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沖縄返還50年(東京新聞)
http://www.asyura2.com/22/senkyo286/msg/489.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 5 月 16 日 14:25:08: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2022年4月19日 07時45分

ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/172597

 一九七二年五月。沖縄が米国から日本に返還された。沖縄の悲願だった本土復帰。しかし、それから五十年となる今も沖縄には米軍基地が集中し、負担は軽減されていない。沖縄の「戦後」は終わったと言えるのか。

<沖縄返還> 日米間の沖縄返還協定が1972年5月15日に発効し、沖縄は本土に復帰した。米軍統治下の沖縄では、車は右側通行、本土への渡航にはパスポートが必要だった。通貨は58年まで米軍発行の軍票「B円」など、それ以降は米ドルが使われた。協定を巡っては、返還にかかる費用を日本政府が肩代わりする密約があったことが後に明らかに。現在でも沖縄には、在日米軍専用施設の約7割が集中。普天間飛行場の辺野古移設を巡り対立や混乱が続いている。


◆自己決定権なし 今も 作家・詩人・池澤夏樹さん

 人間の幸福感の一つが自己決定権。沖縄はそれを持っていません。県民投票で意思を示しても全部無視される。こんな不幸なことはない。
 その根源には、琉球王国が薩摩藩に占領された時以来の虐げられてきた歴史があります。太平洋戦争でも、国内で地上戦となったのは硫黄島と沖縄だけ。多くの住民が亡くなった。その果てに、米国の軍政が二十七年間続きました。
 そして復帰。この五十年をどう考えるか。一つは基地問題。米軍基地の態勢はほとんど変わっていない。米軍の飛行機から部品は落ちる。時に飛行機そのものも落ちる。普天間飛行場周辺は最悪。一日の授業時間の一割は、先生の声が聞こえない。県内の至る所に影を落としています。自分の夢を自分で決められないのはあまりにつらい。
 一方で、経済的には五十年で豊かになりました。県民は今はお米を食べています。昔は芋。主食がこんなに早く切り替わったのは珍しい。都市化も進んだ。沖縄はもともと住みよい土地なんです。特別な文化がある。食べ物はおいしく、歌が盛ん。みんな自分の郷土を愛している。年収は日本で最低だけど、ゆったりしています。
 沖縄を語るときは、この二つの面の両方を見ないといけない。政治的なこと、米軍の動静や沖縄差別の構造などを知った上で、なおかつ基本的には良い所だということを体感すること。この二つをどう評価するかで復帰・返還の印象が分かれます。
 沖縄では、居酒屋で飲むうちに「独立しよう」となる「居酒屋独立論」が一時期、ありました。しかし、あのサイズで国となる場合、普通、軍事と外交は大きな国に預けるんです。まさに沖縄の大問題になっている二つ。独立戦争をすると言っても軍隊はないし、自衛隊は味方になってくれないでしょう。独立論は今のところは夢想と言うしかないのです。
 こうした沖縄の現状や人々の思いを内地の人は知らないし知ろうとしない。沖縄なんだからいいだろうと思っている。確かに沖縄は地理的・歴史的に不運だった。でもそれだけではない。間違いなく、誰かが悪いんです。倫理的に許されない。これは沖縄のために言っているのではありません。愛国者として言いましょう。国の在り方として恥ずかしいことなのだと。
 (聞き手・大森雅弥)

<いけざわ・なつき> 1945年、北海道生まれ。芥川賞、谷崎賞などを受賞。94年から10年間、沖縄で暮らす。沖縄関係の著書に『沖縄への短い帰還』(ボーダーインク)などがある。


◆米支配27年にも目を 琉球大名誉教授・比屋根照夫さん

 一九七二年当時、社会は騒然としていました。力と力が激突するような時代。安保闘争と沖縄返還闘争、ベトナム反戦運動が三位一体となっていました。あの頃、私は東京にいて、頻繁に行われるデモや集会にも参加していました。
 沖縄の復帰運動が掲げたスローガンは、米軍基地の無条件全面返還でした。基地のない平和な島に。それが沖縄の願いでした。ところが、日米両政府が決めた沖縄返還協定は、運動の理念を実現するものではありませんでした。沖縄の命運に関わる重大な協定なのに、民意はないがしろにされました。
 返還協定が審議された「沖縄国会」では、野党が反対し、国会周辺ではデモが繰り返されました。にもかかわらず、与党は強行採決しました。その状況を見て、私はこう思いました。この国と沖縄の関係とは何なのか。祖国とは何なのか。
 協定発効の記念式典の日、沖縄は雨で、混乱の中、大規模な抗議集会が開かれました。それから五十年が過ぎます。ただ、五十年というスパンだけで考えるのは不適切です。あの凄惨(せいさん)な沖縄戦から見ないと、沖縄の現代史は分かりません。
 五二年発効のサンフランシスコ講和条約で沖縄は日本から切り離され、米軍統治下に入りました。敗戦から復帰までの二十七年間、日本の領土の一角が外国の支配下に置かれたのです。この間、沖縄は日本国憲法の枠外にあり、言論統制や人権侵害が横行しました。殺人、暴行なども多発しました。
 返還協定で米国は、沖縄の施政権を返す見返りとして、基地を残すという選択をしました。協定では、日米同盟関係の強化もうたわれています。それは沖縄だけでなく、日本の安保政策に関わる問題です。
 この五十年で、さまざまな変化がありました。一つは経済構造です。かつては米軍の雇用が一定の経済効果を持っていました。しかし今では、観光業など基地外で働く人が多くなりました。基地がなくなると沖縄の経済は衰退するという人がいますが、それは間違いです。
 今も変わらないのは、米軍基地です。さらに、自衛隊駐屯による先島諸島の軍事的強化が進んでいます。基地があると攻撃される。それは沖縄戦の例からも明らかです。「非戦」こそが沖縄戦から学ぶべき教訓です。 (聞き手・越智俊至)

<ひやね・てるお> 1939年、愛知県生まれ。終戦翌年の46年から沖縄で育つ。東京教育大大学院修了。専門は沖縄近現代思想史・言論史。著書に『戦後沖縄の精神と思想』など。


◆米兵事件 若者動かす 映像作家・美術家・山城知佳子さん

 私の幼少期は、頭に籠を載せて魚を売るおばぁがまだ健在だった時代。祖母は標準語を強制するために方言を話した人に罰として掛ける、戦後まで続いた「方言札(ふだ)」の影響で、うちなーぐち(沖縄語)を孫には話しませんでした。そのため、私はうちなーぐちは話せません。
 那覇の新興住宅地で生まれ育ったため、地域芸能に触れることもできませんでした。高校生ごろまでは、沖縄の文化を誇りに感じることはできなかったです。私にとって、歌三線(うたさんしん)はおじぃ、おばぁのものというイメージでした。
 日本に復帰しても米軍基地は残り、それはずっと変わらない。当時の沖縄には諦め感がまん延しているように感じていました。私もいつの間にか「沖縄はだめなんだ」という劣等感を抱き、自信が持てませんでした。
 そんな中、一九九二年にロックバンド「THE BOOM」が発表した「島唄」の大ヒットは衝撃でした。作詞・作曲した宮沢和史(かずふみ)さんは県外の人でしたが、客観的な異邦人の目だからこそ沖縄の良さを感じられたのではないでしょうか。
 歌手の安室奈美恵さんらが人気になるなどの沖縄ブームの一方、九五年に起きた米兵による少女暴行事件が当時の県民の、特に若い世代の意識を変えたと思います。当時大学生だった私も自分事として傷つき、また過去の事件を知り、問題意識が強く芽生えました。米軍を巡る問題が放置される一方、文化面では持ち上げられる。それって、「アメとムチの構造じゃないの?」と意識するようにも。 
 「島唄」は純粋な音楽として誇りにつながる再発見でしたが、他の文化を大々的に持ち上げるキャンペーンは、裏に政治的駆け引きがないかと見るようにもなりました。消費される沖縄ではありたくない。エネルギーを奪われてしまいたくない。
 地域芸能もできず、うちなーぐちも話せない私が、表現の器として出会ったのがアート。キャンペーンの華やかなビジュアルの沖縄に対し、そこには決して入ってこない米軍基地の問題。当時、このギャップを生活者の実感として拾うべきだと考え、沖縄を見つめ、言語を超えて世界と対話できる映像作品の制作を始めたのが出発点です。
 沖縄の不条理は、日本全体の問題だととらえる俯瞰(ふかん)的な視点が必要ですが、政治はむしろ隠そうとしていますよね。
 (聞き手・清水祐樹)

<やましろ・ちかこ> 1976年、沖縄県生まれ。主に映像・写真で、生まれ育った沖縄の歴史と自身との関係に向き合い、身体感覚に訴え掛けるイメージの作品を手掛ける。東京芸術大准教授。

ーーー以上引用

ちょっと古い記事で、タイミングはずれかな?  

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コメント
1. パレオリベラル[2733] g3CDjINJg4qDeIOJg4s 2022年5月17日 00:34:24 : voIflAW8WU :TOR SzlGc2xCMDJZRnM=[3] 報告
⇒《歌手の安室奈美恵さんらが人気になるなどの沖縄ブームの一方、九五年に起きた米兵による少女暴行事件が当時の県民の、特に若い世代の意識を変えたと思います。》

【ONLY YOU】
https://youtu.be/RiAei3_rBkE
⇒《I can take the lightning
I'm not frightened by just a little rain
So what if skies aren't always so blue
I can face confusion face defeat and live to fight again
(メチャクチャにされても、打ち負かされても、また生き返ってみせるよ)
The only thing that can touch me is you》

「You」を…
『恋人』と解釈すれば、恋愛的ですが、普通に読めば『神』でしょう。
琉球神道を彷彿とさせる歌です。



[スレ主【蒲田の富士山】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)嫌いだから

2. 蒲田の富士山[1221] ipeTY4LMlXiObY5S 2022年5月17日 18:47:53 : O2tnuG4QPI : enJtUFpBczAyL1k=[16] 報告
<沖縄復帰50年>一人一人の人生追う 沖縄戦で犠牲の県関係者1000人超 市民団体が郷土史などを調査(東京新聞)
2022年5月15日 07時07分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/177414

 太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした千人超の県関係者の足跡を、沖縄問題を学ぶ市民団体が調べている。戦没者の詳細を一覧にした公開資料はなく、市町村史などから情報を集める地道な作業だ。戦後の米軍統治を経て、沖縄が日本に復帰して十五日で五十年。戦争の犠牲者にあらためて思いをはせようと取り組んでいる。(近藤統義)
 団体は「沖縄の闘いに連帯する関東の会」。沖縄の研究者やジャーナリストによる講演会などを二〇一七年から県内で開いている。調査のきっかけは、昨年十一月に那覇市から講師として招いた具志堅隆松さん(68)の活動だった。
 具志堅さんは沖縄戦で亡くなった人の遺骨収集を約四十年間続けている。名護市辺野古の米軍新基地建設の埋め立てに遺骨が眠る土砂を使う政府の計画に対し、「戦没者を冒涜(ぼうとく)する行為だ」と強く異を唱えた。
 この訴えを聞いた会長の辻忠男さん(73)=蓮田市=は「遺骨が見つかっていない埼玉の関係者もいるかもしれない。沖縄戦を考える上で、どんな人が亡くなったのか一人一人の『顔』が知りたい」と思った。
 沖縄にある「平和の礎(いしじ)」には、県関係の千百三十八人(昨年六月時点)の戦没者の氏名が刻まれている。それを手掛かりに市町村の郷土史や関連書籍をあさると、氏名だけでなく死亡場所や家族構成、軍歴、さらには顔写真を掲載しているものもあった。
 会員の金丸堅二さん(73)=さいたま市=は「家族の存在や顔写真が分かると、千百三十八という数字からは見えない、個人の具体的な物語が現れてくる」と調査を通して実感する。
 こうした積み重ねで、資料で氏名を照合できた戦没者は今のところ六百八十七人。全体像を明らかにするのは容易ではなく「まだ入り口に立ったばかり」と辻さん。
 日本復帰から半世紀という節目に「米軍施設が集中し、いまだ憲法の外に置かれている」と沖縄に心を寄せる。戦没者の情報はいずれ冊子などにまとめ、遺族の話も聞いてみたいと考えている。情報提供などは辻さんのメール(t-tsuji@mcp-saitama.or.jp)へ。
<「遺骨土砂」を巡る問題> 防衛省は2020年4月、辺野古の海底の軟弱地盤に対応するため、埋め立てに使う土砂の調達先に沖縄本島南部を加える設計変更を沖縄県に申請。県は昨年11月に不承認としたが、政府は計画を撤回していない。本島南部は沖縄戦の激戦地で、戦没者の遺骨が今も眠っている。埼玉県や川越市、秩父市など全国200超の地方議会で計画に反対する意見書が可決されている。
団体が県に情報公開を求めた「死没者原簿」の写し。個人情報を理由に大半が黒塗りだが、死亡場所には「沖縄」の文字がある

3. 蒲田の富士山[1222] ipeTY4LMlXiObY5S 2022年5月17日 18:59:23 : O2tnuG4QPI : enJtUFpBczAyL1k=[17] 報告
<社説>沖縄復帰50年に 「うちなー世」はまだか(東京新聞・社説) 
2022年5月16日 07時32分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/177548

 「唐(とう)ぬ世(ゆー)から大和(やまとぅ)ぬ世(ゆー) 大和ぬ世からアメリカ世(ゆー) ひるまさ変(かわ)たる 此(く)ぬ沖縄(うちなー)」。戦後、沖縄民謡・島唄の神様と慕われた嘉手苅林昌(かでかるりんしょう)さんが作詞し、歌った「時代の流れ」には、中世以降、沖縄の支配者がめまぐるしく変わった様が、哀感を込めて表現されています。
 沖縄はアメリカ世から解放されて五十年がたちましたが、広大な米軍基地は残ったまま。復帰先の日本政府は、新基地建設を強行するなど米国に代わり強権を振るいます。自主自立の「うちなー世」はなぜ訪れないのでしょうか。
 沖縄が日本から分離され、また返される苦難の扱いを受けた起点は一九五二年に発効したサンフランシスコ講和条約三条。米国が国連に沖縄、奄美、小笠原諸島の信託統治を提案し、可決されるまでの間、米国に行政、立法、司法の全権行使を認めるものです。

◆閉ざされた独立への道

 信託統治は、自立の力を十分に持たない地域を国連に信託された国が統治し、発展させる制度で戦後できました。六〇年の国連「植民地独立付与宣言」は、信託統治地域など非独立地域を早急に独立させることをうたっています。
 制度が適用された十一地域は九〇年代までにすべて独立や自治を確立し、制度は終了しています。
 沖縄が信託統治されれば、独立する道もありましたが、米国は信託統治を提案せず、独立の道を閉ざされた沖縄は二十年間、日本国憲法も米国憲法も適用されない人権無視の状況に置かれました。
 東西冷戦が激化していた当時です。講和条約発効の翌年にはダレス米国務長官が沖縄統治について「極東に脅威と緊張の状態が存在する限り、米国が引き続き権利を行使する」と宣言しています。
 米国は沖縄を国連の信託統治とするよりも、米軍による占領を続けた方が、軍事基地として利用できると考えたのでしょう。
 日本政府は当初、米国が沖縄を統治する権利は暫定的であり、三条の扱いは日米間、国連で話し合うべき問題と考えていました。
 この立場を覆したのが、六四年に就任し、沖縄返還に政治生命を懸けた佐藤栄作首相です。
 佐藤政権は六五年、沖縄の法的地位に関する政府統一見解をまとめ、三条については、米国が信託統治の提案をしないからといって「同条違反だとか施政権行使の根拠が失われたということはできない」と表明しました。
 信託統治を巡る議論をせず、沖縄復帰に向けた日米交渉を優先させたのです。米国としても脱植民地化の潮流の中、沖縄を事実上、軍事植民地化していることを国連で議論されなくて済むため、日米の利害が一致したのです。
 佐藤政権当時の沖縄は、ベトナム戦争に出撃する米軍の拠点であり、極東最大の核基地でした。
 豊下楢彦(ならひこ)・元関西学院大教授(外交史)は「結果として沖縄は、日本が米国に『お願い』するという理不尽な形で返還されることになった。広大な基地固定化の原点はここにある」と言います。
 復帰前には日米双方に帰属しない国連の統治や、独立論も混在していたといいますが、沖縄世論の主流は平和憲法が施行されている日本への復帰要求でした。

◆自己決定権も奪われて

 共同通信社が今春行った沖縄県民の世論調査でも九割超が本土復帰を評価し、「沖縄独立論」には約七割が否定的です。
 同時に、復帰後の沖縄の歩みには「基地の整理縮小が進んでいない」「日本国憲法下でも人権が尊重されない」などを理由に半数以上が不満を感じています。
 講和条約、返還協定、名護市辺野古での米軍新基地建設。すべてが当事者である沖縄抜きで決められてきました。故・翁長雄志前知事はそうした状況を「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と指摘しています。
 国の沖縄振興予算も、新基地を巡り国と対立した翁長氏と玉城デニー現県政下で減少が続きます。新基地を踏み絵に予算を増減させる政府の非民主的振る舞いが極まっています。十日に決定した今後十年間の沖縄振興基本方針からは前方針にあった沖縄の「自主性を尊重」との文言すら消えました。
 民主主義の時代に、沖縄の人々がなぜ「自己決定権」に言及しなければならないのか。本土に住む私たちは、その背景にあるものから目を背けてはなりません。
 沖縄の地に「うちなー世」が訪れるとき、日本が本当の意味での民主主義国家になれるのです。

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