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松任谷(荒井) 由実
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 08 日 13:20:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本のミュージシャン 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 06 日 16:40:09)

松任谷由実(荒井由実)


「まちぶせ」 作詞・作曲 荒井由実 リリース 1981年4月21日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF++%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%B6%E3%81%9B++1981%E5%B9%B4  

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コメント
1. 2021年12月10日 13:06:32 : Ody43AKNio : eVlvWFdmS3lQSms=[30] 報告
松任谷 由実(まつとうや ゆみ、1954年〈昭和29年〉1月19日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名同じ。旧姓名及び旧芸名は、荒井 由実(あらい ゆみ)。

1972年にシングル「返事はいらない」でデビュー。一部企画では、愛称の「ユーミン(Yuming)」名義での活動もある。紫綬褒章受章者(2013年〈平成25年〉)。公式ファンクラブは「Yuming Fan Club」。所属レコード会社はユニバーサルミュージック(旧:EMIミュージック・ジャパン)。血液型はO型。

他のアーティストへの作品提供の際には、本名のほか、グレタ・ガルボをもじった[5]ペンネームである呉田 軽穂(くれだ かるほ[6])を使用する場合もある。

夫はアレンジャー・松任谷正隆で、彼女の音楽プロデューサーを務める。


経歴
立教女学院高等学校、多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。

雲母社取締役、苗場プリンスホテル名誉総支配人(期間限定)。1972年、荒井由実の名でEMIミュージック・ジャパンからデビューし、1976年の結婚以降は松任谷由実へ改姓。2013年、EMIJ解散に伴いユニバーサルミュージックへ移籍。


生い立ち
1954年1月、三男二女の第四子(二女)として生まれる[注 1]。6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。

中学時代には、当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていた。またフィンガーズの追っかけもしていた。のちに同レストランに集まったアーティストからアルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。

高校は立教女学院に進学。「立教女学院のパイプオルガン、プロコル・ハルムに強い衝撃を受けた」と語っている[7][8]。また高校にかけては、御茶の水美術学院に通い、年長の同窓生の影響でアルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを愛唱、多大な影響を受ける[9]。

14歳のころ、当時親しかったシー・ユー・チェンが、荒井を「ユーミン」と呼び始め、これがのちに愛称として定着する。

デビュー
1971年、加橋かつみに「愛は突然に…」を提供し、17歳で作曲家としてデビューした。染色の専攻を志し、1972年4月に多摩美術大学に入学。

荒井は元々作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。しかし同シングルは数百枚しか売れなかった。1973年11月に、キャラメル・ママらとレコーディングしたファーストアルバム『ひこうき雲』を発売。TBSラジオの深夜放送番組「パックインミュージック」金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。

1975年10月発売のシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)が、初のオリコンチャート1位を獲得(それ以前にもバンバンへの提供曲の「『いちご白書』をもう一度」が1位を獲得している)、1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎える。

結婚、松任谷由実として活動
1976年11月29日、松任谷正隆と横浜山手教会にて結婚、その後は松任谷由実として音楽活動を続行する。ブレッド&バター、松田聖子、小林麻美などへの楽曲提供の傍ら、1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースした。「埠頭を渡る風」「DESTINY」「恋人がサンタクロース」「カンナ8号線」「真珠のピアス」「ダンデライオン」などはこの頃作られた。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立した。

1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得。特に1987年のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』が78万枚の大ヒットを皮切りに、翌1988年『Delight Slight Light KISS』は159万枚とセールスが倍増。1990年発売の『天国のドア』では史上初のアルバム200万枚出荷を記録。以降、1995年の『KATHMANDU』までの80年代後半から90年代半ばにかけてオリジナルアルバム8作連続のミリオンセラーを獲得する。

1979年以降はコンサートの大規模化が始まり、本物の象を登場させた「OLIVE」、マジックを取り入れた「MAGICAL PUMPKIN」、エレベータを設置した「BROWN'S HOTEL」、噴水ショー「SURF & SNOW」、30メートルの竜に乗った「水の中のASIAへ」など年々エスカレートしていった。当時のインタビューでも「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。


当時人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌と挿入曲を担当し、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれた。当時比較されがちであった中島みゆきの作風とは一線を画し、「中級以上の育ちじゃないとわからない世界観」、「中産階級の手に届く夢」(当時の音楽ライターによる表現)を歌って、バブル時代に沸く時代の波に乗った。

1990年代に入ると精神世界や民族音楽にも着目し、「満月のフォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」「輪舞曲」などを作曲する。1993年、TBS系列ドラマ『誰にも言えない』主題歌となった「真夏の夜の夢」はシングル初のミリオンセラーとなり、翌1994年発売の「Hello, my friend」「春よ、来い」も続けてミリオンセラーを記録、同年末発売のアルバム『THE DANCING SUN』はオリジナルアルバムとして自己最高の217万枚を売り上げるなど、第三次ブームと呼べる年となった。

1996年、荒井由実名義でのセルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。このライブ・アルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数か月遅れた。これ以降、恒例となっていた活動サイクル(冬のアルバム発売〜夏までツアー)が若干緩やかになった。1998年には松任谷由実時代以降のベスト・アルバム『Neue Musik』が380万枚を売り上げ、自身が発表した全作品の中で最大の売上を記録している。

1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートしたコンサート『シャングリラ』を開催。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。『シャングリラ』3回の総制作費は120億円以上、観客動員数は100万人。

2000年代〜近年の活動
2005年、NHK紅白歌合戦(第56回)に松任谷由実 with Friends Of Love The Earth名義で初出演。2011年春には、NHK『SONGS』の企画で新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」、2012年3月には「(みんなの)春よ、来い 2012」を配信。収益のすべてが東日本大震災の被災地へ寄付された。

2012年、荒井由実時代・松任谷由実時代を通じたベスト・アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』がミリオンセラーとなり、累計でのCDアルバム売り上げ枚数は3,000万枚を突破して、ソロアーティストならびに女性アーティスト初となった。2012年、2014年、2017年には帝国劇場にて『ユーミン×帝劇』を開催。

2013年、デビュー以来所属していたレコード会社・(東芝音楽工業→東芝EMI→)EMIミュージック・ジャパンの吸収合併に伴い、ユニバーサルミュージックに移籍する。

2013年春の叙勲で紫綬褒章受章[10][11][12]、「岩谷時子賞」受賞(岩谷時子存命中最後の受賞者となった)[13]、2015年、石川県観光ブランドプロデューサーに就任。 2017年、東京芸術文化評議会委員に就任。世田谷区名誉区民[14]。

2016年、38枚目のオリジナルアルバム『宇宙図書館』がオリコン週間アルバムチャートで初登場1位を記録。2018年にはベスト・アルバム『ユーミンからの、恋のうた。』をリリース。発売初週に10.8万枚を売り上げ、初登場1位を記録し、2016年に自身が前作『宇宙図書館』で記録した女性アーティスト最年長記録を更新した。アルバム首位獲得数は通算24作となり、自身が持つ女性アーティストならびに男女通じてソロアーティスト歴代最多記録も更新した。また、このアルバムとともに前ベスト・アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』が8位にランクインし、ランキングトップ10に2作同時ランクインすることとなった。

2018年9月には、荒井由実時代を含めたほとんどのアルバムとシングルのサブスプリクション配信が開始された[注 2]。2019年8月23日、公式YouTubeチャンネルで歴代ミュージック・ビデオの内、33作品が公開された[16]。

近年は手嶌葵、一青窈、NOKKO、岩沢幸矢、鈴木雅之、松田聖子、Char、薬師丸ひろ子への楽曲提供も行っている。

2020年12月1日には、4年ぶりのアルバム『深海の街』を発売。2021年9月30日から全国60公演に及ぶコンサートツアー『深海の街』を開催予定。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BB%BB%E8%B0%B7%E7%94%B1%E5%AE%9F

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