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フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899-1963)
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 04 日 16:37:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 28 日 16:53:31)

フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899-1963)

フランス六人組周辺のおしゃれな音楽の入門はこの人が良いと思う。フランス流エスプリの利いた軽妙洒脱で粋な都会的音楽。メロディーに溢れていて分かりやすく、まためまぐるしく雰囲気が変わるので飽きない。管楽器のソナタなどが素敵である。


管弦楽曲

バレエ音楽『牝鹿』
3.0点
組曲版で聴いた。スッキリとした軽やかなオーケストレーションと爽やかで瑞々しい詩情のある音楽である。しかし、メロディーの魅力がいま一歩と思うし、都会的な魅力もない。従って、それなりに良いのだが、あくまで若書き作品であり、もっと他に良い曲があると思って聴いてしまう。

『フランス組曲』(管楽器、打楽器、チェンバロ、ハープ)
3.5点
弦楽器が無くてチェンバロが入るという楽器編成が、古風な音の軽さを演出しており、非常に良い。ピアノ版と同様に楽しいし、管楽器の合奏の古風な楽しさはピアノ版には無いものである。

シンフォニエッタ
3.0点
メロディーに溢れていて軽妙であり、つまらなくはない。しかしニュアンスは平板で同じような雰囲気の上であれこれメロディーを流しているだけに感じられる。また、音楽が軽すぎて娯楽映画の音楽のようだし、管弦楽なので機敏さに欠ける。


協奏曲

クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール(田園協奏曲)(1927-1928)
3.0
近代のチェンバロ協奏曲という目新しい響きの音楽であることから、好奇心を満たしてくれる。やりたい放題と言いたくなるほど奔放な構成で、めまぐるしく変わる場面についていく楽しさはある。4分の1くらいの場面は確かに田園をイメージする。しかし、心に響くようないい音楽という感じは無い。あくまで好奇心のための音楽と思う。

2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調(1932)
3.3点
2台のピアノの豊富な音数が産み出す華麗さ楽しさはなかなかのもの。プーランクらしいめまぐるしさも有効に機能して、聴き映えの良さを増している。

ピアノ協奏曲 嬰ハ短調(1949)
3.3点
軽快な聴く人を楽しませるピアノの使い方は流石で、プーランクのピアノ協奏曲への適性の高さを感じるのだが、逆に予想外の凄さがない。彼ならやりそうな事をそのままやっている。そのため、いい曲ではあるが物足りなさが残る。

オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調(1938)
3.0点
軽快さが売りのプーランクも、この曲はオルガンの音圧を活用した重たい音楽にしている。場面の転換は頻繁だが、変化の劇的さがあまり無い。でも作曲者らしいセンスの良さは感じる。この雰囲気は独特であるので、聴いてみて損は無い。


室内楽曲

六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)
3.3点
軽妙さやメランコリーをうまくミックスしたプーランクの良さが出ている曲。管楽器とピアノの扱いの上手さが、この曲でも目立つ。集大成的な作品としての作者の意気込みを感じる。しかしながら、音の厚さや楽器の多彩さが思ったほど効果を挙げていない気がする。

ホルン、トランペット、トロンボーンのためのソナタ
3.0点
珍しい構成であるが、音や音楽はそれほど意外性がない。アンニュイな雰囲気や金管らしい合奏を楽しめる。それ以上の良さはあまりない。

ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲
2.3点
おどけたりメランコリックになったり、フリーダムな曲。掛け合いも即興的。自由すぎて聴いていて落ち着かない。オーボエもファゴットもプーランクに合っており良さが生きているので、この編成ならばもっといい曲が書けたのではと残念に思う。

ヴァイオリンソナタ
2.5点
諧謔的な雰囲気が強い。ヴァイオリンが狭い範囲の使い方しかされていない印象があり、あまり楽器の良さを生かせてない。メロディーもいまいちで、プーランクの良さもあまり出ていない。とはいえ軽妙さなど、一定の特質を生かせてはいる。

チェロソナタ
2.5点
それなりに楽しめるのだが、チェロとしては軽快すぎる音使いで、高音の明朗さの不足がそのまま弱点になってしまっている。深々とした渋い響きを楽しめる他の作曲家のチェロソナタやプーランクの管楽器のソナタの素晴らしさと比較するとイマイチ。

フルートソナタ
3.5点
アンニュイな1楽章。寂寥感あるメロディーが捻った形で出てきて微妙なニュアンスを表現する2楽章。独特の捻りとメロディーの横溢によるニュアンスの変化が面白い3楽章。

オーボエソナタ
4.5点
夜の都会の洒落たセンスの中に人生の苦楽を潜ませた1楽章。ドビュッシーのように始まりおどけた後、中間部は切なく叙情的ながらも都会的で美しい2楽章。悲しく始まり、夢の中に溶けて現実に引き戻されて終わる3楽章。ニュアンスに満ちていて強く引き込まれる最晩年の傑作。

2本のクラリネットのためのソナタ
3.0点
同質の楽器2つという限定された条件での面白いアンサンブルを楽しむ曲。アンニュイでまったりした雰囲気が面白い。

クラリネットソナタ
3.0点
憂鬱アンニュイとおどけた道化というクラリネットの2つの面を軸にした曲の作りで、得意の目まぐるしい雰囲気の変化がある。お洒落メランコリーの部分は曲の雰囲気に浸れてなかなか優秀。

クラリネットとファゴットのためのソナタ
3.5点
2つの管楽器という限定された条件だが、変化に富み和声も豊かで素晴らしい。ファゴットは主に伴奏だが非常にうまく活用されていると思った。


器楽曲

ピアノ連弾または2台のピアノのためのソナタ
3.0
もとは若い時の作品で、ドビュッシーやサティーの影響を感じるが、十分にプーランクの個性も発揮されており、音感やセンスの良さはさすが。短い曲だし楽しんで聴ける。

2台のピアノのためのソナタ
3.3点
2台用だが、静寂さを感じる場面が多い。アンニュイでメランコリックな繊細な精神を体験出来る場面が多いので、その楽しさで聴ける。

3つのノヴェレッテ(ピアノ)
3.5点
1曲目は穏やかな叙情性と中間の小気味良さが素晴らしい。2曲目は少し活発で小気味よい雰囲気と音使いが楽しい。3曲目は美しい夢と現実の狭間のようで感傷的。3曲ともコンパクトでいい曲。

フランス組曲
3.5点
ピアノ版を聴いた。冒頭からウキウキするような楽しい曲。どの曲も明るい中にエスプリが効いていて、親しみやすく誰でも楽しめるような作品。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF


フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(プランク、Francis Jean Marcel Poulenc フランス語: [fʁɑ̃sis ʒɑ̃ maʁsɛl pulɛ̃k] 発音例,1899年1月7日 - 1963年1月30日)は、フランスの作曲家。「フランス6人組」の一人。声楽、室内楽曲、宗教的楽劇、オペラ、バレエ音楽、オーケストラ音楽を含むあらゆる主要な音楽ジャンルの楽曲を作曲している。その作風の広さは「修道僧と悪童が同居している」と形容される[1][注 1]。


来歴・人物
1899年にパリ8区マドレーヌ地区の裕福な家庭に生まれる。両親は敬虔なカトリック教徒であった(父エミールは、叔父のカミーユと共に製薬会社プーラン社の創設者)。5歳の頃から母親からピアノの手ほどきを受け、1914年(15歳)からはスペイン出身の名ピアニスト、リカルド・ビニェス(ドビュッシーやラヴェルのピアノ曲の初演を数多く手がけた)にピアノを師事し、多大な影響を受ける。

バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)による『春の祭典』(1913年)、『パラード』(1917年、台本:ジャン・コクトー、音楽:エリック・サティ、美術:パブロ・ピカソ)の初演を見て感嘆する。

1917年頃ビニェスの紹介により、後のフランス6人組のメンバーであり同い年のジョルジュ・オーリックや、『パラード』の作曲者サティ、ポール・デュカス、モーリス・ラヴェル、声楽家のジャーヌ・バトリといった音楽家と出会う。中でもバトリとの出会いは重要で、プーランクは当時バトリの自宅に毎週のように集まる音楽家の一員となった。彼はそこでアンドレ・カプレやアルテュール・オネゲルとも出会う。当時、バトリは渡米したヴィユ・コロンビエ劇場の支配人の代理として劇場の運営を任されており、1917年12月には同劇場でジェルメーヌ・タイユフェール、オーリック、ルイ・デュレ、オネゲル、ダリウス・ミヨーの作品とともに、プーランクの『黒人の狂詩曲(FP 3)』の初演が行われた。プーランクは後に「これがその後の6人組の出発点となった」と語っている[2]。また、詩人ジャン・コクトーらのサロンに出入りするようになった。当時18歳だったプーランクは作曲を本格的に学習したいと考えたが、実業家であった父の反対によりパリ音楽院には進学せず、3年間の兵役についた。
この間、1920年に『コメディア』誌上に批評家のアンリ・コレが掲載した論文「ロシア5人組、フランス6人組、そしてエリック・サティ」によって「6人組」の名が広まった。

除隊後の1921年から1924年にかけて、ダリウス・ミヨーのすすめもありシャルル・ケクランについて本格的に作曲を学ぶ。1922年にはミヨーなどと共にウィーンのアルマ・マーラー宅を訪れ、そこでアルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクと会う。この年にはパリを訪れたバルトーク・ベーラとも会う。1923年にパリで行われたイーゴリ・ストラヴィンスキーの『結婚』初演の際の4人のピアニストの内の1人に予定されていたが、プーランクは病気となり初演には関われなかった(ストラヴィンスキーとは1916年にパリの楽譜店で出会って以来の友人であった)。

1923年、ミヨーとともにイタリア旅行中であった24歳のプーランクは、バレエ・リュスを主宰するセルゲイ・ディアギレフからの委嘱によってバレエ『牝鹿(FP 36)』を作曲し、翌1924年にモンテカルロにおいてバレエ・リュスによって初演された。脚本はコクトー、舞台と衣装はマリー・ローランサン、振付・主演はブロニスラヴァ・ニジンスカによるという豪華なものだった。
以来、軽妙洒脱で親しみやすいその作風は大衆に喜んで受け入れられたが、作曲活動だけでなく、バリトン歌手ピエール・ベルナックとによる自作歌曲のピアノ伴奏をはじめとして積極的に演奏活動もし、録音も残されている。

1927年、トゥレーヌ地方トゥール近郊ノワゼ (fr) に Le Grand Coteau を購入し、創作活動の場合ここに籠もり『ナゼルの夜会(FP 84)』などを完成させた。

初のオペラ作品『ティレジアスの乳房(FP 125)』は1948年に初演され、第2作の『カルメル派修道女の対話(FP 159)』(1957年1月ミラノ・スカラ座で世界初演、6月パリ・オペラ座でフランス初演)は、「ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』、ベルクの『ヴォツェック』に続く作品」と絶賛された[3]。

晩年には様々な楽器とピアノのためのソナタに取り組む。1962年には『クラリネットソナタ(FP 184)』、『オーボエソナタ(FP 185)』を作曲したが、1963年1月30日に心臓麻痺のためパリで死去した。

私生活では同性愛者とされ[注 2]、リシャール・シャンレール[5]、レイモン・デトゥッシュ[6]、リュシアン・マリウス・ウジェーヌ・ルベール[7]、ルイ・ゴーティエ[8]が交際相手として知られている。プーランクが好んだのは、中流以下のインテリではない男性であった[6]。

また、フランス滞在時のロシアの作曲家プロコフィエフとは、ピアノやブリッジを通じて親交が篤かった[9]。唯一のピアノの弟子としてカンヌ生まれフランスのピアニスト、ガブリエル・タッキーノを教えた。


音楽観など
1953年に行われたスイス・ロマンド・ラジオ放送のインタビューで、プーランクは自己の来歴や音楽観について語っている。その中で、若い頃に影響を受けた作曲家として、シャブリエ、サティ、ラヴェル、ストラヴィンスキーの4人を、音楽家のベスト5(無人島に持っていきたい音楽)として、モーツァルト、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、ストラヴィンスキーを、生理的に受け付けない作曲家としてフォーレ、ルーセルの名を挙げている[10]。

プーランクはインタビューの中で「音楽でモーツァルトに勝るものはない」[11]と言いきっているが、これは幼少時の彼にピアノを手ほどきした母親の影響である。また、ストラヴィンスキーについては『春の祭典』ではなく、『プルチネルラ』、『妖精の接吻』、『カルタ遊び』などの「ヨーロッパ的」な作品に影響を受けたと語っている[12]。

プーランクの音楽体験はピアノから始まっているために作品にはピアノ曲が多いが、10歳の頃にシューベルトの歌曲に熱中したことがあり、このことが数多くの歌曲を生むきっかけとなった[13]。

ピアノ以外の楽器については、弦楽器よりも管楽器の音色を好んだ[14]ため、管弦楽曲では管楽器が重要な役割を演じることが多く、室内楽曲においても管楽器のための作品が多い。なお、プーランクはさまざまな楽器の組み合わせで室内楽曲を作曲しているが、その中に同一の組み合わせのものはない。

プーランクは生粋のパリっ子であり都会人であった。彼が作る曲は軽快、軽妙で趣味がよく[13]、ユーモアとアイロニーと知性があり「エスプリの作曲家」と言われる[14]が、敬虔なカトリック教徒であった両親の影響を受け、宗教曲や合唱曲も手掛けている。自身はこの分野について、「わたし自身の最良の部分、何よりも本来の自分に属するものをそこに注ぎ込んだつもりです。(略)わたしが何か新しいものをもたらしたとするならば、それはまさにこの分野の仕事ではないかと思います」と述べている[15]。

無調音楽が主流となった戦後も単純明快な作風の調性音楽を書き続けたプーランクであったが、一方でピエール・ブーレーズの主催する現代音楽アンサンブル「ドメーヌ・ミュジカル」の演奏会には常連として足繁く通うなど、前衛的な現代音楽にも理解を見せた。


作品の特徴
軽快で旋律に富むという面が、若き日の大家に見られた作風と共通するところから「モーツァルトの再来」と表現する者[誰?]もいた。また、音楽の従来のあり方が多様化し旋律が崩壊した後の時代と比較され「メロディーを持つ20世紀最後の作曲家」と呼ばれたこともあった(その後、従来のような旋律の振る舞いを復活させる新しい動きが20世紀内にも起こったため、その表現は実際に正しくはなくなった)。当時のストラヴィンスキーが好んだ大胆で鮮やかな複調の響きを彼も特に好んで取り込み、旋律同士や和音同士をその手法によって重ねることが多く見られる。

作品
管楽器やピアノのための室内楽曲、宗教曲に優れた作品が多い。

オペラ
『ティレジアスの乳房』
『カルメル派修道女の対話』
『人間の声』

管弦楽曲
バレエ音楽『エッフェル塔の花嫁花婿』(合作)
バレエ音楽『牝鹿』
バレエ音楽『模範的動物たち』
『フランス組曲』(管楽器、打楽器、チェンバロ、ハープ)
『2つの行進曲と間奏曲』(室内管弦楽)
シンフォニエッタ
マルグリット・ロンの名による変奏曲(合作)

協奏曲
クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール(田園協奏曲)
ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲『オーバード』
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調
オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調
ピアノ協奏曲 嬰ハ短調

室内楽曲
六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)
ホルン、トランペット、トロンボーンのためのソナタ
ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲
ヴァイオリンソナタ
チェロソナタ(英語版)
フルートソナタ
オーボエソナタ
2本のクラリネットのためのソナタ
クラリネットソナタ
クラリネットとファゴットのためのソナタ
バガテル(ヴァイオリンとピアノ)
エレジー(悲歌)(ホルンとピアノ)
付随音楽「城館への招待」〜クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲

器楽曲
2台のピアノのためのソナタ
シテールへの船出(2台ピアノ)
主題と変奏 変イ長調
四手のためのピアノソナタ
3つのノヴェレッテ(ピアノ)
ナゼールの夜会(ピアノ)
15の即興曲(ピアノ)
第12番『シューベルトを讃えて』と第15番『エディット・ピアフを讃えて』が有名。

合唱曲
アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave verum corpus (1952)
酒の唄 Chanson à boire (1922)
フランスの歌 Chansons Françaises (1945)
エクサルティ・デオ Exultate Deo (1941)
カンタータ『人間の顔』 Figure humaine (1943、P. エリュアール)
グローリア Gloria (1959)
パドヴァの聖アントニオの讃歌 Laudes de Saint Antione de Padoue (1959)
ロカマドゥールの黒い聖母への連檮 Litanies à la Vierge Noire (Notre-Dame de Rocamadour) (1936)
ミサ曲 ト長調 Messe en Sol Majeur (1937)
小さな声 Petites Voix (1936)
クリスマスのための4つのモテット Quatre motets pour le temps de noël (1952)
悔悛のための4つのモテット Quatre motets pour un temps de pénitence (1938/39)
『悔悟節のための』や『悔悟の時のための』と訳される場合もある。
アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り Quatre petites prières de Saint François d'Assise (1948)
サルヴェ・レジーナ Salve Regina (1941)
7つの歌 Sept Chansons (1936)
テネブレの7つの応唱 Sept Repons des Téneèbres (1961)
カンタータ『枯渇』 Sécheresses (1937、E. ジェイムス)
スターバト・マーテル Stabat Mater (1950)
小カンタータ『ある雪の夕暮れ』 Un soir de neige (1944、P. エリュアール)

歌曲(多数)

朗読とピアノ
小象ババールの物語
日本語にも翻訳されているジャン・ド・ブリュノフの絵本による音楽物語。


著書
『プーランクは語る――音楽家と詩人たち』 ステファヌ・オーデル編、千葉文夫訳、筑摩書房、1994年。ISBN 4-480-87244-2
Journal de mes Mélodies. Paris: Cicero, 1993.
Correspondance 1910-1963. éd. Myriam Chimènes, Paris: Fayard, 1994.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

 

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