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マネポ、アッキード、パワスポの壱岐に行きたい。国葬後に安倍家と縁を切りスピの世界に行く。もいいが甘利やドリルと共に喚問を受けてからである。
http://www.asyura2.com/22/cult41/msg/541.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2022 年 8 月 28 日 13:56:18: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
 

尼寺ならぬスピ寺にトンズラする算段のようだが、亭主の悪行をさんざん見てきたのだろうし、共謀もしてきたのであろうから、悲劇のおばさんキャラで誤魔化すのは無しである。  

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コメント
1. 2022年8月28日 14:43:28 : X8jDOnGJG6 : RUJMUU5JazZ5WEk=[3] 報告
大麻がいいと聞けば飛びつき、パワースポットと聞けば飛びつき、根っからの欲深なババアだ
だいたいあのUZUという飲み屋のネーミングからしてわかる人にはわかる、とんでもない呪術だ使ってるよ
2. 一支国博物館とフリメ[1] iOqOeI2RlI6VqIrZgsaDdIOKg4E 2022年8月28日 17:15:06 : c2PstZPBpo :TOR NldBYy5mLi42a1U=[3] 報告
壱岐氏(一支国)→中臣氏→藤原氏

対馬・・・「日神(天照大神」・・・天皇

壱岐・・・「月神(月読命ツクヨミのミコト)」・・・中臣氏

双方を操り畿内(大和朝廷)を支配した真の支配権力者が「秦氏」か

秦氏は朝鮮半島経由で北九州に定着した中国系華僑と言われている

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中臣氏は

>祭祀貴族の一つで、
>亀の甲羅の内側を使った占い=卜占(ぼくせん)による
>吉凶判断を業にしていた氏族で、
>朝廷に神祇官の宮主など下級職員として、出仕した氏族

因みに

>大正天皇の大嘗祭時には、
>古来の慣習が復活し、
>以後、昭和・平成天皇の大嘗祭時にも貢進された

「アラタエ(鹿服)」は、鹿卜による占いを司っていたという
「忌部氏」と関係しているそうである

>諸忌部族の中でも、阿波の国にいた「阿波忌部」は、
>麻や楫を植え、
>特に天皇即位時の一代に一度の儀式である「大嘗祭」において、
>鹿服(あらたえ)と呼ばれる麻の衣を献上する大切な役割を代々担っていたそうです。
>その鹿服(あらたえ)を貢進していたと言われる神社が忌部神社

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https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-12206052759.html

忌部氏と中臣氏

忌部氏が邪馬台国であるなら、この一族は骨卜を行っていたはずです。具体的に言うと、鹿占です。

http://web.joumon.jp.net/blog/2009/08/889.html

<<・亀甲を火で焼いて、そこに生じる亀裂によって神意を伺い、神の意志を知る卜占の手法で。古代中国の竜山期に鹿・羊を使う骨卜が現れ、殷代に牛・亀を使った甲卜が盛んに行われた。とくに、亀卜による占いが、国家事業遂行上の大切な指針とされて、漢代にまで及んだ。日本へは、朝鮮半島をへてこの手法が伝播し、古墳時代中期に対馬・壱岐へ、5世紀末から6世紀にかけて中央へ伝えられたと考えられる。ようです。>>


で書いてあるように、骨卜とは具体的には鹿の骨です。

また、亀卜とは亀の甲羅、です。


<<・卜部氏は、祭祀貴族の一つで、亀の甲羅の内側を使った占い=卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業にしていた氏族で、朝廷に神祇官の宮主など下級職員として、出仕した氏族です。伊豆、壱岐、対馬の三国卜部氏と呼ばれ(実は、武蔵国や常陸国の東国にも勢力があったといわれています。)常陸の卜部は鹿島神宮の祭祀をつかさどっていたということのようです。卜部氏の「卜」とは、占いの意味。


・全国に月讀命を祀る社がありますが、その数は少なく、中でも有名なのが、京都洛西、松尾山の松尾大社の摂社として祀られている「葛野坐月讀神社」があります。阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が半島の任那(みまな)に遣わされる途中、壱岐で月讀尊の神託があったのでこれを天皇に奏上し、顕宗天皇3年(487年)、「山城国葛野郡歌荒樔田」に神領を賜って壱岐の月読神社の神を勧請したとするようです。松尾大社を祀る秦氏の勢力下にあり、この勧請に絡んでいる可能性が高いとのこと。高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)を相殿に祀り、後、中臣氏が祭祀を司ることになります。また、この地は、葛城氏の勢力範囲内であり、別系統とされるが、なんらかの関係がありそうです。高皇産霊尊は、葛城氏の信仰対象でもあります。


・中臣氏は、とくに鹿卜との関連が深く、大和朝廷は、亀卜(きぼく)にたずさわる人々を組織して、対馬・壱岐・伊豆の卜占者を三国卜部として、政治体制に食い込んでいったようです。三国卜部は、11世紀ころには解体したようですが、亀卜の伝統は細々ながらも根強く残ったようです。>>

で書いてあるように、卜部氏(中臣氏)が使ったのは亀卜であります。鹿卜と関係が深く、、、などと上記には書かれておりますが、骨卜に関係ある一族が、何故突然、亀卜の三国卜部を組織するのか、、、、?つまり、中臣氏は言われているような「鹿」(の骨)とはほとんど関係ない、と思われます。関係あるなら「亀」でしょ、と思います。


一方の忌部氏には、

<<はるか遠い昔、「忌部氏」という豪族がいたそうです。忌部氏は、大和政権の成立にも大きな役割を果たしたと云われており、大和政権確立後は、中臣氏とともに宮廷の祭祀を担当していた有力な氏族だったそうです。

その諸忌部族の中でも、阿波の国にいた「阿波忌部」は、麻や楫を植え、特に天皇即位時の一代に一度の儀式である「大嘗祭」において、鹿服(あらたえ)と呼ばれる麻の衣を献上する大切な役割を代々担っていたそうです。その鹿服(あらたえ)を貢進していたと言われる神社が忌部神社なのです。 。>>

http://g-y-net.jimdo.com/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%AD%A3%E8%B9%9F%E8%80%83/

「鹿服」・・・・鹿の服ですよ。

参)山崎忌部神社は、延喜式式内大社「忌部神社」に格付けされていた神社で、麻植神と共に天日鷲神ともいわれており、歴代天皇の崇敬を受けていた。
大正天皇の大嘗祭時には、古来の慣習が復活し、木屋平村の三木家作られたアラタエは、境内のアラタエ織殿で織られ、天皇に貢進された。以後、昭和・平成天皇の大嘗祭時にも貢進された。
阿波忌部氏のつくるアラタエがなければ、天皇即位は正式には認められなかったほどのこれは重要物であった。
この貢進は、平安時代以前より行われていたと考えられており、1000年以上の歴史を誇る四国霊場より古くから行われている世界に誇る継承文化であり、世界に紹介すれば、賞賛を得られることは、必至である。 http://takara.ict-tokushima.jp/list/bbsi.php?s=28&b=2679


おっと、鹿つながりで、、、


http://www.kagoshima-w-rc.jp/god/god_10.html

大宮姫


大宮姫とは、一般には、天細女の事で、忌部氏の系統の人です。この氏族が骨卜をしていたのなら、鹿の骨に云われがあると思われ、現に、忌部神社では「鹿服」というのを貢納しているとか、、、。

で、上の姫の話にも、鹿が出てきます。

天智天皇は、現皇室の祖と思われます。現皇室の祖であれば、大宮姫を内宮で祭る権利があります。(しかし、実際に祭っているのは、中臣氏系の荒木田氏なんですよね)

忌部氏、私としては北九州の宇佐あたりと関係があって欲しかったんですが、


3. 波多陽区は本物の侍か[1] lGeRvZd6i@aCzZZ7laiCzI6Ygqk 2022年8月28日 17:33:45 : XUZrK8tFBU :TOR M3lHTkhtUW92OFE=[1] 報告
一支国博物館

故黒川紀章氏の設計で国内最後の仕事

http://www.iki-haku.jp/facilities/img/img01.jpg

以下展示品

・高麗版大般若経〔初彫本〕【国指定重要文化財】〔中世〕

 大般若経600巻は、大蔵経(だいぞうきょう)の一部で、
唐(とう)〔中国〕の時代に三蔵法師(さんぞうほうし)が漢字に訳したものです。
1011(顕宗2)年頃に、高麗国で大般若経の版木を製作します。
この版木を使って刷られたものを「高麗版大般若経」と呼び、
1232年に起きた蒙古軍との争いで大般若経の版木が焼失するまでにつくられたものを
「初彫本(しょちょうぼん)」といいます。
安国寺に伝わる高麗版大般若経の最後に「重熙(じゅうき)15年〔=1046年〕」と
書いてあることから、この年に作られたことがわかり、
版木が製作されて約30年後につくられた初彫本としても貴重な資料です。

・石造弥勒如来坐像〔複製〕【実物は国指定重要文化財】〔古代平安時代末期〕

 この石仏は、弥勒如来(みろくにょらい)という仏さまです。
1071〔延久3〕年につくられたもので、当時、壱岐を治めていた佐伯良孝(さえきよしたか)が、
肥後国〔現在の熊本県〕の慶因(けいいん)という仏師に作らせたものです。
石仏の体内は空洞にして「法華経」の経典を納め、
56億7千万年後に現れると信じられていた弥勒如来という仏さまに救ってもらうために
土の中に埋めたものです。
現存する日本最古の「作った人の名が刻まれた石仏」としても有名です。

・壱岐国分寺出土軒丸瓦〔古代〕

 壱岐国分寺跡からは12,000 点以上の瓦が出土しています。
この軒丸瓦は国分寺の瓦の先端に取り付けられた文様が入れられた瓦です。
壱岐嶋分寺の軒丸瓦は、大宰府と同じ瓦ではなく
日本の政治の中心だった奈良の平城京(へいじょうきょう)と同じ版木で作っているのが特徴です。

・朝鮮系無文土器(ちょうせんけいむもんどき)〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】

 朝鮮半島で製作されていた土器です。弥生土器と同じ野焼きの製法で製作されています。
作り方は同じですが、高度な技術でつくられているため、弥生土器より硬質に仕上がっています。
これらの土器は、交易品を入れる容器として一支国に運ばれてきましたが、その役割を終えると、
日常生活の中で煮炊き用の容器や器(うつわ)として再利用されていました。

・ト骨(ぼっこつ)〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】

 ト骨占いはシカやイノシシの骨に焼いた木の棒を押しつけて、
骨に入るヒビの入り方をみて吉凶を判断しました。
このト骨には焼いた木の棒を押し当てた時に付いた黒斑(こくはん)が残っています。

http://www.iki-haku.jp/exhibit/img/pho21.jpg

・人面石(じんめんせき) 【日本唯一】〔弥生時代〕 【国指定重要文化財】

 人面石は、人の顔を模してつくられおり、ノルウェーの画家ムンクが描いた「叫び」に似ています。
2つの目は石の半分まで彫り込まれ、口は裏まで貫通しています。
目の上には眉が、目と口の間には鼻が彫られています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『奈緒子』という漫画のモチーフにされているのが「壱岐島」?

「猿岩」と「夕日」が有名だそうだが

映画板の主演が三浦春馬さん

4. 表の神道と裏の神道[1] lVyCzJBfk7mCxpeggsyQX5O5 2022年8月28日 18:49:34 : jlb7UxdUns :TOR ZlMvcXczZm5Xb2c=[1] 報告
286384 日本の祭祀氏族4〜忌部氏〜
 
月読尊 14/01/20 AM02 【印刷用へ】
『失われたイエスの12使徒 八咫烏の謎(著:飛鳥昭雄・三神たける) 第5章 神道祭祀氏族の正体とアロン直系レビ族「賀茂氏」』よりご紹介します。表の新道は中臣氏は取り仕切っているが、裏の神道は忌部氏が取り仕切っていると著者は言う。大和朝廷が成立する前に葛城氏の祭祀担当が忌部氏とも言われますが、仮にそうだとすると、忌部氏・卜部氏・葛城氏・賀茂氏・尾張氏・海部氏という古代豪族が繋がり、ほぼ、血縁関係で結ばれている可能性が高いと思います。みな同族だった可能性もありえなくはないと思います。
-------------------------------3より
●忌部氏
 天岩戸開きの際、どうして祭祀氏族が集まって儀式を行ったのか。その理由はほかでもない。天照大神が隠れた、すなわち死んだからだ。

 神に限らず、人が死ぬと、日本では家の玄関に「忌中」という貼り紙をする。忌中の「忌」とは、何かを忌むことを指し、いわゆる禁忌、タブーとかいった意味に使われる。こと人が死んだ場合、家族や親戚は婚礼や祝賀行事を忌み、それを行うことを自粛するのが日本の慣例となっている。

 神道祭祀を司る「忌部氏」の名称に「忌」という文字が含まれているのは、もちろん偶然ではない。およそ人の生死にかかわることには、常に儀式がつきまとう。が、その儀式を一般の人間が執行するのはタブーである。神道の伝統では、儀式を行うのは専門の祭祀氏族でなければならない。まさに、忌部氏はそうした祭祀氏族なのだ。

 天照大神が隠れたとき、祭祀氏族が行った儀式は基本的に葬儀である。死んだ天照大神を祀る葬儀こそ、天岩戸開き神話の中核。神道では葬儀に当たって、必ず榊(さかき)を供える。その榊=真坂樹を手にしていたのが天太玉命である。よって、天太玉命の子孫である忌部民こそ、神道祭祀の根幹を担っている一族であるといっても過言ではない。

 ところで、遺体を荼毘(だび)にふす火葬場を「斎場(さいじょう)」というが、これは本来、神を祀った神聖な場所を指す言葉である。「斎」には、何かを清めるとか、神聖さを保つために俗的な行為を慎み、物忌み(ものいみ)するといった意味がある。

 このため、藤原氏の中でも、神道祭祀を行う人々は「斎藤」という姓を名乗った。同様に、803年、忌部宿弥浜底(いんべすくねはまなり)は「忌」を忌み嫌って、忌部を「斎部」と改姓。これに習って、多くの忌部氏が斎部氏と名乗るようになる。

 そうした斎部氏のひとりに「斎部広成(さいべひろなり)」がいる。

 平安初期、宮中儀式が中臣民によって独占されていくことを危惧した彼は、忌部氏の正当性を主張するために『古語拾遺(こごしゅうい)』を時の平城天皇(へいぜいてんのう)に奏上した。ここには忌部氏に関することが詳しく述べられている。

 まず、注目すべきは、記紀にも載っていない天太玉命の系図である。それによると、天太玉命の太祖は造化三神のひとり「高皇産霊神(高御産巣日神)」で、その娘「桍幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)(万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつひめのみこと))」が生んだ子供が天太王命であるという。
 しかも、天太玉命には、5人の配下がいた。彼らもまた、天太玉命とはべつに、忌部氏の祖になっている。

 具体的に述べると、阿波忌部の祖「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」、讃岐忌部の祖「手置帆負命(たおきほおひのみこと)」、紀伊忌部の祖「彦狭知命(ひこさしりのみこと)」、出雲玉作(いずもたまつくり)の祖「櫛明玉命(くしあかたまのみこと)」、筑紫・伊勢忌部の祖「天目一筒命(あまのまひとつのみこと)」。このうち、出雲玉作は忌部の文字が見えないが、忌部氏と同族と見て間違いない。

 さて、これら6つの忌部氏の祖神(おやがみ)の中で、歴史的に重要なのは阿波忌部氏の祖、天日鷲命である。天日鷲命は『日本書紀』の一書の中で、櫛明玉命(豊玉命(とよたまのみこと)/天赤玉命(あまのあかたまのみこと))と並んで名が記されており、天岩戸開きの際、真坂樹=榊に木綿の白和幣(しらにきて)をつけたとされる。この故事により、阿波忌部氏は代々、儀式に使用する木綿や麻布を朝廷に貢上。特に、天日鷲命直系の忌部「三木氏」は「御衣御殿人」として任命されており、彼らが作る麻布は、大嘗祭で新しい天皇が着る麁服(あらたえ)の材料とされる。

 第3章で述べたように、大嘗祭とは皇太子が一度死んで、天皇として複活する儀式。そこで着る真っ白な麁服は、ひとつの死に装束でもある。これを見ても、いかに忌部氏が神道儀式の重要な部分を担っているのかを伺い知ることができる。ちなみに元総理大臣の三木武夫氏は、ここの三木一族の人間である。

 また、天太玉命の孫にあたる「天富命(あめのとみのみこと)」は、阿波忌部氏を率いて東国へ移住。千葉県の房総半島の先に太玉命神社(後の安房神社)を創建し、故郷の阿波国にちなんで安房国と名づけたという。以後、安房忌部氏は関東の神社に強い影響力をもつことになる。

 以上、忌部氏についてざっと紹介したが、これはまだまだ表である。問題は、ここに記されていない忌部氏。いわば隠された忌部氏とでもいおうか。そんな一族が存在する。彼らは忌部氏の「忌」の字も出さないが、実際は忌部氏中の忌部氏。天皇の祭祀儀式いっさいを影で取り仕切っている。しかして、その素性を知る手がかりは、葬儀とは一転、華やかなる祭りの中にある。
-------------------------------5に続く

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