★阿修羅♪ > 番外地11 > 330.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/330.html
投稿者 中川隆 日時 2023 年 9 月 27 日 15:12:35: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「chousenと日本の神話を考える」  上田正昭 京都大学名誉教授 投稿者 中川隆 日時 2023 年 9 月 27 日 15:06:06)

縄文人が話していたのは日本語ではなくアイヌ語です。それから、天皇一族は日本語ではなく百済語を話していました。 ホツマはデタラメです:
考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源
 考古学的観点から日本語と朝鮮語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語と朝鮮語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語と朝鮮語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、朝鮮半島には朝鮮語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後で朝鮮半島に流入した朝鮮語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。
言語学的研究では、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています
日本語祖語はまずマンチュリア南部から朝鮮半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。朝鮮語祖語はその後でマンチュリア南部から朝鮮半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。
 偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃に朝鮮半島北部のゴングウィリ式土器を介して朝鮮半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。

 日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀〜紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀〜紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。

 紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経て朝鮮半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部から朝鮮半島南部への粘土帯土器の広がりは、朝鮮語祖語の経路を示唆します(図5-2)。

 日本語祖語と朝鮮語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語と朝鮮語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。
https://sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.html


Brown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」
KyushuUniv
2023/01/24
https://www.youtube.com/watch?v=a4hLPynYKug  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2023年9月27日 19:59:57 : eAc4aTNNfw : aTJUVVhmQm9TVXM=[1] 報告
<■76行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ヲシテ文字は日本語を単純に文字化しただけのものですね。
しかし、日本語は元々南満州で話されていた言葉です。
縄文人はアイヌ語を話していたというのが定説ですから、ヲシテ文字では縄文人の言葉を表せません。
それから、天皇は漢民族系chousen人だというのが定説ですから、ヲシテ文字ではなく漢文で言葉を書きます。
従って、天皇がヲシテ文字を使って歴史書を書く事は有り得ません:

考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源
 考古学的観点から日本語と朝鮮語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語と朝鮮語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語と朝鮮語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、朝鮮半島には朝鮮語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後で朝鮮半島に流入した朝鮮語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。
言語学的研究では、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています
日本語祖語はまずマンチュリア南部から朝鮮半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。朝鮮語祖語はその後でマンチュリア南部から朝鮮半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。
 偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃に朝鮮半島北部のゴングウィリ式土器を介して朝鮮半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。

 日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀〜紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀〜紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。

 紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経て朝鮮半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部から朝鮮半島南部への粘土帯土器の広がりは、朝鮮語祖語の経路を示唆します(図5-2)。

 日本語祖語と朝鮮語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語と朝鮮語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。
https://sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.html


Brown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」
KyushuUniv
2023/01/24
https://www.youtube.com/watch?v=a4hLPynYKug

2. 中川隆[-11961] koaQ7Jey 2023年12月18日 22:55:38 : NWtO5BFmMs : NzFkanM4RHNMeVk=[1] 報告
<■79行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本語は元々南満州で話されていた言葉です。
考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源
 考古学的観点から日本語と朝鮮語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語と朝鮮語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語と朝鮮語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、朝鮮半島には朝鮮語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後で朝鮮半島に流入した朝鮮語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。

言語学的研究では、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています
日本語祖語はまずマンチュリア南部から朝鮮半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。朝鮮語祖語はその後でマンチュリア南部から朝鮮半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。

 偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃に朝鮮半島北部のゴングウィリ式土器を介して朝鮮半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。

 日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀〜紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀〜紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。

 紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経て朝鮮半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部から朝鮮半島南部への粘土帯土器の広がりは、朝鮮語祖語の経路を示唆します(図5-2)。

 日本語祖語と朝鮮語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語と朝鮮語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。
https://sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.html


Brown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」
KyushuUniv
2023/01/24
https://www.youtube.com/watch?v=a4hLPynYKug


【最新人類史】縄文人と渡来人の混血比率/東アジア人の分岐と混血の歴史/黄河集団と長江集団の起源/縄文人は朝鮮半島にも住んでいた/縄文人と繋がるホアビン人とオンゲ族とは/Y染色体ハプログループDの謎
2023/12/04
https://www.youtube.com/watch?v=x4x5lVOjL_Y&t=7s

2023年12月17日
弥生時代の日本列島の人類集団の成立と展開
https://sicambre.seesaa.net/article/202312article_17.html

▲上へ      ★阿修羅♪ > 番外地11掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 番外地11掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
番外地11掲示板  
次へ