以上閉じ込められていながらも死なずに生きていたことに対して、みな理解できなかったという。北朝鮮住民たちの常識では、監獄では5年以上を過ごすことは不可能で、みな死ぬであろうと考えているためだ。北朝鮮の人々は健康なイ・インモ老人を見て、韓国は監獄さえも住みやすいのならば、監獄の外側の社会はどれほど住みやすいのだろうか、と考えたという。監獄に入れられる人々の中には、北朝鮮の犯罪基準からみて無実である人々が多い。監獄で死んだ人々は山に掘られた小さな穴に埋められる。どこに埋められたのかわからないため、家族は遺体を見ることも、また墓に埋葬することもできない。チェ・キテ氏(25)によれば、保衛部の監獄はチョンソン郡トンボにもあり、会寧市チャムヒョ里にもあるという。

 

牛を捕食したり機械の部品を取り出しても銃殺刑

会寧で軍生活を過ごしたキム・ソンチョル氏は96年以後、会寧でだけ20回以上の銃殺を目撃した。キム・ヨンジン氏(25)は清津で7回の公開銃殺を目撃し、ラナムで3回の銃殺を目撃した。最近でも銃殺は行われているものの、特に96年が最も頻繁だったという。イ・ヨンフン君は茂山で95、96、97年に10回ほどの公開銃殺刑を目撃した。チェ・キテ氏は会寧で13回の銃殺を目撃し、茂山で女性が火あぶりにされるのを目撃した。イ・ソンス君は茂山で三回、茂山のゴム山で行われた銃殺を目撃した。これを合計すると、95年以後、会寧で20回以上、茂山で10回以上、清津附近で10回以上の公開銃殺刑が執行されたということがわかる。もちろん、中には火あぶりも存在した。一回の銃殺執行で、多ければ9人、少なくとも4人が殺される。一度に平均5人ほどが銃殺されるとすれば、95年以後の会寧、茂山、清津一帯だけでも200名以上が公開銃殺(火あぶりを含む)されたということになる。

公開銃殺は最近でも継続されている。チェ・キテ氏の証言によれば、99年8月、会寧では6人が同時に銃殺された。牛17頭を盗んで捕食したという罪目だった。

銃殺は厳重な犯罪だけに執行されるわけではない。窃盗のような軽微な事件も銃殺刑となる。牛を捕食したり工場の銅を盗み出して売り飛ばした人、起重機などの付属品や金属を取り出し売り飛ばした人もすべて銃殺刑である。

その中で、真っ先に銃殺刑が確定するのは、中国に渡ってキリスト教徒や韓国人に会った場合である。このような時は思想が完全に変化したという理由から拷問を受けたのち、死刑が執行される。韓国人に会った場合、その韓国人の職業が実際にはなんであっても、死刑が執行される時には無条件で安全企画部の要員に会ったと発表されるらしい。

 

ヌード写真を印刷して食費を稼いだ女性が火あぶり

チェ・キテ氏の別の衝撃的な証言によると、北朝鮮では火あぶり(火刑)が執行されるというのだ。北朝鮮での火あぶりの話はいままで韓国のメディアに報道されなかった事実である。中世ヨーロッパで一時、悪魔と見なされた人々に執行された火あぶりが、韓半島の北方で強行されているというのだ。99年10月、中国へやってきた軍人チェ・キテ氏は96年夏、咸北茂山で火あぶりが執行されるのを目撃した人だ。火あぶりは茂山市場で公開執行された。

当時、火あぶりに処された人は23才の女性であった。自分とお姉さんと二人でヌード写真を印刷し、中国で売ったという罪であった。彼女のお姉さんは中国のファリョンに住んでいるため、妹が姉に会おうと渡江している途中で軍人に捕まった。身体検査してみると、彼女とお姉さんのヌード写真が発見されたのである。この姉妹はヌード写真を刷っては食費を稼いできたということだった。北朝鮮はヌード写真に対しては、資本主義の黄色風(旋風)が入る、としてひどく警戒する。その結果として火あぶりにまで処するというのは、あまり残忍な処置である。

火あぶりはどのようにおこなうのか。ヌード写真を刷った女性はまず木に縛り付けられる。そして足元に薪を集めて火をつける。北朝鮮の安全部では、家族に火あぶりの執行を直接行わせる。この女性の場合にも、父と母が木を集めたあとで、父に火を付けさせたのである。火あぶりの執行ということさえ想像を絶するものであるにもかかわらず、家族を火あぶりにするとは、その家族の心情は果してどうであろうか。その女性は身体が炎に包まれた瞬間にも「私は死んでも、お姉さんは中国でお金たくさん稼いで、いい生活をするはずだ」と絶叫したという。

 

人肉で食べ物を作った女主人も火あぶり

キム・ヨンジン氏も清津のスナムで目撃した火あぶりを証言した。95年8月、清津スナムで汁飯食堂を運営する女性が赤ん坊の肉で肉汁飯を作り、売っている途中で発覚した。その赤ん坊は母親が外地に食料を求めにでかける間、食堂に預けた子どもであった。

一週間ぶりに家に帰ってきた赤ん坊の母親は、息子がいなくなったという話を聞いて、周囲の人々をたずねまわった。その結果、ぞっとする行為があったのを知った。

食堂の主人はスナム橋のそばの空地で火あぶりにされた。茂山で火あぶりにされた女性のように、その女性の家族が直接火をつけた。その光景を目撃した人は数千名に達したという。

95年といえば、北朝鮮の飢餓が最も深刻な年であった。その頃、北朝鮮では人肉を食べるという噂が飛び交っていたのだが、キム・ヨンジン氏の証言を聞くと、それが単純な噂ではなく事実である可能性がかなり高い。キム氏もやはりその汁飯を人肉と知らずにおいしく食べたという。キム・ヨンジン氏によれば、その汁飯食堂は独特の味ゆえに、お客さんが多かったという。

 

はらわたは腸詰、肉は汁飯

キム・ヨンジン氏が人肉証言を行うのと同様、チェ・キテ氏も97年4月に会寧市で人肉を売っている途中で発覚し、家族全員が銃殺された事件を証言した。この家族は食べるものがなく、家まで売り飛ばし、あげくの果てに赤ん坊をこっそりと殺した後、その肉を売り始めたのである。はらわたで腸詰を作り、肉で汁飯を作って売った。この家族が赤ん坊の肉を売り始めたのは95年10月からであった。彼らは1年以上も赤ん坊の肉を売っていたがゆえに、犧牲となった子ども達は少なくなかった。18才未満の未成年者の場合は死刑にはならないのだが、この家の息子と娘はその罪質があまり大きいとして、全員が処刑されたという。

中国で会った北脱出者を通じて確認した公開銃殺、火あぶり、人肉事件などはみな背筋が寒くなるような衝撃的な話である。ヒットラーはアウシュビッツ収容所にあるガス室でユダヤ人を集団虐殺し、クメール・ルージュは人の顔にビニール袋をかぶせて、毒ガスを注入し虐殺するという蛮行を行った。いま北朝鮮の金正日党書記は、人々を飢えで殺し、監獄で拷問や殴打で殺し、公開銃殺で殺し、あげくの果てに火あぶりにする。北脱出者は一様に、北朝鮮では常識では理解できない蛮行が行なわれている、と証言する。

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コメント
1. 2021年4月04日 16:40:50 : rv8Tk6tegU : dHNiRS9oSGczZFE=[6] 報告
<北朝鮮内部>軍の兵員大幅削減を断行(2)除隊軍人は農村、炭鉱に無理配置で不満高まる
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b949c09664e0a857397f80d3c7280fd08d3d93c

金正恩政権は、1月の労働党大会後に軍兵員の大幅削減に踏み切った。軍服務(兵役)期間が2020年までの男子13年から8年に、女子8年から5年に短縮され、服務満期に達し兵士たちの除隊が始まっている。人員不足が深刻な分野への労働力の再配置が主目的の「経済政策」の一環だとみなせる。ところが、当の除隊者の間から不満が噴出している。北部地域に住む取材協力者が実情を調査した。

取材協力者は、3月後半から国防省の隊列補充局傘下で兵役事務を担う「軍事動員部」の担当者などに会い、軍に入隊して8年を過ぎた兵士は、特殊な部隊と兵種を除いてすべて除隊させることが決まったことを確認した。

男子の場合、この10数年間の軍服務期間は10〜13年間で推移してきたので、2010年頃から入隊した25〜35歳の男子が大量に社会に出ることになる(入隊は17〜25歳)。

前倒しで兵営生活から解放されるわけで、さぞかし兵士たちは喜んでいるだろうと思いきや、必ずしもそうではない。むしろ除隊後の待遇と配置を巡り不満が噴出しているという。一番の問題になっているのは配置先の件だ。除隊軍人は大学入学推薦を優先的に得られていたのだが、今年の政府の方針は職場への「集団進出」が優先だ。

「農村出身者は無条件に農村に配置する。そうでない除隊者も、農場、鉱山、炭鉱、建設など男の人手が足りない職場に送る。所属する部隊別、または師団、旅団ごとにまとめて『集団進出』させることになった」
調査した協力者はこう説明する。

本人の希望がまったく考慮されず、誰も行きたがらない職場に送り込まれるため、一般的に「無理配置」と呼ばれている。

「除隊しても実家にも帰れず、銃の代わりに一生涯シャベルとつるはしを振るって働かなければならないのかと、不満が強い」と協力者は述べる。

◆農村に配置させると子々孫々まで抜け出せない

北朝鮮で最下層の職業とみなされているのは農業だ。自分の土地などもちろんなく、収穫のほとんどは国家に納め、取り分(分配)は少ない。商行為をする機会が限られているため、現金収入も乏しい。貧しく発展の可能性が閉じられた職業だとみなされているのだ。さらに農村に生まれると、子々孫々までが一生を協同農場員として過ごさなければならない。脱出困難な階級制度である。

そのため、農村の親も若者も、何とかして離脱を考える。これを「階級を変える」と言う。女性の場合は、都市労働者と結婚すれば離農できる可能性がある。男性の場合は、軍服務を終え社会に配置される時がほぼ唯一の「階級変更」のチャンスだ。どのようにするのだろうか?調査した協力者は次のように言う。

「農村出身の兵士たちは、服務期間の延長を自ら申請して下級将校や技術兵士になって都市への配置に兆戦する。5〜10年間も延長して兵営に留まる者もざらだ。しかし今年は、このような方法で『無理配置』を避けるのも難しくなった。農村が女ばかりで男が少ないため、中央の強力な指示で、農村出身の兵士は無条件に故郷に配置している」

除隊軍人の親たちも不満を口にしている。協力者は、次のような親の声を伝えてきている。

「息子を軍隊に行かせることよりも、『無理配置』で農場に行かされる方が辛い。せっかく育てた子どもを、国が勝手に進路を決めるのはあんまりだ」

◆労働党入党も曖昧に
過酷な超長期の軍隊生活の「対価」のひとつは、兵役を務め上げると優先的に労働党への入党推薦が得られることだった。党員になることは出世の絶対条件だからだ。しかし、今年は一度に大量の除隊者が出ることと、1月の党大会で党員資格を厳格化する方針が出たため、除隊即入党とはならないという。

「当局は『集団進出』で配置された職場でまじめに働けば入党できると誘導している」と協力者は述べる。

少なめに見積もって北朝鮮軍の兵員数を70万、除隊対象を20%とすると、今春14万人の若者が社会復帰する。不満を抱えた大量の除隊軍人を、金正恩政権はうまく包摂、あるいは統制できるだろうか。

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