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ギュスターブ・クールベの絵を部屋に飾ろう
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 14 日 07:19:46: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 部屋には名画複製画を飾ろう 投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 05 日 17:39:35)

ギュスターブ・クールベの絵を部屋に飾ろう


【入門/10分集中】クールベ 生き様に惚れる!議論を呼ぶ「革新の画家」をゼロから10分で解説(アート 美術 画家 絵画)
2020/04/07



革新の画家、「ギュスターブ・クールベ」を10分で解説しました。


なぜ「革新」と言われるのか?知れば知るほど作品が面白くなる、写実主義の代表画家です。是非お楽しみください。


・写実主義(レアリズム)代表
・「革新の画家」
 

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コメント
1. 2021年11月14日 12:25:38 : GOGU4P3R6A : RVliVmZjWkd0bi4=[20] 報告
ギュスターヴ・クールベ 世界の起源





『世界の起源』は、ギュスターヴ・クールベ作の油彩画である。1866年作。およそ46 × 55cm(18.1 × 21.7インチ)。ベッドの上で足を開いた裸の女性の生殖器と腹部をクローズアップで描写している。

この絵が描かれた当時、クールベのお気に入りのモデルは、ジョアンナ・ヒファーナン(Joanna Hiffernan)、通称ジョー("Jo")と呼ばれる女性だった。当時、彼女の恋人はアメリカ人の画家でクールベの信奉者のジェームズ・マクニール・ホイッスラーであった。

クールベはまた1866年に "La belle Irlandaise" (『美しきアイルランド女(ジョーの肖像)』)という、ヒファーナンをモデルにした絵を描いた。クールベは画業において4枚のヒファーナンの肖像を書いている。おそらく彼女が『世界の起源』のモデルであろう。となれば、少し後にクールベとホイッスラーが喧嘩別れした事の説明がつく。その後ホイッスラーは、彼女と別れアメリカへ帰った。もっとも、ヒファーナンが赤毛で『世界の起源』の陰毛は黒々しているところが疑問点ではあるが、彼女がモデルであるという説が有力である。

彼女についての小説 "J’étais l’origine du monde" (『私が世界の起源』)が、2000年に出版された。著者はフランスの作家 。ヒファーナンを語り手として、彼女がクールベの愛人であり絵のモデルだという説に立っている。また も" Le roman de l’origine" (『起源の物語』、1996年)において、主人公をクールベ自身とし、彼女がモデルだとしている。

2018年9月末、アレクサンドル・デュマ研究者のクロード・ショプが、モデルはパリ・オペラ座バレエ団のバレリーナで高級娼婦および注文主ハリル・ベイ(以下参照)の愛人であったであると発表した。これはアレクサンドル・デュマ・フィスがジョルジュ・サンドに宛てた手紙に不明瞭な言葉があることに気づいたことがきっかけであった。手紙にはオペラ座バレエ団のケニオーの「『インタビュー』(フランス語:アンテルヴュー)を描く」とあったが、これは「内部」を意味する「アンテリウール」の誤植であると判断された。フランス国立図書館のシルビー・オブナはこれまでケニオー説を唱えてきたが、この発見を伝えられ、「この証拠のおかげで、クールベのモデルがコンスタンス・ケニオーだと99%確信できた」と述べた。クロード・ショプは10月4日にこれに関する著書『世界の起源 ― モデルの人生』を発表した。

『世界の起源』の注文は、オスマン帝国の前外交官ハリル・ベイ(、ハリル・シェリフ・パシャ Halil Şerif Paşa)によるものだと考えられている。彼はマケドニア出身の高官の息子として上エジプトで生まれ、パリへ教育に送られ、アテネ、サンクトペテルブルクの大使を務め、その後パリに定住した。シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴがハリル・ベイをクールベに引き合わせ、ハリルはクールベに個人的なエロティック絵画のコレクションに加えるための絵を注文した。そのコレクションには他にもドミニク・アングルの "" (『トルコ風呂』、ルーヴル美術館蔵)や、クールベの別の絵である "" (『眠る女たち』、プティ・パレ美術館蔵)が含まれていた。なお『眠る女たち』のモデルの一人はヒファーナンだと言われている。

ハリル・ベイは再び外交官となってウィーンに行くことが決まり、賭博で積みあがった借金を清算するため、1868年1月にコレクションの売り立てを行った。骨董商のアントワーヌ・デ・ラ・ナルド()が『世界の起源』を最初に購入した。エドモン・ド・ゴンクールが1889年、骨董店でこの絵を発見した。雪の風景が書かれた板で隠されていたという。1910年、ロベール・フェルニエ( 、画家・クールベの研究者)の協力の下、ハンガリーのフェレンツ・ハトヴァニ男爵()がベルネーム=ジューヌ画廊でこの絵を買い、ブダペストに持ち帰った。ハトヴァニは産業家から貴族となったハトヴァニ=ダイチュ家出身のコレクターで、自身も画家としてパリで教育を受けた人物だった。第二次世界大戦の末期、この絵はソビエト軍に略奪された。当時フランスに移住していたハトヴァニが代価を払うことで、絵を1枚だけパリに持ち出す許可を得た。そのとき彼は『世界の起源』を選んだ。

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