★阿修羅♪ > 国際31 > 829.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
米英の情報機関と特殊部隊は第2次世界大戦の終盤からソ連/ロシアと戦っている(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/829.html
投稿者 赤かぶ 日時 2022 年 6 月 30 日 13:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

米英の情報機関と特殊部隊は第2次世界大戦の終盤からソ連/ロシアと戦っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202206290000/
2022.06.29 櫻井ジャーナル

 ​ウクライナの特殊部隊「シャーマン大隊」がロシア領内へ侵攻、ロシアの重要な基盤施設を破壊する作戦を実行​したとイギリスのタイムズ紙は伝えた。石油精製施設、兵器庫、通信施設などが目標になった可能がある。

 アメリカのバラク・オバマ政権がウクライナでクーデターを成功させてビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのは2014年2月のことだった。​その翌年からCIAはウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練している​​と伝えれられている。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、​CIAだけでなく、イギリス、フランス、カナダ、リトアニアの特殊部隊員がウクライナ国内で活動している​​。主に首都のキエフで活動しているとされているが、ドンバス(ドネツクとルガンスク)にもいるようだ。

 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナで取材を終えて帰国した後、アメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると伝えていたが、こうしたことも続いているだろう。​アメリカ陸軍の第10特殊部隊グループはドイツで訓練の準備を秘密裏に進めている​​ともいう。

 ウクライナではネオ・ナチだけでなく、西側の情報機関や特殊部隊も戦闘に参加しているのだが、第2次世界大戦後、アメリカの情報機関と特殊部隊は正規軍と別に軍事作戦を展開してきた。

 ナチスに支配されていたドイツは1941年6月、全戦力の4分の3を投入してソ連に向かって軍事侵攻を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。

 この展開を見たアドルフ・ヒトラーは10月3日の段階でソ連軍の敗北を確信、再び立ち上がることはないとベルリンで語った。イギリスも同じ見方で、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイはモスクワの陥落は3週間以内だと推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 フランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連に対して信教の自由を要求、それを受け入れれば助けると伝えていたというが、ウィンストン・チャーチル英首相はソ連を敵視、敗北を願っていた。(前掲書)

 しかし、米英の見通しとは違ってドイツ軍は攻めきれない。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まっていたが、11月になるとソ連軍の反撃でドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。

 この展開を見て慌てた米英両国は1943年5月にワシントンDCで会談し、7月に両国軍はシチリア島に上陸した。「ハスキー計画」だ。

 この大戦でヨーロッパ各国の軍隊は事実上、ドイツ軍と戦っていない。戦ったのはレジスタンスだったが、その主力はコミュニスト。ドイツの敗北が決定的になると、西ヨーロッパでコミュニストの影響力が強まることを懸念したイギリスのSOEとアメリカのSOは1944年にフランスでゲリラ戦を目的として部隊を編成している。「ジェドバラ」だ。

 大戦後、ジェドバラの一部はアメリカの特殊部隊になり、一部は破壊工作機関のOPCになった。1950年に10月にOPCはCIAに吸収され、52年8月にはOPCが中心になって計画局が設置された。計画局は要人暗殺やクーデターなど秘密工作を実行、その一端が1970年代に議会で明らかにされると作戦局に名称を変更、2005年にはNCS(国家秘密局)へ衣替えし、15年には再び作戦局へ戻った。

 情報機関の秘密工作を調査するため、1975年1月に上院に特別委員会が設置され、2月には下院でも特別委員会が設置された。上院の委員会はフランク・チャーチ議員が委員長に就任したことから「チャーチ委員会」と呼ばれている。下院の委員会は当初ルシエン・ネジ議員が委員長になるが、すぐにオーティス・パイク議員へ交代したことから「パイク委員会」と呼ばれる。

 こうした調査の過程で「フェニックス・プログラム」と名付けられた作戦が明るみに出た。1967年6月、NSC(国家安全保障会議)に所属していたロバート・コマーの提案に基づき、MACV(ベトナム軍事支援司令部)とCIAは共同で「ICEX(情報の調整と利用)」を始動させた。これはすぐ「フェニックス・プログラム」へ名称が変更になる。

 この作戦はCIAの命令に基づき、特殊部隊の隊員が動いた。その実働チームとして機能したのは、1967年7月に組織されたPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。隊員の中心は凶悪犯罪で収監されていた囚人たちだったという。この作戦は「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だという。その後、CIAと特殊部隊はラテン・アメリカや中東でも似たような作戦に従事、そしてウクライナだ。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 赤かぶ[175062] kNSCqYLU 2022年6月30日 13:25:49 : IrhQbsPtA1 : My43WnR3V2FGemc=[13679] 報告

2. トッドギネス[1] g2eDYoNog02DbINY 2022年6月30日 20:41:11 : h7s6X5cYiE : TFBpaUU0TlFoVm8=[1] 報告
 米英のソ連に対する支援は、ドイツ侵攻後すぐに始まったと思います。wikipediaで「レンドリース法」を参照してください。ソ連への物資援助は北極ルートとイランルートですが、このときイランはドイツ寄りだったため、1941年8月、ソ連とイギリスは共同でイランを占領するなど素早い動きを見せています。確かに米英軍がイタリアに上陸したのは1943年ですが、フランスが降伏し、イギリスが孤立していた状況下、ソ連だけが欧州大陸における唯一の「味方」だったことも考えると、ソ連を放置していたという話は信じられません。



▲上へ      ★阿修羅♪ > 国際31掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 国際31掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
国際31掲示板  
次へ