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ヘンリク・ミコワイ・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/764.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 04 日 04:24:32: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヘンリク・ミコワイ・グレツキ(1933年12月6日 - 2010年11月12日) 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 04 日 04:18:22)

ヘンリク・ミコワイ・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」


Henryk Górecki Symphony no. 3 - Dawn Upshaw (soprano); David Zinman & London Sinfonietta





the London Sinfonietta
Dawn Upshaw, soprano
David Zinman


Movement One: Lento-Sostenuto tranquillo ma cantabile - 0:00
Movement Two: Lento e largo-Tranquillissimo - 26:42
Movement Three: Lento-Cantabile-semplice -


▲△▽▼


交響曲第3番『悲歌の交響曲』(ポーランド語:Symfonia pieśni żałosnych)作品36は、ヘンリク・グレツキの代表作のひとつであり、20世紀後半において最も成功した交響曲のひとつでもある。


背景
共産主義政権下では、現代芸術は当局からしばしば「形式主義」と批判され、好意的とはいえない政治的環境の下に置かれていたが、1956年に現代音楽祭「ワルシャワの秋」が始まったことで戦後ポーランドの作曲家たちは、前例のないほどの創作の自由を享受することができた[1]。グレツキは前衛的作曲家たちの間で、初期の実験的な不協和音やセリエル音楽的作品で広く知られるようになっていた。1960年のワルシャワの秋で好評を博した「Scontri」や、1961年のパリ青年ビエンナーレで第1位を受賞した交響曲第1番のような現代的作品を通して、グレツキは国際的な音楽シーンに登場した[2]。1960年代を通して、グレツキは、ピエール・ブーレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンら、実験的作曲家やセリエル音楽の作曲家たちとの交流を続けた。


1970年代に入ると、グレツキは、初期の作品に見られたセリエル音楽や極端な不協和音などの要素から、徐々に離れ始め、交響曲第3番では、その少し前に発表された合唱曲「euntes ibant et flebant」(作品32、1972年)や「Amen」(作品35、1975年)と同様に、以前用いていた技法を完全に放棄している。グレツキの交響曲第3番における変奏の欠落と、繰り返しへの依存は、後年の作品に見られる和声的ミニマリズムと一層単純化されたテクスチュアへとグレツキが進んでいった過程における、ひとつの段階を示すものであった[3]。テクスチュアの単純化は彼の初期からの特徴であったが、これに三和音とオクターブを加えたのである。


この時期のグレツキの作品がもっている宗教的性格から、批評家も音楽学者も、しばしばグレツキを、根源的に単純化された音楽のテクスチュア、調性、旋律を追求し始めた、また、宗教的意味を帯びた作品を作るようになった、他の現代作曲家と結びつけようとした。同様の考えをもっていた、アルヴォ・ペルトやジョン・タヴナーのような作曲家たちは、しばしばグレツキと一緒に、ホーリー・ミニマリズム(英語版)という用語でまとめられたが、そのように括られた作曲家たちは、何らかの共通の影響があったとは誰も認めなかった。


作曲、初演


作曲時期:1976年


初演:1977年4月4日、フランスのロワイヤンで開催されたロワイヤン国際現代芸術祭(フランス語版)において、エルネスト・ブール指揮、南西ドイツ放送交響楽団、ステファニア・ヴォイトヴィチ(ソプラノ)により初演された[4]。
初演後しばらくの間は、まだこの交響曲は謎に包まれた作品であったが、80年代頃から日本の作曲科の授業でアナリーゼ用に研究され始められた。
演奏時間:54分。
出版はチェスター社とPWMが行っている。もともとはPWMのみの販売のはずなのに、チェスターはこの作品の人気のために契約に走ったと物議をかもした。
編成
この交響曲は、管弦楽とソプラノ独唱のための交響曲である。 フルート 4 (うち2本はピッコロ持ち替え)、クラリネット 4、ファゴット 2、コントラファゴット 2、ホルン 4、トロンボーン 4、ハープ、ピアノ、ソプラノ独唱、弦五部


曲の構成
3つの楽章から構成される。全楽章を通じて非常にテンポはゆっくりである。形式的には、古典的な「交響曲」の形式からは大きく逸脱している。


第1楽章 Lento
第1楽章の歌詞は15世紀のラメントに取材されている。中央を頂点とする3部旋法性で作られたカノン形式。


第2楽章 Lento e largo - Molto lento
第2楽章の歌詞は、ゲシュタポ収容所の壁に書かれた言葉に取材されている。


第3楽章 Lento - Lento e largo - Molto lento - Largo ben tenuto
第3楽章の歌詞は民謡からとられている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%84%E3%82%AD)
 

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コメント
1. 2021年10月04日 04:31:14 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[1] 報告
カジミェシュ・コルド ワルシャワ・フィル 1993年

Gorecki "Symphony No 3" Kazimierz Kord




1. Lento (Sostenuto tranquillo, ma cantabile)
2. Lento e Largo
3. Lento (Cantabile-semplice)

Joanna Koslowska, Soprano
Warsaw Philharmonic Orchestra
Kazimierz Kord, Conductor
2. 中川隆[-16153] koaQ7Jey 2021年10月04日 04:31:44 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[2] 報告

グレツキ 交響曲第3番 「悲歌のシンフォニー」
Górecki: Symphony No.3 "Symphony of Sorrowful Songs"


デイヴィッド・ジンマン指揮 ロンドン・シンフォニエッタ 1991年
David Zinman
London Sinfonietta

ソプラノ:ドーン・アップショウ Dawn Upshaw
切なくて泣きそう


録音状態は良い。1992年頃、ロンドンのラジオ曲で繰り返して流されたことから、大ヒットになったCDである。

グレツキの交響曲第3番は、「悲歌のシンフォニー」とも「悲しみの歌の交響曲」とも呼ばれている。
1933年に生まれた作曲家 グレツキさんの代表作で、「ゲンダイオンガク」というカテゴリーにはなるのだろうけど、ワケのわからん無機質的な曲ではなく、古典的なフレーズで、とっつきやすい聞きやすい曲である。
このジンマン盤は、1992年頃、ロンドンのラジオ曲で繰り返して流されたことから、流行ったCDである。
流行ったと言うには、う〜ん。曲の背景にあるモノの悲しみが深すぎて、大きすぎて〜
ちょっと言葉に詰まってしまうし、気が引けるのだが・・・。
グレツキの生誕地はポーランド、そして、アウシュヴィッツ収容所のあった場所である。
この交響曲は、そんな大虐殺が行われた時空間を超えて、悲しみを超えて、なんとも言えない祈りが詰まっているような気がする。交響曲3つの楽章に分かれているが、まず1楽章では、15世紀頃の哀歌を元にしたフレーズ。2楽章では、ソプラノ独唱が入ってくるが、この歌詞は、アウシュヴィッツ収容所の壁に残っていた言葉だという。

1楽章
冒頭は、かなり暗く、コントラバスだけが、ゆったりと、フレーズを繰り返す。
このコントラバスに、低弦のチェロ、ビオラって感じに、段々と膨らんでいくのだ。決まったフレーズを、カエルの歌が 聞こえてくるよ〜 の輪唱のように、ずれながら〜 旋律が、だんだんと高い音域の楽器に引き継がれていく。
実際、最初のコントラバスの音はとりづらく、チェロが入ってきて、ようやく人の声に近くなって、音の形が見えてくる。ホント、最初は音が聞き取りづらく、えっ なにモゾモゾ言っているんだろ〜って感じである。
「らぁらどし〜 らそふぁ〜 みそふぁ〜 みふぁそ どれし」
「れ〜れふぁみ〜 れどし〜 らどし〜」
いろんな楽器が集まってきて、段々と膨らんで来るところが、すごく、じわじわ〜っと迫ってくる。
短いフレーズが綾なす深みが、う〜ん。繰り返されることで、浮き上がり、そして沈む。
ヴァイオリンの高音域が重なってくると、なんとも美しい世界になって、これが浄化されるということなんだろうか、なんて感じたりして、、、。
旋律はシンプル 古典的なカノンで、ここまで美しく歌えるなんて、気持ちをひっぱって来るなんて〜 
途切れないフレーズに埋もれ、知らぬ間に鷲づかみされて、締め付けられる。
最後は消え入るように、「らぁらどし〜 らそふぁ〜 らそふぁ〜」
「ふぁ〜 ふぁ〜 ふぁ〜」という、静かな鐘のようなピアノの音が入って、ソプラノのソロが入ってくる。

2楽章は、「ふぁら〜そぉ〜 ふぁら〜 そぉ〜」という柔らかい音から始まる。
アップショウさんの声が一段と大きくなって〜
ゲシュタポ収容所の壁に書かれた言葉に取材されているという、お母さま、どうか泣かないでください〜と歌われているそうである。さっぱり言語はわからないのだけど、身につまされる歌声で。ぐっすっ。

3楽章は、戦争で子供を亡くした母親の歌であるとのことだ。
オケの音は、これも繰り返し繰り返し〜 フレーズには抑揚が少なく、音の動きも狭い。
こんなところで比較するもの憚れるが〜 マーラーの6番悲劇的のような、ドスン、ドヒャン、だだだっぁ〜 なんていう大袈裟な強烈な音楽ではない。
それなのに、なんで、こんなに妙にじわ〜っと来るんだろ。明るい光が入ってくるような。これが祈りでしょうかねえ・・・。厳粛さと共に泣かせられる。

ジンマン盤は、録音状態はすこぶる良いとは言えないが、息づかいが適度に深めで、音質に温かみがあって、人肌の暖かさを感じる演奏だ。
厳粛さもあり、繰り返し、揺らぎのなかで構成された音楽。大変、ゆったりとしたテンポが特徴で、繰り返し繰り返し、じわじわ〜っと迫ってきては、すーっと目の前を通り過ぎていくような楽曲で。
しんみり、じんわり〜 気がついたら、目頭が熱くなって、ぐすんっ。なのである。

この曲の背景には、全く救いが存在しないのだが、聴いていると救いが生まれてくるいう不思議な感覚に陥ってしまう。この曲を聴いていると、単なる癒しでは、収まりきれない世界が広がっている。
しかし、救いのない世界に、癒されている気分になって、どーもイカン。
救いって、どーいうことなんだろ。っと改めて感じないわけにはいかず・・・。かといって、やるせないような気分になり、無気力感にも襲われてしまう。
ワタシは、まだ、ぐるぐるマワル旋律に目眩を感じながら、はぁ〜っと、この楽曲のなかで歌われる母性に 溜息をついている。
録音状態は良いが、少し温かみのある、太めの線で奏でられている。それが、また、大きな母性的な響きとなっているかもしれない。救いや祈り、そのなかでも母性愛的な〜と感じさせられるモノは、う〜ん。
やっぱり、永遠なモノなのだ〜と思いながらCDを聴いている。

カジミェシュ・コルド ワルシャワ・フィル 1993年
Kazimierz Kord
Warsaw Philharmonic Orchestra
ソプラノ:ヨアンア・コショウスカ Joanna Kozlowska

昇天しちゃいました

録音状態は極めて良い。ホール感のある、透明度の高い演奏だし、低音の響きが、じわじわ〜っとうねり、漂い、見通しよく鳴り出して来る。

グレツキの第3番「悲歌のシンフォニー」は、ジンマン指揮のロンドン・シンフォニエッタ盤が有名だが、このワルシャワ・フィル盤は、録音状態が良い。
声楽の方は、ポーランド語なので〜なにせさっぱり言語が解らないのだが、これは、やっぱりオクニモノとしてワルシャワ・フィル盤の方が良いかもしれないし、演奏も、弦のカノンで、ずーっと続く1楽章の弦の重なりが、すばらしく明瞭で、均一化していて、静かに大きく揺らぐ様が見えてくるようである。
最初の恐ろしく低い弦のフレーズも、見事に聞こえる。

「らぁらどし〜 らそふぁ〜 みそふぁ〜 みふぁそ どれし」 というフレーズを、輪唱状態で追いかけつつ、旋律がうねり出すのだが、このコルド盤は、透き通った風通しの良さを感じる。
最初は、弦のパート数も少ないのだが、最高で10声部というから、う〜ん。頭のなかでゴチャゴチャになりそうになりがちがだが、それが絡まないのだ。
ワタシの耳はお粗末なので、全てを聞き取れる耳ではないのだが・・・。
まあ、主旋律主体というのではなく、それぞれの声部が、寄り添いながら、奏でられているという感じがして、見通しの良さと共に、適度な重さで、うねるのである。重すぎず〜 イヤミなく鳴ってくる。

コルド盤は、静かに、密やかに、目を閉じて、じーっくりと聴きたい曲だ。
チェロの音質が、しっとりと、適度な距離で流れてきて、妙にワタシの心にマッチする。
なんて言うか、この演奏は、ホント適度な距離感を感じる。
前半はチェロが、そして後半の方はヴァイオリンが、しっかりと旋律の芯として機能し、さりげなく、高い弦の音は、空で音が舞うような感じで、音が漂っている。

そして、高音域に入ってくると、空中で音が鳴っているような、ふわっ と一瞬にして、音が高く、うえに舞ったような感じに思えるのだ。収録しているホールは、天井が高いのだろうか。ここが、一瞬、教会のような感じがする。
ワルシャワ・フィルの本拠地であるコンサートホールだろうが、思わず、ここが、カテドラルではないかという錯覚に陥った。まるで、パルテノン神殿のように、天井に穴があいているかのように〜

2楽章
ソプラノのヨアンア・コショウスカ さんの声は、録音の良さもあいまって、中庸の美というか、甘くもなく、悲しみ深すぎず、かといって、情緒もあり〜 この演奏と合っている。妙な感情移入が無いというか、それを超えているというか。
なんだか、ワタシ的には、谷間の流れ出てくる清水のような〜 湧き水が流れてくるところの、活き活きとした瑞々しい、黄緑色をした苔のような〜 岩肌を滑って流れてくる清らかな水のように感じる。
お母さま、どうか泣かないでください〜と歌われている筈なのに、どーして、こんなイメージが湧いてくるのだろうか。はあ。ワタシには、メチャ悲しすぎる。

3楽章
このコルド盤は、かなり、ゆったりと歌われる。戦争で子供を亡くした母親の歌であるとのことだが。
「そぉら そぉら そぉら そぉら〜」というフレーズが、底流に流れて、この透明度が高いので、悲痛さはあまり感じないのだが、じわじわ〜っと染み入って来る。
静かに眠りにつきたいが、眠れないような感じがする。
「しら そら しら そら〜 そぉら そぉら」と繰り返され、段々と大きくなって、「しら れど しら しら れどしら そら れど しら れど〜」と、オルガンの和音のような響きに繋がって、大きく包まれていく。

う〜ん。この曲に関しては、あまり多くの言葉が要らない感じがする。
ジンマン盤は有名な盤だが、録音状態はコルド盤の方が良い。弦の線の太さ、見通しの良さはワタシ的にはコルド盤の方が好きだが、まあ、この曲ばかりは、聴く時の感性によるところが大きいかもしれない。

http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/01-symphony/gorecki-sym3.htm

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