<■78行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 嘆きの天使 Der Blaue Engel 監督:ジョセフ・フォン・ス タンバーグ (1930年/ドイツ) ◆ マレー ネ・ディートリッヒの出世作 https://cinepara.iinaa.net/Der_Blaue_Engel.html
ギムナジウム(中高一貫校)で英語を教え ている堅物の中年男ラート教授。 ある日の授業中、学生がいかがわしいブロマイドを持ち込んでいたことから、不良学生たちが 街のキャバレー「嘆きの天使」に入り浸っていることを知った。 不良学生たちはその日の夜もキャバレーに訪れていた。 そこへ、学生を取り締まるためにラートが乗り込んで来た。逃げる生徒を追い掛けているうち に、ラートはローラ・ローラの楽屋に入ってしまった。ロー ラは各地のキャバレーを巡業する歌劇団の看板歌手で、ブロマイドに写っていた女性だ。 翌日。ラートは再びキャバレーを訪ねた。前夜、学生がどさくさ紛れにラートの上着にローラ の衣装を忍び込ませていたので、それを返すためだ。「先生は文句なしにハンサムよ」。ローラは堅物のラートを弄んだ。 楽屋に酔客が乱入して来て、ローラにしつこく迫った。ラートは力ずくでその客を追い払い、 ローラと意気投合して乾杯した。 不良学生たちが地下に隠れていたが、ラートは彼等を発見して店から追い出した。 ラートは特別席に案内されてローラの歌を聞いた。 Youtube-logo ♪ 「 Falling in Love Again 」
ラートは酔い潰れ、ローラの楽屋で一夜を過ごしてしまった。朝食中に学校の始業ベルを聞 き、慌てて学校へ行くと、黒板にラートとローラの事を茶化す悪戯書きが描いてあった。 学生たちが騒ぎ出し、校長が教室にやって来た。校長 「たかが女のた めに、一生を棒に振ってもいいのか」。ラート 「未来の妻のことを侮辱するな 」。ラートは学校をクビになった。 歌劇団が次の巡業地へ移動する日。ラートはローラに指環を贈り、求婚した。2人は歌劇団の 団員たちに祝福され、結婚した。 ローラの鞄からブロマイドを見つけたラートは、「私の蓄えがある間は写真は売るな」 と息巻いた…。しかし、月日が流れ、客席にはローラのブロマイドを売り歩くラートの姿があった。蓄えの尽きたラートは、ローラのヒモ同然だった。 5年後。ラートは道化に扮し、手品師である座長の助手を務めていた。次の巡業地はラートの 故郷、あのキャバレー「嘆きの天使」だと告げられ、嫌がるラートであったが、ローラに養われている身であり、どうしようもなかった。 「嘆きの天使」での公演当日。かつての同僚や教え子たちが来店し、店は超満員。 ラートは土壇場で出演を嫌がったが、ローラに一喝され、茫然自失の状態で舞台に立った。 舞台の袖でローラが同業者の男に言い寄られ、抱かれていた。それを目撃したラートは半狂乱 となった。 ローラに襲い掛かったラートは、取り抑えられ、 拘束着を着せられて楽屋に放置された。 舞台では、ローラが「Falling in Love Again」を歌っ ている。座長から拘束着を解かれたラートは店から抜け出し、ある場所へ向かった …。 ・ドイツ映画初のトーキー作品。映画製作者のエリッヒ・ポマーが監督として白羽の矢を立てたのが、ハリウッドで活躍していたジョセフ・フォン・スタンバーグ。 ・ドイツへ渡ったスタンバーグは、ベルリンの舞台に出演していた当時はほとんど無名だった マレーネ・ディートリッヒをローラ役に抜擢。 ディートリッヒに決定する前は、グロリア・スワンソン、『メトロポリス』のブリギッテ・ヘルムなどが候補だったと言われている。 スクリーンテストを受けるマレーネ・ディートリッヒ
・映画が進むにつれ、ラート教授が醜く老けてゆくのと対照的に、美しさを増していくローラ役のマレーネ・ディートリッヒ(当 時29歳)。「百万ドルの脚線美」と言われたおみ足も披露し、「Falling in Love Again 」は彼女の代表曲となった。 本作により一躍その名を轟かせたディートリッヒ。スタンバーグ監督と蜜月関係になり、ハリウッドで一時代を築くことになった。
◆ ピック・アップ … エミール・ヤニングス Emil Jannings 1884-1950 (ドイツ) ・10代から舞台に立ち、ドイツ演劇界で名優としての評価を確立。 ・『最後の人』(1924年/監督:F・W・ムルナウ)、『ヴァ リエテ』(1925年/監督:E・A・デュボン)、『ファウスト』(1926 年/監督:F・W・ムルナウ)等、 ドイツの名作映画の多くで主演を務めた。 『最後の人』(1924 年) 『ヴァリエテ』(1925年) ・ハリウッドに招かれ、『肉体の道』(1927 年/監督:ヴィクター・フレミング)と、『最後の命令』(1928年/ジョセフ・フォン・スタンバーグ)の2作の演技により、第1回アカデミー賞主演男優賞を受賞。名実と もに映画界を代表する名優となった。 (右の写真) オスカー像を手にするヤニングス。授賞式は欠席している。 ・トーキーの時代となり、ドイツへ戻り、『嘆きの天使』等に出演。 『嘆きの天使』 マレーネ・ディートリッヒと ジョセフ・フォン・スタン バーグ監督と ・1933年、ヒトラー政権が成立すると熱烈な支持者となり、多くのプロパガンダ映画に出 演。その為、戦後は映画・演劇界から追放された。 ・1950年、オーストリアにて65歳で他界。 https://cinepara.iinaa.net/Der_Blaue_Engel.html
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