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ロシアは、八年前のリベンジ、三十年前のリベンジ、八十年前のリベンジ、千年来のリベンジを戦っており、それに核を使う価値ありと考えている訳で、西側の時効的な価値観は通用しないのである。
http://www.asyura2.com/22/cult38/msg/500.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2022 年 5 月 07 日 15:25:51: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
 

日本で言えば会津が長州をいまだに良く思っていないようなものだが、その百倍位の思いがあると表現すればピンとくると思うが、私のヤンキーゴーホームすら彼らの先祖代々の信念には甘っちょろいと言われてしまう訳で、チョムスキーの文明の衝突という言葉は軽いが、正に文明の衝突が鬼畜米英ラエルとの間で起きており、付き合わされてるに過ぎない日欧は降りる事である。  

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コメント
1. 2022年5月07日 17:42:33 : iRftfPNDJ6 : ZVpCbG1VbTMxMEk=[1] 報告
俺も昨日市長を相手取り憲法15条2項違反を簡易裁判所に提訴してきたよ、この国はおしまいだから、どんどん提訴しょう。
2. 少人長[1236] j62QbJK3 2022年5月08日 19:27:05 : pRq5imsjEo : OS9YbXFJZmF6U2M=[3] 報告
●陰謀論の代名詞
陰謀論といえば、政府や政治家など一部の支配階級が影で色々たくらみ、世界をコントロールしているなんてのが大筋です。

そんな巷に出回っている陰謀論には、現在、主役とも言えるグループの存在が噂されています。

政府機関や政治家の裏に、イルミナティなどを代表する闇の組織が存在するなんてのが定説となりつつありますが、そのグループは、これらの闇の組織の中心する人達であると言われています。

彼らは俗に、金融ユダヤ、「ハザール・マフィア」と呼ばれています。

●ハザール大国
彼らは何者なのか?それは、7世紀に東ヨーロッパに発生した「ハザール王国」なる大国が起源です。
ハザール王国」は、カスピ海から黒海沿岸にかけて発生した騎馬民族を基盤とする巨大国家です。
彼らは近隣の民族を圧倒し、7世紀中頃王国を築き、カスピ海沿岸草原、クリミア半島に覇を唱えます。



そのころのハザール国が支配する東ヨーロッパはキリスト教のビザンチン帝国とイスラム教のイスラム帝国という二大勢力と隣接し、それに加え、後のロシア帝国の基盤となるルス人が台頭してきます。

その様な情勢の中で、自国の独自性を保つため、国を挙げてユダヤ教に改宗します。
このユダヤ教への改宗こそハザール国の大きな特徴とされています。

歴史的に見ても、一国がユダヤ教に改宗するのは珍しいと言います。
ちなみに、彼らは、改宗によりユダヤ教になっただけなので、本来のアブラハムの子孫となる、イスラエルの民とは違います。

彼らのように、もともとのユダヤ人(セム系人種)の血統に関係なく、入信により、ユダヤ教になり、ユダヤ人を名乗る人々の中で白人系ユダヤ人のことをアシュケナジームユダヤ人といい、ハザール人アシュケナジームユダヤ人となります。

現代のユダヤ人の約90%がこのアシュケナジームユダヤ人なのだそうです。

その後、ビザンチン帝国とルス人(ロシア)との国交が盛んになるにつれ、その間で、通商ルートに課税を課していたハザール国は、次第に疎まれるようになり、最終的に、ルス人(ロシア帝国)の勢力により、滅ぼされて行きます。

この様な時代背景に、陰謀論では、さらなる別のとんでもない要素を加えています。

●悪魔教を影で信仰するハザール人。ハザール・マフィアの誕生
ハザール国は、もともと、古代バビロニアの黒魔術の流れをくむ、悪魔教であり、子供を生贄にささげ、その生き血や心臓を食すような儀式を行っていたと言うのです。


古代バビロンの神バアルの象徴である黄金の牡牛

また、通商ルートを旅する旅行者たちへの泥棒や、人殺し、強盗を行い、加えて殺した旅行者たちに成りすますことを、職業的習慣や生活様式としていたとも言いいます。

先に述べた、ユダヤ教への改宗も、彼らのその様な行いに業を煮やしたルス人(ロシア帝国)で圧力をかけた結果であると言いいます。

しかし、表向きこれらの圧力にユダヤ教への改宗と言う形で答えるも、裏では、悪魔教を続け、それまでと同じ行いをつづけたとし、その結果、ルス人(ロシア帝国)により、滅ぼされたと言うのです。

その後、離散した、悪魔崇拝を実践するハザール国権力者の生き残りは、ヨーロッパやロシアにて身を潜め、自分たちの国を滅ぼした、ルス人たるロシア帝国とそれに協力した周辺諸国への復讐並びに、自分たちが崇拝する悪魔教の世界を作り出す活動を水面下で行いつづけていると言い、現在彼らのことを通称、ハザール・マフィアと呼ぶと言うわけです。

ハザール・マフィアとロスチャイルド【終わらない】【陰謀論】
https://whogat.com/2016/04/25/khazar/

3. 少人長[1242] j62QbJK3 2022年5月09日 00:57:02 : IipuGCkT5s : YW5pUW9FaWxLUy4=[24] 報告

第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国

8〜9世紀、ロシア人ハザール王国と戦った

6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(カザール)王国を形成するハザール民族である。「ハザール王国」は7世紀にハザール人によってカスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。

6世紀から8世紀にかけて、ハザール民族はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人ロシア人を支配下におき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されていたという。

8世紀になり、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールユダヤ国家になった。そして彼らは自らをユダヤ人と名乗るようになったのである。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。

8世紀から9世紀にかけて、ロシア人ハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ついにロシア人ハザール王国を占領した。そして、首都イティルをほとんど壊滅させてしまった。それ以来、ハザール国家は再びかつてのような強国となることはなかった。

13世紀に入ると、タタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させた。ユダヤ教徒ハザール人、すなわちアシュケナジー・ユダヤ人たちはロシアが近かったので、その多くがロシア領内に逃げ込んだ。

ロシアユダヤ教徒ハザール人たちは、すでに12世紀に、ロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていた。そして1174年、彼らはロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのである。当時のロシアは多くの国々の集合体だったので、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行なわれた。その結果、彼らはロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することに決定した。そして、多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになったのである。

●ポーランドへ移ったハザール=ユダヤ人

ヨーロッパの歴史を振り返ると18世紀の末、1772年から3回にわたって、ポーランド分割が行なわれている。ポーランドは3つに分けられ、当時の強国であったロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドに、ハザール=ユダヤ人たちが「国家内国家」を形成していたのである。

…一方、ロシアから追放されたユダヤ教徒ハザール人たちは、そのほとんどがポーランドに移っていた。そのため、15世紀にはユダヤ教徒ハザール人たちの政府はポーランドの中に設けられていたといってもよい。

15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのユダヤ人たちはポーランド人よりも強大な力をもつようになっていた。彼らは実際、ポーランドの国内に自分たちの政府、自分たちの国会、自分たちの教会などをつくっていた。

一般のポーランド人たちはもちろんのこと、ポーランド政府でさえも、そうしたユダヤ人たちの国家内国家に対しては、一切手をつけることができない状態にあった。 

■■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール=ユダヤ人

ロシアは18世紀の終わりに、こうしたユダヤ人の国家内国家が存在するポーランドの領土の一部を自国の領土としたのであった。領土を得たのはよかったが、領土とともにユダヤ人の政府をも取り込んでしまったのである。このときにロシアは、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。

こうして、18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになったのである。

ロシアユダヤ人問題は昔も今も、最も難しい民族問題である。それは、ロシアにとってのユダヤ問題が、10世紀以来のロシアハザールの確執を含んでいるからである。ロシアが抱え込んだユダヤ人は、…アシュケナジー・ユダヤ人であり、彼らはユダヤ人ではないにもかかわらずユダヤ人と称する人々である。つまり彼らがユダヤ教徒ハザール人であるところに、この民族問題の複雑さがある。

その当時、ロシアに入ったハザールユダヤ人は300万人ぐらいであった。そのほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たちである。

それでも、ユダヤ問題は18世紀には、まだそれほど大きな問題ではなかった。19世紀の終わり頃から、ロシアユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加するようになった。革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび活動家たちは、ほとんどすべてがハザール=ユダヤ人であった。

古来からロシア人は戦闘的、革命的な要素をもたない民族であった。一方、ユダヤ教徒ハザール人にとってロシアは敵国であり、ロシア文化は敵国の文化であった。したがって、彼らはロシア国家に対しては常に戦闘的、革命的であった。

ユダヤ教徒ハザール人たちは、古い過去の歴史をすぐに引き合いに出す。現在の歴史と古い歴史を同じように並べたて、3500年前の「出エジプト」(エジプトで奴隷となっていた古代ユダヤ人がモーセに率いられてエジプトから脱出した)の事跡などを持ち出してくる。

ユダヤ人は過去の歴史の中に生きているといってもよいだろう。だからこそ、ユダヤ教徒ハザール人は、かつてロシア人ハザール王国を崩壊させたことをよく覚えている。そのためユダヤ人の中には、常にロシアに対する復讐の思いがある。ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ユダヤ教徒ハザール人にとって最も重要な課題であった。

当時のロシアの知識人の中には、すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッチしていた人々がいた。たとえばロシアの作家、ドストエフスキーの著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人は革命を起こすだろう、ユダヤ人ロシアの中に入った毒であり、悪魔だ」と強調している。ドストエフスキーは「必ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。

しかしロシア政府は、そうした動きをまったく感知していなかった。そして、ほとんどのロシアの知識人たちは、ユダヤ人と戦わずにユダヤ人と一緒になって革命を準備したのだった。 

ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について
──元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌──
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html

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