<■126行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> Y-DNA ハブログループでスサノオはツングース系chousen人 C2c1系統(騎馬民族)です。 縄文人ではありません: 春日氏は、スサノオの子孫を称する諏訪神族の嫡流・金刺宿禰浄成の三男・春日成富を始祖とする家柄で、その子孫・春日大隅の嫡男が春日虎綱にあたる。 その春日虎綱の子孫を称する者、つまりスサノオの子孫を称する者はY-C2c1a2a百済王族の扶余豊璋の子孫を称する者はY-C2c1a 百済王神社は百済王氏の祖霊を祭る神社で、百済王と共にスサノオを祀っている スサノオの子孫が国譲りに負けて逃げ込んだのが信濃 百済王族の扶余豊璋の弟である善光が日本に亡命して建てたのが信濃の善光寺 百濟王族は、扶餘系C2c1a(C-Z1300)を出自とするが、百濟の民衆は南方系のO1b2a1(O-F1204)系統が多数であったと考えられている。 C2c1系統はシベリアに一番多い。 天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。
これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、 として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。 例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような 盛り土である事は知られています。 古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。 それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。 終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。 宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。 当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、 それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。 日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。 日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で 生み出された概念に過ぎません。 現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。
民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の 小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、 そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。 38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、 仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ 可能性が浮かび上がります。 (私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係して いなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね) こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで 爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。 天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは 理解しますが、 戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において 戦争経験者が多く存在する時代ですし、 天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではない といえるでしょう。 そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり 以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、 棄却は無理も無いといえるでしょう。 朝鮮と日本の神話の類似性 上田正昭 京都大学名誉教授(2002年1月26日 講演記録より) 百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。
百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。 百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。 新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。
同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。 伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。 そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。 伽耶の国の建国神話があります。[史料4] 「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。 禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。 「所居北亀旨(クシ)」。 今も首露を祀っている廟があります。 「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。 変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。 「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」 と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]
「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。 高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」 という言葉があります。 高千穂伝承には[史料2] 「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」 「日向の槵日の高千穂の峰」 「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。 いずれもクシという字があります。 朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。 それだけではなく 「日向の襲の高千穂の添山峰」。 それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。 わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。 朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。 韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。 『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。 高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。 天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。 詳細は
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