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南京大虐殺の証拠
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/181.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 14 日 06:58:11: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


事件直後の欧米人の調査で、南京デルタ地域で少なく見積もっても30万人が死んだ、と世界中に打電されているよ。虐殺の様子を写したビデオも撮影されている:

南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
貴重資料『南京事件U』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0

埋葬問題
https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/#content_8
大量の死体は実際にあった
紅卍字会の埋葬活動期間に偽りはない
紅卍字会の埋葬隊の服装に不審な点はない
紅卍字会の12月の埋葬は捏造ではない?
崇善堂が埋葬活動をしていたことは事実
崇善堂の埋葬数を全否定することはできない


▲△▽▼

一 般 市 民 虐 殺 命 令 
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html  

▲△▽▼

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした

 

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コメント
1. 2021年3月17日 09:40:06 : g5mRlSAvEk : TE01a3RqQ21Pcm8=[5] 報告
南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
貴重資料『南京事件U』 - YouTubeリンク
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0
2. 中川隆[-6308] koaQ7Jey 2021年3月27日 09:50:32 : bzxszX9qUI : SmlwSVF5LncyM3c=[12] 報告
南京大虐殺の証拠


https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0


南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「徹 底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ  
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

▲△▽▼

南京戦では昭和天皇が朝香宮に電報で直々に虐殺命令を出したのがわかっています。それで東京裁判では松井石根を昭和天皇の身代わりに死刑にて虐殺責任の追及を終了させたのです:

一 般 市 民 虐 殺 命 令 

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


依田修(1916年11月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第3機関銃中隊
 大連から南下して上海から揚子江を上にいった白茆口という所に着きました。そこでは敵前上陸で、そこからどんどん追撃して南京まで行ったんです。その時、私は上からの命令文を見ました。

「s hina 人は全部xxせ、家は全部xけ」

と書いてありました。その命令は白茆口を上陸する前日に出たんです。


 当時、大連で船に乗った時はもう内地に帰れるかなぁと思っていました。でも、なかなか日本に着かないなぁと思っていると上陸の命令が来たんです。「今から上陸するところは米が穫れる、水牛がおる、s hina 人は全部xxせ、家は全部xけ」と言う命令でした。

 (略)

 上陸してから常熟で一晩泊り、翌日の出発前に家を全部焼き払いました。民家の中のタンスやらを積んで火を点けたら全部燃えましたな。結構広い部落が全部燃えました。そうしたら、後方部隊が来るようになったので「家をxくな」という命令が再び出たんです。それは無錫の手前でした。その命令は小隊長から聞きました。

沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしでxxせ」という命令が出ました。つまり gyakusatu でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。

(略)

 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部xけという命令がずっと出てました。するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家をxくのを中止したんです。とにかく

「家は全部焼いて、人間は全部xxせ」

という命令でした。命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは s hina の部隊も集中してました。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html  


▲△▽▼

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした

3. 中川隆[-6307] koaQ7Jey 2021年3月27日 09:59:20 : bzxszX9qUI : SmlwSVF5LncyM3c=[13] 報告
南京大虐殺の証拠


https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0


南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「徹 底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ  
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

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日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日

吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。

同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。

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南京戦では昭和天皇が朝香宮に電報で直々に虐殺命令を出したのがわかっています。それで東京裁判では松井石根を昭和天皇の身代わりに死刑にて虐殺責任の追及を終了させたのです:

一 般 市 民 虐 殺 命 令 

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしでxxせ」という命令が出ました。つまり gyakusatu でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。

(略)

 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部xけという命令がずっと出てました。するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家をxくのを中止したんです。とにかく

「家は全部焼いて、人間は全部xxせ」

という命令でした。命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは s hina の部隊も集中してました。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html  


▲△▽▼

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした

4. 中川隆[-16014] koaQ7Jey 2021年7月27日 17:02:11 : RNyACZ9w4Q : M0lMWFBOcld1eUE=[9] 報告
【貴重証言】加害者としての日本軍
2020/08/24




戦争から75年がたち元兵士の大半が亡くなるなか、とても貴重な証言。右派左派ともに耳を傾けるべき内容。初年兵がやらされる刺突訓練(農民を殺害)、日本人軍医が戦時中に記した兵士による輪姦の状況など。戦争の真実がここに。※沖縄戦を体験した兵士は当然ながら中帰連メンバーではありません。

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