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民主主義、最も危険な宗教:パート5(耕助のブログ)
http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/337.html
投稿者 HIMAZIN 日時 2022 年 12 月 01 日 17:29:21: OVGN3lMPHO62U SElNQVpJTg
 

https://kamogawakosuke.info/2022/12/01/no-1634-%e6%b0%91%e4%b8%bb%e4%b8%bb%e7%be%a9%e3%80%81%e6%9c%80%e3%82%82%e5%8d%b1%e9%99%ba%e3%81%aa%e5%ae%97%e6%95%99%ef%bc%9a%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%88%ef%bc%95/


No. 1634 民主主義、最も危険な宗教:パート5
投稿日時: 2022年12月1日

政治の神学

by Larry Romanoff

これは真剣な議論なので言葉に同じ意味を適用し、認識が一致していることを確認しよう。「民主主義」は政府ではない。自由でも人権でも、普遍的価値でも、言論の自由や報道の自由でもない。資本主義や自由市場でもない。キャベツでもブロッコリーでもない。民主主義とは「お前の国を侵略して、国民の半分を殺してやる」というアメリカ的な熱狂で、宗教に基づいた政治にほかならないのである。

ここで少し、私たちは政治的・宗教的な狂気に支配されていない普通の世界に住んでいるふりをしてみよう。

国民経済が発展し、国が豊かになり、我々は皆、自由な時間を持つようになったとしよう。アメリカの政治神学は、所得保障の任意の閾値や、猿から文明への進歩があらかじめ決められたレベルに達すると、「全人類の自然な渇望」が魔法のように開花し、アメリカ式の「民主主義」への抗しがたい欲望を生じさせると教えている。そしてそれはアメリカ型の共和制政府を意味するのではなく、アメリカ国型の複数政党政治を意味する。

これはアメリカでよく聞かれるマントラで、聞こえは良いが現実には何の根拠もない。しかしこの確信は、どのように述べたとしても、ある民族がある高い精神レベルまで発達すると、神と自然の法則が複数政党政治に対する先天的な欲求を解放するということである。この人たちによれば、私たちがアメリカのクローンとして自然な発達を遂げるにつれて、国の政治に干渉しようとする、おそらくは遺伝的な衝動が生じるというのだ。この愚かな主張は誰もがバカバカしいと思うだろう。

この神学は、私たちがより教養を身につけ、経験を積み、有能になるにつれて政治への関心が生じるとは述べていないことに留意してほしい。そうではなく何らかの形で精神的な覚醒が進むと、政治に関心を持つようになるというのだ。このアメリカの宗教の基本的な信条は、私たちが精神的に成長し十分に悟りを開くと、言い換えれば、よりアメリカ人らしくなると、彼らが望むものを欲しがるようになるというものである。アメリカ人は何を根拠にこのような信念を正当化するのだろうか?彼らは自分たちの信念の根拠を何も示さないし、実際、何も存在しない。そのような人間の状態について既存の証拠はなく、もちろん彼らは何も提供していない。あらゆる宗教と同じように信じろと言われたから信じるしかないのである。

しかしこれはまちがいなく狂気の沙汰である。私が金持ちになったら(あるいは教育を受けたら、あるいは啓蒙されたら)、外科病棟に行って脳移植をやりたくなるという不思議な憧れを抱くというのと同じようなものだ。なぜなら私はそれについて、政府について知っているのと同じぐらい、つまりは全く何も知らない。しかしなぜ政府にこだわるのか?なぜ国の宇宙開発計画や国の教育制度に鼻を突っ込まないのか?その答えは、ほとんどの人がこれらの分野にそれほど興味がなく、自分の知識や能力に幻想を抱いているからである。実際これは政府にも言えることだ。ほとんどの人は単にそれほど興味がなく、いずれにせよ役に立つ知識や能力を持ってはいない。しかし、繰り返すが、魅かれるのは政府ではなく、アメリカの信仰に基づく政治なのである。

何百万人もの無知で経験不足の人々が、自分たちが何も知らないのに国家の幸福全体がかかっていることに突然関わりたくなることほど、国家の安寧にとって危険なことはないだろう。この心ない感染症の最も危険で恐ろしいところは、アメリカ人が盲目的に、そして愚直に、すべてを網羅する民主主義の神学の中で1,001個もある「権利」の一つにこの権利を含んでいることだ。つまり絶望的に無知で経験不足で無能な私が、自分の国の政府に口出しできるのは、私の自然で抗しがたい先天的な人間の憧れであるだけでなく、私が神から与えられた権利の一部だというのだ。これが狂っていないとしたら何が狂っているのだろう。

所得の増加や経済の発展と国家管理への関心との間には、企業環境と同様、自然な関係は何もない。もし私たちの会社がうまくいって利益や給与水準が上がったとしても、従業員が突然、会社の経営に関与したいという狂信的な欲求に駆られるような自然法則は存在しないのである。企業の「民主主義」にそのような欲求を期待する理由はないし、成功した企業の多くの例でそのような証拠を見たこともない。もしこれが何らかの自然法則であれば、私たちはきっと会社や施設、つまり会社や病院、学校制度、慈善団体にまずそれを見ることができるだろう。しかしそんな例はない。実際、成功した会社や従業員ほど、経営は経営者に任せようとする。経営者が無能で、自分たちの生活にかなりの悪影響を及ぼし始めない限り、経営のことは頭に浮かばないのである。

なぜイデオロギーが学校、病院、企業を支配しないのだろうか?アメリカの神学は、私たちが猿から文明への旅路においてある任意の閾値に達すると「全人類の自然な切望」が魔法のように花開き、神と自然の法則によってアメリカ式の「民主主義」、つまり、指導者を選ぶ方法として複数政党政治を持つ「神が与えた権利」への抗いがたい先天的欲求を解放すると説いている。企業における同様の状況について少し考えてみよう。なぜアメリカ人は、仕事が安定し、収入がある程度まで上がると、魔法のように、自分が働いている会社の経営に口を出すことに「全人類の憧れ」を抱かないのだろうか?合理的な答えは明白である。経営に参画できるような教育、訓練、経験、能力を持っている者はほとんどいないし、企業のトップマネジメントを評価し、選択する資格やスキルも持っていない。彼らは、そのような職務を担うには絶望的に無能であり、彼らがトップになれば最終的に企業が倒産する可能性しかないだろう。合理的な答えは、政府にとっても同じであり、「自然への憧れ」神話全体が馬鹿げたナンセンスであることは明らかであろう。

なぜ企業も、政府の部局も、学校制度も、慈善団体も、政府と同じように運営しないのだろうか?なぜ大企業では何らかのイデオロギーに基づいて経営陣を強制的に分割し、2つのグループで戦わせ、勝者が主導権を握るようにしないのだろうか?学校や病院でもなぜそうしないのだろうか?それは私たちが行うすべてのことには目的があるからだ。学校は子供を教育するため、病院は病人を治療するため。イデオロギーを重視することは、私たちの目的から目をそらすことにしかならない。イデオロギーの対立は私たちの行動に色をつけ、無関係な議題を作り、最も有能な人々のおそらく半分を疎外することになるだろう。私たちがやらなければならない仕事に対して直接的に悪影響を与えることになるのである。それは企業でも同じである。企業が成功を収めようとするならば、気を散らすようなイデオロギーが入る余地はない。目的を忘れ、合理的な思考をイデオロギーに置き換えたために失敗した企業の例を数多く見つけることができる。

では、それと政府はどこがちがうのだろうか?当然政府にも目的がある。国を運営し、経済を管理し、雇用を創出し、成長や安全と安心をもたらし、軍事を管理し、外交を行い、国民を見守り、すべての人にとって概ね最良のことを行うことだ。世界レベルの理解と能力への要求はどの企業よりもはるかに大きい。この中にイデオロギーの入り込む余地はあるのだろうか?なぜ政府は特別なのだろうか?理由は思い当たらない。どの観点から見ても、イデオロギーを持ち込むことに合理的な考えは何もない。確かにどんな集団であっても、人や性格の違いを反映して、様々な見解があるものだが、それは学校でも病院でも企業でも慈善事業でも同じである。いずれの場合も他の集団は、これらの無関係なイデオロギーの差異を吸収し、政治に典型的に見られる党派性や内輪もめなしに機能するよう十分に協力することができるのだ。政府の目的のために合理性からこれほど大きく離れることを正当化するものは何もないと私は思う。

これらの考えは新しいものではない。以前にも紹介されたことがあるが、イデオギーに染まった人々は「国は会社ではない」と言い、まるでその明白な真実が自分たちの立場の非論理性を否定するかのように、それを退けようとする。ビジネスと政府のルールは全く違う、ビジネスでは顧客や利害関係者に成果を出すことで自分を証明しなければならないが、政府では支持者を満足させることが責任だ、などと意味不明なことを言い出すのである。この愚かさは理性的な人々が正しい結論に達し、国家や国は、子供たちを優しく扱わなければならない保育園ではなく、ほとんどの企業の要求をはるかに超える巨大な経営課題であることに気づくのをただ単に妨げようとするものである。

これらの反対派は政府は何も達成する必要はなく、ただ支持者を幸せにするだけだと信じさせようとしているようである。その支持者とはいったい誰なのだろう?同じイデオロギーを共有する他の党員たちか?お金を払って選挙を買収した人たち?学校や病院も、食料品チェーン店や鉱山会社、製造業もそれぞれ異なる組織である。その事業内容も目的も利害関係者も全く異なるが、イデオロギーの枠組みを押し付けることなく非常にうまく機能している。そして政府が同じことをできない理由はない。そのメリットは想像に難くない。

多くのアメリカ人が説くこのプロパガンダは、その宗教的熱情においてほとんど病的であるが、その同じアメリカ人は自国の同じシステムの重大な欠点にまったく気づいていないようである。これはジンゴイズム(極端なナショナリズム)と呼ばれるもので、自分の国、自分のシステム、自分のすべてが一つの道であり、正しい唯一の道であるという盲目的で疑う余地のない信念である。アメリカの政治的ジンゴイズムは、すべての生き物は宇宙の自然法則によって、アメリカ人が真実だと信じる価値観に引き寄せられるという盲目的な確信である。この問題についての欧米のコメントのほとんどは、複数政党制に対する盲目的な崇拝に終始し、その支持者が自らのイデオロギー的信念の現実を真剣に検討した形跡はほとんどない。この信念はすべて、原始的で単純思考の神学に根ざし、すべてを網羅する政治宗教イデオロギーであり、動物園にいてもおかしくない一種の類人猿のチームスポーツなのである。

中国について書くと、同じ人が中国人はまだ米国式の複数政党政治を望んでいない、なぜなら「彼らの民主主義への憧れはまだ発展していない」からだと言う。こんなバカな話があるだろうか?もし私がイスラム教徒でなく、私の名前がモハメッドでないなら、それは私の「アッラーへの憧れ」がまだ育っていないからだと言うのか?マクドナルドが嫌いなのは「油ギトギトの段ボールのような味がするハンバーガー」への憧れがまだ育っていないからか?この無頓着な信念は他国の文化や価値観の違い、歴史や伝統の違いを全く考慮せず、それどころか、そうした違いを軽蔑し、しばしば公然と侮蔑して扱う。アメリカ人にとって文化やその他の価値観に基づいて自分たちの民主的な宗教を否定することは、避けられないことを避けるための安っぽい言い訳に過ぎない。そしてもちろん、「必然は」すべての人がアメリカ人になることである。実は、それよりももう少し悪い。何世紀もの植民地化の後でさえ、真のアメリカ人になるための霊的才能を持った外国人はいない。あなたが望む最善のことは、一種の不完全なクローンになることなのだ。本当の白人でもなく、本当のアメリカ人でもない、しかし、アメリカの価値観を取り入れる、それゆえ植民地化に適しているのである。

アメリカ人は自分たちの信念体系や価値観のすべてが世界の既定路線であり、宇宙の自然な秩序を表していると思いこんでいる。そしてこの政治的宗教にしたがって世界を計ろうとするのである。あるアメリカ人はこう書いている。「民主主義について聞くのは本当にうんざりだ。何度も何度も、この国には西洋のスタイルは合わないとか、この国はまだ民主主義を受け入れる準備ができていないとか、言われる。さて、いつになったら、その国は民主主義の準備が整うのだろうか」。また別の人は「我々のイデオロギーが万人向けでないことを認識する必要がある。中国人はまだ進化中であり、教育された社会でなければ米国式の民主主義はうまくいかないだろう」。これでわかった。中国人が民主主義を採用できないのは、彼らがまだ原始的で、猿からアメリカ主義への最初の一歩を踏み出したばかりだからだ。我々のシステムを拒否する人々は、それが不適当で、機能せず、腐敗しているからそうするのではなく、十分に教育されていないからそうするのである。

民主主義は権威を構成する方法のひとつに過ぎず、必ずしも普遍的に適用できるものではない。多くの状況において、専門知識、年功、経験、特別な才能の主張が、権威を構成する方法としての民主主義の主張より優先されることがある。民主主義の原則を多くの機関に適用することは、長い目で見れば、その機関の目的を挫くことにしかならない。教員の任命が学生の承認を必要とする大学は、より民主的な大学であるかもしれないが、より良い大学になることはないだろう。同様に、将校の指揮が部下の知恵の結集によって拒否されるような軍隊は、戦場で必ずと言っていいほど惨状を呈してきた。要するに、民主的手続きが適切な場は限られているのである。{1}

民主主義はまた残念ながら神学の一形態でもあり、太古の全ての汚名を残している。不快な事実に直面すると、必ず人間の心の最も高い情緒に訴えてそれを処理しようとする。私が言っているのは、下層の[アメリカ]人は実際の知識を取り入れる能力の限界にすぐに達するにもかかわらず、その後長い間、妄想を吸収する能力を保っているという事実である。真実は彼を挫折させるが、真実でないものは彼の頭蓋にほとんど抵抗なく留まり、わずかな熱の放出がある。これが宗教と呼ばれるものの中心にあり、すべての民主政治の中心でもある。{2}

[アメリカで民主主義が受け入れられるのは]田舎者が即座にそれを理解できるからだ。それは既知の事実の多くと滑稽なまでにぶつかるが、彼は既知の事実を知らない。論理的にはナンセンスだが、彼にとってナンセンスなことは、科学においても政治においても、抗しがたい魅力があるのだ。彼の錯覚に対する膨大な能力、真実でないものに対する強力な渇きは、彼の人類的な食欲を減退させることなく、それを装飾する。彼に届くものは、木から落ちたものであり、四つ足の兄弟と共有されるものである。確かに、平均的なアメリカ人の態度は……民主主義の精神病理学を学ぶ者にすばらしい臨床材料を提供してくれる。

Notes:

{1} Michel Crozier, Samuel P Huntington, Joji Watanuki, The Crisis Of Democracy (1975)

{2} H L Mencken, Notes on Democracy (1926)


https://www.unz.com/lromanoff/democracy-the-most-dangerous-religion-part-5-the-theology-of-politics/  

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コメント
1. 2022年12月03日 21:55:50 : eH8OgUEJSc : RGhZa3lPQkVYTGs=[2] 報告
ネオコン」と「英米本位の平和主義」と「経済制裁」が浮き彫りにする世界

田中良紹ジャーナリスト
4/25(月) 23:12
フーテン老人世直し録(644)

卯月某日

 フーテンは4月21日に「ウクライナ戦争はプーチンとウクライナの戦いではなく、プーチンとネオコンの戦いではないか」というブログを書いた。すると24日に書かれた遠藤誉筑波大学名誉教授のブログの中に「アメリカのネオコンたちがロシアを強烈な敵に仕上げていった」という記述を目にした。フーテンと同様の見方である。

 遠藤氏は、ウクライナ戦争の停戦仲介国トルコのチャヴシュオール外相が20日にCNNのインタビューに答え、「4月7日に行われたNATO外相会談でいくつかのNATO加盟国が戦争を長引かせてロシアを弱体化させることを望んでいる印象を受けた」と発言したことをブログに書いた。

 「いくつかのNATO加盟国」を遠藤氏は、米国と明示したくないため複数形にしたか、あるいは米国と英国の2カ国と見ているが、かねてから「アメリカはウクライナ戦争を終わらせたくない」と主張してきた遠藤氏は、その理由を次のように述べる。

 そもそもNATOは東西冷戦によって旧ソ連に対抗するために作られた。旧ソ連が崩壊した後は不要のはずだが、NATOはひたすら「東方拡大」の方向にしか動いていない。トランプ前大統領は「NATOは要らない」と選挙中から主張しNATOを解散させようとしたが、バイデン大統領はなんとしてもNATOを拡大したい強烈な意志を持つ。

 NATOがなければ欧州における米国の存在価値がなくなるからだ。NATOを強大化するにはNATOが共通に脅威を感じる敵がいなければならない。米国のネオコンたちはロシアを強烈な敵に仕上げていった。

 もともと中立化を望んでいたウクライナ国民に、「NATO加盟」を呼びかけ煽っていたのが副大統領時代のバイデンだ。実はウクライナ国民は2008年にブッシュ(子)大統領がウクライナを訪問しNATO加盟を奨励した時には抗議のデモを起こしていた。

 しかし2014年に起きた親露派政権打倒クーデターは、米国がやらせたことをオバマ大統領が認めているように、ネオコンはウクライナにロシア離れを起こさせることに成功した。そしてバイデンは副大統領時代に6回もウクライナを訪れ、米国の言いなりになる政権を樹立したのである。

 さらにプーチンにウクライナ攻撃をさせるべく、バイデンはウクライナに「NATO加盟」を働きかけ、その結果、ついにロシアの軍事侵攻が始まった。こうしてウクライナ国民は悲惨な状況に追い込まれることになった。

 中国の習近平国家主席は侵攻の翌日にプーチンに電話をかけ、話し合いでの解決を直接要望した。ところがその日に米国務省のプライス報道官は、「ロシア軍の完全撤退がない限り停戦交渉は現実的でない」と言って停戦交渉を阻止した。それでもトルコは停戦の仲介役を買って出たが、外相が言うように米国は戦争を長引かせようとしている。

 ウクライナの悲劇を終わらせるには、一刻も早い停戦を実現させることだが、米国が長引かせようとしているとなると、戦争がないと困る米国の戦争ビジネスを支える軍産複合体に、日本の一般庶民も目を向ける必要があると遠藤氏はブログを結んでいる。

 しかし日本の新聞・テレビが米英発の情報、それもネオコンの影響下に置かれた情報で埋め尽くされている現状では、それはなかなか難しい。ネオコンは軍事力を使って民主主義を世界に広めることを使命と考える思想集団だから、戦争を「善と悪」の二項対立にする。

 そして善を助けて悪を打倒するには、ヒューマニズムに訴える手法を使う。そのため罪もない子供や女性、年寄り、動物などが虐待されている映像を発信して庶民の感情に訴え、悪を倒す戦争を必要と思わせ、その背後に戦争ビジネスがあることを見えなくする。

 そのヒューマニズムに訴える情報が、実は「やらせ」だったり「捏造」であることが戦争終了後に暴露されるのだが、戦争中には誰もそれを暴露することができない。暴露すれば悪の味方として抹殺される。それをフーテンは湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争で見てきた。

 『週刊新潮』でコラムを執筆している片山杜秀氏は、今週号に第一次世界大戦直後の大正7年に近衛文麿(後の首相)が書いた「英米本位の平和主義を排す」という時論を紹介している。

 近衛は言う。「勝利者の英米は講和会議を前にいつものお題目を唱えている。民主主義と人道主義と平和主義。あるいは自由と平等だ。それらは人類普遍の諸原則。守護神は英米。彼らはそう主張してやまない。

 ところがそこに野蛮国が挑戦した。ドイツである。専制主義と軍国主義を奉じ、実力による国際秩序の変更を厭わず、毒ガスを使い、一般市民までも殺戮し、潜水艦で貨客船さえ沈める。今度の大戦は明らかに善と悪との戦い。ドイツは人類の敵。犯罪者だ!

 確かに民主や平和は尊い。だが、英米は本当にその象徴なのか。英国は世界の海を制し、広大な植民地を食い物にして、余裕ある本国の暮らしを実現してきた。米国はというと、新大陸を占拠し、豊富な天然資源と移民による十二分の人口を得て、旧世界を生産力・資本力で圧倒しようとしている。

 英米はいずれも圧倒的な勝ち組だ。彼らは自国の版図については既に足るものを有しているので現状の変更を望まず、一方、市場については一層の拡大を望んでいる。その欲望を『平和的』な手段で追及できるアドバンテージを英米はたっぷりと有している。英米人の平和は自己に都合よき現状維持にして之に人道の美名を冠したるもの」。

 片山氏は、「英米本位の平和主義を排す」を書いた近衛が後に首相になって、英米と戦争を起こす当事者になったことには意味があると言い、第一次大戦のドイツ以上の敗北を喫した日本は、その経験から今回の戦争についても、平和のための発信があって然るべきではないかと主張する。

 しかしバイデン政権につき従うしか選択肢のない岸田政権にとって、米国が戦争を終わらせたくないのなら、平和に向けた発信など期待すべくもない。しかも今回の戦争が浮き彫りにしたのは世界の中で優位の地位にある英米の姿ではない。

 確かに英米は民主主義と自由主義の盟主を標榜し、野蛮なやり方で力による現状変更を行うロシアのプーチンを戦争犯罪者と糾弾している。ところがロシアを攻撃するための「経済制裁」に世界の多数国家は背を向けている。そして中国の影響力が改めて認識されてきたのである。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220425-00293115

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