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資本主義対民主主義(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/22/senkyo285/msg/154.html
投稿者 赤かぶ 日時 2022 年 1 月 12 日 17:50:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

資本主義対民主主義
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2022/01/post-672d2b.html
2022年1月12日 植草一秀の『知られざる真実』


資本主義対民主主義。

私はこのテーマを考え続けている。

自由、人権、民主主義、法の支配、市場経済

安倍元首相は「価値観外交」として五つの項目を並べる。

自分で考えたものではなく、官僚が提示した用語を読んでいるだけと見られるが同じフレーズを繰り返す。

真偽は定かでないが、初代ロスチャイルドと呼ばれるマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが1773年に提示したとされる25条からなる「世界革命行動計画」に次の記述がある。

「自由と平等について(民衆は)言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない」

自由と市場経済はほぼ同義。

市場原理主義、自由放任は際限のない格差拡大をもたらす。

民衆は平等を求める。

民衆の意思を基軸にする民主主義と自由放任主義=市場原理主義=資本主義は相容れない。

ここに問題の本質がある。

資本主義は1%の幸福を追求するシステム。

民主主義は99%の幸福を追求するシステム。

現代社会の資本主義経済は1%の幸福を追求するシステムである。

これが本質。

「民主主義」は偽装。

「民主主義」の装いを施しているだけで、実態は1%による独裁体制に成り下がっている。

「民主主義」の見せかけは選挙のときにだけ観察される。

しかし、選挙そのものが特定の方向に誘導されている。

選挙で支配権を獲得する1%勢力が独裁政治を実行している。

憲法は国会を国権の最高機関と位置付けるが、その最高機関は形骸化している。

国会が決定するのは予算と法律。

国会で審議が行われるが、審議はアリバイつくり以外の意味を持たない。

野党議員が毒を吐くだけで、時間が経過すると採決が行われて政府提案が可決されるだけ。

審議と採決の手続きを省略しても結果は変わらない。

1%の幸福を追求する独裁政治が行われている。

日本の主権者である国民が考えなければならないことは内実を伴う民主主義を確立すること。

民主主義を確立するとは99%の意思が反映されるシステムを構築することだ。

そのためにどうしたらよいのか。

99%の人々が連帯することが必要になる。

偽装された民主主義を打破して真正の民主主義を確立しなければならない。

現在の政権は自公政権だが、公明党はそもそも1%の幸福を追求する勢力なのか。

本来は弱い立場にある人々の利益を代弁する政治勢力なのではないのか。

この点で考えれば公明党と共産党が対立すること自体が矛盾。

かつて、公明党と共産党の連携を模索する動きがあった。

当然の考え方だ。

しかし、連帯は成立せず、対立だけが続いている。

日本の政治に深く関与する米国、米国の支配勢力=DSは、日本の民衆=99%が結束することを阻止するために工作活動を続けてきた。

1%勢力の代弁者である民社党を創設して、これを野党勢力に埋め込んだ。

支援母体にしたのは大企業御用組合連合の同盟。

99%勢力が連帯すれば確実に政治権力を掌握する。

1%勢力の利益は損なわれることになる。

このリスクを回避するために、99%勢力を分断することに力が注がれてきた。

99%勢力に手を入れて、一部を1%勢力の側に引き寄せたのが自公政権とも言える。

99%勢力を分断するために活用されているのが現在の連合。

連合を支配するのは大企業御用組合連合の「六産別」。

うわべだけの民主主義を本物の民主主義に作り変えること。

これが私たちの課題である。

鳩山友紀夫元首相との対談(アジア共同体研究所主宰YouTube動画「UIチャンネル」)
https://bit.ly/39BTgmd

10月5日発売の鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
https://amzn.to/3hSer8a

のご高覧も賜りたい。

 

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コメント
1. 赤かぶ[161901] kNSCqYLU 2022年1月12日 17:50:31 : IrhQbsPtA1 : My43WnR3V2FGemc=[504] 報告

2. 2022年1月12日 18:42:27 : 0sQrhwFxR6 : Y3Y2cklUQURNdG8=[14] 報告
資本主義は民主主義ではない!ずっと叫び続けてきた。そのとうり。民主主義は民主主義なんだよ。資本主義が民主主義を邪魔している。
3. 佐助[9005] jbKPlQ 2022年1月12日 20:22:16 : drh17q7fFQ : anQyZXg5bFZ4TlE=[66] 報告

少し参考に述べたい
「民主主義は理念でなくルール」です

少数意見はひとまず多数意見に従い、多数意見は少数意見に耳を傾けるルールが誕生した。故に、多数意見は常に正義で絶対服従沈黙せよとの意見は軍国時代と同じで、少数意見尊重
こそ民主主義。

民主主義とは多数決原理であり、独裁主義に対立する理念と信じられている。民主主義は正義を多数決で決めるので、少数意見は多数意見に絶対服従しなければならないの日本の国会での強行採決は独裁政治になる。

社会主義国家も、共産党に反対する人は立候補できない。病人を投票所に運び高投票率を競争させ、その独裁的権力が国民総意と思わせている。日本の大政翼賛会も独裁権力を国民の総意だと思わせている。政治には独裁が必要だと公言しているのは,維新がそう。ルールを否定しているのは大政翼賛会の自民党・公明党である。

1%の金持ちが99%の富をもつ「不平等の是正」の思考と行動を台頭させている。それと平行して宗教の原理主義が、暗殺やテロリズムの思考と行動を台頭させ、戦争の瀬戸際に押し進めているのが自民党・公明党・維新・民主党(立憲,国民)らである。左翼原理主義になる。ここで気付いてください,自民党は左翼原理主義なんですよ。

政治現象は、民主・民本主義政治体制と、そうでない体制とが対立していると信じられている。だが、民主主義はルールにスギないため、どんな政治体制も、多数決を集団の総意として利用してきた。だから、多数意見は正義・善であり、少数派の意見は間違っているので、転向しなければ抑圧排除してもよろしい、という常識は間違っている。

したがって、民主主義はルールではなく、自由・平等と同じような政治的理念だと仮定して観察すると、政治のルールの基本対立要素とその周期が、全く見えなくなる。

そこで日本の政治家は根本的解決を常に先延ばしされるだけなので、いっそ古いルールをブチ壊した方が手っとり早いと、ルールをブチ壊せと怒号する思考と行動の独裁者を待望し誕生させた。小泉や安倍などがそう。

しかし資本主義国家でも社会主義国家でも、国家と企業と個人は、それぞれ利己的な自衛思考と行動をするために、短所や矛盾の発生は避けられない。

そして個人は、国家や企業と互角でなく巨大なハンディキャプをもつ。そのため、近代国家ではストライキ権と選挙権と福祉制度を採用し、40 年ごとに改革して、資本主義制度の存続に成功してきた。だが、ライバルの社会主義国家が自壊すると改革を停滞させてしまう。2025年前後に発生する中国の自由政治革命でよくわかるだろう。

だが、一党独裁下の国家・企業・個人が、利己的に防衛思考し行動する法則の作用から逃れることはできない。資本主義国家でも、官僚支配するビジネスに参加するにはコネと賄賂と癒着や口利きが絶対必要である。社会主義政治体制は官僚支配なので、どんな開放政策にも認可権がつきまとう。そのため、自由経済システムそのものも腐敗堕落が避けられないことになる。

もしもドルとユーロと円が世界の75%のキンとリンクさせる金本位制と金融システムのリセットすると、コロナや通貨の信用縮小は収束する。そして、エンジンレス中心の産業革命を、10 年前倒しさせるなら、高度成長路線を復活できる。そうなれば、過去のように、世界大戦という巨大な殺人消費需要の助けを借りなくても、恐慌から脱出することができる。間違いない。

4. 2022年1月12日 22:15:29 : cMHlUldDYs : Sm1VU0RhL0h3WHc=[140] 報告
市場原理主義とは資本主義というより金がすべて主義あるいは世の中で正しいのは金と考える主義。金のあるなしで何が正しいか決まるやりかた。

本来は公的部門は市場の暴走を規制すべきもの。

5. 2022年1月12日 23:37:10 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[37] 報告
民の生活とは=市場原理である。

市場原理が主権ということが民主主義。

それ以外の解釈は無い。

政治家を選ぶ多数決が選挙、提供企業(資本)を選ぶ多数決が市場原理であり、市場原理を無視する統制経済を専制と呼ぶ。

専制(政府による市場の独占)とは、政府の許認可を笠に着て、生活者が購入先を選択できない状態を言う。

6. 2022年1月13日 00:10:34 : YgetavPXR4 : NXFxNTQ1MXI0elk=[9] 報告
5さん
民の生活には原理なんかありません。カオスそのものです。
洛中洛外図の洛外が民の生活。
洛中が社会制度を表しています。制度の一つが民主制度、専制制度も有れば社会主義的制度も有れば、市場原理主義的制度もあります。チャーチルは、民主制度もひどいが、他はもっとひどいと言ってます。
民の生活はカオスそのものです。それを整えるのが、なんらかの制度です。
社会主義の弊害と資本主義の幻想なんて指摘もあります。


7. 2022年1月13日 01:40:10 : cMHlUldDYs : Sm1VU0RhL0h3WHc=[144] 報告
市場原理でことを決めるとほんの数社、あるいは1社だけでその分野の市場を抑えてしまうことが起きる。これが独占資本となり他の業者を排斥することが可能となりその業者の好き放題となる。新規参入業者は対抗できず価格もその独占業者が決め法律まで変えてしまう。その弊害を多くの識者や国民が認識することにより独占禁止法が生まれ市場を独占から守ろうとした。

しかしその制度は実質崩れまた独占企業が多く立ち現れてきた。グーグル、アップル、マイクロソフト、フェイスブック、アマゾンに対抗できる企業は日本・欧州にはない。政治経済制度が異なる中国にはそのような企業があり対抗できる企業がある。ただその中国の制度にも不透明な問題はある。

とりあえず5のような市場原理が民主主義とかいう阿呆はほっておこう。

8. 2022年1月13日 07:15:10 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[38] 報告
数社がことを決めていたら、主権は市場原理には無く、数社(資本)にあるじゃないか。

つまり資本+主権で、それを資本主義と呼ぶ。

旧資本主義リベラリズム自由主義とは、そういう意味なので、自由主義と資本主義はイコールなのだ。

9. 2022年1月13日 07:19:05 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[39] 報告
市場原理とは、特定されない購入者の意思=市場の要求に主権があるということ。

購入者が主権を有し、提供者(資本)は、市場の要求に応えないと淘汰されるというのが市場原理主義。

反対に、提供者(資本)に主権があって、購入者は不満でも提供物を指定された価格で買うしかないことが資本主義(旧自由主義)。

10. 2022年1月13日 07:22:02 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[40] 報告
市場原理主義とは、過当競争至上主義なので、資本(提供側)にとても厳しい。

逆に、市場原理を無視して、企業を保護する保護主義は、保護する者とは政府によってということになるので、政府に指名された者だけが守られるということ。

これを専制(主義)という。

基本的に社会主義とは、この専制経済だ。

11. 2022年1月13日 08:56:09 : EBVP19aYVM : Z2dnVDkwSU56UW8=[2] 報告

民主主義は最悪の政治形態、それ以外の政治形態を除けば。おなじみチャーチルの言葉。

これを言い換えると、現在の民主主義は最悪だがそれ以外の政治体制の「最悪」よりはまし、となる。

12. 2022年1月13日 09:02:31 : DmkKSGXxrS : cEhiM3p4cnVFYXc=[11] 報告
民主主義とは多数決至上主義のことだからね。

民主主義の政府というのは、1人1票、代議士選出にあたり格差最大でも2倍未満の普通選挙で、政務が立法府に付託されていて、公務員の認否権が存在すること。
(公務員が終身雇用という時点で民主主義体制は有り得ない)

政府の役割は、独占禁止法違反の徹底摘発。
(生活者の購入商品は複数の供給先から選択できねばならない)

要するに、新自由主義体制になっていない市場は、何らかの専制要素が働いているということ。

13. 2022年1月13日 09:07:37 : EBVP19aYVM : Z2dnVDkwSU56UW8=[3] 報告

「多数決至上主義」? 初めて聞いたな。w
14. 2022年1月13日 10:10:18 : DmkKSGXxrS : cEhiM3p4cnVFYXc=[12] 報告
専制至上主義の阿修羅では、民主主義が受け入れられない。

これは必然だ。

専制とは社会主義における経済体制で、専制決定者の座を巡って、専制主義者同士で主導権争いが起きる。

社会主義者が、どうして社会主義者同士で内ゲバになるのか?その答えは、社会主義が利権の独占とイコールであるからだ。

排他的で、自分の子分が何をやっても批判せず、自分を親分と定義しない者は全て敵とみなし攻撃する。

そんな社会主義者の巣窟である阿修羅では、民主主義を受け入れる下地は無い。

15. 2022年1月13日 10:56:17 : kbxG9x9y56 : UTF3S0MxcWNqck0=[14] 報告
この植草とかいう似非知識人は、Politics for the people by the people of the people この意味が理解できてないのさ。

for the peopleしかないものを民主主義と思っているわけだ。

by socialist of socialist は民主主義ではないからな。

byーそれを経営しているのも、ofーその資本も個人と特定できない多数(people)であるものが民主主義。

16. 2022年1月13日 11:42:36 : Ff274msx3k : R1ZpTXhJcXlNTjY=[1526] 報告
植草さん中々、いいところまで来た、

市場原理主義があるから、
ボリスもマクロンも、習さんもさんもバイデンも苦しんでいる。
答えが見つからないからさ。

答えは市場原理の外にある。

オミクロンやアベクロンで、やがて、にっちもさっちもいかなくなる。
コロナさんは色々気づかせてくれる。

岸田のシン・資本主義に笑える。


    

17. 2022年1月13日 12:45:27 : 1KE6Arp8Fo : R3BsQUNBZ3RlWXc=[1] 報告
>>15
基礎からやり直した方がいいよ。
18. 2022年1月13日 13:40:46 : JtCYYpYxY6 : aWpNSU82Z3hDbWM=[1] 報告
459名無しさん@お腹いっぱい。2021/11/25(木) 00:31:28.30ID:grFrIcwr>>462>>506

オーストラリア、欧州、アメリカの白人国家でワクチン殺しが
かなり強制的なのが、何故なんだろうと気になる
こんな朝鮮人支配の日本だが、欧米よりはマシなんだ

もしかして白人社会だけでNWOを作って
有色人種はその遺伝子に作用する皆殺しワクチンの計画でもあるのかな


462名無しさん@お腹いっぱい。2021/11/25(木) 13:44:24.54ID:Dg5IbsUH>>463
>>459

支配層がもっとも恐れ忌み嫌うもの。
それが、自由と人権に対する意識の高い欧米の
一般市民に根付いている『民主主義』なんだよ。

誰かに与えられた制度としての民主主義ではなく、
内側から湧き上がり自ら立ち上がって抑圧に抗える民主主義な。

支配層にとって最も嫌悪するものが、この、庶民ごときが掲げ、
人権の尊重、福祉の拡充を謳う、民主主義なわけ。

日本人なんぞは、上から与えられた制度としての民主主義しか知らず
庶民自らが、それを選んだわけではなく、未だに人権意識の希薄な
封建社会の土人国なので、後回しでいいわけ。同調圧力掛けりゃ
いつでも潰せる。そんなレベル

まずはとにかく、欧米一般人の民主意識を潰さないとな。
何度も支配層に楯突いた実績があるからね。欧米一般庶民どもは。
庶民ごときが支配層様に楯突くきっかけとなる民主主義。アーニクイニクイ

日本土人や他のアジア、アフリカ土人に民主主義が根付く前に潰す。
手こずって時間がかかると、さすがに眠そうなアホボン日本人にも
民主主義が根付いて、抑圧に抗うなんてなると厄介だからな。
 
土人は土人のまま、同調圧力封建社会の中で生きとけよっていうのが
今も昔も変わらない支配層の御意向。
 

19. 2022年1月13日 16:46:10 : Ff274msx3k : R1ZpTXhJcXlNTjY=[1531] 報告
先進国で子ども殺して、世界一。

日本の親が子供に買って与えるキティのランドセル、

7万円の、キチガイの国。、昭和には、こんな、異常性は、見られなかったが、

市場原理は、人の心をも破壊する。

知らぬは、うつの北新地のクリニックの放火犯と同じ。
誰かが犠牲となって昇天する。

学ぶまで。

        

20. 2022年1月13日 19:48:51 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[41] 報告
この植草の記述で、唯一正しい箇所がある。

[「自由と平等について(民衆は)言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない」]

このロスチャイルドが語ったとされる行について、ロスチャイルドは見事に問題の本質を突いているといえる。

多くの人、特に日本人は、自由と平等とが相反する仕組みであると知らない。

この世に自由と平等が共に100%を満たすことは有り得ない。

自由と平等とは対義語なのだ。

ロスチャイルドがこれを語った時、人類は、人権という言葉をまだ知らない。

自由と平等とは、人権を語る上で、一方を蔑ろにできないという概念を指す。

人権とは、この嘘か真か不明なロスチャイルドの発言より3年ののち、アメリカ合衆国憲法第五章・権利の章典として、この定義を定められたことが、人類における最初の自由・平等思想との遭遇である。

トーマスジェファソンは、私個人、人類において偉人と尊敬する5人の筆頭である。

ジェファソンが人権(自由と平等)を体系的なものとして整理した。

それまでは、ロスチャイルドが語るように、自由と平等とは、常に両方を実現できるという誤解の上に公約され、説明され、その矛盾が中世の正義と悪の両方に宿っていると言えるだろう。

日本の司法が中世的だとはよく言われるが、日本人は、合衆国憲法制定より250年経とうという今日において、まだ、自由と平等は、互いの犠牲の上に成立するということを知らない。

植草は、これを記述しながら、植草自身がそれに気付くことなく、有り得ない大衆の思惑を自分の都合よく解釈している。

植草の全ての論説が誤っている基幹がそこにある。

大衆は、自由を求めず、平等を求めているなど、植草一人が思い込んでいる妄言だ。

大衆とは、そういう人もいるし、真逆の人もいるし、しかし多くの場合、自由も平等も両方望んでいて、その理想は実現できないと気付いていない場合が多いのである。

そして日本国憲法は、この自由と平等のうち、自由を上位に成立している。

基本的人権とは自由権のことだからである。

21. 2022年1月13日 19:55:55 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[42] 報告
植草が基本的人権を軽視するのは植草の勝手、引いては日本国憲法を冒涜するのは植草の勝手だが、植草自身がそれに気付くことすらない。

アホ番付の始皇帝レベルである。

great of ahooだ。

大衆が自由を否定していると思うから、自民党は基本的人権の削除を計画している。

憲法を自由優先から平等優先に書き換えようとするから、基本的人権の記述を消し去りたい。

自民党憲法改正案とは、植草が言ってること、正しくそのままなのだ。

22. 2022年1月14日 03:06:26 : Jc5WJMn07E : NVFGeGlJQVJhLnc=[228] 報告
   市場原理主義の原型として太古の昔は海で採れた物と山で採れた物を物々交換するシステムが有った。貨幣は無かったが石を貨幣代わりにし物々交換の原理を進化させればその先は資本主義だ。貨幣の発明で欲しい時に欲しい物が手に入り備蓄するために余計に物を調達しておくことも可能となった。最終的には貨幣に利息を付け貸し借りするシステムが出来、貨幣で貨幣を増やす備蓄システムの向上が様々な企業を生み消費者を生み出したのが資本主義の原点だ。かつ市場原理主義というよりも流行を演出し購買欲を高めたり商品を自在に供給したり保管することでバランスを取り市場を操作出来る時代となったのである。
  これとは別に人類は資金を集め公共財に使うべく徴税主義を導入したために互助システムとしての徴税主義が生まれた。従って個々の国家組織員としての納税者から徴税した税金を国民全体が享受するべく公共政策に用いる租税主義は、会員制組織のようなものだ。集めた税金を何処にどれだけ使用するかは会員制組織なら会員総会で総則を作るも、租税国家ならば国民議会で立法原則を作り公共政策の基礎的根拠とするべく納税者が代表を出し決定するのが民主主義の原則である。
   従って資本主義だろうが市場原理主義だろうが租税主義である以上は、公共政策に用いる公金の決定は民主主義であることが義務付けられる。
   会員制組織の会長や会計係が独断で会費を運用し会の方向を決めてはならない。必ず会員総会にての会則に忠実に会計係担当者は歳出執行、会長は会計担当が正しい歳出事務を行うべく最終責任者の位置づけだ。
   国政も同様で、資本主義市場原理主義に拘わらず、公共政策に用いる公金の使途の優先順位は国会で立法化、会員制組織であれば会長の地位にある総理大臣が、会計担当である各省幹部級公務員の実務の結果の最終責任者となる。
   公金が国民代表によって議論され適材適所に歳出されるための手続きが民主主義である。思想信条が問われるのが民主主義との観念は誤りで、実は国民から集めた公金資金を何処にどれだけ使用するかで国の形や方向が決まるところ、民主国家とは、国民から徴税した公金を国民代表が国会を通じて立法、最高法規と立法原則に忠実に各省幹部が公金歳出する国家システムを意味する。公金歳出如何によって理念が変わるのは、例えば軍事立国となるか福祉立国になるかは立法化した公金の使途で変わるからであり、民主主義とは公金の使途の決定に国民納税者が情報を得て充分に関われることである。教員の使うチョーク一本から山林保護のための鎌一本まで公金が無ければ用意できないのが租税主義だから、公共財を売る資本家と会計担当である幹部公務員が天下りなどで癒着すれば民主主義は真っ当に機能しない。資本主義や市場原理主義とは別に、官僚等税金を預かり歳出する権限ある地位に就いた会計担当者を納税者代表が議会にて精査検証、適正を判断し承認するシステムが民主主義には不可避だ。
23. 2022年1月14日 08:12:20 : Ff274msx3k : R1ZpTXhJcXlNTjY=[1536] 報告
>>21

なのだ・って何が?

机の上で物言うバカ。

   

24. 2022年1月14日 08:25:39 : fKkQda7Cxw : a01WR1RYQWZoY00=[1593] 報告
なんだか議論の全てがレトリックに思えてしかたない。
存在しないものについて細々と記された宗教書的な。
じじいになったので、話について行けんのだ。
25. 2022年1月14日 10:25:08 : qyjLKDKN06 : WEdzUFpscmRpckU=[1456] 報告
資本主義も民主主義も、人間社会に於いて最も生産的で社会がより良いものとして取り入れられた制度。

しかし、如何なる制度も完全のものはなく修正され、制限されて今日に至ってる。現状では世界の多くの国で行われてる主義。

個人が主体的に生きるためには自由権としての基本的自由権を憲法は保障するが個人の自由権を円滑に認めて行くには他の人の自由と衝突した場合は公共の福祉と言う個人の平等という価値観で調整する。

資本主義も企業の経済活動の自由を保障するも、経済の健全な発展を阻害し、企業間の自由な競争を阻害するような独占を平等という価値観で禁止する。

自由は個人として生きるために大切のものであるが、平等はその個人の自由を調節しながら自由を促進する役割を果たしているのではないか。

思いつくままに・・・・・

26. 2022年1月14日 11:38:00 : Nt3W0QUeg2 : VmlabkNtS3dadmc=[12] 報告
生活保護申請 却下に疑問
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/660.html

生活保護「却下の可能性」 職員の説明に誤り、市が謝罪

生活保護を申請しようと役所を訪れた女性に対し、窓口の職員が誤った理由を並べ立てて申請を受け付けない。
そんな問題が横浜市で表面化し、市が謝罪する事態となった。
https://www.asahi.com/articles/ASP436W8LP3VULOB01H.html
 

福祉事務所が生活保護めぐり虚偽の説明

対応した福祉事務所の職員は、生活保護の申請を希望するAさんを退け、記録に「申請の意思なし」と記載
https://toyokeizai.net/articles/-/417600


27. 2022年1月14日 12:20:29 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[43] 報告
ここ,阿修羅にあっては+投稿の趣旨である植草の言種として。

[民主主義でないものを民主主義と誤認させようとしている]

これが私が指摘する、私の主張のすべてだ。

阿修羅は、共産主義者+社会主義者の巣窟であって、植草もまた国家社会主義者である。

これらは民主主義とは縁遠いものだ。

もちろん自由主義とも縁遠い。

民主主義の具体的容態が、経済面に於いては市場原理主義として確立された今日、市場原理主義に反対であるなら、民主主義に疑問を呈すれば良いのである。

民主主義と自由主義の違いは、民主主義の構成要件である多数の意思として、自由陣営も共産陣営も、ほぼ同時期にこれを提唱するわけであるが、自由陣営側としては、ウッドローウイルソンが提唱するまで存在しなかった。

ほど同時期、共産勢力側としてはロシア革命におけるヴォルシェビッキー(多数派主義)として、革命開始に伴って世に示された。

が、当のソビエトが代表選挙すら行わず、多数の意見を採用する機会すら与えないことについて、共産主義がメンシェビッキー(少数エリート独裁)革命であることが明らかになってゆく。

ウッドローウイルソンは、自由主義陣営における政府の役割として、資本の民主化を訴え、ウイルソン政策の名称を「新自由主義」と発し、ここに自由主義と民主主義の相違は定義された。

「新自由主義化(市場原理主権=経営と資本の分離)された+小さな政府」が民主主義で、市場原理を取り入れず「コングロマリット(個人資本・組合資本)が経営も手放さない+小さな政府」が自由主義。

その違いは、ウイルソン政権・新自由主義の最大の政策要素=独占禁止法にYesだと市場原理主義、Noだと自由主義ということなのである。

独占禁止法にNoだと、市場は原理ではなく、資本の意志によって支配される。

意志のある資本の良心によって、経済を好転させるとしたのが、自由主義の大家ケインズだ。

一方、資本の良心は期待できない。資本に意思を与えてはならず、独占禁止法の徹底によって資本から意思を奪い取れ、市場は庶民の購入意思(原理)によってのみ経済反映できるよう唱えた大家=フリードマン新自由主義である。

28. 2022年1月14日 12:28:51 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[44] 報告
だから民主主義だと、経済面は必ず新自由主義であるため、資本は民主化され、庶民は市場購入という意思決定権の行使によって、多数を占めれば企業の在り方を操れることになる。

自由主義だけだと、資本は民主化されなくても良いということなので、阿修羅で言われる禿鷹とか、国際金融資本とか、市場の購入意思では変化しない。

新自由主義化していない旧自由主義状態では、資本が侵略資本であろうと意図すれば、市場購入での意思反映では、市場独占する企業を制御できないわけである。

これが自由主義と民主主義の違いだ。

29. 2022年1月14日 13:02:31 : pe7mhRtghY : cExUeXkvL3FoaEE=[45] 報告
自由主義も共産主義も、新自由主義化による民主化の促進によって、ジワジワとその独占利権が侵蝕され、追い詰められた共産主義は、保守転向という裏技を使い、共産主義と自由主義の中間に、中道と呼ぶ領域を生成して生き延びた。

同じ時期、各州の州税の在り方として新自由主義化が進むアメリカに居られなくなったコングロマリットの代表的資本ロックフェラーは、おそらくロナルドレーガンを狙撃し、ソビエトに代わる冷戦の対極として中華人民共和国を選んでこれに憑依しようとし、軍産複合体を構成していた日本巨大産業は、ロックフェラーに従うように中国に進出した勢力。

これが転向保守ネオコンサティブ新保守主義者と結託し、現在の世界のパワーバランスを取っているわけである。

自由主義のようで自由主義でなく、共産主義のようで共産主義ではない。

一部自由主義・一部共産主義で、一部反自由主義・一部反共産主義である。

自由主義と共産主義を足して、2割ったらスターリンとヒトラーの合体が出た。

そういうものがネオコン・現在の中華人民共和国だ。

30. 2022年1月14日 13:26:23 : NNIMwLsfDc : dkZKZ1M1c0M3bkE=[1] 報告
 
 
資本と経営が分離できない
資本が経営を手放さないのは、

資本が、何が能ある経営理念なのか、経営主体なのか
見極めるだけの能がない場合が多いためだろう

勿論、見抜ける資本もいれば、見抜けない資本もいる。

つまり、資本の能力は一定ではなく(経営・市場・利権等を)
手放さない自由を欲しがるのだよ

だが、能ある経営主体は、資本を貯め込み、資本と経営を両立し
新たな市場を開拓し、有能経営を買収し、巨大資本となっていく

その時、旧資本は、自由と平等を掲げ、新興資本に難癖をつけ
資本と経営の分離を押し付けるだろう。

そして、金融資本には、旧資本とその手下経営の株価だけを支えるよう
根回しを行う。今こそアベノミクスと念仏を唱えながら。
 
 

31. 2022年1月15日 03:11:20 : Jc5WJMn07E : NVFGeGlJQVJhLnc=[230] 報告
  資本主義と民主主義を対峙させるから話がおかしくなる。何故なら共産主義とて交易で得た資本を元手に事業を拡張し世界各国と貿易している。資本がハードかソフトかの違いはあるが、交渉能力の高い人材や統治能力の高い人材がトップに立ち製品や技能を輸出するのだから、共産主義との違いは事業者が株式を発行し設備投資をし利潤を上げるか、対外交易で得た国富を中央で集約し国民に配分するかの違いだけだろう。
  いずれにしても国富の国民への再配分がなければ品格ある国家にはならない。国富が適正に循環する社会とは、税金として国民や法人から一定の資金を集め福祉目的に使用することで国富が国民全体に回る仕組みが出来ている社会だ。ところが税金を預かる立場の者が法治主義ならぬ人治主義を謳歌し公金を独占采配すれば国民全体は豊にならず全体が衣食足りて礼節を知る品格ある国家にはならない。
  民主主義は資本主義に対峙させるべきではなく並行させるのが、国民から徴税し公共福祉目的に使用する租税主義国の大原則だ。であれば公金の使途の優先順位を決定するに国民代表議会制度しかない。国民が一人一票を行使し代表者を選出し議会にて最高法規の理念に忠実に議員立法案を審議し一人一党の精神を以て採決に臨むことで法原則が造られ最大多数の最大幸福の解を得られる。民主主義とは国民代表議会制度によって国民が国富の再配分を公平公正に享受できる仕組みを指す。
   市場原理主義とて例えば経済産業官僚機構が電通という民間広告会社と組み流行を敢えて創り出し公金を補助金として特定企業に采配し宣伝広告を打てば、必然的に市場が創生され顧客が集まる。需要と供給による真の市場原理主義は、立法府と行政府の境界と役割が明確でなく、公金が補助金として行政機構の恣意で民間事業者に投入されるような似非資本主義国では成り立たない。
   いずれにしても補助金漬けの似非資本主義であれ造られた市場原理主義であれ、国民が預けている税金という公金によって公共政策を担う租税主義国である以上、民主主義は対立軸に非ず大前提だ。
32. 2022年1月16日 08:27:16 : W4lWM6CU2c : TEd3ZEU1ci5FbG8=[2] 報告
資本主義=帝国主義という観点が抜けてはいまいか?肥え太るグループだけで、世界から富を略奪する意味では、帝国主義以外の何者でも無い。途上国に対する行為を見れば明白だろ。

だから、民主主義vs帝国主義という方が正しいのではないか。日本だって、帝国データバンクなんて社名があるし(フィクションとは云え、『下町ロケット』での大会社の名は「帝国重工」だし)、資本主義=帝国主義というのは、明治どころか、西欧植民地化政策の頃から常識じゃないの?

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