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「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
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投稿者 中川隆 日時 2022 年 12 月 18 日 11:59:29: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 戦前の保守・右翼・陸軍軍人が戦後の左翼になった _ 右翼・保守は必ず共産主義者になる 投稿者 中川隆 日時 2022 年 12 月 13 日 07:51:11)

昭和天皇はアメリカと密約していた!
先日から
「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
という本をもとに記していますが今日この本を読み終え、また書きたくなったことがでてきたので書きたいと思います。それは‘昭和天皇は原爆が落とされるのを事前に知っていた’という驚愕な事実についてです。つまり昭和天皇はその事実を知っていて日本国民には知らせなかった、すなわち広島、長崎の人たちを見殺しにした、ということです。ではまずはそのことについて記させれている部分を同著から引用するところから始めたいと思います。

(前略)白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(2007年)に次なる記述がある。

「でも工藤さんは本当にいい人でした。確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・と入ってきたんです。そして、玄関に出ていくと、ぼそぼそっと言った。私は本所(墨田区)に住んでいたんですが、あと2〜3日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が9日か10日だと言っていました。そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」

これも不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。

もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・。」

柴田哲孝はこの本の中で「亜細亜産業」について詳述原爆8している。下山事件との関係について書いている。戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥のなかから誕生した昭和通商と結ぶつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父が、この会社の重役であった。柴田は「我が家には白洲次郎と思われる人物が祖父や矢板玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。

この本や白洲次郎に関する有馬頼寧の日記を見てもわかるように、白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える。次章以下で(私の注:アメリカの)陸軍参謀本部と原爆の関係を追求するなかで、その証明をすることにしよう。徳本栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(2007年)には次なる記述がある。

「1985年、彼(白洲次郎)は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨のあるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した‘密使’であり、戦後は日本進出を狙う英国企業の‘エージェント’としての顔だ。」

徳本栄一郎の「英国機密ファイルの昭和天皇」には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。

クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。しかも1982年、創業者のシグモント・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。

「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」

「国際金融寡頭勢力」という言葉を私は使ってきた。この中心にいたのがロスチャイルドとウォーバーグのユダヤ財閥である。一度彼らのエージェントになった者は、死ぬまで、その任務を解かれることはない。

引用文中のクリストファーとあるのはクリストファー・パーピスで、英国系投資銀行SGウォーバーグの幹部で東京支店長を勤めた男である。創業者のシグモント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。

そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。ロスチャイルドとウォーバーグ家は一枚の系図の中に入る。FRB(連邦準備制度理事会)をつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSS(私の注:CIAの前身)の中に入り日本向けの情報担当官となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループ(私の注:戦前の吉田茂反戦グループの略称。実際は裏で戦争を推進していた)に流していく。

白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。徳本栄一郎が「それは太平洋戦争直前、皇室や吉田の意を受け・・・」とあるのはなんとも甘い表現である。「白洲次郎はシグムント・ウォーバーグの忠告を忠実に厳守し、国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた」と書き直すべきである。

父親からの仕送りがなくなり、貧乏のどん底に落とされた留学生白洲は、シグムント・ウォーバーグの援助にすがって生きた。そこに、永遠のエージェントとならざる状況が生じたのである。

白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。

私は前著「日本のいちばん醜い日」でヨハンセン・グループについて詳述した。その中で、外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されている「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」を紹介した。もう一度ここに紹介し、この項を原爆13終わりとする。この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は(私の注:アメリカの軍事会議の)「目標管理委員会初回会議覚書」(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。

「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が---その真実性が私には判りませんが---入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」

後述するが、原爆の情報は皇室、軍部、ヨハンセン・グループに流れ続けていたのである。しかし、原爆は広島と長崎に落とされた。その心因を追求し続けねばならない。  

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コメント
1. 中川隆[-12823] koaQ7Jey 2022年12月18日 12:11:29 : F7fPu08sXc : NHZhNTBmNERTL2c=[1] 報告
林千勝さんはディビット・バーガミニや鬼塚英昭の様な歴史学会で定説になっている学説には絶対に触れないですね。
学界の定説が間違っていると考えているなら、ディビット・バーガミニや鬼塚英昭を徹底批判すればいいのに、完全無視するというのが姑息ですね。
昭和天皇はアメリカと密約していた!
「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(2007年)に次なる記述がある。

「でも工藤さんは本当にいい人でした。確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・と入ってきたんです。そして、玄関に出ていくと、ぼそぼそっと言った。私は本所(墨田区)に住んでいたんですが、あと2〜3日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が9日か10日だと言っていました。そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」

これも不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。

もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・。」

柴田哲孝はこの本の中で「亜細亜産業」について詳述原爆8している。下山事件との関係について書いている。戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥のなかから誕生した昭和通商と結ぶつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父が、この会社の重役であった。柴田は「我が家には白洲次郎と思われる人物が祖父や矢板玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。

この本や白洲次郎に関する有馬頼寧の日記を見てもわかるように、白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える。次章以下で(私の注:アメリカの)陸軍参謀本部と原爆の関係を追求するなかで、その証明をすることにしよう。徳本栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(2007年)には次なる記述がある。

「1985年、彼(白洲次郎)は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨のあるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した‘密使’であり、戦後は日本進出を狙う英国企業の‘エージェント’としての顔だ。」

徳本栄一郎の「英国機密ファイルの昭和天皇」には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。

クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。しかも1982年、創業者のシグモント・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。

「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」

「国際金融寡頭勢力」という言葉を私は使ってきた。この中心にいたのがロスチャイルドとウォーバーグのユダヤ財閥である。一度彼らのエージェントになった者は、死ぬまで、その任務を解かれることはない。

引用文中のクリストファーとあるのはクリストファー・パーピスで、英国系投資銀行SGウォーバーグの幹部で東京支店長を勤めた男である。創業者のシグモント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。

そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。ロスチャイルドとウォーバーグ家は一枚の系図の中に入る。FRB(連邦準備制度理事会)をつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSS(私の注:CIAの前身)の中に入り日本向けの情報担当官となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループ(私の注:戦前の吉田茂反戦グループの略称。実際は裏で戦争を推進していた)に流していく。

白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。徳本栄一郎が「それは太平洋戦争直前、皇室や吉田の意を受け・・・」とあるのはなんとも甘い表現である。「白洲次郎はシグムント・ウォーバーグの忠告を忠実に厳守し、国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた」と書き直すべきである。

父親からの仕送りがなくなり、貧乏のどん底に落とされた留学生白洲は、シグムント・ウォーバーグの援助にすがって生きた。そこに、永遠のエージェントとならざる状況が生じたのである。

白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。

私は前著「日本のいちばん醜い日」でヨハンセン・グループについて詳述した。その中で、外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されている「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」を紹介した。もう一度ここに紹介し、この項を原爆13終わりとする。この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は(私の注:アメリカの軍事会議の)「目標管理委員会初回会議覚書」(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。

「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が---その真実性が私には判りませんが---入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」

後述するが、原爆の情報は皇室、軍部、ヨハンセン・グループに流れ続けていたのである。しかし、原爆は広島と長崎に落とされた。その心因を追求し続けねばならない。

2. 中川隆[-12822] koaQ7Jey 2022年12月18日 12:29:45 : F7fPu08sXc : NHZhNTBmNERTL2c=[2] 報告
林千勝さんはディビット・バーガミニや鬼塚英昭の様な歴史学会で定説になっている学説には絶対に触れないですね。
学界の定説が間違っていると考えているなら、ディビット・バーガミニや鬼塚英昭を徹底批判すればいいのに、完全無視するというのが姑息ですね。
昭和天皇はアメリカと密約していた!
「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(2007年)に次なる記述がある。

「でも工藤さんは本当にいい人でした。確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・と入ってきたんです。そして、玄関に出ていくと、ぼそぼそっと言った。私は本所(墨田区)に住んでいたんですが、あと2〜3日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が9日か10日だと言っていました。そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」

これも不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。

もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・。」

柴田哲孝はこの本の中で「亜細亜産業」について詳述原爆8している。下山事件との関係について書いている。戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥のなかから誕生した昭和通商と結ぶつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父が、この会社の重役であった。柴田は「我が家には白洲次郎と思われる人物が祖父や矢板玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。

この本や白洲次郎に関する有馬頼寧の日記を見てもわかるように、白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える。次章以下で(私の注:アメリカの)陸軍参謀本部と原爆の関係を追求するなかで、その証明をすることにしよう。徳本栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(2007年)には次なる記述がある。

「1985年、彼(白洲次郎)は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨のあるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した‘密使’であり、戦後は日本進出を狙う英国企業の‘エージェント’としての顔だ。」

徳本栄一郎の「英国機密ファイルの昭和天皇」には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。

クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。しかも1982年、創業者のシグモント・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。

「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」

「国際金融寡頭勢力」という言葉を私は使ってきた。この中心にいたのがロスチャイルドとウォーバーグのユダヤ財閥である。一度彼らのエージェントになった者は、死ぬまで、その任務を解かれることはない。

引用文中のクリストファーとあるのはクリストファー・パーピスで、英国系投資銀行SGウォーバーグの幹部で東京支店長を勤めた男である。創業者のシグモント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。

そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。ロスチャイルドとウォーバーグ家は一枚の系図の中に入る。FRB(連邦準備制度理事会)をつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSS(私の注:CIAの前身)の中に入り日本向けの情報担当官となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループ(私の注:戦前の吉田茂反戦グループの略称。実際は裏で戦争を推進していた)に流していく。

白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。徳本栄一郎が「それは太平洋戦争直前、皇室や吉田の意を受け・・・」とあるのはなんとも甘い表現である。「白洲次郎はシグムント・ウォーバーグの忠告を忠実に厳守し、国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた」と書き直すべきである。

父親からの仕送りがなくなり、貧乏のどん底に落とされた留学生白洲は、シグムント・ウォーバーグの援助にすがって生きた。そこに、永遠のエージェントとならざる状況が生じたのである。

白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。

私は前著「日本のいちばん醜い日」でヨハンセン・グループについて詳述した。その中で、外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されている「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」を紹介した。もう一度ここに紹介し、この項を原爆13終わりとする。この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は(私の注:アメリカの軍事会議の)「目標管理委員会初回会議覚書」(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。

「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が---その真実性が私には判りませんが---入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」

後述するが、原爆の情報は皇室、軍部、ヨハンセン・グループに流れ続けていたのである。しかし、原爆は広島と長崎に落とされた。その心因を追求し続けねばならない。

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

3. 中川隆[-12821] koaQ7Jey 2022年12月18日 12:33:06 : F7fPu08sXc : NHZhNTBmNERTL2c=[3] 報告
林千勝さんはディビット・バーガミニや鬼塚英昭の様な歴史学会で定説になっている学説には絶対に触れないですね。
学界の定説が間違っていると考えているなら、ディビット・バーガミニや鬼塚英昭を徹底批判すればいいのに、完全無視するというのが姑息ですね。
昭和天皇はアメリカと密約していた!
「原爆の秘密(国外篇)----殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊
白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(2007年)に次なる記述がある。

「でも工藤さんは本当にいい人でした。確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・と入ってきたんです。そして、玄関に出ていくと、ぼそぼそっと言った。私は本所(墨田区)に住んでいたんですが、あと2〜3日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が9日か10日だと言っていました。そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」

これも不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。

もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・。」

柴田哲孝はこの本の中で「亜細亜産業」について詳述原爆8している。下山事件との関係について書いている。戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥のなかから誕生した昭和通商と結ぶつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父が、この会社の重役であった。柴田は「我が家には白洲次郎と思われる人物が祖父や矢板玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。

この本や白洲次郎に関する有馬頼寧の日記を見てもわかるように、白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える。次章以下で(私の注:アメリカの)陸軍参謀本部と原爆の関係を追求するなかで、その証明をすることにしよう。徳本栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(2007年)には次なる記述がある。

「1985年、彼(白洲次郎)は生涯を閉じたが、英国流ダンディズムと気骨のあるライフスタイルは、白洲ブームとも言うべき現象を起こしている。だがこの白洲次郎には、あまり知られていない、もう一つの顔がある。それは太平洋戦争直前、皇室や吉田茂の意を受け、英国政府との和平工作に奔走した‘密使’であり、戦後は日本進出を狙う英国企業の‘エージェント’としての顔だ。」

徳本栄一郎の「英国機密ファイルの昭和天皇」には、「エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック」として、白洲次郎とウォーバーグ財閥について書かれている。

クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受け取っていなかった。しかも1982年、創業者のシグモント・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見人役を続けた。

「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。そのウォーバーグ卿から頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」

「国際金融寡頭勢力」という言葉を私は使ってきた。この中心にいたのがロスチャイルドとウォーバーグのユダヤ財閥である。一度彼らのエージェントになった者は、死ぬまで、その任務を解かれることはない。

引用文中のクリストファーとあるのはクリストファー・パーピスで、英国系投資銀行SGウォーバーグの幹部で東京支店長を勤めた男である。創業者のシグモント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。

そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。ロスチャイルドとウォーバーグ家は一枚の系図の中に入る。FRB(連邦準備制度理事会)をつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSS(私の注:CIAの前身)の中に入り日本向けの情報担当官となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループ(私の注:戦前の吉田茂反戦グループの略称。実際は裏で戦争を推進していた)に流していく。

白洲次郎の岳父が樺山愛輔。彼は昭和天皇の母貞明皇太后と深く結ばれている。貞明皇太后の周囲には、ヨハンセン・グループがたむろしていた。彼らのほとんどは、禎明皇太后と同じクエーカー教徒であり、ヨハンセン・グループとの間には、同じクリスチャンという共通項が厳然と存在していた。そのルートで貞明皇太后は樺山愛輔から、アメリカとイギリスのニュースを入手していた。徳本栄一郎が「それは太平洋戦争直前、皇室や吉田の意を受け・・・」とあるのはなんとも甘い表現である。「白洲次郎はシグムント・ウォーバーグの忠告を忠実に厳守し、国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた」と書き直すべきである。

父親からの仕送りがなくなり、貧乏のどん底に落とされた留学生白洲は、シグムント・ウォーバーグの援助にすがって生きた。そこに、永遠のエージェントとならざる状況が生じたのである。

白洲は日本水産から帝国水産に移動して何をしたのか。調査室室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。

私は前著「日本のいちばん醜い日」でヨハンセン・グループについて詳述した。その中で、外務省編「終戦史録(5)」の中に掲載されている「大井篤手記---天皇制と太平洋戦争」を紹介した。もう一度ここに紹介し、この項を原爆13終わりとする。この中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は(私の注:アメリカの軍事会議の)「目標管理委員会初回会議覚書」(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。

「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が---その真実性が私には判りませんが---入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそがれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」

後述するが、原爆の情報は皇室、軍部、ヨハンセン・グループに流れ続けていたのである。しかし、原爆は広島と長崎に落とされた。その心因を追求し続けねばならない。

▲△▽▼

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

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