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マルクスとバクーニン(wikiから)
ほぼ同年代ということですかね。
マルクス
1818年5月5日 - 1883年3月14日
バクーニン
1814年5月30日 - 1876年7月1日
1844年、バクーニンは当時ヨーロッパ急進派の中心地となっていたパリへ向かった。マルクスやアナキストのピエール・ジョセフ・プルードンと接触したが、特にプルードンからは大きな感銘を受け、二人の間には友情が築かれた。1844年12月、皇帝ニコライ1世により貴族的特権および市民権の剥奪、所領の没収、終身のシベリア流刑が宣告され、バクーニンはロシア帝国当局から追われる身となった。これに対しバクーニンは新聞『改革』(La Réforme) に長い手紙を送り、ロシア皇帝を圧制者と非難し、ロシアとポーランドにおける民主主義の必要性を訴えた。1846年3月、『立憲』(Constitutionel) に寄せた書簡ではポーランドを擁護し、同地のカトリック教徒に対する弾圧に賛同した。1847年11月、クラクフからの避難民のうち反乱軍の勝利に賛同する者たちが、1830年のポーランド十一月蜂起を記念する集会にバクーニンを招き、講演を行った。
この講演でバクーニンはポーランドとロシアの人民が協力して皇帝に立ち向かうよう呼びかけ、ロシアにおける専制政治の終焉を待ち望んでいると表明。この結果フランスから追放され、ブリュッセルへと赴くこととなった。バクーニンはゲルツェンとベリンスキーに協力を仰ぎロシアで革命を起こそうと目論んだが、二人の助力は得られなかった。ブリュッセルでは再びポーランドの革命家やマルクスとやりとりし、1848年2月にはレレヴェルが組織した会合でスラヴ民族の未来について語り、彼らが西洋世界に活力をもたらすと述べた。この頃、バクーニンが度を越した活動に走ったロシア側の工作員であったという噂が、ロシア大使によって流された。
1848年には各地で革命運動が起こった。ロシア国内でそうした動きが見られなかったことには失望したものの、バクーニンの歓喜の念はひとしおであった。暫定政府を担う社会主義者、フェルディナンド・フロコン、ルイ・ブラン、アレクサンドル・オーギュスト・レドル・ロラン、アルベール・ロリヴィエといった面々の資金協力を得て、スラヴ連合によりプロイセンやオーストリア・ハンガリー帝国、トルコの支配下におかれた人々を解放すべく活動を開始。ドイツへ向けて出発し、バーデンを通りフランクフルト、ケルンに至った。
バクーニンはヘルヴェーグ率いるドイツ民主主義者義勇隊を支援し、フリードリヒ・ヘッカーによるバーデン蜂起に加わろうと企てたが失敗。この時ヘルヴェーグを批判したマルクスと対立した。バクーニンはマルクスとの関係について、この頃から互いに良い感情が持てなくなったと後年になって振り返っている。
バクーニンは続いてベルリンに移動したが、そこからポーゼン(ポズナン)へ向かおうとして警察に阻止された。ポーランド分割以来プロイセンの支配下に置かれていた同地ではポーランドの国家主義者による暴動が起こっていた。バクーニンは予定を変更してライプツィヒとブレスラウを訪れ、プラハでは第一回汎スラヴ会議に参加。だがこれに続いた蜂起は、バクーニンの尽力があったにもかかわらず、武力で鎮圧され失敗に終わった。ブレスラウへ戻ったバクーニンだが、彼をロシア帝国側の工作員であるとする言説をマルクスが再び広め、証拠はジョルジュ・サンドが持っている、と主張した。サンドがバクーニンの擁護に回るとマルクスはこの発言を撤回した。
バクーニンは1848年秋、『スラヴ諸民族へのアピール』において、スラヴの革命勢力がハンガリーやイタリア、ドイツのそれと連帯することを提案している。目的は当時のヨーロッパの三大専制君主国家、ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、プロイセン公国の三カ国の打倒であった。
1849年、ドレスデン五月蜂起においてバクーニンは指導的役割を担い、リヒャルト・ワーグナーやヴィルヘルム・ハイネらと共にプロイセン軍に抵抗、バリケード戦に臨んだ。しかしケムニッツで捕らえられ、13か月に及ぶ拘置期間ののちザクセン政府により死刑を宣告された。ロシア政府とオーストリア政府が彼の身柄を欲していたため終身刑に減刑されたが、1850年6月にはオーストリア当局に引き渡され、11か月の後に再び死刑判決を受ける。結局これも終身刑に減刑となり、最終的には1851年5月にロシアへ身柄を送致された。
この時期について言及したワーグナーの日記に「伸び放題の顎ひげと藪のような頭髪」をたくわえたバクーニンが登場している。
―――中略
バクーニンとマルクスの間で交わされた論争は、アナキズムとマルクス主義との相違点を浮き彫りにした。バクーニンは多くのマルクス主義者らが持ついくつかの考えに対して異を唱え、革命が全て暴力的である必要はないと主張した。同時にマルクスの提示するプロレタリア独裁という概念には強く反対した。マルクスの支持者はこの言葉を現代で言うところの労働者による民主制と解釈するが、これによって共産主義への過渡期の状態にも国家は存続することになる。バクーニンは「革命家による独裁という考えはもう捨てており」、革命は民衆主導で行われるべきであると主張し、また「知識を身につけたエリート」には「表には出ず」「人に負担をかけず」「公権力を持たず、要職につかずに」「ただ影響を及ぼすにとどまる」べきであるとした。国家というものを直ちに無くすべきである、というのがバクーニンの見解であった。いかなる形の政府も、やがては抑圧への道をたどる、と考えたのである。バクーニンにとって、自由とはあくまでも「下から上へと向けて実現される」べきものであった。
社会的アナキストとマルクス主義者の両者とも、目指すところは自由の創出であり、社会的階層や統治機関なき平等社会の実現であったが、目的を達するための手段については激しく対立した。アナキストの信念によれば、階級も国家も存在しない社会を築くためには大衆自身が直接行動を起こし、社会革命を達成するべきであり、プロレタリア独裁のような中間的な段階を認めるべきではない。そのような独裁体制はのちに永久化の土台と化してしまうからである。バクーニンから見ると、マルクス主義者は根本的な矛盾を抱えていた。
バクーニンは1844年にマルクスと出会って以来、「マルクスがエンゲルスと共に第一インターナショナルに最大の貢献をしたことは疑いない。彼は聡明で学識深い経済学者であり、イタリアの共和主義者マッツィーニ等はその生徒と呼んでいい程である」とその能力を認めつつも、「マルクスは、理論の高みから人々を睥睨し、軽蔑している。社会主義や共産主義の法王だと自ら考えており、権力を追求し、支配を愛好し、権威を渇望する。何時の日にか自分自身の国を支配しようと望むだけでは満足せず、全世界的な権力、世界国家を夢見ている」と彼の気質に対しては反感に近い感情を抱いており、その評価は後年も変わらなかった。
だがバクーニンは経済学者としてのマルクスを評価し、『資本論』のロシア語訳に取り掛かった。一方マルクスは1848年のドレスデン蜂起について「ロシアからの避難民の中ではミハイル・バクーニンが有望で有能な指導者とみなされていた」と記している。マルクスはまたエンゲルスへの手紙でシベリアから戻ったバクーニンと1864年に再会したことに触れ「16年を経て老い衰えた様子もなく、なおも成長を遂げたようにさえ思われた。彼のような人物は稀有である」と書いている。
バクーニンは、国家において官僚制度を形成する知識人や行政官からなる、いわゆる新階級について論じた最初の人間であるともいえる。バクーニンによれば、一部の特権階級の世襲財産とされてきた国家は、やがてこの新しい階級である「官僚階級の手に渡り、単なる機械へと成り下がる――あるいは成り上がると言うべきか。」
―――中略
バクーニンは死後、ユダヤ人嫌いとしてしばしばその名を挙げられてきた。マルクスとの論争にしばしば反ユダヤ主義を持ち込み、典型的な反ユダヤ主義・ユダヤ陰謀論的見解を繰り返し述べている。
「貪欲な寄生虫で構成されるユダヤ世界は国境を超えるばかりか、政治思想の違いさえも超えてくる。この世界の大部分は、片やマルクス、片やロスチャイルド家の意のままになっている。私は知っている。反動主義者であるロスチャイルドが共産主義者であるマルクスの恩恵に大いに浴していることを。他方、共産主義者であるマルクスが本能的に金の天才ロスチャイルドに抗いがたいほどの魅力を感じ、称賛の念を禁じえなくなっていることも。ユダヤの結束、歴史を通じて維持されてきたその強固な結束が、彼らを一つにしているのだ」、「マルクスの共産主義は中央集権的権力を欲する。国家の中央集権には中央銀行が欠かせない。このような銀行が存在するところに人民の労働の上に相場を張っている寄生虫民族ユダヤ人は、その存在手段を見出すのである」、「独裁者にしてメシアであるマルクスに献身的なロシアとドイツのユダヤ人たちが私に卑劣な陰謀を仕掛けてきている。私はその犠牲者となるだろう。ラテン系の人々だけがユダヤの世界征服の陰謀を叩き潰すことができる」といった具合である。
このような偏狭なユダヤ人観は当時、他の急進的社会主義者やアナキストの間にもみられた。例えばプルードンの覚書には、ヨーロッパからのユダヤ人の追放または根絶を呼びかけている一節がある。
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