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Y-DNA解析では高麗王も李氏も漢民族です
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/406.html
投稿者 中川隆 日時 2023 年 10 月 26 日 15:11:38: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: chousen半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。 投稿者 中川隆 日時 2023 年 10 月 26 日 14:19:52)

Y-DNA解析では高麗王も李氏も漢民族です:
高麗王・王建
初代高麗王・王建(877-943)のY染色体は、ハプログループO2a2a1a1(O-M188, subclade-CTS201)である。弓裔の部下であった王建は、918年に謀反を起し、自ら「高麗人の末裔」と称して国号を「高麗」とし、都を「開城」に定めた。『編年通録』によると王建の始祖は「虎景」という人物で、虎景の孫に「損乎述」があり、損乎述は「宝育」と改名した(国祖)。宝育は姪(兄の娘)の「徳国」を娶り、娘の「辰義」をもうけた。辰義は無名の中国人の行商人との間に「作帝建(懿祖)」を生んだ。作帝建の息子、「竜建(世祖)」は松岳(現在の開城)を拠点に半島西南の海岸部で貿易をしていた豪族で、王建は新羅憲康王3年(877年)1月31日に竜建の息子として生まれたという。この伝承に基づけば、作帝建の父は中国人であることから、王建の父系先祖は、中国人であるといえる。


李氏
李舜臣(徳水李氏)
李氏朝鮮時代の将軍・李舜臣のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)である(注1)(注2)(注3)。これは、ソウル特別市出身の徳水李氏の男性から得られたサンプルに基づく(注4)。
李舜臣は、朝鮮京畿道開豊郡徳水を本貫とする徳水李氏で、高麗の武官(神虎衛中郎将)・李敦守を始祖とする。李敦守は、1218年契丹が高麗に侵入した時、これを防衛して功績があった。また、李氏朝鮮時代の朱子学者・李珥(号:栗谷, 1536-1584)も同じ本貫であるため、李珥のY染色体もハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される。  

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コメント
1. 2023年10月31日 00:51:49 : E1M4kVRB12 : eENid28xaXlTNXM=[3] 報告
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Y-DNA解析では高麗王も李氏も漢民族です:
高麗王・王建
初代高麗王・王建(877-943)のY染色体は、ハプログループO2a2a1a1(O-M188, subclade-CTS201)である。弓裔の部下であった王建は、918年に謀反を起し、自ら「高麗人の末裔」と称して国号を「高麗」とし、都を「開城」に定めた。『編年通録』によると王建の始祖は「虎景」という人物で、虎景の孫に「損乎述」があり、損乎述は「宝育」と改名した(国祖)。宝育は姪(兄の娘)の「徳国」を娶り、娘の「辰義」をもうけた。辰義は無名の中国人の行商人との間に「作帝建(懿祖)」を生んだ。作帝建の息子、「竜建(世祖)」は松岳(現在の開城)を拠点に半島西南の海岸部で貿易をしていた豪族で、王建は新羅憲康王3年(877年)1月31日に竜建の息子として生まれたという。この伝承に基づけば、作帝建の父は中国人であることから、王建の父系先祖は、中国人であるといえる。


李氏
李舜臣(徳水李氏)
李氏朝鮮時代の将軍・李舜臣のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)である(注1)(注2)(注3)。これは、ソウル特別市出身の徳水李氏の男性から得られたサンプルに基づく(注4)。
李舜臣は、朝鮮京畿道開豊郡徳水を本貫とする徳水李氏で、高麗の武官(神虎衛中郎将)・李敦守を始祖とする。李敦守は、1218年契丹が高麗に侵入した時、これを防衛して功績があった。また、李氏朝鮮時代の朱子学者・李珥(号:栗谷, 1536-1584)も同じ本貫であるため、李珥のY染色体もハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される。

因みに、百済と高句麗の王族はツングース系です:

朱蒙(東明聖王)・城高氏
高句麗王朱蒙(東明聖王/Dongmyeong of Goguryeo)の子孫といわれる城高氏のY染色体は、ハプログループO2a2(O-IMS-JST021354/P201)である

百済・温祚王
百濟王族の太祖・温祚王(Onjo of Baekje/온조왕)のY染色体は、ハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)であると推定される(注1)。

『隋書』新羅伝によれば、「新羅国は高句麗の東南に在り(中略)、その王(新羅王)は、もとは百済人で、(中略)新羅に進入し、遂にその国の王となった。(百済の太祖)温祚(王)から伝世、金真平に至り、開皇14年(594)に遣使を以て方物を貢献した。真平は高祖に拝謁し、上開府、楽浪郡公、新羅王の爵位を賜った」とあり、また『梁書』新羅伝には、「新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう。(中略)辰韓(新羅)王は常に馬韓(後の百済)人を用いて擁立し、代々に継承され、辰韓(新羅人)は自ら王を立てることはできない」とある。これに基づけば、新羅王族のハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)金氏は、百済王家の太祖のハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)からの分岐である可能性が考えられる。

百済・蓋鹵王
百濟 第21代・蓋鹵王(加須利君/かすりのきみ/餘慶/慶司,  -475)のY染色体は、ハプログループC2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)であると推定される(注1)(注2)。
百濟王族の始祖は温祚王で高句麗王と同祖。高句麗王の始祖は朱蒙(東明王)と言われ、その先は扶餘氏に出る。(※しかし、高句麗王の子孫、百済王の子孫それぞれから得られたサンプルによれば、父系関係は無い) 蓋鹵王は、宋 泰始4年(468)、雄略天皇に七支刀を奉献したことで知られ、七支刀は奈良 石上神宮に現存している。

百濟王族は、扶餘系C2c1a(C-Z1300)を出自とするが、百濟の民衆は南方系のO1b2a1(O-F1204)系統が多数であったと考えられている。
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93C2c%E7%B3%BB%E7%B5%B1

2. 中川隆[-12207] koaQ7Jey 2023年10月31日 01:03:40 : E1M4kVRB12 : eENid28xaXlTNXM=[4] 報告
<■53行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
Y-DNA解析では高麗王も李氏も漢民族です:
高麗王・王建
初代高麗王・王建(877-943)のY染色体は、ハプログループO2a2a1a1(O-M188, subclade-CTS201)である。弓裔の部下であった王建は、918年に謀反を起し、自ら「高麗人の末裔」と称して国号を「高麗」とし、都を「開城」に定めた。『編年通録』によると王建の始祖は「虎景」という人物で、虎景の孫に「損乎述」があり、損乎述は「宝育」と改名した(国祖)。宝育は姪(兄の娘)の「徳国」を娶り、娘の「辰義」をもうけた。辰義は無名の中国人の行商人との間に「作帝建(懿祖)」を生んだ。作帝建の息子、「竜建(世祖)」は松岳(現在の開城)を拠点に半島西南の海岸部で貿易をしていた豪族で、王建は新羅憲康王3年(877年)1月31日に竜建の息子として生まれたという。この伝承に基づけば、作帝建の父は中国人であることから、王建の父系先祖は、中国人であるといえる。

李氏
李舜臣(徳水李氏)
李氏朝鮮時代の将軍・李舜臣のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)である(注1)(注2)(注3)。これは、ソウル特別市出身の徳水李氏の男性から得られたサンプルに基づく(注4)。
李舜臣は、朝鮮京畿道開豊郡徳水を本貫とする徳水李氏で、高麗の武官(神虎衛中郎将)・李敦守を始祖とする。李敦守は、1218年契丹が高麗に侵入した時、これを防衛して功績があった。また、李氏朝鮮時代の朱子学者・李珥(号:栗谷, 1536-1584)も同じ本貫であるため、李珥のY染色体もハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される。

因みに、百済と高句麗の王族はツングース系です。
高句麗と百済は3世紀に朝鮮半島において建国しました。いずれもツングース系の騎馬民族で、20世紀に日本が満州国を建設する中国東北部から朝鮮半島に進出してきました。新羅は元々朝鮮半島にいた人々が建国した国です。
百濟王族は、扶餘系C2c1a(C-Z1300)を出自とするが、百濟の民衆は南方系のO1b2a1(O-F1204)系統が多数であったと考えられています:


百済・温祚王
百濟王族の太祖・温祚王(Onjo of Baekje/온조왕)のY染色体は、ハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)であると推定される(注1)。

『隋書』新羅伝によれば、「新羅国は高句麗の東南に在り(中略)、その王(新羅王)は、もとは百済人で、(中略)新羅に進入し、遂にその国の王となった。(百済の太祖)温祚(王)から伝世、金真平に至り、開皇14年(594)に遣使を以て方物を貢献した。真平は高祖に拝謁し、上開府、楽浪郡公、新羅王の爵位を賜った」とあり、また『梁書』新羅伝には、「新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう。(中略)辰韓(新羅)王は常に馬韓(後の百済)人を用いて擁立し、代々に継承され、辰韓(新羅人)は自ら王を立てることはできない」とある。これに基づけば、新羅王族のハプログループC2c1b(C-F845, CTS10923)金氏は、百済王家の太祖のハプログループC2c1(C-F2613/Z1338)からの分岐である可能性が考えられる。

百済・蓋鹵王
百濟 第21代・蓋鹵王(加須利君/かすりのきみ/餘慶/慶司,  -475)のY染色体は、ハプログループC2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)であると推定される(注1)(注2)。
百濟王族の始祖は温祚王で高句麗王と同祖。高句麗王の始祖は朱蒙(東明王)と言われ、その先は扶餘氏に出る。(※しかし、高句麗王の子孫、百済王の子孫それぞれから得られたサンプルによれば、父系関係は無い) 蓋鹵王は、宋 泰始4年(468)、雄略天皇に七支刀を奉献したことで知られ、七支刀は奈良 石上神宮に現存している。
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93C2c%E7%B3%BB%E7%B5%B1

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