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「青い影」(A Whiter Shade of Pale)_ Gary Brooker (1945年5月29日 - 2022年2月19日)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/897.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 2 月 26 日 07:30:48: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: イギリスの作曲家 投稿者 中川隆 日時 2021 年 12 月 06 日 16:34:49)

「青い影」(A Whiter Shade of Pale)_ Gary Brooker (1945年5月29日 - 2022年2月19日)

プロコル・ハルム 青い影 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%A0++%E9%9D%92%E3%81%84%E5%BD%B1

プロコル・ハルムの「青い影」
A Whiter Shade of Pale (Extended early version - March 1967)

" 僕たちは 軽い馬鹿騒ぎをして跳ね回っていたんだ

  フロアの端から端まで側転したりして

  僕は船酔いしたみたいな気分になった

  だけど、みんなもっとやれとはやし立てた

部屋の騒音は激しくなった 天井が飛んでいきそうなくらいに

  僕たちが大声でもう一杯頼むと ウェイターはトレイを運んできた

  そしてその後のことだった

  粉屋が話をしていくうちに

  最初は幽霊のようにぼんやりしていた彼女の顔の

  淡い色が白くなっていったんだ

  彼女は言った ”理由なんてないわ

  真実は単純明白よ”

  だけど僕は手持ちのカードをどうするか迷って

  海岸から旅立った16人のウェスタの処女のひとりに

  彼女をさせようとしなかったんだ

  僕の目が開いていたとしても 閉じていたのと同じようなものだった

  そしてその後のことだった

  粉屋が自分の話をしていくうちに

  最初は幽霊のようにぼんやりしていた彼女の顔の

  淡い色が白くなっていったんだ    ”    (拙訳)

 

  

********************************************************************************

We skipped the light fandango
Turned cartwheels 'cross the floor
I was feeling kinda seasick
But the crowd called out for more
The room was humming harder
As the ceiling flew away
When we called out for another drink
The waiter brought a tray

And so it was later
As the miller told his tale
That her face, at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale

She said, 'There is no reason'
And the truth is plain to see
But I wandered through my playing cards
And would not let her be
One of sixteen vestal virgins
Who were leaving for the coast
And although my eyes were open
They might have just as well've been closed

And so it was later
As the miller told his tale
That her face, at first just ghostly
Turned a whiter shade of pale

Writer/s: GARY BROOKER, KEITH REID, MATTHEW FISHER

https://popups.hatenablog.com/entry/2020/12/18/070000


「青い影」(原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では57位にランクされている[7]。イギリスのBBCラジオ2が2009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」では第1位に選ばれている[8]。


ゲイリー・ブルッカーが作曲、キース・リード(英語版)が作詞を手掛けているが、後述の通り、クレジットをめぐって法廷闘争が繰り広げられた。

(マシュー・フィッシャーのオルガンによる荘重な)イントロダクションは、バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』からの引用とされる[9]。1988年に日産自動車から発売されたS13型シルビアのCMソングに使用された[10][11]のを始め、多くのCMやTVドラマなどで使用されている。また、1997年3月9日深夜にフジテレビが河田町旧社屋からの放送終了後、フィラーとして流した最後の音楽となった。

1967年5月12日に発売され[1]、2週間で40万枚近くを売り上げた。イギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得。アメリカで5位を獲得するなど、全世界でヒットを記録した。だが、当時発売のファースト・アルバムには収録されていなかった。その後の再発盤などでは収録されている。この曲ができた当時はマルチトラックも発達し、ステレオ録音は一般的に行われていたが、この曲はあえてモノラル風の作りになっている。

なお、邦題は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく「色合い、色調」という意味であり、原題を訳すと「蒼白な」「白に近い色調」といった意味になる。

音楽シーンへの影響
生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げており「人生でベスト3に入る曲」と語り、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」と発言していた[12]。

日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになる。山下達郎も当時ラジオでこの曲を聴き、すぐにレコードを購入し、その日のうちに100回は聴いたという。

プロモーション・フィルム

撮影地のウィットリー・コートの遺跡。(1937年に一部が火災で全焼)
最初の「青い影」のプロモーション・クリップは、イングランド・ウスターシャー州ウィットリー・コート(英語版)の遺跡で撮影された[13]。ヒットシングルで演奏した5人のミュージシャンのうちの4人、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー、デイヴィッド・ナイツ、レイ・ロイヤーが出演し、演奏と遺跡を歩いて回っている。ドラマーだけがビデオの記録に残っていない。初期のバンドメンバー、ボビー・ハリソンはスタジオ・ミュージシャンのビル・エイデンのドラムを彷彿させる。このフィルムは、ベトナム戦争ニュース映画の映像を挿入したピーター・クリフトン(英語版)監督が指揮し、BBCのテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で放送禁止となった[14][15]。

プロコル・ハルムはその後、「Scopitone(英語版)」技術を使用して、もう一つのプロモーション・クリップを制作した。このフィルムには演奏シーンはなく、野外でのシーンのみである[16]。この時点で、ロビン・トロワーとB.J.ウィルソン(英語版)はバンドのロイヤーとハリソンを入れ替えたので、5人のミュージシャンのうち3人だけが録音に参加している。2004年にリリースされた「トップ・オブ・ザ・ポップス40周年記念1964-2004」のDVDでは、この曲は1967年を代表している。

ジョエル・ガレン(英語版)のDeja-View・ミュージックビデオシリーズの一部として撮影されたフィルムもある[17]。元々、1985年後半から1986年にかけて様々なネットワーク上で放送されていたこのビデオはハリー・ディーン・スタントンとバーニー・トゥパン(英語版)が出演しているが、バンドのメンバーは取り上げられていない。VH1クラシック(英語版)で放映され、最近はオンラインで登場している。

「青い影」を巡る裁判
2005年、マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした[18]。 フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。一方、ブルッカーは「『青い影』はフィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡した[19]。ブルッカーは判決を不服として控訴した。

2008年4月3日、控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした[20]。だが、2009年7月30日、貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した[21][22]。これによって長期間に渡る法廷闘争に終止符が打たれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E5%BD%B1


 

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コメント
1. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2022年2月26日 07:35:14 : 7284w1h2Yo : ZEVCUFByRTFDb28=[2] 報告
ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker、1945年5月29日 - 2022年2月19日[1])は、イングランド出身のミュージシャン、ロック歌手、鍵盤奏者、音楽プロデューサー。

ロックバンド「プロコル・ハルム」の主宰として知られる。2003年、大英帝国勲章を叙勲。


英国ロンドンで生まれ、1955年にエセックス州に移る[2]。1959年に中学校時代の仲間達と「パラマウンツ」というグループを結成。1962年頃から本格始動し、翌1963年にシングルデビューを果たす[2]。レイ・チャールズらに影響を受けR&B色の濃い楽曲を制作し、コースターズのカヴァー曲をヒットさせるが、1966年に解散。


その後、1967年に詩人のキース・リードと出会い、リードの作った詞にブルッカーが曲をつける方式で、ロック・バンド「プロコル・ハルム」を結成。ブルッカーが作曲、ピアノ、リード・ヴォーカルを担当したプロコル・ハルムのデビュー曲「青い影」は世界的大ヒットとなり[1]、1977年に解散するまで、多くの曲をリードと共作した。

バンド解散後はソロとして活動する傍ら、エリック・クラプトン・バンドのバンドマスターを務めたほか、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターといった元ビートルズのメンバーとも共演した。また、アラン・パーソンズ・プロジェクトにもリード・ヴォーカルとしてゲスト参加している。


1991年にプロコル・ハルムを再結成し、各国をツアーしていた。そのチャリティー活動が評価され、2003年、英国王室から大英帝国勲章(五等勲士、MBE)を授けられた[1]。また、1997年から1999年にかけて、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのツアーにも参加。「青い影」や「征服者」等を歌った。その頃には、ビル・ワイマンが率いるリズム・キングスにも名を連ねていた。

2022年2月19日、がんのため自宅にて死去。76歳没。死去はプロコル・ハルムの公式サイトで明らかにされた[1]。

ディスコグラフィ

ソロアルバム
No More Fear of Flying(1979年)
Lead Me to the Water(1982年)
Echoes in the Night(1985年)

ライブアルバム
Within Our House(1996年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC


プロコル・ハルム(Procol Harum [ˈproʊkəl ˈhɑːrəm])は、イングランド出身のロックバンド。デビュー曲「青い影」(1967年)は世界的な大ヒットを記録し、バンドは一躍スターダムにのし上がった。クラシックやブルースの要素を色濃く取り入れた独特の作風で人気を博した。


経歴

結成まで
プロコル・ハルムの前身となったのは、英国エセックス州で1961年に結成されたR&Bバンド、パラマウンツであった。彼らは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーから「最高のR&Bバンド」と称賛されたものの、ヒットを出すことはできず1966年に解散する。その頃、パラマウンツの中心メンバーであったゲイリー・ブルッカーは、プロデューサーのガイ・スティーヴンスの紹介でキース・リード(英語版)という詩人と出会い、楽曲を共同制作するようになった。その後、2人はオルガニストのマシュー・フィッシャーを仲間に迎え入れ、1967年にプロコル・ハルムが結成される。なお、バンド名は「Beyond these things」(こうしたものを離れて)を意味する不正確なラテン語で[1]、プロデューサーの飼い猫の名をもじったものと言われている。

結成から解散までの歩み
シングル「青い影」で一躍有名になった彼らの初期のサウンドを特徴付けるのは、ゲイリーのピアノとマシューのオルガンからなるツイン・キーボードの編成である。このスタイルについては、ザ・バンドとの影響関係も指摘されている。また、R&B的要素とクラシック的要素を融合させた独特の音作りは、1970年代のプログレッシブ・ロックの先駆をなしたとも評される。特に、5部構成のロック組曲「In Held Twas in I」が収録されたセカンド・アルバム『月の光』(1968年)と、ポップな作風を指向したサード・アルバム『ソルティ・ドッグ』(1969年)は初期の佳作とされている。その後、1969年にマシューがバンドを脱退すると、ジミ・ヘンドリックスに深く傾倒していたギタリストのロビン・トロワーの存在感が圧倒的となり、彼の奏でるギター・リフを前面に押し出したハードな楽曲が増加してくる。

しかし、1971年にはロビンもまたバンドを脱退し、ゲイリーの志向するクラシカルな路線が復活することとなった。1972年にはカナダのエドモントン交響楽団との共演によるライブ・アルバムを発表するが、これはディープ・パープルのロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演盤などと共に、当時ロックとクラシックの融合が盛んに試みられた事を例証する作品と言えよう。翌1973年の7作目のアルバム『グランド・ホテル』は、今日では1970年代プログレ・シーンを代表する作品の一つに数えられており、彼らの後期の傑作とされる。ホテルを退廃的な物質文明(西欧文明)の象徴と見なすコンセプチュアルな歌詞と、重厚華麗な演奏が特徴である。その後、ロックンロール草創期の代表的なソングライターだったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビをプロデュースに迎え、時流に即してAOR的要素をとりいれた1975年の『プロコルズ・ナインス』である程度の商業的成功を収めるものの、「すべてをやりつくした」というゲイリーの判断で1977年には解散を迎えている。

再始動からゲイリー・ブルッカーの死去まで

2001年 再結成期
バンド解散後、ゲイリーはソロ活動を展開していたが、1990年にドラマーのB.J.ウィルソン(英語版)が肺炎で死去したことをきっかけに、哀悼の意味をこめて1991年にバンドを再結成し、アルバム『放蕩者達の絆』を発表した。ロビンは短期間で脱退するが、バンドはその後も北米や英国を中心に散発的にライブを行っており、2003年にはマシュー、キースらも参加した再結成後第2作のアルバム『ウェルズ・オン・ファイアー』をリリースしている。

彼らは、デビュー曲を別とすれば、総じて華やかなチャート・アクションとは縁の遠いバンドであった。しかし、プログレ的ではあるものの分類の難しい独特な作風はロック史上に一特色を呈するもので、結成から半世紀近くを経た21世紀になって、世界各国で再評価の機運が高まっている。

なお、彼らは1972年にテン・イヤーズ・アフターとのジョイントコンサートで来日し、2003年には再来日して四人囃子との共演を実現させた。また2012年には松任谷由実とのジョイントライブを日本国内数箇所で行なう[2]。

2017年4月には、クリームとの共同作業で知られるピート・ブラウンを作詞家に迎えた14年ぶりの新作『乙女は新たな夢に』のリリースに至った[3]。

2022年2月、主宰ゲイリー・ブルッカーが病没[4]。これにより、活動に事実上の終止符が打たれた。


代表曲

青い影 - "A Whiter Shade Of Pale"
1967年5月にシングル・リリースされた彼らのデビュー曲。詳細は「青い影」の項を参照。

ホンバーグ - "Homburg"
1967年リリースのセカンド・シングル。前作『青い影』の作風を踏襲する、ツイン・キーボードを前面に出したロック・バラードである。全英6位まで上昇した。この曲もファースト・アルバムには未収録だった。なお、「Homburg」とはフェルト帽のこと。

征服者 - "Conquistador"
1968年1月リリースのファースト・アルバムに収められていた同名の曲が、1972年のライブでリメイクされ、シングル・カットされた。速めのテンポながらメロディは哀愁を帯び、イントロで用いられているストリングスも印象的である。アメリカでは全米ビルボード15位にランク・インした。また、この曲を1曲目に収めた72年発売のライブ・アルバムは、全米5位まで上昇するヒット作となった。


メンバーの変遷
第1期 (1967年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
レイ・ロイヤー (Ray Royer) - ギター
デイヴィッド・ナイツ (David Knights) - ベース
ボビー・ハリソン (Bobby Harrison) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
デビュー・シングル「"A Whiter Shade Of Pale" / "Lime Street Blues"」録音。

このメンバーで収録したのは、デビュー・シングルのA面・B面のみ。ボビー・ハリソンはデビュー曲収録直後にレーベル側から解雇され、同時に脱退したレイ・ロイヤーとともにフリーダムというサイケデリック・ロック・バンドを結成。

「青い影」でドラムスを叩いているのはボビー・ハリソンではなく、ビル・エイデン (Bill Eyden) というジャズ系のドラマーである(ハリソンは「青い影」のB面「ライム・ストリート・ブルース」のみドラムスを担当)。

ロックバンドの作詞を専門に担当した詩人として、古くはクリームのピーター・ブラウンが知られるが、作詞の専門家であるキース・リードを正式にバンド・メンバーとしてクレジットしたところにプロコル・ハルムの特色がある。このスタイルは、ピート・シンフィールドを擁したキング・クリムゾンにも受け継がれることになる。

第2期 (1967年-1969年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ、オーケストレーション (3rdアルバム)
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン、ボーカル、オーケストレーション (3rdアルバム)
ロビン・トロワー (Robin Trower) - ギター、ボーカル
デイヴィッド・ナイツ (David Knights) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
1stアルバム『青い影』、2ndアルバム『月の光』、3rdアルバム『ソルティ・ドッグ』録音。

この時期がオリジナル・メンバーと言われることが多い。ゲイリー、マシュー、ロビンという各々作風の違う作曲者が3人在籍し、ラインナップとしては最も充実していた時期と言える。

ドラマーのB.J.ウィルソンは、前身バンドのパラマウンツ時代からのゲイリーのバンド仲間であり、ゲイリー、キースと共に解散までバンドに在籍した。プロコル・ハルムに正式加入する以前はレッド・ツェッペリンから加入の誘いを受けていたこともあり、演奏技術はメンバー中でも出色のものを持っていた。

第3期 (1970年-1971年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ロビン・トロワー (Robin Trower) - ギター、ボーカル
クリス・コッピング (Chris Copping) - オルガン、ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
4thアルバム『ホーム』、5th『ブロークン・バリケーズ』録音。

マシュー・フィッシャーらの脱退とクリス・コッピングの加入により、前身バンドのパラマウンツ時代とほぼ同じラインナップに回帰した。

第4期 (1972年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ、オーケストレーション (6thアルバム)
クリス・コッピング (Chris Copping) - オルガン
デイヴ・ボール (Dave Ball) - ギター
アラン・カートライト (Alan Cartwright) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
6thライブ・アルバム『Procol Harum Live In Concert With Edmonton Symphony Orchestra』録音。

彼らの最初の来日公演時のメンバーである。

このメンバーで7thアルバム『グランド・ホテル』の録音を開始。

第5期 (1973年-1976年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ、オーケストレーション (7thアルバム)
クリス・コッピング (Chris Copping) - オルガン
ミック・グラバム (Mick Grabham) - ギター
アラン・カートライト (Alan Cartwright) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
+

クリスチアーネ・ルグラン (Christiane Legrand) - ボーカル (ゲスト/7thアルバム)
B.J.・コール(英語版) - スティールギター (ゲスト/8thアルバム)
7thアルバム『グランド・ホテル (アルバム)|グランド・ホテル』、8thアルバム『異国の鳥と果物(英語版)』、9thアルバム『プロコルズ・ナインス』録音。

アルバム『グランド・ホテル』は第4期メンバーで録音し終えていたが、ギターをミック・グラバムのものに差し替えた。

第6期 (1976年-1977年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ピート・ソリー (Pete Solley) - オルガン、シンセサイザー
ミック・グラバム (Mick Grabham) - ギター
クリス・コッピング (Chris Copping) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
10thアルバム『輪廻』録音。

第7期 (1977年4月-5月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ピート・ソリー (Pete Solley) - オルガン、シンセサイザー
ミック・グラバム (Mick Grabham) - ギター
ディー・マーリー (Dee Murray ) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第8期 (1977年10月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
クリス・コッピング (Chris Copping) - オルガン
ティム・レンウィック (Tim Renwick) - ギター
アラン・カートライト (Alan Cartwright) - ベース
B.J.ウィルソン (B.J.Wilson) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第9期 (1991年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ロビン・トロワー (Robin Trower) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
ジェリー・スティーヴンソン(Jerry Stevenson) - ギター、マンドリン
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
+

ヘンリー・スピネッティ (Henry Spinetti) - ドラム (ゲスト/11thアルバム)
スティーヴ・ランジ (Steve Lange) - バック・ボーカル (ゲスト/11thアルバム)
マギー・ライダー (Maggie Ryder) - バック・ボーカル (ゲスト/11thアルバム)
ミリアム・ストックリー (Miriam Stockley) - バック・ボーカル (ゲスト/11thアルバム)
11thアルバム『放蕩者達の絆』録音。

第10期 (1991年8月-10月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ティム・レンウィック (Tim Renwick) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第11期 (1991年12月-1992年4月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
ライブ・アルバム『One More Time : Live At Utrecht, Netherlands, 13 February 1992』録音。

第12期 (1992年5月-6月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ドン・スノー (Don Snow) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第13期 (1992年8月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
ローレンス・コットル (Laurence Cottle) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第14期 (1993年6月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ジョシュ・フィリップス (Josh Phillips) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
イアン・ウォーレス (Ian Wallace) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第15期 (1993年7月-8月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
イアン・ウォーレス (Ian Wallace) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第16期 (1993年8月-9月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
イアン・ウォーレス (Ian Wallace) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第17期 (1995年7月-8月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
グラハム・ブロード (Graham Broad) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第18期 (1996年2月-4月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
ヘンリー・スピネッティ (Henry Spinetti) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第19期 (1997年7月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン、ギター、ボーカル
ピート・ソリー (Pete Solley) - オルガン、シンセサイザー、ヴァイオリン、ピアノ
ミック・グラバム (Mick Grabham) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
デイブ・ブロンズ (Dave Bronze) - ベース
クリス・コッピング (Chris Copping) - ベース、オルガン、ギター
アラン・カートライト (Alan Cartwright) - ベース
グラハム・ブロード (Graham Broad) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第20期 (2000年9月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
ミック・グラバム (Mick Grabham) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第21期 (2001年5月-2003年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
+

ロジャー・テイラー (Roger Taylor) - バック・ボーカル (ゲスト/12thアルバム)
12thアルバム『ウェルズ・オン・ファイアー』録音。

第22期 (2004年-2006年8月)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ジョシュ・フィリップス (Josh Phillips) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第23期 (2006年10月-2016年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ジョシュ・フィリップス (Josh Phillips) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
ジェフ・ダン (Geoff Dunn) - ドラム
キース・リード (Keith Reid) - 歌詞
第24期 (2016年-2022年)
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ
ジョシュ・フィリップス (Josh Phillips) - オルガン
ジェフ・ホワイトホーン (Geoff Whitehorn) - ギター
マット・ペグ (Matt Pegg) - ベース
ジェフ・ダン (Geoff Dunn) - ドラム
ピート・ブラウン (Pete Brown) - 歌詞
13thアルバム『乙女は新たな夢に』録音。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム
『青い影』 - Procol Harum (1967年 第2期)
現在のCDでは『A Whiter Shade Of Pale』のタイトルで発売されるのが一般的だが、当時のイギリス盤にはシングル「青い影」は未収録だった。
『月の光』 - Shine On Brightly (1968年 第2期)
『ソルティ・ドッグ』 - A Salty Dog (1969年 第2期)
『ホーム』 - Home (1970年 第3期)
『ブロークン・バリケーズ』 - Broken Barricades (1971年 第3期)
『グランド・ホテル』 - Grand Hotel (1973年 第4期〜第5期)
『異国の鳥と果物(英語版)』 - Exotic Birds And Fruits (1974年 第5期)
『プロコルズ・ナインス』 - Procol's Ninth (1975年 第5期)
『輪廻』 - Something Magic (1977年 第6期)
『放蕩者達の絆』 - The Prodigal Stranger (1991年 第9期)
『ウェルズ・オン・ファイアー』 - Wells On Fire (2003年 第21期)
クイーンのロジャー・テイラーが「Shadow Boxed」のバックボーカルで参加
『乙女は新たな夢に』 - Novum (2017年 第24期)


ライブ・アルバム
Procol Harum Live In Concert With Edmonton Symphony Orchestra (1972年 第4期)
BBC Live In Concert (1999年 第5期) ※1974年録音
One More Time : Live At Utrecht, Netherlands, 13 February 1992 (2000年 第11期)


シングル
"A Whiter Shade Of Pale" / "Lime Street Blues" (1967年 第1期 A面のDrums:ビル・エイデン)
"Homburg" / "Good Captain Clack" (1967年 第2期)
"Quite Rightly So" / "In The Wee Small Hours Of Sixpence" (1968年 第2期)
"A Salty Dog" / "Long Gone Geek" (1969年 第2期)
"The Devil Came From Kansas" / "Boredom" (1969年 第2期)
"Broken Barricades" / "Power Failure" (1971年 第3期)
"Simple Sister" (Stereo) / "Simple Sister" (Mono) (1971年 第3期)
"Conquistador" (Live) / "Luskus Delph" (Live) (1972年 第4期)
"Conquistador" (Live) / "A Salty Dog" (Live) (1972年 第4期)
"2Robert's Box" / "A Rum Tale" (1973年 第5期)
"Grand Hotel" / "Fires (Which Burnt Brightly)" (1973年 第5期)
"A Souvenir Of London" / "Toujour's L'amour" (1973年 第5期)
"Nothing But The Truth" / "Drunk Again" (1974年 第5期)
"Pandora's Box" / "Piper's Tune" (1975年 第5期)
"The Final Thrust" / "Taking The Time" (1975年 第5期)
"As Strong As Sansom" / "The Unquiet Zone" (1976年 第5期)
"Wizard Man" / "Backgammon" (1977年 第6期)


その他
The Paramounts : At Abbey Road 1963 To 1970 (1998年) ※1963年-1966年、1970年録音
前身バンド、パラマウンツの音源と第3期メンバーによる「Liquorice John Death」名義の音源をまとめた作品。
Liquorice John Death : Ain't Nothin' To Get Excited About (1998年) ※1970年録音
第3期メンバーでロックンロールのスタンダード曲を「Liquorice John Death」名義で録音した作品。
The Long Goodbye : Synphonic Music Of Procol Harum (1996年)
プロコル・ハルムの曲をオーケストラアレンジした作品。ブルッカー、フィッシャー、トロワー等が参加。


映像作品
Live At The Union Chapel (2004年(2003年録画) 第21期)
Musikladen Live (2006年(1974年録画) 第4期)
Live In Denmark 2001 (2006年(2001年録画) 第21期)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%A0

2. 2022年2月26日 07:36:44 : 7284w1h2Yo : ZEVCUFByRTFDb28=[3] 報告
名曲プロコム・ハルムの「青い影」
2022年02月26日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b72abda04a0e8af73da3de951a94ba75


つい先日の読売新聞の訃報欄に載っていた記事。

名曲を生み出した「ミュージシャン」に合掌です。どんな人でもガンには勝てませんねえ・・。

それにしても、プロコル・ハルムの「青い影」とは懐かしい。青春時代に何回となく繰り返し聴いていたお気に入りの曲だった。

ネットにはこう書かれていた。

「バッハの旋律をモチーフにした印象的なオルガンのイントロとソウルフルなボーカルが人気を博しロックのスタンダード曲となった。」

たしかに・・。

ほかにも賛辞が続く。

「生前、ジョン・レノン(ビートルズ)はこの曲をお気に入りの一つとして挙げており、人生でベスト3に入る曲、今の音楽業界でこの曲以外は聴く価値がない、とまで語っていたという。

またこのメロデイーは日本のアーティストにも大きな影響を与えており、松任谷由実(ユーミン)はこの曲をきっかけにして音楽を自作するようになったという。

山下達郎も当時ラジオでこの曲を聴いてすぐさまレコードショップへと走り、購入したその日に100回は聴いた、と語っている。」

と、いった具合。

ポピュラーの世界でも何曲も中途半端なヒットを出すよりも、たった1曲でも強い印象を与えるほうが長く名が残るようだ。何せ新聞に訃報が載るくらいだから。

クラシックで「一発屋」といえば「幻想交響曲」(ベルリオーズ)みたいなものですか(笑)。

何はともあれ久しぶりに「青い影」を聴きたくなったので「ひかりTV」の「ミュージック」部門で検索したところご本人が歌ったオリジナル版は存在しなかった。

そのうち、もしかして手持ちの「オムニバス盤6枚組」(いろんな歌手のヒット曲を詰め込んだ盤)に入ってなかったかなあと微かな記憶が蘇ってきた。

で、CD棚を漁って探してみたところ、ありました!

1960年代のヒット曲を網羅したCDだが、そのトップバッターに「A WHITER SHADE OF PALE」があった。

さっそくブルーレイに取り込んで試聴。

なお、この曲は歌詞が難解なことで知られている。興味を惹かれてネットでググってみるといろいろあったが、一番ピッタリと思ったのがこれ。

「私たちは軽やかにダンスを踊ったんだ フロアを車輪が横切るようにね ちょっと船酔いを感じてたけど 周りのみんながもっと踊れって囃し立てるんだ 部屋はもっと賑やかになって天井が抜けちゃうんじゃないかっていうくらい 私たちはもう少し飲もうって ウェイターを呼んだら トレイを持ってきたんだ そのすぐ後のことだった 浮気についての話をすると 彼女の顔は最初血の気を失いみるみる青白くなってなっていったんだ
彼女は言った 理由はないわ 真実は見てのとおりよ だけど僕はなんていうべきか悩んだ 彼女をそうさせたくはない 16人のヴェスタの巫女のひとりに罰を受け 沖に流されるようなもの 僕は目を開けていたのだが何も見えていなかったのかもしれない」

どうやら「付き合っていた彼女が浮気し、それを引きとどめたくて悩んでいる」という趣旨のようで、タイトルの「青い影」は浮気をそれとなく指摘された彼女の顔がみるみる血の気を失い青白くなっていったことに由来するみたい、ですよ。

哲学的なメロディに比べると「な〜んだ」という感じだが、歌詞の意味を知ったのはこれが初めてだった、英語がとんと苦手なものでして(笑)。

なお、これがきっかけとなってそのほかの「オムニバス盤」5枚すべてをブルーレイに取り込んで往年のヒット曲に耳を傾けて懐かしい青春時代を振り返った。

プラターズ「煙が目にしみる」 フランク・シナトラ「夜のストレンジャー」 ナット・キング・コール「モナリザ」 ファッツ・ドミノ「ブルーベリーヒル」 テンプテーションズ「マイガール」 ジミー・ディーン「ビッグ・バッド・ジョン」 キングストン・トリオ「トム・ドゥーリー」 ボビー・ルイス「トッシン&ターニング」 ブルック・ベントン「ザ ボールウィーブル・ソング」 トミー・エドワーズ「イッツ・オール・イン・ザ・ゲーム」・・

ずいぶん記憶力が衰えたのに、はるか昔の曲目はよく覚えている。どうやら「情動」が絡んだ記憶は別物のようですね。

当時は福岡市に住んでいたのだが、米軍がらみの飛行場が市内にあったので「FEN」(極東放送:FAR EAST NETWORK)が放送されており、毎週土曜日の夜8時から30分間、最新の「ビルボード誌・ヒット20」を、茶の間のお粗末なラジオにかじりついて聴いたものだった。

音質なんてどうでもよかった「あの頃」が懐かしい・・・(笑)。

3. 2022年2月26日 12:28:00 : 7284w1h2Yo : ZEVCUFByRTFDb28=[10] 報告
プロコル・ハルムの「青い影」
A Whiter Shade of Pale (Extended early version - March 1967)


4. 中川隆[-13626] koaQ7Jey 2022年2月26日 15:43:30 : 7284w1h2Yo : ZEVCUFByRTFDb28=[15] 報告
プロコル・ハルムの「青い影」

PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #1 (Official Video)



Watch "A Whiter Shade of Pale" official lyric video

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