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アレクサンドル・スクリャービン(1872 - 1915)
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 06 日 08:21:22: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アンリ・デュティユー ヴァイオリン協奏曲 『夢の樹』 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 30 日 08:59:33)

アレクサンドル・スクリャービン(1872 - 1915)

大作である交響曲、協奏曲、ピアノソナタはいずれも充実した傑作である。また、大半がピアノ曲の作曲家であると共に、1〜3分の短いピアノ小品をたくさん残した。ピアノ音楽史上最重要な作曲家の一人である。小品群は前期と後期はハズレがなく、概ねどの作品もはっとさせられる美しさを持っているが、中期は面白くない曲が多いと私は思う。


管弦楽曲・協奏曲

ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20
4.0点
ショパンのピアノ協奏曲に魅力が似ている。若い時だけのセンチメンタルでウブな純情をオーケストラの伴奏に乗ってピアノの独奏で吐露していくような、感情に浸って聴く音楽である。特に2楽章はそうであり、瑞々しく恥ずかしくなるほどに生々しいセンチメンタルな美しさは、クラシック史上稀にみるものであり特筆に値する。聴き映えがするのはやはり3楽章であり、高揚感を保ち進む音楽に心がウキウキする中で感動的に現れる美しい第2主題が心を奪う。ショパン同様に若書きの未熟さが感情面の演出の一つの要素となっている。同時代ではラフマニノフのピアノ協奏曲ほどの総合性を備えてはいないものの、非常に魅力があり私は中毒になった。もっと頻繁に演奏されて良い曲である。

交響曲第1番 ホ長調 作品26
3.3点
聴き方が難しい…大仕掛けの多彩な楽章で最後は独唱と合唱が登場する全6楽章。夢のような1楽章など、美しい曲もあれば、スクリャービンの線の細さの欠点が露呈している箇所も多い。後期ロマン派らしい和声やオーケストレーションで、知らずに聴いたらスクリャービン作曲と当てられない人は多いだろう。途中の部分はあまりまとまりが良いとは思えない。独唱と合唱による、最初はプッチーニ似かとおもいきや、だんだんマーラーに似ていく壮大でメルヘンチックでもあり、感動的な最終楽章だけでも聞く価値はある。

交響曲第2番 ハ短調 作品29
3.5点
交響曲1番の軽さとまとまりの悪さを克服している。重厚さと力感にあふれた、どっしりとした腰の重さが印象に残る。それでもロシア臭があまりしない洗練されている所がよい。陳腐さも少ない。全5楽章で50分近い大作。内面的な情熱の強さもある種の悪魔的な感覚が上昇する音形の多用により表現されている。ただ、雰囲気の統一感はあるが多様性が少なく、大作のわりに同じ雰囲気が続き、総合性に欠けるのがかなりマイナス。
最終楽章は、締めの音楽として割と分かりやすく演出されているが、1番の素晴らしさはない。

交響曲第3番「神聖な詩」ハ短調 作品43
3.3点
中期の作品であり、初期ほどに明快なロマン派音楽ではなく曖昧で神秘的な世界を垣間見せるのだが、調性は明確である。曲が長く楽章に切れ目がない。ピアノ曲では表現しきれない管弦楽ならではの壮大さとスクリャービンらしいロマンを楽しむことが出来るため、長さを気にせずに聴けるならば、音に浸ってなかなか幸せな時間を過ごせる。ピアノ曲はどうしてもせわしなく音楽が展開していくものであるが、スクリャービンにとって必ずしも必須だったわけではないようだ。以前はここに成功作とは思えないと書いていたが誤りだった。とはいえ、このようなお腹が一杯になる大曲は基本的には彼の持ち味を活かすものではなく、この1曲だけだから良いという気もする。

交響曲第4番「法悦の詩」ハ長調 作品54
3.5点
交響曲と交響詩の中間のような曲だと思う。神秘和音の響きと、何度も繰り返される動機の醸し出す雰囲気と、何度も繰り返されるエクスタシーの高潮を楽しむ曲。

交響曲第5番「焔の詩 -- プロメテ」作品60
3.5点
6番以降の後期のソナタの直前に書かれている。一種のピアノ協奏曲といっても良いピアノ独奏入りの交響曲。神秘和音を中心とする音の作りもピアノ書法も後期ソナタ同様の世界であるが、管弦楽があるため色彩的であり雰囲気のイメージがつかみやすく、少し調性的にも感じられるため聴きやすい。スクリャービンの頭の中のイメージがよく分かるため、彼の後期の音楽の入門に良いかもしれない。曲想は神秘性を中心に超常的なイメージが広がり展開していく感じであり、イメージの多彩さを楽みながら聴ける。

ピアノ曲

ピアノソナタ
第1番 ヘ短調 作品6
2.5点
4楽章の大作。激情的な表現の一楽章と葬送的な4楽章がまあまあ。しかし、あまり霊感の強さを感じず、スクリャービンとしては傑作の範疇に入らないと思う。

第2番「幻想ソナタ」嬰ト短調 作品19
2.8点
1楽章の中の光の幻影が波を打っているかのような幻想的な夢のようなはかない部分が大変美しい。二楽章の無窮動曲は平凡だが。

第3番(「心理状態」)嬰ヘ短調 作品23
2.8点
3楽章ノクターンから暗い情熱を湛えた4楽章への流れはショパンのソナタ3番みたいだ。がっちりとしたソナタを書こうとしたのは分かるが、何だかもの足らない感じが聴いている間ずっと付きまとう。

第4番 嬰ヘ長調 作品30
4.0点
神秘的なスクリャービンらしい斬新さが現れ始めているが、まだロマン派の聞きやすさを残していてバランスが良い。ジャズに少し似た複雑な和音を使っている。2楽章の光の粒のようなキラキラした音が飛び跳ねるさまが独特であり、躍動感と推進力を保ちながら、たった4分の中で次々と新しい雰囲気を見せる極めて内容豊富な音楽である点で、ピアノ音楽史上で稀に見る傑作であると思う。最後は和音連打で光の速さで空の果てまで飛んでいくような雰囲気になるのがかっこいい。

第5番 (ロ長調〜変ホ長調)作品53
3.5点
4番とは違いドロドロとした雰囲気が現れ始めている。しかしまだ壊れきっておらず、ロマン派らしさも残っている。とにかく静と動の対比が徹底しており、力強さと豪快さがあって聴き栄えがするのと、過渡的に適度なドロドロ感を持っていて初期の綺麗すぎる音楽よりもインパクトが強いのが、人気の理由だろう。特に最後の盛り上がりの部分の高揚感は何度聞いてもスカっとするような満足感がある。一方で、たった6日間程度で書かれただけあって、勢いに任せて半ば即興的に書かれた印象があり、緊密な内容豊富さを楽しむことはできない点で自分は4番よりも物足りなな感じる。

第6番 作品62
3.5点
この曲はかなりとっつきにくい。ドロドロとした場面が延々と続く中で、7番のような分かりやすく理解できるような旋律や盛り上がりがない。しかし、後期の後半ほどは旋律の絡みの複雑怪奇さがないが、和声は徹底した妥協のない追求がされており、精神的な集中度は7番と並び素晴らしい。。グロテスクな響きが延々と続いていきながら音楽が進行する様は、慣れてくると妙に気持ち良さすら感じるようになる。

第7番「白ミサ」作品64
3.8点
6番以降では最初に完成。非常に鋭角的な鋭い響きがする曲である。神秘的で荘厳な儀式が行われるような雰囲気を明確に感じられるし、とにかく素材もその料理の仕方も内容豊富で構成が複雑で非常に多くの場面が詰め込まれた、非常に重量感のある大変な力作のソナタである。冒頭から非常に印象的で悪魔的な響きが強く心に突き刺さるし、第二主題の深遠さも素晴らしい。後半の爆発的な部分の衝撃的な圧倒性も素晴らしい。

第8番 作品66
3.3点
最後に完成されたソナタ。6番に似ているとっつきにくい世界であるが、こちらは複数の動機を組み合わせながら、神秘性な雰囲気が色彩感の豊かさを持って変容していくさまが、とにかく恐ろしく複雑怪奇な音の絡みで表現された究極的な世界を楽しむことができる。薄明かりの中で超常的な神秘的な現象が少しずつ変容しながら発生している様を楽しむ曲と思われる。他の後期ソナタと違い、大きく盛り上がる場面がないため、曲を聴きながら感じる欲求不満がずっと解消されないため、気分が乗らないと聞く気ならない。

第9番「黒ミサ」作品68
3.5点
7番と同じく荘厳で悪魔的なイメージが分かりやすい。曲が短く、後半に向けて段々早くなっていき最大の盛り上がりを作ったところで静かに終わる、というシンプルな構造であるため、構成が把握しやすい。しかしその代償として、後期の濃厚で何度聞いても理解しきれない複雑さが足りない。曲の短さもあって悪魔性をとことん極限まで突き詰めて心がお腹いっぱいになる感を覚えられない。そのた、後期ソナタの中では、入門に最適な分かりやすさと聴きやすさはあるのだが、慣れてくるとこの曲だけ物足りなさを感じる。

第10番「トリル・ソナタ」作品70
3.5点
執拗なトリルの繰り返しが顕著な、趣向的な曲である。しかしながら、後期ソナタの中でもっとも晴れやかであり、太陽に照らされた大地の壮大さを感じさせる力作である。後期ソナタの中では悪魔的な感じは少ない。展開部最後のトレモロによる盛り上がり部分は、ピアノの限界を見せる名場面であり、大自然の中で大きく息を吸い込んで自然の恵みに感謝するような気分になる。何度聞いても胸が一杯になる場面である。

幻想ソナタ 嬰ト短調
2.0点
14歳の作品だそうで、ものすごくショパンぽい。スクリャービンの出発地が分かる。曲の出来は天才少年だと感じさせるが、完全な亜流だから出来たことなのかもしれない。


ソナタ形式によるピアノ曲

ポロネーズ 変ロ短調 作品21
2.5点
唯一のポロネーズ。7分。洗練された透明感を魅せながらも泥臭く勇壮なポロネーズだが、曲がどちらに進みたいのか把握しにくい。さまようような印象。

幻想曲ロ短調 作品28
4.0点
雄渾で壮大で中身の詰まった大変な力作である。第二主題が素晴らしいメロディーである。初期の曲の中ではピアノソナタと比較してよりよくまとまっている。荘重な悲劇的な雰囲気で始まり、曲の中間に第2主題の感動を爆発させるように再現させる辺りは、ショパンのバラード1番と同じような構成である。実際、10分の時間で多くのテーマを使いながら緊密で濃密なドラマをピアニステックに展開させている点において、ショパンのバラードやスケルツォと完全に同レベルにある数少ない作品の一つである。

悲劇的詩曲 変ロ長調 作品34
3.0点
かなり激しい和音の連打で非常に演奏が難しそう。明るく分かりやすいメロディーがあるのに、伴奏が激しすぎて聞こえにくいほどである。悲劇的な感じではないのに何故悲劇的という題名なのだろうか。

悪魔的詩曲 ハ長調 作品36
2.8点
ピアニスティックな激しさがあり、まさに悪魔的な感覚が表現されている。規模の大きな詩曲。後期への入り口に入り込んだような音の使い方がある。後半はかなり激しい。

ポエム・ノクチュルヌ 作品61
3.0点
後期のソナタ以外の長い曲の一つである。夜というよりは夜明けの薄明の中ようなイメージである。同じフレーズを繰り返しながら少しずつ雰囲気を盛り上げていくのだが、ソナタのような総合性はなく、投入されている素材は多くない。時間の長い小品というイメージであるが、時間が長い分、よい雰囲気があっという間に終わってしまわないのがよい。


練習曲

12の練習曲 作品8
作品8-11 5.0点
その他 4.0点
作品8-11は悲愴という副題で呼ばれることもある。史上最も情熱的なピアノ曲のひとつであり素晴らしい名曲。他の曲はかなりショパンに似ており、ショパンの曲だと言って知らない人に聴かせたら信じてしまいそうだ。やや芸風の幅が狭いこと、所々にロシアの香りがほんのり漂う所が違うくらいか。ショパンに似すぎとはいえ、耳に残る名曲ばかりで、練習曲集としてかなりの名作だと思う。

8つの練習曲 作品42
作品42-5 5.0点
その他 3.0点
作品42-5は情熱がほとばしるような美しい主題を素晴らしいピアノ書法で歌わせている。センスのよさと完成度の高さで彼の代表作といえる小品である。その他の曲は、作曲技法の洗練度の高さはすぐに分かるものの、耳を捉えるメロディーが無く鑑賞用の曲としては微妙である。

3つの練習曲 作品65
3.8点
後期らしい神秘和音の世界であるにも関わらず、練習曲であるため聞きやすいのがいいところである。1曲目はとても神秘的なキラキラした音がする、他に類を見ないような斬新で画期的な音世界である。コインがチャリンチャリンと鳴っているようでもある。9度の練習曲という特異な練習曲の特徴をこれ以上ないくらい活かしている。穏やかな2曲目を経て、圧巻の3曲目。地獄の業火のようでめちゃめちゃカッコいい。後期が苦手な人にも試しに聴くように薦めたい。


マズルカ

10のマズルカ 作品3
3.3点
学生時代の作品であり、基本的にショパンの亜流であるが、その中に新しいピアノ書法やスクリャービンらしい繊細な個性が多少は入っている。
10曲のバラエティーは豊かであり、結構いい曲が多い。マズルカ独特の憂いが素敵。ショパンのマズルカが好きな人は楽しめるだろう。最後の曲は長いうえに面白くなくて頂けないが。

9つのマズルカ 作品25
2.8点
作品3と違い、ショパンの亜流ではなく明確なスクリャービンの個性は出ているが、マズルカとしては残り香が漂う程度であり普通の小品に近くなっている。洗練されたスクリャービンらしい小品集だが、憂いや粘りのような濃厚さがなくなり、その代わりに精妙で詩情はあるが線が細く旋律の魅力があまり多くない曲になってしまった。素敵な部分も散見されるが、魅力は全体としては落ちていると言わざるを得ない。

2つのマズルカ 作品40
3.0点
この2曲はどちらも濃厚で晩年のショパンのマズルカのような切なさや人生を邂逅するような趣もあって、なかなか印象的な小品である。


詩曲

2つの詩曲 作品32
3.8点
1曲目の半音階的な進行により微妙なゆらぎのようなものを表現した柔らかく絶妙で詩情豊かな世界は、達人の技である。この曲は多くの人に広まるべきである。かなりの名曲だと思う。2曲目は激しくて中期らしい複雑さがあり、普通のメロディーのようでありながら耳に残るものがあるものの、1番に比べれば普通の曲。

詩曲 変ニ長調 作品41
2.8点
左手の音数が多くて、3分と大きめの規模である。左手の和声から大きく外れたテンションコードの音を徘徊するような旋律は印象である。しかし、いい曲と感じるほどではない。

2つの詩曲 作品44
2.8点
1曲目はラフマニノフのように茫洋とした雰囲気の中でなんとなくメランコリック気味な旋律が蠢く音楽である。2曲目はショパンのような旋律であり、時代を考慮すると単なる普通の曲である。

2つの詩曲 作品63
3.3点
1曲目は静かな曲で捉えにくいが、スクリャービン らしい詩魂が込められた霊感に満ちた独自世界は面白い。2曲目は、キラキラした珍しく音数の多い作品であり、旋律が1度で覚えられるような印象的なもののため楽しめる曲である。

2つの詩曲 作品69

2つの詩曲 作品71
3.0点
1曲目はミニ版ソナタ8番とも呼びたい。旋律が似ており光や風の揺らめきが表現されていて雰囲気がよい。2曲目はこれといった特徴がなく面白くない。

詩曲『焔に向かって』作品72
3.3点
なんともヤバい曲である。同じ動機を繰り返しながら少しずつ音の高さをずらして、音の数を増やしながら、じわじわと音楽が進行する。高音で神秘和音をカンカンと鳴らして、二重トリルで表現される焔が不気味なゆらぎを少しずつ大きくしていく。世紀末的な世界を焼き尽くす焔が少しずつ大きくなっていく様を描いているようだ。最後の作品の一つにふさわしい、スクリャービンの後期の特徴がもっとも純化された曲である。


即興曲

2つのマズルカ風即興曲 作品7
2.8点
マズルカのテイストの美しさと心情的な陰影の深さをうまく活用しており、どちらも耳に残るものがある小品。

2つの即興曲 作品10
3.0点
どちらも透明感があり洗練された美しさが耳に残る曲である。控え目なショパン風味も効果的。

2つの即興曲 作品12
3.0点
1曲目は軽やかな三拍子で華やかさがあり楽しい。2曲目は重々しくて悲劇的でラフマニノフを連想するが、中間は夢をみるような美しさ。どちらも楽しめる。

2つの即興曲 作品14
3.0点
1曲目は静かななかで右手が自由に想いを述べるようなメロディーを弾く。2曲目の雰囲気は舟歌のようであり、陰影に富んだ情感的でかつ情景を浮かび上がらせるような美しい作品。

前奏曲

24の前奏曲 作品11
6つの前奏曲 作品13
2つの即興曲 作品14
5つの前奏曲 作品15
5つの前奏曲 作品16
7つの前奏曲 作品17
4つの前奏曲 作品22
2つの前奏曲 作品27
4つの前奏曲 作品31
3.3点
1曲目はショパンの初期ノクターンに似た世界であり、親しみやすく美しいメロディーを素直に楽しめる。他はごく短い曲であり、断片的な前奏曲である。

4つの前奏曲 作品33
2.5点
作品31と異なり、核になる曲がなくて全曲が短い断片である。はっとする部分も見当たらず、あまり聴いて楽しめるような曲集ではない。

3つの前奏曲 作品35
2.8点
1曲目はかなりショパンに近い高速の前奏曲。2曲目は同じ調子が続くレティタティーボで長いのだが、変化が少なくて面白くない。3曲目は悪くないが、まあ普通の出来のショパン時代にも生まれていておかしくない前奏曲である。

4つの前奏曲 作品37
2.5点
2分の曲が2つあり、前奏曲としては短くはないのだが印象に残る曲がない。面白くない。初期から変貌するにも同等の代替的な魅力を見つけられていない感じだ。

4つの前奏曲 作品39
2.5点
この曲集も耳に残るものがなく面白くない。

4つの前奏曲 作品48
3.0点
2曲目の静謐な浮遊感と透明感が心を捉えるものがある。他の曲は短いのだが、2曲目がよいためそれを引き立てる曲のように聴ける。

2つの前奏曲 作品67
3.3点
1曲目は単音の右手の音の動きと和音を伸ばす左手という構成はシンプルだが、変化のつけ方や和声は良く出来ていて、きちんと力を入れて書いた作品として楽しめる。次の曲に繋がるように終わるのもよい。2曲目はプレストで右手と左手のグロテスクな音のぶつかりが早めのフレーズの中で連続するのがゾワゾワとさせられて楽しめる。

5つの前奏曲 作品74
3.3
1分程度の断片的な短い前奏曲が並ぶ。後期ならではの音使いで醸し出される独特の詩情は、どれも他では聴けないはっとさせるものがある。なかなか言葉では伝えにくい、ソナタでは出来ない魅力を小品作曲家として見事に見せている。


小品

3つの小品 作品2

3つの小品 作品45
3.0点
1曲目はショパンのマズルカのような旋律であり耳に残る。2曲目はごく短いが後期のような響きが目新しい。3曲目は和声がいつまでも解決しないまま最後までなんとなく音の動きが続く曲であり、実験の曲という印象である。

3つの小品 作品49
2.8点
3曲ともごく短い。後期に向けて音楽が壊れていく過程をそのまま切り出したようなものであり、3曲とも独立した作品としての面白さは感じない。

4つの小品 作品51
2.5点
わたしには4曲とも特段良いところが見当たらず、面白くない曲集である。後期の世界の模索がスタートしたばかりの習作では、と思ってしまう。

3つの小品 作品52
2.8点
3曲とも音の響きは後期になっていないが、曲想は後期そのものである。やりたい事を実現する方法を模索しているのがよく分かる。しかし曲としては面白くない。

4つの小品 作品56
2.8点
曲名がプレリュードではなく題名が付いているおかげか、少し耳に残る曲が集まっている。たいした作品ではないのだが、後期を模索するだけでない霊感を多少は感じる。とはいえ習作レベルと思われる。

2つの小品 作品57
3.0点
どちらも1分の小さな作品でありアンニュイな雰囲気が強い。後期の世界に変貌しつつもまだ中期の香りを残す過渡期作品として楽しめる。まさに脱皮中という感じだ。

2つの小品 作品59
2.8点
1曲目は中期から後期への変貌の過程として面白い。作品57からさらに和声が後期寄りになっている。2曲目はソナタ6番に似ている。力強さがあり、一つの和音にこだわっているように聞こえる。どちらも面白いが観賞用としては旋律の楽しみが少ない気がする。

その他ピアノ曲

ワルツ ヘ短調 作品1


アレグロ・アパッショナート 作品4
2.8点
11分の大作。若書きのソナタの1楽章からの改作。テクスチャーの細かさが印象的。幻想的な雰囲気。初期にしてはショパンに似ていない。モヤモヤとした雰囲気が続き、主題の明確な効果に欠ける。

2つの夜想曲 作品5
2.5点
10代の曲で2曲目に至ってはなんと12歳。年齢の割には雰囲気の作り方が凄いと思ったが、印象がモヤモヤしているのも若い時からなのかと思った。

左手のための2つの小品 作品9
3.0点
浮遊感のある作風は片手の作品と相性がよい。メロディーが明確の浮き上がっていて、むしろ両手より聞きやすい。知らずに聴いたら片手の曲とは気付かないかもしれないくらい音は充実している。2曲目は盛り上がりもある。

ワルツ 変イ長調 作品38
3.5点
夢を見るような素敵な旋律と場面展開が楽しい曲である。スクリャービンらしい詩情があり、ショパンをあまり感じないないのもよい。中期の名作の一つだと思う。

スケルツォ 作品46
3.0点
この曲は中期らしい和声とスケルツォの取り合わせの妙があり独立した面白さがあり、短い曲のわりに内容豊富で聞く価値のある内容である。

ワルツ風に ヘ長調 作品47
3.0点
テンションコードの音に飛ぶワルツということで、なかなか不思議な雰囲気を出していて短い曲だが面白い。

アルバムの一葉 作品58
2.8点
これは断片的なフレーズの集積であり、後期の響きが過渡的でなく完成されているように聴こえる。独立した作品という感じではなく、新しい響きを模索したスケッチに聴こえる。

2つの舞曲 作品73
3.3点
ダンスと名付けられているが、後期のドロドロした神秘的な世界であり、とてもではないが踊れるような曲ではない。だがこの2曲は3分と2分で小品の中では規模の大きな曲であり、その分の聞き応えがある。1曲目は洞窟の奥に人知れず輝く神秘の秘宝を音にしたような、とても印象的な曲。2曲目は特徴が少なくて、神秘和音の小さなフレーズを積み重ねて貯めた力を少しずつ解放していき、爆発には至らず終わる曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3


アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(ロシア語: Александр Николаевич Скрябин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。作曲者自身はフランス語風に Alexandre Scriàbine(もしくは Scriabine)と綴ることを好んだ。英語では Alexander Scriabin, ドイツ語では Alexander Skrjabin となる。


生涯

生い立ちと学生時代
モスクワの小貴族(軍人貴族)の家系に生まれる。祖先はタタール系であるとされる。父親は中近東の言語や政情に通暁した外交官として国内外を飛び回って家庭を顧みず、母のリュボーフィ・ペトロヴナはスクリャービンを生んでまもなく産褥熱で急死した。このため叔母リューバの監督下で育つ。ちなみにスクリャービンの亡母はモスクワ音楽院に学び、テオドル・レシェティツキにも師事してアントン・ルビンシテインに祝福されたピアニストであった。イギリスのロシア正教会スールジ主教区の府主教アンソニー・ブルームは母方の甥である。

幼児期からピアノを始める。10歳で自ら望んで陸軍兵学校に進むが[1]、小柄で虚弱なことと学業が優秀なこと、そして楽才が顕著なことから、特別にモスクワ音楽院への通学が認められ、14歳から院長タネーエフに作曲と音楽理論を、ズヴェーレフにピアノを師事。もともと即興演奏を好む少年だったが、この頃から作曲したものを五線譜に残すことを習慣付けるようになる。1888年から周囲の勧めで、正式にモスクワ音楽院に転学、ピアノ科でサフォーノフに、作曲科でアレンスキーに師事する。同級生にラフマニノフがいた。気難しく扱いにくい性格のあったスクリャービンにアレンスキーは手を焼いた。結局スクリャービンは作曲科を修了することが出来ず、ピアノ科のみで単位を取得した。このころ作曲家としてはラフマニノフが、ピアニストとしてはスクリャービンが有望視されていた。ピアノ卒業試験においては、ラフマニノフが1位、スクリャービンが2位であった。

作曲家スクリャービンの誕生
手の大きかったラフマニノフに比べ、10度音程が掴めない程度の手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法をそなえた、作曲家スクリャービンの誕生であった。《左手のための2つの小品》作品9(前奏曲と夜想曲からなる)は、当時を代表する作品の一つである。

1891年頃、ミトロファン・ベリャーエフのサークルの同人となり、リムスキー=コルサコフの知遇を得て、生涯に渡る親交を結ぶ。またベリャーエフ出版社から、定期的に作品の出版が開始される。1897年に衝動的に改宗ユダヤ人女性と結婚するが、これは庇護者ベリャーエフの意向に沿わず、年金がカットされたために、翌1898年から母校モスクワ音楽院のピアノ科教授に就任。教育者としての評価が下されることは少ないが、学生の間では誠実で忍耐強く、学生の意欲を尊重する教師として評判がよく、ウィーン国立音楽大学のピアノ科からスカウトされたほどだった。

変化と発展
1900年ごろからニーチェ哲学に心酔し、とりわけ超人思想に共鳴する。その後は神智学にも傾倒し、この二つから音楽思想や作曲に影響を受ける。1902年に作曲に専念するとしてモスクワ音楽院を辞職するが、すでに門人タチヤナ・ド・シュリョーツェルと愛人関係を結んでいた。1904年に家庭を捨ててタチヤナとともにスイスに出奔、西欧各地を転々とする。この頃からロマン派の影響を脱し個性的かつ神秘主義的な作風へと向かう。露暦でのクリスマス生まれだったことも、スクリャービンの神秘主義や、救世主きどりに拍車をかけた。1909年から1910年までブリュッセルに住み、デルヴィルらのベルギー象徴主義絵画や共感覚に興味を寄せつつ、マダム・ブラヴァツキーの著作にいっそう親しんだ。これにより、自らの芸術を神智学思想を表現するためのものとして考えるようになり、後期の神秘和音を特徴とする作品を残す。それとともに前衛的作曲家として国際的に認められるようになった。

終焉
1910年帰国。このころに、アコースティック録音とピアノロールに自作の録音を残し、クーセヴィツキーやラフマニノフの指揮で自作の協奏曲や《プロメテ》を演奏。作曲のかたわら国内外で精力的に演奏活動にとり組む。虚弱体質の反動から生涯にわたり健康を気にしすぎる気味があったが、皮肉なことに唇への虫刺されが炎症を起こし、膿瘍による敗血症がもとでモスクワで1915年に43歳の若さで急逝した。

後世への影響
スクリャービンは、《法悦の詩》において調性音楽から離脱したが、これはドビュッシーが《前奏曲集 第1巻》においてフランス印象主義音楽の音楽語法を完成させ、またシェーンベルクが《弦楽四重奏曲 第2番》においてドイツ表現主義音楽の開拓に突入したのとほぼ同時期のことであった。この点をもってスクリャービンは、現代音楽の先駆者の一人と認められている[誰によって?]。

永らくスクリャービンは一過性の存在であり、音楽史上に何ら影響を与えなかったと看做されてきた。初期において濃厚な影響を受けたストラヴィンスキーでさえ、後にスクリャービンを「単なる妄想狂」と切り捨てている。しかしながら現在では、スクリャービンの影響がロシアやソ連の国境を越え、国際的な広がりを持っていることが近年になって明らかにされてきた。スクリャービンの支持者は、フェルッチョ・ブゾーニやアルバン・ベルクがおり、信奉者はカロル・シマノフスキや山田耕筰、チャールズ・グリフス、ルース・クロフォード=シーガーなどがいる。スイス時代のスクリャービンにピアノを学んだカナダ人女性は、シカゴで音楽教師として立ち、結果的にジャズ・ピアニストの育成に貢献したとされる。

スクリャービンの音楽美に対する研究はロシア・アヴァンギャルドを含む次世代のロシアの作曲家たちに強い影響を与えた。比較的スクリャービンに近い作曲家はニコライ・オブーホフであり、独自の記譜法とクロワ・ソノールと呼ばれる十字架の形をした楽器の開発で知られる。イワン・ヴィシネグラツキーもスクリャービンの模倣から出発したものの、やがて微分音を含む一オクターブ内に十数個の音から成る和音の共鳴に惹かれていき、オブーホフ同様に新しい楽器の開発にたずさわった。しかしながら、調性を超えた音楽の先に神秘的な力を視るというイメージは、明らかにスクリャービンの規範なしにはありえなかったといってよい。ちなみにオブーホフはラヴェルに愛され、ヴィシネグラツキーはメシアンから敬慕の念を受けていた。オブーホフの、長々と宗教的な題名をつける傾向は、メシアンの場合と共通点が認められる。

スクリャービン演奏で知られるピアニスト

ホロヴィッツは、特にラフマニノフとの関係も有名であるが、スクリャービンとも関係がある。ホロヴィッツがピアノを始めたばかりの頃、スクリャービンの前で演奏させてもらえる機会があったという。その時、スクリャービンはその場では将来必ずしも成功するとは語らずも、このピアニストの才能を見抜き、ホロヴィッツの母親に、早く本格的なピアノの教育をするように助言したと言う。そのような「繋がり」もあってか、ホロヴィッツは、スクリャービン音楽が反倫理的であると否定的に解された時代にあっても、自分のレパートリーに必ずスクリャービン作品を入れていた。

ウラディーミル・ソフロニツキー
スクリャービンの娘婿である。旧ソ連時代、旧ソ連内では、ホロヴィッツを上回る評価を得て、リヒテルなどに「あなたは神です」と呼ばれたという。彼を崇拝する信者も多数いた。西側諸国でも「伝説のピアニスト」と位置づけられていた。『伝説のスクリャービン・リサイタル』などのCDが存在する。コントラストの強烈な演奏。

ウラディーミル・アシュケナージ
ラフマニノフ演奏で有名なアシュケナージであるが、モスクワ音楽院時代は、スクリャービンの音楽にも熱中していたという。スクリャービンのピアノソナタ全集、指揮者として交響曲全集を録音している。解釈はオーソドックス。

ジョン・オグドン
EMIからスクリャービンのピアノソナタ全集を発表している。自身が作曲家だったこともあり理知的で見通しの良い演奏。特に複雑な後期作品の名解釈で知られる。

ロベルト・シドン(英語版)
1941年ブラジル生まれのピアニスト。ドイツ・グラモフォンレーベルから自身の補筆によるピアノソナタ変ホ短調を含む初の完全なピアノソナタ全集を発表した(1968 - 71年録音)。熱狂的なダイナミックレンジなどが個性的で、名演の一つとされる[2]。

マルク=アンドレ・アムラン
類稀なテクニックで知られる。スクリャービンのピアノソナタ全集を1996年に英Hyperionレコードから出しており、評判も高い。ただし、ロシア楽派直伝の解釈ではない(彼もそれを認めている)。

ルース・ラレード
女性による初のピアノソナタ全集の録音に成功。ボールドウィンを使用した唯一の録音である。

マイケル・ポンティ
ヴォックス社はポンティを指名し「スクリャービン全集」の録音を強行軍で完成させた。世界初のピアノ曲全集。強行軍で行ったため、演奏は勢いでまとめてしまったものもあるが、全体としては安定しており、正統的で丁寧な演奏(ただし「アップライトピアノで演奏されている」という話が生まれるほどヴォックス社の録音状態は酷いものとなってしまっている)。

ホーカン・アウストボ
1948年生まれのノルウェーのピアニスト。スタイリッシュで丁寧、なおかつ独特な煌めきをたたえた演奏。スクリャービンの「色光ピアノ(クラヴィエ・ア・リュミエール)」を実現させるプロジェクトを組織し、監督している。

マリア・レットベリ
ラトヴィア共和国に生まれ、サンクトペテルブルク音楽院で学んだスウェーデン国籍のピアニスト。ポンティに続く「スクリャービン全集」(2004年)を完成させた。録音、演奏の質共に評価が高い。

作品
スクリャービンは自身が卓越したピアニストであったことから、自然とピアノ曲を数多く作曲した。「本質的にミニアチュール(小品)作家であった」と言われるように、小品のほとんどは3分程度にも満たない。これはラフマニノフら同世代のロシアの作曲家に比べて分かるように、スクリャービンは優れた旋律家ではあったものの、息の長い旋律を続けざまに書くという発想がなく、古典的な楽節構造を好んでいたこととも関連する。このことは、まったくといっていいほど声楽曲を手がけていないこととも関連していよう。

スクリャービンは少年時代からショパンやリストを敬愛したため、ピアノ書法や旋律の発想において、この両者から大きな影響を受けている。しかしながら左手の特訓の結果、右手に匹敵するほど柔軟な運動力を身につけたことから、この両者と異なる独自のポリフォニックな発想も顕著である。ショパンの影響は、練習曲や前奏曲、マズルカといった楽種だけでなく、初期の作風(1900年ごろまで)にも明らかに残っている。この時期の有名曲としてはショパンを意識した12の練習曲Op.8の跳躍が特徴的な第12番悲愴がある。

一方、リストやワーグナーに影響された中期(1902年から1905年ごろまで)の代表的作品として、練習曲(Op.42、1903年)があり、独自の音楽語法を形成した後期の代表的な作品に、ピアノのための詩曲「焔に向かって」(Op.72、1914年)が挙げられる。

またスクリャービンの特徴として、'神秘和音'を独自に生み出し、彼自身の作品でも多用されている。

四度音程を六個堆積した和音で、合成和音(Synthetic chord)とも呼ばれている。(但し、V.デルノワの『スクリャービンの和声』以来、一般的に、属九の和音の第5音を下行変質し、付加第6音を加えた和音と解釈されている。)

独特の響きがもたらされ、文字通り神秘的な雰囲気をかもし出す。また、彼独特のクロスリズムも多く用いられている。

ピアノ曲以外で主要な分野は管弦楽曲(後述)のみである。室内楽曲は数曲、歌曲は1曲、ほかにオペラのスケッチが残されたに留まる。

ピアノ・ソナタ
同時代のグラズノフの交響曲やラフマニノフの協奏曲が、それぞれの分野において19世紀ロシア音楽の金字塔を打ち立てているとすれば、スクリャービンはピアノ曲の分野で同様の業績をピアノ・ソナタで残している。

スクリャービンは、ベートーヴェン以降における独自の世界のピアノ・ソナタの重要な開拓者である。第一に、初期の未発表曲も含めて11曲という量のピアノ・ソナタを残していること(少年時代の《幻想ソナタ》は実質的に夜想曲で、構成面においてソナタとは呼べない)、第二に、ベートーヴェン以降に開発された、あらゆる演奏技巧やピアノ書法を巧みに用い、表現の多様性と自在さにおいて、19世紀の西欧におけるピアノ・ソナタの前例を遥かにしのいでいること、第三に、ソナタというジャンル以外の小品においてもソナタ形式やソナチネ形式を用いて、ソナタ形式の可能性を探究していること(後年のソナタにおいて単一楽章を採る姿勢にも通底)、そして最後に、質・量ともに、ロシアにおいて前代未聞のピアノ・ソナタを連作し、メトネルやプロコフィエフに先鞭をつけたことである。

第4番までのソナタは、ベートーヴェンの立体的な動機労作や論理的な楽曲構成、ショパンの抒情的な表現や和声感覚、そしてリストの演奏技巧を組み合わせ、なおかつ独自の境地を開くことに成功している。たとえば《第2番「幻想ソナタ」》は、ベートーヴェンの《月光ソナタ》の延長上にあり、第1楽章はソナタ形式を使ったショパン風の夜想曲、第2楽章はロンド・ソナタ形式によるシュトゥルム・ウント・ドラング風のフィナーレと解釈することができる。第4番は、前奏曲とロンド・ソナタという風変わりな構成だが、スクリャービンのソナタでは例外的に、第5番とともに長調で作曲され、明るい響きに満たされている。

第5番以降のソナタはとりわけ個性的で、普通では使用されないような和声や構成が大胆に使われている。6番以降の作品には調号が無く、調性が機能していないため、実質的に無調で作曲されている。7番「白ミサ」(Op.64、1912)と9番「黒ミサ」(Op.68、1913)は、作曲者晩年の神秘主義への傾倒を物語る作品として有名。

第1番に先立つ《ピアノ・ソナタ変ホ短調》とその第1楽章を拡張した《アレグロ・アパッショナート》Op.4のほか、《ポロネーズ》と《幻想曲》、《悪魔的な詩曲》においてソナタ形式が使われており、《悲劇的前奏曲》や《練習曲 嬰ハ短調》Op.42-5はソナチネ形式か、またはそれに準ずる構成が採られている。


管弦楽
スクリャービンの管弦楽曲はそれほど多くなく、ピアノ協奏曲(Op.20、1898)と5つの交響曲のほかに、交響曲作曲の習作といった側面をもつ、前奏曲《夢》がある。スクリャービンは、シューマンやフランクにも前例があるように、鍵盤楽器の発想をそのままオーケストラに持ち込んだため、ピアニスティックなパッセージがしばしば目立ち、時として管弦楽法への未熟ぶりを浮かび上がらせることがある。それでもなお、豊かな音色のパレットを備えた管弦楽曲作家であり、木管楽器と弦楽器の柔らかな色彩と、金管楽器の鋭い響きとの対比や、独奏ヴァイオリンの艶やかな響きへの好みという点において、フランクやショーソンとの類似が見出される。

最初の交響曲はフィナーレに声楽が導入されているが、声楽パートの旋律は声楽的というより器楽的である。第2番は、すべての楽章がソナタ形式あるいはソナタ形式に準ずる形式が使われており、5楽章で作曲されているが、第1楽章と第2楽章、第4楽章と終楽章が連結されている。第3番《神聖なる詩》は作曲者の存命中にフランスで上演された標題交響曲で、三つの楽章すべてに付された副題が、ニーチェの超人哲学に触発されたことをほのめかしている。

後期の代表作である交響曲「法悦の詩」(Op.54、1908)と「プロメテ - 火の詩」(Op.60、1910)はどちらも単一楽章で作曲されている。かつては自由な形式の交響詩と看做されていたが、現在では、内部構造が自由に拡張されたソナタ形式で作曲されていることが確認されている。

「プロメテ - 火の詩」では鍵盤を押すとそれに応じて色の付いた光(彼自身の共感覚に基づくとの説もある)が放射されるピアノを用いて聴覚と視覚との統合芸術を目指したが、「神秘劇」と題された最後の未完作品では、さらに五感全てに訴えるマルチメディア的芸術を企図したと言われる。そのスケッチを元に、ロシアの作曲家アレクサンドル・ネムティン(1936-1999)が大オーケストラとピアノ、合唱からなる三部構成の「神秘劇序幕」を26年の歳月をかけて完成させた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3
 

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