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鬼畜米英ラエルが狙う世界大戦と中露北の自衛戦争は区別すべきで、統一潰し、韓国潰し、占領国追い出しは必要悪の戦争である。
http://www.asyura2.com/22/cult40/msg/790.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2022 年 8 月 01 日 13:23:35: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
 

この期に及んで独裁的な中露より占領国の方がましという論調があるが、政治体制もさる事ながら、よそ者と地元の者という区別は大事で、悪意が無くても観光客や新入組が地方でトンチンカンな事をやって迷惑をかける事があるが、それが悪意なら尚更で、日本で例えると占領国が直接支配するならまだしも、半グレの朝鮮人に枢要ポストを与えて間接支配という酷さとややっこしさで、正直、日本人はお手上げで、このまま統一朝鮮人政権が占領国の言いなりを続けたら地獄で、中露北が連携して統一潰し韓国潰し占領国追い出しをするのに他力本願で賭ける以外に無くなったが、智子ながらロスチャは統一潰しという情報を信じたいところである。  

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1. 松陰と相馬大作事件[1] j7yJQYLGkYqUbpHljeyOloyP 2022年8月01日 14:36:05 : k5ShXun2Co :TOR dy44a0FpaVNhV1k=[2] 報告
北朝鮮を冷静に分析すると正体は軍事独裁政権で金一族はお飾り

「吉田松陰→テロ改革積極肯定思想→大日本帝国陸軍→残党

→日本潜入日本人拉致工作活動」

「尊皇派(実際は長州田布施部落からの天皇擁立)」の思想と

リンクしているのがこの「日本人拉致工作活動」被害者の

血筋「話」

その「北朝鮮軍」が「江沢民・上海閥戦争屋勢力」である

「瀋陽中国軍」の支配から解放されたかのように見受けられた

のが他でもないトランプ大統領当時開催された米朝会談の開催

だがそのトランプの再選が阻止されバイデン政権の下

米国が世界のゲームに復帰したことによりその流れは急反転

再び「対立・紛争」に向けた「軍事威嚇行動」が頻繁に繰り返

されることとなったと推察

実際のところトランプ大統領と会談を行った当時の金とは全くの

別人が長期間の病気療養をきっかけにトップを代行するように

なったという印象が否めない

そうした「軍事威嚇行動」を「北朝鮮軍」に遂行させているのは

「反中露特に反習近平派中国勢力」であると推察する

現に習近平が直々に軍事威嚇行動を控えるよう忠告を行った事

も報道されている

とにかくどのような形でも「ウクライナ」での「ロシア」に続き

極東アジアで「中国」を戦争に引きずり出したいのが「反中露

シオニスト陣営」の本音の筈

「世界寡頭支配権力層」というのは「戦争」では常に「両建て」で

準備をしておくというのを鉄則としているわけで

「北朝鮮」の「軍事行動」についても同様の視線で見ることが

最低限必要であると判断

2. 松陰・松下村塾の虚像[1] j7yJQYFFj7yJupG6j22CzIuVkZw 2022年8月01日 14:45:40 : nvmzAu5yHk :TOR c0dmYzdLVHAyZms=[4] 報告
http://www.f-jichiken.or.jp/column/H29/yoshioka%20297.html

○吉田松陰というウソ
 私たちが教えられてきた偉大な思想家という吉田松陰像は、残念ながらウソである。松陰とは、ひと言でいえば、乱暴者の多い中でも特に過激な若者の一人に過ぎない。思想家、教育者などとはほど遠く、それは明治が成立してから山縣有朋らがでっち上げた虚像である。
 松陰といえば、誰でも松下村塾を開いて維新の志士たちを育成した指導者、と答えるだろう。ところが松下村塾は、陽明学者ともみられる叔父であり師でもある玉木文之進の私塾である。松陰が松下村塾を主宰していたという事実は存在しない。実像としては、松下村塾に集まった仲間のリーダー格というような存在であった。

 松陰といえば、安政の大獄により、大老の井伊直弼が処刑したことになっているが、当時は尊皇攘夷派の粗っぽい一人に過ぎず、井伊は松陰のことなどはよく知らない。いざ処刑という段になって、井伊は長州藩に意向を聞いているが、その回答が松陰の行動を暴発とし、「斬首やむなし」というものであった。不逞の輩が一人処刑されただけのことであった。
 松陰や松下村塾が注目されるようになったのは、山縣有朋が「師」として拾い上げたことによる。その後、長州閥の勢力膨張に歩調を合わせて、すなわち日本の軍国主義化に乗って、気がつけば松陰は神様(地元の萩市や東京・世田谷区には松陰神社がある)になっていたのだ。
 つまり、松陰の唱えた侵略を肯定する膨張主義の考え方は、薩長を中心とした軍部の手により大東亜戦争にまで引き継がれ、戦争へと突き進んでいった。すなわち「明治維新」とは、明治精神に回帰しようとする「昭和維新」が燃え盛ったことによって、ひるがえって一般化した言葉であり、思想概念なのだ。


○狂気のルーツ・水戸黄門
 水戸浪士が桜田門外の変を起こし、大老井伊直弼に対して「天誅」を実践したことは、あまりにも有名であるが、このような狂気のテロリズムを生んだ背景に、尊皇攘夷を柱とした水戸学がある。そして、水戸学を生んだルーツが水戸黄門(光圀)である。
 長州テロリストたちがテロリズムを正当化する論拠とした水戸学とは、実は「学」というような代物ではなかった。空虚な観念論の積み重ねであり、己の気分を高揚させて自己満足にひたるための”檄文”程度のものと考えて差し支えない。

 光圀は、藩政では検地をおこなっている。しかし当時、1間は6尺3寸であったがこれを6尺としたため、計算上、28万石の水戸藩は36万9千石に膨れあがった。こうすることで、御三家である尾張藩62万石、紀州藩55万5千石と、張り合いたかったのだ。だが間の悪いことに、検地の年から3年続けて水戸は飢饉に襲われ、実際の取れ高は15万石程度に落ち込んでしまい、領民や家臣団はますます困窮することになった。
 この藩は貧乏であったが、もともと豊饒とはいえない土地に加え、上記したような見栄と体裁のための暴挙が行われたうえ、さらに、藩財政に過大な負担をしいて無意味な『大日本史』編纂に執着した光圀こそが、その元凶であった。

 テレビドラマなどで好々爺のように描かれる光圀は、第二代水戸藩主であるが、光圀こそが狂気のルーツであり、その実像は、女遊びが激しく、頻繁に試し斬りをやったりしている。人を斬ることに快感を覚えていたのではないか。
 光圀は公家好きであったことから尊皇に結びつき、後世、薩長政権になってから見直され、それが今に伝わる「水戸黄門」を生んだ背景でもある。その折り、女狂いや試し斬りの光圀という実態は消去されたのだ。


https://nightlander.hatenablog.com/entry/20150515/1431679604

吉田松陰像の嘘。

長州の志士たちの中でも、最も嘘で固められているのが、吉田松陰であると著者はいう。松陰は、乱暴者が多い長州人の中でも、特に過激な若者に過ぎず、いわば地方都市の悪ガキであると著者は決めつける。松陰が開いたとされる松下村塾は、実は松陰の叔父の玉木文之進が開いたものであったという。松陰が神格化されるのは、維新後しばらく経ってから、自らの出自を権威づけたかった山県有朋の手によってであるという。松陰の思想というのも稚拙なもので、北海道の開拓、北方の占拠、琉球の日本領化、朝鮮の属国化、満州、台湾、フィリッピンの領有などを主張している。奇妙なことに、長州閥が支配する帝国陸軍を中心とした勢力は、松陰が主張した通りにアジアを侵略し、そのあげく日本を滅ぼしてしまうのだ。

松陰の思想のルーツは水戸学。

著者は、さらに松陰や長州の志士たちを駆り立てた思想のルーツは「水戸学」にあると指摘する。吉田松陰は、水戸学の中心人物である藤田東湖を崇拝したという。著者によると「水戸学は学問といえるような代物ではなく、空虚な観念論を積み重ね、それに反する生身の人間の史実を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に浸るためだけの檄文£度のものと考えて差し支えない。この気分によって水戸藩自身が、四分五裂し、幕末には互いに粛清を繰り返すという悲惨な状況に陥った。」という。水戸で生まれた浅薄な狂気の思想が長州を狂気に駆り立て、幕府を滅ぼし、その後も水戸藩ゆかりの人物たちによって日本ファシズム運動として受け継がれていく。この流れが昭和初期に5.15事件や2.26事件を惹き起こし、日本を大東亜戦争へと導いていく。戦後にいたっても、三島由紀夫の楯の会の学生たちは水戸学の信奉者であったという。この水戸学を生み出した張本人が2代目藩主である水戸光圀(水戸黄門)と9代目の徳川斉昭であると著者はいう。水戸の攘夷論の特徴は「誇大妄想、自己陶酔。論理性の欠如」につきると著者はいう。大言壮語しているうちに、自己陶酔に陥っていく。この傾向は長州軍閥にそのまま継承され、昭和陸軍が、結局、軍事という最も論理性を求められる領域で論理性を放棄し、自己陶酔と膨張本能だけで中国戦線を拡大していったことにつながっていったという。

有能なテクノクラートが揃っていた幕末の幕府官僚たち。

第4章の水戸学の章で、著者は徳川斉昭を海防参与という職に就かせた老中、阿部正弘について語る。狂信的な攘夷主義と勤皇主義を唱える水戸の徳川斉昭を、「海防参与」に就かせ、国政に関わらせたことは阿部の最大の失策であったと著者は主張する。しかし阿部は、その後の近代につながる政策を次々と打ち出した。日米和親条約の締結、講武所や長崎海軍伝習所の設立、西洋砲術の導入と推進、大船建造の禁の緩和、優秀な若手人材の起用など。中でも、動乱の時代の幕政を担った若い官僚たちの活躍には目を見張るものがあるという。例えば勘定奉行の川路聖謨(かわじ としあきら)は北方四島をめぐる対露交渉でプチャーチンと外交交渉を重ね、ロシア側の譲歩を引き出している。もしも薩長勢力による倒幕が成功せず、江戸幕府が、慶喜が想定したようなイギリス型公儀政体を創り上げ、小栗上野介が実施しようとした郡県制を採り、優秀な官僚群がそれぞれの役割を発揮すれば、長州・薩摩の創った軍国主義国家ではなく、スイスや北欧諸国に類似した独自の立憲国家に変貌した可能性は十分にあったと著者は語る。

3. 戦争は常に両建て構造[1] kO2RiILNj@2CyZe8jJqCxI1ckaI 2022年8月01日 14:48:04 : nvmzAu5yHk :TOR c0dmYzdLVHAyZms=[5] 報告
このようにグラバーがイギリスのロスチャイルド家のために働く一方で、

フランスのロスチャイルド一族は、江戸幕府を支援していた。

このように日本の幕末から明治初期の動乱の間、

ロスチャイルド一族は、

幕府側と倒幕側の両方に武器を提供して大儲けを狙っていた。

つまりどちらが勝っても彼らが利益を手にし、

支配権を握る分断統治の仕組みであった。

これこそがヨーロッパで彼らが実践し、

今もなお世界各地で活用している常套手段である。

表向きにはイギリスとフランスは、

日本の支配権争いで対立しているように見えていたが、

これがロスチャイルド一族一流のやり方であって、

彼らは国を超えてつながっている。

しかしそのことは、当時の幕府側も倒幕側も知る由もなかった。

「明治維新」と言う言葉は、

昭和になってから2・26事件、5・15事件等に見られる

ファシズム運動によって一般化した言葉で

幕末の御一新の時には

全く使われていなかったものであることも

私たち現代人は理解しておく必要がある。

維新と言う言葉は水戸学の藤田幽谷が生み出した言葉、

攘夷という言葉も彼の造語である。

一番大きなポイントは、

薩摩、長州の倒幕をした下級武士には、

討幕後の体制の展望が何もなかったことである。

すべて、その後始末をしたのが、

幕府の老中、阿部正弘等が育てた能吏たちであったことも

大きな声で語られない日本の近代史である。


http://www.yamamotomasaki.com/archives/2063

テロリスト集団、長州藩

https://diamond.jp/articles/-/111464


吉田松陰はテロリストだった!?
原田 伊織
三流の維新 一流の江戸
2016.12.24 4:50


江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「吉田松陰の正体」を聞いた。

吉田松陰はテロリストだった!?

安直な歴史物語が生まれる理由

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

「尊皇攘夷」や「勤皇」という言葉を薩摩・長州藩士の代名詞のように受け止めることが多く、彼らのことを「尊攘派(そんじょうは)」と呼ぶことも行われているが、これほど幕末期の政治情勢を無視した話はない。

 多くの人が勤皇=尊皇攘夷と解釈し、勤皇と佐幕を対立語として使っているが、これもまた当時の実態から著しく乖離(かいり)しており、こういうレベルで幕末史を語るから、史実とかけ離れた安直な歴史物語が生まれるのである。

 もう一つ例を挙げれば、勤皇の志士と呼んでいる、先に挙げた薩長土肥の人物像がでたらめに麗(うるわ)しく語られている。

 結論だけを述べれば、彼らは現代流にいえば暗殺者集団、つまりテロリストたちである。
 我が国の初代内閣総理大臣は、この暗殺者集団の構成員であり、自らもテロ行為に手を染めていることを知っておくべきである。


 こういう指摘をすると、直ぐまた「反日主義者」などとヒステリックに反撥する輩(やから)が出てくるが、私は幕末史の実相をあからさまにしてこの社会のこれからを考えようとしているのであって、平成という今の政治感覚で「反日主義者」「左翼」などという古臭いレッテルを貼るという行為に賛同はできない。

 また、維新の精神的支柱とまでいわれる吉田松陰が、事あるごとにどれほど暗殺を主張したか、それゆえに当の長州藩が如何(いか)にこの男に手を焼いたか、はたまたどういう対外侵略思想をもっていたか、もうそろそろ実像を知っておくべきであろう。

 もし、己の政治信条や政治的欲求を実現するためにはテロもやむなしという立場を肯定するならば、彼らを内輪だけで志士と呼んで英雄視するのもいいだろう。

 しかし、正史として彼らを英雄視することはできず、私は、テロリズムは断固容認しない。
 テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。

 従って、彼らを志士と評価することなどあり得ようはずがなく、テロリストはどこまでもテロリストに過ぎない。

 そのテロの実態については、前述の『明治維新という過ち』などを参照していただきたい。
「復古!」「復古!」と喚き、奈良朝以来の伝統的な仏教施設を暴力的に破壊する「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という歴史的にも恥ずべき文化破壊活動を繰り広げた維新新興勢力が、後世にでもこれを恥じたかと問えばそういう事実はない。

 世代(よがわ)りとは、動乱を伴うものである。
 そして、動乱とは武力によって成立するものであるから、後世からみればそういう愚かなムーブメントが一時的にせよ社会を支配することは、避けられないことかも知れない。

 しかし、仕方がないでは済まされない、回復不能な文化的損失が甚大であったことを、この先も忘れてはいけないのだ。

「復古」とは、そもそも「王政復古」という国学者の唱えた政治スローガンがもたらした時代の気分であった。

 そして、維新や幕末といわれる一定のスパンをもつ時代の台風の目が、「王政復古」であり「大政奉還」であった。


 このたび、『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』を渾身の気持ちをこめて書いた。江戸を描くのは初めてである。

 江戸という時代は、明治近代政権によって全否定された。
 歴史から抹殺されたといっても過言ではない位置づけをされて、今日に至っているのである。

 その存在力は、新政権の正統性を示すためだけに土深く埋められたといっていいだろう。

 しかし、今、世界がこの「江戸」という時代とその様式、価値観に何かを求めて視線を当てている。

 国内でも、リーマンショックで覚醒させられたかのように、無意識であろうが「江戸」へ回帰する「時代の気分」が、特に「江戸」が何たるかを全く知らないであろう若年層を中心に充満している。

 私は、一連の著作に於いて、史実に忠実に従えば、明治維新とは民族としての過ちではなかったかと問いかけてきた。

 これは、一度国家を壊しながらも今もなお政権を維持している薩長政権に対する問いかけでもある。

 もし、明治維新が過ちであったとすれば、その最大の過ちが直前の時代である江戸を全否定したことである。

 或いは、少なくとも江戸を全否定したことだけは、明白な過ちであったといえるのではないか。

 本書は、その是非を問うことをメインテーマとするものではなく、埋められたままの江戸を一度掘り返してみて引き継ぐべきDNAを解き明かしてみようと試みるものである。

 しかし、江戸は多様であり、多彩である。
 この拙い一篇の書き物で解き明かせるような貧弱な仕組みで成り立っていたものではない。

 そのことを理解しながら、その一端でも掘り起こすことができれば、私たちが子どもたちの時代の「無事」のために何を為すべきかのヒントが得られるものと信じたい。

 そして、世の諸賢が“寄ってたかって”全容を解明すれば、江戸は確かに未来構築の一つの指針になるであろうことを、私自身が固く信じたいのである。


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