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法律は、上級国民の命令である。従って、上級国民は、法律に従わなくていい。
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 7 月 18 日 09:49:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は醜い 投稿者 中川隆 日時 2021 年 7 月 17 日 13:30:45)

全然わかっていないね、上級国民は儒教原理で動いているんだよ:
法律は、上級国民の命令である。従って、上級国民は、法律に従わなくていい。
儒教は徳治主義です。
徳治主義とは徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想です。
この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透しています。

では「徳」とか「正しい」とはどういうことか?というと、明確な答えはありません。時代によって状況によって正しいということは変化するものだからです。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」です。

そのとき正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」ことになります。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」です。

となると、良い結果こそが正義です。

徳治主義とは実は、究極の成果主義と言えます。
しかし、それなら何の問題も無いような気がします。

しかし、ここに落とし穴があります。
結果がその人物の「徳」を証明するのですが、ここに「因果関係」がありません。

例えば、AさんがBさんに騙されてお金を取られたとします。
儒教の徳治主義では、騙されたAさんが悪い、となります。

騙されたのはAさんに徳がないから、バカだからです。
徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのです。

でも、Aさんは「嘘」をつかれ、騙されたから判断ミスしたのです。
客観的な情報を得ることが出来れば判断ミスはしなかったでしょう。

それでも騙される人はいますが、客観的で正しい情報を得ることが出来ればAさんが騙された確率は格段に下がったのです。だから、嘘をつき、間違った情報で騙したBさんが、儒教の国以外では悪いのです。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるでしょうが、Bさんに非が無い、もしくはほとんどの非がAさんにあるという考えにはなりません。そう判断するのは儒教国だけです。


その結果、嘘をつくことが正当化されます。
騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得です。

騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからです。

嘘はつき得なのです。
ばれたらケンチャナヨ(まぁいいや、気にすんな)です。

上級国民の行動原理

●徳治主義では正しい・徳のある人が上に立つと上手くいく。

●そこで正しさの証明が必要だが、正しいというのは非常に曖昧なもので、証明が難しい。


●正しさの証明の方法が三つある。
@地位が高いと正しい
A結果が出るのは正しいから
B他人を悪く言うことで、自分の正しさを証明しようとする

●事実に基づかなくても、正しいことが優先される。よって悪口言い放題となる。

正しく、徳のある人とは???

儒教は徳治主義です。
徳治主義とは簡単に言うと「正しい・徳のある人が国を治めると発展する」という考え方です。

徳治主義は権力者だけでなく、国民全体に行き渡った考え方です。
誰もが「正しく」「立派な」「徳のある」人物であろうとします。

でも、正しいってなんでしょうか?

正しいってのは客観的な価値観じゃありません。

では何を持って正しいというのか?
徳があるとはどうやって証明するのか?

幾つかの方法があります。

まず二つの証明方法

地位が高いのは正しいから

一つは地位が高いってことは正しいということです。
正しいから地位が高い、だから地位が高い人は正しい。

上司は正しい。
教授は正しい。
そういう人たちの言うことは正しい。


また、「孝」の思想から目上の人は無条件で偉い人ですから、

目上の人は正しい。
目上の人が言うことは正しい。
親は正しい。親の言うことは正しい。

となります。

これは、理不尽な面もありますが、しかし社会を安定させるには悪い方法ではありません。


成果・結果が出るのは正しいから

次は、結果を出すこと。

徳治主義では正しい人が上に立つと良い結果が出ます。
誰でもハッキリと分かるような成果を出すと、それは正しいとなります。

売り上げを伸ばし、
テストの成績を伸ばし、
業績を挙げて、利益をふやす。

それは自分が正しいという証明になります。

最後の証明方法

他人を否定することで正しさを証明する

あと最後に、他人を否定する、というのがあります。
ここが問題です。

つまり、自分の正しさを証明するために他人を否定します。

他人が間違っているから、自分が正しいというわけじゃないのですが、それでも、その人よりは正しければその人よりは「上の人間」と証明出来ます。

だから他人を見下し、問題点を挙げ、否定します。
自分に同様の問題点があるかないかは、それこそ問題ではありません。

これが非常に厄介です。

誰かを否定し、誰かを見下すことが、行動の原理になるのです。
しかも一番手っ取り早く自分の正しさを証明できます。

自分は一流で先進、あなたは三流で後進、何をしても自分が上、と証明したがります。

しかもその証明には必ずしも事実にもとづく必要がありません。
正義が事実を追い越しているからです。

だからなんだって言えます。
まぁ、嘘ですね。

しかし嘘をついている意識はありません。
それは事実より正義が大事だからです。

事実と異なることは、「嘘」ですが、
そもそも事実が重んじられないのだから、
嘘という感覚が希薄です。

そういうことで事実にもとづく必要もなく、その上で、(何度も言うようですが)他人を否定するわけですから、単なる悪口です。

悪口を言うことは、普通なら不徳です。
しかし、自分の優位を証明することは、自分が正しいことの証明になり、自分に徳がある証明になります。だから不徳ではないのです。日本人から見ると無茶苦茶ですが、そうなります。

事実を元にする必要が無いので悪口の言い放題となります。止める方法がありません。でも誤解してはいけないのが、これが上級国民だってことです。
それが当たり前だと思っているのです。

●儒教では上下関係を維持するのは「安定」「平和」のため。
儒教が成立したのは紀元前6世紀の中国でした。このとき中国は騒乱の時代で、国があり、王が居たのですが、その王の部下が王を蔑ろにしていました。王の言うことを聞かないのですから、混乱しますよね。ここに秩序の回復を訴えたのが孔子でした。孔子は「礼」が大事として「上下関係をしっかりとするべきだ」としました。だから儒教では上下関係が非常に厳しいのです。上下関係という秩序を保つことで社会を安定させているわけです。上下関係とは平和のための手段なんです。

上級国民は上下関係を重んじます。その上下関係を決めるのが「道徳」なんですね。そんな社会なので「上」は「道徳的に正しい」から、威張って命令できるんです。なぜなら「正しい」のだから。「下」はその命令に従わないといけない。なぜなら「道徳的に正しくない」から。下は上に絶対服従。絶対服従するのが社会の道徳なんです。

この上下関係はかなり厳しくて、事実より上下関係…つまり道徳が優先されます。厄介なのは、飛行機のパイロットです。パイロットの機長が判断ミスをして、それを副操縦士が指摘しても、「上」の意見が絶対の上級国民の社会では、そんな指摘なんて無意味、いや、そんな指摘をすると、上(=機長)が下(=副操縦士)をぶん殴るなんてことがあるのです。それだけ上下関係が厳しいのです。そりゃ事故が起きやすいですわな。  

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